はてなキーワード: バルト三国とは
https://pbs.twimg.com/media/FEngTBlUcAEy8mu?format=png
https://pbs.twimg.com/media/FEngVbiXsAca5Ih?format=png
https://pbs.twimg.com/media/FEngWs8VgAAr6UR?format=png
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1
掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。
木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道&スキャンダル路線を模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事。品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田止まりだったような侘び寂びを感じさせる。
島田裕巳はオウムシンパの宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設を取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアンは宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント。3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTVや新聞で通常番組を差し替えて報道されている日に島田の「サティアンは宗教施設で毒ガス工場ならず」のコメントが掲載される珍事となった。
これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。
島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウムを近代への疑義と評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田をスケープゴートにした為に更にバッシングは苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレームや脅迫が殺到して島田は解雇された。
オウムは島田の擁護を最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンションの玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。
中川八洋はアフガン侵攻等を受けて80年代にソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。
ところがゴルバチョフが書記長に就任してペレストロイカとデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。
これに対して中川は「ゴルバチョフの政策が反動化している」「ゴルバチョフ路線が侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。
だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国の独立を認め、東欧の衛星諸国にも改革と自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。
要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである。
西側の心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側の自由化とデタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命や崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。
その心配の通りにソ連共産党守旧派はクーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。
ところが中川は相変わらず論壇誌にゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデター、ソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。
これによって中川は反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論とオカルト本が流行っていたのだ。
ところがオウム事件が発生するとオカルトと陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。
その割には、アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ、今はドイツ国公式見解は100万人ということになっているが、その実態は10万人である。
なぜ600万という途方もない数字が出たのか回答していただけないだろうか?
強烈に誤解されることの多いホロコーストにおけるユダヤ人虐殺数。
600万人と言う数字にどうしても目が行ってしまうため、その途方もない数字に信じ難いと言う気持ちが起きるのでしょう。ちなみに、「アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ」や、「ドイツ国公式見解(何それ?)100万人」だとか実態が「10万」なんてどこから出てきたのか知りたいところですが、まぁそれはいいでしょう。一応全部間違いです、そんなの聞いたことありません。
先に、私は研究家でもなんでもなく、本やら様々なネットの情報(海外サイトが主)を色々と調べ回っただけの知識しかないと断っておきます。
どうやって600万人と言う数字が出てきたのか。
これはまず、ナチスドイツ内でアイヒマンが語っていたとされる数字として、ニュルンベルク裁判である親衛隊将校が語りました。それによると「収容所で400万人、それ以外で200万人」という数です。これが最初に出た600万人ですが、実は別にニュルンベルク裁判では判決で触れられているだけで、別に認定などされていません。また、ニュルンベルク裁判起訴状に「570万人のユダヤ人がヨーロッパから消えそのほとんどがナチスに殺された」なる文言がありますが、これもまた別に認定などされていません。
そして、裁判以外で、1950年頃から人口統計学者によって600万人や550万人以上のユダヤ人人口が失われていると計算されるようになります。で、今度は歴史家ジェラルド・ライトリンガーの方から「反ユダヤ主義を意識して」極力最低限の数字を計算し419〜458万人という数字を弾き出します。以降、有名な『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の著者であるラウル・ヒルバーグが1961年に510万人という数字を弾き出しました。
以降様々な研究者が発表してきましたが、概ねの間違いない数字としてはユダヤ人600万人説が変わったことは実際一度もありません。以上のように、例えば「ニュルンベルク裁判で勝手に決められた数字」であるとか、「イスラエルの公式数字である」とかは全然違うわけです。おそらく適当な数字は一つも無く、近年は非常に膨大な資料を用いて推計しているようです。
ではあのアウシュビッツは? というところですが、アウシュヴィッツについては最初は基本、二つの数字から始まります。何故二つあるかというと、その出所が違うのです。一つは、よく言われる400万人説です。これはソ連の0018-USSRと呼ばれる戦争犯罪調査委員会の報告書(1945年5月)です。ここに、400万人という数字が登場しますが、この数字は報告書上は火葬能力からの推計値と書かれていますが、それはあり得ないと言われています。火葬能力があり得ないのではなく、火葬能力で推計値を出すということ自体があり得ないわけです。問題は実際に殺した人数だからです。では一体どこから400万人説が実際に出てきたかというと、それはおそらく火葬場で働いていたユダヤ人ゾンダーコマンドの生存者の証言です。その中に400万人説が出てくるのです。おそらくソ連はそれを聞いて、火葬能力など何も調べずそれっぽく推定したかのように書いたのではないかと思われます。しかし、奴隷労働をしていたゾンダーコマンドが正確な数字を知るはずもなく、単に囚人同士で噂話のように推計していただけの数だと思われます。
ところが、1946年3月に、逃亡していたアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスが逮捕されます。ヘスはニュルンベルク裁判の証人になったときの証言で「250万人を殺害し、50万人は病死や餓死でなくなった」と証言したのです。ところがこの250万人という数字は実際にはヘスが現場で知った数字ではなく、アイヒマンに教えてもらった数字だと答えています。何故なら、犠牲者数の数を記録することを許可されていなかったのです。ただしヘスは司令官なので、それなりに犠牲者数の実感は持っていたようで、250万人は多すぎると自伝に書いています。
なので、アウシュヴィッツの犠牲者数は、最初はこの250〜400万人説からスタートしたのです。が、実際にはすぐにこれは多すぎるとわかっていました。何故ならば、研究者によると、アウシュヴィッツへの囚人移送記録が出発駅や経由駅などにたくさん残っているので、それをもとに計算すると、いくらなんでもそんなに大勢のユダヤ人が移送されたはずがないことが明らかだったそうです。それで、前述したライトリンガーなどは80〜90万人だろうとし、ヒルバーグは100万人とします。で、現在の数字は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の主席研究員であったフランシスゼク・ピーパー博士による研究成果として、110万人(ユダヤ人以外も含めて150万人)の犠牲者が出たとされているのです。
以上の通りなので、例えば「以前はアウシュヴィッツの公式プレートは400万人だったのに今では110万、なのに何故トータル600万人が変わらないのか?」が誤解であることはお分かりいただけるかと思います。そもそも600万人の数字計算の中に400万人説は含まれていないからです。
それ以外の収容所の犠牲者数の細かい計算方法は存じておりませんが、最もわかりにくいのがソ連(ウクライナやバルト三国など)でのいわゆるアインザッツグルッペン、移動虐殺部隊を主体とした現地殺害による虐殺数で、広い範囲でたくさんの場所で細かな殺害が行われたため、いまだによくわかっていないそうです。概ねの数字で言えば100万人から200万人の間だろうとされてはいます。
さて、もちろんこんな数字、修正主義者達は全く否定しております。はっきりした数を言わないのが修正主義者で、ないとも言っていません。修正主義者達は、人口調査すら自分達でした気配もありません。たまに適当なことを言って「600万人などあり得ない!」と主張するに留まります。でも、大勢のユダヤ人が移送されたことは認めているのです。で、どっかに殺されずに消えたんだと。私には修正主義者が何を言っているのか意味がわかりません。修正主義者は、例えばアウシュビッツであるとか、トレブリンカ・ソビボル・ベウジェツなどのいわゆる絶滅収容所を絶滅収容所とは認めず、「通過収容所」と読んでおり、そこまで移送されたことは認めるのに、その通過収容所から先を言いません。言ったとしても「ミンスクへ1000人移送されたことはわかっているから通過収容所であることは間違いない」であるとか、その程度です。実はこのことが、修正主義者の最大の問題であり、修正主義者達はこの件の答えを常に誤魔化していますが、絶対にはっきりしたことはいいません。もちろん一般の歴史家は全員が「虐殺された」です。
ともかく、それら犠牲者数の数字は、色々な人たちが様々な資料を検討した上で推計した数字であって、別に適当な数字を言っているわけではありません。中にはよくわからない計算方法で算出している人もいるかもしれませんが、一般に言われている数字は全て研究者達が推計した数字です。ですから、別に誰も数字を盛ったりしていることもありません。
なお、最新のユダヤ人人口統計でさえも、ユダヤ人人口数は第二次世界大戦中の最大値を回復しておりません。ともあれ、戦後様々な推計結果はあったとはいえ、概ね600万人という数字は一度も変わったことはなく、最近でもそれはありません(リビジョニスト達はしょっちゅう「600万人説は既に信じられていない」だとかのデマをばら撒いていますがね)。実は、ユダヤ人人口を把握している元は、ユダヤ人の教会みたいなシナゴーグなのです。シナゴーグなしにはユダヤ教はあり得ないので、シナゴーグの管理しているユダヤ人数を集計すれば自ずとユダヤ人の数はわかるのです。もちろん近代的には国勢調査で把握される宗教別人口もありますが、昔は主にシナゴーグ集計を使っていたようです。ですから、戦前などの場合は、ユダヤ人協会に聞けばわかったので、ナチスもそれを元に殺すべき人数を知っていたわけです。
・地方のどうしょうもない労働力不足を「外国人技能実習制度」によって救ってくれたところ。二面性のある偽善制度だけど、これで救われた経営者はまともに足を向けて眠れない。これがまず一番。
・株価を民主党政権から一気に倍にして、年金資産運用を安定化してくれたこと
・雇用を増やしてくれて、無職の若者を減らしてくれたこと。民主党時代に高校・大学を卒業した人は多分二度と野党に投票しないと思う。
・原発問題を収束させてくれたこと。事故の責任取らずに逃亡して打算的な反原発運動にかまけてる菅は許さん。
・民主党時代に行き詰まった日中関係を改善して、たくさんの観光客を日本に呼んでくれたこと。当時、尖閣問題で中国内の資産を焼き討ち・取り壊しにあって困窮した多くの日本の企業を救ってくれた。
・安定政権に安住せずに世界中に外遊して日本の存在感を高めてくれたこと。中央ヨーロッパから中央アジアにかけての日本の存在感は確実に高まった。(嘘だと思うならバルト三国とか中央アジアとかのマイナー国で大学訪問したりIngressとかのゲームイベント参加して若者と話すと分かるよ・・・)
・インドのインフラ支援をしてアジア大陸における中国の過剰な台頭の歯止めのきっかけを作ってくれたこと。
・長期政権になってもちっとも腐敗とかの雰囲気が顔に出ず、テレビ映りが良い(本当にやってないかはともかく)。石破さんには申し訳ないけど「人相」が首相・外相の器じゃない。あの顔が海外のテレビで日本の政治家として映るのは正直悪夢だ。
・とにかく、代わりになる人が思い浮かばないのでこのままずるずると長期政権が続いても仕方ないとしか言えない。アベ政治を許さないという人は誰政治ならいいのかとにかく示してくれ。
・すごい危機感あるのは、いざ首相を辞めざる得ない時の代わりに思い浮かぶ人が出てこない。今後は後継者の育成に専念してくれー!!!
・もちろん、今の政治にも人口・過疎化問題、農業・漁業問題(シラスウナギ問題は実は地方利権問題が根深い)、高齢者の医療費支出増大問題、それに伴う科研費の削減と日本の科学技術国としての地位低下、ブラック企業問題、色々不満あるんだけど、そういう一般国民に切実な問題は野党も全部頬かむりしてどうでもいい土地問題とかしか国会で取り上げないの超ムカつく。
・というか、自分の親も含め、今の野党を支持する高齢者の方が自分には信じられない。とはいえ、親と話して分かるのは高度経済成長期の成功体験が体に染み付いていると今の日本はもどかしく感じるのだろうということ。
・投票の秘密は誰でもあると思うが、政治を家族で議論するのはいいと思う。若者はぜひ親を説得して、支持政党を野党から鞍替えさせてくれ。一旦、野党を殲滅して、自民党を分裂させてまっとうな議論が国会でできる新しい日本を作ろう!
2017年 12月14日 エストニア含めたバルト三国など歴訪予定。『1月中旬に1週間の日程で調整』 ※1 12月19日 エストニアなど欧州6カ国を歴訪予定。『1月12~18日の日程を軸で調整』 ※2 12月22日 ICANから安倍首相へ面会要請(1回目) ※3 2018年 1月5日 安倍首相、東欧6カ国を歴訪正式決定。『1月12~17日の日程』 ※4 ※5 1月8日 ICANから安倍首相へ面会要請(2回目) ※3 1月12日 11時5分 羽田空港より政府専用機にて安倍首相 外遊出発 ※6 1月12日 ICAN フィン氏来日 ※7 (中略) 1月14日 ピースボートによると外務省よりICANへ面会不可連絡受けたことが判明(連絡日時は不明) 1月16日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8 1月17日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8 1月17日 午後4時 安倍首相帰国予定 ※3 (詳細) + 午後4時9分 安倍首相 羽田空港に帰国 + 午後4時43分 安倍首相 皇居着。帰国の記帳。同51分、皇居発 + 午後5時2分 東京・二番町の表千家東京稽古場にて初釜式出席、会食。 + 午後7時13分 東京・富ケ谷 私邸着 1月18日 昼過ぎ ICAN フィン氏 日本出国 ※3 1月18日 安倍首相、オーストラリア首相と会談、夕食会 ※9 (詳細) + 午前9時38分 私邸発 + 午前9時55分 東京・市谷本村町 防衛省着。 + 午前10時8分 オーストラリア ターンブル首相と陸上自衛隊ヘリコプターで市谷本村町 防衛省発 * 午前11時18分 羽田空港にてICAN事務局長フィン氏 ※URL貼り付け制限のためか貼れない…詳細は首相動静やTwitterなどより ※1 - 安倍首相:エストニア訪問、来年1月中旬で調整(毎日) https://mainichi.jp/articles/20171214/k00/00m/010/190000c ※2 - 安倍晋三首相、1月12日からバルト三国など初訪問 対北朝鮮で協力要請(産経) http://www.sankei.com/politics/news/171220/plt1712200010-n1.html ※3 - 「日程合わず」と面会拒絶 安倍首相ICAN“門前払い”の狙い(日刊ゲンダイ) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221303 ※4 - 安倍首相、東欧歴訪を正式表明=12日から(時事) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018010500639&g=prk ※5 - 平成30年1月10日(水)午後 | 官房長官記者会見(首相官邸) https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201801/10_p.html ※6 - 首相動静―1月12日(朝日) https://www.asahi.com/articles/ASL1D5VJLL1DUTFK00Y.html ※7 - ICAN事務局長が初来日 「日本は核禁条約参加を」(共同) https://this.kiji.is/324485393523901537?c=110564226228225532 ※8 - ベアトリス・フィンICAN事務局長が来日します(ピースボート) http://peaceboat.org/22104.html ※9 - ターンブル・オーストラリア連邦首相の訪日(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005508.html
1月17日 夕方以降
⇒7/11、11/15の外遊帰国後は皇居に訪れ、帰国の記帳をおこなう(9/15北朝鮮ミサイル発射後の帰国時はなかった)
⇒裏千家「初釜式」は4日間で政財界や文化関係者、各国の大使ら2300人が出席される毎年恒例行事
⇒外遊した後の夜に空きはあるにはある
1月18日 午前中
⇒オーストラリア首相との会談のため、ほぼ無し
・ICANの面会要請は日程がほぼ確定後に要請しており、後出しで要請している様に思われる。
・東京滞在時に会える時間帯は殆どない。
・外遊帰国後の17日夜に時間はあるが、帰国した後に休みを取らず翌日の首脳会談に備えるべきなのか?
・現実的にはかなりタイトなスケジュールとなっており、厳しい
・フィン氏には日本国外務省代表として佐藤外務副大臣が会っている
・Project NOW!
近頃日本でも移民受け入れについての議論がみられるようになってきましたね。
私は基本的には移民政策には賛成です、でも移民を単なる労働力と捉えては失敗すると思います。
10年ほどヨーロッパ某国に住んで様々な移民・難民と同じ社会で暮らしてきた体験を少し。
私自身がヨーロッパの某国に移住したばかりで語学コースに通っていた頃のおはなし。
語学コースのクラスメイトにはタイやフィリピン出身の女性移民が多くおりました。
当時何も知らなかった私は無邪気に「わあ、国際結婚なんだね!どこで旦那様と知り合ったの~?」なんて尋ねてしまいました。
実は彼女たちの多くはあっせん業者を介して嫁にやってきた女性だったのです。
「愛はないがより良い生活のために嫁にきた。」「本国の子供や両親に仕送りするために嫁にきた。」
「夫を愛してないけどセックスしないと本国への送金を止められるので泥酔して夫と寝る」
アジア人という見た目だけで私もそのような女性たちと同じ目で見られ通りすがりに
日本人だと言い返すと手のひらを返すように謝られることも多々ありました。
このように敬意を払われるような行動をしてきてくれた日本人の諸先輩方へは感謝でいっぱいです。
授業中前を向いてにこにこしながら座っているだけでメモを取ることもなければ配られるプリントに目を通すこともありません。
その国の言語はもちろん、英語も全く話さない彼女はコソボからの移民でした。
かろうじて単語単語でロシア語を理解するということがわかり、ロシア人クラスメイトが交流を試みたところ、
このコソボ人の彼女は本国でまともな教育を受けておらず読み書きができないということでした。
読み書きができないということはせっかく難民申請が認められて語学を勉強する機会を与えられても、
勉強をするすべがないということに等しいです。
某国は福祉の発達した国だったので国の制定するフルタイムの語学コースに通うだけで補助金がもらえる仕組みがあり、
どうも彼女は誰かに入れ知恵されてその補助金のために一日中何もせずに座っていたようです。
これらの経験から移民と難民というのは性質の違うものなのだとよくわかりました。
また、難民といえばわたしは某国にて公共の場で見るソマリア人の子供たちが男の子ばかりなのを最初は疑問にも思いませんでした。
ソマリアで長く紛争が続いており無政府状態なのは知っていましたが、彼らの宗教や文化について全く知らなかったのです。
彼らの多くはムスリム教徒で私には理解できないほど女性が蔑視されます。
ソマリア人女性に対して現在でも性性器切除(FGM)が行われているという話を聞いたときは吐き気がしました。
某国でのソマリア男性の多くは失業して国の手当で暮らしているので、
大人のソマリア人男性が町でやることもなくたむろっている姿をよく見かけました。
無害でしたがそれでも傍を通るときは緊張したのは確かです。
最近ではシリア難民の受け入れの体制づくりが素晴らしくて印象深いです。
某国でもドイツなどに比べたら微々たるものですがシリア難民の受け入れが決定され、
私の当時いた自治体ではまず住む家を用意し、大人に対しては語学コースと職業訓練の準備、
子供たちにたいしては学校側でアラビア語の通訳や内戦のPTSDを配慮した医療体制を準備して受け入れに備えていました。
某国に移民として多かったのはヨーロッパでも貧しい国の人々(バルト三国や東欧、旧ロシア圏の人々)でしたが、
中には家族を置いて出稼ぎに来ている人もいましたが、彼らの多くは家族連れで移民してきて、
工場や肉体労働などブルーカラーの職業に携わる人が多かった印象です。
たくましいのは中国人やベトナム人といったアジア人やトルコ人やモロッコ人といったヨーロッパより中近東出身の人々。
彼らの多くは若いうちに単体でやってきて、親戚の経営する飲食店などで働いています。
そのうちに自分でもビジネスを起こしたり、現地で配偶者を見つけたりしてその国に定着していきます。
こういうバイタリティって日本人にはあまりないのでへ~と感心することも。
ヨーロッパ全体そうなんですが、某国の景気もここ数年悪く失業率が上がっているので移民・難民に対する風当たりはかなり強まっています。
極右的な思想を持つ人の声が大きくなっていますが、そういう人たちは農民やブルーカラーの労働者層に多いのですね。
外国人をサポートする前に自分たちをサポートしてほしいという主張が高じて難民・移民排除ということになるんですが、
話が散漫になりましたが、住む場所・教育・仕事など社会の一員として受け入れる態勢があって初めて、
移民・難民を受け入れることができるということがいえるという話です。
また、その準備がこちらにあっても様々な宗教や文化背景を持った移民がいるから、
必ずしもお互いの望む形で社会に定着していけるとは限らないということも言えます。
今の日本では移民を受け入れる準備ができているとは言い難いですが…
その際、アンチ・アウン=サン=スーチーさんなミャンマーの方とたまたま1時間ほど話す事ができました。運よく連絡先もゲット。
勉強不足だということが主な原因ですが
いままでニュースで聞いた話しとはガラッと異なる内容で興味深かったので下記、まとめてみました。
長いですが、よければお付き合いください。
また、事実かどうかは不明ですが、ひとつひとつ調べていると遅くなるので、とりあえずは記載。
事実と異なる場合は随時加筆したいと思います。聞いた話を書いているので「~とのことです」が多いのはご勘弁ください。
2011年、ミャンマーでは市民に対して友好的な派閥の軍部が政権を取った後、
今回の選挙もそれほど大さわぎするほどの話しではない、また、同じ理由で国内の混乱は少ないとのことでした。
今では思想の弾圧も無く、携帯電話や車の購入も解禁され、ワイロでの不法な移民の入国は鳴りを潜め、
ダム建設など国家事業の是非も国民の意見を取り入れる良い政府になったそうです。
当初から2020年までの大規模な民主化計画が練られているとのことでした。
#確かに、特にヤンゴン市内では乗用車は比較的新しいものが多く走っており、ラッシュ時にはひどい渋滞になっていた。バスやトラックはボロボロのものが多かった。
#また、観光地バガンでは貧困層と思われる観光用の馬車の御者ですら携帯電話で連絡を取り合っていた。
その方の話しでは、アウン=サン=スーチーさんの元カレはイスラム教で彼女は思想的に親イスラムなので、
バングラデシュからの移民のロヒンギャ族に市民権を与えるのではないか、とのことでした。
なので、今回の選挙の結果は生粋のミャンマー人としては本来ならあまり歓迎できる話しではないそうです。
それを知っている人は少ないそうですが。
また、彼女の父はイギリスから独立するために戦ったのに、彼女自身はイギリス人と結婚した事にも、不信感を持っているそうです。
ロヒンギャ族は、バングラデシュから2011年より前の腐敗した軍へのワイロでミャンマーに流入し、
現在は西部のラカイン州で、人口の80%を占めるまでになったそうです。
これに付随して、結婚などで地元住民が無理やりイスラム教に改宗される問題も発生していまい、
熱心な仏教徒の多いミャンマーでは、大きな問題となっています。
また、元々130以上の少数民族がいるミャンマーでは、それぞれの民族が独立自治を目指しており
そこにロヒンギャ族の問題が加わったため、状態がさらに悪化の一途をたどっているとの事でした。
ソビエトがロシアに変わった途端にバルト三国などが独立し、国土が狭くなった事を例にして、ミャンマーでも今後同じ事が起こると話しています。
しかも、ミャンマーは小国で、アウン=サン=スーチーさんは親欧米派のため、
これまで以上に中国からの風当たりが強くなるのではないか、とのことです。
いままでの軍事政権は中国と仲が良かったため、この危機を防いでいました。
お話をしてくれた方がアウン=サン=スーチーさんに投票した人たちになぜ投票したのか聞くと
「彼女はミャンマーを変える!」という答えが返ってくるそうです。
しかし「どう変えると思うの?」と聞いても
「分からない。でも彼女は変える!」としか答えられない、と嘆いていました。
#観光地では平日路上で仕事をしている子供も多く、国内の教育の水準が低いことが一因かもしれません。
以上です。お話を聞いて、とても興奮し、より多くの方とこの知識と共有せねばと思い、こちらに投稿いたしました。
ちなみにこの方、軍の方でもなく、市井で一般的な商売をしているミャンマー人の方です。英語で会話しました。
私のつたない英語で聞いた話しなので、上記が誤っている場合は、私の英語力の無さが主な原因な気もします。。
現在のミャンマーの政治は腐敗している、アウン=サン=スーチーさんがそれを変える、となぜか確信していた自分を恥ずかしく思います。
ちなみに観光地としてのミャンマーは実感としては、高速道路が無く、舗装された道が少なく、電気・ガスがあまり通っていないため不便ですが
ものを落としても追いかけて渡してくれるくらい安全、敬虔な仏教徒が多いためか穏やかな気質の方が多く、西洋人の観光客でごった返している、という感じでした。
30年くらい前は日本人だらけだったそうです。。「ビルマの竪琴」の影響か?
なお、はてなダイアリーには今回初めて投稿しました。調べながら頑張って書いてみましたが、見づらい、間違っている点などありましたら申し訳ありません。お知らせください。
=========================
2015/12/2 7:30ごろ追記
コメントたくさん来てた。トラックバックも。ありがとうございます。じっくり読ませていただきました。QAすごい。。。
厳しいご意見が多いので反省ばかりです。皆様のおっしゃるとおり、今までそこまで関心はなく、ニュースも触りだけ読んできました。
1. 匿名ダイアリー間違ってましたか。ふらふら来て書いてみたのですが、ちょっと浅はかでした。匿名ダイアリー内の空気読めてなくて、すみません。
ふつうのはてなダイアリーが正しいのかしら。もし、そちらが正しいようでしたら、そちらに転載いたします。自分で調べろカスって言われそうですが。
2. セルビア、ご指摘ありがとうございます。これは完全な記憶違いでした、申し訳ありません。上記、バルト三国、と記載を改めました。
3. 360度変わった方々:煽りっぽいタイトルで期待させてすみません。タイトルを「変わる」ではなく「変わった」にしました。
第二次世界大戦で、機動戦の支援のために械化歩兵っていう兵種をドイツが軍隊に組み込みはじめたことで憤死した国家があったらしい。
ちょっと前にあった、ポーランドとドイツが不可侵みたいな内容の条約も、こんな状態なら確かに……、と思った。
たぶん10年経たないうちに各国が真似したんだけど。
それはそうと械化歩兵だけど、あんなん出してくるドイツとかやばいだろ。(科学技術を誇るイスラエル軍なんて第4次中東戦争でようやく気付いたんだぞ)
「ドイツの科学力は世界一ィィィ」うんぬんではなく、MBT(主力戦車、いわゆる戦車)が効果を発揮するポイントを押さえまくってて小憎たらしいわ。なぜみんな(ミリヲタじゃない人)そこに気付かない。問題のサムゲタンはどうでもいいけどこの国確実に戦争慣れしてるぞ。
サロンのオヤジ(リデル=ハート)とか、フラーがよく話してたんだけど、歩兵と工兵の混成で良バランス、接近戦の支援も得られて、索敵能力もたっぷりで非常に良い感じの機甲師団編成なんだそうな。
自分は勉強のためにAFV(戦車とか装甲車とかまとめたもの)模型雑誌も読んでるのだけど、最近のAPC(兵員輸送に特化したAFV)はかなり戦車力たかい扱い。
あまりにお洒落なかんじでインドの列車みたいに戦車に歩兵乗せてたソ連にはとても手が出ない。
一方、枢軸国のドイツは国家社会主義で何か民族主義的に思うことはあるみたいだけど、バトル・オブ・ブリテン後のバルバロッサ作戦でぐだぐだのソ連国境付近の中、ひとりゲルマンじるしの機械化歩兵を編成してきてバルト三国をぶん殴っていた。
当時のドイツは思想的には不合理なまでに右っぽいんだけど、打撃力(と随伴支援)が必要そうなら超合理主義で喜んで発明してくる。
「テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」(1999年、チェチェン武装勢力に関して)
「ソ連が恋しくない者には心(心臓)がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」(2000年)
「日本は、不倫や近親相姦を題材とした小説を紙幣に印刷して流通させるほど社会が堕落したのか」(2000年7月、沖縄サミットで日本の首相の森喜朗が二千円紙幣を各国首脳に配布した時に)
「あれは沈んだ」(2000年9月、ロシアの原子力潜水艦クルスクが沈み、乗員118人が死亡した事件について)
「我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリストだ」(2001年5月)
「もしあなたがイスラム過激派になりたくて割礼が必要ならモスクワに招待する」 (2002年11月、「チェチェン住民を抹殺しようというのか」というフランス記者の質問に対して)
「(地球温暖化のおかげで)毛皮のコートを買う金も節約できる」(2003年9月、気候変動会議の開幕式で)
「国歌演奏中は行儀良くするように。歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むなと選手に伝えて欲しい」(2004年6月、サッカー欧州選手権・ロシア対スペイン戦開始前の国歌斉唱で)
「謝罪は1回すれば十分だ」(2005年5月、第二次世界大戦の際にソ連とドイツが密約を交わしソ連のバルト三国併合を取り決めたことに対して)
「バルト三国はロシアの小銭」(2005年5月、ソ連によるバルト三国支配への批判に対して)
「かわいくてついやってしまった」(2006年7月、クレムリン宮殿の中庭で少年のシャツをめくって腹にキスするというスキャンダルを起こす。後にこう釈明)
「中世のように、汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」(2008年3月、ロシア国内の汚職の横行に関して)
「医者を送り込んで始末しなければならない」(2008年7月、ロシアの石炭大手企業であるメチェル社によるダンピングと脱税疑惑に関して)
「睾丸を縛ってつるし上げてやる」(2008年8月、南オセチア紛争の際、グルジアの大統領ミヘイル・サアカシュヴィリへ向けて)
『中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
◎
「中国の近未来をいま一度考えてみると、これまでの固定概念的な地方軍閥、地域対立、王朝の腐敗、衰退という文脈から分裂に至るというシナリオは遠のき、むしろ現代中国に拡がった新しい空間、すなわちネットにおける反政府言論というゲリラ戦争、イスラムの思想的連帯という見えない武装戦争、利権争いの集大成としての個別経済ブロック化、他方ではグローバル化に波に乗った資産の海外逃亡などが次の舞台の開幕を告げるであろう」(あとがきより)。
「つねに未来がリスクに満ちていると仮定すれば、わたし達は日常的に危機に対応するシナリオを幾通りも用意しておく必要があるだろう。賢者は最悪に備えるという箴言もあるように、中国が分裂しないという保障は何処にも存在しないのである」。
「米国も英国も分裂気味なうえ、カナダも恒にフランス語圏の分離独立運動を抱えている。イラクにはクルド族独立運動、グルジアにはオセチア、アブハジアという「国内国」との紛争、スペインにもバスク独立運動。。。。。。。。。」
「フランスの人口学者、エマニエル・トッドは1976年にソ連の崩壊を予測した。当時、だれも彼の予測に耳を傾けなかった。あり得ないと踏んで、その仮説を嗤った。
ソ連を構成していた十五の共和国のうち、バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)はすぐに西側に飛び込み、カフカスのグルジア、モルドバ、アゼルバイジャンはモスクワ離れが激しく、そして”スラブ三兄弟”といわれたウクライナ、ベラルースもモスクワと袂をわかった。この趨勢をみていたイスラム圏中央アジア五ヶ国も便乗して独立した。カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンだ」。
「そもそもチベット、新彊ウィグル自治区、内蒙古自治区、旧満州はそれぞれが独自の歴史をもつ漢族とは異なる国家だ」。
「チトー大統領の強引な手腕で「国家」を形成したユーゴスラビア連邦は重圧な桎梏が消えると血なまぐさい殺戮を開始し、北からスロベニア、クロアチアがさっさとセルビアに反旗を翻し、ボスニア&ヘルツェゴビナとの紛争に手間取る間にモンテネグロとマケドニアも独立、セルビアが孤立した。加えてコソボが事実上の独立宣言をしており、ユーゴは六つの分裂から事実上は七つの分裂国家になる。
この伝でいけば中国が七つ前後に分裂するという議論はまったくおかしくない(本書の仮説は七分裂だか、必ずしも分裂後の中国が七つになるとこだわっているわけではない。五つかも知れないし、或いは十数に大分裂を引き起こすかも知れない)」。
本日発売
『中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%88%86%E8%A3%82-%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4484092344/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1253137807&sr=1-1
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
イランのガスはパキスタンから中国へルートが確定、米国勢は敗退
そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。
中東から南アジアにかけての資源争奪戦争は冷戦後新しい局面を迎えていた。
「ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治的コネクションが薄く、主流のメジャーは共和党系が多いため、ユノカルは民主党を頼った。
出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。
クリントン大統領はホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。
後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁でクリントンは危機を切り抜けた。
そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。
要件はなにか。
トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。
米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。
ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。
クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアのメジャー「ユノカル」はトルクメニスタンとアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。
インドも工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。
これをトルクメニスタン→アフガニスタン→パキスタン→インドの頭文字をとって「TAPI」という。
直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。
クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホーク・ミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。
当時、カブールでタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国の企業だった。不発弾のトマホークを中国はタリバン政府から買った。
もちろん1560キロのパイプライン・プロジェクト[TAPI]はご破算になった。
01年9月11日、NY貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。
旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。
米本土からは長距離爆撃機がウクライナ上空をかすめ、NATOはトルコの基地から旧ソ連イスラム諸国家の上空を飛んだ。
そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンとキルギスンは空軍基地を米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地、パキスタンも四つの空軍基地を貸した。
グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦、ゲリラ戦の抵抗をかるく想定してしまった。
仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的で米軍とNATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。
そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタンが誕生した。
ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンとアフガニスタン、パキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。
これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。
密かな反撃が準備された。
イランは中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イランが中国からえるものは武器と核技術である。
中国は上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イラン、インド、パキスタン、モンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。
解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国とグルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。
プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国とウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。
同時に欧州がロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルートの建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート、黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。
とくにオーストラリア、ブルガリア、ドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。
トルクメニスタンは砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシアへ流通を依存せざるを得ない。
だからこそニヤゾフ前大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワは不愉快である。
直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。
そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。
いや、というよりも投げやりになった。
(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。
トルクメニスタンは変心した。
イランはこの機会を待ち望んでいた。
もともと内陸部のトルクメニスタンとアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。
だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。
地図を凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。
すでにパキスタンのムシャラフ前政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路を建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。
つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインでパキスタンの西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン、中国、パキスタンの利害は完全に一致した。
パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国の契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。
中国が最終ユーザーとなり、中国、パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。
パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国の資本と技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。
げんに中国の六隻の軍艦はアラビア海、ソマリア沖の海賊退治に参加している。
パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。
中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプラインを建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。
中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。
パキスタンはこのパイプラインの通貨料収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。
イランとパキスタンとの正式調印はイランの大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)
敗者はインドとアフガニスタンと米国、勝者はイランとパキスタンと中国。
ほくそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界の現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。
「デビアス」の寡占体制に風穴を開け、世界市場を制御する野心か?
日本ではダイヤモンドは結婚式の宝飾品としか考えられていない。戦略物資であるという世界の常識は日本では通じない。
世界的市場性からいうと日本のダイヤモンドは特殊なマーケットで、1キャラット以下の、世界では換金の対象とはならない小粒のものに結婚市場が集中しているだけ。
そして小粒なのに、価格は不当なほど高い。
ダイヤモンドは80年代まで、ほぼ南アに産出が限定され、アングロ・アメリカ、BHP、リオテントなど大手鉱業企業が発掘し、ダイヤ原石はデビアスが独占した。競合企業はデビアスによって巧妙に排斥された。
ロンドンで決められる価格は、デビアスが需給バランスを睨んで一方的に決め、NYやベルギーやイスラエルの研磨業者に入札された。その後の流通段階では「ニューヨーク・カット」とか「アムステルダム・カット」とかの最新のファッション性で市場では売られる。
当時、ダイヤモンド世界第2位の生産国はソ連だった。しかしソ連は西側との窓口を持たず、工業用ダイヤモンドに限って輸出を続けた。
デビアスの寡占体制を破壊したのは、西側だった。例の独占禁止法である。
さらにダイヤモンドはアンゴラ、ナミビア、コンゴ、リベリア、シオラレオネなどでつぎつぎと金鉱が発見され、供給が豊富になった。
デビアスは巨費を投じてこれらの新興金産出国を抑えにかかる。だが寡占は無理だった。
デビアスの寡占をさらに破損するのはアフリカ特有の部族紛争と不正輸出。ゲリラの武器調達のためのダイヤモンド原石との交換などで、密輸業者が潤い、世界のマフィアが乱戦。この頃、日本でも中央アフリカ産のダイヤモンドが割り引きセールで売られたことがあったっけ。
それでもデビアスは08年までは世界の40%のダイヤモンド市場を抑えてきた。
ロシアが、ダイヤモンド市場に参入し、産出量では世界一になった。国有企業「アルロサ」社(アレクサンドラ・ミリニン会長。90%株主はロシア政府。つまり、これも『プーチン・カンパニィ』のひとつ)が世界市場の25%を占めるまでになった。デビアスが一方的に価格を決める体制は吹っ飛んだ。
世界で215億ドルと見積もられるダイヤモンド市場は、2009年に120億ドルに冷え込むだろう。
価格は70%暴落したため、デビアスもロシアも供給を急減させて、価格維持に努めた。
デビアスはロシアと共同して供給量を減らし、価格維持を図るが、EUの独占禁止法の壁を前に円滑な価格操作ができない。
これにより資金繰りにこまり、株主に8億ドルの社債を売りつけて急場を凌いだ。デビアスはロシアと組んで価格維持の共同を提案し、ロシアは価格暴落を避けるために共闘を受け入れる。
ところが、ところが。
ロシアは価格維持という目的は同じでも、デビアスと逆の戦術を行使している。
08年12月からダイヤモンドの供給を止めたのだ。プーチンがウクライナ、バルト三国、グルジア向けのガス供給をとめたように。
同時にロシアはダイヤモンド原石の戦略備蓄を開始し、インド、ベルギー、イスラエルの研磨業者とは長期契約に切り替えたのだ。
「毎月300万キャラットに相当するダイアモンド原石が品質ごとに選別され、大量に備蓄されている」、「すでに備蓄は4万5000キャラットと見積もられる」(ヘラルド・トリビューン、5月13日付け)。
場はいずれダイヤモンド市場で原石が払底し、価格は暴騰するだろう。そのときに供給を統括するのは、老舗デビアスではなく、ロシアのアルロサ社になる。