「素敵だな」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 素敵だなとは

2018-01-17

同窓会で昔の話ばかりする奴ら

車でなんとはなくラジオを聴いていたら、どうにもパーソナリティの話に品がない。

なんか嫌なやつだなーと思いながら聴いていたら、リクエストから同窓会の話になり、曰く、「同窓会に出るとはっきりと2つのグループに分かれる。昔の話ばかりする奴らと今の話をする奴ら。好き好きだから、もちろん批判するつもりはないけれど、昔ばかりなつかしんでいる奴らより、今自分がなにをしてるのかを話せる、前を向いている奴らの方が素敵だなあと思う」

…おいおい、マジか。死期が近づくと、同窓会が増えるとかなんとか言っていたから、右も左もわからない若いやつではないはずだ。

同窓会で、今の話なんか出来ない、自慢できるようなことなんかない人間はいくらでもいるだろうし、そういう人間がいるであろうことを慮って、今の話を避ける人間いくらでもいるだろう。

そんなこともわからない死期が近づいてる世代唐変木ってどんなやつだ、いくつだ。

ラジオサイトから名前を調べてググったら、なんと60、そして職業脚本家。びっくらこいた。こんな、自分立場しかものを考えられない伊達に歳をくってる浅薄人間に、どうやっていろんな人間を描くことができるんだろう。

アマゾンプライムで調べたら、こいつ脚本映画があったので、ウォッチリストにいれといた。見るかわからんけど。

2017-12-10

野村沙知代さんのおはなし

テレビで見る彼女ちょっと乱暴というか恐妻?すこし怖いイメージが強かった。

そんな彼女に一度だけ会ったことがある。

場所ホテルニューオータニティラウンジ

そのころはまだ全面禁煙でもなく、喫煙席友達とおしゃべりをしていると

すぐ近くの席に、野村監督が一人で座っていることに気付いた。

タバコを吸うわけでもなく、ただお茶を一人で飲んでた。

しばらくして佐知代夫人が現れ佐知代さんがタバコを吸っていた。

場所柄もあり、サインだの握手だのと誰かにまれるわけでもなくのんびりとした空気流れる夫婦素敵だなぁと思った。

二人が席を立つのが目に入り、あぁお食事終わったのかな?くらいの気持ち

視線を送りと、佐知代さんが私たちの席に近づいてきて

声を荒げるわけでもなく、ただそっと「あなたたち、ちょっと声が大きいわよ」って。

私はびっくりして、とっさにありがとうございます、と答えると

少しだけ口角をあげ(たように、その時の私には見えた)監督と共にお店を後にした。

そのあとすぐお店のスタッフの方が飛んできて「大丈夫ですか?」って聞かれてしまった。

抑えてたつもりだった声のボリューム、たぶんきっと他の席の方もかしましいと思っていたのかもしれない。

そっと注意してくださった佐知代さんのそのやさしさにとても感動した。

テレビで見る佐知代さんはとっても怖いイメージだった。

でもその日から、私は佐知代さんをテレビで見るたびにあの優しい気遣いを思い出していた。

野村佐知代さんが亡くなったというニュースを見てとてもさみしい。

冥福をお祈りいたします。

2017-11-30

デジタルミュージック買ったらブックレット的なやつが入手できないわけだけど、あれってその作品に携わった多くの人はどう思ってるんでしょうね。

映画でもアニメでもゲームでも、終わったらスタッフロールでるじゃないですか。それがデジタルミュージックにはないわけですよ。

このベースいいなあ思っても、CDを買い直してブックレットを見ないとわからない。

ググっても作詞作曲程度しかからなくて、マスタリングは誰かとかにたどり着けない。

SHIROBAKOかなにかで「クリエイターにとって世に出した作品一つ一つが名刺代わり」みたいなやつあったけど、その名刺には名前が書かれていないわけです。

まあ例えば「牛乳パックのデザイン素敵だなぁ」と思っても調べられないわけですし、そういうもんだとすればしょうがないが。

農作物生産者まで顔写真付きでわかる現代に、このままでいいんでしょうか。

どうにかならないんすかね。「大半の人はいらねえだろ特殊なやつはCD買えや」ってんならしょうがないですけども。

2017-11-28

ネガティブな人の方が文才がある気がする。

私の趣向か分からないけど、ネガティブな人のブログ文章の方が好き。

文章素敵だなぁと思ってプロフィール確認すると鬱病経験者の方だったりする。

考えを練りすぎる癖というのが文章性格に良い意味でも悪い意味でも影響しているのかな。

2017-11-24

anond:20171124163726

既婚者だけど、次元渡航局はナイスネーミングだし素敵だなー、と思った。

リアル結婚の良かった所で『僕はこの人が好きです』って表明できるところがあった。

いやまぁ、うまく行ってないカップルは沢山あるだろうし一般化は出来ないのは百も承知だけど私はそれが嬉しかったな。

好きな人がいる、って素敵な事だ(と私は思うよ)

2017-10-30

anond:20171030100651

リンク先読んだけど、夜の繁華街で遊ばない、

夜車飛ばして遊びに行かないから、内需が落ちてるよ、元気ないよって話だね。

夜遅くまで残業しなさいって意味でもない。

このTwitterの方の仰ってる、過労死は何も関係ないよ。

わたせせいぞうさんのイラスト素敵だなぁ。

2017-10-23

いいっていうなら共有してくれ


字書きの同人女なんだけど、自カプのロム専がとにかく字を読まない。

最初は私がへたくそからか?と思ったけど同カプ字書きと話してみたら、やっぱり小説は弱いカップリングらしい。

それはまぁいい。小説を読まない層は一定数いるし、漫画の方が花があるもんね。

例外もあるかもしれないけれど、小説より漫画が求められるのは多くのジャンルでそうだと思う。

そうだとは思うんだけど、最近はやっぱりきっかけは欲しいなぁとは思う。

 

一つ前のジャンル漫画の方が強かったんだけど、そこでは字を読む絵描きがわりと多くてオフで会った時とかに「誰さんの小説オススメ」とか「誰さんの新刊よかった」とかが結構あった。

交流する人とかだと小説イメージイラストつけさせてもらいました、とかってツイッターでやり取りがあったりして「絵描きさんが呟いてたから読みました」とかで宣伝になったりしてたみたい。

まぁ大体はその絵描きにお近づきになるためだったりしただろうけど、それでもツイッターで呟かれて【きっかけ】を作ってもらうことで今まで読んだことのない層が知ってくれたりするっていう効果もあったらしい。

 

私も字書き、絵描き、ロム専問わず、何度かピクシブのURLと一緒にツイッターで呟いてもらった事がある。

その時は「ありがとう!」ぐらいのライト気持ちだったんだけど、イベントで「最初は○○さんが呟いてたから読んだんですけど、小説すごく面白くてそこからずっと追いかけてます」と声をかけてくださった方がいた。

この、こういうきっかけが今の自カプにたまらなく欲しい。

呟いてもらったからって必ず読んでもらえるわけじゃないし、私自身の技量とか、読み手との相性とかそういうのもあるから毎回上記みたいなありがたい結果にならないのは重々承知してる。してるんだけど、本当に小説が弱い自カプ。

すごいんだ、すごく素敵な小説ごろごろしてるんだよ。少なくとも私にとってはたくさんあるんだ。

なのに自カプの規模に対して閲覧数が少ないんだ。他のジャンルより、他のカップリングより圧倒的に閲覧数が少ないのがなんかもうつらい。

私の書いたものじゃなくていい。

私のじゃなくて全然いから自カプの皆様は素敵だなって思ったもの共有してくれ……

ツイッターで呟かなくてもいいよ……支部で公開ブックマークつけてくれればフィードにでるから……もうそれだけでもいいから……

自カプの小説を読んでもらえるきっかけが欲しい。

2017-10-10

夜一人でスーハーしてるおじさんは素敵だなあと思う

私の父などはそれはもう見栄っ張りで見栄っ張りで

スーハーなどという行為は断固拒否していたけれど

スーハーしてるおじさんはきっとフラット思考の持ち主なのだ

それに自分の滾る物を自分で用意していてすごい。自立してる。尊敬

あいう人と結婚したい。

2017-09-29

CDを見るたびにモヤモヤと苦い気持ちになる

以前、音楽家評論家コラボイベントのようなものに行った。

トークショー音楽を組み合わせるタイプの小さなイベントで、

終了後それぞれの書籍CDの物販があった。

音楽家はあまりCDを持参していなかったようで、

私が購入したアルバム最後の1枚だった。


友人も多少気になっていたようだったので、

「聴いたら貸すね」と話していたら、

「よかったらどうぞ」と、音楽家が友人にCD-Rをすっと差し出した。

私が購入したアルバムと同じ内容の楽曲が、そのCD-Rには入っていた。


その瞬間、私の心は急激にその音楽家への嫌悪感でいっぱいになってしまった。

パッケージを見るたびに、なんだかモヤモヤした気持ちがわきあがってきてしまい、結局1度も購入したCDを聴いていない。


私がお金を払って手に入れた物を、あっさり無料で入手「させた」ことがよっぽど嫌だったのだろうか。

イベントで聴いて、「素敵だな、この音楽お金を払って所有したいな」と思った気持ち

踏みにじられたような気持ちになってしまったのだろうか。


自分が友人の立場だったら単純にラッキーだったなあと喜んでいたと思うのに。

2017-08-15

インスタ映え

周りの友人はインスタ映えインスタ映えと口にする。

写真目的がなければ行かないような場所にわざわざ行って、スマホカメラで何枚も撮る。

外食だって流行っている物を食べなきゃいけないし、家で食べるにも凝ったお洒落ものを作らなきゃいけない。

正直、甘ったるい生クリームや合成着色料が過剰についた食べ物はお世辞にも美味しいとは言えないし、値段も結構する。

周りは若い女の子で混み合っていて、みんな同じようにスマホにらめっこして加工してトリミングしてインスタに投稿するのだ。

同じ値段で落ち着いたレストランランチが食べられるのになぁと私はいつも思っている。

周りに強く勧められてインスタのアプリインストールしたが彼女達が夢中になる理由は分からなかった。

一応、私も趣味の1つに写真があってたまに一人で一眼レフを持って旅行する。

から自分が綺麗だなとか素敵だなって思った記憶を残しておきたいのはわかる。

だけど、友人達一眼レフで撮ったら綺麗に写りすぎて盛れないとかインスタにすぐ投稿したいとかで友人との時は必ず私もスマホカメラのみだ。

結局後で写真を見返してもアプリで犬になった自撮り彼女達の言うフォトジェニック有名人を真似した写真しか残っていない。

せっかく出かけたのに写真撮ることに一生懸命で残るデータがこれってなんだかなぁ...。

色々書いたけれどSNSへの感性が違うだけでみんな良い友人だし、遊ぶ事自体楽しいから辞めろとは言わないけど(さすがに某ネズミの国の座り込みとかお店の迷惑になるような事は止めて欲しい)

たまにはインスタ映えとか気にせずにゆっくり美味しいご飯でも食べたいなと思う。

2017-07-27

證誠寺の狸囃子

人はこの世に存在する全ての事象それぞれに、各々様々な思いを持って生活をしているはずである

無論、ネット上で多くの意見を見てみれば、自分はまさしくこれが言いたかったのだ!と思うような論説に出くわすこともあるだろうが、その論説がこの世にいる全ての人の気持ちに当てはまるわけでは当然ない。

私は小林旭が歌う「證誠寺の狸囃子」の「つ、つ、月夜だ」の部分の発声を聴いた時、この世に生を受けて良かったー!と泣くほど感動したし未だに死にたくなるとそれを聴いては生きてて良かったー!と思うというのに、テレビをつければ「みんなこれが聴きたかったんでしょ?」「お待たせしました!」「みんな大好き!」と囃し立てられて星野源が歌っている。何故だ。

私にとって生きていて良かったと思わせてくれる音楽小林旭證誠寺であるなら、誰かにとって星野源が生きていて良かったと思わせてくれる音楽だということは十分理解しているつもりだ。そしてテレビ星野源が出て歌っていることも別にそれが悪いと言っているわけではない。(本当は結構嫌いだからテレビに出てるとなんでだよ!ってなるけど今回は関係ないのでその話はまたの機会にする)

何故テレビが、テレビときが、我々の意見代弁者みたいにみんな大好きとか抜かすんだ。20代女性に人気!と範囲限定しても違う。違うだろ。素敵だなあと思ってる歳上男性に、やっぱり若い女性星野源とかが好きなのかな〜とか思われてたらどうすんだ!!思われていたとして機会があれば否定して終わりだが思われたくもないんだ私は!

ついでだが政権批判をする人々で「国民激怒しています!」などと主語が「国民」になる人がいる。数を味方につけなければ弱い力だから仕方ないね

だがそういう言説を見ると「国民1億人に聞いた!好きなアニメソングランキング!」を見た時の「答えてないけど」と同じような気持ちになる。

でも私は怒ってないかあなた国民定義から外して欲しい。その辺よろしくお願い致します。

2017-06-17

金が無いことがこんなにも悔しいとは思わなかったけどモーマンタイ

昨日、プロジェクト打ち上げ飲み会があった。

どうやら、俺は偉い人からそれなりに評価されていたらしく、色々とお褒めの言葉をいただいた。

もちろん、悪い気はしなかったが、別に自社の上司ではないので、酒の席の世辞だなあ、とも思っていた。

ただ、その中で、ざっくりというと

会社員やるよりフリーランスの方が稼げるし、君には向いていると思う。年収倍は余裕やよ」みたいな話をされた。

正直、そういうお金契約の話に、極端に弱いし、お酒を飲むとたださえも緩い頭の中の知識の繋がりが、だだゆるになるので、

はやーそうなんだー、とぼけーっと聞いていた。

そりゃまあお金がたくさんもらえるにこしたことはないけど、当然それに伴って責任も増えるだろうし、面倒なことも多いだろうし、

なにより、今でも結構精一杯だから、これ以上なにかやらなきゃいけないことが増えるのはしんどいなあ、と思った。

一晩あけて、休日なので昼まで寝て、近所の台湾料理屋で麻婆豆腐定食を食べ、洗濯でもしようかなあ、と考えつつ、iPhoneを触りながらラジオを聴いていた。

そうしたら、ニュースが飛び込んで来た。

俺の好きなアイドル最上レアでガシャに登場したのだ。

はっきり言って、そのガシャにお金をつぎ込むことはできない。

なぜなら「0.6%」という確率を見れば、出るまで引くことは明らかに俺の月給では不可能だし、

貯金もある程度頑張っているが、この貯金は親に借りた金を返すためであり、

好きなアイドルが出るかどうかもわからないガシャにつぎ込むためではないからだ。

何より、自分の中で、そこまでこのコンテンツが好きなわけでもなかった。

他にも好きなコンテンツはたくさんあるし、今日中学生の頃から好きな城平京というミステリ作家新刊を買いに行きたい。

XboxOneXも欲しいし、ポケモン本編が出るならスイッチも欲しい。

俺にとって、そのコンテンツは数多くの好きの一つで、

しかも、元祖声優さんが好きがスタートということもあり、派生は、そこまで思い入れがあるわけでもない。

というか、元祖声優さんラジオ構成作家が好き、という紆余曲折を経ているせいで、そのラジオすらも最近はまばらにしか聴いていない。

CDも視聴して気に入ったものを選りすぐって買うだけで、無尽蔵になんでもかんでも買ってもいない。

それでも。

まあそもそもポチポチする方のアカウント所在がわからなくなってるとか、そういう、うっすい、ペラペラで、他人から見たら

その程度でとか、本当のプロデューサーなら、とか言われてしまう程度の低い思い入れかもしれないけれど、

前の限定SRときプレイしてなかった程度だけれども、

女の子のやわかい部分が好きだって語るその彼女生き様を見て、格好いいなあ、かわいいなあ、素敵だなあ、って思って。

だけど、どうしたって、健康保険お金も、厚生年金も、所得税も、住民税も、家賃も、水道も、電気も、ガスも払わないといけないし、

ご飯だって節約すればそりゃ節約できるかもだけど出来る範疇があって、

無職時代に工面してもらったお金を親に返さないといけないし、

けど……

そのゲームアイドルのお歌やダンスが観れて楽しいゲームだけど、

いっつもセンターにおいてる彼女がほかのみんなと違う彼女だけのお洋服で踊ることは、

やっぱり特別で、

そんな特別彼女を見ることができるって思えると、すてきだなあって、かわいいなあって、格好いいなあって……

そんな嬉しい気持ちお金表現できない自分の今の生活が情けなくて……

彼女に、俺はプロデューサーからプロデュースさせてください、って言えない自分が情けなくて……

辛くて……

愛海に……

え?

スカ……チケ……?

なんですか、それは?

恒常SSRの好きなアイドルと交換できるチケットで、年に何回か開催されるイベントときだけ売ってくれる?

すげえええええええ!!!!!!!!!!!

なにそれ、そんなすごい仕組みがあるんだね!

で、愛海は恒常なの?

恒常なんだ!

えーーーー、まじで、すごいじゃん、そんなのあるなら、今ここでアホみたいにお金使わなくても我慢すればいいじゃん!

そりゃ、ほかの人がコミュを読んだりSSR衣装プロデュースしたりするのに遅れちゃうけど、いつかそれが来れば決められたお金を払うだけでプロデュースできるんだ!

しゅごいね

バンダイナムコゲームズってもしかしてユーザーのことをこんなにも親身に考えてくれる超優良企業じゃん!

そっかあ!

わー、そうかあ、きっとまたこのイベントはあるんだよね!

うんうん、そっかあ、楽しみだね!

わー、よかったー!

お金なくてもよかったー!

はーあ、悩んで損したー。

よおし、悩んで損した分、ポケモンガチャお金使っちゃうぞー! なーんちゃって!(てへ)

ないない! そんなのないない!

世紀末だって過ぎれば昨日だし、恋もできないで死ねるわけないもんな!

バンビーナを突然歌ったことに意味はない)

はーあ、気分が落ち着いたし、Amazonでもながめようかなー

このあいだのポイント祭りポイントちょっとあるから、何かかおうかなー

おっ、咲-saki-実写映画ディスクが出るんだー、へードラマ版とまとめ買いしちゃおっかなー!

それとー、そうやあカオチャのファンディスク買うの忘れてたんだよねえ、One版だせっちゅうの! もういっそPS4proごと買っちゃうー? いやいやーさすがにそれはやりすぎかー! Vita版かっちゃおー!

あ、それで思い出したけど、YU-NOとデザイアは積んじゃってるなあ、ここはいっそPS4版のソフトPS4買っちゃう〜? いやいやー、ないない! やりすぎー!

あー、げらげらー!

2017-06-08

さようなら

久しぶりに中学の頃好きだった子の名前検索したら結婚してた。一瞬頭がぐらっとき吐き気がした。

大学生ときにも調べたことがあって、mixiFacebookサークルホームページ彼女の神々しい名前を見た。高校時代に付き合いはじめた男とずっと付き合ってるらしかった。

その男と30になってやっと結婚したみたい。相手慶応医者。一人の男としか付き合わずにそのまま結婚したんだからその点は素敵だなと思った。いまどき珍しい純愛。とても素敵なカップルだ。

でも今回とにかくびっくりしたのが、彼女が思ったよりはるかにブスだったということ。原型がない。会っても誰なのかまったくわからないはず。

中学の頃はものすごい美少女異次元存在だと思っていたのに。いまはもうその辺にいくらでもいるただの幸せそうなおばちゃんだった。

大学生時代mixiFacebookサークル写真見たときも、「あれ?」って思った。記憶よりはるかにブスだったので。自分記憶では、キモオタ自分がちらと見るのも犯罪的なのではと思うくらいの聖なる光を放つすさまじい美少女だったのに、ネット掲載されている写真ではその辺にいる普通のブスでしかなかった。でもmixi友達からコメントでは彼女のことを「美女」などといっている紹介文も書かれていたりした。うーんよくわからない。まあでもネットのやりすぎで美醜の判定基準が厳しくなってるんだろうと思うことにした。実際ネットではそれほどブスでも不細工でもない男女が嘲笑される傾向にある。自分はそういうのに染まっていないとは思いつつやはり気づかぬうちに染まってしまったんだなと反省すらした。これが世間の「美女基準なのだ美女は多いほうがいい。

でも今回夫婦写真検索して出てきた企業ページ見てさらに衝撃を受けた。まだ30歳超えたばかりなのに、40代でもおかしくないような容姿幸せ太りなのか妊娠なのかなんなのか、だらしない姿。その姿はまさに人間のもの

自分記憶が何もかも怪しくなってくる。

いままでの自分の中の彼女はいったいなんだったんだろう。中学の頃から30歳過ぎる今日に至るまでずっと彼女のことが好きだった。ずっと憧れてた。大学とき写真を見てもまだ揺るがなかった。でも今日すべてが終わってしまった。何もかも無かったことになった。すべては嘘だった。自分が見ていた世界はただの幻だった。存在しなかった。彼女世界のどこにも存在しなかった。かつて一度も存在したことがなかった。

じゃああなたは一体誰なんだ。記憶の中のあなたは。弱い心が作り出した幻想。何もかも虚構現実など自分は見ていなかった。何も知らなかった。盲目だった。

世界は汚いものだと思っていた。そんな世界の中で彼女けが輝いていた。でもその彼女現実に吹き消されてしまった。彼女もまた現実へと戻った。こんな世界でどうやって強く立って生きていけるだろう。この醜世界で、醜い人間たちのささやか幸せを見ながら。

今まで好きで好きでつらかった。生きてたらいつか会えるんじゃないかと思って自殺もしなかった。でもあなたあなたではなく、あなたあなただった!

彼女羊水のような穏やかな愛のある声で笑っていた。あの声はその辺のおばちゃんになった今でも変わらないんだろう。すべてを包んでくれる大いなる海のような深い声。うふふと笑う美少女だった。

2017-06-03

アイマスアイドルだと10代よりも20代30代の方が好きだと思うことが多い

素敵だなあと思ったアイドル10人あげてって言われると

10

 ・ウサミン

20代

 ・川島さん

 ・早苗さん

 ・ありさてんてー

 ・しゅがは

 ・のあさん

 ・ヘレンさん

 ・軍曹

30代

 ・礼子さん

 ・志乃さん

ほら、10代が一人しか思い浮かばなかったんだよ。

絵だから年齢とかあん関係ないけど不思議な話だなあ。

2017-06-01

彼氏いない仲間に彼氏ができた

中高時代からずっと仲が良い集まりのうち、自分ともう一人だけ今まで彼氏いたことがなかったのだけれど、ついに、そのもう一人に彼氏ができた日が来た。

でも知ってたんだよ。その子は明るくて人との付き合いを大事にしてておもしろくてたくさんの人を集める太陽のような存在で、ただ今までは友達関係との境界線とかそういう問題でうまく恋愛に発展しなかっただけだと思う。

ショックとかじゃなくて、実際「彼氏ほしい〜」とか「片思い中でしんどい〜」とかそういうこともよく聞いていたからこそかなり嬉しくて、その子がこれから幸せでいてくれたらいいなあと思うんだけど、それはその子がいつも人を幸せにしてきた人間からだな、って思った。

私は彼氏がほしいという強い思いがなくて、ただ周りがいろんな人とお付き合いしているのを見て、いろいろな経験ができていいなあとか、人のために何かが出来るって素敵だなあとか、そういう興味はある。けれども私には人と付き合う自信がない。

これは性別に関わらない話だけれど、そもそも人といてその人が自分といて楽しいと思ってくれる自信がないし、その人の貴重な時間を割いてしまっているという気持ちが強いし、そんなこんなで人付き合いがうまくできない。

なんだか書いてて目が潤んできた。なんでこんなに自信がないんだ。こんな自信のない人間と一緒にいて楽しい人間なんているわけない、当たり前だ。

いままで"彼氏いない仲間"の彼女と、ほんとうに仲間だとはいっさい思ったことはない。人間の出来が違いすぎる。太陽のような彼女に憧れていた。楽しい人間になりたい。人を幸せにできる人間になりたい。そうすれば自分絶対楽しく生きられるのに。

友達

こんな人間に一番に報告してくれてありがとう。よければこれから友達でいてくれると嬉しいなあ

2017-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20170521180313

私もアプリ4つやって計40人くらいの男性と会った。1度だけ会ってバイバイって人が30人くらい。ちゃんと数回~十数回デートを重ねて人間関係を構築したのが10人くらい。お付き合いしてほしいと言ってくれた人が2人。そのうちの1人と付き合って先月その人と結婚した。

初めたばかりのころは条件が良くてこちらへの食いつきの良い男性に惹かれて、彼らがこっちに本気なわけなくただの娯楽として消費されてることに気づかなかった。

中には、10回以上プラトニックデートをしてこちらへの誠実な態度を見せてくれていたのに、お付き合いする直前で実は既婚者だったことが分かったこともあった。

でも、自分素敵だなと思って相手も私を素敵だなと思ってくれる人と出会確率なんてそんなに高くないんだから、とにかく会う人数を増やすしかないと思って諦めないで会い続けてみたよ。私の場合打率が1割にも満たないってわかってたから打席数が10とかじゃ出会えなかったんだよね。

今は傷ついて、もう男性と話すのも嫌だと思うけど、続けていればきっといい人に当たることもあると思うから、元気出して!今回みたいなひどい男性たまたまあたったみたいに。

お疲れ様でした。

2017-03-19

東京は人の想いで造られた街である、という話

過去に読んだこのエントリがずっと自分の心に残っていた。

東京には何もない、という人の話 | たまのもり

東京って、遊ぶ「結果」はたくさんあるんだよね。


エントリの中のこの言葉が印象的だった。数年前に東京に移り住んだ自分が感じていた違和感を、みごとに言語化してくれていた。色んな人によって作られたコンテンツという「結果」を消費するだけの街。そこに生きる意味は何があるのだろうと、そんなことを考えることが増えた。だけれども、最近はそれだけじゃないと思うことが増えた。山形でも福井でもなくて、東京からこその景色が素敵なんだよと。そのことがようやく言語化できたので、この素敵なエントリを書いてくれた方に対して、自分なりの「東京」を伝えられたらなと思って、増田に書くことにした。

私にとっての東京は、たくさんの人の想いによって造られた街だ。どこに行ってもそう思う。そして、それはすごく素敵なことだと思う。

新宿の街を歩く。ネオンが輝き、景観とは何かと問いたくなるほどの広告が目に入る。でもこれは、「何かを伝えたい」という人たちの想いの結果だ。自分の作った製品サービス自分のお店、そんなものをどうやって伝えたらいいかを「誰か」が必死になって考えた結果だ。それを考えたのは本人だけじゃない。広告代理店の人や印刷会社の人、裏側のシステムを作っているエンジニアの人、そんな人たちみんなの想いがひとつ広告になっている。そしてそれらが、どこを見渡しても存在している。そこには、人の想いがいやというほど溢れている。誰かに何かを伝えたい。たったそれだけのことなのに、そんなことを必死に考えている人がこんなにもいるという事実が、「東京」なんだと思う。

中目黒の街を歩く。30年前は何もなかった場所なのに、今では多くの人が訪れる素敵なお店や、歩くだけで楽しめる街並みが造られている。でもそれは、街に人を呼ぼうと、街を活気づけようと、当時の役場の方たちが知恵を絞り、地元人間を説得し、施設を誘致し、ランドマークとなる建物を作り、そして様々な手段プロモーションを行った結果だ。当たり前のように通っている道のタイルの一つ一つにまで想いが込められていて。そこにどれだけの人間が、それこそ自分人生をかけて関わっていたのか。そんな街が素敵じゃないわけがないと思う。自分の好きな街を、守りたいと思った街を、見事に守り抜いた当時の彼らのことを思うと私は頭が上がらない。ありがとうといいたい。そんなことは「結果」だけを見ると気付くことはない。だけれども、ふと周りを見渡したり、歴史を見返したりすると、そこには色んな人たちの大切な想いが溢れている。

東京駅で降りる。田舎に帰る前に、人の多さにうんざりしながらも「東京」の縮図を満喫する。これでもかという土産物の多さ。壁に貼られた広告駅ナカ食べ物屋さんや雑貨屋さん。その全てが、誰かの想いの結果だ。東京駅という、日本で一番利用される新幹線の駅で勝負していくという彼らの強さ。そこに至るまでのオトナなやり取りや、経営面での苦労、お客さんの笑顔。そんなものが詰まった場所が、東京駅だ。地方から来た人が一番最初に触れる東京であり、一番最後に触れる東京にも、人の想いが敷き詰められている。そんなことを思いながら新幹線に乗り、地元に帰る。降りても何もない駅に。その代わり、迎えに来てくれる誰かがいる駅に。

地方とは比べものにならない量の「人の想い」が、東京にはどこの場所にも存在している。そこに迎えに来てくれる誰かはいなくても、たとえ「結果」だけしかないと言われても、コンテンツという形に変えた人の想いが私たちを包んでいる。一人じゃない。どこを歩いても、どの街に行っても、そう思わせてくれる場所「東京」なんだと思う。「何処かの誰か」が想いを込めて造ってくれた何かが私たちを見守ってくれている。そんなことを思わせてくれる東京の街を、私は素敵だなと思いながら、先人たちに「ありがとう」を伝えたいなと思うのです。

2017-02-21

化粧に関するエトセトラ(最終更新:02/22 00:56)

最近twitterキャンメイク云々で炎上したり、マジョマジョががらっと方向転換したりするのをみてて、まあなんとなく思うことをつらつら書いていこうかと。

スペックは96年生まれ20歳、中高大と女子校都内在住実家住。そのほかは文章から察してほしい。

メイク自体するようになったのはほんとうにここ数ヶ月。去年の秋口くらいからで、通ってるところで発表会があったのと、バイト接客してて、たまにくるメイクばっちりの人や同じ職場の人に刺激を受けたのが最終的な動機だと思う。

ちょっといいところで働いてるから、秋なのにフューシャピンクアイカラー乗せてくる人とかいるし、ビューラーつけまつげでまつげばっちりくるんとさせてくる人も多くて、しかも私は人より背が高い(170cm)から割と見放題で。それをしばらく続けてて、あ、そうか、男の人ってこういう視線の高さから女の人を見るんだな、って気づいた。今までメイクって女の子側が楽しくて、自分に自信があるからするんだって思ってたんだけど、それをみる男の人(をはじめとした相手)を楽しませるためにもするんだなって。現に私がそういうのを見て楽しんでいるようにね。

あと通ってるところ、ってぼんやり書いたけど、その先生が男の人なんだよね。今ふっと思ったけど、人生で男の人に外部でなにか習うのはじめてだ、もしかしたら無意識の中でそれも関係してたのかも。まあそれはそれとして、一応大学生が素顔で彼のところに出向くのはどうなのかな、って薄々感じてたのもあって。それまでは美術館でもどこでもほいほい着た服のままで出かけてたのにね。

で、メイクをするようになった話だ。

発表会で一応人前にたつから似合ってない色つけてたらやだな、って思って慌てて駆け込んだのが百貨店ちふれ。いわゆるデパコスと違って、ちふれだけ別フロアなことが多いから、当時ドラッグストア化粧品売場をダッシュで素通りするような私がめっちゃがぐぶるしていくってことはなかった。それでも十分緊張はして、普段はおしゃべりな方なのにBAさんと一問一答、みたいな感じになってしまったけどね。お財布も傷まないし必要以上にひよらなくて済むから同じような状況に陥ってる子にはとりあえずちふれをすすめたい。

ともあれ彼女のおかげで無事私は人前に出るときと、習い事の日だけだけどメイクをするようになったわけです。問題も抱えてるけど後述。

で、どうして今までお化粧できなかったのかってついでにぼんやり考えてみたの。

今まで自分の顔立ちとかについても全然考えた、気にかけたことがなくて、それこそ中2の時から「化粧映えする」「もっとメイクしたらいいのに」とか「ハーフっぽい顔立ちだよね」とか「大学デビューしたらいいのに」とか言われまくってたけど、それひとつひとつにどう反応していいのかほんとうにわからなかった。羽目外せるところは外しまくってたから目立ってたけど、基本的はいい子ちゃんしてたからそういうの興味あるって表明するとなんかアウトだと思ってしまってたんだと思うのと、どれだけそういうことを言われても、自分には装うだけの価値がないと思ってた。メイクを、自分自身の防御力をあげるもの仮面をつけるものだっていう認識があった気がする。

今は違うんだ、メイクって自分ちょっと拡張する、自分が受け入れられるものを増やすような儀式の気がしてる。甘いメイクをしたらかわいいおんなのこっていうものを受け入れられるし、ギャルっぽく盛ったらいわゆる若者文化を受け入れられる。ロトムフォルムチェンジするような感じとか、まだ途中までしか追えてないけどまほプリが力を借りる宝石によって違う姿になるとか、そう考えるとしっくりくるところがあるのでは。

多分メイクひよるような同世代って、少なからず「自分に装う価値がない」「自分にそんなかわいいものは似合わない」と思ってしまっているんじゃないかなっていう私感。少なくとも私がそうだったから。でも、やるきっかけとする場所、ちゃんと見てくれる人さえ見つかれば、思ってるよりも簡単に壁は越えられる気がする。運よく私はそれが重なっただけって話。それができれば苦労しないって叫びが聞こえそうだけどいったんここで。

とまあ偉そうに言ってるけど、してるかしてないかくらいのうっすい化粧だけど、母親の前で化粧できないんですよ、私。外に出るときメイクポーチもって駅前多目的トイレにこもらないと化粧ができないし、同じところで落としてからじゃないと家に帰れない。ポーチは棚の奥に隠してる。

これはちょうど1年くらい前、色付きのリップクリーム買って帰ったときに見つかって、「あかくち○○○(本名)www」みたいにいじられたのが遠因だと思うし、成人式前撮りで濃い化粧されたときに「清水ミチコwwww」みたいな風に言われたのも一因だと思う(私は眉をやたら濃くされた以外はプロにしてもらうとこんな感じなんだー、って楽しかった)。年離れすぎてる(去年還暦)なのもあるけど、そういう親の前で化粧する、した顔をみせるのはしんどいっす。彼氏できたとか思われてまた一通りイジられるのもほんっとやだし。

なんだか思いの外長くなってしまった。今でもキャンメの語尾にハートついた商品説明苦手で展開してる前で長く立ち止まれないし、ピンクコスメに手が出せないけど、まとめると、装うことは楽しいぞ、っていうことです。

あ、あと、自分の好きなキャラクターがこの化粧品つけてたらかわいいよな、素敵だよな、っていう視点が入ると買うのちょっと楽になるかも。私もそれで最後背中を押してもらった覚えがあるし、今でもちょいと助けてもらってる。そういう考え方を意外とバカにしちゃいけない。

以上。なにかあればブコメまで。できる限り答えます記事にするのだけは勘弁。

2/22 0:46時点から拾えるところだけ拾って追記

>死んでください

そうか、人間生きてたら必ず死ぬんやで。私が死ぬ時はあなたも一緒に死のう♡

>化粧は男性を楽しませるためにするのか問題

上にも書いたように私は身長が高くて男性の平均身長並みだから、男の人はこんくらいの高さからこういうの見て楽しんでるんだー、って思った次第。メイクしてる人を見てかわいいとか、素敵だな、とか思ってるので、それは物理的には男性と同じ立ち位置からみてるってだけで、ある意味女性的な視点なのかもね。

>一回親をビンタすべき

そうかもね。一瞬このブコメみて反射で涙が出た。

前撮りの時、一応素敵だよ、とは言ってくれたけどね。

2017-02-09

推しが卒業する。悲しい。

推しって書いたけど、その人だけが特別なわけじゃない。

何年も見てきたけど、何人もいる中のひとりで、特別応援してたわけじゃない。

特別何かが上手いわけでもなかったし、がんばっているように見えない時もあった。

でも、それがとても人間らしくて、そういう生き方素敵だなって思ってた。

自分とは違う人生を歩んでる人を見るのって、なんか楽しいよな。

で、その人が卒業する。

もう二度と会うことはないし、もしどこかで出会っても気づけないと思う。

もっと見ていたかったってわけじゃない。

でも見ていたかったような気もする。

ぼんやりと悲しくて、この気持ちなんなんだろうなって考えてた。

俺さ、この人にしあわせになって欲しいんだよ。

特別じゃないこの人に、しあわせになって欲しいんだ。

だって、ずっとみてたんだよ。

二度と会わないけど、どうしてもしあわせになって欲しい。

これが物語だったら「いつまでもしあわせに暮らしましたとさ」で終わるのに。

もうみることもないこの人のお話が、どうか喜びとともに紡がれていきますように。

2017-02-06

好きなことを仕事するのはやめたほうがいいという忠告

仕事に関する増田が連日賑わってますね。

文章が得意ではないので書こうかやめようか何度も悩んだのですが、でもこれが理由で悩んでいる人を沢山見てきたので、やっぱり頑張って書いてみることにしました。

好きなことが仕事になったらいいなって思っている人が結構いると思うんです。

そうやって好きなことを仕事にして輝いている人を見ると素敵だなって思うし、目の前の仕事自分の好きなことだったらもっと頑張れるのになって思ってるかもしれません。

でも、多分それはやめたほうがいいです。

なぜなら、好きなことを仕事にするということは、自分の魂を切り売りするのと同じだからです。

例えば好きな絵を仕事にしたくて、書いた絵を売りに出すとします。

しかしたら、その絵には高い価格が付くかもしれません。

しかし、その才能にニーズがなければ、その絵には大した価格はつかないでしょう。

その絵が、どれだけ大切に情熱を込めて作り上げたものだとしてもです。

でも、生きていく以上はその絵を売らなくてはいけません。

例えそれが自分が納得できない価格だったとしてもです。

この瞬間に生まれ自分が思う価値と売れたとき価格との差額が、あなたが生きるために魂を売った価格です。

売りたい価格を付けることは自由ですが、売れる価格は世の中が主導権を持っています

どんな価格を付けたとしても売れなければ価値がないのと同意です。

好きなことを仕事にする以上、この事実からは避けて通ることはできません。

これが情熱希望を胸に、好きなことを仕事にしようと社会に漕ぎ出した自分に待っていた現実でした。

好きなことを仕事にして成功した人間も多くいます

しかし、彼らが成功できたかどうかは、結果でしかありません。

成功者の多くは、ただ好きというだけでなく、人よりもずば抜けた才能を持っているかたまたま時代が求めるものに一致した場合かのどちらかです。

好きなことができれば貧しくても幸せだなんていうのも嘘です。

生きていくために自らの魂を切り売りすることは、生きていく意味を見失いかねないほどにむしろ苦痛しかありませんでした。

もし好きという思いが強ければ成功できるなら、世界中には成功者が溢れているはずです。

このままでは暗い話で終わってしまますが、それからいろいろあって、今では自分が好きなこととは全くかけ離れた業界で働いています

全く見ず知らずの業界で働きながら、好きなことに価格をつけることは苦痛しかなくても、得意なことに価格がつくことはむしろ喜びであることに気が付きました。

そうはいっても得意なことを仕事にしようとこの業界に入ったわけではありません。

働いている途中で気付いたことが、自分の得意なことがこの業界でも役に立つかも知れないということでした。

得意なことと言っても、それだってずば抜けた才能が沢山あるわけではありません。

人よりも少し得意な程度のものが2つ3つあるだけで、一つ一つの分野だけで言えば社内には自分より得意な人間がいます

ただ、それぞれを組み合わせた仕事への取り組みは自分しかできないものでした。

それによって生み出せるものを、私以外には作れる人はいませんでした。

それが会社の中で唯一無二な価値になり、今では無くてはならない存在と言われるまでになるようになりました。


これが生存バイアスであることは否定しません。

多分に運の要素も多かったのだと思います

ただ、それをわかった上でお伝えしたいことは、一つ一つが誰よりも優れていなかったとしても、それぞれを組み合わせることで人には真似出来ないものを生み出すことが価値になることもあるということです。

沢山の人が沢山の個性を持って生きていく世界の中では、何かに一番になることと同じくらい、唯一の存在であることでも活躍できるのだと思います

今では生活に少しの余裕もでき、自分の好きなことに再び没頭する時間を持つことができるようになりました。

あの時、好きなことで生きていくことを諦めていなければ、好きなことを好きなままではいられなかったかもしれません。

どんなにプライスレスものでも、売りに出せば価格がついてしまます

もしあなたが好きなものを本当に大切に思うのなら、人に価格をつけさせるかどうかは慎重に考えたほうがよいと思います

2017-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20170204103326

http://anond.hatelabo.jp/20170204103326

ガチ無能からすると、この人は一社目がおかしかっただけで(そこで有能な人のほうが少ないだろうよ…)二社目でちゃんと進行管理として業務をこなし評価も得れたのなら、無能ではないのでは…と言いたい。コミュニケーションもできてたんだろうしな。

ブコメでもちょこちょことツッコミがあったけど、特に仕事が合っていない人と、そもそも能力が足りない人を分けて考えないといけないのでは。」に激しく同意

『この人は仕事が合っていなくて、変えたら良かった! いい仕事出会えた運もあった!』という話しだと思うのだけど、ブコメの感じだとこの記事が大絶賛されててすごくもにょる……。

ええ、そんなにいいか、この増田の話し。

確かに努力してるし、耳障りいい話だとは思うんだけど…。それはそれだけの能力と運が合ったからでしょ。

(運を引き寄せるのも努力のたまものだとはおもうよ。だから増田も頑張ってるし素敵だなとは思う。思うんだけども…)


この増田の話を読んで、トピシュのこのエントリーで書かれている近い気持ちになった。

http://topisyu.hatenablog.com/entry/nikkei_dual_policy

『誰もマネできない方法解決策としたりするのは、好ましいとは思いません。』

この増田は「不満を言うのは甘えているなどと自己責任論を展開」しているわけではないけれど、ガチ無能からするとこの増田が言ってる『大丈夫無能人間はいない。無能にされてしまう場があるだけだから。』という言葉は救いに聞こえてこないし、「そういうことじゃないんだよ…」という気持ちになってしまうんだ。

そもそもの悩み・持っているものが違う感じがすごくするんだよ。


先日「仕事ができない社会人って案外キツいんだよっていう話 」に対して自分トラバした「http://anond.hatelabo.jp/20170203223816」に対して、自分と同じように「仕事できない」ことに対して共感してくれるブコメがついて、とてもうれしく思ってる。

その人達にはこの気持ち、わかってもらえるような気がしてるんだけど…

無能解決法、ほんとみつけていきたい。

転職をしていくのも方法の一つだとは思うんだけど、それをメインで考えるのではなく転職の前にできることを知ったり試したりしていきたいんだ。


さらに、自分が書いた文章にも言及してnenesan0102さんがブログを書いてくれた。

http://nenesan0102.hatenablog.com/entry/2017/02/04/110054

すごくありがたい。

増田なのでブコメでお礼が言えない。なのでここで。

とても嬉しかった。ありがとう。後半も楽しみにしてる。)

2017-02-04

『夢者』と『夢女子』について。

●前提:この日記を書いているのは夢小説を愛好する人間だよ。

結論最近みる『夢女子』って単語は、『夢者』とはまた違った歩き方をしてて楽しいぞ。

●本文ここから

たぶん、夢小説を読まない人はこの『夢者』っていうのを知らないと思う。まぁ一部界隈で使ってるだけだから別に夢を好んで読む人も知らないかも。でもとりあえず知名度の話はいいや。関係ないし。

で、最近『○○の夢女子』っていうタグ流行ったよね。流行ったんだよ。○○にはいるのは特に女性キャラが多かったかな。私が見た限りではね。

で、『○○の夢女子』を見ていて思ったのはわりと『○○にこう振り回されたい(私が)』『○○にこう言われたい(私が)』っていう感覚があるなぁっていう。

別に「私が」「私が」って自分が無理矢理出張って来てるとかそういうことを言いたいんじゃなくて、何だろう、等身大のままで、キャラと触れ合ってる感じって言うのかな。

ちょっと美化したアバターなりなんなりを使っているけれど、基本は自分っていう感じ。

これね、すごく素敵だなぁって思ったんだよ。

このブログ文章を読んでくれてる人がどれほど夢小説歴史や内情を知っているかは知らないけれど(まぁ自分もよくは知らない方だとは思うんだけど)、

偏った自分立場から一応説明しておくと夢小説はたくさんあって、いろんな人がいる。

夢小説自己投影がメイン、オリキャラ夢主は邪道!』っていう人がいたり、

全く逆に『自己投影なんて気持ち悪い。自分を入れてその妄想を形にして他人に読ませるの?は?』っていう人もいたりする。

個人的にはどっちも夢小説いいんじゃないかなって思う。

楽しいもの楽しいし、楽しくないモノは楽しくない。

それが自己投影かどうかオリキャラかどうかってのは、まぁ人によっては楽しさに関わってくるかもしれないけど、それ個人問題じゃん。

自分が楽しく読めないから、これは夢小説じゃない』なんてすっごい排他的!いやたぶんそうは言わないんだろうけど!

でも根本的な考えはそういうことなんじゃないかって思う。自分が歩んできた道じゃないから、自分の中にはなかったから、だから本来夢小説ではない』って言っちゃうんだろう。

たぶんそれがその人の中の常識から

今まで見なかったって言うのにウソはないと思う。きっと本当なんだと思う。

でも、自分が見てなかったからって、それ本当に無かったってどうして言えるんだろう。証明できる?

なかったことを証明するのかなって思うよ。

あと『無機物邪道』『オリキャラ邪道』『男主は邪道』とかまぁたまに聴こえてくるけど、たとえば夢が二十年ぐらいの歴史のものだとして、十五年ぐらいそれらがあったとしよう(というかまぁ夢が発生してそれぐらいにはもうあったでしょ)。

それでも邪道なのかな。概念存在してから半分以上存在していたもの邪道だって追いつめていく理由、ある?なくない?っていうか夢の本道って何なのさ。私は分からない。知らない。誰か知ってたらこれにTBして書いてくれ。

っていうか邪道があっちゃいけない理由って何?邪道迷惑かけた?迷惑かけられたって思った事例があるなら、それはその人があなた迷惑をかけただけで、別に『それ』が『あなたが好きな夢小説』を傷つけたわけじゃないよ。大丈夫

まぁそんな感じで、『夢が好き、夢小説が好き、夢創作が好き』って想いがあってもその在り方は多種多様で、いろんな人間が『あれは夢』だの『あれは夢じゃない』だの言ってる世界なんだよ。

閑話休題。話を戻そう。

で、そんな中で『夢女子』っていう単語が出てきたんだ。

すっげープリミティブで、でも(いやだからこそかな)わりといろんな人に受け入れられてて、あぁそう、こういう世界が良かったなって思った。

夢が嫌いな人がいてもいいし、夢が好きな人とわかりあえなくてもいいけど、こうやって『あぁそうそうそういうことされたいよね』って、オタク同士で笑いたかった。

(わりとね、一般人的には『ワンピースの誰それと結婚したい』って話は受け入れられやすいし話題にもされやすいんだけど、違うんだよー。もっと突っ込んで話したい。だからオタク界隈でも話したい。タブーみたいじゃなくて)

ただ、だからこそ『夢女子』と『夢者』は異なる概念なんだろうなーって。

ほんといきなり自分の話をして申し訳ないけれど、私はね、どうしたら私がしたい行動込みの物語で彼が振り向いてくれるだろうっていうだけを原動力にしたしぬほど自己投影の夢も書いたことあれば、こんな幼女を拾ってくれ!!!!ってめちゃくちゃ傍観者気取りで書いた夢もあれば、神さまのつもりで書いた夢もあれば、男になってこんな風にこいつらと笑いたかったって書いた夢もある。

全部自分だけど、自分じゃない。女子だけでいられない。

創作の中でなら、私は生物だって無機物だってなれる。

すごく可愛い女の子だって下ネタいう男子だってなれる。

人形をあやつる人間にもなれれば、原作CPをながめてもいられる。

その世界の取るに足らないふつう人間だってなれるし、獣にもなれる。

二次創作の、夢創作のそういうところが、本当に好きなんだ。

から、『女子』っていう性別と、ある意味で『自分』という縛り?で独り歩きしてる『夢女子』っていう概念とは、私は相容れない。あくまで、私はね。

でも、『もしも私がこの物語の中に入れたなら』『もしもこの人の隣にいられたなら』っていうのを、嘲笑じゃなくて、『こういう創作もアリなんだ!』って思える人がいたら、増えたら、それはすごく素敵なことだし、そうあれる可能性がすごく高い概念だと感じてる。

自分が好きなことを他の人が既にしてて、間接的に肯定してくれるってめちゃくちゃ救われるんだ。私はそうだった。

から逆に嘲笑をみたらとても悲しくなるし、一部の意見だったとしても、それが初めてみる他者意見だったとしたら「これが世間評価なのか」と苦しくなると思う。そんな思いはさせたくない。

から夢小説を黒い歴史のように扱われるのは嫌いだし、夢小説あるあるで笑いをとるのも嫌い。

夢小説出会った時、私は「こんな世界があったのか」って感動した。

「私が考えてたことを、先人たちはもう名前まで変えられる形にしてたのか!」って嬉しかった。

『もしも』をえがけるのって二次創作醍醐味なわけだし。

からまぁこういうと夢女子もきっと夢創作の一部なんだと思う。

ただ『夢創作を好む人間』という性別も何も含まないフラット呼び方の『夢者』とイコール呼び方ではないし、そうはなってほしくないなって思うから、酒の力を借りてこんなエントリーを書いたよ。ねむい。終わる。

誤字脱字とかあったらあとで適当に処理しておくね。まとまってない文章なのにここまでありがとう

2016-10-29

土屋鞄大人ランドセルの予約が今日の午後からネットと実店舗で。

ほしいなと思ってチェックしていたのだけれど、当日になって迷う。

カバンパソコンなんかを持つと重い。背負う方が楽だ。

革のきちんとしたものなら、ビジネスユースができる。

パソコン書籍ノートの類を背負って運ぶための

きちんとしたリュック形状のものが欲しかったところからの興味だったのだけれど。

実物を見ておらず、ネットサンプルを眺めているのだけれど

どうも実際に使うと自分には似合わない・そぐわない気がする。

今日予約して、届くのは12月の中・下旬らしい。

クリスマスの時期だし素敵だなと思うけど、どうも踏み切れない。

ネット予約店舗予約ともに14時頃から

実際に店舗の展示品見に行ってみるのが良いだろうか。悩む。

2016-10-24

同人友達の作り方がわからない

Twitterで、なんとなく他の人と壁があるなと感じてる。

呟きもこのキャラのこういうところが好き~っていう萌え語りしかしてないし、同人活動のあり方とかを説いて学級会を開こうとかもしてない。

政治宗教の話もしないし、私生活の話もしない。愚痴をいったりもしてない。何かを批判するような攻撃的なツイートもしてない。人を不快にさせるツイートはしないように気をつけてるつもり。

○○が可愛いかっこいい、○○×▲▲が萌える~って呟いてるだけなのに、周りの人と違って交流が出来ない。

TLを見てると、萌え語りに対して「わかります!○○って可愛いですよね~」 「私も○○×●●好きです!」とかやり取りしてて、なんで私はこうやって人と仲良く出来ないんだろうかと思う。

そして、フォロワーとご飯行った~とか、イベント一緒に行った~遊んだ~とかを見てると、いいなあと思って見てしまう。

自分より後に相互になったフォロワー同士がTLで、遊びましょうよ!詳細DMしますねとかやり取りを見てると、羨ましくて仕方なくなる。

「そんなの、自分から行動しないでウジウジ言ってるからだよ」 と指摘されてからは、素敵だなと思った作品ツイートには、積極的感想リプライを送ってる。重たくならないようにさらっと、とんちんかんだったり馴れ馴れしくしないように気をつけて、素敵です、面白いですって。

でも何も変わらなくて辛い。

感想を送った人からは「ありがとうございます、うれしいです」って返信は来る。でもそこから何も続かない。仲良くなれない。

イラストをアップするとRTやお気に入りをもらえるし、

萌え語りをしてもお気に入りしてもらえる。

Pixivにアップしても評価コメントをもらえてる。

評価されてるんだからいいじゃんって思う人もいると思う。

でも、一人で黙々と絵を描いてアップして、萌え語りしてるだけなのが辛い。

同じ作品キャラ好きな人とどこが好きなのかとか、このシーンが好きだとかそういう話がしたい。スカイプ萌え語りがしたい。オフ会にも参加したい。遊びたい。

どうして話しかけにくいって思われてるかわからない。

大手なんかじゃないドピコなのに。

淡々萌え語りとイラストを上げ続けているから話しかけにくいって言われたことがある。描く機械みたいと言われたこともある。

高尚様なんかじゃないつもりなのに、気をつけてるつもりなのに。

仲良くなるにはどういうツイートをすればいいのかわからない。

教えてほしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん