はてなキーワード: でっち上げとは
賄賂は受け取らないってだけじゃ済まないんだよ。
賄賂を渡してくるような道徳もない連中の賄賂を拒絶するということは、目的のためなら手段を選ばない連中を敵に回すのと同じことなのさ。
そういう連中を敵に回すとスキャンダルをでっち上げられて失職に追い込まれたり、
なにをするにも妨害工作を仕掛けられたり、分断工作によって孤立することになったりもする。
それに対抗するには組織的な工作をひねり潰せるだけの強力な組織とそれを掌握するだけの権力が必要となる。
なので、そこまでの権力をもっていないやつは面倒事を避けるために賄賂を受け取ってしまう。
よくあるだろ?賄賂を受け取ってたけどまったく手を付けずにしまい込んでいたとか、竹林で何百万円以上入ったバッグが見つかるとか。
金自体は必要なくても受け取らないという選択肢がない場合、脱税を疑われたときのリスクを回避するためにいっそ捨ててしまったりするのさ。
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
いちいち「このゲームはこういった要素があって、ユーザーにこうやって受けてるんですよね」とか語る薄っぺらいマーケティング論マジうぜえんだよ。
如何に嘘っぱちか今から俺が『オレジナル要素分類』を即興ででっち上げて証明してやる。
「レインボー・シックス・パーツ」なんてどうだ?まさに今適当に既存のものパクって思い付きましたなのが俺の狙い通りだな。
じゃあ適当にゲームの構成要素を6つでっち上げるから待ってろ。
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「人は自分が必要とされること、自分が世の中に価値のあることをしたと感じることに喜びを見出します。ゲームにおいてその最たるものがクエストとなります。敵を倒して経験値を得ることや、採掘等でアイテムを得ることも、行動に対して報酬を得ることから小さなクエストと見ることが出来ます。クエストとはすなわち労働です。現実の私達は労働を嫌いがちですが、それは生きるための糧をちらつかされて嫌々やっているからです。ですが、人に求められることを実行することは、世界を触媒とした自己効力感の確認にほかならず、本来楽しいはずです。ゲームは労働における不快の原因たる「過剰な理不尽さ」を取り除いて、クエストや稼ぎといった形でユーザーに提供します。労働はゲームを構成する最も基本的な要素と言えるでしょう。」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「ココで言う脱衣とは、何もうんたらこれくしょんに代表されるお色気ゲームの一要素だけを意味しません。謎に隠された物のベールを脱ぐこと全般を意味します。人は隠されれば暴きたくなるという習性を持っています。これはホモサピエンスの本能のようなもので、探求により快感を感じるからこそ人類はここまで栄えたとも言えます。たとえばこれはラスボスを倒してゲームの真実を聞くことや、攻略方法を見出して造り手の狙いを暴くことなども含まれます。当然、キャラクターのパンツがキチンと3Dで作り込まれているかをカメラを傾け探すこともですが。」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「うんこをすることは非常に健康に良いことです。うんことは摂取したものから必要な栄養素だけを抜き出して不要な物を吐き出す行為です。ゲームにおいてそれは、大量の情報や戦力を集めてから不要な要素を捨てていくこと、その過程において戦力全体が膨れ上がりプレイヤーもが成長する過程です。太いウンコを放り出した直後、自分がとても健康になったと感じるように、ゲームにおいては戦力外通告を突きつけることや、装備やジョブ、ひいては戦略を乗り換えていとき、人は本来それが齎す以上の戦力の高揚、そしてそれを実現した自分に達成感を覚えるでしょう。ときに、捨てることは得ることよりも大きな快感を齎します。過剰にそれを求めるあまり、一線級でないものを殊更に非難する癖がついてしまうプレイヤーも少なくないのがこの快感の強さを示しています。」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「システムを出し抜くとき、人は自分の影響力がシステムを超えたとすら勘違いします。王すらも自分を裁けないなら、己は皇帝であると思い込むのです。ゲームにおいてシステムのスキを付くような攻略法を編みだすこと、裏技を発見すること、それまでの定石を破壊することは唯一無二の快感を齎します。もちろんその中には作り手が意図して仕込むものもあります。根幹の戦略をひっくり返すようなコンボや、知れば世界が変わる硬直キャンセル、そういった一見バグにも見えるものを見つけた時、プレイヤーはプログラムという神を超えたとすら感じるかも知れません。ですが、それらのうち何割かは、初心者マークを外したプレイヤーのための次のステージとして最初から仕様に含まれているのです」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「いい加減私も飽きてきました。あなた達もそうでしょう。しかし、これが私によって仕組まれていたとしたら?そうです。ゲームにおける飽きも製作者が仕込める要素の一つです。同じ戦術ばかりを繰り返すと飽きる、単調な展開のせいでなんだかダレてくる。そういったネガティブな感情を敢えて起こすことにより、ユーザーをコントロールすることが可能です。コントロールするということは、こちらが選ばせたいものを相手に自分の意志で選ばせたと思わせることです。そうしたとき、全てが狙い通りに行くでしょう。そして、ユーザーもまたそのように作り手に狙い通りにコントロールされる体験をどこかで求めているのです。狙い位通りに飽きさせてください」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「ヤマナシ、オチナシ、イミナシ。ゲームにおいてこれは決してマイナスにはなりえません。ヤマがないということは、自分のペースで遊びやすいということで。オチがないということは、終わりを自分で決めやすいということです。イミがないということは、体験の価値を自分で決められるということです。過剰な山場の提供、オチの用意、意味の設定、そういったものを鬱陶しいと感じる心は、実は全てのユーザーに多かれ少なかれあるものです。押し付けるなということではありません。どれぐらい押し付けているのかを把握しながら作っていくべきだということです」
どや?
な?
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎の言うことってマジで信用ならんやろ?
な?
な?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tomoyakumagai/status/1334468217301921792]
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
ブコメのブクマでもしようかと思ったけど、100 文字に収まりそうもないからこっちに書いとく。
「おたく」と同じように侮蔑語としての起源を持ち、後に積極的な意味に転じた言葉に
「クイア (Queer)」がある。
「クイア」と「オタク」の違いは、「クイア」が侮蔑語であったその言葉に、
「オタク」は、90 年代末~2000年代初頭に、当事者の意思・意識とは関係なく、
経産省やその界隈、メディアの都合でメジャーの舞台に引き上げられ、なんとなく、
(「おたく vs. オタク」論争みたいのが流行らなくなったのをもって定着とする)
したがって、侮蔑語としての古い用法の「ホモ」や「クイア」と、
ゲイ・プライドの文脈で使われるそれとは明確に区別されるのに対して、
侮蔑語としての「オタク」と、メディアコンテンツのカテゴリーとしての「オタク」の用法は、
なし崩し的にゴッチャになっている。
というか、役所やメディアが勝手にでっち上げたメジャーの舞台に乗せられてるという自覚がない
今どきの「自称オタク」はそんなことには興味なくて、自分の「趣味」が世間に認められて当然
という意識でいる一方、それと同時に、古い用法の「おたく」を引き摺っている現状に漠然とした
不満を募らせている (らしい)。というのは…
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
というブコメから「保毛尾田保毛男は、あんなに批判されるようになったのに、
オタクはまだ差別されてるじゃん。ズルい-!」というニュアンスが読み取れるからです。
それがズルい、不公正だと思うなら、「クイア」と同じように、当事者であるあなた達が、
明確な意思を持って、侮蔑語の「おたく」を積極的な意味をもつ「オタク」に読み替えて、
それを世間に認めさせたらいいじゃないの?
萌えキャラや、乳袋や、スカートの股間の謎の影がそんなに大事なら、
…というだけの話だから、うまくやれば 100 文字で書けたかも知れない…
知らない人のために説明すると、「おたく/オタク」は第 1、第 2、第 3 世代という区分をされる
ことがあって (あったというか…)、ざっくりそれぞれ70 年代、80年代、90 年代に思春期を過ごした
第 2 世代が他の世代と違うのは、彼・彼女らが小学校高学年の頃に中森明夫によって
「おたく」という侮蔑語が発明され、エヴァのシンジ君の歳の頃にあった宮崎勤の事件によって
「おたく」という言葉が世間にひろく知られるようになり、お笑い番組で宅八郎がネタとしてイジられたり、
オウム真理教が布教アニメ作ったり、秋葉原に PC ショップ作ったりするのを横目で見ながら
十代後半を過ごし、とにかく「おたく」への風当たりが強かったということ。
いまでは信じられないかもしれないが、当時は手塚治虫、宮崎駿クラスの巨匠でも
「アニメ・漫画なんて下らない。なぜならアニメ・漫画だからだ」という評価をされる風潮がまだあった。
(流石にそこまで露骨な言い方はしないにせよ)
そんな状況だから、当時の「おたく」は (自虐パロディー的な文脈以外では基本的に自称しないけど)
(1) 「おたく」から卒業して、世間的に認められやすい映画・文学などの周辺領域に流れる
(2) 日陰で (オタクコミュニティー内の閉じた世界の中で) こっそりとオタク趣味を楽しむ
(3) 自分たちが大事だと思うこと、価値があると思うものを守るために世間と戦う
の三択を迫られる。というか 1~3 の間で揺れ動くのが普通だったような気がする。
そんな苦い記憶があるから、2000 年代以降の状況しか知らない今どきの「自称オタク」が
自分たちの「趣味」が世間に受け入れられて当然みたいな態度でいるとイラッとするわけだが…
みたいに、第 2 世代の風当たりを強めた要因の一つである「宅八郎」をもって、
昨今の「オタク」を批判するようなこと書かれると、なんともむず痒いような
今回問題となったCMの内容は3人の少女が日本の学校を舞台に偏見やいじめを受けながらもスポーツを通じて自我に目覚めていくといった内容。しかしNIKEは事実に基づいてた言っているがでっち上げの可能性が出て来たためこのような騒ぎになった。
騒ぎの内容に関しては私が見たのは NIKEは「少女の実体験に基づき」または「三人の実体験に基づいて」と謳っているが内一人は朝鮮学校出身で日本の学校ではそういった目に合うハズがないのでCMの内容と辻褄が合わないと言うもの。
しかしこの騒ぎの原因の「少女の実体験」や「三人の実体験に基づいて」の部分の出所が不明で電凸でそういった質問をしたというTweetがあるくらい。ここから面倒なのがNIKEのサイトで載っているのは「実在のアスリートの証言をもとに」で、JCASTの方は「アスリートの実体験に基づいて作られ」なんで少女の実体験等は関係なく、この騒ぎそのものと辻褄が合わない。「差別やいじめを受けるサッカー少女3人~」と続いていくのでそういった勘違いはあるかもしれない。
こうなってくるとこの騒ぎの原因となった一文は何所にあるのだろう。
NHKの集金人が来るたびにテレビは持っていないと説明するんだけど、まったく信じてくれなくて契約しないのは違法だとか、テレビがなくてもワンセグが映る携帯電話を持っていても払う必要があるとか、まったくこちらの言うことに耳を貸してくれず、本当かどうかアパートの中を確認させてくれとまで言ってくる。
携帯電話のワンセグでも契約が必要なら部屋の中を見渡してテレビがないことを確認しても無駄だろう。
集金人が来るたびに部屋に上げて隅々まで調べさせてテレビ放映を受信できる端末が存在しないことを確認させないといけないのか?
あまりに面倒なやりとりを強いられるのでできるだけ居留守を使うようにしているが、宅配便と間違えてドアを開けてしまうこともある。
きょうNHKが未契約世帯に罰金を課すつもりでいるという報道を見た。
NHKはその未契約世帯がテレビを持っているのに契約していないとどうやって判断するのだろう。
この現代日本でテレビを持たないような野蛮人がいるはずがないので、契約してない家はみな受信料逃れの嘘つきだとでも思っているのだろうか。
いつか訴えられて本当に一度もテレビを所有したことがないにも関わらずNHKがでっち上げた証拠を裁判所が信用して冤罪で膨大な受信料と罰金を払わされる、そんな悪夢に今から怯えている。
差別を無くそうと努力する人もいるけど、差別が無くなることはない。
なぜなら差別や格差は人類が己の存在価値を擬似的に作り上げるための機能だからだ。
人類は単純な「生きる意味」=「食ったり食われたり食物連鎖の中で生きること」から離れてしまったために自分たちで「生きる意味」をでっち上げないといけなくなった。
差別や格差はでっち上げた擬似的な食物連鎖なのだ。底辺には底辺の役割、頂点には頂点の役割を持たせ、人類それぞれに生きる意味を与えるための機能だ。
人類それぞれに生きる意味を与えている差別や格差=社会をどうして人類が自ら破棄することができよう。
そして、人類が必死に作り守っているその「生きる意味」は地球にとっては無用の長物だ。
そもそも、人類は地球上の食物連鎖から離れた時点で少なくとも地球上では存在意義など皆無、要らない物になったのだ。
なのに無理やり社会などという虚像を作り上げ、自分たちは必要な存在なのだと言い聞かせて続けている。
その虚像は王政であったり、民主主義であったり、幾度となく姿を変えてきたが、全て虚像でありママごとに過ぎない。
今人類が一斉に取り組んでいるママごとは資本主義という名で呼ばれている。
そのママごとは生産性を上げなければ競争には勝てず、存在意義を他者に奪われるというかなり過激な遊びだ。
ただそこで生産する物自体は存在意義の無い人類に対しての物がほとんどのため、存在意義は無い。
なのに生産し続けないと存在意義が奪われるのでその競争に必死にしがみつかないといけないという冷静に考えると頭がおかしくなりそうな状況だ。
今はまだ格差により少子化が進んでいる程度の認識が普通だが、本当は違う。
人類が資本主義というとんでもないストレスに晒されたことで無意識に存在意義を考え始めた結果、自分たちに存在意義など無いことに気づき、この無駄なママごとに終止符を打つために人類の生産をやめ始めたのだ。
なつかしいなぁ
その前にもアングラ系サイトとかのウヨウヨしてる政治活動家とかを真に受けていたんだけど、ニュー速+に入り浸ってて今で言うフィルターバブルにどっぷり浸かって、ネトウヨとして成長してた
そのあと何故かニュー速(いわゆる無印)に流れ着き、こいつら全然ニュースの話ししてない!?と驚愕して、ニュースをさかなに雑談を適当にするという文化に染まり、極右に凝り固まった政治イデオロギーがだんだんほぐれていった。
今となっては笑い話だけど当時はアウシュビッツデマ説とか従軍慰安婦居なかったとか、南京大虐殺無かったとか、生活保護は在日の特権だとか、割と真剣に信じてて、危うい感じだったなぁ。
何度目かの嫌儲移住祭りで嫌儲に移住し、いくつかのSNSを渡り歩いて現在に至る
字面のせいで嫌儲は、儲けるのが嫌いな人々の集まる掲示板だと誤解されがちだけど、
もともとは、ニュー速の書き込みを勝手に転載して、まとめブログとかで有る事無い事適当にでっち上げて、アフィリエイト稼いでるクズどもを儲けさせるのが嫌だ
という意味なんだけど、
っていうふうに誤解してたり、わざとミスリードする言説をよく見かける。
似たような例なら、「壁ドン」は、引きこもりとかインドアの人が、隣の部屋とか一階とか、自分の部屋とは別の部屋で楽しそうにしてたりするような場面で、イラツイてその怒りを壁にぶちまけることを指していた言葉だったけど、
男が強引に愛の告白をするため相手を壁際に追い込んでドンってやるとか言う謎のことに書き換えられたのとか、
リア中はリアル中学生のことだったので、リア厨がなまってリア充になった頃に
リア充をリアルが充実しているに誤読されて、いつの間にかリア厨とリア充が別の意味の言葉になったのとか、
「マジキチ」が「マジでキチガイじみているからやめろ」の意味だったのに、単純に字面だけで「マジのキチガイ」を指す言葉として定着していたらい、
「それな」が「それなんてエロゲ?」の略だったのに、いつの間にか「それな」(同意)という、別の単語になっていたり、
まぁマイノリティ発症のネットミームって大衆化されると、変な使い方とか、使われていた文脈が完全になかったことにされたりとかすること多くて、悲しいですね
嫌儲はこんな感じでアフィサイト(文脈的に2chの書き込みを転載するまとめサイトのこと)の儲けを否定するというイデオロギーであり、一般的な企業活動とか資本活動全般を否定するラディカルな社会主義的なものではありません。
みなさんはこのことだけでも覚えて帰ってください。自分の発言は自分の物であり、引用どころか丸パクリして金儲けに使うんじゃね〜よっていうことで、それが嫌儲板の、少なくとも初期のコンセンサスでした。
10年代中期になってくると、そういった当初のイデオロギーは下火になり、まとめサイト関係者と思われるアカウントによる、より記事になりやすい燃えやすいスレッド、過激でバカな書き込みが集まりやすいスレッド、そういったまとめ系スレッドが乱立していき、完全敗北。
同時期に書き込み規制とか乱発しまくってまともに掲示板として利用できなくなったのが、致命傷で、ああ、そこまでしてまで利用する気しないわ…って感じでやめた。
左傾向の下地はこの初期(詳しい人にエクスキューズするなら本当の初期では無いけれどここは便宜的に)の嫌儲時代に育んでいった感じ
とはいえ嫌儲は嫌儲で、まとめ系アフィ死ね。というイデオロギーだけであり、左翼とかリベラルかというと別にそうでもなく、極端に反体制で富裕層を憎んでいたりとか(人によってはそういう人もいたかもしれないけど)、そういった観点での偏りとかはあんまり無かった
ニュー速では「スイーツ笑」とか言って女性を笑ってたけど、嫌儲のころはもっとひどくて、もうド直球に「まーん笑」みたいに笑ってたし、よく書き込んでた。
ぶっちゃけ嫌儲に女性とかいないだろうし、女性って普段の生活で触れること無いから、TVとかアニメとかのなかの架空のキャラクターっぽい感じの認識になってるんだよね
まぁそれは完全に妄想で、女性は現実に実在するしそういうクズみたいな書き込みで気分悪くしたり、微妙に社会の差別的な雰囲気を助長させる効果とかも合っただろうし、止めるべきだし、今はもうやってない
こう考えると結構女性に対しての敵意すごかったなぁ。それもいつしか消えていった。自分の心の変化ではあるんだけど理由はよくわかりません。
嫌儲見なくなったからかもしれないし、もっと品のいいネット情報に触れるようになったからかもしれないし、年取って男性ホルモン減少したとか多分そういう生理的な現象な気もする。身もふたもないけど。
2chやってた頃は、いい意味でも悪い意味でも情動が強く働いていて充実してたと言えるでしょう。
2021/04/05
やたら俺みたいな増田があるな〜。俺が書いたやつやんけ!なぜ今頃ホッテントリ?
言い忘れたこととしては、萌の語源が恐竜惑星の萌とかも嘘っぱち。普通に「燃える」の変換ミスを面白がって使ってただけです。ウィキペに乗るとずっと固定されるんだよね。おたキングさんが適当に言ったことが事実として扱われている
昔のIMEの変換が糞だったので、そのまま語尾が罠になっただけです
ついに観に行きましたわ!!!!とんかつDJ!!鯖太郎~~~!!!!
ぶっちゃけ期待よりは微妙でしたわ!もっととんかつとDJは同じなのか?感を出して欲しかったですわ!
でもめちゃお勧めですわ!ここから鬼滅を越えてとんかつブームが来ると信じてますわ!鬼滅とんかつコラボ(anond:20201109082207)は外しましたが!!!
あれ?このままじゃキャベツ太郎になっちゃうよのくだりやってなくね?いや映画としてはこの後恋愛パートやられてもぐだるだろと思ってたら終わってくれたんで良かったのですが。しかし邦画は広告の時点で糞だから観ない勢としては悲しいやで。
一番の観どころは揚げたろう二回目のライブのラップ部分ですわ!!もっとここのために揚げ太郎の友達がなんの跡取りかを強調していくべきだったと思いますの!
あととんかつとDJの共通点をもっと無理やりでっち上げて欲しかったですの!!
いやでもみんな観に行くべきやで!期待せずに肩の力抜いてな!
パンツが見えなかったので星2つです揚げ揚げの上げスタンスで星5つですわ🕺
ちなみに観客はわたくしを入れて2人でしたわ!
ブクマすんな。
ニュースについて語るのになんでまとめサイトをブックマーク刷る必要がある?
何故こういう事を言うかって言うと、まとめサイトってのは広告料で儲けるために自演行為を行うからだ。
自演行為ってのは、掲示板でさもその議論が特定の方向に盛り上がってるかのように見せるために自分たちで複数のIDから書き込むことだ。
そして、自分たちの書き込みだけを「特に盛り上がっていた議論」として取り上げると、1000あったスレのまとめとして20個の自演書き込みが取り出されただけのものが、そのスレや掲示板、ひいては今のインターネットや日本全国の総意みたいにされちまう。
言ってしまえばToggetterのセルフまとめと同じなんだ。
そうしてセンセーショナルな内容のニュースがあったかのようにでっち上げて、日本中からアクセスを集める。
そこまでするのは、十分なアクセス数があるまとめサイトの広告収入がそれだけ高いからなんだ。
そして、はてなでそういったものを皆がブクマすると、それがSEOに加担して更にまとめブログのアクセス数が伸びる。
アクセス数が伸びると奴らはその金を元手に自演書き込み部隊をさらに雇って世論の恣意的な創作を始めてくるし、こんなに儲かるならと独立してそれを真似するやつも増える。
分かったら二度とブクマするんじゃねえぞ。
もう一度言うぞ、掲示板で特定のニュースが話題になって変な書き込みが大量につきました系のサイトは、絶対にブクマするな。
あと、センセーショナルなタイトルで客を引っ張ろうとしてるタイプのブログでアフィ貼ってるところは全部無視しとけ、どうしても何か言いたいならちきりんの時みたいにツイッターみたいな所で呟いてる所をブクマしろ。
そもそもあの集団攻撃している人達、「ブクマカA氏」の意見なんか見てないようだけど…
元増田が「これがブクマカAの意見だ!」とでっち上げた、実際はブクマカA氏が言っていない意見に対して攻撃してるだけで。
元増田が「集団攻撃をされるほどに脆弱な論理に基づく意見」をブクマカA氏のものとして捏造してるからA氏が集団攻撃されてる。A氏にとっては迷惑な話だろうね。
で、「集団攻撃をされるような意見を他人のものとして捏造して集団攻撃を促すような事をする人格」ってのは批判されて然るべきじゃないかなあ。
素で書いていない事を読み取っていて、それをA氏の意見だと思い込んでいるのであれば、何らかの障害が考えられるかもしれない、って話。
ブコメの反応見てると、段々かつての「嫌韓厨」じみてきてるな、これ。
単なる韓国アイドルが好きな人、韓国映画の話をしたい人、昨日の夕飯が韓国料理だった人etcを捕まえて
「お前は韓国人だな!反日氏ね!慰安婦などとでっち上げをするな!」といきり立ってた人たちそっくり。
「韓国人は全員慰安婦問題に関心があると考えるのもおかしい」わけだが、
彼らは「韓国の話をする奴=韓国人=反日であり慰安婦問題を引き起こした元凶」と信じてるから話が通じない。
で、「韓国人は知能が低いから話が通じない」「嘘つきで意見をころころ変える」と言い出す。
前提がそもそも間違ってるから話が通じないだけだし、「韓国人」という共通人格が存在するわけじゃないから人によって意見が違うのも当たり前なのに。
こんな事を繰り返していれば「また頭おかしい嫌韓厨が出た」的な反応する人も出てくるわけだが、
それも「論理で勝てないから人格攻撃wwww」みたいな事を言い出す。
慰安婦問題についての詳細を解説する人も出てくるが、それも「全部でっち上げ。以上」で思考停止しているから理解しようとしない。
そもそも前提となる知識がないから解説を理解できない。「知識がないから理解できない」事も理解できていない。無知の知の逆。
理解できない部分は全て「でっち上げ、詭弁、言い訳」と決めつける。
歴史ってのは複雑な要素が絡み合っているもので、そうそう単純な構図で説明できるものではないのに
それを理解できる(せめて「複雑で難しい構図である」という事だけでも理解できる)だけの知識も知能もないから、それより単純明快なトンデモ論を信じてしまう。
まるでモンスターみたいな「韓国人」像と、それに攻撃され迫害されていく自分たち日本人、という謎の世界観が出来上がる。
その自分たちが作った世界観と現実がずれている事にも気付かない。
いつか日本は「韓国人」に支配されてしまう!このままでは日本は終わりだ!という被害妄想に囚われる。
んでその世界観を元にデモとかやってしまう。あのテレビ局は韓国ドラマを流しているから反日だ、あの芸能人は在日韓国人だから反日だ、と言い出す。
あの犯罪者は韓国人に違いない、何故なら日本人がそんな犯罪をするわけがないから。そんな事を本気で主張する。
傍から見たらありもしない敵相手にシャドウボクシングして外国人差別やってるやばい人たちでしかないから
それも「韓国人とそれに支配されている連中が攻撃してきた!」としか認識しない。
昔の2chはそういうのが沢山いた。
ほんとそっくり。
http://archive.md/20201020144653/https://cakes.mu/posts/32035
この話が本当か嘘かはわからないけど、実際話をでっち上げて被害者ぶる人も多いからこういう対応になるのはわかるよ。
整合が取れない話を具体的に聞くと怒り出すし、嘘だと思ってるでしょ!あなたは優しくない!等と言われるので下手に詰められない。
大体、事実かどうかなんて自分にはどうでもいい事も多いので、それは大変ですね、って言って否定せずに聞く。
実際仕事とかで相対すると幡野さんの言ってる事を思うのに記事にすると散々叩かれるとか本当良い社会だよな。
話をでっち上げる人たちは辛い話をすればみんな優しく聞いてくれるので快適だと思う。
というか、弱者ぶる行動は現代に適応した一つの形なんだろうな。この現代で正直に生きる事や強くなろうとする事は馬鹿を見るんだと強く思うよ。