なるほど、大体納得したぜ。
で、増田はなんで「性差」と「ジェンダーバイアス」を区別したいの?差別問題を考えるときでも、「性差」を基準に差別するのも「ジェンダーバイアス」を基準に差別するのもどっちにしろ駄目なんだから、「性差」と「ジェンダーバイアス」を区別する実益は薄いよ。
社会や集団への性別の影響(あなたの言う通り本来性差とジェンダーバイアス含めてだね)とか、性別による行動の傾向を取りあげて、それに対する適切な対策みたいなのを考える……
というのを、自分でもやるし他の人がやってるのも見る。
「男性が嫌う女の子の仕草は?」とか「女にはマカロン食わせとけ」式のクソみたいな話から、
「このジャンルは女性人気が高いが、その理由は女性は○○したがるからではないか。××要素をつければ更に人気が出るだろう」みたいなのも。
でも大体どんなのにも「男性/女性が○○したがるというのはジェンダーバイアスにすぎない」っていうツッコミがきて、
それは大抵「ジェンダーバイアスはただの偏見だから○○したがるなんて傾向はない。この分析は無意味」だとか、それか
「○○したがるという傾向はジェンダーバイアスだからその存在をなくすべき、そんなものに基づいて対策を考えるのはよくない」などと続く。
んで、ネットではそっから性差別云々に議論が脱線していくし、俺もそっちに意識が向いちゃう。
このパターンを見すぎたので、何とかここから抜けて、本筋の社会や集団の効率的な扱い方についての話を回す方法が欲しいなと思ったの。
つまり、「ジェンダーバイアスだからそんな影響は存在しない」「ジェンダーバイアスの影響を所与として考えるのはよくない」で話が止められるのを回避したいわけだが、
俺が考えた解決策が「じゃあバイアスじゃなくてちゃんと性差と言えるものに基づけばいいのだな」だったから、性差とジェンダーバイアスを区別したかった。
そっから更に思考を回したら、「社会や集団を論じる対象にする時は何に基づけば差別でなく、何に基づけば差別なのか」辺りでグルグルすることになって、
「差別問題について考える時つっかかる」という、元々欲していた「集団の扱い方をスムーズに論じる方法が欲しい」からずれた書き方をしてしまった。
だから、あなたの「社会や集団には元々の性差とジェンダーバイアスが混ざって影響を与えてる」というのはかなりハッとしました。
集団の行動を論じるにおいて、バイアスを除去した部分だけについて清く正しく語るのはほぼ不可能というわけだ。
踏まえて私の今の感想を書くと、
ジェンダーバイアスがよいものだとは思わないのだけど、それが集団の振舞いに影響を与えてるのであれば、
集団について即物的に論じるときにバイアスの要素を入れるなというのは話が進まなくなる、という感じ。
犯罪はよくないのだけれども、それが存在すべきでない要素だからって、
犯罪の存在を前提とした社会論を止めるのはよろしくないよね、というのに似てる。
もちろんこれは即物的な話に限るので、もうちょっと階層のあがった話をする場なら、
ジェンダーバイアスをなくすには、犯罪を減らすには、という議論をすべきだと思う。
あともしかしたら、ジェンダーバイアスについてのツッコミを入れる人たちは、
男女論みたいな記事で「男性/女性にこれこれな特徴が」みたいな記述があると 大抵「この部分は偏見にすぎない」みたいなコメントがついてるんだけれども、 世の中では性差と性偏見...
まず、性差とされているものにはジェンダーバイアスがかなり含まれているので、性差を無邪気に肯定することは、ジェンダーバイアスの再生産に加担しかねない、ということを認識し...
なるほど、大体納得したぜ。 で、増田はなんで「性差」と「ジェンダーバイアス」を区別したいの?差別問題を考えるときでも、「性差」を基準に差別するのも「ジェンダーバイア...
違う増田だが、 「このジャンルは女性人気が高いが、その理由は女性は○○したがるからではないか。××要素をつければ更に人気が出るだろう」みたいなのも。 こういう話をしてる...
個人個人の視点によって何をジェンダーバイアスとするかは異なるから、犯罪みたいに法律で定義づけられているものとは区別するべきじゃないか。
詳しいわけじゃないけど。統計調査の結果とか、科学的根拠がないものはとりあえず全部偏見、でいいんじゃないかな? 何に対してその定義をあてはめるか、にもよると思うけど。
女性に体力がないというのも社会的なものでしかないと言ってた学者さんが居たな 子供のころから男性と同じように体を鍛えれば、女性も男性が行っているような肉体労働が可能らしい ...
ハラスメントとか「そう感じたんだから、感じさせた側の問題である」っていう概念が入ってるから、考えても無駄じゃない? やたらと噛みついてまわってウンザリさせられるような事...