それでも取る会社があるのは、ごくたまにGマークが有効な製品があるのと、後はたいがい、若い頃の想い出で「Gマークコンプレックス」のあるメーカーのデザイン部長の独断、だよなあ。
それにしちゃあ毎年の受賞数が多すぎませんかね。まだまだ権威を欲しがっている人たちがいると思いますが。
「した」と言うより「している」が正しい。
修士課程、まったくうまくいっていない。
原因は全て自分にある。
家族、尊敬している先生方、同期、先輩方に迷惑をかけてしまっていて
正直、そろそろ楽になりたい。
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私の大学では学部3年次に研究室配属、3,4年次は大学生活の中心が研究室での過ごすことになる。
大学院に進んだきっかけは学部研究室時代にいた修士の先輩方に憧れて。
教授との議論、後輩への指導、自分も「ああなりたい」と思った。
先輩たちと過ごした夜~朝にかけての研究の時間はとても楽しかった。
けど、話は簡単には進まなかった。
学部時代にお世話になったA教授は他大に引っこ抜かれる事になり、
様々な縁があり、学部と同じ大学で、A教授の学生時代の先生のB教授の所で引き取ってもらう事になった。
でも、何もかもが空回りだった。
まずスケジューリングから失敗した。
授業:週9
ゼミ:週6
バイト:不定期
私の大学では1年が前期と後期に分かれており、
修士1年前期中に修了単位分を取ろうと思った私は授業を多く取った。
しかし、修士の授業は専門性が高く、ほぼ毎回、発表資料を作らないといけない為、
私はだんだんと、授業に追われるようになっていった。
元のAゼミに出なければいいじゃないか。と他研究室の同期に言われたが
そんな事はできなかった。
情けない話だ...
だけど、「自分なんかより努力している、苦労している大学院生はいる。」と自分に言い聞かせ
徹夜根性、土日、休日返上アタックで何とか前期は持ちこたえていた。
新しく入ったB研究室にはC先輩がいた。
B教授からとても信頼されている先輩だった。
何時の頃からか、そのC先輩に嫌われている事に気づいた。
嫌われているといっても、仲が良かった期間があったわけではない。
私の思い込みかもしれないが、業務連絡以外で私に話しかけることはなかった。
話しかけても、「ええぇ、そうですか」の二言で会話が終わってしまう。
しかし、他の後輩とは楽しく喋っている。
今までそういう経験がなかった私は非常に動揺した。
そしてB研究室の学生よりも、前のA研究室の学生達と交流する様になっていた。
元々、A研究室の後輩達は学部生の頃に共に勉強した事もあり、親しい間柄にあった。
今さら考えてみれば大失敗だった。
どんどんB研究室で浮いていった。
夏に入り、後期が始まった。
テーマすら形になっていない。何とも情けない。
そして、報連相が欠けていると注意された。
自分としては驚きだった、自身の休みを削ってでも後輩を指導できる様に努力していたつもりだった、
しかし、報連相、特に「相談」が欠けていたのは確かだった。
自分の力で何とか乗り越えようとしていた。
自分が研究室で浮いているという気持ちから報連相が疎かになっていたかもしれない。
ここら辺から徐々に大学にいるのが辛くなってきた。
11月に入って、研究室全体でOB,OGに研究を発表する機会があった。
いそいそと発表資料を作っていた私だったが、前日になって、その企画を運営している後輩から
「大学院生はA0のパネルを作って発表よろしくお願いします」と言われた。
詳しく聞いてみると私以外の先輩方は既に用意しているらしい。
正直、唖然とした。
ここら辺で何かが切れた。
「私って何の為に大学院に進学したんだっけ」と自問し、
結局その会にはバックれた。
何もかもがどうでもよくなった。
その後は引きこもり。
修士1年前期に大量に授業取っていた事と
恥ずかしい話だが、「私は心を入れ替え頑張ります」と言い努力していたが、
すぐ鬱になってしまった。
そしてそんなこんなで6月になり、
思い返せば修士2年間、何もしていない。
「修士だから何かをしなくてはならない」と思い込んでいるわけではないが
本当に何もしていない自分に嫌気がさす。
鬱という言葉を利用して逃げているだけかもしれない。
そんなこんなで私のくだらない人生はお終い。
私が偉そうに言える言葉ではありませんが、
是非、自分の将来のスケジュールをしっかりと作ってがんばってください。
こんな所で言うのもおかしな話ですが
id:next49さんのblogには何かと心の支えになりました。
ありがとうございました。
http://d.hatena.ne.jp/katie_tommy/20090603#1244034180
確かにGマークに本当に「良いデザインの啓蒙」の意味があったのはせいぜい1970年代までだなあ。
つか、80年代以降は、日本の工業技術と工業デザイナーのセンスなら、「きれいな形で便利な製品」を作るのはごく簡単で、それだけじゃ意味がないものになった。
ちょっと考えてもらえばわかるけど、今店頭に並んでる日本製の工業製品で、どうしようもなく醜くて、不便極まりない製品ってあるか?ないだろ?
Gマークってのは、本来そういう時代のものなわけ。
それでもって、Gマークの基準が、90年代あたりから拡散していったわけよ。「新しい生活を創出した」とかいろいろと。それってかなり基準として微妙だよね。
結局、今の日本のGマークが「こんなのあり?」ってのがあるのは、
「良いデザインとは何か?」って価値の揺れが、審査員のデザイナーの側にあるのが主な原因であって、その他はなりゆきでしかない。
言っておくけど、Gマーク団体は儲かってなんかないよ。運営実費程度だ。まあ見ようによっては天下りどうこうとかなるんだろうけどさ。
だいたい「Gマークのついた製品は売れない」ってのがメーカーの常識で、実際売れないから。
それでも取る会社があるのは、ごくたまにGマークが有効な製品があるのと、後はたいがい、若い頃の想い出で「Gマークコンプレックス」のあるメーカーのデザイン部長の独断、だよなあ。
To:に5人とか10人とか入れてないか?
Toが多ければ多いほど、誰かが対応してくれるだろうから、読むの後回しでいいや、となりがち。
あー、それは、明確に理由や理念があるわけじゃなくて、感覚で嫌がってるんです。
ぴこぴこを擬人化して考えてみてください。
部屋の中にぴこぴこっていう人が居て、君がそれに短時間なり向かってるとする。
そうすると、彼女には「ぴこぴこに君が取られちゃう」っていう感じが芽生えるのがわかりますね。よね?
だから、
君が彼女に背を向けてぴこぴこしてる=ぴこぴこを優先してアタシは軽視・無視されてる!1!とも感じるんです。
この誤解をまず解かないといけない。
一緒にやれるゲームを選ぶのもいいんだけど、
と言っててあげれば、ぴこぴことの同居をスムーズに理解してくれると思う。
誤解(?)を解いてから、一緒にソフトを探しに行ってみて下さい。健闘を祈る。
漁師おばあちゃんだと何もおもしろくないな
ATMってなんで簡単なんだろうって考えると、やる処理が限定されてるからなんだろうね。
使う人も作る側もATMでは口座からお金を引き出したり、振り込んだりしかしないってわかってるから、その前提で使ったり作ったりするから簡単。
その反面コンピュータはいろんな事が出来る。
そもそも使う側は「何が出来て、何ができないのか」すらわからない。こういうのをフレーム問題っていうのかな?
何かやりたいと思っても、まずそれをやるためのアプリケーションを探したり、ボタンを探したりしなきゃいけないのが難しいよね。
で、ある程度慣れてくると、適当にドロップダウンから探したり、検索エンジンでやり方を探せばいいことがわかってくる。
そういうのが出来ない人はどういう人間なのかということについてまじめに考えたことはなかったけど、多分ある程度頭が良ければやっぱり慣れなのかなって思う。
僕の母親も、最初は最小化したウィンドウが「なくなった…」と思っていたぐらいなのに、最近は何でもヤフーで検索して調べるようになった。
やっていいわけないじゃん。
「ここのも探していいんだよ」っていう方がおかしいし。
それをずっと信じてる増田もどうなの?って感じ。
あなたもおかしいから他のやってる人が目にうつるんだよ。
「対等のパートナーシップ」をはぐくむ相手国なら、当事国のプロフェッショナルを派遣するだろうが
植民地の統括官が現地語をしゃべれなくても無問題。文句あんならすぴーくいんぐりっしゅ!、てだけだろ。
今どき ぴこぴこ ってwww
かわいい嫁さんだな。大事にしろよ。
まあ、それは置いといて。
マリカーwiiでも持ってる友人がいれば、そこの家行って何人かで盛り上がってみれば?
インターネットカルチャーのメインストリームから見れば鬼子であったが、底辺を広げるという意味では有効という事で放置されて来たWeb2.0であるが、いよいよ、命脈が尽きたようである。
この日記でも取り上げたDoblogだけでなく、blogシステムを使ったwebblogサービスやSNSのような無料サービスが、ばたばたと倒れている。
広告収入を主たる柱にしていた為に、不景気と需要の冷え込みにより、宣伝効果が無くなれば出広が止まるわけで、資金がショートしたという展開である。
場所を作りさえすれば、只でコンテンツが増え、閲覧者が来て、広告を見てくれて、その商品を買ってくれるという、他人任せのメディアが、お金を稼げるわけが無いのだが、Web2.0だからという理由で舞い上がった人々には、それが正しい事であるように思えていたのであろう。
世界を変えるという目的でビジネスをやるのではなく、流行で売り上げが見込めそうだからという理由だけで飛びついた所は、次々と撤退していく事になる。不況の時こそ、そのビジネスへの執着や本気度、その会社が抱えている人材の能力がわかるのである。無能の集合体でも、資本力がでかくて、不況を死んだ振りをして乗り越えられる所があるというのが、実は、最大の問題なのかもしれない。
無論、インターネットカルチャーとは無縁な存在であるケイタイネットの世界では、未だに、パソコン通信時代と同様のアングラな掲示板で泊め男や援助を探すメッセージが飛び交っている。パケット課金とクローズドで通信の秘密を保持するという建前があるために、不特定多数に晒されているインターネットと違って、売買春や薬物密売、あるいは、ケータイ小説・同性愛小説やケータイ漫画・猥褻図画といった、著作権的にグレーな商品・商材で、商売を続けられる環境となっている。
昔、悪書追放運動というのがあった。ケイタイ追放運動に展開しないように、アクセスコントロールで自主規制を取り込んだが、好ましくないコンテンツへのアクセスを遮断していたのでは、パケット課金の売り上げが伸びないわけで、いずれ、アクセスコントロールも骨抜きにされるであろう。そうなる前に、独占体質を改め、コンテンツの囲い込みを改める必要があるのだが、携帯市場が閉鎖的である限り、この環境は維持されるというのが、控えめに見ても予想されてしまう。対応しないのでは、時間を稼いだ意味が無いのであった。
老人ホームは、現在の法制度の中では、老人福祉法第29条に規定されている。介護保険制度が成立した2000年以後、介護ビジネスに参入するには、介護を受ける老人を確保しなければならないという事で、設備投資として、老人ホームを作る事がブームになった。不動産業界と金融機関では、老人ホームバブルとすら、影で言われていたぐらいの好況が発生していたのである。
このビジネスの要諦は、要介護認定において、症状の軽い人を重症者として登録する事で、介護する手間をかけずに、満額の介護報酬を引き出すという点にある。入所者の支払ったお金は、家賃や光熱費、共益費、食費といった実費分で費消してしまうが、介護報酬分が利益となるのである。これは、詐欺行為である。介護支援専門員(Care Manager)にしてみれば、ケアプランを作って手数料を貰う以上、老人を管理しているホームの側の要求に従わないと、仕事が取れない。老人にしても、ホームに入った以上、ホームの指示に従わないと追い出される。行政が調査に来る時の為に、ボケや徘徊や失禁の症状を装う練習すらあったと聞く。
この詐欺行為がなぜバレたかというと、本当にボケたり徘徊したり失禁したりするような老人が出てきた為である。老人ホームは、元気な老人を重症者として偽装する事で利益を上げているわけで、本当に重症者になってしまったり、重症者が入所してきたりしたら、困るのである。そういう患者を追い出したり、他の施設に飛ばしたりしてごまかしていたのが、ついに入所者達にバレ、行政に密告が入ったのである。
2006年以後は、介護保険の支払い総額を抑制する為に、都道府県によって、新設数が規制されている。
介護保険を作った事が根本的な間違いなのだが、行政のやる事に間違いは無く、問題は運用にあったという事で、不埒な業者が悪いという事になり、不埒な業者が老人ホームを開設しないように、厳しい規制を課している。ここに、無届け有料老人ホームが発生する原因がある。
老人人口は増加しているし、介護が家族関係を破壊し、老人の面倒を見ていたら生活が成り立たなくなるという共稼ぎの核家族家庭も増えている。老人ホームの需要はあるのだが、新設が許可されないということで、無届老人ホームが発生するのである。
老人ホームは、老人福祉法によって規制されている。しかし、各都道府県の育英基金等が運営する学生県人寮(cf.1,2)のように、若者ばかりが寄宿する施設も、世の中には存在する。
老人ばかりでは、実質的に老人ホームとなり、老人福祉法の届け出をしなければならないが、たとえば、年齢条件を課さず、結果的に老人ばかりとなっていれば、それは、老人ホームでは無く、単なる雑居寄宿施設となる。
行政としては、設立許可を出した老人ホームが介護保険詐欺を働いたら責任問題になるという事で、基本的に、官職退職者やその関連といった、人物的に問題の無い人や、不祥事があっても出身省庁が全力をあげて揉み消してくれる人にしか事前許可を出せない。無届老人ホームが勝手に開業した後に、老人ホームとしての実体がある事が介護保険の請求から判明したので、届出を出させたという形であれば、将来詐欺行為が発覚しても、責任問題にならないのである。開業してしまえばなし崩しにできると言えなくも無いのであるが、まともな人は、認可老人ホームである事を入所の条件にする為に、無届老人ホームには、まともではない患者ばかりが集まる。そこで、ビジネスとしては死に筋という話になっているのであった。
官職退職者が、同じような退職者や現役官職者の老親を受け入れる為の老人ホームを設立し、そこで行われる介護行為にかかる費用を賄う為に、非公務員はおとなしく介護保険料を支払え、非公務員やその老親は、ボケようが徘徊しようが、介護保険の対象にはならないし、たとえなったとしても自宅で面倒を見ろ。あと、公務員関係者以外に介護認定を上げてきた介護支援専門員は、五年毎の資格更新試験の時に覚悟しろよ。という話なのである。
介護保険という善意あふれる思い付きが、結果的に、老人ホームが必要な人に供給されないという現象を発生させ、大衆を苦しめるという典型的な展開になっているのであった。
そうだよ。結局、人工知能って出来てみると「なぁんだ、ただのプログラムじゃん」ってなる。
人工知能の定義がはっきりしないからそうなるんだけど、人工知能を有意義な形で定義すると、それはほとんど人工知能のアルゴリズムを与えることになるから、難しいんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20090603082056
自閉圏の香りがしますよ。
・二次障害としての深刻な自己評価の低さ
が見られます。彼女がおられるそうですが、このまま自己評価が低いまま結婚すると、なんらかの出来事をきっかけにDV・モラハラに発展する可能性が高いです。深刻な事態になる前に、専門機関でのカウンセリングを受けることをお勧めします。
メール送ったんだけど、と言っても
「ごめん、見てなかった」
で済ませられる。
フォルダに振り分けしているが、各フォルダごとに未読がたくさんある。
唖然とした。
本当に見ていなかったんだ・・・
それも一人だけじゃなかった。
メーリングリストに送って、グループチャットでも送って、それでも反応がない。
誰かがやるんだろうな、返信するんだろうな、とみんなが思っているから誰も返信しない。
そう思っていた。
違った。
本当に見ていなかったんだ。
そりゃ伝わるものも伝わらない。
だから、これからは、電話しようと思う。
相手の時間が細切れになろうが知ったことではない。
どんどん電話して、電話の最中にメールを送り、そこでメールを確認してもらうような運用にしようと決めた。
ものすごい非効率な気がするが、伝えたいことが伝わらないのが一番非効率だから。
レディコミのレイプは女が喜んでるからOKってことですねわかります。
陵辱表現を肯定するエロゲヲタは、現実にあるそうした陵辱・性暴力に対する態度についても
問われることを覚悟すべきなんじゃないか。それを放棄するような姿勢は不誠実だと思う。
陵辱表現がこんなに溢れているのになんでエロゲヲタだけ言われないと行けないの? 見た目がキモイから?
恋空はOKなんでしょ
横だけど、
エロゲは陵辱表現を楽しんでいるでしょ。
2次元なら楽しめるけど3次元では楽しめないとか、きちんと丁寧に説明しないで誰が理解出来るの?
自分たちが少数派で説明を求めるのは弾圧だ、なんて言っちゃダメ。
大多数の人は、人を傷つけるのをそんなに無邪気に簡単には楽しめない。
自分たちが反社会的なものを楽しむ、それも社会に認められながら楽しみたいなら、頑張って説明しないと
社会からはじかれるのは仕方ないんじゃないかな。