2019-03-06

それなら子どもを連れてこないでほしい

私は銭湯が好きだ。私は今、無職で体を使うこともないので、それほど疲労がたまっているわけではないけれど、

やはり足を伸ばせるだけの湯船に浸かるのは、心の澱が排出されて気持ちが楽になる。

多少食費を削ってでも、月に3、4回は近所のスーパー銭湯に出かけるようにしていた。


スーパー銭湯には老若関わらず色々な年齢の人がいる。

そのなかでも親子連れの姿には、いつも微笑ましい感情にさせられる。

ぬれ滑る床が怖いのか、ぴったりと親にくっついて離れないこども。

我が子を抱えるようにして、楽しそうに湯船に一緒に入る親。

それらは銭湯幸せものだという象徴でもあるだろう。


その親子を見かけたのは、脱衣所だった。一目して、すこしおかしいと思った。

親らしき人はかなりゆっくりと着替えているのだが、その子どもは脱衣所をすでに素っ裸になって

走り周っている。年は5歳から6歳ぐらいだろうか。

親は軽く注意をするぐらいで、着替えも終わって、子どもに声を掛けて風呂場に向かっていった。

子どもも少し遅れて風呂場に向かっていった。

ここまでなら、いつもいるような親子連れが多少騒いでいる程度のことだった。


私も用意を済ませて風呂に向かう。かけ湯をして、先に髪と体を洗った。

私の行っているスーパー銭湯には38度ぐらいのゆったりつかれるものがあり、

最初の20分ぐらいはそこに浸かって目を閉じ、考え事を片付けるのが好きだった。

ここにきて少し周囲の様子がおかしい、と感じ始めていた。

いつもなら、店内放送の時以外には、水の垂れる音とか小さな話し声とか、

あぁ、だとか、ふー、だとかのため息ぐらいだ。目を閉じて考えをまとめるには最適な場所のはずだった。

ペンギンが走っているような音が定期的に聞こえてくる。

目を開けるとさっき脱衣所で走りまわっていた子どもが、湯船の周りをペタペタと走っている。

一周して、どこかに消えたかと思うと、しばらくしてまた帰ってくる。

先ほど見かけた親らしき人は見当たらない。スーパー銭湯が広いとはいえ迷子になるものだろうか?


ゆっくりできないと感じて、露天風呂に行くことにした。

露天風呂側はテレビがあるものの、それほどうるさいわけではない。のんびりできる場所を探そうとした矢先、

テレビのある湯船のところに走り回る子どもの親がいるのを見つけて、嫌な気持ちになった。

口を開けてテレビの方に集中しており、子どものことは気にしていないようだった。


最後ジャグジーで体をほぐそうと思い、室内に戻る。

視界のふちで走り回る子がいるのを捉える。

湯船と湯船の間の石積みが高くなった部分に座り、洗面器をもって何かをしている。

ジャグジーから見える位置だったから、気になってしまい、つい見てしまった。

の子は洗面器に組んだ湯船の水を飲んでいたのだ。そしてまずいの何か分からないが、

洗面器に吐き出し、通路に撒くというよろしくない行動をしていた。

時々、奇声を上げるので、通るひとが驚いて振り向くこともあった。


「きみ、それは飲んじゃいけないよ」と私は声を掛けるべきだったろうか?

もし声を掛けたその子が、声をあげれば、どれだけ善意に基づいた行為でも

冤罪かぶせられるリスクがある。しかも冒頭に書いたように私は無職だ。社会的な信頼は一切ない。

いや、たとえ信頼があったとしても、このご時世で他人の子どもに注意することはリスクしかない。

誠実に接していれば、善意が必ず伝わるということは私も十分知っている。

いつもなら2時間は入っているのに、今回は半分もいることができなかった。

自分の子どもがどういう行動を取りやすいのか、人様に迷惑を掛ける可能性が高いのか、親なら分かるはずだ。

少なくとも、不特定多数人間迷惑がかかる可能性のあるところに出かける以上は、

親は子どものことを知り、自分の子どもが人様に与える迷惑を最小にするよう努力して欲しいと思う。

子どものすることだから、仕方ない」というのは、そういった努力のあとを見れば、

自然相手から湧き出てくるであろう優しさにすぎないのだ。

走り回って、気持ち悪い行動をしてしま子どもを放ったらかしにして、人様に迷惑をかけてても知らんぷりで

テレビ見ながら風呂に浸かって、疲れとれたとかいってヘラヘラしてるのは、それは親ではない。

何か別の、ゴミに近い存在だ。それなら子どもを連れてこないでほしい。


今回は外れだったな。

やっぱり注意しとけば良かったんかな。

でも、トラブルも嫌だしなー。

そんな呟きが、帰り道に自然と口をついてでる。

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