はてなキーワード: ダンピングとは
今年も現れた。
だれに言われるでもなく朝無駄に早く来て給湯室やコピー機周りで「奉公」をする新卒さんが。
上司「え、それだと僕が怒られるから。出勤したらタイムカードは押して。でも今は特に仕事ないから無駄に早く来てこんなことしなくていいよ」
新人「?」
あちゃー。
早朝残業で時給2000円の机磨きなんて雇う気なんて会社にはサラサラないってことが理解できないんだ。
そしてコンプラリスクおかしてサビ残させてまでお茶くみとかしなくていいってことも分からないと。
つーかなまじいい大学出てるような子は学生時代にバイトしてなかったりするから、世の中の仕組みとかについては誰よりも分かってねーんだよなあ。
毎年のことだけどさ。
東大生の大半はコンサルや外資でバリバリ稼ぐのに使える「東大の卒業証明書」が欲しいだけだろ?
大学が就活予備校なのは世界中どこもそうだからいいんだけど、名前も知らないやつがバリバリ稼ぐのになんで俺らの税金が使われないといけないんだ?
政治家が自分の私利私欲のために使えば散々叩かれるのに、学生が私利私欲のために明らかにダンピングされた値段の学費で東大に通うのはOKなのってどういう理屈なの?どちらも等しく一部の人のために使われるだけで社会に全く生かせてない金になってるだけだろ
研究者として国や社会に貢献してる(しようとしてる)人にはドシドシ奨学金や研究費渡していいから、それ以外の学部出たら普通に働くやつからはもっと取っていいよ
TeamsをM365から切り離すプラン変更がEUから全世界向けに拡大されたところを見ると、先行導入したEUで大した影響なかったんだろうな。
と言うわけで、引き続きSlackがMSに文句たれる流れは変わりそうにないので次を予想しようと思う。
バンドルに文句言ってバンドル解除させて、それでもダメなら価格に文句言う可能性は高い。
あとは、可能性かなり低いが「Teamsを分社化しろ」だろうか。
TeamsのSlackに対する優位性の根本は「オフィススイートとチャットツールの連携をMSが担保してる」所にある。
それぞれ別の会社が作ったものをユーザー企業の責任で繫げなきゃならないSlackには太刀打ちできない問題だ。
となると、相手も同じ沼に引きずり込むというのは戦略として無くはない。
まぁ、ほぼあり得ないしSlackがそんな文句付けたところでEUがそれを強要するのはちょっと難しいように思う。
Salesforceに買収されたことでその辺の対応が進むのかなと思っていたが、別に大した変化はないように見えるので、SalesforceはSlackにとって独立性を維持してくれるいい親会社なのかも知れない。
当たり前だがレコメンドがないプラットフォームって在庫が尽きるのが早い。
その上で充実したラインナップを見せるためにどうすべきかというと、顧客の望まない商品を見せることが答になる。
例えば敷地面積の広いホームセンターでいつも釘だけ買ってる客がいるとする。
その顧客は自分のニーズを満たす商品は釘だけであり、他の99.99%の商品はどうでもいいものでああり、邪魔なものである。
なぜそれが邪魔なのか?
真にその顧客のニーズを満たすなら、入口すぐに釘が置いてあり、その隣にはレジがあるべきだろう。
釘だけを買う顧客にとってこの上なく快適な買い物ができるし、客商売が真に顧客のことを考えているならそうすべきだろう。
ところが実際には釘を売っている売場を通るために買いたくもない商品を通り、華のない釘なんて商品は売場の奥にあるから無駄な距離を歩かされるわけだ。これが邪魔でなくて何なのか?
しかしながら実際の顧客は、これは釘だけしか買わない客以外の殆どにおいてそうなのだが、目的の商品が奥にあっても気にせず歩いていくし、何なら通路の途中にある商品をつい気になって手にとってしまい、あろうことか本来買うべきでない出費までしてしまうのである。この人間の非合理なふるまいを知っているから小売業で働く人は売場の隅々にまで商品を張り巡らせ、定期的に売場構成を変え、普段置いてない商品もスポットで納品してレジの横や柱の側に突き出して売るのである。
レコメンドはつまるところこれと同じだ。Youtubeにとって動画や音楽は商品である。Amazonもロングテールを支える膨大な在庫がすべて商品である。この商品をできるだけ多く活性化させることがミッションであり、個別の顧客のニーズに応えることではないのだ。
小売業にせよプラットフォーマーにせよEコマースにせよ、目的は顧客満足度の最大化ではなく売上と利益の最大化である。
そもそも顧客満足度を最大化させることは究極的にはボランティアないしイリーガルな取引の強要を招くものであり本来的には避けるべきものである。そこを避けずに突っ込むから日本の商慣習はいつまでも改まることはないし、下請にダンピングするし、原価厨がはびこるのである。
「生成AIによる民主化」を叫ぶパブコメが公開されて話題を呼び、「それは民主化ではなく共産化」という理解が急速に形成されている。この「民主化」という概念は何も9段の人物が考え出したものではなく、海外の生成AI議論、特にイラスト関連の議論では頻出の概念であり何らかの生成AI推進過激派の共通認識だが、一方で「共産化」は少なくとも増田は寡聞にして知らぬ。では、この「才能」の「民主化」とは何なのか? 恐らく国内で理解されている形では「極一部の『絵師』と呼ばれる特権階級が、生まれながらに持っている、『絵』を生成する技術」を「広く一般が使えるようにする」こと、だろう。
Financialization(金融化)という概念がある。1980年代から汎ゆるものを金銭的価値に換算する動きが加速し、万物が通貨によって交換できるようになる一方で、金融分野に加速度的に富が集中するようになってしまったとか、そんなような話だ。まあ安っぽいネオリベラリズム批判の一種と思って構わないが、このあらゆるものを金銭的価値と拡大の速度、加速度で考えるというプロ倫の延長線上にある思想は米国では広く一般に浸透している。
だから二次元業界も当然この金融化の対象として、森羅万象を四半期指標の伸びとして変換すべしという思想の中で解釈される。このものは素晴らしい、だから儲けを加速しなければならない、という自然な発想がある。二次元イラスト業界を金銭的な側面で発展させようという試みは、2010年代を通じて諸外国で繰り返されてきた。無断転載で客を集めた後、批判を浴びて版権元と交渉しようとした漫画村事件もその一部だし、同人誌の代理購入や転売が行われたり、無断翻訳グループや各種の転載サイトの有料サブスクが販売されたりとか、仮想通貨イラスト作家を巻き込む動きも見られたし、画像ファイルを集めて転売するとか、無料の3Dデータを改造して勝手に売るとか、あるいは無料で転載して名を上げるとか、色々な試みがあった。個々の作家に対してあなたの作品はもっとビッグな儲けに繋がる、価格を上げるべきだ、販売数を増やすべきだ、出版が難しければ顔だって繋ぐ、といったオファーが野放図に撃たれることもあった。
そのいずれにも日本の漫画業界、イラスト作家コミュニティは乗らなかった。日本は強固な「非営利の業界」を維持してきた。
日本人は日本の二次元業界が作り出すソフトパワーをまったく過小評価している。増田はある時、海外のイラストレーターが何だかのソフトの互換性問題で揉めている所を見たことがある。PSDはPhotoshopから出力されるとは限らない、俺はKritaを使っているし現場によってはCSPを使っているとか、どうだかだった。お前らはCSPが何のことか分かるか? Clip Studio Paintだ。増田にとってこれはちょっとした衝撃だった。まったくのサプライズド・ピカチュウだ。分かるか? 国産商用ソフトウェアがイラスト制作ソフトの世界的御三家の一角を固めていて、Adobeが三位なんだぞ。「日本にはジョブズが生まれない」?「日本製のソフトは通用しない」? いや、増田自身、普段はこれを言う方なのだが、それでもだ。かつてはbukkakeが世界一有名な日本語だとか、不名誉で恥ずかしいとか言われたものだが、今では所によってはblack company、mesugaki、menhera moveですら通じる(最後はどこかの初号機の貢献だ)。
そして、この継続的に世界に投射される存在感、その非営利思想(と、その裏でちゃんと行われているアニメやガチャゲー課金としての回収)は、思想的に原理主義的な低位のレイヤーにおいて、世界的に反発と軋轢を生み続けているのだ。
もう一つ説明すべきことがある。共産化とは何なのか? 帝政ロシア末期のそれにしろ、中国のそれにしろ、共産主義革命とは、力を持たない民衆が団結し、腐りきった既存の体制を打破し、特権階級が貪る既得権益を破壊し、人民に還元する、という建前で行われる営為だ。実際にはこの「特権階級」は中流層以下を指し、既得権益とは単に日常生活を指す、ということはまともな人間なら皆知っているだろう。高級な壺を割り水道を破壊し公共施設を打ち壊し電線を鋳潰し、全てを焼き払ってゴミにするのが共産化、共産主義革命である。社会を破壊して所有の概念を、いや「社会」と「モノ」という概念の終了を目指すのが共産主義である。
この「才能の民主化」と「それは共産化である」という批判はこれらを踏まえて解釈されなければならない。
「民主化」による恩恵を得るのはお前らではない。「お前ら」というのはブクマカや増田のような言葉を持つ人間だけに限ったものではない。日本人ではない。ここまで書いてきたように、いま、諸外国には、日本(または中韓台を含む極東アジア)人は二次元イラスト業界で特権的な地位を得、極端なダンピングと異常な反成長主義を敷いている、という怒りがある。その怒りの文脈において、日本人は全て二次元の絵を生成し享受できる特権階級であり、才能の共産主義革命において虐殺される対象である。⑨段のパブコメを書いた「生まれつき手が震えて線が引けない」者など同情に値するわけがない。絵の金融化、イラスト市場の資本主義的成長を阻害してきた旧来体制を賛美する、唾棄すべき特権階級である。ポル・ポト政権の新国家建設の呼びかけに喜び勇んでカンボジアへ舞い戻り人民裁判に掛けられ次々と虐殺された出稼ぎ労働者たちそのものの姿だ。
そしてその方法として、生成AI推進派たちは、Danbooruに(善意で)集積されたイラストを圧縮汎化させ任意に混ぜ合わせ薄めて取り出せるようにする。そのデータを配布し有象無象が使えるようにする。LoRAにより「絵柄」の神秘性を破壊し再現できるようにする。それらすべてはコンピュータの利用を強制して非属人的に実行されることで金銭的価値に還元される。
だからあれは共産化なのだ。だから「生成AIを規制するならば二次創作も規制しろ」なのだ。つまるところ「生成AIによる才能の民主化」の指すものは、金銭的価値への還元を断固として受け入れない二次元イラスト市場の破壊そのものなのだ。文化庁の連中が考えているような「『民主化』による、日本国内の広く一般の者への価値の還元」は発生しない。民主化AIで生産性を飛躍的に向上させたクリエイターの活躍などない。ソ連にまともな戦闘機がなかったようなものだ。仮にこれが「還元」だとするならば、起こるのはちょうど紙を高濃度の過酸化水素水で炎とガスに分解するような「還元」だ。「パブコメの知能が低すぎて困る」とかボヤいている場合ではない。それほどの、あえていえば低知能のもの、が反対一色に染まってパブリックコメントを送ってきているとはどういうことか? 実害を被っているのに他ならないではないか。
この話のオチは、恐らく「生成AIによる才能の民主化」が実際にこのまま進んだとて、著作権法がAIウォッシング無罪を規定したとて、それは絵の価値が下がるという一過性の日本の純損失であって、別に日本的なイラスト創作文化への参入が海外享受者たちに認められるわけではないだろうことだ。Twitter上でも指摘されていたが、AIに点滅するカレットを与えられないから絵が造れないなどという者はいないのだ。完璧な絵をプロンプトで定義できると言うならばしてみるがいい。いや、Twitter上でもなんでもいい、人は文字が読めるのだから、完璧な絵の定義を書けばそれは作品なのだ。件の人物が長々とコメントを書き、そしてバズりを作り出したように。
飽きた。ここで投げる事にする。ナガノのくまを讃えよ。
ダンピングっつか
電子マネーの覇権争いでバンバンポイント配りまくってたのが文字通り桁違いで
ぜんぜん参考にならない
去年5月に長沙工場で大量の離職者が発生した時に発覚した数字だけど
BYD工場の工員の賃金は平均1,950元(日本円で4万円弱)、ベテラン工で3000元(6万円)
https://mp.weixin.qq.com/s/CrZSQHpBJ4R9IDo_mnmjoA
ちなみにトヨタの期間工は最初は月30万円くらい、長く続ければ色々手当もついて40万円超える
これを4万円にすれば確かに車の価格も大幅に安くなりそうではあるが、ちょっと無理じゃない?
さらに付け加えると日本の自動車メーカーは海外市場に関しては現地生産がメインで現地に雇用を生み出してます
BYDは中国国内の安い労働力で安く作って輸出するのが基本戦略なので、いつか怒られます
まぁさすがに安すぎですからね。しゃぁない
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2653J0W3A520C2000000/
思い出したのは、Skebサービス開始前後に起こった「ダンピング」レッテル貼り。
簡単に言えば、「極低価格でリクエストを受けるのはイラストの相場に対するダンピング行為になるので止めよ。依頼者は十分な額を出せ。」というやつ。
当時のSkebは提示最低価格が今より安くできた(うろ覚え500円とか?)から、落書き程度のまさしくイベントのスケブレベルな受け付けができたのだけど、そのような価格提示はダンピング行為の犯罪者であるとして、クリエイター側クライアント側双方が攻撃された。
この段階には、作品のクオリティは判断の外になっていた。猫も杓子も低価格取引はダンピング犯罪者。
これは稚拙な作品に合わない額の高価格取引を許した。Skebを知ってる人ならわかるだろうが、商業では到底やっていけないレベルの絵描きがアホみたいな価格で受けている。
それで割を喰うのはまともなクライアントだ。それまで個人依頼を受けていた人達全員から、納品物に釣り合わない額の提示がきた。skebじゃないのに。曰くこれぐらい払わないとダンピングかもしれないと「犯罪」という脅しに流されたようだった。
skebも続けてるが、反発心でわざと低価格で受けている。たまに安いと怒られるが知ったことじゃない。仕事依頼プラットフォームではないのでね。
書くの疲れたから止めるが、同人誌の頒布価格しかり、依頼の礼儀作法しかり、タグ付けの決まりしかり、フォトバッシュは描いてないしかり、絵師村は圧力だらけだ。ただのSNSだぞ。勝手にさせろや。
ちなみに最近はAI使用疑いの絵描きフォロー罪がひどい。何が「◯◯さんもアレをフォローしてる、、、騙されてるよ」だ。知っててフォローしてんだよ。
仕事にしてぇならそれがアウトなやつかどうかは自分の目で見て鍛えるんだよ。
絵描き沼とカメラ沼に住むものとして、生成AIを批判する文脈の「生成AIの台頭は写真と同じだ」vs「カメラの開発では他人の権利を侵害しないだろw」に対して、もにょるものがあるので書いてみる。
この文章はとりあえず「生成AIの台頭は写真と同じだ」を肯定してみる。
かといって、写実画家と写真の誕生のような大昔の話にたとえるのは、まあまあ離れすぎてると思う。
でも、皆がスマホで写真を撮りSNSに上げるようになった最近の変化については、生成AIイラストと絵描きの関係を考える上でそこそこ良い補助線になるんじゃないかと思っている。
対比させる要素は、
この辺りだろうか。
まず、カメラという道具に対する認識の基本として、「この世の全ての肖像権を侵害しうるものである」というのは持っていて欲しい。
LAION-5Bの58億のデータセットどころではない、この世の全ての意匠、肖像を、撮影される人の意志に関係なく無断で写すことが事実上可能な道具である。
近年、スマホカメラの小型高性能化とインターネットと写真投稿SNSの台頭の組み合わせよって、全ての人が極めて簡単に、無制限に、世界中に、撮影物を公開できる環境が大きく加速した。
これは肖像権の侵害という視点で見るとかなりヤバイ加速だ。倫理に欠いた撮影と公開の被害は枚挙に暇がない。
スマホカメラと写真投稿SNSによって、知人に見せる程度で収まっていた写真が、SNSによって、より見栄え良くする需要が大幅に高まった。
それに伴い、従来の様々な写真家が開発し発展させてきた撮影技法、映える色彩補正スタイルが、スマホカメラアプリでそれっぽく再現できるように、無断で取り込まれた。
これによって、スタイルが大量に模倣されることによる陳腐化や市場の競合、新規参入によるダンピングはもちろん起こったが、著作権で保護される範囲では無いので受け入れるしかなかった。
イラスト生成AIで懸念されている、画風作風の模倣問題や実際起こっているAIによって大量供給される様々なマスピ顔の陳腐化は今後も抱え続ける問題になりそうだ。
借り物のモチーフ、借り物の構図、借り物の機能によって補助されまくった色彩調整で、素人騙して小金稼ぎしてる写真家モドキが憎い。
描く対象の知識も無く、ライティングの整合性も、グチャグチャになって違和感しかない箇所も認識できず、適切な修正もできないのに、客はそこまで見ないと括って適当に売るAI絵師が憎い。
おかしい。
傍目には高望みと思われるような所ばかり受けているんだろうが、そういったと所に入れないなら転職なんてする意味がない。俺にとっては。
転職は2種類、正確には3種類あると思う。
最悪の沈みゆく船から脱出するパターン、それが最近沈み始めたパターンと最初から沈んでいたのに間違えて乗り込んでしまったパターンで2種類。
そして、今乗っている船はこれからも順調に進めそうだが、隣の芝生の青さに目を焼かれ、真赤な薔薇の中へと飛び込むパターン。俺はこっちだ。
正直今の会社がそこまで最悪じゃないのは分かってる。
まあ残業代が100%出てない月があるとか、コンプラ意識ごっこでどんどん仕事がしにくくなったりと駄目な所はあるんだが、それでも辞めてマックでバイトするのと比較したら倍以上の給料を貰えてる。
でも俺はもっと上を目指したいんだ。
給料的な意味もあるが、同僚というか、社風というか、そういいう所で胸を張って「俺は素晴らしい職場の仲間です」と思って暮らしたい。
そこそこの給料が出てるんだからまあしょうがないだろうと考えながらしがみついて、その実は毎日のように今やってる仕事の酷さに愚痴ってるままであと30年働くってのは嫌だったんだ。
でもまあ、俺自身がこの職場に相応なスペックだったんだろうな。
エンゼルバンクっていう超うさんくせえ転職漫画で「やりがい・給料・待遇を全部足した数値は変えられずバランスだけが変化させられる」と書いてあったが本当にそうだと思う。
元いた職場で搾取されていたとか、完全に法令をぶち破ってたとか、パワハラクソ野郎が社長の友達だからって野放しだったとか、そういう職場からの脱出のときだけ転職は大成功になるんだろう。
俺と会社の関係は正直五分五分持ちつ持たれつつ食い合いつつだ。
つまり、俺が今の状況を変えようとしたら何かを犠牲にする必要がある。
やりがいぐらいだったら無償で交換できそうに見えて、実際には俺みたいな凡人がやりたがる仕事は他の凡人もやりたがり、その中には給料が低くても我慢するってダンピングを仕掛ける奴らがいたりするので普通にやったらそいつらが採用される。
疲れた。
もう転職はやめにしようと思ってる。
疲れるだけだた。
転職してわかったことは「俺程度の人間はこの程度の会社で骨を埋めるのがお似合いだ」ってことだ。
今いる職場の良さを改めて感じたなんて話じゃねえ。
敗北だよ。
これなら最初から転職なんてしないで「本気出したら俺は何にだってなれたんだ」と信じてたほうがマシだった気がする。
だってその道を選んでたら少なくとも転職なんてして時間を無駄にしてる間に映画の50本ぐらいは見れただろうからな。
勿体ねえ人生の使い方をしたわ。