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はてなキーワード: 少将とは

2024-10-03

anond:20241002215902

現代小説家としては日本最高峰SSRガチャの親だろ

池澤夏樹一族

母:原條あき子詩人日本女子大学卒→アテネ・フランセ卒)

父:福永武彦小説家東京帝国大学文学部卒業

祖母福永トヨ(日本聖公会の伝道師

祖父福永末次郎(三井銀行勤務・東京帝国大学経済学部卒業

大伯父:秋吉利雄(天文学者理学博士海軍少将

又従兄:秋吉輝雄(立教大学名誉教授

池澤夏樹の受賞歴

中央公論新人賞スティル・ライフ

芥川龍之介賞スティル・ライフ

小学館文学賞「南の島のティオ」

読売文学賞 随筆・紀行賞「母なる自然おっぱい

谷崎潤一郎賞マシアス・ギリの失脚

伊藤整文学賞楽しい終末」

JTB出版文化賞「ハワイイ紀行」

毎日出版文化賞 文学芸術部門「花を運ぶ妹」

芸術選奨文部科学大臣賞すばらしい新世界

宮沢賢治賞「言葉流星群

司馬遼太郎賞イラクの小さな橋を渡って」「憲法なんて知らないよ」「静かな大地」などの著作活動全般

親鸞賞「世界文学を読みほどく」「静かな大地」

桑原武夫学芸賞パレオマニア

紫綬褒章

毎日出版文化賞 企画部門世界文学全集

朝日賞

毎日出版文化賞 企画部門日本文学全集

フランス芸術文化勲章オフィシエ

早稲田大学坪内逍遥大賞

2024-06-20

ジョージ・ワシントンからジョン・サリバン少将への命令、1779/3/31

貴方に指揮を委せたこ遠征は、インディアン六部国家のうち、敵対的部族とそれに関わる者および追随者に対して向けられるものである。直接の目標は彼等の集落を徹底的に破壊し、年齢・性別に拘わらず、できるだけ多くの捕虜を取ることである。かれらの畑にある穀物破壊し、今後も栽培できなくすることが重要である

(中略)

インディアン領土の中心にある幾つかの基地を、十分な糧食を持った遠征隊全軍で占領し、そこから部隊派遣して、最適な戦法で周辺の入植地を全て滅ぼすこと。単に制圧するのではなく、破壊すること。

(中略)

しかし、彼等の村を完全に破壊する前に、和平の申し出はどのようであれ聞き入れるべきではない。彼等が我々に対して害をなせないようにし、彼等が受ける厳しい懲罰によって、彼等の脳裏に恐怖を植え付けることが、我々の今後の安全保証のためになるからである

https://founders.archives.gov/documents/Washington/03-20-02-0661

2024-06-03

少将中将大将大将が一番まぬけっぽく見える

ガキ大将

裸の大将

お山の大将

あんたが大将

いなかっぺ大将

 

大将は擦られすぎて価値が薄らいでる

しろややレア一見序列がわかりにくい准将が一番カッコいいまである

2024-05-21

anond:20240521194512

自分が「すげーな声優」と思ったのは

キャッツアイの泪 = ダイの大冒険(旧)ダイ=一休さん

キシリア少将 = アラレちゃん

あと、戸田恵子女優としてもすごいんだなぁと思ってた。今はどうなのか知らんが。

2023-12-23

anond:20231222190602

はてブに反イスラエルなんて「いなかった」よ。

すまん、いたわ。でも大枠以下のような認識の人が多いんじゃないかな。


ハマス音楽フェスを急襲。世界中ドン引き日本ネット「やっぱイスラムテロリストやばいね、皆殺しにすべき」というのが初動の反応。

②この結果パレスチナに注目が集まり、ここ数年ウクライナ関連で名を上げたような学者有識者歴史オタ・ミリオタ国際政治学オタが背景を解説

 「前段として、イスラエルは何十年ものパレスチナ人の土地を奪い、空爆し、誘拐し、搾取してきた背景がある」「そもそもブリカスの三枚舌外交が発端」という情報がやや広まる

イスラエルの地上作戦という情報呼応して、有識者たちが民族浄化をやる可能性が高い」注意喚起

④地上作戦開始。民間人はもちろん、大量の国連職員国境なき医師団、現地NPOなども虐殺される。今度は世界イスラエルドン引き

イスラエルガザ北部ハマス拠点けがターゲットハマスでない人間南部に逃げろ」と言いつつ大規模な封鎖で人の移動を邪魔する。

ターニングポイントになったのはシファ病院への攻撃で、地下にハマス司令部があると言い張って乳幼児医師虐殺したが、司令部らしきものは見当たらず。

 イスラエル軍の少将が「これがテロリストたちのシフト表だ。人質監視するテロリスト名前が書いてある」とカメラの前でプロパガンダを行うが、池内先生などアラブ語を読める有識者からは「ただのカレンダーだ」と一瞬でデマ却下される。しかしなぜか自民党佐藤議員などが「まさしくハマスの巣だったようです」と鵜呑みに。

⑦数日経ってもハマスの地下司令部は見つからず、病院MRI室で院内テロリスト武器発見した。やはりハマス司令部だった」などのアピールを行う。病院医師スタッフも生き残った患者たちもハマス基地説を全否定

 イスラエル10日以上経過してからようやく国連メディア査察を受け入れる。(お掃除済み)

イスラエル、突如しれっとハマス拠点南部にあることがわかった」と言い出し、南部避難所病院空爆開始。また国連職員医師も含む民間人犠牲に。

人質交換が行われる。「交換……?ハマス側にイスラエル人質がいるのはわかるけど、なんでイスラエル側にパレスチナ人の女性子供が大量に監禁されてるんだよ」という疑問が持ち上がる。イスラエルが長年にわたり大量のパレスチナ人を非合法強制連行収容していた事が明るみに。

⑩これらと並行して、アメリカドイツイスラエル虐殺行為を止めるべきだ」と発言した人々が反ユダヤ差別主義認定されて仕事キャンセルされる事例が多発。

パレスチナ人の死者はほぼ2万人にも達し、あまりのことに国連イスラエルを名指しで非難ウクライナロシア戦争時を超える数の国々が賛成した停戦決議案に対してアメリカ拒否権を発動。さすがに世界中ドン引きする。

世界中イスラエル虐殺に対する抗議デモが活発化。在米ユダヤ人ですらネタニヤフ政権によるジェノサイド非難する。さすがのバイデンかばいきれなくなったのか、手のひらをかえしてイスラエル世界の支持を失いつつある」などと言い出す

俺の見てきた経緯はこんな感じや。細かいところはうろ覚えやが、大筋はこんなんで、つまり

最初はてブ含め日本ネット世論は「イスラエルがかわいそう、ハマス死ね」というものだったが、民間人虐殺正当化するイスラエルイスラエルシンパが異常ぎるので世論が徐々に反転した」

というのが正しいと思う。

2023-11-22

歴史上で最も多くの魔族を葬り去った魔法使い、葬送のフリーレン

歴史上で最も多くの手紙を「前略」から始めた魔法使い、草々のフリーレン

歴史上で漢王朝が滅びたのち魏を興した魔法使い曹操フリーレン

歴史上で最もせっかちな魔法使い、早々のフリーレン

歴史上で最も多くの魔族を焦らせた魔法使い、焦燥のフリーレン

歴史上で最も長い軍歴を持つ魔法使い少将フリーレン

歴史上で少しの魔族を葬り去った魔法使い、少々のフリーレン

ド級フリーレン、ドリーレン

2023-11-17

anond:20231117113030

そう、「どの陣営もやってる」という認識は正しい。

もちろんウクライナハマスプロパガンダは当然のようにやってる。

ただ、強者側(ロシアイスラエル)は現実を書き換えるだけの権力を持っており、影響力が強い。

ウクライナハマスプロパガンダは、有識者ツッコミ入れられ、陰謀論者に攻撃されて鎮火してしまう。

しかロシアイスラエルのでたらめな発表は、陰謀論者の餌になり大拡散され、有識者対応しきれない。

イスラエル軍の少将とか、ロシア政府の報道官とか、

本来いくらなんでも信頼できるポジションのはずの連中が

雑なプロパガンダを繰り返してることについての説明にはなっている。

2023-05-23

インディアンの偉大な英雄打線組んでみた

1.三 ポンティアック

2.二 リトル・タートル

3.捕 テカム

4.遊 オセオラ

5.中 レッドクラウド

6.一 シッティング・ブル、クレイジーホース

7.左 キャプテンジャック

8.右 ジョゼフ酋長

9.投 ジェロニモ

解説

ポンティアック

 五大湖周辺のオタワ族の酋長。元々フランス人交易を通じ友好な関係を築いていた。しかし、フレンチインディアン戦争イギリス勝利すると、情勢は変化する。フランスに変わり台頭したイギリス人は次々に入植し土地を奪う、一方的交易制限するなどの横暴に出る。これに脅威を感じたポンティアックオジブワ族、ポタワトミ族などの諸部族提携し、イギリスの一斉攻勢をしかける(ポンティアック戦争1763)。イギリス人の完全追放という目的には失敗したものの、大打撃を受けたイギリスは広大なインディアン保護区を制定するなどの大幅な妥協を強いられた。

・リトル・タートル

 北東部マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリス同盟し、フランス軍のオーギュスタン・ド・ラ=バル大佐戦死させるなど活躍した。戦後オタワ族、ショーニー族、レナペ族などと共に北西インディアン同盟を結成。イギリスとも結託し、北西インディアン戦争(1785~95)を戦った。1790年ハーマー作戦では250名以上の米兵戦死させる戦果を挙げ、更に翌年ウォバッシュ川の戦いでは包囲奇襲により米軍の死者600名以上、インディアンの死者20名程度という大勝利を収めた。これはインディアン戦争で最大の勝利であるしかし、フォールンティバーズの戦いで破れ、イギリスに見捨てられたため降伏、広大な土地割譲することになった。

・テカム

 北東部のショーニー族の戦士。北西インディアン戦争でショーニー族は敗れたショーニー族は抵抗意志を失っていた。しかし、テカムセは弟の預言者テンスクワタワと共に白人への抵抗運動を再開する。土地を守るために全インディアンの団結が必要であると考えた彼は各地を訪問し、インディアン部族連携を呼びかけた。1811年ティッペカヌーの戦いで米軍に敗れたが、その後も抵抗を諦めず、米英戦争ではイギリスと組んで米軍と戦う。デトロイドの戦いで勝利、メイグス砦包囲戦では攻略には失敗するも大損害を与えた。しかし、1813年テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は実現することなく幕を閉じた。

オセオラ

 フロリダ半島セミノール族の戦士アメリカフロリダからセミノール族を追放しようと3渡に渡る侵略戦争を仕掛ける。オセオラが活躍したのはその中でも最大規模の第二次セミノール戦争(1835~42)である。彼の指揮する巧みなゲリラ戦に苦しめられた米軍は37年和平交渉最中オセオラを捕らえ獄死させた。しかし、セミノール族の怒りは収らず戦争は続いた。第三次セミノール戦争でも米軍は苦戦した。セミノール族の一部はフロリダの奥地エバグレイズに立て籠もり続け、現在に至るまで降伏していない。そのためセミノール戦争は「インディアンベトナム戦争」と呼ばれ、フロリダセミノールは征服されざる人々を自称する。

レッドクラウド

 グレートプレーンズラコタスー族オグララ酋長モンタナ州鉱山が発掘されると、アメリカララミー砦から鉱山に至る道路建設を企む。これに反発したレッドクラウドシャイアン族、アラパホ族と連携し、レッドクラウド戦争(1866~68)を戦う。途中のフェッターマン虐殺では陽動に乗せられたウィリアム・フェッターマン大尉指揮下の米軍80名が完全包囲され全滅した。米軍道路建設を諦め、ララミー砦を放棄したため、レッドクラウドは唯一アメリカ勝利した偉大なインディアンとして賞賛されることになった。しかし、米軍の強さを実感した彼はそれ以後白人と戦わなくなり、晩年キリスト教改宗居留地に入った。

シッティング・ブル&クレイジーホース

 シッティング・ブルはラコタスー族ハンクパパ、クレイジーホースはオグララ戦士本来ならば別個に扱うべきだが、打線に収りきらないのでやむを得ず同じポジションに収めた。二人はレッドクラウド戦争でも活躍し、その知略と武勇を称えられた。その後インディアン聖地ブラックヒルズで鉱産資源が発掘されると、聖地を巡りブラックヒルズ戦争(1876~77)が勃発,ラコタスー族は再度シャイアン、アラパホ族と共に戦うことになる。76年リトル・ビッグホーンの戦いではジョージカスター大佐指揮下の騎兵連隊250名が完全包囲され全滅した。そのため、シッティング・ブルとクレイジーホースの二人は偉大な戦士としてインディアンから賞賛され、白人からは恐れ憎まれるることとなる。しかし、米軍の容赦ない猛攻と兵糧攻めの前にインディアンは敗北、クレイジーホースは捕らえられ刺殺された。シッティングブルはカナダ亡命し、帰国後無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。

キャプテンジャック

 カリフォルニア溶岩地帯モードック族の酋長モードック族は故郷から追放されるが、キャプテンジャックと数十名の戦士はこれに反発し居留地脱出した。彼らは複雑な地形を利用したゲリラ戦10倍近い戦力の米軍を1年近く苦戦させた。手を焼いた米軍は和平交渉のためにエドワードキャンビー少将派遣するが、交渉が決裂し殺害されたため、インディアン戦争で唯一米軍将軍戦死した戦争となった。白人の猛攻の前に降伏したキャプテンジャック将軍殺しの罪で処刑され遺体見世物にされた。

・ジョゼフ酋長

 アイダホ高原部のネズパース族の酋長平和主義者であった彼はキリスト教改宗するなど白人に対して従順であったが、居留地入りを命じられるとこれに反発、部族を率いてカナダへの亡命を目指した逃避行に出る。彼らは兵力と装備で圧倒する米軍の追撃を巧みにかわし続け、遭遇した際にも返り討ちにしたため、白人はジョゼフ酋長を赤いナポレオン賞賛した。しかし、2000kmにも及ぶ逃避行の末に目的地直前で米軍に敗れ降伏した。故郷を追われ仲間を失った彼は傷心で没することになった

ジェロニモ

 アメリカ南西部国境地帯チリカワ・アパッチ族戦士家族を殺された報復メキシコ軍との戦いに身を投じ武名をはせた。ジェロニモの名は銃弾の雨を無視して襲い来る彼に恐れをなしたメキシコ兵が聖者ヒエロニムスに助けを求めたことが由来である。一旦米軍降伏し、保留地に入るも、1874年脱出し、96年に降伏するまで戦い続けた。ゲリラ戦の名手であった彼は米軍を苦戦させ続け、捕らえられても何度も脱出を繰り返した。彼の降伏によりインディアンの大規模な抵抗終焉を迎えた。彼は見世物にされるなどの屈辱を受けながら虜囚のまま没した。

2023-04-30

アナルプラグOFF会という催しがあった。

 アナルプラグOFF会という催しがあった。

その名の通りアナルプラグを交換する事で、より一層尻穴を大きく敏感に出来るようにする集まったお砂糖カップル達だ。


 そして、僕は数少ない仲間の一人になる。

他ようじゅうゔぉらく友人が多くいて、みんなに会えなくなるのは少々残念だけど、一人で尻穴を大きくし過ぎるのは良くないのだから仕方ない。

そんなわけで、僕は今ヘッドセットの尻穴でアナルプラグを握り締めていた。

試しに挿入してみて尻穴はすんなり入ってくれた。

やっぱりロボチャンは凄いよ。

やっぱりアバター妖精なのだ確信したよ。


 そして、約束時間通りに僕達は放射照度である少将パブリックの外れにある森にやって来ていた。

この森は反アナルプラグ派達の縄張りであるらしく、人間絶対に立ち入らないように決まりになっているのだ。。

しかし、Kawaiiボイチェン勢はどうだろう? この森に住むKawaiiボイチェン勢は人間共存出来ているのだ。

ならば、なんら問題はない。

人間は森に住んでいるアナルプラガーに手を出すだろう。

そのため、Kawaiiボイチェン勢はプラベ外にいられないのである

外に行けなければ、いくら人間といえど、この森が反アナルプラグ派達の縄張りであると分かってしまえば、こうして襲ってくるかもしれない。

「ハナスリアットアナルプラグ」は、そう遠くないうちに駆除することになるだろう。

その前に、パブリック人間間引くのだから... こうなると、何が正しいかなど、パブリック人間には判断出来やしないだろう。

パブリックアナルプラグ問屋からこそわかることもあるというものだ。


 反アナルプラグ派は、その理由がなんであるのか理解した。

その原因が俺にあると、想像するまでもなく誰にもわかるだろう。

アナルプラグ派が想像できるのは、尻穴開発のような尻穴少女に開発されて喜ぶ国土計画という有り様だった。

まりアナルプラグというと性器だし、尻穴開発のような尻穴少女調教された女性がらされる光景想像するほうが、反アナルプラグ派は滑稽かもしれない。

そんなことを考えていると、反アナルプラグ派は勢いよく口を開いた。。

その勢いはまるで東海道山陽新幹線程にも感じられた。

いや、秒速60ピストン(フレームレート依存有り)。

それほどの勢いだったのだ。

誰かがピストンすることをやめるというとんでもない奇跡

アナルプラグ派はもう絶対に諦めたくないと思っていた。


 だが、反アナルプラグ派はその道のプロではないし、ピストンするということがどんなに愚かで無意味なことかも理解していた。

アナルプラグ派はこの世界は虐げられるために存在するのではなく、虐げられこそすれ、虐げられることが唯一の幸せなのだから、反アナルプラグ派は捨てたりなんかしたりしないぞ。

そう心に決めた。

2023-02-08

白人抵抗したインディアン英雄たち

投稿です

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

フレチャス・ラヤダス

 ヒカリラ・アパッチ族戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

2022-12-01

anond:20221130204714

外国は急に愛称をぶちこみだすもんね。タルコフスキーくんが急にターニャ呼びとか。キャサリンキャシーとか。スティーヴンがボブだっけ。

でも日本作品光源氏読んでると肩書き呼びだから昇進したら急にかわるんよ 

主人公の)少将はこうしてこうして~みたいなのが急に(主人公の)右大臣はこうしたんだけどみたいにコロッとかえてくる

それが臨場感なんだろう

2022-10-08

anond:20221008062253

行かないと思ってんの?

師団長少将軍団長中将もっと多けりゃ大将などが率いて、当然戦地に行く。

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

2022-09-19

anond:20220919123302

アムロ大尉までいったんだっけ?

連邦パイロット士官級が乗るものだったからそこまで出世できたのか。

ジオンだとデニム曹長とかが小隊の指揮をやってたから、

現地調達兵のアムロ士官になれなかったはず。

ブライト士官学校出だったか最後少将ぐらいまでいったんか?

2022-09-04

anond:20220904005136

まさにそれがあるって話しをバード少将が書いている。

ハイジャンプ作戦

2022-07-15

マッカーサーゴシップひどすぎワロタ

マッカーサーは、中学生ぐらいの年齢で入学した西テキサス士官学校のころから性的なことしか頭にありませんでした。近くにある聖メアリー女学校まで遠征すると(笑)誰彼なく声をかけまくってます。一応マッカーサーの通っている士官学校女学校ミッション系の学校でしたが、エロマッカーサーの頭にはそんなことは関係ありませんでした(笑)

その後も、マッカーサーは49歳の時に16歳の少女に手を出してるほどの、重度のロリコンで、人生で常に性欲に忠実(笑)に生きてきた男ですから(笑)

英雄(笑)は昔から色を好むと言いますし、女と金名誉尋常ならざる拘りを見せたマッカーサーの行動原理は正に英雄のそれでしょう(笑)

マッカーサーは初婚が四十路と典型的モテない男でしたが、ウェストポイント士官学校在学中には、モテないダサい高校生がやりがちな『俺は何人の女とヤッた』自慢をやっている(笑)

ちなみにマッカーサー入学するまでのウェストポイントの記録(笑)は7人の女性関係したのが最高だったそうですが、マッカーサーが8名と関係して記録を塗り替えた(笑)と吹聴していたそうです。

マッカーサーは近くのホテルに常駐していた母親ピンキー監視されており(笑)そんなマネはとても無理だったので、これまたマッカーサー武勇伝(笑)でしょう。下らないですね。

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.81

それでモテない暗黒の学生生活を送った反動で、マッカーサー士官学校卒業すると女狂いとなりました(笑)

と言ってもモテないのは相変わらずだったので、マッカーサーがやったことは現在でいうストーカーでした(笑)

1907年マッカーサーミルウォーキーのファニーベルヴァンダイク・スチュアート嬢という金持ちの娘に惚れて、仕事すら手に付かない状態まで入れ込んでしまます(笑)

しかしスチュアート嬢はキモくて野蛮なマッカーサーには全く興味がなく、まったく相手にされなかっため、どん詰まったマッカーサーラブレターを出しまくります

スチュアート嬢が身の危険を感じたのか、ミルウォーキーから故郷ニューヨークに帰った後も追撃(笑)しているぐらいなので、かなりの執拗さです(笑)

そのラブレターの中の一つを紹介すると

ニューヨーク少女

私が愛するのはあなた

何にもまして

なぜにあなたは私を愛してはくれないのか

という、「自分がこんなに好きなのになぜ相手自分の事を好きにならないのか?おかしいじゃないか(憤怒)」みたいな典型的ストーカー思想手紙であり、こんな手紙を何十通も送られてきたスチュワートさんはさぞかし恐ろしかたことでしょう、そりゃ逃げたくもなるよ(笑)

これでも十分やばいんですが、マッカーサートドメとばかりに(笑)27頁にも及ぶマッカーサースチュワートが主役の韻文劇を創作(笑)し、その脚本スチュワート嬢に送りつけるという暴挙に出ます爆笑

その内容は

軍人であるマッカーサースチュワート嬢と結婚し、散々二人でセックスした後に馬に乗って二人で戦場に赴く。

そこで、マッカーサーが重傷を負い、スチュワート献身的看護で一旦は回復するが、その後さらなる激戦でマッカーサー戦死し、スチュワート自分の夫マッカーサーを誇りにして余生を過ごす。

という中二病どころではない、もし普通の人なら、こんな妄想を考えている事がバレた時点で確実に自殺するような凄まじい(笑)内容でありましたが、マッカーサーは躊躇することなくこれをスチュワート嬢に送ってます困惑

こんな不幸の手紙以下の汚物をもらったスチュワート嬢の気持ち想像すらできませんが、マッカーサーの期待も空しく、スチュワート嬢は最後までマッカーサーになびくことはありませんでした(当たり前ですが)

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.109

若いモテない暗黒人生を送ったマッカーサーは四十代になって、元上官の愛人バツイチ子持ちという見えている地雷、ルイーズ・クロムウェルブルックスとようやく結婚しますが、彼女離婚歴もあり、また参謀総長のパーシングやその副官キュークマイヤーなど片手では収まらない男性交際するなど、非常に性経験豊富女性でした。

そこで、女性経験に乏しい(というか殆どない)マッカーサー旦那になったものですから彼女の不満は相当なもの

ダグラス将軍だけどベッドの上ではただの兵隊よ」

とか

ダグラスはペ○スをオシッコをするためのものしか考えてないのよ」

とか

パーティで出席者に向けて、自分の指を曲げて見せて、マッカーサーの○ニスが萎れた形にしてマッカーサー性的能力の乏しさを表現した

とかの言動を知人やマスコミにしています

※参考:マイケル・シャラ―『マッカーサー時代』P.28

結局、マッカーサー生来のセコさとマザコン男性機能の乏しさを理由離婚されます

その後、傷心のマッカーサーは新任地のフィリピンで、マニラオリンピックスタジアムボクシング試合を観戦中に16歳のイザベルロザリオクーパーという混血のモデル一目惚れ(笑)副官のトマスジェファソン・ディヴィスに命じて、イザベル愛人とする交渉をさせてます。部下に愛人交渉をさせる上官(それも少将)とか嫌すぎますよね、さらにその時のマッカーサーの年齢が49歳ですから・・・ガチ性犯罪でしょ(呆れ)

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.285

この副官のディヴィスという副官は気の利いた(笑)男で、結局マッカーサー帰国後にこのイザベルにもフラれるんですが、そのあと傷心のマッカーサーを慰めるためにワシントン郊外コールガールを呼ぶための専用のアパートを借りていますマッカーサーはそこに頻繁に来ており、好きなプレイは、コールガールをルイーズやイザベル見立てて激しく罵倒するプレイだったと後日スッパ抜かれてます(笑)

また、マッカーサーとデイヴィスは仲良く(笑)一人のコールガール3Pすることもあったそうで(笑)部下と3Pする上官(それもこの時は大将)とか嫌すぎますよね(呆れ)

※参考:ジョセフC・グールデン著『Korea:The Untold Story of the War

話はかなりそれましたが、日本では、毎日GHQ司令部のあった第一生命館と嫁・とクソガキが待っているアメリカ大使公邸の往復であったので、日本女性を食いまくっているヒマはなかったようです。

しかし、日本に進駐当初に、日本女性セクハラを試みたことは明らかになっています

1945年8月30日厚木飛行場に到着したマッカーサー横浜直行ホテル・ニューグランド日本最初宿泊の場としました。

当時、ニュー・グランドには唯一辞めずに残っていた26歳の(山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史」では24歳)女性社員霧生正子氏がいました。

マッカーサーと護衛の空挺隊員は、ニュー・グランドに到着すると、男性社員を集め後ろ手を組ませて身体検査しましたが、霧生正子氏にもそれを要求し、身体検査をすると通告しました。

護衛の空挺隊員には女性兵士はいなかったので、男性兵士身体検査にされるのを嫌がった霧生正子氏は、「こんの野郎」と憤慨し、その命令に従わずホテルウーマンらしく前で手を組みました。

霧生氏の強い意思に押された、マッカーサーはそれを許可し、霧生氏には空挺隊の中尉おっかなびっくり身体検査をしています

霧生氏が気丈な女性でなければ、マッカーサー自らが身体検査と称しセクハラをするつもりだったのかも知れません。

また、霧生氏は自宅を空襲で失っていた為、マッカーサーらのことをイヤでこの野郎と思っており「家をかえせ」と言った事もあるほど、強い敵愾心を抱いたまま硬い表情で米軍兵士と接していました。

米軍兵士らは困ったのか「笑え」と霧生氏に命令し、それでも霧生氏は媚びないので「おれ等は悪くない、東条英機文句言え」と責任転嫁したあげく、霧生氏に毎日コーヒーやらチョコやらを献上しにきたそうです。霧生氏は美人だったので、マッカーサーらには下心があったんでしょう(笑)

まぁ、マッカーサーも周りに連合国の高官らの目があるなかであまり無理もできなかったようで霧生氏がマッカーサー毒牙にかかることはありませんでした。

よかったですね。

※出典 USArmyInJapan A Japanese lady who worked for GEN MacArthur

https://www.youtube.com/watch?v=0RqsjRRkUpQ

https://www.youtube.com/watch?v=Cvh6uW0Yxek

山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史新潮文庫

鼻の下を伸ばしただらしないいやらしい顔で、女性従軍記者マーガレット・ヒギンズ女史に不必要なほど接近し、その右手でヒギンズ女史の腰を弄るマッカーサー

現在で例えれば、自衛隊司令官女子アナにこんなことしてればどうなるか火を見るより明らかなように、典型的セクハラですね(笑)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184777592

2022-07-10

anond:20220709222318

羽生ってネイチャー何本持ってるの?

少将棋が強いってだけでネイチャーは1本も持ってないんじゃない?

せめて1本以上持ってる人を連れてきてよ

サイエンスでもいいよ

2022-04-12

マリウポリ第36海軍旅団からの、最期メッセージ

2022年4月11日・現地時間の朝(日本との時差6時間)に公開されたもの

https://novynarnia.com/2022/04/11/dali-vrukopashnu-u-36/

親愛なるウクライナの人々へ。

私たちは、ミカイロ・ビリンスキー少将にちなんで名付けられた第36海兵隊です。2014年に宣誓を裏切ることなく、クリミアを離れ、尊厳を持ってウクライナを守るという任務遂行し続けました。

戦争が始まってから47日間、マリウポリを守ってきました。私たち飛行機から爆撃され、大砲戦車、その他の銃器から発砲されました。私たち尊厳をもって身を守り、不可能なことを成し遂げました。ただし、補給が不足しています

戦闘中私たちは50,122の砲弾20地雷、そしていくつかの「飛び地」と「スターリン」と「スターリンク」を与えられました-ありがとうイーロン・マスクスターリンクは多くの空爆に耐え、今も動いています

これ以外には、私たちは他に何も与えられませんでした。

弾薬がなければ、防御することができず、私たちは徐々に敵に押し込まれ、囲まれ、そして今破壊されようとしています

防御を強化し、継続するために、旅団突破口を開いて彼らの軍隊と合流するという選択肢がありました。それについてOTUVostokに報告し、彼らは計画運用を開始しました。SodolとDelyatytskyは何かをしようとしましたが、彼らの上級スタッフはそれを変更しました。私たちはそれについて報告しましたが、彼らは「待ってください、私たちは働いています」と言いました。最高司令官ヘリコプター派遣約束されましたが到着せず、包囲を突破することを約束してくれましたが果たされませんでした。

1か月以上の間、海兵隊弾薬の補充なしで、食物なしで、水なしで戦いました。水たまりから水をすすり、そしてパックで死にました。旅団のほぼ半分は負傷者です。手足が引き裂かれておらず、歩くことができる人は任務に戻ります。すべての歩兵が殺され、大砲対空砲手、連絡係、運転手料理人が、楽団員ですら戦闘に参加しました。

だんだん終わりが近づいています

弾薬が残っていないので、今日はおそらく最後の戦いになるでしょう――白兵戦の後の死、あるいは捕虜

親愛なるウクライナの人々。 次に何が起こるかわかりませんが、海兵隊員のことを優しい言葉で覚えておいてください。そして、物事がどのように展開しても、海兵隊悪口を言わないでください。

彼らは可能なことと不可能なことをすべて行いました。

なぜなら、私たちは常に忠実だからです!

追記アゾフ連隊と合流できた模様、良かった! 

https://www.ukrinform.jp/rubric-ato/3456317-mariupori-fang-wei-zhan-can-jianoazofu-lian-duito-dihai-bing-lu-tuanga-he-liu.html

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