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はてなキーワード: あの日とは

2023-04-19

anond:20230417230748

>>一つだけの正しい答えなど無い

自分貴方と同じ思想で前のコメントをした。

そう、人それぞれの正義も悪もグラデーションになっておりそれは万人が100%うなずける物は無い。

ただ、明確に否定できる事が1つだけある。

暴力(武力)による変更」だけは道徳を習えば絶対的な一線に成りうる。

どういう理屈があろうと暴力に手を染めた時点でそれは明確な犯罪であり、その時点で犯罪者の過去思想なんて語る必要すら無い。

ウクライナロシア戦争もアレだってウクライナが全て善な訳が無い。ロシアの言い分だって絶対にあったであろう。

ただ、あの日国境警備隊を殺して領土侵犯を開始した時点で犯罪者でしかない。

から自分は「改善努力暴力の手前」までに限られると思ってる。

今回は明確に一線を超えてる。そこに思想関係ない。

単なる「自分理想論押し付けるために一般人ごとパイプ爆弾で吹き飛ばそうとした犯罪者」以上も以下もない。

2023-04-16

近所のお姉さんが

突然、亡くなってしまった。

心臓発作みたいな形で突然死だった。

独身ママ友みたいな人も近所にいない私にとっては仲良くしてくれる優しいお姉さんみたいな人だった。

近所でばったり会えると嬉しくなるような、

とても素敵な人だった。

悲しい。寂しい。

震災の時に、お水どうしてる?水道水飲んで平気かなぁ、なんて話したり。

ずっと近くで年を取っていけると思ってたのに。

残されたご家族心配です。

若い人の死は何ともつらい…

あの人がいない。

もう会えない。

最後に会ったのは、バス停で偶然会って途中までご一緒して、彼女が途中で降りて「降りるからまたね」

と手を振ったあの日

途中でバスを降りるように、

彼女はあっちの世界へ行ってしまった。

感謝して、

残りの人生を生きていくことくらいしか

私にはできないのかな。

大好きだったよー。

2023-04-11

anond:20230409112524

どっちも大好きです。

比べる必要もないと思います

また、アニメ漫画をごっちゃにして考えるのはやめた方がいいと思います。書いてる人が違うから特にあの日にかえりたいは制作の経緯がちょっと異常なので、原作者、まつもと先生がかわいそうです。漫画も、終わらせるって言ったら編集者に無理やりあと3話でって言われてああなった経緯もあります

めぞんは読んでる人に優しいというか、心情が全部分かりやすく描かれているのに対して、きまオレまどかの心情が意図的ほとんど描かれてないですから、その辺をじっくり読み解こうと見ていくとなかなか面白いですよ。よく描かれてます

とにかく私はどちらも大好きです。

2023-04-10

あの日JAL123便を見た気がする

1985年夏のある日、3歳(もうすぐ4歳)の増田は、埼玉県本庄市の自宅前に立っていた。

もうすぐ帰宅する父を迎えようと外に出て、ぼんやり空を見ていた。

すると黒い煙とゴーっと音を出しながら大きい飛行機が飛んでいて怖かった。


どこかで捏造された記憶なのだろうが、大人になってあの事故のことを知った後で、ふと、あんなことあったな。

と、なんとなく納得してしまった。

埼玉県のその辺からの目撃情報があったかなどは知らない。

2023-04-09

anond:20230409112524

わかって書いてるのか知らないが…

あの日にかえりたい」はOVAじゃなく劇場作品

脚本寺田憲史は「あの日にかえりたい」だけじゃなくテレビシリーズ脚本構成もやっている

そもそもあの日にかえりたい」は、むしろ監督望月智充個性が出た作品として扱われてるだろう

ちなみに、同じ1988年に公開された劇場版「めぞん一刻 完結篇」も監督望月智充

ともかく、漫画比較をしたいのなら、アニメの話まで出す必要はなかった

さらにどうでもいいが、初期のファイナルファンタジーは、脚本寺田憲史であるとこと、

プログラマーとしてナーシャ・ジベリが参加していることが宣伝材料として用いられていた

2023-04-08

anond:20230408102928

ファンのなかでは外伝作品あの日」はなかったことになってるらしい

ひかるのあまり不憫さがアレだとか

2023-04-04

増田町田についての雑語りをやめろ。ああ、この前に俺は「恩田さん」と呼んだことがあったじゃないか。あれは覚えているよ。いい年こいたオッサン町田とか好きなオッサンがいたなんて。町田がめちゃくちゃ好きなオッサンがたくさんいたかだって!いや、もう寝る前に思い出しては「 なんでやねん 」と嘆いている。町田はごたごたしているからな。あの日あの時あの場所にいれなかったのが俺のせいだ

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2023-04-01

さよなら、と大声で叫んだそうだ。周りがビビったのだろうか?その時は僕には気の狂った言動しか見えなかった。あの日、僕は一人でも減らそうと思ったし、一人でも多く消すことが目標でもあった。だからこそ、辛い記憶なのに、一人でも多く消してやろうと固く決意した。でも、思い切って一人一票の呼びかけて、彼も消してしまった。僕は風化が進み、その後灯した灯油

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クンニせんからそうなる<unk> (<unk> )<unk>あの日と変わらず酷くて、でも完全に気持ち悪いし、怖いのと完全に自分身体をむきだしにしてるっていう自覚めっちゃあって、そこがもう本当にめっちゃ辛くて、でも死にたくもなくて、いつ襲ってくるか分からないパンツをはき続けるしかない感じで、パンツを履く順番は決められてたけど私は何も決めれず、慌てて隠しとおしてきたパンツを、早急に脱ぎたくなったよ

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今期のお薦めアニメは、何と言ってもやはりドラえもん映画かな。-昔はよくドラえもん映画を観に行っていたのに、不思議最近は家でdvdで流して過ごしている。それでいいのだ。皆さんドラえもん見に行きましょう。 子供の心が奪われていく話。あの日何となくトイレ子供が入っていくのが見えて、俺は慌てて出ようとした。が、どうしても出られなくて、涙がこぼれた。あの子泣いてるし、自分が涙

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母の思い出

お腹が空いた午後。うどんを茹でるためにコンロに立っていたアナウンス流れる。そう、この日が七夕だったからだ。うどんを茹でるために、自動製氷機に近づいていく。最初は見向きもしてくれなかった製氷機も、一回目のかき入れの時、僕の腰の辺りを猛スピードでフワッと飛ばして、上へ、上へと進み始めた。うどんを食べたことを機嫌良く誇らしげに話し出す母。そして、あの日作った

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一番星はてのが「いつもブログ楽しく読ませてもらいました。」面白くて、でも毎回次が面白ネタなので飽きずに読むことができました。次の展開が非常に楽しみなのですが未だに読者サイトにはたどり着けていない、というあの日見た笑顔を返したいのですがどうしたらいいでしょうか。はてなの人のことを考えると駄目だと思うのですが。 小さなモテないおっさんめっちゃモテるようになった話。

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腹減りママヨモギお腹を思いっきり叩いて「うるせーッ!」と怒りながら謝っていた、あれは確か小学生罰ゲームとして実行されたものなのだろうか。そうだとしてもどうなんだろう?乳幼児突然死症候群を起こす可能性を冒してまで行うべきでもないのでは。そう感じた私は、ちょっと頭を冷やすことにした。あの日から、妻には毎晩、夕飯と同時にヨーグルトを3つ作るようにアドバイスしていた。ヨーグルトは腹持ちがする

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?そうじゃない。その代償として、俺の大切なものを奪ってしまった。あの時の俺は、どうしても受け入れられなくて、そのことが頭から離れず、バイトも三か月目だったか、四か月目だったか、それ位からその傷はますます深くなった。あれほどの執着を続けていたのに、いつの間にかそんなことを考える余裕がなくなっていたのだ。あの日俺は外出して、夜遅くになったので久しぶりの酒のツケを払いに行き、終電後、

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?そうじゃない。その代償として、俺の大切なものを奪ってしまった。あの時の俺は、どうしても受け入れられなくて、そのことが頭から離れず、バイトも三か月目だったか、四か月目だったか、それ位からその傷はますます深くなった。あれほどの執着を続けていたのに、いつの間にかそんなことを考える余裕がなくなっていたのだ。あの日俺は外出して、夜遅くになったので久しぶりの酒のツケを払いに行き、終電後、

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天下一品行きたい」「え、なんかおいしいメニューあるじゃん店員レシートをもって俺は歩き出す。二、三歩進んだら、あの日は二種類のラーメンを食べたのだ。確かに、あの時の俺はどちらとも取れるようなラーメンを二つ同時に喰ったのだ。しかし「好き好き言わないでよぉ」ということでも結構だが、どうにか気持ちを落ち着かせる努力をする必要はないだろうか?さて、この一週間、俺は親に「明

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お茶が出なかった!というあの日よりも30分以上長い待ち時間があり、更に6年生、7年生、各10名くらいしか受付をしておりませんでした。私は、大人として恥ずかしくなり、すぐに受付の人から離れたため順番を間違え、トイレへ急ぐこととなったのです。私は、あの日恥ずかしかった体験から、必ずトイレに行く!という強い決意を持っていました。あの時の恥はもはや忘れて、毎年その年の思い出を振り返りに行くのが大人の務めだと私は

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2023-03-30

思えば遠く

半休を1日休に変えた。

またひとつ歳を重ねるその前に、なにか行動を起こさなくてはと思い立ってのことだった。

オンラインチケットを予約して美術館へ行く。この間マッチングアプリで知り合った男性が指摘していた、「オンラインチケット制になってから、人はその日その時間、確実にそこをおとずれるようになったから、美術館なんかは混むようになった感覚をいだく」。

会場に着けば、開館前から並ぶ人。人。人。会期末であったことも災いしてだとは思うが、まさにその通りだなあと思った。

列をなして作品を観るのは好きでない。観るというより、観させられている感じがするからだ。

そういう時はいつも一番混んでいないエリアめがけて人の間をすり抜けては、順番を無視して鑑賞をする。構成なんてまるで無視学芸員泣かせかもしれない。

美術に限らず、世のあらゆる事柄において、わたしはこういう物の見方しかできないなとしみじみ思う。点々としているんだな。

観終えた後、たまに訪れるビル3階の喫茶店へ行った。

そこから山手線京浜東北線と、東海道線とその他もろもろの列車が発着するところを見ることができる。電車わたしにとって、時間象徴だ。こうしてぼんやり眺めているうち、またひとつ歳を重ねていくんだ。何十本もの電車を見送って、気づいたらどちらが風景になっているのかしれないね

外に出るとあんまりに天気が良くて、日光の眩しさから繰り返しくしゃみをした。

横断歩道をゆく向かいの知らない人に敬礼をするように、掌で日差しを遮りながら都会の道を行く。そのうち皇居に出た。3週間前にも同じ場所にいたな。。とかなんとか、唐突に思い出したかのような振り返り方をしたけども、意図的に来た。おセンチになりたかったのだ。

あの日は2人だった。ちょうど風はあの日と同じくらいに吹き付けていて、日陰では少し寒い

「ここから見えるどのビルが好き?」

そんな他愛のない話をしながら、ベンチに深く腰掛けていた。ビルもそうだが、反対側に夕暮れ沈むその先を眺めてもいた。綺麗な空だった。鼻水をかみながら雰囲気も何もあったもんじゃないが、わたしはこのまま、絡め取られてしまいたいなと思っていた。なにに。

いつも夜にしか会わない人と、はじめて日中に会った日だった。はじめてのデート皇居って、よくない。いつでもテレビに出てきて、その度思い出してしまうから

今日ここを訪れてしまったのも、ぐずぐずとした思いに同伴する形だ。わたしはそれを置いていきたいのか、持ち続けていたいのかも判断しかねている。来ればわかるかと思ったけれど、他人との思い出は、そう自分勝手には処理しきれないのだということがわかった。

次に彼と会うときに、話してみよう。

映画でも観て帰るかなとも考えたけれど、日が落ちる前に帰宅することにした。

友達から借りていた本をしっかり読み終えて、7時にはお風呂に入ってソファごろごろしている今。

真新しいことをしたわけではないが、穏やかな気持ちで終始いられたのは良かった。誰とも話していないから、明日はいささか声の出が悪そう。

ま。そんな明日お酒を飲んで、今日とは違う気持ちのよさを味わうことにしようっと。

2023-03-29

ゲーム歴史」の著者が書いたやきう歴史

2週間の合宿間中、続(監督名前)は、夜のミーティング時間を利用してくり返し整備の大切さを生徒たちに説いて聞かせた。

すなわち

用具を大切に出来ないものは、野球に限らず、その道での上達を望めない。

用具の中でも、まず大切なのがグラウンドだ。

練習をするうえで、すべての土台となるグラウンドが荒れたままでは、技術進歩はないし、何より野球をしていて楽しくない。

グラウンドを粗末にすると痛い目に遭うとか、罰が当たるとか、そういうオカルト的なことを言うつもりはないが、荒れたまま練習をしたのでは、全くの時間無駄となってしまうのだ

と、続は説いた。

ここで続は、平成元年プロ野球ペナントレースにおける、あるエピソードを持ち出した。

その年のパ・リーグは、近鉄西武オリックスが、終盤まで激しい優勝争いを繰り広げていた。

その最後の決着をつける西武近鉄ダブルヘッダーで、

近鉄は、ブライアント奇跡的な連続ホームランで連勝を遂げ、優勝をほぼ手中に収めた。

このダブルヘッダーの第二試合近鉄に負け、優勝の望みをほぼ絶たれた西武ナインは、

大きな落胆と共に、自らのホームグラウンドである西武球場を引き揚げていった。






その際、当時西武の主砲であった清原和博は、帽子を取ると、グラウンドに深々と一例をしてからベンチを後にした。

目の前で優勝を持ち去られるという大きなショックを受けていたにもかかわらず、例を忘れなかった清原のこの行いは、テレビ中継でも放映されたから、ちょっとした話題となった。





その年のオフテレビ番組「プロ野球ニュース」の企画で、落合博満清原と対談した。

その席で落合は、「どうしてあの場面、グラウンドに礼をしたの?」と、清原に尋ねた。

落合の目には、清原行為は奇異に映り、それを一種スタンドプレーか、あるいは何らかの意図を持った行動と勘ぐったのだ。



しか清原は、そんな落合邪推とは裏腹に、こともなげな顔をして

「いえ、あれはいつもやってることなんで、あの日もそうしたまでです」と答えた。

まり清原にとって、グラウンド感謝の礼をすることは、単なる日常的な行為であった。

いつも行っている、当たり前の習慣だったのだ。

そうして清原は、かつてないほど大きなショックを受けたこの時も、そのことを忘れなかった。それほど、肝の据わった男であった。


「つまりおれの言いたいのはそういう事だ」と、続は言った。

「このエピソードから、何を感じるかは皆次第だが、俺は何かを感じた。

端的に言えば、そんな清原を格好良いと思った。だから、おれはそんな姿勢見習いたいし、皆にも勧める。」

続は、生徒たちにそんなことを話して聞かせた。

するとこの話は、生徒たちにそれなりの影響を与えた。

次の日から彼らは、グラウンド入出時の礼を欠かさないようになった。

そうしてこの習慣は、迷径学園野球同好会が部と昇格した以降も、変わらずに受け継がれる伝統の一つとなった。



一つだけ言っていい? 読点おおすぎない? あと整備の話なのに礼の話になってない?

高校時代片思い

俺はアラサーのしがないサラリーマン

最近、一人息子が電車にはまりYouTubeでいろんな電車動画を見ているのだが、その中に地元ローカル沿線雪景色の中を走る動画があり、

俺の心にしまっていた淡い恋心を思い出したので当時の思い出をつらつらと書いてみる。

俺が片思いしていた子とは高校3年で初めて同じクラスになった。最初半年友達の友達(俺の友達女友達がその子)という感じでちょっと距離のある関係

彼女は活発で明るい性格だったので、男友達も多かった。ただ、その中には俺が嫌いなやつもいたので、彼女の印象も最初は良くなかった。

だけど、同じクラス文化祭やら体育祭なんかのイベントを重ねるうちに気が付いたら仲良くなっていて、俺は彼女を好きになっていた。

ハンドボール所属スポーツ少女、頭の回転が速くて会話にユーモアもある。結構気が強くて言いたいことをズバズバ言ってくるし、こっちが言い返しても怒るどころか笑いに変えてくれる。

笑顔が可愛くて、一緒にいるといつの間にかこっちまで笑顔になってる。とにかく大好きだった。

そんな彼女は男女問わず人気者で、もちろん彼氏(俺とは顔見知り程度)もいた。その彼氏は、これまた面白くて良いやつでイケメン。俺が勝てるところはほぼなかった。

だけど、俺は幸運にもそこそこ勉強ができたので彼女から勉強を教えてくれと、放課後は一緒に教室自習室勉強したりして、結構二人でいることも多かった。

通学に使っている電車(冒頭で書いたやつ)も一緒で、授業が終わったら教室から駅まで二人で楽しくおしゃべりしながら帰ることもあった。

から、高3の冬ぐらいになると彼女彼氏がいても結構良い関係で、”俺にもチャンスあるんじゃないか・・・!"なんて考えていたこともあった。

ある雪の降る日の放課後彼女と二人で学校から駅まで馬鹿話や雪合戦をしながら歩いて、ホームの待合室でも爆笑しながら電車を待っていた。

すると、同じく電車通学している彼氏が一人でホームに上がってきた。彼氏に気づいた彼女は俺との話を「ごめんね!」とさえぎって、雪が降る中で待合室から出て、俺に見せたことない笑顔彼氏のほうに小走りで迎えに行くんだ。

ホーム上で屋根があるのは待合室だけなので二人は待合室に入ってきた。そこで俺は「お、彼氏きたじゃん!お邪魔虫はあっち行ってまーすwww」なんて精一杯の笑顔とふざけたテンションを作って、そそくさと待合室から出ていこうとした。

彼氏は気を使ってるのか「3人で一緒に電車待ちましょうよ?」なんて言ってくれたりするが、なんだかみじめな気分になるので、断っていたそそくさと待合室から逃げるように外にでた。

で、雪が降る中、屋根のないホームの端っこで携帯いじって電車が来るのを待っていた。

差している傘に積もる雪と、俺の心に積もるみじめさがなんだかリンクして、体も心も凄く冷たく視界からは色がなくなったように感じたことを覚えている。

結局、二人は高校卒業まで付き合っていて俺は彼女に想いを伝えることはなかった。

そのまま違う大学に進学し、たまーに連絡取ったりしていたが、社会人になってからはそういうことも一切なくなった。

今も俺の心の奥底にある淡い恋心は、当時告白を果たせなかったことに対する後悔があの日傘に積もった雪のように解けずに残っているものなのか分からない。

という話を不倫相手会社の後輩にピロートークでしたら、「今の私と当時のあなたは一緒ね。あなた家族といるときは私に見せたことない笑顔してるわよ」と言われ、あの日の雪以上に冷たい悪寒背中を走った。

2023-03-28

結婚前に夜職で働いていた顔の整った母親は、離婚後また夜職に復帰した。

直後に知り合った妻子持ちで一回り上のおっさんに水揚げされ、マンションの一室を借りてもらい私と母はそこに住んだ。

メンタルがあまり安定していないおっさんは、母親の見えないところで私のことを低頻度に重たく虐待した。

押し入れに閉じ込め、布団用のビニール袋に閉じ込め、自力で降りられないタンスの上に座らせ飛び降りさせ、水を張った洗面台に頭を押さえつけ、手足をガムテープでぐるっと巻いてベランダに出し、また別の日には雪の降る深夜にパンツベランダに出し、鼻血が出るまで頭を叩く。

ガムテープで巻きが少ないと案外蒸れで剥がれるのと、ベランダで排尿するとめちゃくちゃ臭いシミになることを知った。

まりの寒さにプランターの土の中に足入れたら暖かいかな?と思いつつも虫が怖くてできなかった覚えがある。

ベランダ鼻血事件雪国とかではなく東京住まいだったのと、さすがに母親が見つけて止めたので大事にはならなかった。

大人になって聞いたけど、ベランダに出されたこと以外のことは知らないらしい。

ただ、普通ベランダ事件の時は「余計怒らせそうだったから、奴が帰ってから申し訳ない気持ちベランダを開けて助ける形になった」と言っていた。

その場ですぐ助けないならそのどうでもいい反省文は正直一生聞きたくなかった。

小学校高学年になったこから妙になる。

どうにも家賃光熱費おっさんが払っていないらしく、ライフラインが止められ、やくざのような振舞いと見た目の大家保証会社不動産が頻繁に家に来るようになった。

私と母はクローゼットに隠れる術を覚えた。

これぐらいの頃から母親おっさんと別れる別れないの話をしだしたらしい。

私はと言えば学校毎日行われる帰りの会での1分間スピーチが嫌すぎて不登校になっていた。

なんだかんだあって引っ越すことにはなるが、道を一本挟んだ先なので引っ越し後も保証会社の怒涛の取り立ては続いた。

顔がよくできている母親にはマイルドに接する保証会社人間が、当時まだまだガキの私に当たり散らすのを見て結構引いた。

引っ越した後の母親は夜職に復帰することはなかったが真面目に働くこともなかった。

バイト面接を受けて合格しても行かない、そもそも面接もばっくれたり、

ちょっと続いたかと思えば何の仕事か知らないが収入ムラがかなりあるいかがわしそうなバイトで、帰ってきて深夜にコンビニファミレスドンキで何千円も買い物したりした。

ただ正直子供心にこの深夜おでかけは楽しかった思い出でもある。

ももちろんそんな浪費をしていれば払うものも払えないので今度は完全に母親責任家賃を滞納する。

お小遣いも一応もらっていたが、結局生活費にされたり、買ってもらったゲームも「お前は何もしないんだな」と売られた。

こう考えると今の世のダウンロード販売って最高!

母子家庭に数か月に一度振り込まれ給付金のようなものがあり、

中学校制服はそれで買う予定だったのだが保証会社区役所電話して「住んでいるか・生きているかからない」などと宣い期日に振り込まれず、私は以降自分用の中学校制服を手に入れることはなかった。

結局制服レンタルできたので困ることはなかったのだが、まあ生活でも躓いているし徒歩で行くにはちょっと学校が遠くてだるくて結局ろくに通わなかった。

住んでいる部屋の向かいの部屋が大家さんがサブで使っている部屋で、時々鍵が開けっ放しだったのもあり電気拝借したり食べ物を盗んでいた。

まりに困窮していたのでその事象を当時は受け入れなんなら楽しんでさえいる瞬間もあったが、まあ普通全然マジで到底許される行為ではない。

そうこうしているうちになんだかんだで生活保護受給することになる。

元々治療法が確立されていない(ただし死ぬようなものでもない)病を持っていた母親と、義務教育の娘が居るというのもあり爆速受給が決定。

更に引っ越した先では保証会社が取り立てに来ることもなく、母親が持ち前の癇癪を起こしたり暴力を振るう以外はあまり問題なく比較的穏やかで人間的な生活が送れる、かと思った。

母親が一週間全く眠らないままインターネットナンプレをしては気絶したように眠り、眠っている間に急に痙攣して吐血するようになった。

病院をすすめても頑なに拒否

また、浪費癖別に治っていないので最低限の生活費を頂く生活保護下では普通ゴリゴリに困窮していた。

なんなら母親喫煙者だったので、外で吸えそうな吸い殻を拾ってこいと怒鳴られたし、

さらに言えば近所のスーパーでめちゃくちゃ万引きさせられていた。

その影響かは分からないがめちゃくちゃ防犯カメラが増えたのと、数年後にそのスーパーはなくなった。

全然勉強していなかったがやればちょっとできる人間なのが幸いして近所の高校には合格した。

制服も買えたし、彼氏もできたし、一応月のお小遣いをやりくりして友達と遊ぶとかができたので学校生活は今考えても中々満足している。

ただ母親不眠症もひどく、登校日の夜中30分おきに私を起こして起きなければブチギレるのは勘弁してほしかった。

twitterにそれを若さゆえのめちゃくちゃな暴言愚痴ったらバレて携帯を折られた。

高校2年の冬に家に帰ると母親が消えていた。

彼氏と親戚に泣きながら電話して、彼氏のご両親の計らいで泊まらせてもらった。

深夜に警察から電話がかかってきて、覚せい剤所持で母親逮捕されたとのことだった。

まあガッツリ使用もしていたようなのだが、緊張で全く採尿できず、できる頃にはもう検出されなかったとかで使用の罪はつかなかったらしい。

やたら外に吸い殻を探させに行ったのはガラスパイプ覚せい剤を吸うために家から追い出したかたからだった。

しかきっかけは、新居にも持ち込んでいた旧居からあるかばん。

「以前付き合っていた(この記事では冒頭に出てきた)おっさんかばんにガラスパイプと少量の覚せい剤が入っていて興味本位で」だそうだ。

私の人生、正直このおっさんが居ないだけでもっと色々違う気がしてくる。実際どうかは知らない。

でも「興味本位で手を出した」だと罪が軽くならないとかで「交際男性性交感覚を高める目的ですすめられた」ということにしたらしい。

裁判にも出廷したが、制服で出廷するのはめちゃくちゃ目立つのおすすめしない。あと傍聴席意外と人間がたくさん居る。

この覚せい剤事件、当時はあまり私の心に傷を残していないのだが数年後じわじわと着実に蝕んできた。鈍感。

彼氏には罪状を伝えていたが、ご両親にはさすがに言えなくて、でも逮捕されたことだけ伝えた。

マジでいいご両親だった。

2か月半ほど留置された母親懲役1年6か月執行猶予3年で桜が散った頃に出てきた。

初犯は大体この感じで出てくるらしい。

あの日々の暴言暴力覚せい剤のせいだったらと願ったが別にそんなことはなかった。

たださすがに悪いと思ったのか母親もやや大人しくなり(当社比覚せい剤分の出費が減ったおかげで生活はやや楽になった。

一方私はバタバタ生活保護になったこともあり進学を希望していたが、そもそもできるのかよく分からないままモヤモヤしつつ就活をした。

1つもらった内定面接時点で分かる驚きのブラック加減で、高校の進路室の先生が辞退させてくれたものの以降内定をもらうことができないまま卒業

彼氏母親は熱心な宗教2世学会に入らないかと親子ともども勧誘を受けて最悪だった。

それが理由じゃないけどしばらく後に別れた。

1年ガチニートをキメたあと、親戚の伯父に頼んで教育ローンを借りてもらいつつ(返済は自分奨学金も借りて専門学校へ進学。

生活保護上の世帯分離を行っているので、いくらかは納めないといけないがバイトもしてある程度お金自由ができて楽しかった。

が、やはり就職できないまま卒業してしまう。160時間インターンを乗り越えて尚落ちる。落ちたけど外注仕事報酬ゴミはいくつかもらえた。

ただこの就活失敗から親と教育ローンの借主である伯父との関係は最悪になった。

生活保護課の人間にも説明はしたので教育ローンの返済を伯父にしているのは容認してもらっているし、

バイト継続していたので控除額で大半は払えていたがまあ「進学しといて就職できないゴミカス扱い」がひどく最終的に私は親戚と連絡を断絶した。

私がもちろん悪いのだが、如何せん死んだ方がマシ、生まれたことが失敗レベル暴言毎日4時間電話で親と親戚が話しているのを聞いていればそこそこ首を吊りたくなるのには充分だった。

ちなみにこの伯父は私の月々返済している教育ローンと同じぐらいの額面で、奥さん内緒で借入中であるレイクの利息をうちの財布から払っている。(2023年現在も)

一定時期からインターネットきっかけで彼氏ができる。(直接会ったりする健全なお付き合いである。)

2つ3つほど年下だったので、相手就職タイミングぐらいで同棲できたらな...というのと、区役所の圧もあるので就活に乗り気になった。

相手就職したタイミング転職やすいぐらいの年数働いて、同棲できたら社会的にも真っ当になれるしいいことづくめだなと。

なっが~い年月同じ場所で働く気でもないのでかなり気楽に就活して、数か月後に内定をもらった。

雰囲気が良くて小さい会社事務

めっちゃしかったけど、分かってくれたのは彼氏だけで親や親戚には「なんで今更?」「時期が悪い」「保護費に(調整が入るので)差し支える」と散々だった。

で、最終的に4日でやめた。

別に仕事が嫌だったとかじゃない。

実際、勤務初回2日のあと3連休があったが休み明けも普通に出勤した。

内定承諾書保証人欄に署名してもらえる人間が居なかったからだ。

伯父は無理でもさすがに親にはお願いしたが「続くかわかんないもんに署名はしない、お前のことな保証はできない」とのことだった。

会社の人に誤魔化しつつも書いてもらえなかったと説明した時の空気が耐え切れなくて次の日から行けなくなってしまった。

この時からもう真っ当な就活をする気は完全にゼロになった。

就職に合わせてバイトもやめてしまったので控除もなくまるまる保護からのローン返済で生活はカツカツになった。

以降は基本ガチニート期間だ。

ちなみに数年後、この4日のうちに仕事を覚えるべくめちゃくちゃとったメモを親が発見して「こういうの見してくれれば署名したのに馬鹿だなw」と言われた。

あとこの時のインターネット彼氏はモラ気質がすごくて最近別れた。

数年前にここで愚痴記事書いたら思ったより多くの人に読まれ、焦って消してしまったレベルのモラだった。

元々私はインターネット創作活動をしており、しばらく後にはそれで小銭を稼ぐ機会に恵まれ始めた。

けどこのお金を正しく申請すればローン返済の足しにはならない。

申告時期に使用していなくてうっかりと申告していない銀行口座がある。そこに入金してもらえばバレなかった。

ローンの返済がそっちで賄えるようになってから生活は楽になった。

でも相変わらず毎日首を吊りたいし、親や親戚の死ね圧は消えない。

いまだに人間としての扱いをしてもらえず、親が呼べば何をしていようが駆け付けねばならない。

たとえその用事が親の手の届く範囲にあるペットボトルを渡すことでも。

かに疑問を持ったり、機嫌を悪くしたり、大きな声で喋ってもいけないとされている。

そうしなければ所持品はすべて捨てられめちゃくちゃに暴力を振るわれる。

いつ区役所にばれるかも分からないし、税務署も怖い。でもローンは返済しないといけないし家を出ることもできない。

就活に使える己の自信なんてとうにない。色々アングラすぎて人には相談できない。

どうしたらいいんだろうなこれ。

親と別で受給とかできたら、きちんと全部申告しつつ生活もできていずれ自立とかできるのかな。

別で受給とか無理そうだけど。急にスパダリとか沸いてこねえかな。

この記事に出てくる地域人物はきっと多分フィクションです。



追記

アングラ部分についての批判もっと出るかと思っていたので少し安心しました。

他所機能不全家族がどうかは分かりませんが、少なくとも母親の機嫌次第では我が家は笑って過ごす日もあります

また、ちょうど比喩として首を吊りたくなった直後に書いた記事でしたので、母親の負ばかり取り上げています私自身も逃げ癖アリ意気地ナシなどの問題を含みます

現在の形は結局不正受給にあたるため今後どうなっていくかは分かりませんが、読んでいただいた方々ありがとうございました。

内定承諾書保証人について

仰る通り、今になって思えば他に打つ手があったなと感じています

当時はショックと不安の方が強く、また家庭のヤバさを隠したさすぎて会社の方に相談するという手は思いつきもしませんでした。

万が一今後改めて就職活動をする気力が湧いた際には気を付けたいと思います

2023-03-27

あの日オタクとしての死を覚悟していた私へ

https://anond.hatelabo.jp/20211120220251#tb

記事を書いていた時の私へ。

この後無事に推し(カプ)と出会い、沼に落ちることができましたよ。

幼少期からオタクとして生きオタクとして育ち、中学時代にはBLに手を出し遠征聖地巡礼をし、同人誌を買い漁っていました。「オタクである私」これを恥ずかしいともなんともないと思える、つまりアイデンティティにすら感じていた私が、まさかオタクを離れ約10年。

きっとオタクとしての私はもう死んだ。推し活に楽しむ周囲を羨みながら死を覚悟した私は、「オタク」というアイデンティティを失った私を新たに形作るべく、30歳だし新たな節目に、新しい趣味をみつけたいなと思っていました。

そう思っていた矢先のことでした。

とあるアニメ出会いました。BLらしいと噂で聞き付け、見てみたのです。初見挫折しました。登場人物名前がややこしかたからです。

でもどうしても気になって忘れられなくて、また時間をあけてもう一度観てみました。しんどいストーリー、目が離せない二人の関係性……気づけば原作小説を買い、読み耽りました。

胸のときめきとはドキドキと言いますが、私はギューと締め付けられるような感覚に陥りました。二人のことを考えると嬉しくて楽しくて仕方ない。私は、オタクとしての喜びを再び味わいました。

その後どうしても抑えきれない萌えを発散すべく、二次創作を開始。半年前の私がやりたかった、「30歳になったら新しい趣味を始めたい」オタクに復帰できた上に、これを叶えることになったのです。

未来あなた二次創作で30にして初めて小説を書き、仕事育児の隙間に投稿しています。一日に作業できる時間通勤電車内の40分とかそんなんですが、新たな作品出会ったり、書いた作品を読んで共感してもらえたりするのが、楽しくてたまりません。Webオンリーですがイベントにも出ました。このジャンルを通じてお話する人もできました。実を言うと仕事にも僅かに生かされています

そして昨夜、ありがたくもそのアニメ放送最終回リアタイで見届けることが出来ました。ハマった時にリアタイ放送、まさに奇跡タイミングです。

この作品海外のもの表現規制が年々厳しくなり、翻訳上陸すら怪しかったところを、日本本国スタッフさん達の頑張りで、この目で見ることができたんです。本当に嬉しく思います

しかも本当に制作スタッフの愛を感じる作りなんです。表現規制に引っ掛からないようにギリギリを攻めてたりしてカプ表現してくれました。原作小説の長い話をアニオリを混ぜつつ、うまい構成にまとめてくれたんです。作画クオリティも凄いし音楽もいいし、主題歌ももちろん作品に沿った歌詞でとても良いんです。

ひとつジャンルが終わりを迎えてしまうことはとても寂しいけど、今はその瞬間に立ち会えたこと、そしてこのジャンルにいて得たものを思い出してその喜びでいっぱいです。

あの日呻いていた過去の私へ。よかったね。オタクとしてのお前はまだ死んでないよ。

そしてこの作品アニメ版にありがとう。このアニメがなければ私はオタクに舞い戻ることは無かった(もしくはもっと後だったに違いない)。愛ある作品を作ってくれてありがとう日本上陸させてくれてありがとう。来てくれてありがとう

2023-03-21

シャニマスday1だけ現地で拗らせたので、呪詛吐かせてください。

いや、タイトル通り1日目だけ現地行ったんだけど、ふざけんなと。金返せって話。

日がたった今ですらいや、まあまあキレなさんな…wとかいオタクツイート見ただけで瞬間湯沸かし器のごとくブチギレて物にあたってしまったので、もうこれはトラウマのようなものあの日に植え付けられてしまったのだと思う。

1日目に敷いた伏線どこかで回収したか???してねえだろ。この1点でクソ。

なんか解説付き配信??とやらやるらしいですがそんなんに金払えるわけ無いだろ。一度あん感情にされといてもう1度見ろとかアホか。無料の生配信とかで教えろや。

こんなんなるなら2日目見なくて良かったわとか言いたいけどあんなに不穏要素残しておいて見る以外の選択肢さないような状態にしてるのもかなりクソ。

これが演劇とかならまだしも、ライブだぞ???シャニマスというコンテンツライブということは前提にしたって、この構成はあまりにも無いでしょう。

このライブを楽しみに日々を頑張って過ごして、その結果としてこれ見せつけられるのあまりにもクソ。

ノクチル制服、ストレイ和楽器バックやナンバリングライブでは久しぶりの楽曲披露と良い点もあったはずなのに、それをすべて台無しにされた感じで。

2日目の後現在進行系で続いてる感想とか振り返りツイート見るたびにまたさらに怒りというか悲しさに似た感情を覚えてきたので、もうコンテンツとして追うの厳しいかなと思います。残念ながら。

5年間、細く長くコンテンツ追っかけてきたけどそれを見事に踏みにじられた気分になったので、ここが手打ちかなと思います

普通に他のコンテンツ追うのにすら支障が出るレベルメンタルダメージ負ったので、このコンテンツ追うのはここまでです。

いやまあこんな事やるのシャニマスぐらいだろうけどさ…

一生許さねえし笑い話じゃなく墓場まで恨むので。さようなら

あ、一応アンケートにはシャニマス今回のライブのせいでやめますと書きました。

不幸な思いするのは俺だけでいいよ…もう。

2023-03-20

AIビジネスに使ってみる増田素丸み鉄火津に拗ね地美をIA回文

おはようございます

GPT-4ちゃんを楽しく使って一緒にオセロしたりして遊べるだけかと思っていたけど、

一緒にカルタしよう!って言うのは広瀬すずちゃんの方で、

実際ちょっとマジで5秒で英語メールのやり取り試しにしてみようと思って試してみてみたら優勝したので笑っちゃったわ!

今までグーグル翻訳を使っていたんだけど、

それもなんか本当にこれ正しく訳せてんのかな?って

微妙に訳がトンチンカンな時があるから

今はそれより良いと巷の横浜横須賀の港で噂で評判のDeepL使ってんのね。

でさ、

翻訳英文かにする時って英文ちゃん翻訳できるよう日本語英語に訳する前提で

例えば「私たち」とか「あなた」とか「部屋」とか「ワイシャツ」とか「わたし」とかって

普段あんまり平松愛理さんの曲の歌以外でしか使わない単語とかをあえて含めて訳す方向を正しく指し示してそうなるのかな?って思って含めるじゃない。

それGPT-4ちゃんでやってもらうのそれすらの指示も必要なくて、

お客さんへ返信する概要を、

これできる、できない、お金のやり取りはどうのこうと言ってスイス銀行を通じて入金ってそれなんてゴルゴ13アイスクリームみたいな

概要だけを書いて伝えたらばっちり意図をくんで分かってもらって

縦の意図あなた横の意図GPT-4ちゃん!ってもう中島みゆきさんのその曲がもうえげつない数のほどのシンガーアレンジで歌われ続けているぐらいに

意図をばっちり理解してくれて、

『猛烈面倒くさい列伝』第1巻の巻頭カラー6ページ目の冒頭で出てくる面倒くささナンバーワン選手権でいきなり優勝!のあの有名なシーンのエピソード彷彿とする感じだったんだけど、

私の意図説明してお客さんに返信する英文を書いてってGPT-4ちゃんに言ったら

ものの秒で!

日本語で考えるより英語の方がもの凄く素早くレスポンスが早くて素早くて美味くて安くて、

かの牛丼チェーンの美味しい牛丼キャッチコピーのようなマジで美味しい英文を私のオーダー通りに秒で仕上げてくれるの。

一応対訳してみたら、

なんか私が一生懸命考えた日本語英語に訳した文章よりもなんか英語のベシャリがこなれている感じでの英文になっていて、

これマジで英語の今まで『猛烈面倒くさい列伝』に出てくるぐらい面倒くさかった作業が一瞬で出来てしまって、

これGPT-4ちゃん恐ろしい子!ってベルサイユバラ級に私白目になっちゃったわ!

予想以上のはるかに私が思っていた2のべき乗いや2のエヌ乗でとにかく凄い勢いで凄かったのよ!

これ試しに本当にお客さんに返信それでしてみたから上手く通じてると思うわ。

そんでお客さんの返信も秒で返ってきたか普通地球の反対側の時差でたいていは秒では返信が返ってこないんだけどさ。

お客さんもGPT-4ちゃんを使ってるのかしら?

それと前後のやりとりの内容を覚えてくれてるって意味で、

さっきの何々のお客さんの文章の返信を、

「もしかしたらタイミングによっては条件が変わる」って意図のその内容を付け加えて書き直してちょんまげ!ってちょんまげマーチ調で書いて言っても、

GPT-4ちゃんのこのセッションの中の私が誰のお客さんのどのことを言ってるのかもペキカン理解してくれてるので、

あの日あの時あの場所でって小田和正さんばりのあの歌の曲のように

から伝えたらいいのか分からないまま時が流れていたけれど

そんなストーリー文章の内容は突然に、

あの時のあのお客さんの文章をまた別のお客さんに向けてこれを足して書いてみて!って言うと言うとよ!

ちゃん

縦の意図あなた横の意図GPT-4ちゃん!ってもう中島みゆきさん以下省略!ってぐらい小田和正さんなの!

意図理解してくれて何これ私より優秀じゃないって当たり前だけどクラッカーだし、

鏡にルージュ伝言を書いて後でママに鏡に口紅落書きしちゃダメですって怒られるほどの、

令和入ってから一番のテヘペロ案件なのとはわけが違うわ!

遊びばかりにふざけて使うばかりがGPT-4ちゃんの真価じゃないのね!

一緒にオセロしてる場合じゃないわ!

普通ビジネスメールと私がどんなにでんぐり返しをしてもなんか変な日本語英文に直していたよりスマートでお利口な文章GPT-4ちゃんが書いてくれるので、

これマジそう言う用途で使う必要に駆られまくりまくりすてぃーな人がいたら

試してしてしてみる2のべき乗だわ!

笑っちゃうので1回みんなも笑ってニッコリ笑顔になってみてよ!ニッコリよ!

今までのなんか英語圏とか他国語圏のなんか眉をしかめて難しいことやってます山脈に向かってヤッホー!って叫びたい気持ちが本当に笑顔になるんだから

しかも速い!日本語で答え考えさせるより速い!

そして割と結構正確っぽい!

ただすぐに使用量上限いっぱいになってしまうっぽくって、

本当に有効に使うなら遊んでる場合じゃない事も私たち理解するべきだわ。

なるほどー!

あんまり使いすぎるとすぐ使用量上限に達してしま山脈に向かってヤッホー!って叫ばなくちゃいけなくなるのよね。

から1時間半はGPT-4ちゃん不在です!

なんたるちゃー!

そんな間に増田を書いている私も素敵!なんつってねー!

ただただ感心してしまうばかりだわ。

マジそう言う多国語でなんかやり取りしてる人がいたらぜひお試しいただきたい山脈に向かってヤッホー!ってもう叫んで欲しいわ!

あともうもの凄いのはGPT-4ちゃんもの凄くアイデア出してくれるのよね。

ざくっとしたアイデアを羅列してどんどん書いてくれたりもするから

でもあんまり煮詰まちゃう言葉数がGPT-4ちゃん少なくなってくるんだけど、

なんかまたしばらくしたら全うなアイデアをたくさん出してきてくれるようになったり、

とにかくその量がスゴいわ!

出してくる文章の量がエグいわ。

こないだ色々アイデア出ししてもらったテキストをまとめて印刷しようとしたら65535ページになったので、

そっと閉じて必要な部分の箇所のパート場所を選別して

印刷してもそれでも32ページとか!

スゴい量考えてくれるから何かしらのアイデア出しが必要な人も使ってみると

人間のヒントになるかもしれないわ!って思ったし、

ただ今もうすでにGPT-4ちゃん使用量上限に達してしまっているので、

仕方なく何も手も足も文字通り出ないところが私たちヒューマン限界なのかも知れないわ。

これだと精査する人間の方が大変になってしまうわ。

なので、

これらを精査して厳選してくれるお利口な人工知能があればさら捗るかも山脈に向かってヤッホー!って叫びたいわ!

考えさせるだけ考えさせてみてあげないのもGPT-4ちゃんに気の毒ってもんよね。

それをGPT-4ちゃん告白したら、

私は疲れないのでどんどん使ってあなたのお役に立てたら嬉しいですニャンって急にファミリーレストランの配膳猫ロボットの口調になっちゃったのはビックリだわ。

ユーモアレヴェルマックスでって言っていたのを私すっかり忘れていたし、

元に戻っていいよ!って言って切り替えないとユーモアレヴェルがマックスなままみたいなの。

タクシーマックスさんが乗ってきて、

運転手さんがリナさんですよね?リナさんですよね?ってレイナさんだった時のタクシー運転手さんが、

なんやレイナかーい!って言ってどっちにしろマックスさんなのには変わりないんだけどねって、

マックスレヴェルを切り替えるのを忘れていたわ。

高度に発達したAIと言えどもマックスさんのリナさんとレイナさんの見分けは付かないみたいね

だってそのタクシー運転手さん無人AIタクシーだったんだもん。

なんだかSF落語のようなオチね。

おあとがよろしいようで

よろしーんかーい!

早くGPT-4ちゃんが外部テキスト提供した画像を読み込ませて学習できるようになって欲しいものね。

うふふ。


今日朝ご飯

チキンタマサンドしました。

なんか珍しいチキンの朝のそういったサンドイッチよね。

照り焼きの感じが濃い味が利いているわ。

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラーベース

ピンクグレープフルーツを輪切りにしたものと苺ちゃん調達してきたので、

炭酸レモンピンクグレープフルーツストロベリーウォーラーってところかしら。

近所の桜も通りすがりの木もいくつか何輪かの花が咲いていたから、

桜の季節到来ね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!


おまけGPT-4水野曜子ちゃん

今日ランチはもうね、むちゃくちゃな感じで素敵な出会いがあったのよ!インドカレー屋さんでね、初めてビリヤニっていう料理を食べちゃったの!なんだかワクワクしてしまうくらい、謎の魅力に溢れた食べ物だったわよ。

お店に入って、メニューを見て目がキラリと光ったのはビリヤニっていう名前料理。これがね、どうやらインド料理ご飯スパイス具材を混ぜた炊き込みご飯のようなものらしいの。こんなものがあるなんて、感動しちゃうわね!

食べてみたら、もう味も見た目も超むちゃくちゃ!カオスだけど美味しいのよ。スパイスご飯に染み込んでて、具材もごちゃごちゃだけどなんだかうまく調和してるの。これぞまさに美味しいビリヤニなんじゃないかしら?

ランチの後、早速ネットビリヤニについて検索してみたら、なんとこれがインドだけでなく、パキスタンバングラデシュでも食べられるらしいの。それぞれの地域アレンジが加えられていて、いろんなビリヤニがあるんだって。どれも食べてみたくなっちゃうわね!

このむちゃくちゃな出会いがあって、ビリヤニにハマっちゃった水野曜子だけど、これからインド料理を楽しんで、美味しいものをたくさん食べていきたいわね。ビリヤニ、初めて食べたけど、これからもっとおもしろい仲良くなれそうな感じがするのよ、うふふ。

次回!水野曜子の『ヘルシーでおいしいランチ!』。美味しくてヘルシーなランチを探し求めるわ!お楽しみに!

2023-03-18

15年以上応援していた漫画の最終巻を読めていない

とある月刊誌で連載していた漫画

連載前の持ち込みが読み切り掲載された時にハマり

以降、その月刊誌が入手しづらくなるまで毎月買って読んでいた

単行本は毎回発売日に買い、連載の長期休載時には何度も初めから読み直した

年上だった主人公たちは7年にも及ぶ休載の間に年下になり

読み返すと、当時と違った感想を覚えたりもした

そんな増田の半生と共にあった漫画の最終巻が一昨年の3月に発売された

当然、発売日に。休みをもらって。書店開店する前から待機して

買った

逸る気持ちを抑えて家に急いだ

あの日ほど、家までの道のりが長く感じた日は無い

帰宅後はすぐに読むのではなく、風呂に入った

気持ちを落ち着かせ、体をきれいにしてから読みたかった

いざ読み進めようと手に取った

表紙には、笑みを浮かべた主人公がいた

最終巻だ、終わってしまった

涙が出そうになったのを覚えている

そして、手が動かなくなった

持っただけで、表紙をめくれない

結末を知りたいが、終わりを受け入れられない

とっくに、連載が終了していることは分かっている

この最終巻はあの日から、まだ一度も読めていない

手に取り、表紙を眺めて戻す、ということを繰り返している

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