はてなキーワード: ブロガーとは
マネ会って最近覗いているけど、はてなブロガーのオールスターっぷりがすごいな。
社会系、経済、投資系のはてなブロガーを株式会社はてなが囲い込んでコンテンツ供給するビジネスになっている。
ちょっと見ただけでも
ゆとりずむ
でまこい
http://earningmoney.hatenablog.com/
今日、なに食べよう?〜有機野菜の畑から~ 旬の野菜と珍しい野菜の簡単レシピ
サイバーエージェントはマジでえげつないな。アフィリエイトの大元が、業界の利益すべて刈りにきたな。
どうでもいいけどクレカの人は書かないのか?
専門家や玄人が目利きの知見を語るような面白い記事は内容が高度orニッチで、
それを楽しめる素養を持つ人が少ないせいでホットエントリになりづらい。
逆にはてなブロガーやオモコロのように、平凡な人が平凡なことを語る記事は
誰にでも理解できるし共感しやすいのでホットエントリになりやすい。
はてなのようなオールジャンルコミュニティは、専門分野や実力を持たない凡人ほど
人気者になれる場所であり、面白い記事に出会える場所ではない。
面白い記事を読みたければ、自分の専門分野に沿って能動的に探すしかないだろう。
暇なので
コメントに反論してみる。日本って本当に息苦しいわ - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース
「自分の意見を言うと嫌われる」という主張に「伝え方が悪いから嫌われているだけでは」と指摘が入り、それに「相手がどう思うかなんて知ったこっちゃねーよw」と。
相手がどう感じるかなんて、わかるわけがないよね、他人なんだから。
伝え方とかにこだわってるから話が進まない。
言い方が悪くとも言った意見については吟味すべきだよね。
「相手がどう思うか」なんて考えてたってしょうがないんだって。
たぶん雨宮さんが本来言いたいのは、「異論を唱えることが、相手に対する個人的な攻撃のように捉えられる日本の風潮あかんよね」ということで、私自身もそれには激しく同意します。
で、「伝え方の問題では」とか指摘している人は、「日本では意見を言ったら嫌われた!日本のこういうとこだめ!」と言っているのを見て「いやいやwあなたの場合は言い方の問題のほうが大きいのでは?」と雨宮さん自身の問題を指摘しているわけ。「別に日本の風潮はおかしくないよ!」とは言ってません。相手の主張を言葉通り受け取らず、勝手に「裏にある真意」を読み取って怒り出す、とても古典的日本人という感じがします。
議論好きのドイツ人だって喧嘩腰にならないように気を配っているし、「I'm not offending you.」とか小刻みにはさんで、ちゃんと相手の感情に配慮しながら意見をぶつけ合ってますよ。
もちろん「喧嘩腰」と受け取られる振る舞いは文化によって違うので適応することは必要。日本では真顔だと喧嘩腰と受け取られないから柔らかめの表情と物腰で、逆にドイツでニヤニヤしてるとバカにしているように受け取られるので努めて真面目な顔とトーンで、という具合に。
それぞれの文化に適応するのが苦手です、というだけの話なのに、相手の気持ちなんか考えたってしょうがない、という頓珍漢な反論をしてるのでややこしくなる。
こういうコメントが来ていると。
筆者の方は「もっと人の意見に耳をかして、ちゃんと話し合って、いろんな生き方を認めてほしい。」とおっしゃっています。
でも、自分は人の意見に耳をかさないし、話し合おうともしていない、いろんな生き方を認めていない
『もっと人の意見に耳をかして、ちゃんと話し合って、いろんな生き方を認めてほしい。』
→あと、自分が矛盾していることには気が付かないのですね。
他者を受け入れる寛容か、あるいはキャパシティがあまりないようです。
貴女は他者を認めましたか?
そのとおりですね。
全記事読んでからコメントしろ! とかって言う気はありませんが、わたしの考え方をまったく理解せずに、1記事読んだだけで他人の人格を否定する人間はすごいですね。
そもそも個人的なこと(日本のこの風潮が「私には」合わなかった)を書いている記事である以上、ツッコミも彼女自身に対するものになって当然です。それを人格否定と捉えるとは、まさしく彼女が馴染めなかったと言っている日本的感性そのものです。
で、彼女はどうやら「皆さんはどう思いますか?」という文言さえ置いておけば(賛同も反論も批判も含め)他人の意見に耳を貸していることになると思っているそう。
実は http://anond.hatelabo.jp/20160930081102 を書いた者ですが、「批判おつかれさま!」と捨て台詞じみたコメントを得ただけで、指摘に耳を貸す気はなさそう。
しっかり反論しろとメンドクサイ要求をするつもりもないし彼女も応じるつもりないでしょうが、それでいて「批判おつかれさま!」と捨て台詞のように言うのは「意見を否定されると勝手に人格否定と捉え、まともに反論せず逃げる」という、駄目な日本人そのものです。正直「ダッッッッサwwwwww」という感じです。
彼女の言いたいことはよく分かるし、そうだねって思うことも結構あるんだけど、脳みそ空っぽな人や単に持ち上げ合いたいだけのブロガー仲間のアゲツイートだけRTして「みんなに賛同される私」を演じるんじゃなくて、批判に対して感情的にならず論理的に反論するなりなんなりしてみたらどうでしょう?
何にせよPV稼ぎ大変そうだなあという印象。頑張ってください。
続き。
http://www.amamiyashion.com/entry/2016/07/24/193000
日本社会の問題点として、「空気を読まずに意見を言う人間を淘汰しがち」ということを挙げてあれこれ論じています。
わかる。すごくわかる。日常生活で真面目に意見をぶつけ合うことってほとんどないし、ある程度結論が見えてて(もしくは偉い人の方針があって)形式的に議論してそこにたどり着くだけ、みたいなのが多すぎてバカバカしくなったりしますね。
でも雨宮さんの場合は「知らないことを知らないと認めない」「間違いを認めない」「それでいて知ったかぶりや間違った知識に基づいて、飛躍した論理で意見を展開する」「そしてそのことを指摘されると逆上する」から嫌われるのでは?
そういう人は日本でなくても嫌われますよ。というか、ドイツのように議論を大切にする社会のマトモな知性を持った人ほどこういう人を嫌いますよ。
雨宮さんの普段を知りませんが、このブログのような調子で議論に参加しているとしたら、それは「散髪直後で髪の毛を撒き散らしながらレストランに入店し、入るなり大声で所望の品を叫び、料理が出てきたらガチャガチャクチャクチャと耳障りな音を立てながら食し、代金を店員に投げつけるようにして退店する」というくらいの無作法です。つまみ出されて当然です。
議論好きのドイツ人といえど、議論できるレベルは結構ばらつきがあります。言いたいことを言うだけ(相手の意見をよく聞いていない・聞く気がない)という人も結構多いです。雨宮さんの周りにはそういう人が多いのではないでしょうか。
雨宮さん自身、せっかくドイツに長くいるのに飲食店でパートタイムで働いたりセコセコ内職したり微妙な大学に通ったり、ということしかされていない(学問もビジネスもされていない)ようなので、そもそもドイツ人とシリアスな議論をしたことがない可能性も大いにあります。
可愛い日本人の女の子に下心を持った男に「君は賢いね」などとおだてられて自信をつけた、というのもありそうです。ここまで来ると邪推ですが。
1.自分の意見には根拠をつけよ
例えを使うのは王道ですね。具体的な数値を上げるのも効果的です。自分のリアルな体験談を引き合いに出すのもOK。
例えや体験談は根拠にはなりません。根拠を補強するだけです。補助輪です。雨宮さん自信の主張に根拠があったことはほとんどありませんね。メインの車輪なしに補助輪だけでは走れませんよ。
2.意見を言ってまわりに問いかける
わたしはこう思います(意見)
なぜならこうだからです(根拠)
だからこうした方がいいと思いますが、どうですか(まとめ・提案、問いかけ)
という3段論法はオーソドックスで簡単かつ有効です。小論文なんかでも使われる手ですね。
えっと、これを3段論法とは呼びませんし、小論文に問いかけとか書きません。
まわりに問いかけること自体は大切なことですが、上記はよく意味がわかりません。
4.反論には先に反論しておけ
説得力が増すし、相手の反論ネタを奪うこともできます。
「どのように反論されても言い返せるように十分準備しておけ」という意味なら大賛成ですが、だいぶ違う様子。
「相手が言い返してきそうなことを予め否定しておく(ただ否定形にするだけ、根拠なし)」ということのようです。
「お前のことバカにするわけじゃないんだけど、お前って頭も悪いし不細工だし体力ないしどんくさいよなw」とかそういうことのようです。
説得力は増しません。単に「反論は受け付けません」と宣言しているだけです。図星を突かれるのが怖いから予め自分から晒すことで恐怖から逃れる、という幼稚な手法です。
5.相手に共感させる
これは大事です。
ということに基づく「平凡な日本人」に対する謎の優越感だけで、読めば読むほど「薄っぺらい(無知なのに尊大な)人間だなあ」という感想が湧いてくるのです。
これとか、「ご自分に向けて書いたんですか?」と尋ねたくなるほどです。 選民思想をこじらせてるただの自己中、多くない? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース
とはいえ、「外国人」とか「グローバルな視点を持っている(ように見える)日本人」の言うことを無条件でありがたがってしまう人たちというのも多いので、そういう人たち相手の「ブログという芸」で小銭を稼ぐ人がいるのも当たり前だなあ、という感じです。
路上の物乞いとか、不幸な身の上話をして小銭を集めて回っているような人に対するのと同じように哀れんでしまうけれど、本人が惨めに感じていないだけマシだな、とは思います。
観光地で陳腐な空中浮遊芸やってるようなエセ大道芸人と同じようなものですかね。
彼女の書いた記事で「その通りだね」となったのは以下の2つくらいです。
【実在の登録商標名をネット上に書き込みをしたりニュースで言うと、商標権の侵害となったり使用料(ロイヤリティ)が発生する。】という意見があります。結論から言うと、その意見は誤解です。商標権の侵害となったりお金を請求され払わなければならないという事は【ありません】。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/284937.html
「STAP細胞はあります」が商標登録出願されたと話題に / Twitterユーザーの声「意味不明すぎる」「ないのに」
http://news.livedoor.com/article/detail/9875730/
下記はソースです。専門家の方が名前を出して解説しているため、信頼性が高いものと思います。
(もっとも、法律の条文を読んでも、名前を書くことが商標権の侵害の要件となるという根拠を見つけることは出来ませんでした。)
http://www.tamba-pat.com/article/13612390.html
また、似たような誤解で、他人が登録商標を使用したらどんな場合でも商標権の侵害になるというものもあります。
登録商標が指定商品又は指定役務に関連して用いられて初めて商標権の侵害となるのであって、登録商標を商品やサービスから離れて、たとえば文章中などで用いたりしても商標権の侵害とはならないのです。
紹介文
http://news.ameba.jp/20160923-83/
たとえば、『iPhone』は商標登録されていますが、単にiPhoneという表示をしただけ、あるいはiPhoneを紹介したとしても、商標権侵害とはなりません。これは、自他識別機能や出所表示機能が害されているわけではないからです。
紹介文
*著者:弁護士 清水陽平(法律事務所アルシエン。インターネット上でされる誹謗中傷への対策、炎上対策のほか、名誉・プライバシー関連訴訟などに対応。)
http://ipfbiz.com/archives/kuchikomi.html
そしてもう一つ、単に商標の文字列を記載する行為のみでは、商標としての使用にはなりません。商標的使用であるためには、出所表示機能や自他商品等識別機能を発揮する態様での使用である必要があります。
紹介文
安高史朗@IPFbiz
特許庁での審査官補、シンクタンクでの知財コンサルタント、インターネット企業での知財戦略・知財法務・政策企画を経て、安高特許会計事務所を開業しました。
@ITに掲載されている栗原潔氏の記事でも同様の説明がされています。
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1305/16/news018_3.html
言葉やマークが製品やサービスの出所を示す機能を提供していなければ、それは商標ではありません。そのような使用に対しては商標権の効力は及びません。
しかし、例えば、自動車雑誌でポルシェという言葉を使って記事を書くために独ポルシェ社の商標権の使用許諾を得る必要はありません。この場合、ポルシェという言葉を商標的に(製品やサービスの販売とともに)に使っているわけではないからです。書籍タイトルや歌詞にポルシェという言葉が出てくる場合も同様です(もちろん、業界の礼儀として一言断りを入れておくべきという話は別です)。
商標権とは言葉やロゴの使用そのものを独占できる権利ではありません。その言葉やロゴを、製品やサービスを提供する際に出所を表示するために使用する(つまり、商標的に使用する)ことを独占できる権利です。
名前を書くこと自体が商標権の侵害になるわけではないと解説されています。
本当に簡単に言ってしまうと、商標を無断で言う(書く)のは合法、商標を無断で使うのは違法という事です。
また、商標権という言葉は出てきませんが、この問題に似た事案について判例が存在します。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=84462
結果 棄却
3 争点
(1)本件ページへの本件名称の掲載が本号(不競法2条1項2号)所定の不正
競争に当たるか(争点1)
イ 本件ページへの本件名称の掲載が原告の商品等表示と同一のものの使用
に当たるか
(2)本件ページへの本件名称の掲載が原告の人格権に由来する名称権等の侵害
4
に当たるか(争点2)
(3)原告の損害及びその額(争点3)
イ(本件ページへの本件名称の掲載が原告の商品等表示と同一のものの使用
に当たるか)
本件サイトは,新聞や雑誌,一般のブログ等とは異なり,掲載された情
報に経済的価値を認め,広告価値を最大化して利益を得ることを目的とし
ているから,本件ページを含め,飲食店の情報が掲載されたウェブページ
は,それぞれが独立して経済的価値を有し,取引の対象となっているとい
うことができ,商品性があるので,被告は,本件名称が表示された本件ペ
そして,本件サイトを利用する者は,上記各記載のほか,本件サイトの体裁自
体によっても,本件サイトが各地の飲食店の基本情報や口コミを集積し,一
般消費者の利用に供するウェブサイトであることを,容易に認識することが
できる(甲2,乙6,16,23の7)。
したがって,被告による本件ページへの本件名称の掲載は,被告の商品等
の出所を表示したり,被告の商品等を識別したりする機能を有する態様で本
件名称を使用しているということはできず,被告が自己の商品等表示として
原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用していると認めることはでき
ない。
しかし,本件についてみると,法人の名称ではない店舗の名称について個
人の氏名と同様の保護が与えられるべきか否かはともかくとして,被告は,
本件ページを掲載することにより本件名称を表示していることが認められる
ものの,その態様は,前記1(2)のとおり,本件店舗を本件サイト内にお
いて特定したり,本件ページのガイドや口コミが本件店舗に関するものであ
ることを示したりするために本件名称を表示しているものにすぎず,本件名
称を用いて,被告が本件店舗を営業しているかのように装ったり,原告が本
件サイトを運営管理しているかのように装ったりしているわけではなく,本
件店舗や本件サイトの運営主体の特定や識別を困難にするものではないから,
冒用には当たらない。
しかし,原告は,法人であり,会社であって,広く一般人を対象にして飲
食店営業を行っているのであるから,個人と同様の自己に関する情報をコン
トロールする権利を有するものではない。そして,上記のような原告の要求
を認めれば,原告に本件店舗に関する情報が掲載される媒体を選択し,原告
が望まない場合にはこれを拒絶する自由を与えることになるのであり,その
反面として,他人の表現行為や得られる情報が恣意的に制限されることにな
ってしまうのであって,到底容認できるものではなく,原告の上記主張も理
由がない。
名称を書くだけでは名称利用には当たらない、裁判となった被告のサイトに本件名称を書いただけだという事は被告のサイトを見れば分かるとして、裁判所は原告の主張を退けています。
また、原告が情報媒体を選択できるなら、表現の自由の侵害の恐れがあるいう趣旨のことを述べています。
これらはインターネットに限らず、書籍や漫画などでも同様でしょう。
※このダイアリーで記述しているのは商標権の話です。名誉毀損、誹謗中傷、プライバシー侵害は別の問題ですので、誤解無きようお願いします。正当な批判の範囲を超えた、名誉毀損のリスクのあるような内容ならば、配慮の必要性があり初めから触れるべきではないと思います。言い換えるなら、それらの名誉毀損、誹謗中傷、プライバシー侵害などの問題が無い限りは、実名を出すことに問題はないでしょう。
余談:
・上で紹介した教えてgooトピック内の投稿に「マスメディアは公に正確な情報を報道する義務をもつ。
いろいろと他の決まりがあるのでマスメディアとweb siteでは違います。」という部分があります。
これは私の想像ですし言い方が悪いのですが、この部分は、「一面に大きく載る銀行の統廃合の記事も,経済面にのる新商品の紹介も,社会面で報じられるどこそこ本社の火事も,いちいち伏せ字にするか,記事を書くたびに取材相手の会社にお金を払っているか,許可を得た上でないと報道できないことになります。」という他の人からの指摘に対して、話の辻褄を合わせる為に持ってきた話ではないかと感じます。
しかし、この説明の仕方には違和感を覚えます。第三者が登録商標名を投稿することが違法であるとして法律問題を主張するのであれば、マスコミによる報道についても「例外規定が法律上存在します」という法律論であるべきではないでしょうか。
実際には例外規定は法律に存在しません。第三者が登録商標名を投稿する事自体が法律上禁止されていないので、そもそも例外規定は存在しません。
マスコミは正確な情報を報道するべきであるという、あるべき論で言えば、我々一般人も誤解や誤りの無い正確な情報発信をすべきであるし、それがマナーだと私は考えます。
「まだ東京で消耗してるの?」
ご存知イケハヤ氏のブログ名だ。これを見てイラってさせられる人、特にはてなには多くいると思う。
でも、よく考えてみてくれ。このフレーズは2014年(だっただろうか?)の初出からもう3年経つ。
にもかかわらず、この一部を改変したタイトルを、未だに色々なところで見かけているはずだ。
・まだ田舎で消耗しているの?
・まだママ友で消耗しているの?
・まだブロガーで消耗しているの?
エトセトラエトセトラ。気になる人は、「まだ 消耗」とかでググってみてくれ。
正直言って、彼のブログ自体はとんと見かけなくなってしまった。
彼自身のコンテンツ性と完全に結びついたこのコピー、未だに色褪せてはいない。
"煽り"と言えばこのフレーズ、という立ち位置まで確立しているといえよう。
それほどまでに、あのコピーは秀逸だったのだ。
人生のレールから外れたところでもなんとか生きていけるんじゃないか、そんな気持ちで大学を卒業して適当に就職を決めた結果の今。
後悔は特にないけど、もっと社会の仕組みであり、人生の岐路でどんな選択肢があるのかを教えてくれる人がいたらよかったなあ、ということは思う。
そんな風に誰かが頼った甘えの時点でダメなんだろうけど、そういうのって自分では気づけなかったりするじゃんか。
ブコメで現代のブロガーは一昔前のバックパッカーであり、新興宗教の信者と変わらない、なんて言ってる人がいたけど賛同する。
つまるところのやりたいことなんてないんだけど、実は自分は特別な存在で、社会に飼いならされてたまるかって思ってる。
僕は今まで将来の夢みたいなものを持ったことがなかったし、なかったからどうだって思ってずっと今まできた。
でも、自分が向きたい方向を知っているってことはすごく大事なことなんだなっていうのは今はわかる。なんとなくで社会人になって、間違ってみて初めて気づく。
それで、社会人になってからのここ半年くらい今の現状から逃げることばかり考えてた。でも今できる最善っていうのは今いる場所で成果を出すことなんじゃないかなっていうのも思い始めてきた。
もう少し頑張ってみる。
民進党が党を挙げて擁立した、いわば野党の代表が就任早々に言ったセリフがこれだ。
事業仕分けで散々叩かれ、二重国籍問題で叩かれ、またも燃料投下。もはや炎上ブロガー以上の炎上スキルである。
続けてこう発言した。
「今の政権では社会保障の充実が置き去りにされている」(中略)
「人生の先輩方がどうやったら元気で、長く、自分らしく生きることができるのか、大きなかじ取りをさせていただきたい」
http://www.sankei.com/politics/news/160919/plt1609190021-n1.html
我が国の一般会計予算96兆円(H27)のうち、33%(31兆円)は「社会保障費」である。そのうち、いわゆる老人に使うカネである年金医療介護保険給付費 (年金,医療,介護)は23兆円なのだ。※1
つまりざっくり言うと、国家予算の23%は老人に費やしているのだ。この国の未来よりも、選挙で一番投票層の厚いこの世代の事を考えれば怖いもの無しというわけでしょうか。彼女はこれ以上社会保障費を充実して、何を削るというのだろうか?
社会保障費に対して、我が国の"未来への投資"はどうだろうか?
「文教及び科学振興 」(5兆円)と「公共事業」 (6兆円)の割合は合わせて11兆円程度であり、わずか11%にすぎない。
たしかに年配者は聡明で何でも知っており、できれば長生きして貰いたい人だっている。けどそれとこれとは別で、老いれば誰しもが、もはや独りで自立できる状態では無くなってくるのだ。
きっと原因は進みすぎた医療にあるとおもう。
いや医療技術は技術としては本当に素晴らしい。大昔の平均寿命を考えれば、もはや神の領域だ。しかし医療の恩恵を受けるのは身体のみであり、脳は延命治療は施せない。本来であれば脳が死ぬ前に身体が死ぬはずだったとしても、現在は身体が医療により脳の寿命より延命される。
つまり脳が死んでもなお身体は生き続ける。これが認知症の状態だ(少なくとも私はそう認識している)。
江戸時代の平均が30~40歳で、平均寿命が50歳を超えたのは戦後すぐの1947年。医療によりわずか70年で平均寿命はさらに35年も伸びたのだ。
現在、要介護認定者は2014年に600万人を超え、65歳以上の約2割を占める。(全体の人口の5パーセント)
この中のどれだけの人たちが認知症なのかはわからないが、医療により身体と脳の寿命のバランスが崩れてきているのではないかという気がする。
自立していたであろう大人が年を追うごとに、赤ん坊に帰化するかのごとく、頭も身体も、自分の足では立つことが難しくなる。
経済上も若者が納めた税金で年金を享受し、介護では肉体的に若者に支えてもらっているのが現状だ。それ自体は仕方がないし、支え合うのは当然だ。
しかし、老人ホームへ赴くたびに若者がこんな処で消耗していていいのか?と思う。
貴重な国の財産であり、これからの未来を担うはずの若者が老人ホームで、もうすぐ死ぬであろう者のお世話をしている。きっと好きでやっているんだろうな。
そう考えるとおこがましいが、勝手にどこかで彼らに対し"勿体無い"という気持ちになる。
高齢者に対し、身体的にも経済的にも投資することに対する見返りはほとんどない。いわば"沼"なのだ。反発係数ゼロの壁だ。そこへ投資するカネはとたんに"死に金"になる。
我が国はこれ以上本当に高齢者に、莫大な時間と、若者の手と、カネを費やす必要はあるのだろうか?
ただでさえ各国に追い抜かれ、後進国となりつつある我が国は若い層を大事にしなければならない。
子供を産ませ、教育サービスや経済的支援を充実し、社会資本整備による国際競争力の向上、モノづくりに対する支援などで景気を好転せねばならない。でなければ、もう手遅れかもしれないが、秒読みでもっともっと情勢は悪くなるだろう。
いずれは自分も、散々上記に挙げたような高齢者になるし、その時に誰にも助けてもらえなかったらと心配もするが、高齢者問題はこのままではあまりにも大きな重りとなって、この国を沈めてしまうだろう。
高齢者は尊いし知恵もある人生の先輩だ。いつまでも元気で自分らしく生きて欲しいと願う気持ちも当然ある。
かつて高齢者は大事にしなさいとはよく言われたものだが、それは高齢者が数少ない貴重な存在だったからだ。貴重なものは確かに大事にすべきだが、高齢者はもはや増えすぎだ。
正直アンバランスである。数が多いものを大事にする必要があるかというとそんな事はないように私はおもう。
もう子供の名前はわからないし、駄々をこねたように暴れたり、暴れお漏らしだってする。でもそんなことすら1時間もすれば忘れる。
そんな姿を見て、昔の姿と対比して、生きるってなんだろう?と思う。動いてれば生きてるということなんだろうか?解放できるのであれば、解放させてあげたいがそんなこともできない。
そんな祖母は上に挙げた社会保障費から補助金で施設に置くことができているし、幸運にも祖母自身にも貯金があった。そういう身内を支援する仕組みや貯金があって不幸中の幸いというやつだ。
よく無理心中の話も聞くが、これらが無かったらと思うとゾッとする。しかし世の中には当事者の貯金もなく、要介護認定を得られなくて苦しんでる人だって、おそらく相当沢山いるのだろうな。
どうやって高齢化問題を解決すればいいのだろう。現代版姥捨山が必要なのではないか?
安楽死という手段が合法化し、本人にも身内にも安楽死という手段が選択肢に入るようにする。
これくらいしか思いつかない。というかこうでもしなくてはいけない段階にきているのではないかと思う。でも人間の尊厳とかでそんなことを実現するのだって無理なんだろうな。根深い、根深いよ
※1 内訳には医療も含まれており一概に老人に使う金とは言えないが、医療費のかなりのウェイトを老人が占めるので多少大げさだがこの表現とした。
正式に退学した2016年9月15日に変えなきゃだめなんじゃないの?
まだ学生気分が抜けてない。
追記
※だらしがない
※気持ちの切り替えができてない
ただの何やってもだめな人じゃん
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な、だらしないだろ?
【魚拓】大学中退して起業した居候の石田を家から追い出した理由 - レンタメ
https://megalodon.jp/2016-1003-2120-33/www.yagirenta.net/entry/ishidanohanasi
手に職を得て、自分の働く環境や働き方をある程度選べるようにはなった
とりあえず生きていける分+貯金月にいくらか分だけ働いて、あとは時間は趣味(読書なので割と金がかからない)に使って、それなりに幸せである
良かったことはそのくらいだな
大学で学んだことはもちろん仕事に役立っているが、仕事そのものが好きじゃないので嬉しくはない
向上心がないのでもっと仕事で活躍したいとかも思わないし(だって活躍するって忙しくなることだろ?)
進路で迷ったことが何度かあるが、そのたびに親に「一番良い」レールを指示されて、乏しい経験の中から考えてひねり出した俺の意見は一笑に付された
ミュージシャンやブロガーやアニメーターになりたいと主張したわけじゃない
国家資格が取れる道で自分がやりたいと思えそうなものを提案したけど、それが親の考えではやや「劣る」道だったから相手にされなかったんだ
親に反抗できなかったのは自分の根性なしのせいなので、それはそれで仕方がないと思うが、そこで折れたときに色々とバッドステータスを受けてしまった
「俺は世の中の事なんか何も分からないバカ」「物事の決定に自分の好き嫌いなど考慮してはいけない」「周囲に迷惑をかける可能性がある選択はしてはいけない」
親が直接こういうことを言ったわけではないが、自分を納得させるためにこんな感じの考えに心を支配されてしまった
それでも少しずつ解除はしていって、以前よりもだいぶ楽になったし、そうなるとレールに従って得た職や技術がそれなりに便利な道具になる
しかしここまでにもう20年ほどかかってしまったし、まだ完全に解除は出来ていないし、死ぬまでにそれが可能かもわからない
レールを外れたらそれはそれで別のバッドステータスが待っていたかもしれない
でも今受けているバッドステータスの少なくとも一部は受けずに済んだかもしれない
全ては「かもしれない」だけで確かめようもない
まあ少なくとも、レール通りだからって楽で退屈で変化がないなんてことはないよ
あらゆる道にはその道なりの苦楽があるし、道の先がどう曲がるか、坂があるか、あるいは急に途切れているのかなんて、誰にも分からない
http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/04/01/020344
このプロフィールとかなんなんだ
ページ丸ごと粉みかんみがしゅごい
人生の挫折を味わった高校生活
部活に入るかは自由だったので、帰宅部にしようと思っていたけれど、何となく吹奏楽部に入ってしまった。
そしたら、なかなか大変な部活で夏の大会は全国目指してずっと練習状態。
マジで全部こんな感じで読むのが辛い
ブロガーって文章を操るんだろうにこの中学生日記でどこへ討って出るつもりなんだ
これははっきり言うべきだと思う
このブロガーからは「18歳なんてみんな馬鹿」という優しい一般論とは別の馬鹿さを感じる
「18歳なんてみんな馬鹿」という時の「馬鹿」は若者の経験の乏しさから来る判断の突飛さを指すのだと思うが
彼からはそういうのとは違うもっと端的な、はっきり言うと低学力・低知能的な匂いが漂ってくる
プロフィールページに目を通しただけでも俺の言ってることわかるはずだ
「微妙に足りない人が悪い奴に騙されてる」っていう典型的な詐欺の現場に見える
こんな子を「プロブロガーで自己実現しようよ!」とか誘って大学辞めさして