街角のコンビニ駐車場で、ひとりのバイトが恵方巻を売っていました。
人々はまるでバイトの姿が見えないかのように足早に店内に入り、黙って出ていきます。
「恵方巻です!今年の吉方位は…」
「どいてください」
バイトはよろけて、手をついた拍子に恵方巻の山を崩してしまいました。
「よかった…」
バイトはかじかむ手に息を吹きかけて温めながら恵方巻の山を積みなおしました。
昨晩から節分の飾りつけや特売スペースの設置で忙しく、今日は食事もしていません。
バイトは一人きりで手提げ金庫の番もしなければならないので、軽食を買いに売り場を離れることもできません。
「何か温かい食べ物を食べたいなあ。いや、冷たくてもいいから、せめて食事をして一息つけたらなあ」
湯気の立つおでんや熱々コロッケを買って店を出る客をみながらバイトは思いました。
「この恵方巻でもいい。どうせ売れ残ったら販売ノルマで買わなくちゃいけないんだし」
寒さと空腹と疲れで頭がまわらなくなったバイトは一本の恵方巻を手に取りました。
するとどうでしょう。
目の前に暖かなバックルームと微笑むバイト仲間たちがあらわれたではありませんか。
「え、いいんですか?」
「もちろんだよ。ちゃんと契約書に休憩時間は一時間って書いてあっただろ?」
「わあ、肉まんだ!」
バイトはホッカホカの肉まんをあっちっちと手に取り、ひとくちかぶりつきました。
「あ…」
あたりは相変わらず寒く、暗く、冷え切ったアスファルトはまるで氷のタイルのよう。
「なんだ、夢か」
「それにしても、まるで本当に休憩時間をもらったみたいだった」
バイトは頭をふって気持ちを切り替え、販売ノルマを自分に言い聞かせました。
「どうした、風邪か?」
「昨日は寒い中一人で販売がんばってくれたからな。今日は休め」
「え!…でも、休むとシフト変わってもらえる人がいないし、今月はもう振替できる日がないです」
「シフト?シフトを組むのは店の仕事だろ。それに有休だってあるんだし」
「有休!」
「どうした、不満か?今月は残業代もたっぷり出るし、昨日のイベント手当と大入り袋で栄養のあるものでも買って帰れよ」
「そっか…有休と残業代とイベント手当と大入り袋がありましたね、そうします!ありがとうございました」
「これはお見舞いな」
「あ…」
「どうしよう。一本も売らないで二本も食べてしまった」
バイトは喉の奥の熱い塊をこらえながら食べ終えた恵方巻の包み紙を大慌てで集めました。
「店長になんて言おう」
「バイトさん!」
販売テントの横には上質なスーツを着た貫禄のある落ち着いた紳士が立っていました。
大変だ、本部の人が視察に来てたんだ…!
「あ、あの!違うんです、これは…!」
「はい、勤勉で優秀なバイトさんに、ぜひ私共ホワイト企業株式会社の正社員としてご活躍いただきたい」
ホワイト企業株式会社の採用担当者様はどこか懐かしい顔立ちをしていました。
バイトは子供の頃、バイトを膝にのせてバブル時代のおとぎ話をしてくれたやさしいおじいさまを思い出しました。
「働きます、そちらで働かせてください!連れて行ってください!」
節分の夜、街角のコンビニの駐車場で、一人で恵方巻を売っていたバイトがいました。
バイトは勤務中売り物の恵方巻を無断で食べ、売れ残りの恵方巻を残らず買い取らせられたうえ、バイトを首になったということです。