はてなキーワード: でっち上げとは
20210325 晋遊舎
発覚は昨年10月
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-1011001/
同庁によると、問題があったのは晋遊舎が2016年8月~20年1月に発行した「まちがいさがしフレンズ」など雑誌115冊の懸賞や関連の懸賞企画。パズルを解けば現金や家電などが当たるとしながら、応募締め切り日から最長で3年10カ月たっても賞品を発送していなかった。該当懸賞の当選者数は7000~8000人分に上り、ほぼ全ての賞品が未発送だったという。
20151208 アイア
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H4S_Y5A201C1CR8000/
同庁によると、違反行為があったのは2014年1~12月に同社が発売した「クロスワードパクロス」「ナンプレマガジン」など8誌。パズルを解くと現金や家電製品などが当たるとうたった懸賞企画で、架空の当選者をでっち上げ、当選者数と同数の商品を提供したかのように誌面上に掲載した。
ほかにはないのだろうか
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
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影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。
また、被告人となった海兵隊員の家族は「人種差別によるでっち上げだ」「若者たちが日本に連れ去られようとしている」と主張し来日した。来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないから裁判が我々に不利になる。だから裁判の場を九州に移せ」などと被告人の妻らが主張する様子が日米双方のメディアに流された[注釈 3]。しかしながら被告人家族は泣きながら失神する姿まで披露したものの、そもそも陪審制が無い日本では的外れで空回りに終わった。また文化的にも白人・黒人が絡む人種差別問題になじみが無いため全く同情の声は挙がらず、むしろ反感を煽る結果となり、世論からも相手にされなかった。
北方領土なんかは、実際もう取られるしかない感じは出ているが、「戦争のドサクサに紛れて露助に占領された」というのは事実で、どちらかというと日本のほうが正当な感じはある
尖閣諸島とか竹島・独島とかになってくると、もうさっぱりわからん
俺は日本に住んでて、日本語以外の資料を読むほど興味も気力もないので、日本側が出した資料しか読めねえ
そうすると、当然日本の主張のほうが正当だって話ばっかり出てくることになる
しかし、中国も韓国も「日本の方が正しいが、何としてでも奪う」なんて書いているはずはないから、向こうは向こうで言い分があるはず
どっちが先にツバつけてたのかって話なんだよな多分
どっちなんですか?実際……
正直どっちが勝ってもいいやという感じはあるんだけども、勝つなら正当なほうが勝ってほしい
日本、領土でもなんでもねーところの領有権を主張してお隣と喧嘩しはじめる国であってほしくねえな、と思うので、心情としては日本が正当であってほしい
でもそれは向こうだって同じだろうしな
南京大虐殺とかも、俺はまああったんじゃねえかと思ってるけど(さすがにゼロから80万人虐殺をでっち上げようとはしないだろうと思うから)、無かった派もかなり頑張ってる印象ある
何十万人も死ぬような規模のバカでかい事件ですら、やろうと思えば「あったなかったか微妙」くらいには持ち込めるって事実がチョー怖いんだよな
前略、冬季鬱。とにかく冬場は気分が落ち込む。肩こりが夏場よりひどくてほぼ毎日頭痛に悩まされるし、雨や雪の日の頭の回らなさはひどい。ぼーっと一日何も思考せずに過ごす日が多くなる。
なんとなく毎日ぼーっと過ぎていく。頭が回らない。ただただ無気力に、できることならスライムみたいに溶けてなくなりてえ〜、と思いながら惰性で毎朝起きている。やること、やらなきゃいけないことを考えるのが嫌になって、毎日同じでいたくなる。毎日同じことだけやっていれば生きていける生活、羨ましいかもしれない。
「やれと言われたことだけやって、それ以外のことをすると怒られる」環境下だったから、誰かからやれと言われないなら何をしていいか分からないし、「自己判断でお願いします」とか死刑宣告だ。自己判断して怒られて育った人間は自己判断できねえよ。
根底にある自己肯定感的な何かがかけてるんだと思う。この場合の自分が言いたい自己肯定感ってのは「俺すごい!俺最強!俺が天下!」みたいな感じではなく、うまく言えないけど、「何をしてもされても自分の評価が揺らがない」みたいな感じを言いたい。
自分の過去を恨んだり、自分の育った環境を恨んだってどうにもならないけど、恨んでいないと真っ直ぐに生きられている人間と比べて惨めで仕方ない。自分はゴミだと自己評価して自分が傷つくことで、やっと居場所を許してもらえてるような心地がする。精神的リストカットだ。
どうにもならない。どうにもならないから早いところ液体にでもなって急に消えてしまいたい。もしくは明日の朝が来ることなく、知らないうちに地球ごと滅んで何も悩まなくていいようになってほしい。
かと言って、もう理想の人生っていうのも思い浮かばない。これを目指せば頑張れる!みたいな指針もない。何も目標がないから、ただ泥みたいに生きている毎日が辛い。数日先の未来に希望を持てない人間が、自分の死に様に理想なんかあるわけない。
死に様といえば、自分の葬式でしてみたいことって何かある?自分は(一旦費用のことは考えないことにするなら)自分と全く関わりのないエキストラ俳優を雇って、自分のことを全く知らない人に大泣きしてなんかいかにもしんみりした雰囲気にしてほしいな。全部嘘の葬式、面白そうじゃん。でっち上げの弔辞とか読んでもらうのもいいかもしれない。面白くないのは、自分の葬式でそれをやる「おもしろ」を自分で見れないこと。不謹慎。
草々。
でも面白い人間であるってことを証明しないと誰も口を利いてくれないから必死にそれを証明しようとしてきた。
たとえば学校生活やSNSにおいて、つまらない人間だと思われれば友達やフォロワーが減っていき社会に居場所がなくなる。
このお友達文化は企業で働こうがフリーランスになろうがどこまでも続いてきて「あいつは会話する価値がある程度には面白い」と思ってもらえないと交渉や頼み事すら難航するように今の社会は出来ている。
コミュニケーション至上主義、なんて名前を造語症の人間ならでっち上げるんだろうか?
とにかく今の社会では自分が面白い人間であることを証明し続けることが発言権や人権を確保するための必須事項となってしまっている。
生まれつき面白い人間であるなら悩むことなど無かったのだろう。
息を吸ってそれを言葉として吐き出すだけで面白い人間として社会に居場所が出来る。
そうでない人間は大変だ。
流行りの情報をチェックして情報通であることをアピールしたり、昨日見たドラマやニュースの話題が一緒にできる人間であり続けようとしたり、ある種の定型文じみたテンプレワードの投げあいに対応できるように日々脳内シミュレートをしたり、涙ぐましい面白さ確保の日々がどこまでも続く。
もう疲れた。
学生時代の友情を維持し続けるのにまず疲れて、身内の連絡先を一斉に消した。
次にSNSのアカウントを一度消して、それからやっぱり人恋しくなって今は大幅に活動を縮小したアカウントをやっている。
そこまでしても会社や親戚との付き合いの中で面白さアピールはひたすら続けなくてはいけない。
会話する価値がある相手であることを維持しつけるゲームから早く完全に降りたい。
終わらずに続くレースのようなもので、故障したままでどこまでも走らされるせいで壊れる人間が続出する。
ママ友の付き合いを断りきれなくて借金地獄に落ちたなんてウシジマくんみたいな話も、世の中に本当に実在している。
人気があることがメリットになってしまうということは、他人の人気に対して嫉妬心が生まれる機会の多さを意味する。
単なる友人関係の中ですら、お前っらてアイツらと比べてつまらないからお前らの友達やめてあっちのグループに行くね。
そういうことが起きてしまうと、相互関しだったり抜け駆けの防止だったり、そして嫉妬心からの暴走が起きて人間は日々壊れ続けることになる。
本当にもう辞めたい。
相手と話ていてつまらないから離婚したなんて話がなんで世の中にはたくさんある?
もう沢山だ!
こんな嫉妬心に溢れた世界に居られるか!俺はこのレースを降りるぞ!!!
なんて言えるはずもないので、後方集団になんとか離されないようにしているが本当にもう限界だ。
助けてくれ。
存在価値の証明をしなくても生きていける社会はまだかなあ……。
ベーシックインカムとかでなんとかならんか。
最近のブコメ、とにかく女尊男卑というか男性を蔑みたい工作が盛んだと思うんだけど、そのせいで普通のニュースすらなんか変な勘繰りをする様になってしまったって話で。
「手足に鎖の生徒」と「集団レイプ」、女性たちが証言する中国の収容施設の内側
https://www.cnn.co.jp/world/35166769.html
実際の真偽はわからなくて、でもまあおそらくこれは本当のことなんだろうなとは思うんだけど、いやこれはまた男性を蔑みたい一派が適当なデマでっち上げて書いた記事なんじゃないかとほんの一瞬頭をよぎるようになってしまったのよ。
まさかそのままこの記事はフェイクニュースだ、デマだと騒ぎ立てたりブコメに荒唐無稽なこと書いたりはしないよ?
でもほんの一瞬、ほんの一瞬だけそんなことを考えちゃうんだよね。そんな馬鹿なことがあるわけないと思いつつ。
そんな人ほかにいない?
人を殺している人間を正義に描きたくて鬼なんてでっち上げたんだろうな。
海賊たちが伸びやかに海で冒険する姿は子供の発育にもさぞいいだろう。
新自由主義が失敗した理由なんて対極に位置する行動経済学から言えばものすごく簡単で
「世の中には、何もしない方が自分の利益になるしかえって自分の不利益になるのをわかって(わからない奴もいる)いるのに、他者の利益を妨害する行動を取る人間がいっぱいいるから」に尽きる
基礎研究では絶対にギャップを埋められないから産業スパイ何十万人も訓練して各国に投入して技術をパクってリバースエンジニアリングで産業生産ギャップを埋めようとしたが
別に自国内で犯罪を犯していないし、国の利益のためにやってることなのだからほっておけば丸く収まったのに
敢えてそれをやった結果、イギリスのトーネード戦闘機の開発主任チームに入ってた東ドイツの産業スパイが同じ東ドイツの密告で捕まった
もしそんなことしてなければ、今ドイツは単独で戦闘機を開発できるノウハウがあったと言われてる
ピノチェト政権だって、新自由主義なのに軍部独裁とかいう意味不明な政治体制のせいで国内産業とインフラ壊滅させただけに終わった
儲かってる企業とマトモに競争するよりあいつはスパイだってでっち上げて密告して、脳筋の秘密警察や軍隊に経営幹部全員ヘリからアンデス山脈に突き落とす「死のキャラバン」やらせた方が効率がいいからな
でもこれやった結果産業は壊滅したわけで
何が偉大って、1999年まではTVで視聴率を稼ぎたいときには、「ノストラダムスの大予言特集」をやっておけば定期的に視聴率が稼げた所
それが使えなくなったので、TVはその後「日本亡国論」で視聴率を稼ごうと大々的にでっち上げて、日本はそれによって消費マインドが落ち込んで本当の不況に陥ってしまい
その不況にみんな慣れてしまい視聴率が稼げなくなり、インターネット普及も重なってTV局経営がどんずまりになったところで、今はコロナ騒ぎを出来るだけ長引かせようとフェイクすれすれの報道を繰り返している
1999年まで、アメリカが回復不可能と断じた絶望的なバブル崩壊にあっても日本が崩れなかったのは、ノストラダムスの予言があったからこそなんだよ
ネタだよ!もしかしたら本当かもしれないけど少なくとも私は裏は取ってないよ!
はてなブックマークではフェミニストさんが気に入らない記事を見た時に「どうせこれ書いたのランサーズだろ」って揶揄するコメントしてそれにお仲間がはてなスターをつけまくる現象があるんだけど!
これぞエコーチェンバー!集団幻想怖い!こいつら陰湿で超面白いな!と思ってたのでまねしてzeromoon0さんを不安にさせたかっただけだよ!
説明なしでも100%ネタとしてわかるだろって考えて書いたのに、まさか情報強者であらせられるはてなブックマークの人が食いつくとは思わなかったよ!
あのさぁ(呆れ)、条件反射的なコメントするのやめてもらっていいですか?
今の時代、もっとカジュアルで無難な交流の仕方はいくらでもあるんだ。
だのにアンソロなどという古臭い方式に固執するから無用なトラブルが生まれるわけだ。
違うね。アンソロというシステム、やり方自体に病巣があるんだ。
ま〜た、アンソロでなんかトラブったのか。で、今度は金銭トラブル?
じゃあアンソロのためのエスクロー決済サービスがないのはなぜか?
面倒くさいだとか、責任がだとか、資金がだとか、それらしい理由をでっち上げることはできる。
けれど根源的な理由は違って、まさにアンソロが時代遅れであるからに他ならない。
アンソロに参加してる連中の誰一人として、そもそもエスクロー決済サービスという発想自体持たないわけだ。
時代遅れ呼ばわりにキレ散らかしてる暇があったらエスクロー決済サービスを導入しなさい。
なぜならアンソロという文化・風習そのものがすでに時代遅れで孤軍奮闘は無力だからだ。
きっとアンソロという時代遅れの風習に飲み込まれて匿名サイトで延々と愚痴を言うスタイルが選ばれるのだろう。
そもそもアンソロは時代遅れじゃないと言うのはただ言い張ってるだけだよね?
別にいいんですよ?誰かがアンソロが時代遅れじゃないと思っていても。
たとえば、好意的に考えれば「敢えてトラブルを起こして面白おかしくSNSのネタにするのが今風」とでも解釈することもできる。
そうなると「作品でなく場外乱闘が本番」ということだが、それでいいのか、人間?
そこまで大上段に構えて荒らし呼ばわりするからには、なにか目新しい情報でも握っているのかな?
だけど、きっとなにもない。虚無。「おわり」の三文字で論破しきったつもりなのだろう。
荒らし云々の話をするなら「晒し上げ」してる元増田の時点でそうだよね?
投稿するとき表示される「特定の対象を攻撃する」の文字が目に入らぬか?
戦時下の朝礼みたいだ。
お偉方が適当にでっち上げたルールを守ることで、自分の中の人徳が磨かれると信じている。
カルト。
人類は遺伝子を残さなければいけない、そんなルールはどこにもない。
単に、今までそういう風にやってきた動物が生き残ってきたというだけで、それが正しいわけじゃない。
今までがそうだったことは正しさを保証しない、こんなのは当たり前なのに、他人にレールを敷いてもらえないと困る奴らはそれを受け入れられない。
子供が減ると社会のバランスが崩れますよ、そういってる老人たちは年金システムを捻じ曲げて自分たちの側が社会を平気で捻じ曲げていく。
考えれば簡単に分かる事を、考えることをやめた人間は一生理解しない。
脳に快楽がもたらされるゲームのプレイヤーであることは否定しないが、その必勝法が子供を作ることであった時代は終わったのだ。
スポーツをするときは水を飲まない方が良い、歯磨き粉は使わないほうがいい、根拠のない古い常識を守っても幸せにはなれない。
この手の音楽家は音楽を聞いているのではなくて情報を聞いている
やれビートだとか音圧だとか言っているが要するに音楽の持つ情報を分析して処理しているに過ぎない
その音楽が良い原因・理由を体系的に理解して一定のルールに基づいてよりよい音楽を作ったり見つけたりしたいのだろう
ただ、自身が良いと思った音楽であってもその理由が見つからない場合はややもするとその音楽は本当は良くないのだというバイアスで否定したりする
結果ではなく原因をクローズアップし、方程式から導かれるものこそが結果だという考え方だ
一方でYOASOBIが好きな人、若者中心としておくが、彼らの今の評価基準は単純で「エモいか」どうかだけだ
それだけだ
原因結果論に基づいてその原因を探せば「小説をもとにした歌詞」「Youtube連携」「ikuraの声」などでっち上げることもできるが
そういう音楽の中に原因を求めるのは情報を食ってる音楽家と変わらない
彼らの評価基準はそうではなく、スタート地点が「エモい」かどうかだ
その結果には原因なんてなく、エモいと感じた自分がスタート地点であり、そこからのコミュニケーションがスタートする
アドラー心理学に通ずるところが大きく、だからこそ彼らのほうがストレスが少なく、芸術を本質的に理解している
他の人に対して「YOASOBIが良いよ」ということはあっても「YOASOBIの良さがわからないなんて」などと言うことはほとんどない
基本的には「YOASOBIエモいわー」「わかる」で終わりである