差別を無くそうと努力する人もいるけど、差別が無くなることはない。
なぜなら差別や格差は人類が己の存在価値を擬似的に作り上げるための機能だからだ。
人類は単純な「生きる意味」=「食ったり食われたり食物連鎖の中で生きること」から離れてしまったために自分たちで「生きる意味」をでっち上げないといけなくなった。
差別や格差はでっち上げた擬似的な食物連鎖なのだ。底辺には底辺の役割、頂点には頂点の役割を持たせ、人類それぞれに生きる意味を与えるための機能だ。
人類それぞれに生きる意味を与えている差別や格差=社会をどうして人類が自ら破棄することができよう。
そして、人類が必死に作り守っているその「生きる意味」は地球にとっては無用の長物だ。
そもそも、人類は地球上の食物連鎖から離れた時点で少なくとも地球上では存在意義など皆無、要らない物になったのだ。
なのに無理やり社会などという虚像を作り上げ、自分たちは必要な存在なのだと言い聞かせて続けている。
その虚像は王政であったり、民主主義であったり、幾度となく姿を変えてきたが、全て虚像でありママごとに過ぎない。
今人類が一斉に取り組んでいるママごとは資本主義という名で呼ばれている。
そのママごとは生産性を上げなければ競争には勝てず、存在意義を他者に奪われるというかなり過激な遊びだ。
ただそこで生産する物自体は存在意義の無い人類に対しての物がほとんどのため、存在意義は無い。
なのに生産し続けないと存在意義が奪われるのでその競争に必死にしがみつかないといけないという冷静に考えると頭がおかしくなりそうな状況だ。
今はまだ格差により少子化が進んでいる程度の認識が普通だが、本当は違う。
人類が資本主義というとんでもないストレスに晒されたことで無意識に存在意義を考え始めた結果、自分たちに存在意義など無いことに気づき、この無駄なママごとに終止符を打つために人類の生産をやめ始めたのだ。
ままごとの語源知ってる?