はてなキーワード: 喪女とは
親戚友達の結婚ラッシュでそろそろ親からの結婚したら?攻撃が心に痛い。
普通の事務職だし職場に未婚若男なんていねーよ。男なんてハゲた子持ち上司くらい。
これまで恋愛自体一回もしたことのないゴリゴリの喪女がいろんな段階すっ飛ばして結婚できると思うか?思わない。
入会金、1ヶ月の会費、提出書類や見合い写真の準備金でトータル8万円!高!
恋愛弱者はこんなクソビジネスの餌食にならないとダメなんだなあ、と悲しくなって帰ってきた……。
あとコンシェルジュがめちゃくちゃ積極的な人だったので怖くてやめた。
スマホひとつで完結し、無料。出会い系よりはきれい目なサイトできちんとしてそう。
そう思ってたのに…。
20歳以上も年上のおっさんからヤリモクメッセめちゃくちゃくる。セックスするとしても見るからに不潔なお前とはしないよ…。画質の荒い写メでも汚い歯とベトベトの頭バレてるぞ。
年齢が近い三人の男と会えた。
そこそこ良さげな顔の男と、タヌキ顔の男と、らくだみたいな顔の冴えない男。
最初に会ったのはタヌキ顔。プロフに甘いの苦手で中華が好きって書いたのにパンケーキの店とクソ高いフレンチ予約されてたのでやばさを感じで店に行く前に趣味でもあるごりごりのスプラッタ映画を見た。
ちょっと顔面蒼白だったのは申し訳なかったかな。奢られるのも嫌だったので普通に割り勘した。フレンチは高いくせに味もあんまりで量も少なくて残念。割り勘で一人一万円払って終わった。
次はらくだ顔。冴えないし安い店なのにやたら奢ろうとしてくる(全力で阻止したけど)ので変だなと思ってたら「この後あってほしい人がいる」って言われて着いていったら複数人でアム●ェイに勧誘された。
正直エロ本みたいな展開になるよりも怖いと思う。いやそんな目にあったことないけど。そいつとは一回会ったあと勧誘メッセージ攻撃食らったのでブロックして終了した。
最後はなんか良さげな顔の男。映画の好みがほぼ一緒だった。甘いラブコメが嫌いなのも同じで親近感があった。
ただ、映画の好みがほぼ同じなだけで全く同じじゃないのが辛かった。特筆することもなく普通にいい人だったけどお互い仕事に没頭しすぎて4~5回会って映画を観て自然消滅してしまった。
思えば学生時代も言い寄ってくるのはギャンブル借金男や整形したら付き合ってやる発言してきた韓国男とかそんなんばっかりだったし多分男ガチャ運が悪すぎる。
無料には懲りたので今はとりあえず有料のネット婚活に入会している。
紹介された男はオンラインマッチングの制限時間半分くらいのところで通話を切って、戻ってこなかった。写真見てるとは思うがまあこんなデブスが動画になったら見るに耐えなかったんだろうな。
やっぱ前時代的なお見合いのシステムって恋愛弱者にはめちゃくちゃ有能なシステムだったんだよな。我慢してれば既婚者のステータスが得られるわけだし。
絶対いらない!!と断固たる意思があるわけでもなく絶対ほしい!という気も努力する!という気も特にない
無
何も考えてないから何も起こらない
何ということはなく非モテのみんなと同じ
ますます「嘘松」「そんなイキモノがいるわけがない」とか言われる存在になっていく
きっと10年後も同じなんだろう
けどでもわかんないよな。
実家がちょっと太くて教育に金を惜しまないタイプだったので早慶上智を出た。
自分の他に姉妹いるが、自分と同じ中高なんだが色々あって引きこもりからの自殺チャレンジ(幸い未遂で終わった)とかやるような環境ではあった。余談だがその後何とか立ち直って今では既婚で子どももいる。嘘みたいな本当の話。誰かの希望になるかしらん。
現在三十代半ば、本気で子どもが欲しいならとにかく婚活で数打てとか言われるお年頃。子どもは欲しい。かわいい。面白い。
でも恋人とか伴侶とかができる気がしない。
言いたかないんだが、自己評価が低いのに変にIQだけ高いタイプの人間なので、大学出てからこっち「こんな私にさえできる/わかることができない/わかんないのかー」という失望と「アレがわからない/できないくせにそうやってイジりにくるのかーノッてやんないと面倒なことになる奴やなー」みたいなうんざり感を周囲の人間に抱くことに慣れすぎていて、恋人とか伴侶とか職場関係で作れる気がしない。言わんや婚活をや。容姿も良くないのに、それ以前の問題。
本当大学時代に恋人くらい作っとくべきだったのかね。勉強楽しすぎてド受身だったので当たり前に独りだったが。後悔はしてないしやり直せたとしても同じド受身ルート辿るのは目に見えてるんだが。
大学時代のバイトは塾とかは普通に全落ちして単発の試験監督とかでちまちま経験積んだあと卒業間際くらいにちっさい飲食に受かった。そこであまりにも仕事ができないというか、マルチタスクできないぶりが発覚。四苦八苦しつつ自分ハックの工夫スキルを模索するようになる。
ガールズバー?受けてないけど(当時そんなんなかった気もする)多分受からんし怖すぎるわ。絶対容姿コンプでズタボロにされて人格ひん曲がって終わる。実家が太くて本当に良かった。
卒業は2009年、リーマンショックの終わり頃くらい?始まりの頃だっけ?少なくともリーマンのせいにするにはちょっと無理のある時期で、普通に百何ヶ所くらい受けて一ヶ所しか受からなかった。いや、女性でもバリバリやりたいですみたいなこと言ったら「ウチは女は営業補助」とか言うんでこっちからお断りしたとかそういうのもあったけど。
その一ヶ所に十年勤めて、身体壊すレベルでいろいろ仕事したけど身体壊したせいで勤怠がガタつきはじめ、それを理由に昇進が一切なかったので付き合いきれなくなって転職した。
今の会社は小さめベンチャー、年齢的にあと2、3年で課長代理かなーとか言われたけどまあリップサービスだなみたいな状況。ガツガツやらしてもらってるのはありがたい。ただそろそろ電話番を他の人に代わって欲しい。男の子入ったやんワイより年下のが。そっちにやらせなよ。経験積まなきゃできるようにならないよ。
ときどき考える。男だったら実家継いで医者になっていたりしたんだろうか。少なくともそのプレッシャーは今の比ではなかったはずだ。
女で、諦められていたので、逆に自由にやれた。そういうところはあった。
そういう意味では女で良かった。自由、自由が一番だ。人から強制されるのは大嫌いだ。気が向かないとうまくやれないから。うまくやれないとみんな嫌な顔をする。
しかしじゃあ女で文句は全然ないか?そんなわけあるかい。少なくとも電話番は他の誰かにやらせるか電話番手当をつけろと思っているし、ワシよりデキないITエンジニアのキミは先方の要望表とシステムの仕様をガッツリ頭に叩きこんでワシと同レベルの聞き取りメモを作れるようになってから人をイジりはじめたまえよ。不愉快だよ。「不愉快だ」というのを態度に出すと「その言い方はやめた方がいい」とか言い出すのも何とかならんのかね上司殿。愛想良くしないでいる自由、ただ真顔でいる自由ってのはワシにはないのかね?
この、沼とか田んぼの泥の中を、ぬっちゃぬっちゃと力尽くで歩いてるような。毎日積もっていく徒労感。
そんなわけなかろうな。人には人の地獄があるというやつだ。
どこかの世界線で男として生まれたわたしはどうしているんだろう。
私が5歳になる頃には完全に家庭は崩壊していて、父には複数の愛人がいたし、母も家庭の外に恋人がいた。俗にいう仮面夫婦というやつである。そんな環境で暮らしているうちに、私は人が人を愛するということが分からなくなってしまい、何度か男性と交際をするもうっすらとした男性への嫌悪感から関係を進展させることができずに破局を繰り返し、気づけば大学を卒業。25歳になっていた。
この頃私は精神的に非常に不安定になっており、さらにコロナウイルスによる自粛・一人暮らしで自分の精神の安定を保てなくなっていた。そんな矢先に「話し相手が欲しいだけならこれをやれ」と勧められたのが、ヤリモクアプリと名高いTinderだった。不安定な時とは何にでもすがりたくなってしまうもので、23年ものの男嫌いのくせにまんまと登録してしまったのである。
数ラリー続けばセックスの打診が来てしまう猿の惑星であったが、そんな中にも普通にチャットができる相手はいるもので。ひとりの奇特な男性とたわいもない趣味の話をだらだらと続ける日々が続いた。
2週間ほどやりとりが続いたある日、Tinderをやめるのでラインを交換しようと彼から提案があった。自分のネットリテラシー的にはNGな提案だったのだが、彼とのやりとりができなくなる方が悲しいと思い、提案を承諾した。
それからも毎日何を食べたとか、今日はどこに行ったとか、そんな日常を報告し合うやりとりが続いた。
不思議なことに、これだけ今まで男性に対して不信感を持って接してきたというのに彼とのやりとりは嫌な感じを持つこともなく、むしろ返信が遅いと心配になってしまうくらいに自分にとって必要なものになっていた。顔も見たことがない、本当の名前も知らない相手に対して、人生で初めて人を好きという感覚を覚えていた。
ある日、電話で「あなたのことが好きだと思う」と伝えた。彼は「嬉しい」と言った。そして「自分のことを知ってほしいから顔を見せるよ」と言うので、「顔が悪くても好きだし、良ければもっと好きになってしまうから送らなくていい」と拒否したのだが、数分後に画像が送られてきて、そこで初めて彼の顔を見た。本名も知った。
それから数週間して、一世一代の決心で彼と初めて対面し、間も無く交際に発展した。過去の恋愛経験を聞かれた流れで、男性が苦手であることや好きな人と付き合うのは初めてで勝手がわからないこと、これまで男性経験もないことを伝えた。
彼はキスの仕方もわからない私を馬鹿にすることもなく、ゆっくりとスキンシップを教えてくれた。キスをすることが好きになった。
キスやハグと違って、体に触れられるのはかなり受け入れ難かった。胸を触られるのすら恥ずかしくて何度も拒んで、一晩かけて慣らされた。よくあんな面倒なことを根気強く続けてくれたと思う。
そうやって何度もチャレンジして初めて彼とセックスをした時、僅かな痛みと、びっくりするほどの幸福感があって、本当に素敵な人と出会えて、抱いてもらえてよかったなあと心の底から思った。暇つぶしで始めたことから、こんな出会いもあるものなのだなあとしみじみ感じた。
そこから1ヶ月ほどでまた二転三転この男性とは色々あったが、現在も交際は続いている。
交際経験が浅いために迷惑をかけることもあるけれど、それも彼はできうる限りで私を受け止めようとしてくれるので頭が上がらない。
自分が辛い思いをしたので、一生結婚はしないし、子供も作らないと決めていたけど、今は彼との子供が欲しいなあなんて考えたりもする。他人のことを愛してるなんて一生分からないと思っていたけど、彼に触れている時に感じる暖かさとか、彼のことを思い出すたびにこみ上げる愛しさとが、そういうの全部が愛なのかなと思う。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 97 | 11396 | 117.5 | 30 |
01 | 41 | 6600 | 161.0 | 57 |
02 | 30 | 11505 | 383.5 | 115 |
03 | 23 | 4723 | 205.3 | 178 |
04 | 24 | 2415 | 100.6 | 62.5 |
05 | 31 | 4473 | 144.3 | 48 |
06 | 38 | 4457 | 117.3 | 49.5 |
07 | 67 | 11410 | 170.3 | 61 |
08 | 114 | 9240 | 81.1 | 43 |
09 | 208 | 26353 | 126.7 | 45 |
10 | 284 | 28992 | 102.1 | 49 |
11 | 207 | 27375 | 132.2 | 41 |
12 | 198 | 18530 | 93.6 | 37 |
13 | 166 | 21786 | 131.2 | 46 |
14 | 198 | 24505 | 123.8 | 44.5 |
15 | 180 | 17606 | 97.8 | 43 |
16 | 136 | 17545 | 129.0 | 44 |
17 | 190 | 19578 | 103.0 | 38 |
18 | 226 | 16364 | 72.4 | 36.5 |
19 | 142 | 16491 | 116.1 | 49 |
20 | 164 | 20662 | 126.0 | 39 |
21 | 207 | 17260 | 83.4 | 40 |
22 | 179 | 19431 | 108.6 | 35 |
23 | 123 | 17420 | 141.6 | 49 |
1日 | 3273 | 376117 | 114.9 | 43 |
やるせなす(7), ヨロッパ(6), マリエ(35), 出川(40), バス会社(14), 都営バス(5), コンボイ(4), 紳助(20), 路線バス(14), 電動車いす(3), 夏子(4), 弱者男性(156), 車椅子(22), あてがえ(33), バス(50), JR(20), 包装(18), 下方婚(41), 進撃の巨人(10), 降りる(14), 運転手(11), 痴漢(59), 強者(41), 男女平等(19), 乗り(17), 弱者(72), 路線(14), 障害者(33), 婚活(28), 電車(51), 孤独(18), 乗る(18), 駅(24)
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女増田さんにシンプルな疑問なんだけど、こういうのは果たして楽しい時間なんだろうか。金を出さないならスネ夫とは遊ばないみたいなの人間関係に見えてしまう。それはお金を出しても出さなくても、一緒にいたくない人じゃないのか……とか。でもそれをやっていくのが大人なんだろうか。とか。喪女だから思うわけです
アッハイこれ! これ!!!!!!!! 毎度提案してはいっつもスルーされるこれ!!!!!!
子供作らない結婚いかがっすか弱者男性の皆さん! 産休も育休も必要ないので一生DINKSできます! 収入が低くても子育てに金かからないので心配ありません!
家事がヘタクソでも子供がいなきゃ喧嘩になりづらいです(でもちゃんと分担はしましょう)! 育児ノイローゼや産後クライシスに脅かされずに済みます! お互いの趣味を子育てで制限する必要もありません!
自分が不細工だろうがブスだろうが無能だろうが遺伝する病気があろうが子供に遺伝する心配もしなくてOK!
もしお試し感覚で結婚してみてうまくいかなくても子供がいなきゃ離婚は簡単! 親権とか養育費とか面会交流とかでドロドロしない!
一人口で食えなくとも二人口なら食える! 三人に増えると一人口より食えなくて詰む! だから結婚にはカネがいる! でも子供作らなきゃそこまでカネいらない!
子供作らない結婚いかがっすか弱者男性の皆さん!! 一生子供作らずDINKSできる保証があれば結婚しても良いかなって思ってるサイレントマイノリティの喪女いますよ!!!!
多少ブスでズボラで歳がいっててもあなたのことだけ見て一緒の部屋でダラダラゲームしたり漫画読んだりしながらずっとそばにいてくれる女ならそれでよくないですか??? ダメ?????????
プログラミングスクールは良くないって話が多いので、人それぞれだよねっていうのと、何もやらないよりは何かしらあるんじゃないかなっていうお話です。
フィクションのつもりで聞いてください。
私は地方で育ち、地元の女子中・女子高・駅弁大学を卒業し、地元のとあるテーマパークに就職しました。
比較的なんとなく生きてきたので、仕事って大変そうだからせめて面白そうな職場を選ぼう、くらいの気持ちでしたがすぐに辞めたくなりました。
toC接客、屋外での勤務、立ちっぱなし、友達と休みが合わない、覚える事が多い、職場が僻地、ダンサーチームの揉め事の仲裁、契約社員組みからの嫉妬、大学生組の惚れた腫れた、田舎特有の異様なゲストの図々しさ・馴れ馴れしさ、どれも好きじゃないやつでした。
まあゲストにイラつく事があっても、それはしょうがないと思ってます。仕事だから。
でもスタッフも、とにかく感情で生きてる人間が多すぎます。私よりずっと大人なのに。
華やかな表舞台とは裏腹に仕事はそこそこハードで、給料の水準も高いとは言えない環境のため、人の出入りが激しく、トラブルを起こしたり、恨み辛みを吐きながら辞めて行く人が多いのもメンタルにきました。
最初に威勢のいい人ほどすぐ腹を立てて辞めていくので、個人的に警戒して距離をとるようにしていました。
理想と現実のギャップが大きいからなのか、彼らの自己評価が高いからなのかわかりませんが、もしかしたら私のように、ドライに仕事はしんどいものだと思ってる方が、色々受け入れられるのかもしれません。
そんなこんなで2年ほど勤めましたが、最後まで職場にも業務にも慣れる事もなく、花形着ぐるみのポジションが空いた事によるダンサーチームの派閥争いの激化に伴って私の神経も擦り切れ、半ば衝動的に仕事を辞めてしまったのでした。
実家に住んでいたので、しばらくはニートしながら次に何をするか考える予定でした。
しかしそんな折、東京に住んでいる祖母が怪我をしてしまい、介護を要する状態になってしまいました。
私は昔から祖母が大好きだったので、喜んで同居と介護の役目を担うことにしました。
祖母とは小学校低学年くらいまで同居していた期間があり、その頃から私の唯一の理解者でした。
私が真面目で、冷めていて、興味を惹かれると他のことが目に入らなくなって、
自分のペースで物事を進めたくて、少し融通が効かずに周りの子達と馴染めなかった頃、
その事に両親はお手上げで「みんなと同じように」「普通に」「お願いだから」としか言わなかった頃、
「あなたはちょっとだけ人より心が大人なんだよ。それでいいんだよ。賢くて真面目なあなたが好きだよ。
でももし疲れたら、周りの子たちと同じくらいには、いい加減で、だらけて、失敗してもいいんだよ」
と、声をかけ、私が「もう大丈夫」と言うまで何十分でも抱っこしてくれた祖母。
祖母のその言葉と、帰ったら祖母が家にいるという安心感で、私は少しずつクラスメイト達と打ち解け、誰かに心を許したり、自分が失敗することも他の人が失敗することも許せるようになっていったのでした。
東京には別の親戚もいたのですが、ペーパードライバーで頻繁に祖母を病院に連れて行くのが難しかったり、仕事の都合だったりで他に候補者もいなかったので、私の立候補には関係者みな渡りに船という感じでした。
母に「おばあちゃんが好きってだけではできないよ。よくわかってないんじゃない?」とも言われたけど、私は祖母に関する事ならちゃんと理解したかったし、自分の想像が及んでいない事があるなら、それも知りたかった。
介護はまあ大変だったのですが、意外と祖母が元気で、怪我の経過も芳しく、家の中の生活においては一人で出来る事が多かったのもあり、私は徐々に暇になっていったのでした。
美術館や博物館が昔から好きで、最初は狂ったように行っていたのですが、お金もそんなにないし、周りに友達もいないので、やや時間を持て余すようになってしまいました。
そこで、一念発起して、噂に名高いエンジニアとやらになろうと思いたち、プログラミングスクールを探し始めました。
テーマパークで働いていた私からしたら、エアコンの効いた部屋で座って作業できて、toC接客をしなくてよくて、給料が高い(らしい)なんて夢の職業だと思っていたのです。
東京での普段は淡白ながら、楽しみ方の選択肢がとても多い生活も肌に合っていて、祖母の介護を終えても田舎には帰りたくなかったので、こっちで就職して帰らなくていい理由を作りたかった、というのもありました。
色々調べて、とあるオンラインがメインのプログラミングスクールに決めました。
祖母の家が都内とはいえ西の方で、交通費も出ないのに電車で都心に通うのは厳しかったのと、祖母の用事が最優先なので時間の都合がつけやすいようにと、グループでやる課題とかがきっと向いてないだろうなと思ったからです。
(今になって思えば、gitの実践的な使い方に慣れられるし、どうせ働き始めたらチームでやるんだから、グループ作業は経験しておくのをおすすめしたい)
ニート期間が短かかったので貯金があまり減っておらずなんとか料金を捻出できたのですが、貯金はなくなりました。
プログラミングスクールでは、まず卒業後どういう職種や働き方を希望するかを聞かれ、それにはどんなスキルが必要か説明を受けながらカリキュラムを決めていきました。
授業は、エンジニア経験のある人とskypeを使ってマンツーマンで、テキストを進めたり、課題をチェックしてもらったり、デバッグを手伝ってもらったり、わからないところを教えてもらったり、実際の開発現場の話を聞いたりしました。
私はなにせ女子校育ちだし、喪女だしで、女性の先生が良かったのですが、女性の先生は数が少ない上にみなさん大変な人気でなかなか予約が入れられませんでした。
平日の日中に授業を受けられるので、働きながらの人よりはずいぶん有利な立場にはあったはずなのですが、できれば同じ先生にずっと見てもらいたいと考えると、なかなか厳しい状況でした。
ですが、一人だけ比較的予定が空いている先生がいました。そう、後の彼女である。
彼女の予約が空いている理由は1回授業を受けたらすぐにわかりました。
早口だし、自分の言いたい事は最後まで言わないと気が済まないし、アイスブレイク下手くそだし、全然笑わないし、癖なのか10分に1回メガネを拭いてるし、説明が長いし、1回説明した事は完璧に理解するはずだと思ってるし、なんか顔が怒ってるし、なんか厳しくて答えをなかなか教えてくれないし。
顔は結構美人なのに、性格きつい人だなあというのが無遠慮な私がもった第一印象でした。
まあでも予約を続けてとれる女性の先生は他にいないし、私も生来かなり真面目な性分だし、授業が終わった時のやけに油断してホッとしてる顔がなんかちょっと可愛いし、実力をつけるには問題ないだろうという事で継続して予約を入れる事にしました。
しばらく授業を受ける事で、だんだんと彼女の態度は軟化していきました。
プログラムも楽しかったし、彼女については保護猫をだんだんと慣らしていくような面白さもありました。
授業は丁寧だし、彼女はフレームワークの細かい内部の挙動や、メソッドのオプションなんかにもかなり詳しく、それらの点では優秀な先生だったので、私の心からはいつしか懸念も不満も消えていました。
そんなある日、パソコンを買い換えたいと思っている話をしたら、意外にも彼女が付き合ってくれる事になりました。
(当時、なんか可愛いという理由で買った、やたらキーピッチのあるVAIOのノートパソコンで作業していたのですが、色々目が開いてきてMacに乗り換える事にしました)
買い物当日、MacとWindowsの違いから丁寧に教えてくれた彼女の私服はダサかったのですが、お礼も兼ねて新宿で居酒屋に行く事になりました。
主に、Windowsで使ってたツール類のMacでの代替品を教えてもらうつもりだったのですが、いつのまにか梅酒2杯で饒舌になった彼女の身の上話を色々と聞かせてもらっていました。
いい提案ができるように新しい技術を家でもたくさん勉強したこと、
いいシステムを作る為にプロジェクトの良くない点はきちんと指摘したこと、
それらを煙たがられて注意を受けたこと、
「女のくせに」って言われたこと、
自分が席を外したタイミングで夕会が行われるようになったこと、
「プロパー+αの人だけの飲み会」にチームの中で自分だけ呼ばれてなかったこと、
社内で待機している時、営業に「女でこんなに売れないのお前だけ」って言われたこと、
新卒もどんどん現場に出ていくのに自分は次のプロジェクトが決まらなかったこと、
「とにかく人が足りないから大歓迎です」って言われた案件でもチームの中で1番最初に退場になったこと、
業界が向いてないのは身に染みてわかったけどプログラミングが好きで今の職についたこと、
授業のリピート率の低さに会社からいつも小言をもらっていること、
SESが辛くて辞めたのに、多くの人が卒業後SESに行くプログラミングスクールの先生をしているということ、
自分のやってる事が人の為になっているのか信じきれていないこと、
SES以外の社内SEとかで転職を考えたけどどこにも受からないこと、
昔から人付き合いが苦手なこと、
親戚のおじさんに一人すごく嫌な人がいること、
成績は悪いが愛嬌のある弟ばかり親が可愛がること、
「いや、まだそんな重い話を聞く関係じゃないですよw」って途中まではいつ言おうかタイミングを見計ってたけど、とうとう言えずに最後まで聞いてしまった。
気がついたら私は泣いていました。それは気持ちがわかってしまったから。
小学2年の春、誰かに一緒に帰ろうと誘われるまで教室で本を開いて待ち、みんな連れ立って帰ってしまいひとりぼっちになった後、仕方なく開いていた窓を閉め、カーテンを束ねていた、その風景を思い出してしまったから。
ああこの人は祖母に出会わなかった私なんだな、と、どうしようもなく理解してしまったから。
私が優秀だと彼女の評価もあがるかもしれないと思って余計にがんばり、無事卒業を迎える事になりました。
プログラミングスクールの卒業生の主な就職先はSESです。(今はわからないけど)
SESについて彼女に色々聞いていたので、客先企業に常駐して、多重下請け上等で、使い捨てで、人売りと呼ばれていて、残業が多くて、無理なスケジュールを押し付けられて、仕様変更が頻発して、現場では肩身が狭くて、theITドカタっていうのは知っていました。(今はわからないけど)
でも私はなんでも知りたかった。彼女のことをもっと知る為に、SESについて身を以て知るつもりでした。
同じ時期に卒業を迎えた人の中には、断固SESを拒否する人も何人かいました。
下請けじゃなくて上流工程ができて経営が安定していてまったり働ける社内SEか、自由で先進的でフットワークが軽くて自社サービスのあるベンチャーがいいのだと。
いやいやいやと、社内SEがそんなにいいものなら、学業が優秀だった人か、SESで優秀だった人から順番に行くでしょうと、
ベンチャーがそんなにいいところなら、すごく優秀な人たちの少数精鋭なんでしょうと。
課題でサンプルのプログラムをいくつか作っただけの私たちがどうしてそんなとこにいけるでしょうかと。
修行のつもりでありがたく、いろんな現場や業界で実戦経験積めよと、1行でも多く実務でコード書けよと、色んなプロジェクトのドキュメントとかプロジェクトマネジメント見て勉強しろよと、SESでもないと逆にそんな機会も無いぞと、そんなことを思っていました。
私の就職先は、2回面接をしただけで、スクール推薦のSESの会社にあっさり決まりました。
祖母は、私が平日フルタイムで働いても差し支えない程度まで回復していました。
彼女とは頻繁に連絡をとったり、遊びにいく友人の間柄になりました。
しかし、実際SESで働いてみると、覚悟していたような環境とは少し違いました。
基本的に自社のリーダーとしか話さない(プロパーが直接メンバーに指示を出すのはダメらしい)し、スケジュール変更や仕様変更もちょこちょこあるけど、その分の残業代もちゃんと出るし、なんだか全体的にいいところでした。(テーマパークと比較するとなおのこと)
彼女が最初に働いた企業が、現場が、時代が、運が、悪かったのだとわかりました。
でも、「あなたのおかげでエンジニアになれて、人生が変わって、嬉しいよ」って、彼女に伝える事はできました。
数年はそのまま穏やかに、繁忙期には激しく、時が流れていきました。
祖母の怪我は完治し、私はそこそこのスキルを身に付け、転職と引越しを検討し初めていた頃でした。
そんなある日彼女から東京を離れるつもりだという連絡が入りました。
彼女は私の卒業後もスクールで先生をしていたのですが、それがあまりうまくいっておらず、だんだんと稼働が下がり、収入も下がり、公共料金や生活費も滞納しかかっているような状況だったそうです。
そして、そのことが親御さんに伝わり、帰ってくるように言われたそうです。
私は彼女の唯一の理解者だったので、私が彼女を幸せにしようと思いました。
彼女に引越し先でのルームシェアと、当面の生活費の負担と、その代わり家事をしてもらう事を提案しました。
しかし問題はお金です。彼女はお金がぜーんぜんないし、私も引越し料金(2人分)とルームシェアできる物件(2LDK以上)の敷金礼金・初期費用を払うのは苦しい状況でした。(実家とかに頼ると、生活できないならこっちに戻ってこいと言われてしまう)
折り悪くコロナの影響が、転職市場や私の現職の稼働に影を落とし始め、「やっぱり私実家に帰るよ」などと彼女が言い出して、これはいよいよヤバイなと思い始めた頃、
事態は急転して、なんとお金問題と転職問題が唐突に片付きます。
みなさまPayCareerさんをご存知でしょうか。企業と面談するごとに3万円もらえる転職サイトです。
そこで数件のスカウトが届き、多額の臨時収入を得られ、トントンと内定を複数頂く事ができました。
みなさま是非PayCareerをお使いください。求職者に寄り添うお心をお持ちの採用担当者のみなさまも是非PayCareerをお使いください。
その後物件探しにも散々苦労するのですがなんとか新居が決まり、私たちはルームシェアを始めることができました。
ある土曜日の晩、ブラックスワンという映画がどんな内容かをよく知らずに、なんともなしに見ていた私と彼女の関係は、日曜日の未明に友人から恋人に変わりました。
私は女子校だったので、女性同士でお付き合いしている人たちを長く近くで見ていた事、彼女は過去の経験から男性に恐怖心を抱いてしまうこと、ここ数年似たもの同士の2人がお互いを助けあって生きてきた事、要因はいくつもあったと思います。
多分お互い、本当のところは男性の事が苦手ないしよくわかっていないだけで、もしかしたら男性と付き合おうと思えば付き合えるのかもしれませんが、この上なく安心できて、優しさを掛け値なしに注ぎあえるパートナーを得られた時、それは問題になりませんでした。
人の寝言って今まで聞く機会がなかったのですが、彼女はすごいはっきりと寝言で喋るので驚いています。
私は転職する時に、自社サービスを持っていて、担当者の裁量で業務委託の採用や発注ができる企業を探していました。
当たり前っちゃ当たり前だけど女性向けエッセイ漫画なんてほとんどの男性は見ないよ
理解のある彼くんの話がちょくちょく出てくるのはそれこそ増田とかだよ
「私はコミュ障喪女だ」と言っていかに自分が社会に溶け込めなかったか自分語りを始めるのに、なぜか途中で元カレが登場したり、今は結婚してますがとか言ったりするケースが頻出したので
「やっぱ男女では全く感覚違うんだな」ということになった
その後誰かの漫画がバズったのかどうかしらんけど、そうだとしても「やっぱり他の女性もそうなんだな」と再確認する材料になっただけだろう
まさかその自分を喪女だと思ってた増田たちはみんなハイスペックだったというわけ?本人の独白以外に判断材料ないけど
ワイちゃんとフェミニズムの勉強とかしてない(そういう本も一冊も読んだことない)し、オタクの喪女だからネットの女叩きに対してしょっちゅうここに書けないような事すっごい思って怨念溜め込んだりしてるんでクソでええんよ。
でも「弱者男性」って大きなかたまりに対して、「男性全員」にするのと同じように、その怨念ぶつけちゃいけないって決めたんよ。
一番思うのは「〇〇歳KKOだけど結婚して子供欲しいさみしい」とかの意見に対してちょっと前まで「こっちは25歳くらい超えた女とかブスに対して散々BBAとか産廃とか惨事はゴミとか言われまくって諦めの境地通り越してるんですけどオオン? そんな年齢で今更何言ってんの君?」みたいな怨念めっちゃあったけどこれはやめようって。そういうの実際言ってきた奴だけに死ねゴミって言わなきゃダメで、そうでない人に言うのはただのやつあたりだなって。そこはその人の「つらい」ってお気持ちだけ汲み取って「せやな」って返せば十分なんやろなって。
あと「少子化と男性の苦しみは女のせいなので女が(を)こうすれば良い」みたいなクソ文がはてブでメラメラに燃えてんの見るとついカーッとなって「なんだァ? テメェ…」ってやりたくなってたけど、今回のさまざまのホッテントリを見て「あれは弱者男性の本流の主張として書かれたものではない、極めて一部の過激な意見である。弱者男性の苦しみを解決するために書かれたものでもない。むしろ逆」という事がわかった。これは本当に個人的に大きくて、「弱者男性への救いとは、具体的に何か」を書いた増田の人には個人的にすごくお礼言いたい。
「ふつう」の道を歩いていきたい。
具体的に言うと、家族関係が良好な幼少期を過ごし、中学高校は部活に明け暮れ、初めての恋人ができ、それなりの偏差値の大学に入り、後に結婚することになる恋人ができ、それなりの安定した企業に入り、30歳までに結婚と出産がしたい。
私の場合はどうだったか。 父はマルチ商法にどっぷり浸かり数百万円の借金をこさえたまま自殺、運動が嫌いだったので部活に明け暮れることもなく、その上アホ大学に入学することとなった。
努力でなんとかすることを覚えたのが20歳を過ぎてからのことだった。 21歳で死ぬほど就活を頑張りメガバンクから内定をいただき、22歳で男性と全く縁のなかった喪女の私は、ホステスになり男慣れすることで初めての恋人もゲットした。
これで「ふつうの人」に近づいたと思えて、すごく嬉しかった。 ふつうの人=幸せだと思い込んでいた。 新卒1年目、メガバンクでボコボコにいじめられた。
「ふつうの人は3年は会社に勤めるのが当たり前」と思い込んで耐えた。
当時の彼氏は理解のある彼くん的な感じではなかったため「辞めるなよ」と念を押された。
でも彼らは、確実に私より幸せそうに見える。
ずっと怖くて言えなかったけど、私が本当にやりたいことはデザインだった。
人にわかりやすくきれいに物事を伝えられるデザインが好きだった。
高校も大学もデザイン科を受けたかった。 でもそんなのふつうじゃないし安定した道を選びたかった。
実務も知識もない中で、デザイナーを目指すことはできるだろうか。かなり難しいと思う。
2回目の就活をした。かなり頑張った。 未経験者を雇ってくれるところは無かった。 だから、自分で作ったポートフォリオを持って、印刷会社や広告代理店の人事に営業をかけにいった。
その結果、ド田舎でのデザイナー採用が決まった。 家賃2万5千円、最寄りのコンビニまで徒歩30分のところに住んだ。 1年半修行したところで心身の限界が来て、うつ病になった。全く迷惑な社員だと思う。
退職して、地元に戻り3回目の就活をした。 地元のベンチャー企業がデザイナーとして採用してくれた。 色々あったけどデザイナーになれて良かったなあと思っている。