「バイアス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: バイアスとは

2015-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20150505110728

増田に書かれてるってだけで、どうせ釣りに違いないってバイアスめっちゃかかってるけどな

2015-05-05

増田でこそ真の物書きの実力が試される

アルファブロガー無名ブロガーもここでは等しく増田である

バイアスのかからない増田でのはてブ数こそがあなたの物書きとしての真の実力を示しているといえよう。

2015-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20150501205548

×最近の若者

普通の人は

昔だろうが今だろうが、PC弄れるやつなんて少数派じゃないかねえ

もしくは、見ているサンプルが違う

時代による母集団の変化というより、自分が関わっている人間に偏りがあるとか

たとえば、会社の業種や規模、採用基準等々で、新入社員バイアスがかかっている可能性

コミュ力優先の採用をした結果、PC方面研鑽に注力しなかった人間入社するようになるのは必然

2015-04-15

バイアスぅぅぅぅ

「機長が韓国籍であることを強調しすぎじゃないか?」というツイートと、

「機長が韓国籍であることを隠していないだろうか?」というツイートが並んでいた。

からなんだって話だけど。

2015-04-06

世界トップ10のビーチことフィリピンのパラウイ島に行ってきた前編

旅行記兼、これから旅行する可能性がある人向けアドバイス集。

超長文に付き、最初に結論を書いておく。

・あまり1人旅には向かない。4人くらいで行くべし。 飯の選択肢コスパが圧倒的に変わる。 1人で食べれるような飯は基本不味い。フィリピンクオリティ

・かかる金額としてはマニラから4人で二泊三日で行く場合貧乏旅行場合に移動費等全部混みで一人あたり最大1万ペソ程度(3万円弱)、ある程度宿や飯にお金を使う場合でも2万ペソ前後(6万円弱)を見ておけばOK。

・旅のコスパフィリピンの中でも上のほう。ただし、時間効率は並程度。 もしも乾季中に三連休があれば是非行って欲しい。

トップ10に選ばれただけあって景色の美しさは保証出来る。 が、ダイビングシュノーケルが主目的だったらもっと良いお手軽な島が比国内に多々あるのでそちらへ。

・2015年4月現在、混雑は全く心配しなくて良い。 

ネット環境は思ったよりずっとずっと良い。SmartPocket wi-fiを持って行こう。 なお市街地、北端の港近く、パラウイ島の主要地 どこでも電話が通じる。

タガログ語は問題なく通じる。 英語もまぁ田舎の割に思ってたよりは多くの人に通じる。

・港近くの中華リゾートの中にCityBankのATMアリ。 MEGALINK対応カードであればBDO等他銀行のカードでも現金を下ろす事が可能  *1 

筆者スペック

2009年末からメトロマニラに住み始めたアラサー男性。 日本に行ったり帰ったりもあってフィリピン滞在歴は合計4年弱。

12歳時にタイプーケットダイビング免許取得。モルディブパラオ沖縄サイパン、ロタ 等世界各国の海に加え、 エルニドやボホール、パラワン等フィリピンリゾートを多々経験しており海やビーチに対して目は肥えている・・・つもりだが、欧米に行ったことがない。 *2

序文  パラウイ島とは?


2013年5月にCNNが世界トップ100ビーチを発表した。(下記日本語記事は7月の日付)

今年こそ行きたい、世界の厳選ビーチ100

http://www.cnn.co.jp/travel/35033711.html


この結果が在比邦人(フィリピン在住の日本人)の一部界隈で密かに話題になった。

他にフィリピンからランクインしたボラカイやエルニドは在比邦人にとって非常に有名である

また海外ではあるが、19位に入ったタイピピ島なんかも レオナルド・ディカプリオ主演の映画ザ・ビーチ」の舞台になったので知ってる人は知ってるだろう。

しかし、このランキングアジアで唯一トップ10に入ったパラウイ島は旅好きな日本人の誰もが知らなかったのである。(なおCNNはアメリカ放送局なので、ランキング欧米系のバイアスがかかり上位に大西洋地中海近辺のビーチが多くなるのは納得行く。)

さらに日本人の間だけではなかった。 なんと各々の職場の同僚のフィリピン人に聞いても誰も知らなかったのだ。 

果たして一体どんな島なんだろうとずっと恋焦がれていた。

それから約2年弱、情報を集めようやく先日行くことが出来た。

パラウイ島についてはネットにおける日本語における情報が完全に不足しており、9割が英語の情報、1割が中国語及びタガログ語である

おそらくだが行ったことがある日本人は私を除いて2,3人しかいないのではないだろうか。 *3

更にいうとトリップアドバイザーやGoogleMap等における近辺のレストランや宿についてのレビュー情報も圧倒的に不足している。存在する情報はパラウイ島が観光地として素晴らしいということだけである

そんなわけで最近行った私が知っていること全てをアウトプットすることにした。 今回一人旅をしたことで色々な地雷も踏み抜いたし、世界一詳しい日本語でのパラウイ島旅行解説を目指している。

おそらくこの日記を見る人の中で実際にパラウイ島に行く人は1万人に1人以下、フィリピンに住んでいたとしても100人に1人というレベルの場所だが、将来パラウイ島に行く日本人の変わり者の君のために文を綴ろうと思う。

マイナー観光地かつ残念糞長文ゆえ、ブコメスターが集まるとはあまり思っていないが、願わくばグーグルで「パラウイ 行ってきた」と検索した時に1ページ目に出るようになることを切実に願っている。

アクセス 前半(マニラ→トゥゲゲラオ→バン乗り場)

初日にまずマニラからトゥゲガラオまで飛行機で移動することになる、基本的には。 *4 

セブパシフィック航空(セブパシ)とフィリピン航空(PAL)でマニラ発トゥゲガラオ行きがある。どうしてもPALが好きなんだ、という人でなければニノイ・アキノ国際空港(NAIA)のターミナル3(T3)を使えるセブパシを選ぼう。  *5 

チケットを取るタイミングプロモの有無にもよるが、11時15分発、12時15分着でだいたい2000ペソ弱(5000円くらい)  帰りは14時発、15時着で1000ペソ強(3000円くらい) +空港使用税などもろもろでチケット代は往復1万円前後と考えておこう。

なおマニラ発トゥゲガラオ行きの飛行機は左側の窓際の指定席個人的オススメ。 *6

飛行機の搭乗時間は1時間弱。 そこからバン乗り場まで移動する。

距離にして1キロ程度、歩いて15分程度だが、トゥゲガラオはフィリピン最高気温の記録がある街。

標高が低く周囲が山に囲まれている盆地のため、気候は暑くなりやすい。3月の平均気温は38℃であるフィリピンで記録された最高気温1912年4月29日のトゥゲガラオ市で42.2℃である

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B2%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%AA

日本で言う埼玉県熊谷岐阜県多治見のような内陸部の盆地に付き、3~5月の乾季の一番暑い時期の昼下がりは晴れてれば40度近く軽く行く。

無謀に歩こうとせずに、是非トライシクル二輪車サイドカーが付いた三輪車風の乗り物。タイ等でいうトゥクトゥク)を利用することを勧めたい。

値段もたったの15ペソ(40円程度)なのでケチらないほうが良い。  *6

アクセス 後半 (トゥゲガラオバンのバン乗り場→サンタアナ→サンヴィンセンテポート

バン乗り場ではトゥゲガラオ発、サンタアナ行きのバンが30分~40分に1本出ている。 地元住民の需要もかなりあるらしくすぐに次の便が出る。 人数が揃い次第or次のバンが来次第出発な感じなので時刻表なんてものは勿論存在しない。

11人乗りのバンに15人とか16人とか詰め込まれ時間の行程を行くことになる。値段は行き帰りともに180ペソ(500円弱)

もし可能ならば1本遅らせても良いから助手席に座るべき。値段は同じなのにも関わらず後部座席とは快適さが全く違う。 特に帰りは前半右側に海の景色が見えて綺麗なので是非。

道はデコボコじゃなくて案外乗りやすい。あと窓を開けっ放しでスピード飛ばすので意外と暑くない。

サンタアナに付いたらバンの運転手さんにお願いして先端の先端のサンヴィンセンテポートまで行ってもらうように。(20ペソプラスしてチップを渡すと良いでしょう)

もしもサンタアナ市街地に降ろされてしまった場合トライシクルを捕まえて15ペソ程度で港まで行ける。 市街地から港まで4キロ以上あるので歩いて行こうと思わないように。 

先端の港では翌日のパラウイ島の入島許可証を買ったり、ボートの手配。 宿のチェックインより先にやってしまいたい。

パラウイ島のオススメ観光プランや値段については後編にて。

宿

旅における最重要ポイント。主に3種類。

基本着いて翌日の朝6時に港集合なので、徒歩で港まで行ける上二箇所が安全だと思う。

勿論もっと南のサンタアナ市街まで候補地を広げれば相当宿の数は多くなるが、早朝にもしトライシクルが捕まらないと詰む可能性があるのがちょっと怖い所。

・その1 バックパッカー向けゲストハウス

http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g2081111-d7009315-Reviews-EF_Costales_Lodge-Santa_Ana_Cagayan_Province_Cagayan_Valley_Region_Luzon.html

今回筆者が利用した格安宿。GoogleMapに載っていない、やばい。(同じような名前のCostales Lodgeもっと東のほうにあるが、そこではない)

しかもTripAdviserの地図もそこと間違ってる。

場所的には先端の港から1本道のDugo-San Vicenteロードをまっすぐ南下。 途中それなりに曲がりつつも道なりに進んで10分弱で見えてくる右側のガソリンスタンド(PETRON)の手前を右。 明らかに1本道で迷わない。

前述の通り港まで徒歩で10分程度。 朝は5時45分に宿を出れば6時の船に乗れる。

シャワーだが1泊800ペソ程度。 一番安い部屋だと二段ベッド×2なので4人で行けば1人あたり200ペソ(500円強)で泊まれる。

とにかく旅にお金を掛けたくない人向け。 夜の娯楽等については後編にて。

・その2 リッチに旅を楽しみたい人向け中華資本の立派なリゾート

Cagayan Holiday & Leisure Resort  北端の町の西側の海岸一体がリゾートな感じ。中華資本だが、普通に超綺麗だった。

港まで徒歩で15分程度。 先述の安宿よりやや南下するが、港までは十分徒歩圏内。

一番安い部屋で1泊3000ペソ前後(1万円弱)。コテージの中は見ていないが複数人で旅するならアリな選択肢だと思う。

なお、ホテルフロントのあんちゃん曰く、中国人が泊まるのは2割程度とのこと。

後編の飯の所でも書くが、北端港町でまともといえる料理があるのはこのリゾート敷地内(厳密には同じ資本でオーナーは違うらしい)にある中華料理レストラン1軒のみ。

筆者は貧乏旅かつ1人なので食べに行かなかったが、メニューを見たところお値段は普通にマニラ首都圏と変わらないくらいする。(おそらく1人1000ペソ前後行くのではないだろうか)   中華料理性質ゆえ、ここで食事するとき複数人で行くことを進めたい。

またこれは完全に未確定情報だが、おそらく リゾート所有の送迎のバンが存在する。 町を歩きまわっている時にリゾートの中に入っていくバンを何度か見たので。

ただそのバンが一体トゥゲガラオからなのかサンタアナなのかはわからなかった。 また、早朝や昼の港への送迎をやっているかどうかもわからなかった(≒聞くのを忘れた)

電話で予約した時に是非送迎について聞いてみて欲しい。

・その3 ビーチ派向け 浜辺のコテージがあるビーチリゾート

"世界一詳しい日本語でのパラウイ島旅行解説を目指している。"と最初に宣言しつつも、この項だけは非常に非常に信頼度が怪しいので眉唾ものとして聞いていただきたい。

だいたいが現地民の話を継ぎ接ぎで作り合わせた推論(及び自分が実際に訪れた場所の感想)なので、前者2つの選択肢に比べてハイリスクである。ご了承頂きたく。

まず、Anguib Beachという非常に綺麗なビーチが東のほうにある。実際に筆者は船で訪れた。

http://www.tripadvisor.com/ShowUserReviews-g2081111-d2277103-r128107194-Anguib_Beach-Santa_Ana_Cagayan_Province_Cagayan_Valley_Region_Luzon.html

ここにあるFirst Cagayan Leisure & Resortは浜にコテージがあるタイプのビーチリゾートで、1泊2300ペソ(6000円くらい)で泊まれる。

いかにもコテージといった感じの宿で、可も不可もなくといったところ。

また、ネットでの評価が高めのリゾートがさらに東側にある。

https://plus.google.com/102147166564377320070/about?hl=ja&gl=jp

ここには筆者は訪れていないので何も言えない。

これらビーチリゾートに於ける疑問点としては

1.おそらくリゾートから港はトライシクルで行けるような距離ではない。 バン等の交通機関が早朝からあるのだろうか。

2.リゾート所有の船が砂浜に何艘かあったが、もしかしたら港を使わずあの船を使ってそのままパラウイ島へ行って帰ってこれるかもしれない・・・・?

3.飯についての情報が完全に不明。 北端港町だと南へトライシクルで10分行けば市街地にそこそこ食べられる料理があるのだが、(市街地から離れている)リゾート場合リゾート内の料理が不味かったら逃げられない可能性が微レ存

普通に人が大勢泊まっている時点で船や車については大丈夫だとは思うのだが、是非電話で予約するときに確認して欲しい。

なお、パラウイ島自体にはホテルリゾート存在しないのでどうしても泊まりたければ砂浜にテントを張ってキャンプするか地元住民の掘っ立て小屋のようなところにホームステイすることになるらしい。

テントの貸出しサービスがAnguib Beachにあった。 アクティブな人は是非キャンプして見て欲しい。

⑤CNNの”ベスト・ビーチ100”に ボラカイ、エル・ニド、パラウィ 掲載日 5 31

  CNNは、ボラカイ島プカ・ビーチ、パラワン島エル・ニド、カガヤン州パラウィ島を世界でも最高のビーチにリストアップした。 中でもパラウィ島は第10位に

ランクされ、トップ10では唯一の東南アジアのビーチとされた。 白砂・溶岩・青緑の海水珊瑚礁に恵まれダイバー天国で”未開発の美”と絶賛する同島

には、アクセス開拓されず リゾートホテルも無いが、星空の下でのキャンプと民宿が素晴らしいとしている。

→ パラウィ島はルソン島北部のカガヤン州サンタアナ町にあり、バブヤン水道沖にある。 94年に国立海洋公園指定。 エル・ニドは 14位、プカ

ビーチは 84位。 観光省の統計では、1-4月の入国者は 165万人で、昨年から 10.12%増えている。

"リゾートホテルも無いが、星空の下でのキャンプと民宿が素晴らしい"

とあるので、タガログ語の交渉が得意な方は是非現地住民と交渉して、ホームステイトライして頂きたい。

飯や買い物、パラウイ島の素晴らしさ等は明日の後編に続く。

驚くことにここまで肝心のパラウイ島の旅行記について全く書いていない。 

*1  但し、20ペソ程度手数料がかかる

*2 いつか紅の豚に出てきたギリシャザキントス島のナヴァイオビーチ行ってみたいなぁ・・・

*3 なお、2年弱前の時点で相当探したが0人だったと私の中では確信している。CNNの結果を受けてようやく知ったという人ばかりだろう。

*4 帰り道に台風4号の影響もあって、トゥゲガラオからマニラまでバスで移動したが非常に大変だった。値段は700ペソで12時間程度かかる。 マニラ市内のバス停の位置も不便だしそこをお金ケチ必要は無いので行き帰り共に飛行機を使うのを強く強く推奨したい。

*5 使用する滑走路や当日の風向きにも寄るだろうが、晴れていればマカティ、ボニファシオ、オルティガス、ケソンシティあたりまで綺麗に上空の景色が見ることが出来るだろう。

*6 もしフィリピンについて全く詳しくない人がいたとしたらT3はめっちゃ便利でT1とT2は若干使いにくいと覚えておこう。極端な話だと中心地からの移動時間的にT3が羽田空港で、T1とT2が伊丹空港と関空を足して二で割ったくらいな感じ。

*7 なお、筆者は歩いた所汗だくになった。ただ辿り着いたバン乗り場でのレッドホースは最高に美味しかった。

2015-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20150401101121

それは名作バイアス という、一種の心理的錯覚だよ。

駄作は忘れられてしまうから、気がつかないだけ。

本当は、この世に駄作は5万とある

2015-03-29

最近思ったこと

最近まで男性女性の間には越えがたいギャップがあって(少なくとも)それぞれが考えていることをお互いに理解することは完全に不可能じゃないかと思っていた

最近この考えを少し改めた

まず考えるべきは性による考え方のギャップではなく(性を区別しない)個人間の考え方のギャップである

そもそも他人がなにをかんがえているかはたとえ親兄弟であっても完全に理解するのは不可能である

どこかの小説家何かに書いてあったが個人の一生は彗星みたいなもので他の彗星と交わる(すなわち他人の事が完全に理解できる)確率は限りなく0に近いだろう

さてこの考えを男女間に導入すると

    ある男性とある女性思考差=個人の思考差+性別による思考差 ...(1) 

に分けることができるだろう

ここでさらに「性別による思考差」を詳しく見てみることにする

性別による思考差」とはいったいなにかと考えると先天的もの後天的ものに分けられそうな気がする すなわち

    性別による思考差=物理的な男女の機能差に基づく違い(ホルモンバランス生理のありなしなど)+社会的ジェンダーバイアス ...(2)

地図が読めない女」のような例を持ち出すまでもなく前者の違いは確実にあるだろう

人間のように男女がペアとなって生活するような種族だと性別間で得意能力が違った方が生存には確率に有利なはずでそれにともなって脳の機能ことなるように進化してきたと思える

がこの機能差が男女間で越えられないような思考差を築くだろうか?

自分直観としては答えは「否」

例えば自分男性理屈っぽいことが好きだが(数学とか)仮に自分女性に生まれたとしてもこの趣向が変わるとは一切思えない

しかしながらこの直観現実に反しているように見える すなわち大学工学部をみてみると男子学生の数が圧倒的であり女子学生の数は1割にもみたないではないか

その通りである ではこの違いはどこから来ているのだろうか?

自分はこの違いの大多数は(2)の第二項である社会的ジェンダーバイアス」にもとづくものではないかと疑っている

まり女性は家庭的なことをやったほうが幸せになれる」「女性論理的ではない」といった世間常識(あるいは空気)によるある種の抑圧のため生来数学が好きであってもただ女性というだけでその趣向を意識的あるいは無意識的に変更させられているのではないだろうか

実際自分経験を顧みても高校までは例えば数学の成績にはそこまで男女差はなかったように思う

しか大学学部でその差が出てくるということは「将来の職業の選択」への第一歩である大学を選ぶにあたり上記のソーシャルバイアスが働いているんじゃないだろうか

日本よりも抑圧が低そうなアメリカだと学部の男女差はもうちょいましだと聞いたことがあることからソーシャルバイアス文化的背景によっても異なると考えられる(人種による差がないと仮定)

とここまで考えると男女の思考差(1)は個人差というどうしようもないものを除くとほぼジェンダーバイアスのみに依存していると考えられる

なので例えば日本人男性である自分日本人女性の心理を知りたい場合日本社会における男女間にどのような利害関係力学構造が働いてるかを知るだけで十分なはずである

この考え方から行くと世間一般でよくいわれる「男女の間には永遠に理解しえない何かがある」はただ単に個人間のどうしようもなく埋めがたいギャップのことを針小棒大にいっただけではないだろうか


注:用語適当です

2015-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20150314210917

たとえばテスターが「何となくDAP1が正解かも」と感じたときに、

DAP1のときだけ無意識に集中して耳を澄ませてしまう、

というバイアスがかかるかもしれない。

2015-03-11

藤田「死を贈与した」直哉氏(@naoya_fujita)による3.11追悼式への疑義

かつてある作家をめぐる言説に対する批判への反論で「かの作家は死を贈与した!(ドヤァ」と発言し諸方面から人間性を疑われた藤田直哉氏が、2015年3月11日Twitter上で3.11追悼式に対する疑義を唱えはじめた。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575529749969289217

2万人近くの死、というのも、よくわからない。交通事故であれなんであれ、人が死ぬのは哀しいだろう。しかし、知らない二万人よりも、家族とか親しい一人の死の方がつらくないかね。これは、俺が非人間的な感性からなんだろうか。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575530332390297600

集団の死を、集団慰霊するということの意義が、リアリティを持った形で想像できないというか、それは一体どういうことなのか? っていう本質が未だにわからない。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575531644360204288

親しい人を喪った人の気持ちを想像する。これはわかる。それが数万人分。これ、脳の容量超える。そして、普段、その辺でやっている知らん人の葬式にもそう感じなきゃならんのか、でも現にそう生きていない。では、日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞやってのが、わからなくなる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575533582023786496

なあにが、黙祷じゃ、バカタレ、黙祷を字で書いてインターネットに垂れ流す自己顕示欲の塊どもが。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575534421018804225

別に個々人が死んだタイミングは、この一分ではあるまいに。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575535179709739009

死んだ人間黙祷を捧げるのに、何故、加害者である地震の側のタイミングに皆が合わせなければならないのか。納得ならん。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575538080834318336

ちゃんと書くか。災害や死者を名目に、個別の生を生きていて、それぞれ違う死に方をした人間をあたかも一つの何かのように扱い、追悼の名目で、国民の想いを勝手に決められた時間に同期させられるのが、ぼくには不愉快

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575543420544020480

@seiichitsuchiya私は、「何故黙祷罵倒する必要があるのか」に対し、14:46を黙祷時間と定め、一斉に行うという行為に、国家共同体意識形成問題を感じたからだ、と理由を説明しております

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575553783884873728

いや、死者のことを本当に思ってたら、違う時間に違う亡くなり方をそれぞれにしたことも知っているわけでしょ?それに対する追悼の意図だとすると、地震発生の時間代表させることについてどう考えてるのか、純粋にわかんないのよ。儀式から、決まってるから、という理屈はわかる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575556640000315392

それだったらずっと黙祷するのかという意見が来てるけど、本当に死者を想って悲しんでいる人は、毎日仏壇拝んだり、考えたりしてるんじゃないの。年に一回思い出したように黙祷するだけで済んじゃうのは、本当には同じように悲しくはないからなわけでさ。その上で、儀式には有用性があるんだろうけど。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575573893911560192

なぜ、黙祷時間地震発生の14:46からになったのか。説1、誰かが決めた。説2、勝手に決まった。2なら、皆がそれに従いながらも理由を説明してくれないのが、単純に不思議(外国人が、儀式に疑問を素朴に持つ感じを想像してください)

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575584772249931776

で、説1で、合理的に説明がつきそうなのは、「一回で済んで、みんなで一斉にできて、異論が出なさそうな時が地震発生時だから」。これは納得いくんだけど、なんか生者の都合でインスタントにやりましょ感が出てしまってて、その上で死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い感じがする。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575598071440019456

死者がどう思うか考えろとか、言われるけど、死者は何も思わないし、感じないでしょう。そうではないという宗教観があるのは知っているし、死んでみないと分からないんだけれど、ぼくはその前提で話をしている。その上で「死者」をどう捉えるかがこの社会に及ぼす影響のことを考えてる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575599212928241664

死後の生があると信じたい遺族の方の気持ちもわかる。幽霊的な存在感覚を持ってしまう人たちの気持ちもわかる。ぼくの発言が、その人たちを傷つけている、と言われれば、そのこともよくわかる。しかし、死者は、「本当には」傷つかないし、冒涜されたとも思わないだろう。生者がそう感じるだけで。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575599516314796032

土屋さんのツイートを見て、不安になってきた。これって、死者が「本当に」感じたり、考えたりする前提の話だったの? そうではなくて、遺族などが哀しみなどから生み出す錯覚であり、代弁者勝手に気持ちを捏造したりして政治的に利用するなどで、生者に影響を及ぼすから注意っていう話じゃなくて?

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575600381717180417

から儀式が、生者の世界でどのような機能果たしているのかを考えたうえで、「いるのか?」ってぼくは問うているんだけれど。まぁ、ぼくの儀式嫌いは元々で、まぁ、形式的儀式根拠なく反復することそのもの生理的に嫌ってのはある。なんか、心が籠もってない感じがするし、形式そのもので。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575601520592318464

福田恆存なんかは、例えば葬式は、別に、心なんかなくたって、その形式を演じること自体意味があるんだ、周りが「死を悲しむ演技をする」ことが重要なんだというんだけど(「民衆の生きかた」)。むしろ個人的感情は抑える方がいいなんて書いてあって。その形式こそが「感情真実性」を保証する、と

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575602024709910528

俺はそうは思わないが、まぁ、どうも、儀式は「説明できないけど必要」と思っている人が多いようなので、ぼくは少数の、アンチ形式主義の心情主義者として生きて行こうと思いますけど、つまりこれ、「真実感情」が型を必要とすることは、「型」こそが「真実感情」を作るということでもあるよね。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575602827705233408

から集団を弔うようなセレモニーがどんな形であるのかには、敏感であってもいいと思うんだけれども。感情セレモニーを生んでるんじゃなくて、セレモニー感情を創り出す効果もあるってわけでしょ? 俺が気に食わないのは、それ。

順番に整理していきたいが、明確に断言できるのは、藤田氏の想像力のなさと狭量さである

藤田氏は、3月11日14時46分に追悼をおこなうことについて、「それぞれ違う死に方をした人間をあたかも一つの何かのように扱い、追悼の名目で、国民の想いを勝手に決められた時間に同期させられる」「なんか生者の都合でインスタントにやりましょ感が出てしまってて、その上で死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い感じがする」ものであり、そこには「国家共同体意識形成問題」が孕んでおり、「遺族などが哀しみなどから生み出す錯覚であり、代弁者勝手に気持ちを捏造したりして政治的に利用するなどで、生者に影響を及ぼすから注意」すべきだと疑義を表明している。

……え? 藤田氏って追悼式が政治家政治的に利用するためにおこなうものだと本気で思ってるの? マジで? そう思った根拠ってなんなの?

「追悼式を決まった時間におこなうことで追悼感情統一的に形成される」という仕組みが、国家国民感情を統制するときのそれと同じものであるというのは真っ当な指摘なんだけど、それは理屈しかないでしょ? たとえば、あくまでたとえばだけど「3.11を忘れないために、今後は○○の政策を~」みたいなことを言い出したのなら別だけど、藤田氏はそういう具体例あげてないよね? 追悼という行為儀式性と政治性を混同してない? 

……とまあ、藤田氏の言動からは「追悼式は政治家政治に利用するための欺瞞的なものだ!」という副音声が聞こえてくるのだが、あれこれ言葉を駆使しているようにみえてその根拠は一切ない。藤田氏の完全な妄想である根拠がないという意味で)。

また、14時46分に追悼をおこなうことを「死者のことを本当に思ってたら、違う時間に違う亡くなり方をそれぞれにしたことも知っているわけでしょ」と批判しているが、そもそも「死者が死んだ時間ぴったりに死者を悼まなければならない」という規範があるわけでもないのだから、14時46分に死者を悼む行為が「本当に思って」いないと判断する根拠がない。その理屈なら、「いつ追悼してもその感情は本物である」という理屈だって成り立つはずだ。

その他、「日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞや」「本当に死者を想って悲しんでいる人は、毎日仏壇拝んだり、考えたりしてるんじゃないの」「年に一回思い出したように黙祷するだけで済んじゃうのは、本当には同じように悲しくはないから」「死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い」と言っているが、これもよく読むと藤田自身バイアスが満載である

3.11追悼式で生まれる追悼感情は嘘である」という視点には、「感情には嘘の感情と本当の感情の二つがある」という先入観存在する。感情に嘘も本当もないでしょう、とこの増田を書いている私なんかは思うわけだ。よしんば、それが追悼式がなければ生まれなかったものであったとしても、おこなわれたことで生まれ感情は実際にそのひとのなかにある感情である

ここまではまだよい。藤田氏は元から作家の死を贈与したなんてぬけぬけと言い出すわ、自分が言い出した伊藤計劃以後論に批判が飛んできたら反論を書くのではなく「じゃあお前が考えろよ」とかTwitterでくだを巻き出すわ批評家としては全く能力のない人間であるが、そのことに藤田氏に責任はない。人間能力には限界があるのだ。

だが、上記のようなバイアス藤田氏が無自覚ななか他人攻撃し始めるのなら話は別だ。

なあにが、黙祷じゃ、バカタレ、黙祷を字で書いてインターネットに垂れ流す自己顕示欲の塊どもが。

追悼式が追悼感情を惹起する機能があるとして、そこにある感情が偽物であると断言することの暴力性を藤田氏は考えなかったのだろうか。

そして、その暴力を振るう対象である今日14時46分に追悼の念を掲げる人間のなかに、被災者遺族が、知人や友人、家族を失った人間がいる可能性を想像できなかったのだろうか。

藤田氏は、「今日14時46分に黙祷をした(あるいはツイートした)人間」全員に対して「バカタレ」と言ったのである

これは、生者に対する冒涜である

藤田氏は、藤田氏のなかにあるバイアス無自覚のまま、藤田氏の主観的判断による「偽物の感情」を持った人間を「バカタレ」と罵る、想像力が欠如した狭量な人間である(それ故個人的には絶対に関わりたくないので増田に書かせてもらった次第だ)。

でまあ、もしこれが藤田氏に届いたとしてもあいつは「そんなことは言ってない! 被災者遺族のことを侮辱する意図はなかった!」とか言い出すに決まってるんだけど、意図があろうとなかろうと文言だけ読めばそうなるんだよ。てめえ批評家自称しておきながらそんなこともわかんねえのか。主語大きくすんなって批評家でもない俺だって何かを主張するときの基礎だって知ってるよ。そんなこともわかんねえからてめえは批評家としてクソだって言ってんだ。

いやー、「死を贈与した!」とか言っちゃうひとは本当に他人感情にみじんも興味ないんだなーってのがわかって大変ありがたいです。藤田氏は本当にクソだ。ありがとう藤田氏。おまえは二度と信用しない。

あとさ、地震を「加害者」って言っちゃうのはちょっと……いや、まあ、物事擬人化して理屈づけようとするのは悪い事じゃないか……うん、別にいいと思うよ。ひとそれぞれだしね。

2015-03-10

精神病の症状にもいわば正常な、悪いことの原因を自分の外に求めがちなバイアスみたいなのが寄与しているんだろうなあ。

パソコンが壊れたら実際は自分の扱い方が悪かったのに、ハッカー攻撃を受けたんだとか、

自分が嫌なことを生々しく反芻する心理的傾向が極端に強いことを、その原因が電磁波による攻撃なんだとか。

2015-02-28

エンタメに徹するなら徹底してメンヘラを演じろや

そんなこともわかんねー能なしだから男にも騙されるんだ

エンタメだってわかってるとか前置きしちゃエンタメじゃねーだろ。真剣にやれ

2015-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20150223005759

←とか→とか関係無しに酷かった

はてサなら俺

なんだそりゃ

嘲笑スターが左右関係無しに酷いものに対してなら「はてサなら」ってバイアスどっからきてんの?

好み?

2015-02-22

婚の字が女篇のおかげで、ホモ婚は漢字圏では永久制度化されない

良かったね。外面が優先される諸外国ではホモ婚(Same-Sex Marrige)なんぞ認めるのが進歩的もしくはリベラルにみられる理由で次々とホモ婚が制度化されてるけど、日本ではタイトルのとおり、婚約しろ結婚しろ婚という文字が女篇に含まれている。つまり女性が介在しない男性同士の配偶者制度戸籍更新を認めるかどうかの議論は、漢字圏使用者が内在する無意識的的な反発を押し切って、ホモ婚容認側がホモ婚の圧倒的な正しさ・メリット普遍性多数派に説得しなければ進展のしようがないのだ。

この点、アルファベット圏ではmarrigeにしろmatrimonyにしろ文化的には女性との結婚普通ではあるものの、漢字圏結婚婚約から感じられるような女性が介在しなければ結婚くそもないだろという感覚が薄く中立的だ。語源的には、marrigeラテン語のmaritareに以来し、maritareとは女神プロディーテー-マリ庇護の下に結合すること、とちょこっとだけ調べたら出てきたが、日本語のようなへばり付くような感覚はmarrigeからないだろうと思うのだ。

よってホモ婚推奨精力がどれだけ水面下で努力しようが、ホモ婚に違和感を持つ人間が圧倒的で、かつまともに機能している限り日本ではホモ婚は永久制度化されない。制度化されるとすれば、国民ほとんどが違和感をおぼえつつも国連加盟国ホモ制度化が支配的な版面をホモ婚推進精力が形成してしまってやむを得ず日本国追随にまわる、これくらいしかホモ婚が国会で審議されれ両院を通過するとは思えないし思いたくない。

なおホモ婚の賛否についてWikipediaどのような議論があるか調べ直してみるのは真っ当ではあるが、「同性結婚」の記事については「この記事中立的観点に基づく疑問が提出されているか議論中です。」と提起がなされるとおり中立的どころかホモ婚推進精力によるバイアスがかかっていると注記させてもらう。

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追記)

うわー、典型的ホモ推進勢力が暴れてるよ。御国が来る前にホモの国が訪れてしまうよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150628110809

2015-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20150219173846

女性は体力的に弱いから原始時代から群れをなすことで生き延びてきたんだ。

円滑に群れをなす為には、群れの秩序を乱すような行為は厳禁なのね。

自分ブサイクだと卑下することで、仲間に受け入れられようとする行為は、本能によるもの

そして、ブサイクだと言ってる本人自身は、群れの中で一番の美人だと思い込んでいることが多い。

一方、男性にはそういう本能によるバイアスが無いからありのままを正直に言う。

から客観的に見た判断とほぼ一致するのだ。

2015-02-18

無邪気という差別のための最良のツール

http://sirabee.com/2015/02/18/18706/

読んだ。驚異的な糞記事だった。

こんなものにとりあうのは労力の無駄だとかそういう意見もありうるだろうが、あまりにひどすぎる。いったい何重のバイアスがかかってるのかわからないくらいだ。

まず、選択肢がこれであることによって「アホらし」と思う層はまったく答えないっていうバイアスがかかってる。しかアンケートであるからには「幅広く募った」という前提はいちおう通用するので、これが男性一般的な傾向だと思わせることができる。

さら選択肢自体である。これがおかしいのはいうまでもない。つまり筆者にとっては女性重要機能セックス料理であるということになる。

最後にこの記事を書いたのが女性であるということだ。女性の側からもこういう見方肯定されうる、という可能性をにおわすことができる。もちろん実際は一個人の意見だったとしても、そこになんらかの許しがあるように感じる人間は決してゼロではない

全体としては無邪気で無自覚雰囲気をただよわせている。

俺はこういったものいちばん怖いと思う。

強面のフェミニストががっちりと理論武装して書くようなものなら、読む人にもそれなりの心構えができている。反論ツッコミもありえよう。しかしこの記事場合アンケートという手法といい、旦那様を喜ばせるといういっけん特に問題がないと思われるような記述といい「ふつう」を装って、強度に思考一定の方向に強いるような構成になっている。無批判に読めば「そういうものなのかな」と思わせるようにできている(実際に騙される人が多数派ということを言っているのではない)。

自身男女平等というのは不自然なことだと思っている。なぜなら出産というかなり負担の大きいことができるのは女性だけだからだ。そして肉体も、一般的には男性のほうが力が強く、体格もいい。なので、男女平等というのは「なるほど、現実はそのようであるか、ならばどうしていくか」とひたすら考えつづけ、疑いつづけていくことだと思う。

そうした不自然な「平等」になんらかの賛意を示した人間にとって、いちばんの敵は、一般論本能、肉体なんかを無根拠に参照して「ね、こういうふうにできてるでしょう?」と言い出すたぐいの人間だ。そこに作為がなければないほど、知性が感じられなければ感じられないほど、その言葉自然に響く。

その意味でこの記事は最悪なものの一例だと思う。内容の巧拙、説得力の有無などが問題なのではない。こうしたものこそが性差別助長するにあたって、非常に有効手段だということだ。

逆にいえば、女性機能をこうしたものだけに限定したい人間はこの手法を参考にするとよい。由来、すべての人間平等ではない。「だから」前提条件として平等であるべきなのだし、しょせんそれがべき論である以上は、人はずっと考えつづけるしかない。「べき」であるということは、永遠に理想には到達しないということだ。

http://anond.hatelabo.jp/20150218041913

仕事が出来る人の7つの特徴」とか「お金持ちの3つの共通点」とか、それ系の記事ってだいたい脳内勝手に考えたんだろうなって感じだよな。

仕事柄、資産家と接点が多いのだけどそれで気づいたこと」みたいな前置きの増田記事もあったけど、うそ臭いとか、嘘じゃなくてもバイアスかかってるだろとかしか思えないわ。

資産○○ドル以上のアメリカ人○万人調査して分かった共通点」みたいな本があって、そういうのは面白いと思うけど。

2015-02-16

pixivで絵が上手いやつほどプロフィールが簡潔

って言ってる意見2chで見たけど、たしかにと頷いてしまった。

でもなんでそうなるんだろうか、実際俺の好きな絵師さんはどれもこれもプロフィールは凄くシンプルだ、それも国籍関係なく(pixiv中国人韓国人などの外国人も多い)。

自分的に思うのは一種の美の基準ミニマリズム的なものがあると言われてるけど、その延長線上で無意識プロフィールミニマルにしてしまってる説

もう一個は実力に自信があるから敢えて情報を多く載せないでいる(積極的に削ってる)説、の2つが思い浮かんだけど実際はどうなんだ?ひょっとしてバイアスの一種なだけなのかな?

2015-02-15

うちの母(65歳)

年末に雀荘で酒飲みながら打ってた時にぶっ倒れて、俺に電話がかかってきて某大学病院救急搬送された。

脳の画像診断、心電図、腕や足のレントゲン血液検査、どれも症状の特定に至るようなことはなかった。

で、何か飲んでいる薬は?と聞かれて、バイアスリン飲んでたなと思って、バイアスリンを、

と言おうとしたら、母がもう一つ飲んでるけど、名前からないから家に電話して聞いて、というので、

自宅にいる姪に電話して、薬の名前を読んでもらったところ、なんとジェイゾロフトSSRI)だと・・・

抗うつ薬飲んで、酒飲んだりしてりゃ、そりゃ眠気の服作用にも強い影響でるわ・・・

それ以前にも味覚がおかしくて、何食べても味がしない、変な感じがするというのも、この系統の薬の副作用

まぁ、メンタル系の薬飲んでるのに酒なんか飲んで、ソリャ意識失うのもありえますわな・・・

医者薬剤師の説明なんてろくに聞いてない母が悪いんだけど、飲み合わせの説明も少ししててくれたらな・・・

で、いったんジェイゾロフトはそういうトラブルもあったから、かかりつけ医に説明して使用は中止、

バイアスリンだけでやっていくようになっていると思っていたが。

バイアスリンに加えて未だにもう一種類なんかのでいるようなので見てみたら、メイラックスジェネリック飲んでやがった・・・

メイラックス副作用で味覚おかしくなるから・・・

というか、どういう経緯でメンタル系の薬処方してやがんだよあの内科医

とりあえずは、本人が旅行から帰ってきたら問い詰めるかな・・・

どうしてもメンタルの薬ないとやってけないなら、さっさと障碍者手帳とらせて医療費抑えてほしい、

でもって、後見制度被保佐人認定とって、死んだ父の資産勝手処分させないようにしたい。

本格的にボケたりされる前に準備を進めておきたいな

2015-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20150212112324

理系だらけの俺の周りだと会話は常にそんなもんだぞ。

普通に考えたら性格血液型なんて関係あるわけないけど、なんであるような気がしちゃうんだろうな?

認知バイアスバイアスがかかる条件ってなんだろう。観測数が小さいときの揺らぎを強化するような構造があるとか?

揺らぎの大きさによって集団認識状態の相転移がありそう…。

あるいはそもそも本当に関係があるとか?血液型の違いは赤血球の抗原だからそれが脳に作用して…とかまあさすがにないか…?

とかなんとか。

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211022348

なるほど、大体納得したぜ。

で、増田はなんで「性差」と「ジェンダーバイアス」を区別したいの?差別問題を考えるときでも、「性差」を基準差別するのも「ジェンダーバイアス」を基準差別するのもどっちにしろ駄目なんだから、「性差」と「ジェンダーバイアス」を区別する実益は薄いよ。

社会集団への性別の影響(あなたの言う通り本来性差ジェンダーバイアス含めてだね)とか、性別による行動の傾向を取りあげて、それに対する適切な対策みたいなのを考える……

というのを、自分でもやるし他の人がやってるのも見る。

男性が嫌う女の子仕草は?」とか「女にはマカロン食わせとけ」式のクソみたいな話から

「このジャンル女性人気が高いが、その理由女性は○○したがるからではないか。××要素をつければ更に人気が出るだろう」みたいなのも。

でも大体どんなのにも「男性/女性が○○したがるというのはジェンダーバイアスにすぎない」っていうツッコミがきて、

それは大抵「ジェンダーバイアスはただの偏見から○○したがるなんて傾向はない。この分析無意味」だとか、それか

「○○したがるという傾向はジェンダーバイアスからその存在をなくすべき、そんなものに基づいて対策を考えるのはよくない」などと続く。

んで、ネットではそっから性差別云々に議論脱線していくし、俺もそっちに意識が向いちゃう

このパターンを見すぎたので、何とかここから抜けて、本筋の社会集団効率的な扱い方についての話を回す方法が欲しいなと思ったの。

まり、「ジェンダーバイアスからそんな影響は存在しない」「ジェンダーバイアスの影響を所与として考えるのはよくない」で話が止められるのを回避したいわけだが、

俺が考えた解決策が「じゃあバイアスじゃなくてちゃんと性差と言えるものに基づけばいいのだな」だったから、性差ジェンダーバイアス区別たかった。

そっから更に思考を回したら、「社会集団を論じる対象にする時は何に基づけば差別でなく、何に基づけば差別なのか」辺りでグルグルすることになって、

差別問題について考える時つっかかる」という、元々欲していた「集団の扱い方をスムーズに論じる方法が欲しい」からずれた書き方をしてしまった。

からあなたの「社会集団には元々の性差ジェンダーバイアスが混ざって影響を与えてる」というのはかなりハッとしました。

集団の行動を論じるにおいて、バイアスを除去した部分だけについて清く正しく語るのはほぼ不可能というわけだ。


踏まえて私の今の感想を書くと、

ジェンダーバイアスがよいものだとは思わないのだけど、それが集団の振舞いに影響を与えてるのであれば、

集団について即物的に論じるときバイアスの要素を入れるなというのは話が進まなくなる、という感じ。

犯罪はよくないのだけれども、それが存在すべきでない要素だからって、

犯罪存在を前提とした社会論を止めるのはよろしくないよね、というのに似てる。

もちろんこれは即物的な話に限るので、もうちょっと階層のあがった話をする場なら、

ジェンダーバイアスをなくすには、犯罪を減らすには、という議論をすべきだと思う。

あともしかしたら、ジェンダーバイアスについてのツッコミを入れる人たちは、

即物的な話=バイアス存在犯罪存在を前提とした話、がそこら中でされると、

人々がバイアス犯罪をあまり問題視しなくなりそうっていう危機感があるのかもしれないなあと思いました。

2015-02-09

悲しい物語を読んだ

高浜寛の「蝶のみちゆき」がkindle化されていたので読んだ。

素晴らしい作品だと思ったので、感じたことを書いておきたい。

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こんなにダイレクトに"悲しい"という感情をもったのは久しぶりだ。

最近マンガは良くできていて、いろいろな形で読者の心にリーチできる作家がとても多いと感じている。素晴らしい。

でも、"悲しい"という感情は久しぶりに味わった気がする。

「蝶のみちゆき」にはとにかく無駄な要素が見当たらない。

物語の中に選択的な場面や、想像可能な分岐的な要素が無く、やたら自然で固定的に話が流れていくように見える。

運命かいう話とも違う。物語における運命は外部からの予想外のバイアスであることが多いと思う。この作品にもそうした要素がなくはないが、サプライズ的に扱われてはいない。不幸な出来事過酷環境も、読者が自然に受け入れられるよう細心の注意と一体感で描かれている。作家表現手法の"美しさ"と、丸山という場所が持つ一面の"美しさ"がそれを大いに助けていると思う。

そして、あらゆる要素が物語の中にかっちり収まっていることに驚く。舞台装置登場人物無駄なく重要役割を担っている。

これが完成されているということなのかと改めて認識させられた。

多くの場合、完成された物語は長い年月をかけて多くの制作者達の努力によって積み上げられたものであり、悪く言えばありきたりだったりするものだが、「蝶のみちゆき」はそうした退屈さは見当たらない。完成された物語は見せ方で面白い作品にできる?。いや、この作品は逆ではないか?。完成された物語を見せ方で面白くしているのではなく、各種の要素をゼロベースで組み上げたら完成された物語になったのではないのか?。と思わせる力強さすら感じる(いまどきゼロベース作品ができるなんてことはありえないので、先行する多くの作品から要素を得ているんだろうけど、比喩として)。マンガ小説映画などに類似の作品があるハズなのだが、それらを霞ませている。

主人公である几帳(人の名前)は多方向に要素の線を伸ばしており、その線の先にいる(ある)要素同士が有機的に絡み合う。と書くと珍しくもない構図なのだが、その関係性が高密度かつ自然に描かれている。そして何より几帳は多くの要素を持ちつつもフリーダムな人にならずに統一されたキャラクターを強く保っている。そうした丁寧な描き方から感じるダイナミクスは、線と点のそれではなく面のダイナミクスだ。

読者は、無駄なく高密度に流れていく物語自然に飲み込まれ(怒涛の!とかじゃなくてあくま自然に)、気が付くと悲しい終着点に立ち会っている。何の議論も寄せ付けない、ゆるぎなく悲しい終着点だ。

最初に書いたように、最近マンガ表現が高度になってきており、多くの作家が読者の心にリーチする手法確立していると思う。

にもかかわらず「蝶のみちゆき」がユニークなのはダイレクトな悲しさで読者にリーチしているところではないかと思う。

ストレートな悲しさの表現型は昔の小説漫画映画にはよくあったかもしれない。ただ、最近はあまり取り上げられない表現型ではないかと思う。高浜寛はそれを現代的な感覚と、高浜寛自身の持つ細やかさと高度な表現手法によって類のない完成度でリメイクしたといえると思う。

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面白い作品なので紹介したいと思ったのですが、訳の分からないことを吐き出しただけでした。

とりあえず、高浜寛を読んでる人はこれもすぐ読んでー。知らない人は上の感想などは気にせず、検索するなどして興味あればどうぞ。

一つ前の単行本四谷区花園町」がやや空振り気味だったので、本作は一層歓迎したいところ。

2015-02-08

社会統計データに関する、実際データと『市民脳内データ』のズレ

自分ダイヤモンド東洋経済が好きだが、ニッセイ基礎研究所レポートも好きだ。

 生保系の研究所なので、人口出産・老後といった厚労省レポートが多いのが特色

 そのニッセイ基礎研のレポートで、「一般市民が、社会統計データ脳内でどう想像してるか?」の話があって面白かった。

一般市民に「日本高齢者人口比率(65歳以上比率)は何%と思いますか?」

 と尋ねたら、実際の高齢者比率(25%)より高い回答結果になった。

 (全回答者の平均数値は「44%」)

 つまり一般市民実態以上に「高齢化は深刻」と悲観バイアスを感じている。

★「一般市民の、脳内社会データ」を測定すると、日本市民の「悲観バイアス」がいろいろ確認できそうな気がする。

 例えば「老後に何万円貯金必要ですか?」と質問したら、多分実際必要額より多額の資金必要と回答あるだろう

 また、「日本社会凶悪犯罪が増えてますか?」と脳内治安レベル質問をしたら、

 多分過半数は「治安悪化したと思う」と回答するだろう。実際は減少してるのだが

★「誤った常識が定着しているのではないか?」の事実確認も、このニッセイ基礎研流の市民脳内調査確認したい。

 例えば、「家庭でCO2排出が増える、エネルギー使用が増える季節」は「夏」と誤解している人が多いが、実は「冬」だったりする。

★例えば「日本都市の中で、若者人口比率が高い都市はどこだと思いますか?」と脳内人口統計テストをしたら、

 多分大多数は「そりゃ東京でしょ?」と回答するだろう。

 正解は1位京都・2位福岡

 大学が多数な京都はわからなくもないが、「福岡の若年比率東京より多い」という統計事実認識している一般市民ほとんどいない。

 不動産会社幹部ですら、この統計を知らなかったりするから困る

★恐らく、今後東京23区の高齢者比率は恐ろしく急増するだろう。

 今いる人の高齢化に加え、地方から高齢者が流入する。

 ⇒多分、あと10年もすれば、全国10大都市の中で、東京は「高齢者比率が多い方の都市」になると思われるが、

 仮にそうなっても、日本人脳内では「東京若者が多い都市」のママになってるんだろうなあ。

★先日、日経朝刊に載ってた特集見てビックリした。

 「東アジア若者調査」として、若者年収や欲しいもの、「生活に余裕があるかどうか」質問しているのだが、

 東京若者ソウル若者収入比較で、円安効果もあるのだろうが、「ソウル若者の方が収入高い」

 シンガポールには抜かされたとは知っていたが、まさかソウルに抜かされているとは・・・

 「東京若者ソウル若者、どっちが収入多い?」と日本人質問したら、9割は「そりゃ東京でしょ?」と答えるのでは?

 つまり日本人脳内統計データアップデートされていない。

2015-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20150201100035

卒後20年以上経ってるだろうに、高校同級生45人の消息を知ってる時点で驚く。

それともその同級生ってのは同じクラスだった人じゃなくて

同じ学年全体(数百人)のうち同窓会に出た45人だけ、とかだろうか。

だとしたら同窓会に出るという時点でバイアスかかってるだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20150201020456

.

> 歪んでるというか、おまえって

.

そもそも質問に答えていない。

.

> 70年安保敗北経験者のオヤジマインドのものだな。

> おまえ、もうすぐ還暦か?

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無意味レッテル貼り

.

> アウン・サン・スーチーとか樺美智子とか

> その事例の出し方がバイアスがかかってて笑ったわ。

.

悪意のある一部のみの抽出

.

> ところでおまえにとって稲田朋美とか小渕優子とか

> ~

> そこんとこどうよ?

.

逆質問

.

> ところでおまえにとって稲田朋美とか小渕優子とか

高市早苗とか丸川珠代とか山谷えり子とか

.

個別議員を印象のみでグルーピング

.

俺の文章のどの部分にハートが傷ついたのかはわからないけれど、感情に走るあまり文章メッセージの体をなしていない。

総合、15点(100点満点)。少なくとも日本語にはなっているので。

自分文章再確認の上、再提出のこと。

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