はてなキーワード: 露天風呂とは
都民増田のホームアイランドは式根島だよ。行政区としては東京都新島村になります。
といても増田、山手線内で産湯を遣い、わずかな期間以外は23区内を転々と暮らしているので、些かその「ホーム」は勝手にこっちが思っているだけだけどね。後述するよう、向こうにとってはかなり迷惑な客であることは認めざるを得ない。ただし一応まだ客のうちだとは思うけど。
ちなみに、小中あたりの地理では「東京に村は一つだけ、桧原村」と教わります。うん、つまりなんだ、島嶼部はあんまりやらないんだよね。都領土に島嶼が含まれるのはトリビアルな知識、例えば沖ノ鳥島が東京都だとか、そういうことで意識する気がする。そしてそれはトリビアルであるがゆえに全員必修ではないわけさ。
さて、なんで式根島をホームアイランドに据えたのかというと、単に学生時代に増田所属のパーティでキャンプしに行ったことに始まるわけです。この島、4平方㌔ほど(つまり2キロ×2キロに収まるってことさ)で、形としては天気予報の地図位デフォルメした北海道に似ている。方角も同じだ。そのサロマ湖あたりがフェリーがつく港、釧網線沿いに民家・学校・役場(支所)が密集し、その外れの釧路あたりにアウトシーズンのキャンプ場がある。道南・道央辺りは人もおらず開発されていない(と思う)。襟裳岬あたりに2湯3カ所の露天風呂が湧いている。オンシーズンのキャンプ場は天塩辺りに存在し、町からやや離れる。で、肝心なのはキャンプ無料、温泉無料、狭い島だから歩けばどこでもたどり着ける、という手ごろさにあるわけです。シーズンなら人がいない=超きれいな海で遊び放題だ。海水浴は皆入り江で安心感がある。釣りもいいらしいけれど増田にそれは判らない。
かといって、全く社会から途絶したところでもないので、飯酒生活具の類はパッと買うことが出来る。電波もバリ3。これは楽。交通は船だけで、これは夜行便で寝てる間に着いちゃうし、パッキングしておけば仕事終わりでも突っ込める。船賃は値切る手もあるし、何より船旅はそれが近代化されきったフェリーとはいえ、旅情があってよろしい。
なので、暇を見つけてはテントかついでソロで通ったわけです。就活疲れもここで癒したし、付き合ってたねぇちゃんを連れてったこともある(その時はさすがに民宿を取って俺も出世した屋根のあるところに入ったと思った)し、その別れの傷をナメに戻ったこともある(このときはテントに逆戻り)。特に震災のちょっと前は数年連続で年越しキャンプまでしていた。
ただねぇ、このフリーさが島にとっては仇になった。増田が数年年越しを欠席していた間に、年末キャンパーが火の粉を飛ばしてあわや火事になるというインシデント(と伝え聞いたが本火事だったかもしれない)で、冬季のキャンプがダメになりました。冬場は風が強いんだよここ。まあ、しょうがないね・・・。あと、キャンパーなんだか、プロの野宿者なんだかわからない人間が数人伊豆諸島を回遊している、という話があってこれもキャンパーがうさんくさがられる理由であった。2・3カ月すると役場の奴がやんわりと追い出すのだという。それを4・5島で繰り返して一年過ごすんだそうだが・・・。こっちはニアミスしたことがある。古い馬鹿でかいテントがキャンプ場の奥にあって異常に生活感があるんだが、動いている気配がない。あと、こういうところに遊びに来るような奴は挨拶ぐらいはできるんだけど、一切そういうの無し。これが噂のそれか、と感服した(が、持ち物の管理は厳しくやった)。
あと、航路にジェット船が投入されてオフシーズンは夜行船がなくなった。加えて増田は小金を持つようになり、他のところに行けるようになっちゃった。休みの数に限りがある以上、他のところに行くとどうしてもご無沙汰になっちゃうわけで(というほどの顔見知りがいるわけでもない)。
無論、東京都の伊豆群島はもちろん、他の県の離島なんかも行ったことはあるけど、思い入れがあるのはやはり式根で基準も式根。だからまあ、増田の中ではホームアイランドは式根島、ってことになるわけです。まあそんなきもいの設定してる奴はそんなにいないと思うけど。
あと、都民的な興味では小笠原も一回は行きたい(都民でなくても多分行きたくなったと思う)んだが、あそこは、ほれ、"日帰り"で行くのは勿体ないじゃない? だから当分は無理だねぇ・・・。
【初めに】
コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である。
【本文】
ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。
そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。
だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分の全裸、特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。
目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。
とはいえ、男女混浴が可能な場所は国内でも限られている。ましてや、近年は混浴のマナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしまう地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴が誕生した時代とは、私たちの羞恥心の感覚も変わってしまった。
そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツやオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。
もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂な人間ではない。
私は建築や美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムト、シーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである。
日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである。
駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄の香りがしている。そうしたところは我が国の温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルのレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。
ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。
ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。
まずは、せっかくなので水着エリアで温泉を楽しむ。とはいえ、水着エリアは温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である。
これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリーは温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。
他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップルや夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールでほとんど温まらない。日本の温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。
そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イスト・サウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。
なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。
サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである。
サウナの入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。
二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやりと天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。
ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナで読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。
しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本の温泉は露天風呂がメインで、サウナが複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプのサウナがあり、存分に楽しめた。
たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかわからなくなってしまうのだが。
ちなみにこの眼鏡、裸眼で転ばないように、日本でサウナ用の眼鏡をわざわざ購入したもののである。
【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである。
そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチがオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルでサウナの人々に熱風を浴びせるのである。
それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。
そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞の活用が無茶苦茶なドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルト・カルト」(寒い、寒い)などというものだから、思わずその場は笑いに包まれた。
私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。
その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰からも干渉されない時間だけそこにあった。
それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。
人間の身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現の規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたものは普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。
そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】
さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。
その一、スポーツマンタイプ。ものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分の身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアやローマの彫刻そっくりである。スポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。
その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。
その三、老夫婦。なんというか日本の混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気。ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。
その四、比較的若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。
ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。
で、こうして振り返ってみると、比較的若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。
混浴について、猥褻だとか下品だとかいう意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂とサウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそもお風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから、勝手な判断は差し控えるが。
というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。
それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉が気持ちいいのでどうでもよい。
そういうわけで、私はオーストリアの混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナーを一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴の文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。
プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。
個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。
もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。
ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。
最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。
【最後に】
本記事はカクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。
【付記】
ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?
【アクセス】
地下鉄U1の終点、Oberlaa駅
朝10時に起きて飯食って、昼頃からこんな時間になるまで寝てた
2月頃から張っていた緊張の糸が最近ようやく切れてなんかだらけたんだと思う
あと、キタムラで頼んだ中古カメラの取り寄せの連絡がなかなか来なくてむず痒い
早く写真撮りに行きたい
露天風呂がちと熱かった
サウナで音楽の日を少し見た、尾崎ひろなんとかさんが歌ってたフォゲットミーノットだかを聴いてたらあまりに豊に似た声についうっとりしたか、はたまたサウナの熱にやられたのか、めちゃくちゃのぼせた
火照った身体をクールダウンするため水風呂に浸かったらすげー頭がグワングワンして最高に酔っ払ってた時みたいになった
帰りにスーパー寄ってヨーグルトを買おうとしたらドラフトワンがお求めやすい価格と飲み切りやすいサイズになっていたためつい買ってしまった。カクテキ・煮卵(うずら)・きゅうり漬けのおつまみセットも同じくつい…
そんなこんなで晩酌しながら追記を書いている。追記の方が長くない?
どうしてもサッポロドラフトワンが飲みやすいということを後世の私に伝えたくて書いた。あとうずらがなんか不思議な味がある…なんかしょっぱさと同時に燻製ぽい風味がしてめちゃウマ…酒進む〜
まあ上司から公然と飲み会参加厳命されてるなんてことはなく、もし仮にフル欠席したとしても「ええあの人頭おかしいよ怖い怖い怖い怖いwww」と周囲がざわつき、裏では障害者扱いされて人権なくなる程度で済むくらいには進歩的な弊社なので、酒嫌いの俺も送別会とかのオフィシャルなものや先輩に誘われる突発飲み会なんかには一応全部参加してる。
月4回くらいは行ってるはず。
月計2万円、1回あたり2時間ちょいだから、1時間あたり2500円失ってる。大嫌いなお酒をいやいや飲むために。
で、最近発狂しそうになったんだけど、俺のこの飲み会代って自家用車維持できるくらい高いんだってな。
車持ってる奴が教えてくれた。
で、ついでにこれ知って暴れそうになったんだけど、俺のこの飲み会代って箱根や伊豆あたりの客室露天風呂付いてるようなグレード高い温泉旅館に特急列車で駆けつけて一泊二食付きで過ごせるくらい高いんだってな。
3ヶ月に1度は彼女と温泉旅館泊まって愛を確かめてる奴が教えてくれた。
自分が中学校の頃なんだけど、修学旅行先の旅館にあった露天風呂で、ちょっとした生垣の隙間から女湯が覗けるポイントがあったらしい。
で、学校の男子生徒の数人が順番にそののぞきポイントに立ち入ってて、あとからバレてちょっとした騒ぎになったことがあった。
当然女子はかなりショックを受けてたし、一時期クラス内でも微妙な対立空気があったんだけど、しばらくしてなんとなくうやむやになったまま卒業をすることになった。
考えてみれば小学校の時のスカートめくりとか、高校になってからのジャージ盗難とか、明らかに内部の犯行だってわかることが何度もあったのに結局はっきりとつるし上げや罰があったわけじゃなくうやむやなまま時間に解決させてた気がする。
今の中学校の話を聞いても、一応そういうことはいけないとは教えるらしいけど結局あまりはっきり断罪するという流れにはならないらしい。
ふと思うんだけど、もし自分が中学生の時に感覚的に「悪いこと」だと思っていてもそれをはっきり悪いと大人に言われてこなかったら、今もそれが悪いことだとは思ってないんじゃないかという気がする。
男性に生まれていればそういう「なんとなく許される悪いこと」を思春期に経験するんだろうなと思うと、そりゃ大人になっても女を自然に見下したり、男の性欲は元気の証みたいな考えになるんだろうな。
私は銭湯が好きだ。私は今、無職で体を使うこともないので、それほど疲労がたまっているわけではないけれど、
やはり足を伸ばせるだけの湯船に浸かるのは、心の澱が排出されて気持ちが楽になる。
多少食費を削ってでも、月に3、4回は近所のスーパー銭湯に出かけるようにしていた。
スーパー銭湯には老若関わらず色々な年齢の人がいる。
そのなかでも親子連れの姿には、いつも微笑ましい感情にさせられる。
ぬれて滑る床が怖いのか、ぴったりと親にくっついて離れないこども。
我が子を抱えるようにして、楽しそうに湯船に一緒に入る親。
その親子を見かけたのは、脱衣所だった。一目して、すこしおかしいと思った。
親らしき人はかなりゆっくりと着替えているのだが、その子どもは脱衣所をすでに素っ裸になって
走り周っている。年は5歳から6歳ぐらいだろうか。
親は軽く注意をするぐらいで、着替えも終わって、子どもに声を掛けて風呂場に向かっていった。
ここまでなら、いつもいるような親子連れが多少騒いでいる程度のことだった。
私も用意を済ませて風呂に向かう。かけ湯をして、先に髪と体を洗った。
私の行っているスーパー銭湯には38度ぐらいのゆったりつかれるものがあり、
最初の20分ぐらいはそこに浸かって目を閉じ、考え事を片付けるのが好きだった。
ここにきて少し周囲の様子がおかしい、と感じ始めていた。
いつもなら、店内放送の時以外には、水の垂れる音とか小さな話し声とか、
あぁ、だとか、ふー、だとかのため息ぐらいだ。目を閉じて考えをまとめるには最適な場所のはずだった。
ペンギンが走っているような音が定期的に聞こえてくる。
目を開けるとさっき脱衣所で走りまわっていた子どもが、湯船の周りをペタペタと走っている。
一周して、どこかに消えたかと思うと、しばらくしてまた帰ってくる。
先ほど見かけた親らしき人は見当たらない。スーパー銭湯が広いとはいえ、迷子になるものだろうか?
露天風呂側はテレビがあるものの、それほどうるさいわけではない。のんびりできる場所を探そうとした矢先、
テレビのある湯船のところに走り回る子どもの親がいるのを見つけて、嫌な気持ちになった。
口を開けてテレビの方に集中しており、子どものことは気にしていないようだった。
視界のふちで走り回る子がいるのを捉える。
湯船と湯船の間の石積みが高くなった部分に座り、洗面器をもって何かをしている。
ジャグジーから見える位置だったから、気になってしまい、つい見てしまった。
その子は洗面器に組んだ湯船の水を飲んでいたのだ。そしてまずいの何か分からないが、
洗面器に吐き出し、通路に撒くというよろしくない行動をしていた。
時々、奇声を上げるので、通るひとが驚いて振り向くこともあった。
「きみ、それは飲んじゃいけないよ」と私は声を掛けるべきだったろうか?
もし声を掛けたその子が、声をあげれば、どれだけ善意に基づいた行為でも
冤罪をかぶせられるリスクがある。しかも冒頭に書いたように私は無職だ。社会的な信頼は一切ない。
いや、たとえ信頼があったとしても、このご時世で他人の子どもに注意することはリスクでしかない。
誠実に接していれば、善意が必ず伝わるということは私も十分知っている。
いつもなら2時間は入っているのに、今回は半分もいることができなかった。
自分の子どもがどういう行動を取りやすいのか、人様に迷惑を掛ける可能性が高いのか、親なら分かるはずだ。
少なくとも、不特定多数の人間に迷惑がかかる可能性のあるところに出かける以上は、
親は子どものことを知り、自分の子どもが人様に与える迷惑を最小にするよう努力して欲しいと思う。
「子どものすることだから、仕方ない」というのは、そういった努力のあとを見れば、
走り回って、気持ち悪い行動をしてしまう子どもを放ったらかしにして、人様に迷惑をかけてても知らんぷりで
テレビ見ながら風呂に浸かって、疲れとれたとかいってヘラヘラしてるのは、それは親ではない。
何か別の、ゴミに近い存在だ。それなら子どもを連れてこないでほしい。
今回は外れだったな。
やっぱり注意しとけば良かったんかな。
でも、トラブルも嫌だしなー。
そんな呟きが、帰り道に自然と口をついてでる。
家には小学校低学年になる娘がいる。
ある日「もうそろそろお風呂入りー」と娘に入浴を促し、そこで「あ、やべ洗濯機回してねーわ」と気付き(我が家は風呂場に洗濯機がある)ちょっくら失礼する形で風呂場の戸を開けた。
すると娘はスマホを床に置き脇を締めた状態で胴に縄跳びをぐるぐる巻いてそれを左右にぐーっと引っ張って悶えていた。身も蓋も無い言い方をすればSMプレイだ。セルフSMとでも言うべきか?
あまりにも驚いた娘は悲鳴をあげ、私も慌てて風呂場を飛び出した。
確かにブラも去年から付け始めたし性的な事に興味を抱く年頃だろうけどいきなり何故上級者向けコースへ進むのか?いやでも多分漫画かアニメにそう言う描写があったのだろうと。私が子供の頃にだってそーゆーのはあったし(むしろ今より緩かった)考えてみりゃそんなに変な事じゃない、とはいえ流石にこのままだとバツが悪いし後日娘とお好み焼き焼きながら話し合う事にした。
私は当初「まあそーゆー事もあるから」で済まそうとしていた。しかし娘は意外な事を話した。
娘には柔道を習わせているのだがある日年上の男子が帯で娘の体をぎゅーと縛ったそうな。娘も初めのうちは痛くて苦しいからやめてと抵抗したが縛られてる内に段々ドキドキしてきて、その後自分で縄跳びを使い体を縛ったら気持ちよくなってしまい段々男の人に縛られる妄想をするようになったらしい。
私は「別に変な事じゃないし、やめる必要も無いから」と慰めるのが精一杯で、気がつけば一本の筈のチューハイを三本開けてた。
甘かった。いずれ娘も性的な悩みを抱えるだろうからこれこれこうすれば良いよと模範解答を用意していた筈だったのにあまりにもイレギュラー過ぎた。
本当に可愛い女の子なんだよ娘は。良い子で言う事聞くしお手伝いもするし怒鳴った事なんて一度もない。スウェーデン人の義母にそっくりな色白のべっぴんさんで、ちょっぴり滑舌悪くて髪の毛のボリュームが多いから毎朝必ずマリモになるし、大食いな私と違って少食で、それでいてあの小さな体のどこからと言うくらい柔道の試合では大声を出して、豚玉が好きでお風呂上がりに豆乳と野菜ジュースを混ぜた謎ドリンクを飲むのが日課で、幼稚園の頃はたまに私がバイクで送っていった。
正義感が強くて、友達の女の子がクラスの男子に虐められた時にその男子に大外刈りを喰らわせて私が学校に呼び出された事もあった。ミニストップのイートインで二人でハロハロ食べるのが楽しかった。私が足つって悶絶した時に本気で心配してくれた。毎週金曜日、旦那は呑んで帰って来ないから食卓で「帰ってこねーなあの野郎」と言いあった。
夏祭り、娘の浴衣が何かに引っ掛かって脱げかけて慌てた。茨城の露天風呂が絶景だった。大好きなYouTuberのワタナベマホトのイベントに連れていった時には生のマホトに感激して泣いていた。一家で巨人ファンだから甲子園の阪神巨人戦を見に行って回りの阪神ファンに怯えてた。そう言えば大阪新世界のゲーセンにも行った。もう本当に色んな思い出があって、こんな夫婦からよくこんな良い娘が生まれたと自慢の娘に何て事してくれたんだ。年頃の、多感な娘に。
どうすれば良いんだ私は。
どうすれば良かったんだ私は。
別府ん湯って最高やろ?
酸性硫化水素と鉄を含んだスカイブルーの湯は「これが温泉です」というイメージを具現化した様な姿だった。
素晴らしい湯をしばらく堪能した後、併設の食事処で再びとり天とだんご汁を頂く。
そこら辺は味のレンジに幅があるのかも知れないが、これも美味い。
下山する前に、「地獄」と呼ばれる湧泉池のひとつ、「海地獄」を訪れる。
ここは入湯施設がメインではなく、景色を見る事を主としたいわば温泉のテーマパークだ。
受付を済ませて建物を通り抜けると、98℃の熱湯を湛えたコバルトブルーの池からモウモウと湯気が上がっていた。
訪れた人が思い思い写真を撮る。
ここではよく広東語が聞こえてきた。
地元が温泉どころで、温泉リゾートが生活に根付いている台湾の人がこの地を目指してくるのはなんとなく納得していたが、香港の人も別府に多く訪れるらしい。
まだ1件いける。
市街を海に向かって下る。
地図を見ながら歩いて行くと、周りに肌も露わなアゲ嬢たちのディスプレイが。
竹瓦温泉は元々遊郭を改造したものらしが、当地は今でもバリバリ現役の風俗街だった。
歴史ある見事な佇まいの門をくぐり、入湯料を払う。
100円。
どういう価格設定だ。
男湯の暖簾をくぐると、脱衣所と一体になった空間にいきなり登場する湯船。
風俗街の真っ只中に建ち、脱衣所と浴室の仕切りも洗い場もなく、お湯は熱湯風呂。
別府最後の温泉は、東京ではなかなかできないハードコアな体験だった。
7日目
アトピー持ちなので、朝方や夜に症状が出た箇所の痒みに悩まされることが多いのだが、温泉の効き目かどうか、この旅行 最後の床では何に煩わされることなく眠ることができた。
ホテルの大浴場はどうやら良いものの様だが、帰りの飛行機の予定の時間から逆算すると、別府温泉で湯に浸かる時間が忙しないものになりそうで、ここはスキップする事にして、朝食をいただく事にした。
廊下にでて窓から階下をみれば、乙津川の堤防の上を、犬を連れたおじさんがぷらぷらと歩いている。
しかし、クロワッサンと一緒に盛り付けられたパンケーキや、コンロで再加熱するシシャモ、湯豆腐など、工夫のある料理が並ぶ。
朝に冷奴は定番だが、これが湯豆腐になっただけで贅沢な感じがする。
ホテルの朝食で、「充分うまい」以上の「ちょっと贅沢」を感じられると思わなかった。
日豊本線を上り一旦大分で下車、見目麗しい銘菓「雪月花」をお土産に買う。
別府駅の観光案内所で今日の目当ての明礬温泉へのバス便を聞くと、インフォメーションのご婦人は丁寧に教えてくれた。
明礬停留所でバスから降りると、目当ての施設に行くまで歩くので、次の地蔵湯前停留所で降りるのが良いとの事だった。
昼に見る別府は、昨晩と違い、多くの飲食店やコンビニが点在する、のどかだが決して寂しくはない風景だった。
バスには自分以外にも台湾人と思しき人々や日本の観光客が載っている。
バス停に停車した際、70すぎと見られるご老人が「かまど地獄と血の池に行こうと思うんだけど、どのバスには乗り換えればいいの?」といった様な事を聞いている風景はなかなかシュールだった。
「じそうゆまえ?」
女の子がバスの運転手に特徴的なイントネーションで行き方を訪ねている。
自分も明礬を通り過ぎ、地蔵湯前停留所で明礬湯の里に向かう。行き先は一緒だ。
降り立った地蔵湯前停留所は、紅葉の向こうにアーチ構造の端がかかり、所々で湯気が上がる絶景だった。
急ごう。
振り返ると、一緒に降りた女の子が微笑みながら礼をした。
以下2回め以降に見る際にチェックしてみたいポイントである。あまりに細かいポイントであるために未見の方が参考にするとストーリーすらわからなくなるかもしれないので注意が必要。