はてなキーワード: ゾーンとは
女性に限らず、初対面の人を連れてそんなに気取らなくていいお店に行くってあんまりなくない?
全然知らない初めての人と会う時って、よそ行きの服着たりして身支度をきちんとして、雰囲気のいいお店に行くのでは?
そんでちょっと気取って探り合いながら、話をしていくうちにどういう人か知っていくから、急にその人のプライベートゾーンみたいなお店連れて行かれたりするのって、精神的距離の詰め方が早すぎると思う。
日常での価値観のすり合わせを一発目からするって、結婚を前提にした婚活といえど萎える。
人格が分からない内からそういうことされたら自分のことだけしか考えてないな〜って思うし。
何回か会ってて普段ロイホ行くんですよね〜みたいな話されたら、何食べるんですか?とかあれおいしいですよね、とかそういう話もできて、そこから親しみも湧くし、この人とならやっていけそうとか徐々に考えられるけど、初対面でしかもデートで一回目からファミレスって、効率厨みたいに最短距離でこいつのこと理解してやろうみたいなの透けてる感じでなんとなくやだ。
妄想文学少女の中の人だったり、世界中を笑顔にする活動するこの中の人の声が好きで好きでたまらない。先日寝ながらヘッドホンでアルバム聴いてたら、催眠音声聴いたときみたいに声や曲がそのまま快感になって30分くらいビクンビクンしっぱなしになってしまった。好きな声優の声に脳味噌犯される気分で今までで一番至福のときだった。
今日再現しないかな、と眠く無いけど横になってアルバム聴いてたけどダメだった。あの時は聴きながら一度寝ちゃって半覚醒時にまた再生ボタン押してそのまま半覚醒状態で声に集中してたからゾーンに入れたんじゃないかと予想してる。狙って再現できるようになりたい
まあ一点だけだし、日本美術の西洋への影響っていうまじめな展示ってことで「わいせつではない!」ってことになってるんだろうけど(中略)。
法的な意味で”わいせつ物”だった場合、『子どもに』見せる云々ではなく、人に見せることそのものが違法となる。刑法175条案件だ。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
この条文に該当する。条文そのものはともかくとして、大人相手に限定して売るのも違法になるもの(例:裏ビデオ)が存在することは多くの人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。よって、「国立施設でわいせつなものを見せるな! 不快だ!」のような訴えは法律上の権利の裏付けあってのものではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
春画はこの条文には該当しない。仮に該当しているのならば仮に未成年に見せていなくとも当該春画を展示している主催者が逮捕されるし、過去に開催された春画展も開催自体が違法ということになったはずだ(が、そうはならなかった)
なお、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠は都道府県の定める『青少年の健全な育成に関する条例』にある(後述)。
今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器をはっきりと描写しているか”これだけである。
法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。
これに関しても過去には(主に写真集絡みで)争いがあった。具体的には以下のような流れだ。
警察「アンダーヘアが見えたらアウト」→写真家「じゃあパイパンならOKですね」
→警察「性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」
→警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器そのものが見えたらアウト」 →写真家「ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」
ということで、現在では成人を撮影した物については性器そのものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。(児童ポルノは別である)
だからAVやエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、
逆に性器が写っていないヘアヌード写真集はわいせつな図画には該当しない(から、書店で普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)
保護するものはあくまで『最低限の性道徳』であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガやエロゲでもモザイクは必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである。
初期のドラゴンボールは悟空のチンコを一応描いているが、それが理由でわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。
余談だが、上で例に挙げたドラゴンボールの場合、ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである。
”女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である。
BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。
これは無論、”性器をリアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反だから作成・販売自体が違法”ということを意味しない。
当たり前の話だが、医学書は実写で性器を掲載してもわいせつ図画にはならない。
つまり、元増田のこの文は微妙に違う。”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難であり、悪徳の栄え事件の最高裁判決でも
「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)が同時にわいせつ性を持つことはあり得る(意訳)」としている。
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正・修正が甘いと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
Q4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:3Dプリンターのデータはセーフで『でこまん』はアウトなんでしたっけ? 増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、女性器がある程度はっきり見えているのがアウトだったんでしょうねえ。
だれか頓珍漢な人が「国立施設でわいせつなものを見せるな! 不快だ!」とかって騒がねーかなあ。 議論の糸口としては面白いと思うけど。
実は法律上、見たくない権利を保護する規定はほとんど存在しない。というと「公然わいせつ罪は?!」と思うかもしれないが、実は違う。
公然わいせつ罪と言われてまず思いつく犯罪は露出狂や青姦だろう。『どの範囲から罪とするか』についてのボーダーラインについては議論があるだろうが、それ以外に議論はない……と思うかもしれない。
だが実は、公然わいせつ罪が保護しているのも、上述したわいせつ物頒布と同じく、最低限の性道徳である。
だから、公然わいせつ罪になる行為は露出狂や青姦だけではない。『乱交パーティーの参加者を不特定多数相手に募集した』『ストリップ劇場で性器が見えた』『キャンプ場でAVの撮影をした』などが取り締まられた事例がある。
今の時代にそれらをわざわざ取り締まって「最低限の性道徳の維持」につながるのだろうか。私は真剣に疑問に思う。
もっとも、公然わいせつ罪が保護するものを『見たくない権利』にすることは別の問題があるが、今回は省略する。
学芸員さんは付近にいたんだけど、もし「いかにも中高生」な感じの人が来たら注意するのかとか、微妙な感じの人がきたら身分証明書の提示をもとめるのかとか、ちょっと思ったけど、そんな感じの来場者もおらず、あえて聞いてみる勇気もなかったので、そのまま帰ってきたけど。
でも、あれ、なんとなく前の人についていくように見てったら「警告」見落としてみちゃいそうだったけど。
今思えば、子供連れが何組がいたんだから、ちゃんと避けられたか、みとけばよかったかな。
あ、そうなればさすがに学芸員が注意するか。
元増田も含め、ある程度エロいものが18禁として売られていることも99%の人が知っている。
だが、18禁として販売することの法的根拠や、18禁の指定をしているのが誰かというのはまず知られていない。
結論から言うと、18禁表示をしているのは出版社自身、もしくは自主規制団体である。
1.で書いたわいせつ文書図画頒布罪をよくよく見てもらえば分かるのだが、わいせつな文書・図画(や、児童ポルノに関する罪)を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、(たとえ大人相手であっても)販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、過去に何度か『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があったが、そのAVを置いていたツタヤの店員や経営者が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
そして「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で年齢制限をかけた上で売っているか。実はその法的根拠は国の法律ではなく条例にある。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
この手の条例がほぼ全ての都道府県にある。まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁の作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
A:春画はわいせつではないし、(性器が見えていなければ)ヌードもわいせつではないけど、春画とヌードを同時に掲載したら取り締まりの対象になるらしいよ。意味わかんない(マジで)。
モナカアイスにチョコをいれるなチョコモナカジャンボが王者で間違いないだろ。それとダブルソーダ販売終了になったはずでは。2017/10/17 16:38
「ダブルソーダ販売終了になった」嘘でしょって調べたらマジだったんだけどなんで?
いや、ガリガリ君は食べるけど俺は断然ダブルソーダ派だったのよ。
なにがいいって、ガリガリ君はシャキッとゾーンの中にかき氷ゾーンがあるんだけど、ダブルソーダは全部がシャキッとゾーンなわけだ。なのでサクサクッと食べられる。なので、隠しては居たけど「アンチガリガリ派」活動として「ガリガリ梨やコーラは美味しいけどソーダはダブルソーダだよね」って風評を広めてたんだけど、嘘でしょ…。俺の努力は一体…。確かに今年の夏はファミマのフラッペに浮気してたけど、そんなのってないよ…。
パチンコだと一回あたりの出玉の期待値が5000発あれば1000円で何回以上回れば勝てるとか言うボーダー理論。
北斗の拳7という台だと1000円で19.6回以上回れば理論上勝てるみたいな。
スロットだと設定1~6というのがあって設定6が一番勝ちやすいのでそれを狙って打つとか。
こういう勝ちやすい台は毎日はないので、この店に毎月何日はこの機種の釘が甘いとか設定6が入ってるとかのを攻略していく。
あとスロットだと999回転回したら必ず大当たりする天井を搭載している台で600回回ってる台から打つとか、300~400Gに当たりやすいゾーンがあってそこだけを打つとか。
こうすることによりトータルではプラスになるようにできている。
ただし毎回この通りにやってても必ず勝てるという保障はないけどね。どんなプロでも勝率9割なんてよっぽど運と立地に恵まれてないと無理だから上記のとおりにやっても勝率を6割7割が限界なんじゃないかな?
某大手百貨店の仕事(というよりはアルバイト)で、地味に一年チマチマしたお礼で1万の商品券を頂いた
最初は、仕事で使うしとレディーススーツを探したけど、ビックリする程スペースが狭い
値段無視したとしても余り良い服が見つけられなくて、次に化粧品ゾーンに行った
…あの独特の匂いは何とか堪えながら見回っても何れも敷居が高くて喪には商品を見るのすらキツいと感じだ (一人で買い物を探すのは好きだけど、綺麗な店員さんに声を掛けられると勝手に凄く劣等感を感じてしまう)
なら親祖母に父にブレゼントを!と思ったけど、親のサイズの靴や身長はデカ過ぎでなかった(父はど田舎の建築業だから、服は無縁の人だし)
良い歳したし、服ならどうや!と思っても、何か好みの服も見つからない
4戦連続タチウオ引いておいいってなったのでシューターがやることまとめてみる(右ルート)
初動
・両チームにチャージャーがいるか確認する(危険エリアと援護の期待値把握
・中央手前踊り場(2段目)まで降りる
・味方の動き見ながらスロープ壁沿いを適当にインクまきつつ踊り場(1段目)まで進行
→使わない壁を塗るのは味方サポのため(サポになってるかは知らない
・進行中にマップもしくは相手インクの目視確認で初回衝突タイミング確認
・相手は踊り場(1段目)の裏あたりにいるので牽制しつつ格闘(だいたい味方2vs相手1なので強気で)
・エリア塗り、障害物裏、相手踊り場(2段目)の壁下侵入ルートを塗って場を整える
・踊り場(2段目)に相手がいる場合は、インクレールをちょいちょい作動させて警戒させる
優勢
・踊り場(2段目)を塗って使えなくする
・壁下侵入ルートを塗って待ち伏せ、サブ(ボム投げ込みなど)で嫌がらせ
・左側まで一周できそうなら挟撃チャンス
劣勢
・高台、踊り場(3段目)あたりまで攻め込まれていたら、クリアリングしながら地道に進行する
→味方にチャージャーがいる場合はクリアリング完了まで仕事ができてない
・焦って単騎打開を試みない(カウントが厳しいなら、諦めてワンチャン打開を狙う)
・スペシャル使いつつ味方と合わせて打開する
・自陣入りすぎの敵を追いかけてるとエリアカウント消耗するだけなので見切りつける(このあと大体負ける
・踊り場(2段目)直通ルート
・相手の警戒を誘い気を散らせる
・ボム投げ込み
まさか自分がやってしまうとは思わなかった。齢26にして漏らしてしまった。今日。しかも彼女の家で。
こんな内容はもちろん自分のブログに書けないので、脱糞にふさわしいこの場所で書き出したいと思う。不思議とつらい気持ちはなく、清々しい気分である。
以下、うんこというのは忍びないので、ブラウニーで統一させてもらう。
その日の東京は朝から薄べったい雲が空に延びていた。6時起床。思えばこの時から腸の状態が悪かった。
朝食を食べ、彼女は仕事の身支度、僕は休みなのでだらだらしていた。この間もずっと腹痛があって、なんだか危ないなという予感はしていた。
事態が変わったのは、彼女が家を出る9時ごろ。突然、僕の腸が、というか、僕の中のブラウニーが主張し始める。
出たい。ここから出して欲しい。
唐突なブラウニーの訴えに僕は焦った。普通ならば即トイレに駆け込むところだが、僕と彼女はまだ付き合って間もない。
熟年夫婦のような間柄ではないから、ブラウニーしてくる、と言ってトイレに行くわけにはいかないのだ。しかも腹を壊している時のブラウニーだ。
きっと強烈なサウンドを伴うだろう。壁の薄いアパートでは、破裂音が伝わってしまう。
僕は、自分を取り繕うよりかは恥を曝け出すことを選ぶ人間であるため、この時も、今の状態を素直に彼女に伝えた。
恥をしのんで言う、ブラウニーを出したいんだけれど、君がいるから恥ずかしくてトイレに行けないんだ。
そう伝えると、彼女は「わかった!じゃもう家でるね!!」と言って身支度を早々に終わらせてくれた。
彼女が急いでバッグを持ち、玄関へ走る。靴を履こうとしている。
本来なら玄関で見送るところ、この日は本当に限界だった。僕は「あかん!!」となぜか普段使うことのない関西弁を叫びながらトイレへ滑り込んだ。
彼女はもう靴を履いて出るはずだ、ズボンを脱いで早くすっきりしよう、と思ったその刹那、「しまった靴下忘れた!」という声と共に、騒がしい足音が近づいてきた。
彼女が部屋に戻ってきたのだ。
ここで僕はパニックになってしまった。僕の計画では、彼女が家の外に出た瞬間にズボンを脱ぎ、ブラウニーを射出する予定だった。
だがもう肛門は限界である。出さなければ。この時の僕はパニックになっていた。
ズボンを脱ぎ→座って→ブラウニーを出すという、人生で数千数万と行ってきたルーチンワークが脆く崩れ去った。僕はなぜかズボンを脱がずに便器に座ってしまった。そして出した。ズボンの中にブラウニーが溢れ出す。
さっきまで体の一部であった半固体の物質が、行き場を求め、狭いズボンの中でせいいっぱいの伸びをした。
彼女の「行ってくるね!」という声と、走る音。
古いアパートのドアが閉まる、がちゃんという軽い金属音が鳴り響くと、部屋は静寂に包まれた。
僕はその間も、依然として便器に座って動けないでいた。遠くから蝉の声がする。世界がやけに静かだ。後に残るのはただただ悪臭だけである。
冷静になった僕は、淡々と処理を行った。ズボン、パンツ、そしてブラウニーのついた便座、我が愛しの臀部。
優れたスポーツ選手は"ゾーン"に入ることができるというが、あの時の僕はまさしくその状態だった。
今自分がすべきこと、すべきでないこと、洗うべきもの、捨てるべきものが、まるで一流の軍師のように、頭の中に整然と並べられ、滞りなく処理されていった。
一通り清掃を終えると、僕は最後に、ブラウニー付きのパンツを成城石井のビニール袋に入れ、コンビニのゴミ箱に捨てにいくため外へ出た。
成城石井の袋は不透明のダークグレーだから、こういうときに役に立つ。いつ脱糞の当事者になるか分からないこの現代では、重要なライフハックだ。
コンビニでは、心の中で何べんも謝罪をしながら、高い商品を必要以上に買って、せめてもの罪滅ぼしにさせてもらった。本当にごめんなさい。
帰り道、どっさり買い込んだコンビニ袋の重さを感じながら、ゆったりと歩道を歩く。時刻はまだ9時半。
ふと、漏らしたことで、普通に用を足す時以上に、清々しく、爽やかな気分になっていることに気がついた。
平日の街は普段通りで、人が行き交い、車が走り、鳥が歌っている。
空はまだ曇っているが、気持ちのいい風が吹いていて、思ったよりも暑くない。
MTGのルールを元に、ルール追加・変更して、新tcgのルールを、
「運要素より戦術性の方が高い」、「カードパワーにあまり差が出ない(上位互換カードがない。レアカードばかり強い、ことのないように弱点を作る)」ように作ってみたのですが、どうでしょうか?
アドバイス(他にこうしたほうがいい、追加変更点など)あったらお願いします。
〇土地カードなし。DMのようにマナゾーンに置くことでその色の土地カードになる (土地事故をなくす)
〇DMのように「タップ状態のクリーチャーを直接攻撃する」能力をもつクリーチャーがぼちぼちいる。MTGの「挑発」のクリーチャーの数を増やした感じ。
〇クリーチャーが自陣に2体いる場合、1マナ払うことで、『前衛』『後衛』クリーチャーになる。『後衛』は攻撃できないが直接攻撃されない。『前衛』はプレイヤーをブロックできない。タップ状態でなくても直接攻撃される。 (システムクリーチャーが直接攻撃されにくくするシステム)
〇クリーチャーはP/Tの他、戦闘ダメージを与えると相手デッキトップをN枚削り、半追放領域へ送る「N値」(1~5くらい)をもつ。
〇1マナで、デッキの1番上を公開し、手札と同じく唱えられるカード(「プラン」とよぶ)になる。また1マナ追加で払うことで現在のプランを半追放領域に送り、新たに1枚めくっても良い。 (『ディメンション・ゼロ』 にあったルール。手札事故の防止)
〇呪文カードは、マナコストの他に、「呪文レベル」の数値がある。レアカードやプレインズウォーカーなどのカードパワーが高いカードは、高レベル値である。例えば「ヤヴィマヤのワーム」はレベル5、「原始のタイタン」はレベル8 とすれば、完全上位互換カードにならない。
〇呪文レベルがマナカード(土地)の枚数より上の呪文を唱えるとき、その差分の枚数をデッキトップから半追放領域へ送る。 (差分の2倍でもいいかも。 高パワーカードを使うとデッキが減り、半追放領域のカードが増えリスクが高くなる)
〇1~2の低レベル呪文を毎ターンただで唱えるエンチャントや、高レベル呪文のマナコストを増やすクリーチャーなど、低レベルを使いやすく、高レベル妨害をするカードがいくつかある (これで低パワーカードもそれなりに使われるはず?)
〇相手の半追放領域のカードを数枚追放して起動する能力がけっこうある。アップキープに1回、相手の半追放領域のカードを、マナの色を無視して唱えることができる (相手の半追放領域に、多くのカードを追放することが戦術になる)
〇ターン終わりに、自分の半追放領域のカードを、2マナ払って手札に加えることができる。半追放領域から唱えられる能力をもつ呪文も、ぼちぼちある (本当にほしいカードが半追放領域にいってしまったときの処置)
こんな感じです。
カードパワーにあまり差が出ない(同コストの上位互換が出ない)→高パワーカードは使うとデッキ数枚追放→新追放領域を作って、そこに追放したカードがたまるとリスクになる
何か良案、改案、追加案があったら教えてください
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13177874663
てんてんどんどんてんどんどん!
あのさ、
なになにマンってのをメンに変えると
すごくエックスメン感が強まると思わない、
しかも強そう
天丼メン!
気心の知れなく油断出来ない
お食事券使うじゃない。
そういう時、大抵は好きなもの頼みなさい、ってなるけど
ここはオーダー心理戦よね。
いきなり頼むのも、空気読めてない感で気が引けるし
一番ランク下の天かす丼(タレ別売り)とかを頼むのもなんか遠慮してる感でちゃうし、
先方が先に注文するメニュー言えば、
それと同じのくださーい!って乗っかれるときあるけど
同じのーってなんか芸がないような気もするけど。
困るわよねー。
丼だけに!
丼だけって
お馴染みの中島誠之助も唸るほどの、
天丼の器が超いい器だったら
丼だけ欲しくなっちゃうかもね。
丼だけ!
助六寿司なんていつもの行くサンドイッチ屋さんでは置いてないわ。
透けろスク水しなんて、
そもそも売ってるのかしら。
ここんところ続いてる
息さやわかな感じがするわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
タイルの目地を狂ったようにタワシで磨く行為を1時間程続けていたのだ。汗が眼に入った。脇から流れた汗がTシャツを通って腰に伝った。今日はよく晴れていて、風呂の窓からは蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。頭の位置を変えたら酷い立ちくらみがして、大きく長い息を吐いた。
普段まったく家事をしない。必要に迫られないとしない。そして「必要に迫られている」と感じるのが人よりだいぶ遅いようで、自分でも呆れる位、家事をしない。
今日、年に何度か訪れるこのうっかりゾーンの最中、あることを思い出した。
同居人は家事全般、とりわけ料理が得意だった。事情があって一緒に暮らしはじめ、事情があって家事はあまり分担せず同居人が一手に引き受けていた。家事が好きだから、好きな方がやればいいじゃない、と同居人はよく言った。色んな事情があったので、バランスを取るために自然とそうしていたのだと今では思っている。そして実際うまく機能していたと思う。
それでもたまに、何から何まで申し訳ないなと思うことがさすがにあった。そんなときは今日のように風呂のタイルの目地を磨いたりしていた。家事が苦手な人の特徴なのか、自分の特徴なのかは知らないが、いったんやり始めると今日のようにうっかりゾーンに入る。一時間や二時間、平気でタイルを磨いていた。
そんな時よく同居人が背中から声をかけてきた。「お茶のみませんか」「居酒屋さんごっこしませんか(揚げ物とビールを準備しているとき)」「お蕎麦屋さんごっこしませんか(日本酒と卵焼き、板わさを準備しているとき)」。
背中から鬼気迫るものを感じていたのだろう。無理にとは言いませんけど、区切りませんか、そんなニュアンスだった。そんな時はたいていハッと引き戻されて「するする」と犬のように尻尾を振ってタワシを投げ出して、いい匂いを嗅ぎながらタオルで濡れた身体を拭いた。
今日、タイル磨きをやめるタイミングを掴み損ねて、立ちくらみを味わいながらそんなことを思い出した。
かつての同居人とは、何故かあるタイミングでお互いの事情が一致して暮らし始めた。
性行為は付かず離れずしていたが、恋人ではなかった。友だちとも違った。同じ家で暮らして、一緒に起きて、一緒に食べて、一緒に眠る人だった。子供ができたらいいね、と年に何度か言い合うことがあった。動物として自然の流れでそうなったらいいね、という意味だ。自分も同居人も、お互いについての感情は「たまたま一緒の檻になったライオン」のような温度だった。
恋愛感情が無かったわけではなくて、持っていた頃も多分あった。お互いそうだと思う。ただいろんな事情や理由があって、結婚は選択肢に入らなかった。それぞれが別の異性と遊んだりすることもあった。「浮気してくる」「異性と交遊してくる」と言って出かけることもお互いあった。気をつけてね。何時に帰るの。お互い自分自身をそんなに素晴らしい人間だと思っていない同士、そんな生活に不満は無かった。一緒に暮らし続けた。
もちろん人間の感情はそんなに陶器のようにツルンとしてないようで、色んな諍いはあった。お互い思った事を口に出す人間では無かったので(悲しいことだと今では思う)、喧嘩にはならなかった。言い争いの代わりに、子どもや猫のような抗議をお互いよくした。突然夜中に居なくなったり、家に帰らなかったり、メールに返信せずに心配させたり、寝たふりをして返事をしなかったり、料理をしなかったり、料理を食べなかったり。そんな小さいギザギザは数ヶ月に一度あった。それでも同居人とは同じ檻同士、基本的に信頼しあっていた。お互い求められた通りの心配をした。夜中の公園を真冬に探し回ったり、帰ったら好きなお酒や料理や音楽が準備されていたり、心にもない優しい言葉をかけたりした。どうせ仲直りするのはお互い分かっていた。早くしたいとお互い思っていたのだ。諍いに限らずあらゆる事が、始まり方は子どもでも終わり方は大人だったと思う。
一緒に暮らしてから色んな事が変わった。そして、これは自分にとって驚くべきことなのだが、色んな事を学んだ。
まず、健康になった。皮膚や髪の毛の質、睡眠の質が変化した。これは食事がガラッと変わったので当たり前なのかも知れないが、自分には驚くべき事だった。風邪を引いたり、一日寝て過ごす事も減った。同居人が酒好きだったので、自然と自分の飲む量は減った。酔っ払いが二匹居ては収集がつかないと思ったためだ。伴って体重も減った。
趣味の世界や物事の視野も広がった。同居人にとって当たり前のことは、初めて知る事ばかりだった。色んなモノが世の中にはあること、それぞれの用途のこと。野菜ジュースは野菜の代替にならないこと。直火と炭火焼きの違いのこと。季節の食べ物のこと。いろんなお酒が世の中にあること。いろんな方言のこと。悲しいときは運動をするといいこと。泣きながらご飯を食べられないこと。スーパーで鮮魚を買うと捌いてくれること。沖縄と本州で畳のサイズが違うということ。島の暮らしのこと。革製品の手入れのこと。
そして、自分にとって当たり前のことにも興味を示された。テクノやエレクトロニカのこと。色んな漫画や本のこと。映画や芝居のこと。旅行や海外のこと。色んな動物のこと。身体の変化のこと。変な服のブランドのこと。仏教とイスラム教とヒンズー教のこと。お互いの好きな物を教え合ううちに教えられた方が詳しくなって、それが原因で諍いになることもあった。ばかっぽい。村上龍やキャンプについてはそうだった。だいたい土日の昼間に料理を作っている同居人の周りをチョロチョロしながら様々な話をした。自分がこんなに話をする人間である事や、甘えたがる人間である事、そして人間に救われる人間である事。ある業界の仕事をしていた時期から、人間を信頼することは自分とあまり関わりがないと思っていた自分にとって、これは大きな発見であり変化であった。アルキメデスが浮力を発見した事に次いで偉大な功績だった。ユリイカ!
そんな暮らしの中であっても、人間は変化する生き物なのだった。自分にも、変化のスピードに生活を合わせたいと思う時期が訪れた。それで、同居はやめた。自分が変化したのは同居人との暮らしのお陰だった。それはとても辛かった。それでも、時間が経った今はあの決断をした自分は偉かったと思う。偉大な功績だ。ユリイカはユリイカとして、正しいかは死ぬ時まで解らない。
多分ここまで読んで、同居人との関係性について嫌悪感を示す人もいるだろうと思う。我々は少しネジの緩んだ同士だった。誰にも理解されないような、子ども同士の暮らしみたいな生活が好きだったのだ。毎日親がいない家みたいだった。ヘンゼルとグレーテルのようだった。一般的に理解できないものを受け入れることが、わりあい得意な人間同士だったんだろうと思う。人間は変化するので、多分いま暮らしても同じふうにはならない。でも、かつての同居人は今でも家族のような感じがする。かつての同居人もそう思っている気がする。うまい言葉が見当たらないが、belongしあっているという感じ。今でもたまに顔を合わすと、たまに会う親戚のような顔をされる。元気にしてるの、ごはん食べてるの、ちゃんと洗濯してるの。言葉にはしないけれど眼から発信されてくる。
先日、会社の女性に「彼氏と同棲しようかなって話してるんです」と言われた。相談ではなく背中を押して欲しいだけなんだと表情から伝わった。なので、「同居はいいよ」と無責任なことを言った。こいつの責任を持つ筋合いはない。「同居はいいよぉ、まいンち、楽しいことしかないよ」。
家族になるっていいよ。
同居をやめたのは、今日みたいな夏の暑い日だった。突然ひとりにした。突然ひとりになった。「素直に言ってくれてありがとう」という言葉。「がんばったね」。依存しあうものが無くなったあの開放感と、途方もない悲しさ。同居人が見えなくなるまで距離を取ってから階段でめちゃくちゃに泣いた。部屋に入るまでもたなかった。汗と涙と鼻水がごちゃごちゃになった。蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。鼻の奥がずっとツーンとして、酸欠になって頭がくらくらした。一人にしないで一人にしないでと布団の中で喚いた。相手のほうが思っていただろうと思う。だから相手には言えなかった。血縁上の家族以上に大切だった。人工の家族だった。相手が可哀想だから、という感情は共依存だと知っていた。お互いの変化を阻害すると知っていた。だから行動に移した。自分のために手放した。相手を理由にするのは相手を一番傷つけると知っていた。対等な人間関係でありたいと願う、自分に残った唯一の正義だった。
何を見ても同居人を連想する日々が続いた。何をしても楽しくなかった。食事の質が落ちたせいで体調も変わった。それでも不思議と、死んでしまいたいとは思わなかった。悲しい事に集中すると、他の事に集中しすぎずに済んだ。なんていうか色々捗った。ロボットのように仕事や食事や人付き合いをこなした。こんな辛いことを乗り越えたのだから、何があっても生きていけるだろうと、直感で理解した。悲しいときは運動をした。泣きそうになったらご飯を食べた。あれからだいぶ時間が経った。何かを見て同居人を思い出すことは、今では殆ど無くなった。
人間の記憶はすべて熱量だと思っている。同居をやめてから、変化に対応していくなかで、たくさんの記憶の熱量をエネルギーに変換して生きてきた。変換したら消えていく。記録と事実は残るが、涙が出るような、胸が痛むような熱量は、失ったら二度と戻らない。
あらゆる事について、もう少し若い頃はこの「失っていく感覚」「燃えていく感覚」を怖いと思っていた。なるべく残したくて、よくテキストにしていた。いつからかそんな執着は無くなり「燃えているな」「もう二度と会えないんだな」とまっすぐに見つめるようになった。何かを決断した自分が得た変化の一つだ。燃えたエネルギーを、これから別のなにかに注ぐ事。もう二度と出会えない分だけ、新しい事が入る余地が出来るんだろう。望むと望まざるに関わらずだ。
もう思い出す種火が少なくなっているのかもしれない。タワシを洗いながらそう感じた。消える前の焚き火を思い浮かべた。少しくらい残したっていいだろう。それくらい愛していた。自信をくれたのだ。自分で作った人工の家族の思い出の事。嘘は一つも書いていないが、自分と同居人の性別や年齢や重要なことは書かない。