はてなキーワード: 迫害とは
これ正解ですね
そんな難しい話じゃないよ、男はブスに対してはブスっていうだけなんだけど、女は男がきもかった場合、犯罪者と定義して、犯罪者に対する扱いするんだよね。
増田でよくある、キモオタはレイプするから危険とかあるじゃん。あれ嘘なんだよね。子供の頃とか考えて貰えばわかるけど、体育会系の方がやばい奴多かったでしょ。
よくある運動部系のいじめって大概あれだし(イラっと来るようならPL学園とかいろいろ調べて)
何だけど、大概の女性って何故だか、イケメンはまともでキモオタが犯罪者だと思ってんだよね。(やり捨て大好き小越、ヒカル、ミッキーみたいなタイプなんだと思ってんだろ)
美醜と性格は関係がないのに、性格と見た目が相関があると思ってんだ。
その結果キモオタの人生って大概悲惨で、女性からは(男からはそうでもない)発言ではなく、見た目が原因で全ての行動はレイプ犯同然という扱いを受けて過ごすんだ。
だから女性が美人になっても性格の非難まではされてないからそうでもないんだけど、男性の場合、扱いがまともになった時、自分の見た目が原因で迫害を受けていたことに気づき、またそれが犯罪者扱いであったと客観的に認知可能になるから、じゃあ女性の皆さん同じこと受けても文句言いませんよね??犯罪受けても仕方がないから、女性の皆さん死んでくんない??ってなるわけ
まあわからんでもないなと思う。
2021年10月11日に行われた佐藤圭亮のTwitterのスペースで思ったのは、「オタクが声を上げること」40代後半以上のオタクがに対して及び腰になっているのではないかと感じた。参加者は永田薫などエロ漫画を主とする研究者・ライターがいた。
フェミ議連に対する青識亜論が行った攻撃の仕方がよろしくないという話を形成していたが、フェミ議連に関してはどのような形であれ声を上げないといつもの「オタクはダメ」連鎖を止められない状況を作り出したと思う。
及び腰と言うか「抵抗すること自体がどうなの?」みたいな感じにはなってる。攻撃されたから反撃する、ということに対して何も言えてない。オタクは日陰者だから黙っていろ、というのが年長者のオタクから言われるならば抵抗する言動をしなければ表現者として終わってしまうだろう。年長者としてそれでいいのか?
高齢者オタクVS若年者オタクの抗争を、どうやって着地させればいいのか。
高齢者オタクは弱年齢者に対して厳しいし、弱年齢者オタクは「何言ってんスカ?」みたいになるのでどちらの側も初手をどうしたらいいのかわからんね。
テレビで警察24時みたいなのがやってて、犯罪は許せる事ではないが、犯人の幼少期に長期間の迫害受けていてそんな人格形成されてしまって、自分の境遇を少し重ねてかわいそうだったので書こうと思ったけど、ネットの意見があまりにも自分勝手過ぎるとかそれでも犯罪やらんやつはやらねーとか批判意見が多過ぎて書けなかった。わざわざ炎上させるつもりも無いけれど、わざわざ炎上させて食べていこうみたいな人もいる世の中で自分の意見を書くのはめんどくさい。やってないけどインスタとか絵師さんの作品発表みたいな用途でしか使って被害が起こらなそうな使い方しか思いつかない。それができない人は見てるだけの方が波風たたないのだとおもう。
使いこなしている人ってどんな人がいるのだろう。
RRD
この定義によると、日本政府がオウム真理教に対して行ったこともジェノサイドになる。幹部を死刑にして信者を迫害し、サティアンの子供を強制移動したよな?お前らにそれを認める覚悟があるのか?俺にはあるけど。
確かにこれだけでは「オウムは迫害された」的擁護と取られかねんところはあるけど
続くこれでRRDくんの言いたいことはクリアになってるで
それを「意味わからん!」って追撃したafterkunの読解力の激ヤバさが逆転してもうて晒し上げしたつもりが自分を晒してもうてるで
題名を変更しました。(旧題、オウム真理教を擁護している様にしか見えないRRDのコメントがよくわからん)
はてなで人気の有名ブクマカーのRRDだけど、本当に理解できないコメントがあったので、協力してほしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700619050480686050/comment/RRD
RRD
この定義によると、日本政府がオウム真理教に対して行ったこともジェノサイドになる。幹部を死刑にして信者を迫害し、サティアンの子供を強制移動したよな?お前らにそれを認める覚悟があるのか?俺にはあるけど。
統一教会(現、世界平和統一家庭連合)はカルトだと苛烈な態度をとっているRRDなのだから、こういうコメントはおかしいだろうと私は指摘した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709207150592728258/comment/afterkun
afterkun
元記事からして、オウム真理教を持ち出すのは不自然すぎる。カルト擁護と取られても仕方がないが、大丈夫なのか。一応、魚拓保存済み。
で、この指摘に回答したのかどうか分からないが、(ブロックされてて非表示にされてる可能性もあるので)ブックマークが集まったからか、下記の弁明コメントがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709207150592728258/comment/RRD
RRD
オタクカルトって本当に読解力がなくて驚く。コミュニケーション不全の煽られオミソだからオタクやってるんだろうけどさあ。日常生活に障害が出てるんだろうな…。俺が擁護してるのは逆で、文化的ジェノサイドだよ。
前半のオタクヘイトコメントは、RRDの品性を自ら下げているだけなのでどうでも良くて、最後の一文。
これが何を意味しているのか、誰か分かるだろうか。
まず、「擁護しているのは逆」というが、疑われているのはオウム真理教の擁護であり、オウム真理教の逆が何を指しているのか、これだけではわからない。
普通は次に来る言葉がそれに当たるのだろうけど、それが「文化的ジェノサイド」。
ここで、よく分からなくなった。
なので、読解力がない私の代わりに、誰かこの一文の解説をしてほしい。
特に、RRDにスターをよく付けている人達なら分かると思うので。
また、統一教会の危険性を訴える人間が、オウム真理教を擁護してるとも取れるコメントを残しているが、これは問題無いのかの見解も欲しい。
これが許されるのであれば、カルトに対して甘すぎると思うのだが。
トラバとブクマで教えてくれた方々、ありがとうございます。
やっぱり、これだけ意見が分かれるという事は、意図を掴みにくいコメントだったという事ですね。
ちなみに、私の読解力や理解力を馬鹿にしていた人も居ましたが、こんなところでマウント取ってどうするんだと呆れています。
wosamu
はっきりと文化的ジェノサイドを擁護していると書いてある。カルト擁護以上にジェノサイド擁護はありえないという正常性バイアスでわからなくなってるんだとおもう。俺もブコメないとわからなかった。
このコメントにRRDがスターを付けていたので、これが氏の文意に近いんですかね。
仮にその解釈が正しかったとしたら、オウム真理教の様なカルトはジェノサイドしても構わないという、まさかのジェノサイド正当化の意見となります。
つまり、国家の文化的ジェノサイド(文化浄化と言いたかった?)の正当化という訳で、オウムと繋がっている疑惑より危ない主張なのではと、身震いしています。
RRDはオタクヘイターとしても有名ですが、彼からするとオタク文化はジェノサイドされても良いという対象なのでしょうか。
まあ正直、国家権力に対する批判の為に適当にコメントして、何を言っているのか分からなくなっただけだと思いますがね。
ちなみに、ジェノサイドという言葉に対してRRDはこう言っています。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700586732447154050/comment/RRD
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3368725
あえて誰とは言わないが、
ポーランドはずっとナチスドイツの占領下で迫害を受ける側でユダヤ迫害に協力しないと見せしめに迫害を受ける側だったと認識してたけど違うの?
スペインとかナチスに協力的とされてる国の多くはナチスの恐怖政治によって実効支配されてた状態だったからそれで以て加害国なんだ!という認識はちょっと判断に困るところ。
従ってその一つであったポーランドがユダヤ人を虐殺したという話はほぼ否定されるよね。または資料としてはあったかもだけど実態はそこまで多くないのでないかな。大半はナチスに強要されてだろうし積極的に参加した人も中にはいたと思う。現にフランス人でドイツ鷲勲章(ナチスに協力的だった、売国、支援者などに贈られる勲章)を授与された人もいたけどそれってポーランド人の大多数も貰ってたって事?
勉強不足だったわ。
共産圏崩壊後早いうちから市民によるユダヤ人、移民、LGBTの攻撃や殺人が頻発してるんだけど、歴史認識大丈夫?/反共保守が強いんだよねこの国
個人という単位で見ると、たとえば、安倍晋三は元内閣総理大臣であり衆議院議員であり有力な政治家という強者の側面と、同時に潰瘍性大腸炎の患者であり子供がいないという弱者の側面がある。
集団という単位で見ると、たとえば、男性の外国人は、男性と言うマジョリティという側面と、同時に外国人であるというマイノリティの側面がある。
表象という単位で見ると、たとえば、7枝の燭台は、パレスチナを強権的に支配するユダヤの象徴と言う側面と、同時にヨーロッパの反ユダヤ主義に迫害されたユダヤの象徴という側面がある。
今話題の大阪府のガイドラインについて考えた時に、問題になるのは、このインターセクショナリティである。
萌えキャラという表象は、文化的なマイノリティであるオタクの象徴という側面と、同時に女性のステロタイプ表現という側面があり、これが一体不可分であるがゆえに、これほど問題になるのである。
もともと、漫画やイラストの表現、あるいは萌え表現と言うのは、記号的な表現であり、記号とはステロタイプ表現である以上、イラストや萌え表現はステロタイプ的な要素を無くすことは不可能である。また、一枚のイラストで多様な人格を描くこともほぼ不可能だろう。仮に、裏で設定したところで、そんなのはぱっと見どうでもいい話である。
id:tikani_nemuru_M 公共広告は好き嫌いのわかれる演出をしちゃあかんだろ。公共性の高い情報伝達というものは、原則的に全員にとって必要な情報であり、つまりはnot for meが許されない世界なんだから。
軋轢を生まないために、"not for meが許されない"ということになると、サントリーが水原希子を起用したことに、ネトウヨが激怒した件を批判できなくなる。
水原希子は人であって、表現様式やキャラクターではないというならば、チマチョゴリのような民族衣装だったらどうだろうか。民族の表象を好まない人がいるからと言って予め排除することができないならば、同じように文化集団の表象も好まない人がいるからといって予め排除することは妥当ではないということになるだろう。
ブロマンス? の方はもうずいぶん前に出版されたものなのでネタバレするけど、すごいBLの方は22日に出版されたばかりなので、極力ネタバレしないようにがんばる。では、ブロマンス? の方から。
同作者による小説『生誕祭』の続編。本作も『生誕祭』と同じく彰洋と麻美のダブル主人公。この二人が憧れの人・美千隆に振り回されつつ、お金儲けのためにそれぞれ奔走する。
『生誕祭』の終盤、美千隆に裏切られて復讐しようと思ったものの、けちょんけちょんに打ちのめされてしまった彰洋。だが、逃亡先の北海道まで、美千隆が探しに来てくれたことにより、懲りずに美千隆に着いていってしまった。
それから十年。彰洋は自身と美千隆しか従業員のいない小さな会社に勤めて、退屈だがそれなり楽しい雌伏のときを過ごしていた。
そんなある日、美千隆が復活を宣言する。時代はITバブル最盛期。バブル景気なんて長続きする訳がない。こんどは土地の代わりに株を転がし、大金をせしめて一抜けし、今度こそ二人で夢の王国を作るぞ! マンハッタンにでっかいビルを建ててやるのだ!
一方、やはり十年前に美千隆に切り捨てられて落ちぶれ名古屋に逃亡した麻美は、東京に舞い戻り、バーの雇われママに身をやつしていた。ところがあるとき、バーのオーナーが麻美に儲け話を持ち込んで来る。それはIT企業の若手起業家を騙して一攫千金を狙うというもので、しかもターゲットとなったIT企業をあの美千隆が狙っているというではないか。麻美は一生遊んで暮らせる金をせしめるため、美千隆に復讐するために、彰洋の元恋人である早紀を巻き込み、立ち上がるのだった。
『生誕祭』ではブロマンスというよりはポチとその飼い主みたいな関係性だった彰洋と美千隆だったけれど、今回は彰洋が成長し美千隆が少し老いたのもあって同じ夢を追う同志、ブロマンス感があった。
美千隆が過去に彰洋に言った「マンハッタンに自社ビルを建てるのが夢」「弟が欲しかった」という言葉が、彰洋をだまくらかす方便かと思いきや案外本心だったのかもしれない? と、胸が熱くなる一方で、王国のキング美千隆についに焼きが回った感じもあり……もはや自身には生き目はなく、夢は弟分の彰洋に託すのだろうか?……と、ちょっと切なくなる感じ。
最高に滾るシーンは美千隆が渾身の演技で麻美を騙す場面。麻美が金と美千隆に執着する理由は安定と愛情が欲しいからではなく、美千隆の隣で同じ夢を追いたいからだと看破してみせるところ。
結局のところ美千隆の相棒になぜ彰洋はなれて麻美にはなれないのか、それは才能の問題ではなく性別の問題でしかない。麻美にはどんなに努力しても越えられない壁を彰洋なら軽く飛び越えられる。最初から分かり切っていたが見ないふりをしてきたことを、当の憧れの人、美千隆に見破られて涙を流す麻美。実にエモい。引き立つブロマンス!! そう、私ら女にはどんなに願っても届かない夢ですな!
でも最終勝者は少年の心をいつまでも喪わないおっさんズではなく、現実的堅実的に復讐計画を練り実行に移した早紀だったというのが痛快だった。愛よりも友情よりも堅実。金に溺れた詐欺師どもより研ぎ澄まされたハンターが最強だなんて、かっこよすぎる……。
国外逃亡する羽目になった彰洋と美千隆がこてんぱんに打ちのめされてだめだめなコンビに成り下がるというオチまで着いて、憧れのブロマンスに泥を塗りたくる黒い快感に目覚めてしまった。
数多のBLの中でもかなり人気のあるタイトル。エロエロだけどストーリーに骨があって絵もすごく綺麗。少女漫画のようなキャラとストーリーが人気な商業BLのなかでは、異色かなぁ。
バーでピアノを弾いて暮らしているマレーネと、マレーネのピアノを聴きに通うリリーは両片想い。だがいくらマレーネがアプローチしてもリリーは応じてはくれない。それは二人が男同士だからというより、リリーの正体が人狼だからなのだった。
リリーが突然発情期に入ったところにマレーネが居合わせたのが縁で、二人は結ばれることになった。ところがマレーネは、実は人狼を迫害するマフィア・ガーランド一家の跡取り息子ヨシュ・ガーランドだった。
マレーネがリリーと急接近したころ、ガーランド一家の当主は人狼殲滅に狂い、唯一の血縁者である孫のヨシュを呼び戻す。かくしてマレーネはガーランドと人狼の抗争に不本意ながら巻き込まれることになった。
一方、人狼の側では、ガーランドとの抗争が70年前に起きた人狼大虐殺事件のような惨事の引き金になることが危惧されていた。抗争の激化から、ついに群れのリーダーであるキーファーは、ガーランド解体作戦を決行すると宣言する。そして、ガーランド幹部暗殺部隊のメンバーとして、リリーことコヨーテも指名された。コヨーテに割り当てられたターゲットは、ガーランド一家の跡取りヨシュ・ガーランドだった。
す、すごいものを読んでしまった……! というのが、4巻を読んで最初に思ったこと。正直、3巻までは普通に面白い映画みたいな話だなぁと思ったくらいだったけど、BLでここまで描くの!? 描かせてもらえるの!? と驚いた。まあ、これほどの画力と漫画構成力をもった作家だからこれが許されるんだろうなとは思う。
BLなのでラブとエロは盛りだくさんだけれど、隙あらば骨太の物語描写をしてしまうのがすごい。逆にいえば、BLってストーリーを台無しにしてでもラブ描けエロをかけっていうジャンルなんだろうな……。
人狼とガーランドの抗争の歴史と背景がちゃんと描かれている。そのことに驚きというか、一般ジャンルの漫画ではむしろそれが普通なのかもだが、よく描いたよなぁ。
今回はメインカプのマレーネとリリーだけでなく、アレンやキーファーなど脇役キャラの活躍や人物描写も豊富で良かった。ドミニクがいいキャラしていてかなり好き。
BLにはあまり出てこないし、これまでの座裏屋先生の漫画にはほぼ出て来なかった女性キャラがけっこうなインパクトを持って登場するのがいい。ミミちゃん! 私の推しのミミちゃん!!
猛烈に続きが気になるところで終わってしまったが、たぶん、5巻が出るのは1年後くらいだ。それまで頑張って生きねば……。
座裏屋先生の『シャングリラの鳥』もなかなか気になる展開なので、続きが待ち遠しい。すげえ連載を2本同時進行している座裏屋先生すごすぎる。
エルサレムのおとめたちよ
野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください
愛がそれを望むまでは
愛を呼びさまさないと。
大学2年生をしている。
キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。
なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。
率直に感想を述べる。
長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。
そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。
なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。
得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。
全文引用はちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。
なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにもちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書の1052ページに載っている。
子どもの頃、こんな題名のドラマを観たことがあるかもしれない。
放蕩息子のたとえ
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
最初は意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。
さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。
なるほどと思った。イエスの説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。
神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。
現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人の意志を尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。
聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。
イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140
「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画の台詞を思い出した。
読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。
こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学のWeb講義中に、何度も考える機会があった。
わからなかった。結局。
それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャーな作品らしい。
しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。
どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。
例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金を資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。
(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)
でも、その一方で、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。
約二千年前に作り始められたわけだから、矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正な管理人の話には納得がいかない。
そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。
要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語や解釈や意図が入り込んでいった、とのことだ。
ならば納得できる。この『不正な管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正な管理人のたとえの正体である――解決。
解説サイトやヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしいものはおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想
聖書を読んでよかった。
はっきり言おう(ここイエスを意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツの原典・元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品に派生しているかは原則述べない。
例えば、①エジプトの王宮でのモーセ&アロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャ王クセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。
ほかにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画や小説やゲームの元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。
特に、士師記のサムソンには笑わせてもらった。スラップスティック・ギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。
聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。
聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国の繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。
ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。
キリスト者を迫害した人や、信心や律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。
同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律や常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。
わたしが若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。
最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。
サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。
女が何が言うのが気に食わない、フェミニストをやり込めたい、正論突かれて悔しくてなにか言ってやらないと気がすまない、みたいな気持ちが走りすぎて
他人の気持ちを勝手に想像しているだけで主張内容に全く触れていないので反論とはいえませんね
あなたが無駄と感じるのは自由ですが、相手しないことによって議論の価値が下がるとは限りませんね
反論されないせいで誤った主張がそのまま蔓延してしまうパターンは多いですし、一方論理的に正しい主張はあなたが相手しようとしまいと正しいままです
「ユダヤ人迫害に反対するのは大半がユダヤ人だから、ユダヤ人の多い馬鹿諸国ではそれだけで話が通りやすいんだ」
とか言い張ったところでナチスドイツが正しくなったりしませんよね
まず大半が男というのが本当かというのも気になりますが、大半が特定の属性であることは議論の内容に直接関係しません
歴史上の共産主義者は大半が男ですが、大半が男である馬鹿ジャパンでは共産主義が通りやすいですか?たぶんそんなことないですよね
誹謗中傷、個人情報漏洩とか犯罪スレスレというかそういうことまでするおかしな人たち多くてなにか対処せざるを得ないのも現実…。
それはひどいと思いますので対処すればいいと思いますが、別に目の前の増田がやってるわけじゃないし議論と関係ないですよね
一部の男性が正しいんだろうと直感でわかるけど女に何か言われたのが悔しくてやり込めたいって気持ちが走りすぎて陰謀論みたいなことでも乗っかれば女が悔しそうにするからやめられないって言ってるの見て闇が深いなあと思った。
『一部の女性が「正しいんだろうと直感でわかるけど男に何か言われたのが悔しくて(略)フェミニズムやめられない」って言ってるの見て闇が深いなあと思った。』
って私が書いたら「へーフェミニストってそんな人達なんだ」って信じますか?信じませんよね?
それは知りませんでした
じゃあ女性がそういう気持ちを抱かないようにするためにマスキュリズムがあって女性はマスキュリズムを勉強するべきなんでしょうか?違いますよね
たぶんフェミニズム唱えた人もそんな御利益は想定してなかったと思います
フィクトセクシュアルやフィクトジェンダー、その他スペクトラムのような、迫害を受けてきたマイノリティを批判の対象とする以上、批判側の論理は反論側よりもはるかに緻密で慎重なものである必要があるんじゃないですかね。
「Aは賛同するが、Bは賛同しない」という複雑な立場は、こんな風に論点がとっちらかっていたら答えられるものも答えられない。
など、語るべき論点があまりにも多すぎて「もう少し勉強してきてください」という感じだ。
一応答えておくと、見たいか見たくないかで言えば見たいですかね。
前述の通り、これを答えたところで何にもならないのですが。
法人格には法人格としてのアイデンティティやプライドを持つ場面もあるでしょう。
個人の人格はなくとも、企画チームとしての魂が宿ることもあるでしょう。
実際、例えば侮辱罪や名誉毀損といったものは、法人格に対しても成立します。
老舗ブランドや個人商店、NPO法人などを擬人化して「プライド」とか「礼儀」とかを語るのは、誰もがやっていることだと思うが、それをVtuberに適用することも出来るんじゃないですかね。
まあ、論点としては「Vtuber自身の法人格」よりも、「ファン個々人のアイデンティティ投影先としての、Vtuberというアイコン」の扱いに関するものの方が割合としては大きいのでしょうけど。Vtuberという特性上、「ファン個々人」という総体は、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、あるいはその周辺スペクトラムに属する人々、迫害を受けてきた(受けている)マイノリティも多分に含むのだから、何か不満があるとしても慎重に対応して貰いたいものでしたね。
自分が頭がいいと思っているボリューム層(実はIQ100程度)は、陰謀論者だと思っているだろうが、5Gとか信じてるわけではないよ
というより統計を見ればどう見てもコロナは風邪ワクチンは危険であることはまごうことなき事実なのに、上記ボリューム層は、5Gを信じてる馬鹿だとレッテル張りして、自分が頭いい側にいるつもりなんだろうけど、本当に頭いい奴は自分でデータ分析するんだけど、、、
それはいいとして、このボリューム層の結局政府や専門家と言われる人々の意見をなんも考えずに丸呑みしているバカのせいで、ワクチンパスポートなるもので社会的に迫害される未来がおぼろげながら見えてきて驚いている。
生きていることが苦しい。入社して2日目にもかかわらず、もう働くことが嫌になっている。
私は社会で生きていくのに向いていないということを、改めて認識した。
私は一刻も早く会社をクビになる人間だろう。むしろそうなることを望んでいるまである。
今はただ何もしていたくない。ずっと眠っていたい。叶うのであればそのまま死んでいたい。
しかし、結局のところ、人の目が怖くてたまらず、なりたくもないのにITの道を選んでしまっている。
一度ITを選んでしまったせいで、転職活動のたびにITばかり推されるようになってしまった。
本当はもう二度とITに関わりたくないのだ。嫌いだ。関わりたくない。IT絡みの仕事を耳にするだけで頭が痛くなる。転職活動を経てようやく認識することが出来た。
何なら正社員にすらなりたくないのかもしれない。週5日40時間使って働くことは、世間一般では当たり前かもしれないが、私にとっては苦痛しか感じることが出来ない。
きっと私は、他者から強くバッシングを受ける人間だろう。当然であるが。
働くことが苦痛でしかなく、それ以外の手段で生きていく道がないのであれば、自ずと死にたいと考えてしまうだろう。
私は中身が子供なのだ。だからあれもこれも嫌としか、自分の気持ちを吐き出す方法がないのである。
人の為に動くことがしんどい。そもそも人の為に動けているか信じてもらえないのかもしれないが、これでも人の害にならないように生きているつもりだ。
しかしそれは、他の人が出来て当たり前のことでしかなく、結局私の価値は無いも同然になる。
そう考えると私は人間並みに生きていくことが困難な人間なのだろうか。本当に嫌になる。
それらを改善する気も更々ないのが本当に腹立たしい。何も出来ていない。
他の人の迷惑しかかけていない。いるべき人間じゃない。転職だって嫌々やってきてしまった。
その結果私自身の人生に対して蓋を閉じてしまっている。もう社会に対して、何も希望を見いだせない。
生きていくことが辛い。消えてしまいたい。
朝が2度と来ないでほしい。明日にならないでほしい。時間が止まってほしい。その中で朽ちて死にたい。
会社の入社前の書類を作るだけで気分が悪くなった。引き返せない状況がただただ辛かった。
いつも何か選択を間違って生きているように感じる。自分から何もできないから人の流れに乗ってズルズルとここまで来てしまった。
毎日首にコードを巻いて寝ようとする。それで偶然死ぬことが出来るなら幸運だなんて考えながら。
こんなことを人前で話せるわけがないのに。誰にも語ることが出来ない。
ここで文を書くのが精一杯だ。今後どうすればいいのか分からない。
何もやる気が無いのだ。にもかかわらず何処かの所属で合格してしまった。
私の事なんか迫害してしまえばいいのに。でも私自身が怖くて自分を出すことが出来ない。
人と関わると碌なことが起きない。一人になりたい。
そうなるとやはりこの世で生きていくことが難しいとしか考えらえない。
人と足並みを揃えることが出来ないし、揃えたいとも思えない。
どうしようもないし、どうすることもできない。
嫌なことを避ける事しかできない。でも社会の大半が嫌なことになりつつある。
もう苦しくてたまらない。これ以上動き続けたくない。
辛い。辞めたい。死にたい。