はてなキーワード: ホワイト企業とは
(いや当方男で、化粧品のことも業界のことも何も知らないんで的外れなことを言うかも知れませんが
『既に女性の役員で満ちた化粧品会社なんていくらでもあるよ?』とツッコミされたら、以下の論は全く無効なんですが…)
「女性が化粧品会社を起業する」方が手っ取り早いと思うんですよね…。
そんで役員は女性で固めるし社員数も女性の方が多く、男はお茶くみ程度にしか使われない、そんな会社。
いやいやきっと大丈夫ですよ。
何せ女性目線の化粧品会社なんだから、商品は既存の会社以上に売れまくりで宣伝が炎上することも無いでしょう。多分。
http://anond.hatelabo.jp/20170502130927
読んだ。
増田、ゲーム業界・アニメ業界に興味はないか?三十路前なんて、まだまだ余裕で挽回が効くぞ。
俺は都内の某CG系専門学校で非常勤講師やってるんだが、30前後の学生がゴロゴロ居る。そして、真面目に学んでくれさえいれば35くらいまでなら余裕で業界就職まで漕ぎつけれる。
CG業界、ゲーム業界なんてスキルレベルしか見ないからな。年齢や学歴なんて参考程度にちょろっと見るだけだ。
ホワイト企業のデスクワークとかに就くのはもう絶望的に厳しい戦いを強いられるかもしれないが、
CG業界の人材採用はそんな世間一般の就職観とは結構離れたところにある。まだまだ全然戦える。これはプログラマにも同じことが言えるな。
とにかくまあ、絶望するにはまだ早過ぎるってことだ。
ずいぶん前の話だが、就職面接で「なぜ就活するにあたって髪の毛を黒に染めなかったのか」と聞かれたことがある。
俺は母親が白人のいわゆるハーフ。髪の毛は生まれたときから通常の日本人より明るめの茶色で、このときも染髪していない地毛の状態での面接だった。
(言うまでもないが)DNAの半分は日本人のものであることから、日本人的な特徴も持ち合わせている顔立ち。初対面では「もしかしてハーフですか?」ともしかしたら白人っぽい日本人なのかも……的なニュアンスで質問されることも稀にある。
そういう経験から、面接官は俺がハーフであることに気付いてないのかと思い、「父は日本人ですが、母が白人で……」と説明すると、
「いやそれは分かるけど、どうして黒に染めなかったの?」と少し苛立った様子の面接官。
一瞬意味が全く理解出来なかったが、どうもこの面接官は「就活をする学生はみんな髪の毛を黒に染める。=就活をする人は地毛が黒であろうとなかろうと黒染めしないのはマナー違反」と思っているらしい。
いや髪の毛を染めるのが就活する上でルール違反である(と認識している時代遅れが多い)訳なんだからたとえ黒でも髪の毛染めたら意味ないだろとか、日本人でも元々髪の毛が真っ黒じゃない人はいるだろとか、このグローバル化社会の真っ只中でよくそんなこと言えたなとか、いろんなことが頭の中をグルグル回っていきついた結論は、「もうこんな会社入りたくないし、この面接官を困らせてやろう」というものだった。
初めは おっしゃる通りですね!たとえ地毛が何色であろうと黒染めするのがマナーでしたね!日本人の髪の毛の色は黒がスタンダードですからね!と露骨にゴマすり。面接官はしたり顔。
じゃあ、私のこの高い鼻も日本人のスタンダードではないので削らなければなりませんね!今度手術して参りますので!あ、この身長も日本人の平均より高いので低くしなければなりませんね!いくらくらいお金かかるんだろうなぁ(笑)と露骨に煽ると、いやそこまでは言ってないと焦りだす面接官。
え?でも日本人の大多数と違っている部分があると駄目なんですよね?地毛の色が黒じゃなくても黒染めしなければならないってことはそういうことですよね?と詰めると、もう結構です……と面接官。
気がおかしい奴と思われただろうか。そう思いたければ思えばいい。それでも、俺たちは違いを認めない奴と戦わなければいけない。人種や性別、趣味嗜好を理由に辛い思いをする人のいない社会にしていく使命がある。
主に社内での話
例えば直ぐ終わりそうだなぁというタスクに対して、「瞬殺だよ」って言う人と「3日後でいいですか?」みたいに言う人が居ると思う
それは読み替えてほしい
1週間でできそうなところを、バッファを持って1.5週という人と、1ヶ月という人、みたいに
前者が多い会社、後者が多い会社、混ざった会社、色々見てきたが
やはり前者ができる会社にならないと、成長は鈍化するのではないかと思う
前者ができないというのは、うっかりしたときに調整弁がきかないとか、そういう話だと思う
確定されたスケジュールがとても大事で、ちょっとでもはみ出したら叱咤される状況
それが多いほど後者が強くなる
前者のつもりで後者の会社に入ると目も当てられない 一人で潰れるだけだ
社内でどちら側に寄せるかは議論されているとより良いと思う
地方で生まれて、地方の大学に通って、地方の企業に勤めて今月で15年目に突入した。
エンジニアとしてそれなりに(地方水準以上の)給料をもらってるし、ほぼほぼ定時上がりしている。
一般的には「ホワイト企業」と思って貰えればいいかも知れない。
辞める要素がないように思える。
・・・・が、いろいろあって辞めたい思いがここ1年くらいずっと続いている。
エンジニアが所属する部署がたくさんあるわけではない、地方にちっさい会社でよくあるエンジニアはひとまとめで「技術部」である。
そのひとまとめで技術部がいないということは、エンジニアが1人も僕以降に入っていないことになる。
15年前から比べると扱う商品、サービスも増え、メンテナンスするサーバやネットワーク機器も増大している。
増えて来ているのに定時で帰れているのは、たまたま僕が業務の効率化が得意だったのかもしれない。
これからもそれをやればいいのかもしれないが、僕はもう37歳。
僕が入社した時35歳だった人はもう50歳である。10年したら定年である。
そろそろ新しいモノを取り入れる気力は無くなっている。
このまま、この人達が完全に追いつけなくなったとき一人で抱えていくのかと思うとゾッとする。
いろいろ教えてもらったし、非常に良い人たちなので、見捨てたくないがその人達の下でやりたい仕事ができる未来が見えない。
もう一つ、そのまま15年スライドしているおかげで僕には役職がない。
15年目も無事役職は付かなかった。15年間異動も昇進も無しである。
それなりにビジネス視点でいろんな行動をしているし、結果も残しているつもりなのだが年功序列もあるし、
とりあえず名前だけ付いてもマネージメントをする後輩も居ないので意味がない。
同年代が課長、部長となっていく中で僕だけは何もないのが辛い。
個人活動でいろんな業界の勉強会などで参加して発表や発言をしても、名刺を渡すとちょっと下にみられてしまう悔しさ。
まあ、そんな人とは付き合わなくていいと自分を納得はさせているが、それでももし、自分に何か役職があれば違う世界が見えたのかなと思ってしまう。
僕のモチベーションもそろそろ切れてしまいそうだが、冒頭にある通り非常にホワイトな職場なため躊躇ってしまう。
今の環境を捨てて都会にでも出て新しい世界をみるか、あきらめて地方で骨を埋めるか。
37歳という歳になって最大の決断をしなければならないと思っている。
サークルの先輩に聞いた話だが、就活生に面接室でうんこをさせて、その外観・芳香・品格等によって選考をなす企業があるらしい。嘘みたいな話だが、これが本当なのだ。そもそもなぜ学生にうんこをさせるのかというと、そこには創業者の信念がある。その創業者は幼少時代、学校のボットン便所内に転落したことがあった。助けを呼ぼうと思ったが強烈な悪臭のため口を開けることができない。そうこうしているうちに同級生たちがやってくる。呑気に排便する同級生を頭上に望むこと十数分、彼は気づいた。良識あり頭脳明晰なる学友の便が美しい光沢を持ちまっすぐ決然と落下していくのに対し、最低にしておよそ褒めるべきところがない学友の便は表面が醜く爛れ、便槽に着地すると不愉快な音をたてる。そう、うんこと人間性は比例するのである。この大発見によって彼は陰謀渦巻く実業界中において成功を手にし、全学生の憧れるホワイト企業の創業者となったのである。以上は創業者の自伝による。
つまり、うんこによって当人の人柄はもちろん将来における成功ありやなしやまでをも判定することができる、というのがこの企業の言い分なのだ。これによって苦労するのが就活生であることは言うまでもない。なにしろ面接会場で当意即妙のうんこを放出しなければならないのだ。うんこ面接が学生の間で知られるにつれ、いろいろ対策がとられるようになった。就活生はまず自己分析の一環として自らの排便を見つめ直さねばならない。ワークシートに排便日時・場所・形状等を記録し、それを元に企業の求めるうんこを練ってゆく。そして、面接数日前からはコーラック・ビオフェルミン等によって排便を調節し、万全の態勢で本番に臨むのである。
このような方法論が積み重ねられれば、じきに内定へのセオリーが出来上がるのは当然といえよう。就活セミナーでは、理想的なうんこを出すための薬品使用法はもちろんのこと、排便に先立つ下着の脱ぎ方や、はては息むときにはどのような声を出すと好印象かといった問題までも詳細に指導されるようになった。こうして、就活生は志のある者ならば誰でも、面接室でバナナ形のほどよく光沢のある社会人として恥ずかしくない排便をなすことができるようになったのである。
しかし、誰もが似たようなうんこをしてくるようになったので、人事担当者は辟易した。なにしろ面接日となれば朝から晩まで皆一様にバナナ形でほどよく光沢のあるうんこをアピールしてくるのである。時々は向こうを張ってあえて下痢便を大噴射させてみたり、肛門まわりの剛毛を剃らぬままやってきたりする者が現われたが、そういう人間はむしろ不評で、結局は光沢バナナ形の中からわずかな差、たとえば尻のほくろがキュートだったとかうんこにコーンが混じっていたとか、そういう些細な差によって内定者が選ばれることの方が多かった。そういう現状を嫌い、ためしに細いうんこ出してみてよ、などと無理な要求をなす面接官まで最近はいるようだ。
こういう旧態依然とした面接に対しては、社内でもしばしば批判されている。うんこ面接はもう限界なのではないか、そもそも東大卒でうんこが理想的でも働かせてみると無能だったりするではないか、と主張する重役もいる。しかしうんこ面接を支持する声は根強い。言葉はいくらでも誤魔化すことができるが、うんこだけは当人の人間性を証するものとして否定しがたい説得力を持っている。就活を通じて自分のうんこを見つめ直せるならばそれもまた成果ではないか。というのがうんこ面接支持派の挙げる主たる理由である。しかし本当のところは違う。自分が過酷なうんこ面接をくぐり抜けて入社してきた、それが今の自分に繋がっている、という社員の思いが、うんこ面接の否定を避けさせているのである。
よく目的意識がはっきりしていないからできないんだとか、やることをリスト化してタスクを分散とか言われるけど、そうじゃないんだよ。
やりたいことも、なりたいものも、目的も、すべてがはっきりしている。
好きな時間に起きて、好きな時間に食って、好きな時間に寝たいだけ。
天気のいい日には散歩して、日向ぼっこして、昼寝して、雨なら本でも読んでいたい。
べつに大金を使いたいわけでもなく、ただ衣食住に不自由がなくなんの心配もしないで日々をただ漫然と過ごしたい。
そういう生活をするためには、そうできるだけの金と時間を手に入れろ、とか言うんだろ?
そうじゃないんだよ。
がむしゃらになった結果に満身創痍でそういう生活を手に入れたとしても、たぶん心は満たされないと思うんだよ。
きっとその前に、心がただの何もない安寧を受け入れられなくなるぐらいに壊れてしまう。
でなければ、燃え尽き症候群なんてのが定年後の人たちに現れるはずもない。
仮にホワイト企業でまったりしながら定年まで勤め上げてその生活を手に入れたとしても、もうそのときには思考にも健康にも制限かかった老人じゃん。
俺は若いときから老いて死ぬまでを、そうして過ごして果てたいだけなんだよ。
やりたいことをするために、やりたくないことをする、というのは百歩譲って良しとしても、そのために多大な時間や健康を犠牲にしなきゃいけないのはなんでだ?
最初から金のある家に生まれて、そういう生活ができる人間として生まれるにはどうすればよかったんだ?
そういう風な環境の人間になりたいし、そういう人間として若い内からぐうたらしたいという目的は、どうやってやることリスト作ってタスク分散すれば達成できるんだ?
玉の輿狙えばいいのかもしれんが、それができなかったら他にはどうすればいいんだ?
私(♀)は今、北日本のどこかにある某システム会社でシステムエンジニアをしています。
小さいときからパソコンや電子工作が好きで、高校卒業後は情報系の専門学校に入学しました。
飛びぬけて優秀というわけではありませんが、進学の推薦に困らない程度の成績は維持していました。
「私子ちゃんの成績なら進学なんでしょう?」「私子は進学のほうが向いてるよ」と周りからは言われました。
私も進学したいという気持ちがありました。
親に相談したところ、母は「ダメとは言わない。進学するなら奨学金を借りてほしい」と言いました。
父は「四大を卒業した女はすぐに結婚して辞めると思われる。四大なんて女が行くところじゃない」と言いました。
父が言うならそうなのだろうと思いました。
今のシステム会社に入社し、同期の1人と一緒に運用系の部署に配属されました。
学生時代はCやJavaの基本について学んではいましたが、その部署ではプログラミングをすることはほとんどありませんでした。
代わりにLinux,TCP/IP,ネットワーク構築の技術が求められました。
LinuxやTCP/IP,ネットワーク構築は初めて見る知識で先輩が教えてくれる業務をこなすのに必死でした。
一緒に配属された同期は性格の明るさと器用さでどんどん仕事を覚えていき、私と差がついていくのがわかりました。
同期と差がつけられるのが悔しかった私は、勉強をはじめました。
そのころ、我が家は祖母の介護をめぐりよく父と母がけんかしていました。
母が「殺せ!殺せ!私を殺せ!」とはさみを持ってよく叫んでいました。
私と弟が母親をよく羽交い絞めにして止めました。
祖母は、父に対しかなりの毒親っぷりを発揮&クソトメであったため、介護も大変だったようです。
喧嘩を見なければいいと思った私はよく図書館で勉強していました。
その秋のAPは落ちました。
配属されて1年ほどたったころ、私はある女性(40代、既婚)の下で働くことになりました。
以下おばさんと呼ぶことにします。
「なぜわからないの?」「かんがえたの?」「もう1回調べて」とよく言われたので、言うとおりにしました。
厳しいなぁと思いましたが、私の成長を思ってしてくれているのだと思いました。
自分なりにがんばってみるものの、つき返される日々がつづきました。
そのうちに、夜眠れなくなりました。
毎日倦怠感がありました。
「仕事 がんばる 方法」「仕事 落ち込み 立ち直る」でぐぐることが多くなりました。
いろんなにきび治療方法を試したので、にきび治療に詳しくなりました。
元気出す系のドーピングアイテムにも詳しくなりました。(レッドブルからプラセンタまで)
ある日、おばさんが言いました。
「あなたを見てるとイライラするのよ。あなたの成長なんて知ったこっちゃないのよ。さっさとやってよ。」
土日出勤・給料未払いというブラック企業勤めの弟が居たので、相対的ホワイト企業勤めの私がうつ病、ちゃんちゃらおかしかったのでしょう。
夕食のときに、父が「会社を休むのなら学校にでも行け」といいました。
私はおもわず泣きました。
「飯がまずくなる」と父にしかられたため、自分の部屋で食べました。
休んでいる間の家族の目がつらかったので、1ヶ月で仕事に復帰しました。
「つらかったら半日で帰ってもいいんだよ」と上司(男性、おばさんとは別人)に言われましたが、家に帰ってもろくなことがないので、定時まではたらきました。
そんな中、弟が交通事故で重傷を負いました。
弟は障害者手帳を持つようになりました。
用事があり作りませんでした。
弟は帰るなり私を殴り、「なぜ俺の飯がないんだ」と叫びました。
さすがに理不尽だと思い親に訴えました。
母は「あの子はやかんみたいな子だからね。すぐに沸騰するのよ」といいました。
その後親から弟にお叱りがあったようです。
弟は私に会うたびににらむようになりました。
親に言いつけたことへの報復が怖くて、夜は自分の部屋の扉に、机やいすでバリケードを作って寝ました。
APは5回ぐらい落ちました。
親の怒号や弟の報復におびえることなく勉強できる場所がほしいと思いました。
実家暮らしで、うつ病で趣味もなくなっていたので、お金はありました。
親は、一人暮らしをすることについては何も言いませんでした。
隣の部屋のおじさんの声、車の音がうるさかったですが、親の怒号や弟におびえた日々に比べたら天国でした。
好きな時間にご飯が食べられる。
好きな時間に帰ってこられる。
以上です。
週末の借金玉氏(id:syakkin_dama)のエントリやそれを受けて書かれたわかり手氏(id:ganbarezinrui)のエントリ、http://anond.hatelabo.jp/20170227005158 あたりのブコメとか読んでいて、随分と世知辛いねえ、と思ったのだけれど、良い場所が無いので増田にこれを書いている。たぶん超長い。
俺はタイトルに書いてあるようにADHD(診断済み)だ。典型的な注意欠陥・多動性が認められ、一方でASDの症状はゼロという純正ADHDマンである。なので先のお二方のエントリは全力で泣きながら、共感しすぎてヘドバン状態で読んだ。でもわからない人には何が「なので」なのか本気でわからないんだと思うし、それで正常なんだろうということも理解している。
んで、一般的なIT関連の企業で管理職をやっている。それなりに多様な部下もいる。業界的にブラックな香りがするWeb開発関連の仕事だけれど、自慢じゃないがだいたいニコニコ定時上がり、サブロク遵守、月間平均時間外は毎月20時間以内に抑えることに成功しているスーパーホワイト課である。一点ウソついた。これは自慢である。
俺はこういう属性の人間なので、自分自身のことを照らし合わせて借金玉氏の主張は痛いほどわかるし、このような性質の人がいることを十分に評価、理解した上で全体的な労働条件の改善に努めたいと日々考えている。残業含め労働時間は減らしていきたいとも思うし、人の個性や多様性への対応と労働条件の改善は両立し得ると信じているので、ADHDの人のぼやきをイコール残業問題に結びつけて批判するのはあまりに極論に過ぎるというか、違和感を感じてしまう。皆がそれぞれのフレンズのすごいところを理解し合えるやさしい世界になれば良いのに。
そもそも、俺なんかは借金玉氏の記事を読んで「お前は俺か」状態になる性質であるものの、何とか自分を飼いならして社会をサバイブできている時点で生物として人より劣っているとは思っていないし、仕事も(やり方やプロセスにクセはあるのかもしれないが)たぶん人並みにはできる。つまり、おそらく自分は弱者ではないし、どちらかと言うと強者の側に所属していると認識している。id:p_shirokuma先生的に言えば「よく発達した発達障害」ということになるのだろう。もっともADHDと言っても程度の違いがあるのかもしれないし、ただ単に俺は運が良かっただけなのかもしれない。普通の人だって大小あれど皆それぞれモチベーションのムラとかはあるわけで、ブコメに付いた「ADHDマン=無能」、「世の中は正常と異常の二者択一」、「席を空けて退場するべし」みたいな言説を見るとヤバさしか感じないし日本大丈夫か?と思う。こういう「性質」の人が少なからずいることを正しく理解した上で適材適所の人材活用を目指すべきだし、だいたいからして発達「障害」という言葉自体が良くないんじゃなかろうかと思わざるを得ない。
自分語りが目的ではないのであくまでモデルケースとして。ちなみに年は先の方々よりたぶんちょい上くらい。
端的に言って俺は相当に運が良く、理解者のおかげで生きていられる。上司は何度も変わっているが、往々にしておもしろ重視の管理者とは相性が良く、労働集約型のマネジメントをするタイプの管理者とは相性が悪かった。
で、自分自身がこういう人間なので、定時内にピークタイムを持ってくることができない問題についてはフレキシブルに対応したいと考えている。
今後ありたい姿を考える前提として、俺の職場は現状こんなふうになっている。
基本は定時勤務だが、企画関連などの職務については裁量労働制も存在している。とは言え、裁量労働は会社側の論理で不当労働の温床になりがちなので、ホワイト企業的には定時勤務できちんとタイムマネジメントして、時間外が出たら残業代はきちんと払うよ、という当たり前の考え方を推進している。
ただし、職種的に均等な業務が苦手な人もいるので、カミングアウトしている人については個別対応もあり得る。当然ながら他のメンバーから「なんであいつ日中フリーズしてんの」みたいな白い目で見られると職場の雰囲気が悪くなるし、本人の健康管理の問題もあるので十分な配慮と周囲の理解も必要。
先述の記事のブコメにもあったけど、多種多様な人材を活用して成果を最大化するのはマネジメントの責任だ。「9時17時で時計刻みに動けない奴は居ね」っていうのもマネジメント手法のひとつかも知らんが、少なくとも俺んとこはそういうふうにはしたくないと強く願う、つーか俺自身が生き残れない。んで、職場のスロースターターにはこんなふうに対応している。
自分の担当にもちょっと該当しそうなメンバーがいるのでこんな感じでやってるけど、今のところまあまあうまく回っている。むしろ一番の問題は自分なわけなんだが、時間外付かないマネージャーなんで帰れないときがあっても勘弁してつかあさい。「マネージャーがいると帰りづらい……」ってことなら考えるけどウチのメンバーは俺がいても定時で容赦なく上がるので今んとこたぶん大丈夫。まあ、「あの無能上司、昼間フリーズしてて何もしてない……」と言われるとダメなやつなので、そうならないように自分自身も努力しなきゃならないけど、ある意味俺にとっての最大の生存戦略が「自分自身が管理者になる」だったかもしれないな。※もちろん、帰れる時は率先して帰ってるよ。
書いて読み返してみると、自分にとってはすごく一般的で普通のことしか書いてない気がするんだけど、先のホッテントリを見てて世間一般的に普通なのかどうかちょっと自信が無くなった。
よくスロースターターに対して「仕事は定型化するべし」「ルーチンで行動するべし」なんてアドバイスをするライフハックを見かけるんだが、本当の本気で大真面目にそれが体質的にできない人ってのがいるのよ。そして、そういう人がみんな無能かっていうと決してそんなことは無くて、そういう人が画期的なアイデアを出してきたり、ブレイクスルーを行うような機会ってのは実際に、ある。業務の種類や内容によっても正解は異なる。
繰り返すけど、出力にムラがあるなんてのは程度問題であって誰かしらあると思うんだよ。もちろん、定常定時に常に安定して均等なパフォーマンスを出せる人を尊敬するし、評価も高くなることに疑いは無い。でも「無能滅ぶべし」「健常者だけ揃えれば万事解決」みたいなことを言ってる人たち、本気か?はてなでそこそこホッテントリ取ってるブロガーでも「生産性の低さを一生懸命努力でカバーするのは結構だが、出来れば職場の外でやって頂きたい。」なんてツイートしてたりする人がいて、なんつーかこう地獄感しかない。
そりゃあ、安定マンのみでチームを構成できればラッキーかもしれんけど、世の中そううまくはいかないよ。どこも人材不足だ、いろんな人がいて、いろんな個性と悩みがあって、いろんな仕組みがあってその中で一番いいパフォーマンスと一番いい労働条件の両立を目指しましょうね、がマトモな議論なんじゃないのか。残業については言っていることはたぶん普通の人と同じだ。ただ、理解を深めて個人別最適な対応ができるようにしたいですね、長期的視点で皆にチャンスがあるようにしたいねと言っている。
何もポリコレ棒を持ち出してくるまでもなく、何も皆が必ず同じ時間軸評価軸で同じ定型定性で判断されるような職場がハッピーなわけではないし、単純に、多様性を認めない職場で働くのは俺は嫌だし、多様性を認めるための努力は惜しみたくないと考えている。けものは居てものけものはいないんだぜ。
そんな感じ。
街角のコンビニ駐車場で、ひとりのバイトが恵方巻を売っていました。
人々はまるでバイトの姿が見えないかのように足早に店内に入り、黙って出ていきます。
「恵方巻です!今年の吉方位は…」
「どいてください」
バイトはよろけて、手をついた拍子に恵方巻の山を崩してしまいました。
「よかった…」
バイトはかじかむ手に息を吹きかけて温めながら恵方巻の山を積みなおしました。
昨晩から節分の飾りつけや特売スペースの設置で忙しく、今日は食事もしていません。
バイトは一人きりで手提げ金庫の番もしなければならないので、軽食を買いに売り場を離れることもできません。
「何か温かい食べ物を食べたいなあ。いや、冷たくてもいいから、せめて食事をして一息つけたらなあ」
湯気の立つおでんや熱々コロッケを買って店を出る客をみながらバイトは思いました。
「この恵方巻でもいい。どうせ売れ残ったら販売ノルマで買わなくちゃいけないんだし」
寒さと空腹と疲れで頭がまわらなくなったバイトは一本の恵方巻を手に取りました。
するとどうでしょう。
目の前に暖かなバックルームと微笑むバイト仲間たちがあらわれたではありませんか。
「え、いいんですか?」
「もちろんだよ。ちゃんと契約書に休憩時間は一時間って書いてあっただろ?」
「わあ、肉まんだ!」
バイトはホッカホカの肉まんをあっちっちと手に取り、ひとくちかぶりつきました。
「あ…」
あたりは相変わらず寒く、暗く、冷え切ったアスファルトはまるで氷のタイルのよう。
「なんだ、夢か」
「それにしても、まるで本当に休憩時間をもらったみたいだった」
バイトは頭をふって気持ちを切り替え、販売ノルマを自分に言い聞かせました。
「どうした、風邪か?」
「昨日は寒い中一人で販売がんばってくれたからな。今日は休め」
「え!…でも、休むとシフト変わってもらえる人がいないし、今月はもう振替できる日がないです」
「シフト?シフトを組むのは店の仕事だろ。それに有休だってあるんだし」
「有休!」
「どうした、不満か?今月は残業代もたっぷり出るし、昨日のイベント手当と大入り袋で栄養のあるものでも買って帰れよ」
「そっか…有休と残業代とイベント手当と大入り袋がありましたね、そうします!ありがとうございました」
「これはお見舞いな」
「あ…」
「どうしよう。一本も売らないで二本も食べてしまった」
バイトは喉の奥の熱い塊をこらえながら食べ終えた恵方巻の包み紙を大慌てで集めました。
「店長になんて言おう」
「バイトさん!」
販売テントの横には上質なスーツを着た貫禄のある落ち着いた紳士が立っていました。
大変だ、本部の人が視察に来てたんだ…!
「あ、あの!違うんです、これは…!」
「はい、勤勉で優秀なバイトさんに、ぜひ私共ホワイト企業株式会社の正社員としてご活躍いただきたい」
ホワイト企業株式会社の採用担当者様はどこか懐かしい顔立ちをしていました。
バイトは子供の頃、バイトを膝にのせてバブル時代のおとぎ話をしてくれたやさしいおじいさまを思い出しました。
「働きます、そちらで働かせてください!連れて行ってください!」
節分の夜、街角のコンビニの駐車場で、一人で恵方巻を売っていたバイトがいました。
バイトは勤務中売り物の恵方巻を無断で食べ、売れ残りの恵方巻を残らず買い取らせられたうえ、バイトを首になったということです。
1998年当時、皆が大手企業を中心に就職活動するなか、東京勤務と大企業にだけは就職したくないと、中小企業狙いで就職活動していた反抗期の自分。
今では、ネット界隈で「新卒は教育が充実している大企業か、即戦力が鍛えられるベンチャーか」という論争が盛んだが、当時はネットでの就職情報さえなかった時代だ。当時の俺は、即戦力をつけたいという思いから100人くらいの会社に入社した。仕事は徹夜続きでブラック企業だったが、成長実感が感じられ、働き甲斐も大きかった。
その後、数社のベンチャー企業を転々とした。プロジェクトや会社に与える自分の影響が強いことに働き甲斐を得られる反面、このタフな働き方をずっとは続けてはいけないこともわかった。社長とビジョンを信じ、給与が出ない生活にも耐性がなかった。
働き始めて17年後、いくつかのご縁と幸運が重なり、今は、大企業の東京本社で勤めている。
だが、組織システムが硬直化し動きが遅い上、現場は遠く、自分の仕事なのかどうかも実感できない日々が続く。
社内調整が重視されるため、若いころに培った伸び盛りある現場仕事のノウハウが活かせるような職場でもない。
大学生のころ、絶対に行きたくないと思っていた大企業の東京本社で勤めている。
現実逃避で友人のベンチャー企業を手伝っていると、いつのまにか自分が大企業病に罹っていたことを知る。
やはり、給与がいつ出るかわからない環境に身を置けるほど、若くもなくなってしまった。
リスクばかりを気にするようになった。
10年代以降盛り上がった、e-sportsとプロリーグ設立の動きは、その後驚くほどあっさり廃れた。
運営が怪しかったとか、プレイヤーの扱いが悲惨だったとか、いろいろな問題があったが、
何より致命的だったのは、結局ゲームだけできても、その世界以外では全くクールではなかったことだ。
名のある企業の社員が夜毎集まり、己のプライドと会社の名前を背負って戦う。
企業の側も、こうした動きを止めることはせず、むしろ歓迎した。
もちろん、会社の宣伝になるというのもあるが、それ以上の意味があったからだ。
景気が上向かず、給料も上がらない中、学生が企業に期待するのは、もはや余暇の多さのみ。
普通の社員がバカバカしいことをやり、活躍する余裕があることこそ、紛れもなくホワイト企業の証であり、
e-sportsはそれをアピールする絶好の場とされたのである。
物語は、主人公がある業界の中堅企業に入社するところから始まる。
彼もまた学生時代はゲームに打ち込み、仕事はそこそこに、余暇の充実を求めて入社した一人である。