はてなキーワード: 自助努力とは
お稽古のあと、『GQ』の取材。「韓国への謝罪はいつになったら終わるんですか?」というご質問に「謝罪というのは相手が『謝罪された』と実感できないとしたことになりません」とお答えしました。「謝罪したからいいだろう、コノヤロ」というのはふつう誰も「謝罪」とは言いません。— 内田樹 (@levinassien) 2014, 3月 10
と内田樹が言っている。だから、韓国が謝ったと感じるまで謝りつづけないといけないのだろう。
しかし、今回のセウォル号の事故の件で、彼らが認める「謝罪」のハードルがいかに高いかはじめて知った人もいるだろう。
韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は18日、ソウルの明洞大聖堂で行われた旅客船沈没事故犠牲者と遺族のためのミサに出席した。1000人以上が出席したミサが開始された直後、朴大統領は「私のせいです。私のせいです。私の大きな過ちのせいです」と叫んだ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/18/2014051801732.html
僕は内田樹に対してある面ではその知見に深い尊敬を抱いている。
しかしながら、彼をはじめとするリベラル派の的外れで非現実的な物言いに対する違和感や反発を持つ人が多いのは、これではしょうがないのではないか。
フランスの右傾化は「彼らの真意ではない」と言いつつ、日本の嫌韓を叩いて憂さ晴らししてる場合ではない。
リベラル派がこんな体たらくだから、今回の馬鹿みたいな解釈で進められている集団的自衛権の話でさえ、反対が盛り上がらない。
すべて、これまでのこのようなリベラルに対する不信感が蔓延してしまっているのが原因なのだ。
彼らは、日本の右派に対して向ける批評性を、中国や韓国に向けることはない。なぜか。おそらく「右派」に見られたくないからだ。右派と一緒になりたくないからだ。
それでは、他国に向ける厳しい目を自らに向けない糞みたいな右翼と表裏一体の存在ではないか。
同様に、慰安婦問題に関して日本を批判する人たちが、同じ熱量で韓国政府の慰安婦制度を批判し議題に上げる場面を見たことがない。
アメリカのリベラルにはC.Sarah Sohのような存在がいるから、これはリベラルそのものの問題ではなく、日本のリベラルの問題であると思う。
安倍の危険性を論じる熱量で、中国の人権侵害や危険性や韓国社会の歪みを論じなければ、リベラルに対する不信感が解消されることはない。
ここ最近の嫌韓化は注目され批判されても、ここ10年での台湾に対する関心度や好感度の上昇はリベラル側からそれと結び付け政治的に語られることはない。
下記は内田樹の鋭い論考であるが、彼はこの論点から日本やアメリカを批判することはあっても、韓国を対象にコラムを書くことはないのだ。
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。
「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
もし「私」がこの説明を足がかりにして、何らかの行動を起こし、自由を回復し、可能性を開花させ、「自分らしさ」を実現した場合、その「強大なる何か」は別にそれほど強大ではなかったということになる。
これは前件に背馳する。
それゆえ、一度この説明を採用した人間は、自分の「自己回復」のすべての努力がことごとく水泡に帰すほどに「強大なる何か」が強大であり、遍在的であり、全能であることを無意識のうちに願うようになる。
自分の不幸を説明する仮説の正しさを証明することに熱中しているうちに、その人は「自分がどのような手段によっても救済されることがないほどに不幸である」ことを願うようになる。
自分の不幸を代償にして、自分の仮説の正しさを購うというのは、私の眼にはあまり有利なバーゲンのようには思われないが、現実にはきわめて多くの人々がこの「悪魔の取り引き」に応じてしまう。
「被害者である私」という名乗りを一度行った人は、その名乗りの「正しさ」を証明するために、そのあとどのような救済措置によっても、あるいは自助努力によっても、「失ったもの」を回復できないほどに深く傷つき、損なわれたことを繰り返し証明する義務に「居着く」ことになる。
もし、すみやかな救済措置や、気分の切り換えで「被害」の傷跡が癒えるようであれば、それは「被害者」の名乗りに背馳するからである。
「私はどのような手だてによっても癒されることのない深い傷を負っている」という宣言は、たしかにまわりの人々を絶句させるし、「加害者」に対するさまざまな「権利回復要求」を正当化するだろう。
けれども、その相対的「優位性」は「私は永遠に苦しむであろう」という自己呪縛の代償として獲得されたものなのである。
http://m.newsweekjapan.jp/reizei/2014/04/post-637_1.php
→ 結局どんな内容であろうが偉人の話ばっか聞かされても「しょせん他人の話、昔の話、自分は違う」って思う生徒が出てくるはず。意味ない。
- ありのままの自分を受け入れられるような価値観を教えるこそ必要なんじゃん??
領土問題について
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-222955-storytopic-11.html
来春から小学校で使う社会科の教科書全てが、韓国と中国が領有権を主張する島根県の竹島(韓国名・独島)と尖閣諸島(中国名・釣魚島)について記述し、日本の領土であることを明記した。
教科書検定に際し出版社が、愛国心教育を重視する安倍政権に配慮して、政府見解を紹介した格好だ。
既に多くの中学、高校の教科書が竹島や尖閣諸島に触れ「日本の領土」と記述しており、この流れに沿って小学校でも領土教育が強められることになる。
しかし教科書では、領土問題でどのような対立や見解の違いがあるかなどは触れていない。容量の限界や小学校でどこまで教えるかの議論はあろうが、政府見解を教えるだけでは多角的なものの見方や想像力を育むことはできない。
→ いや触れろよっていう><;これじゃあ韓国と中国と揉めてる現実丸無視で、批難されても仕方がないように思う。もともと日本のだから!って思っても、それはあっち側も思ってることだし、こんな姿勢で「スーパーグローバル大学」みたいにグローバル化推しです!とか言われてもってかんじ。近所の国と揉めて続けて解決しようとするのか分からん国が本当にグローバル化してると言えるのか?グローバル化はなにも英語が話せることじゃない。外国人とコミュニケーションが取れることです。政府がそれをできてないように思う。そしてそんな国を「好きになれや!」(愛国心教育)って言われても、どうやって?と思う。
プラス、領土の所有権の主張から愛国心を測るって不思議なやり方。
上位大学10校に対し年間5億、グローバル型牽引制大学上位20校に年間3億の支援。(計110億)
もとからいる上位層にさらに金をつぎ込んで、上位層のレベル=国としてのレベルを引き上げたいんだろうけど、教育はそんな速足で行われるものじゃないはず!下位層どうにかするっていう長い目で取り組まないと結局、国としてはレベル上げにならない。貧困が犯罪を生むのは定石じゃないの。
「時と場合による」から経験で覚えてくださいでは、本人が間違った方法でうまくいっていない場合、独力で気付くしかなくなるけど、そういうフィードバックが働かない人は結構いる(だからコミュ障なんだけど)。ましてや「時と場合」を整理するなんて到底無理で、結果いつまで経っても「のび太のくせに生意気だ」みたくなじられる人は放置され、周囲も不快な思いをする。
これでは、誰も何も得しない。
「社会の中の少数者を救済するためにどれくらいの資源を投下すべきか?」ってだけの問題に思える。
増田のいう「フィードバックが働かない人」に対する処理として、その割合と矯正コストを考えたら、「放置するのベター」という結論になっただけでは?
もちろん彼らが自助努力でそこから抜け出すのは歓迎だ。少々の支援だけでフィードバック学習してくれるなら支援する意味はある。「周囲の不快な思い」も減少するだろうし。
今は1日10錠くらいのメンヘラ向けお薬を飲んでいる。パキシルとかそういうやつ。薬漬けの生活になって3ヶ月くらい経つか。
今も朝起きるのは大変だ。いつも大体7時間くらい寝ていたのだけど、今は眠りが浅いせいか同じ時間寝ても眠気がとれない。結局頑張って目覚ましを止めるのだけど、その後必死に体を起こそうとするのだけど、眠気が勝るのと起きるのが嫌だという気持ちに負けて二度寝してしまう。また、眠りが浅くて1時間から2時間おきくらいに目が覚めてしまって、起きる気力も無いけど眠れないときもある。
薬を飲む前だって、起きるときにどうしても眠い日はあったはずだ。そのうちの僅かな回数は二度寝をやらかして寝坊して会社に遅刻してしまったりというときはあったのだけど、それでも多くの場合は我慢して起きて遅刻することなく会社に行っていたはずだ。
別に朝起きることだけではないのだけれど、仕事のこととか、普段生活していて過剰に考えすぎてしまっているのではないかと思う時はある。会社の人たちはそんなことは言わないけども、実際はお前のような精神の弱いやつは早く辞めてしまえと思っているのかもしれないとか。僕に関係している人たちは、みな僕のことを早く死んで欲しいとか消えて欲しいとか思っているのだろうとか。日によってまちまちだ。というか大体そういう考えが浮かぶとそんな気、つまり自分は早く死んだほうがいいんじゃないのかという気になってくる。この文章を書いてるときもそうだ。
とにかく、自分が病気だから朝起きれないとか死ねと思われていると感じているのか、それとも元々朝が苦手で生きることに対して自信のもてない性格なだけなのか、どちらなのかが分からない。病気のせいであれば、今のように薬を飲み続けながら安静にするしかない。でも、それが単に朝が苦手で自分に自信がないというただの性格によるものであれば、自助努力でなんとかする以外にない。けれども今の自分にそれがどうにかできる自信なんてないしもうホント社会生活なんてできそうにないから何処かの山の奥深くにでも行って霞を食っているくらいしか、今後自分が歩む選択肢はない気がする。
三つ子の魂百まで、ではないけども一朝一夕で自分の甘えきった性格が直るとも思えない。一歩一歩、何十年もかける覚悟で性格を直していくしかないのだろうか。でもそれじゃ結局ゴミみたいな性格のままで一般社会に居座り続けることになるし、死んだほうがよさそうだ。どうしたらいいんだろうか。
よ、ハナキンって言っただけで昭和の遺物扱いされて悲哀を感じるナ
色々あってすっぽかされて暇んなったから、NISAの話しとくか。
でも、レッスンだの仕込みだのイベントだの金が相当かかる。
そこで、有志を募って金を出し合って、この子を売りだそうとする。
結果、すんげえ盛り上がってスターダムにのし上がり、相応の見返りがあったとする。
で、ここで言う可愛い子が「事業」で、カネの出し合いが「出資」で、
盛り上がりが「利益」で、カネ出した割合に応じた見返りが「配当」だ。
当然金を出してるってこたクチも出したくなるから、株主総会なんてのがあるワケだ。
これがすべてのキホンで、あとは実情に応じた応用になる。
ただ、株ってのは売り買いできる。
最初は、「事業」をヤルためにカネ出してくれた有志の集まりだったが、
ま、途中で抜けたくなるヤツも居るし、譲ってくれって言うなら売ってやらんこともない。
なんてので、株式取引ってのが生まれるな。
で、だ。
ヤフオクでも何でもそうなんだが、取引ってのは、上手くやると儲かるわけだ。
例えば、街頭で歌ってる少女のサインなんてのは、まあ入手は難しくないわけだ。
でも、代役からチャンスを掴んでスターの座を駆け上った超時空シンデレラになっちまうと、こりゃ相当の高値になるワケだ。
株式会社ってのは相当数があって、かなりの取引がなされてる。売り買いは結構頻繁にできる。
で、「この会社の株式は、もしかすると高値になるんじゃねぇの?」と思ったら、買っとけば良いわけだ。
不確実性に賭けて儲けようとする。
インフレターゲット2%とか聞くな。
まあ、インフレ2%ってのは、物価が2%上がる、と思っときゃイイ。
理由は色々だな。
会社ってのは借金して事業拡大してナンボだとか、カネが動きさえすりゃ失業者が減るとか、まあムツカシイ事はエライ人に任せときゃインだよ。
物価が上がりゃ、賃金も上がる。まあ過去実績は未来を予言しないが、統計局のデータみると過去はナントカなってた。
問題はだ。物価が上がると貯めてるカネの価値が下がるってこった。
具体的に行こう。
オマエが100万円貯金してたとするな。今日100円のモノは、1万個買える。
ただ、物価が2%上がると、102円になる。すると9803個しか買えねぇな。
いきなり200個近く買えるモノが減るわけだ。
40年間ずーっとインフレ2%が継続するとかこの20年物価がほとんど変わってねぇのにお花畑みたいな前提だが、
まあそういう前提に立つとだ、100円ショップは220円ショップになって、貯めてるカネは実質目減りする。
売ってる商品の中身が変わってなくても、カネの価値が下がるってのがインフレで、物価上昇ってこった。
過去、定期預金金利はインフレを常に上回っていたからナントカなってたが、まあ今後はどうだろうな。
「フラット35で限界まで借金して豪邸建ててんだろうな?固定金利の借金とかゼロにナンだろ?ん?」て返そうな!
事業に魅力を感じて出資して、見返りとして配当を貰うってのも株主のあり様だが、
安い時に出資して、周りが高くてもイイからその株売ってくれって言った時に売って差額で儲けるのも、またアリなワケだ。
さらに言えば、株式取引ってのは「価格変動するモノ」の取引でしかないから、別にその会社に思い入れがなくてもイイ。
腐らねぇし保管も要らねぇし取引相手も大量に居るからヤフオクで転売するより何倍も楽なわけだ。
バカみてぇに取引が多いから、借りてきて売った後で買い戻すみたいな、日常生活じゃ考えづらい転売の方法もある。
投資と投機とはみてぇな、イケメンが語れば素敵って言ってもらえてもオッサンが言ったらウザがられる話題に踏み込まなくても、
結局のところ、不確実に賭けて儲けようと思ってやる行為ってのは、基本的には全てがギャンブルだ。
ただ、ギャンブルってのも大損しない為に使うと、意外に便利だったりする。
例えば「俺は今年怪我をするゼ」という方に賭けるギャンブルってのは、結構みんなやってる。
毎月賭け金をベットして、勝てば(怪我すりゃ)払い戻しがあって、負ければ(怪我しなきゃ)親に持ってかれちまう。
親が保険会社のギャンブル、ま、普通の呼び名で「傷害保険」だな。
火事になる方に賭けるのが火災保険だし、癌になる方に賭けるのがガン保険だ。
モチロン、コンナのは負けた方が嬉しい訳だ。
稼いだお給金守るんだったら銀行に預けときゃ良さそうなもんだが、実はコレ目減りする。
まあ、昭和の頃みたいに普通預金でも3%とかついてりゃ別にエエがな。インフレ2%より大きいからな。
ただ、金利は自由化されたし、銀行にしか預け先がないってのは如何にも問題だ。
だもんで、「今貯めてるカネが、インフレに負けて実質目減りしないようにする」ギャンブルってのは、
まあ、欲に眩んだギャンブルよりは多少はマシなわけだ。
さてとNISAだ。
ISAってのはイギリスのIndividual Savings Account(個人貯蓄口座)の事で、これがお手本になってる。
(読んで字のごとく個人の貯蓄を奨励する口座だが、イギリスのはちっとメンドウだ。カツアイ)
ま、日本の場合は、非課税ってあたりがキモで、要は税金が取られねぇ。
日本はな、稼いだカネにゃ税金がかかるんだ。転売も例外じゃ無え。
だけどな、政府が「こんな風に自助努力してくんねーかなー」って部分にゃ、優遇してくれるコトが多い。
判りやすいところで言うとだ、財形貯蓄ってのは利息に税金がかかんねぇ。
まー雀の涙にもならん利率の昨今だと意味ないが、例えば金利3%の時代ならマァマァ意味があったんだよ。
簡単に言うとだ、年上限100万でギャンブルに慣れろって制度だ。
NISAちゃんみたいな絵を石川雅之が書きゃイイんだよ。醸せよ。
あとで政府のインボウガーみたいなのは邪推するけど、制度だけサラッと説明するとだ、
これだけだな。
ナンカ落とし穴とか気になるワードだが、要は口座の中だけが非課税で、外出しちゃイカンってこったな。
ま、アタリマエっちゃあアタリマエのハナシだ。そういう口座なんだから。
あ、2023年までの10年間だから通算1000万円ぶんーとか言ってるのは聞き流してイイ。
5年間非課税ってことはだ、6年目には非課税枠が消えるわけで、結局5つしか枠はストックできねえな。
ちっと判り難いか。具体的に行こうか。
2019年時点では、以下のようになるな。
んでだ、
ま、年始に5年間使えるNISA枠がもらえて、買えるのは最初の一年だけ、ってな感じで理解すりゃエエな。
2018年まで使える「2014年NISA枠」は既に配布開始されてる。来年になったら「2015年NISA枠」が配布される。
これが今んトコ、2023年まで配布されるってこったな。
要はだ、素人がいきなり2000万とか5000万とか握りしめて鉄火場にやってこられちゃ困るわけだ。
いや、イイんだよ?スッてもおとなしく社会を乱さずヒッソリ暮らしてくれりゃ。
そうはならんだろ。
だから、ガーターガード付きボーリングみたいな、上限100万のお試し賭博場で、ちっと経験積んでくれってコトなわけだ。
「退職金の3000万で、○○の株を買った!儲かったら海外旅行に行くつもりだ」
○○には好きな会社の名前を入れて良いが、こう言うのやられたら困るわけだ。
だが、銀行におんぶにだっことか、年金だの公的支援だのに期待されても困る。
だから、「儲けるためのギャンブル」じゃなくて「インフレに負けない資産防衛」してもらいたい。
ただ、痛みを伴わない教訓は身につかない。
だからまあ、年100万ぐらいの規模で痛い目みながら学んでもらうってのが、目論見になっとるわけだ。
http://www.gov-online.go.jp/useful/article/201306/3.html#anc04
いやあ、腐っても政府広報。
「投資はギャンブルではありません」とか書いてないトコロにシビれるネ。
安全にギャンブルを楽しむ方法を説明しているトコロが、実に誠実だな。
なんでもやってみなきゃ判んねぇとか言ってねぇで、良い年した大人ならある程度のことはやって見る前に判れよ。
つーかな、繰り返しになるがな、
「儲けよう、2倍にしよう3倍にしよう」ってのは、競馬競輪オートレースに競艇と全く変わらんわけだ。
でもな、オトウチャンが50万も100万も握りしめてボートレース行っちゃったら困るだろ。
「余裕資金で初めて、損しても授業料だと思いましょう」とか鵜呑みにスンなよ?
馬見るオッサンだって必死に予想して、当たると思って買ってんだ。
クドすぎるぐらいにゆっくりじっくり考えろナ
んで、イケると踏んでから買やイイのよ
ハッキリ言って譲渡益(売買益な)に税金かからんとか、どうかしてる優遇措置なんだよ。
コレで、株だのファンドだのを「調べて学んで資産運用を自分でやる基礎を身に付けろな」って制度なワケだな。
要は、これからインフレさせる予定だから自助努力でヒトツヨロシクってこった
ま、カネはカネだ。よく考えて張っていこう!
はあ、そうですか。
他人に評価を求めたことはありませんが、時折「私も含めた」と書いていることからも判る通り、私は容姿的劣等種です。キモヲタでブサメンでピザでハゲでおっさんです。180あるのでチビではないでしょう、多分。ついでに言えばブラック企業勤務のワーキングプアです。年収300万台ですが、若い頃に不足した生活費を補ったせいで借金を抱えており、返済が終わる頃には自分は40台になります。当然ぼっちで童貞です。稼ぎの話は転職すれば解決するかも知れませんが、三十路も半ばを越えてなおヘタレ、かつ容姿も性格も最悪の自分を雇用してくれるような物好きな企業はないでしょう。そうやって問題を抱え、その一方で解決する気力も勇気もないまま、惨めさと苛立ちを抱えて日々を生きています。多分死ぬまでこのままなのでしょう。なにしろどうすれば解決するのか全くわからないのです。まあ借金はこのまま返し続ければ最後には綺麗になるでしょう。ピザはまだ自助努力でなんとかなります。しかしそれを解決してなおキモヲタでブサメンでハゲでおっさん(借金を返し終わる頃にはさらに悪化している)で、さらに性格ヘタレで無能である自分がぼっちを解決できる見込みはありません。何かを楽しいと思う気持ちが薄く、何かをしようとしても客先からの直電がかかってくる可能性がある自分は時間のかかる趣味を持つことは最早できず、そこからの人脈開拓は絶望的です。それらを解決していざ趣味の集まりだの街コンだのマッチングサービスだのに登録したりしても、キモヲタでブサメンでハゲでおっさんで性格ヘタレで無能でワーキングプアの自分は「お前何でここに居るの? ここお前みたいなのが居ていい場所じゃないんだけど」という不審な目を向けられるのは明白です。試すまでもありません、いや試すことは迷惑行為でしかありえません。
まず育てて貰ったし、学費や食事の面倒、小さいころはトイレの世話までしてくれて、
恩義も感じている。そして親からはたくさん学んだ事がある。
こうしてPCカタカタやってる自分を生んでくれた両親に感謝したい。
・褒めない(父)
→怒られてばかりで批判されてばかりだった。
小さい頃からプロセスや結果を認められる事で承認欲求を満たす経験は、
・矯正出来ずにガタガタになってしまった歯を放置した(母、父)
→100万単位のお金を小学生や中学生が用意する事は難しいため、
やはり親のせいだと思う。笑顔が可愛いと言ってくれる女性もいるが、
また、上に行くほど外見には気を使わないといけない。
今は上の3点を気にして生きている。
親も万能では無いし、ミスもする。その事が分からなかった時代は、
上記3点の件でなんでこんなに自分はダメなんだろう?と内に原因を求めすぎていた。
親か?と考えるだけで罪悪感を感じていたあの時代。
でもその事を口に出したりはしない。親は50代前半で隠居の準備を始めているため、
「今更何を…」と余分に苦しめるだけだ。ストレスはかけたくない。
成人に、いや高校卒業と同時にこれらは自分の問題になるのだ。自分が解決するしかない。
つまり上記3点については、
そういう女性を選ばない・部下は褒める(独身ですので)・矯正資金を貯めるという事で解決していくのだ。
最後に僕が上記3点を解決したからと言って、将来子供が生まれて
例えば、承認しすぎや怒らなさすぎで子供が増長してしまったり、
思春期に矯正器具を付ける事で子供にトラウマを植え付けてしまう事もあるだろう。
(僕の子供が別の原因で同じエントリーを書くかもしれないね。)
結局、子供はこれら親の教育の弊害について、尻拭いをしなければならないのだ。
かなり頑固な問題が多いが、根気よく向き合って、緩和して、直していく。
仕方がないし、もう自分の問題なので、あまり考えないようにしないといけない。
親は完璧超人ではないのだ。批判してはいけない理由などはない。
努力に生きることはとても美しく見えて,そしてとても辛いことだろうと思う。
血の滲むような努力という言葉がまるで好意的に捉えられるのはどうしてだろうとも思う。
血も汗も涙も,汚くて,でも美しく捉えられて,そしてあまり綺麗ではない。
事実,「努力」(もう少し正確に言うならば「自助努力」だ)をすることを当然と考えていたからかもしれない。
問題は「結果」だ。
他人は必ず「結果」を求める。
経済学的合理性を追求するならば「結果」という言葉はとても甘美な響きを伴う。
当然のことなのだろう。
結果の出せない努力を認める人間が自分の周りにいない限り「努力」は「結果」を出した源のひとつにすぎない。
しかし,残念なことに世の中の大多数(だと私は思っているのだが)は,その多大な犠牲を伴う「努力」の先に良い「結果」を伴っていないことが多い。
いや,他人から見て「良い」と本人の思う「良い」は違うのだ。
おそらく本人の問題だけではないだろうし,そこは実はかなり小さいことなのではないかとさえ思える。
調査不足の一言。
学校事務をしているが、「自分は○○になりたいが、どうしたらいいか」という電話をかけてくる人が時々いる。
資料も取り寄せずネットでも調べず、希望さえすれば誰かが手取り足取り教えてくれて成功させてくれる、障害なんかあるわけないとでも思っているようだ。
本当にその資格が取りたいのなら、自分がそれに届く状態なのかをまず自分で調べるべき。そうすることで色々な情報が手に入り、問題点に気付く目も養える。自助努力というやつだ。
上記の例は極端としても、目指す資格についてはみっちり調べておくべきだ。特に元増田は人よりも抱える問題が多いのだから、資格取得までのそれぞれのステップについて自分が参加可能かどうかをいろいろな方面から確認し、トラブルに見舞われないためにも状況を掴んでおかなければいけない。他の誰でもない、全て自分の進路のことだからだ。
臨地実習があるのは調べればいつでもわかること。自分の状況でこれに参加できるかどうかも、担当部署に訊ねればいつでもわかることだ。
自分がかかわる制度の動きについて目を光らせていなくてはいけない。これは、「障害があるから」で免除されるものではない。そういう事にルーズでないこともまた、仕事をしていくうえで必要なスキルだからだ。
もしルーズなのであれば、それによって起こった結果は自分の責任として引き受けなくてはいけない。今回のケースで言えば、進路を諦めることがそれに当たる。
自分が統合失調なのを学校側は知っているのだから、研修を受けられない事を向こうから言ってくるべきだ、もしくはどうにかして受けられるようにしてくれるべきだ、と期待するのは他人任せに過ぎるというもの。まぁ気持ちはわからないでもないが、学校側からすれば「あなたは勉強しても無駄ですよ」なんて言える訳もない。向こうだって商売だ。
できることなら、入学当初から調べをつけておいて、自分はこの実習を受けられますよね?と講師なり事務方なりに言質をとっておくぐらいのたくましさがあってほしい。それで100%確実に受けられるとは言えないけど、一度学校として認めてしまった経歴があれば、その責任として実習先をやりくりしてくれた……かもしれない。
あまり愉快ではないけれど、いざという時のために向こうに弱みを作っておくのも有効な手段のひとつなのだ。
統合失調であることを隠してくれ、などというのは言語道断。それは先生の言うとおり信用問題に関わる。その問題の責任も自分が全て取るというなら話は別だが、まずそんな事は不可能だ。
病気を隠して生きることを人に勧めているが、結局そのツケは本人にいずれ回ってくる。
学校での信用、就職先での信用、罹患者としての信用。結局どこかで何かを失う。
目指しさえすれば、頑張りさえすれば夢は叶うなどという夢想は、障害者にも健常者にも保証されてはいない。
例えば、出自で進路を断念する人もいる。性別の壁を越えられない人もいるだろう。どちらも薬を飲んでも克服できない障壁だ。
ものすごく頑張って勉強をしてきたことはとても立派だ。だけど哀しいかな、それとこれとは別なのだ。言い方は厳しいが、資格を取るにあたり頑張って勉強することは誰にとってもあたりまえで、その上で諸々の手続きや条件を満たせることが必要なのだ。
ぼくのイメージする保守とは、共同体や人のつながりを大切にする考え方だ。
個人の権利や自由を徹底しようとする革新は、その結果として町内会やご近所さんや親戚や家族であってさえも、他人に口出しすることを許さない。
もちろんそれによって従来の抑圧から解放されるというプラスの面があったことは否定できないだろう。
でも、他人のあなたには関係ないでしょ、というような態度ではなかなか助け合いの気運というものは生まれにくいし、そんな社会が幸せだとは思えない。
だから、ご近所づきあいが少々面倒でも、多少プライバシーその他の権利が制約されても、今よりもう少し共同体や人のつながりが重視される社会になればいいな、と思っている。
そういう意味で、ぼくは割と保守的なところのある人間だと思っている。
そんなぼくから見て、自民党のどこが保守なのかよく分からない。
小泉首相が行ったような自己責任を前面に押し出した改革はむしろ個人を分断し共同体を弱らせるものじゃないんだろうか。そしてその路線は今も堅持されている。
菅義偉さんは先日母校での講演で「他人は助けてくれない」ということを言ったそうだが、こうした言葉にも助け合いを否定し自己責任・自助努力を強調する自民党の考え方が滲んでいるように思う。
ぼくにはそういう考え方が良いのか悪いのかは分からないので、そのことを批判するつもりはない。そのような考え方を持つ政党がなぜ保守と言われているのか不思議だ、という日記。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130628/p1#tb
ユニクロの服で冬をこえ
どんなに東京のほうを向いていても
沢山のかわいそうなネットユーザーを煽っても
そちらの皆さんは「イオンとともに生きよう」と思ってるかもしれませんが、イオンの方は「国道沿いの民と共に生きよう」とは思ってないってところがポイントの中心だと思いますよ。
ショッピングモール依存経済をつくってリトルマイホーム幻想を構築したところで、イオンの方は商業圏の人口が低下して収益が悪化すれば店舗閉鎖で撤退します。
ナウシカの皆さんたちはその場所で自助努力で石にかじりついても生きていくから上のようなポエムを歌っても美しいわけですが、地方の皆さん自助努力で生きていくんですか? イオンなくなっても。現時点でも税収面で泣きついてる現状があるんではないですか?
最近ニュースでマタハラという単語をよく聞くのでつらつらと書いてみます。
マタハラ、それはマタニティハラスメント。
妊娠した女性が妊娠理由に嫌がらせをされたり、退職に追い込まれたりすることです。
そのチームは男性総合職五人、女性一般職三人が働くチームでした。
女性の内訳は、
総合職の補佐をするAさん(既婚)
総務関係をしているCさん(既婚)
の三名でした。
三名が働いていた頃は、繁忙期には残業もあったもののそこまで遅くなることはありませんでした。人数と仕事のバランスが取れていたといえます。
まずCさんが産休育休に入りました。期間としてはおよそ一年半。
Cさんが担当していた総務の仕事は、三人の中でも一番少なかったため、Bさん中心に引き継ぎましたが、そこまでの負担にはなりませんでした。
残業時間は当然増えたものの、残業代も出たためBさんは増えたお金でショッピングをしたりと楽しそうにしていました。
少し心配していたものの、チームは回っていましたし、提出される書類のクオリティは落ちていなかったので安心していました。
これは困りました。Cさんに比べるとAさんの仕事量は多かったのです。
しかし、補充要員はいません。結果、AさんはBさんに全てを引き継ぎ、同じく一年半の休暇に入りました。
それからのBさんは本当に大変そうでした。一人で三人分の仕事をしているわけですから当たり前です。
提出される書類のクオリティも落ちましたし、締め切りにも遅れることも度々ありました(こちらとしては余裕を持たせて締め切りを設定していたので、なんとかなりましたが…)
それでもBさんは頑張りました。あと半年経てば、最初に休暇に入ったCさんが戻ってくるからです。
そして、Cさんが戻ってきました。
Bさんはホッとして、本来Cさんが担当していた総務関係をCさんにお返しすることにしました。
が…
子供を持つ母親であるCさんは時短勤務のうえ残業は一切しません。もちろん途中で早退することもあります。
結局Bさんの総務仕事は半分くらいしか引き継ぐことが出来ませんでした。
あと少しなのですが、Bさんは限界でした。ついに体を壊して入院してしまいました。
今、このチームの仕事は全く回っていません。実務をよくわかっていない男性総合職がギリギリで作成した書類はクオリティが著しく低く、私が何度も手直しすることになっています。
ちなみにこれでもいわゆる大企業で、学生が選ぶ就職人気ランキング(笑)上位に位置する企業です。
どう思われますか?
なぜ都度都度業務の効率化を図れなかったのか?
そもそもなぜ補充要員がいないのか?
こんな状況を見て誰が喜んで産休育休に送り出せるのでしょうか?
これでBさんがイヤミを言ったらマタハラと叩かれるだなんて、あまりにひどい話じゃないですか。
理想はそうでしょう。ただ、Bさんにそんなことは思えないでしょう。
なぜ他人の子供が育つために体を壊さなくてはならないのでしょうか。
妊婦に受動喫煙させたとか、わざと重いものを持たされたとか、そういうのはただの傷害罪であり、人として論外なのでマタハラ以前の問題です。
妊娠を理由に仕事をやめさせられたり左遷される女性は可哀想かもしれませんが、
職場で産休に入る人のせいで体を壊したり無理をしたりする女性は可哀想ではないのでしょうか。
「休むの?!」「また生むの?!」「だったら辞めてよ」
そういう言葉が出てきてしまうのは、誰かが負担になっているからです。
負担にならない仕組みを作れる管理職の方がいれば良いのですが、
いなくなった人の仕事を効率的に配分して残ったひとに過度な負担のかからない仕組みを作れる有能な人を見たことはありません。
そしてそもそもそんな事をしたら間違いなく産休に入った人の戻る場所はなくなってしまいます。
出産というおめでたいことをお祝いできないのは自己中だというご指摘もあるのかもしれません。
しかし、おめでたいことはBさんが身体を壊す正当な理由にはなりません。
会社がきちんと補充要員を用意すれば良いのでしょうが、そんなお金に余裕のある会社ばかりとも思えません。
補充要員ということは産休の人が戻ってきたらクビを切るのでしょうか。
行政は子ども手当やら育休三年やら考える前に、補充要員にかかる費用を補助する仕組みを考えて欲しいと思います。
補充要員は二年程度で用が済むので、結局、派遣で雇うしかありません。
派遣される側の雇用安定のために登録型派遣ではなく常用型派遣で確保出来れば一番です。
増える負担を善意でまかなおうとするから、人間関係に軋みが出て、心無い言葉をかけたり辛い態度をとるマタハラが起きてしまうのです。
私の部署でも今年の9月から一人産休育休に入る女性がいますが、補充要員はナシ(Aさんが退職すれば補充要員アリ)
私もいつBさんとおなじ状況になるかわかりません。
ある程度の負担は覚悟していますが、身体を壊すまでにはなりたくないなぁと思います。
下手に話すとイヤミの一言も言いたくなるかもしれませんので、最近その女性とは距離を置くようにしています。
マタハラは周囲の心構えが悪いのではなく、そうせざるを得ない会社の仕組みや、果てや行政が悪なのです。
もし、マタハラをしてしまいそうになったら妊婦本人にストレスをぶつけるのではなく、会社を悪い思うようにすること。
そして妊婦の方はもし周囲から何か言われても(先述した傷害罪に当たるようなことはさておき)周囲は貴方が憎くて言っているわけではなく、会社の仕組みや制度に不満があるのだという目で受け止めてあげて欲しいのです。
人の親になる以上、自分の立場がつらいとき、身近な人に辛い態度をとってしまうことがあるというのは人間ならある事なのだと、知っておいて欲しいと思います。
マタハラに悩む方は、周囲がマタハラをしてしまう現状にはこんな現実があるということを知ってくださると、少しは気持ちが楽になるかもしれません。
それでも理解できない!というのならこう考えてください。
貴方が居なくなって困らないならイヤミなんて言いません。
あなたが今までやってきた仕事が立派だったので、その穴が生まれてしまうことを嘆いているのです。
イヤミの裏にはあなたがやってきた仕事を認める意味があります。
「あなたがいなくても仕事平気だから」と言われることは、暗に、「あなたは会社に要らない人間だ」と言われてるに等しいことです。
そう前向きに捉えてみてはいかがでしょうか?
長くなりましたが以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
(1) 毎週、月曜日と木曜日に、かなりのテキスト量のデータ入力をしなければなりません。
(4) 社内では、この処理をやっている人がたくさんいます。
この想定だと、このデータ入力には週4時間かかります。正月休みやお盆休み、GWなどもあると考えて実働はざっくり年50週程度と考えると、この仕事には年間約200時間を費やすことになり、膨大な作業量だと言えます。
さて、当然のことですが、普通の人はこの仕事をできるだけ短時間で効率的に処理しようと考えます。いろいろな手段が考えられますが、クオリティを下げずスピードを上げる一番手っ取り早い手段は、「タイピングのスピードを上げる」ことです。タッチタイピングを会得するのは実はそんなに難しくなく、粘り強い人なら1週間もあればスピードは格段に上がります。私の感覚だと、ちょっと練習しただけでも、2倍程度のスピードは出せるのではないかと。
仮に2倍のスピードでタイプできるようになれば、この仕事にかかる時間は年間100時間、つまり-100時間のコスト削減になるわけです。ここでは、これをパターンAと呼ぶことにします。
まあ、実際のビジネスはこんな単純には効率化できないわけですが...。
それはさておき、実際の事務系の現場ではというと、効率化の取組としてパターンAを取る人というのは、実はそんなに多くはいないだろうと思います。入力するデータの簡略化を試みたり、より入力しやすいコンソールへの改善を求めたりします。基本的に個人では努力をせず、システムやタスクの側で何とかしようとします。実現すればもちろん効率化の目的は果たされます。この考え方でも例えば-100時間のコスト削減は可能かもしれません。この取組をパターンBとします。
ここで、普通は「だったら両方やれば良いのでは?」という、至極全うなアイデアが浮かぶはずです。パターンA+Bですね。しかし、実際にはこの動きは非常に起こりにくくなるんじゃないかと思うのです。
それは、少数であったとしてもパターンAを採用する、いわゆる「仕事ができる人」にとって、パターンBは邪魔に映るからです。
パターンBによって、200時間から-100時間が実現すれば、それに重ねてパターンAによって削減できるコストは100/2で-50時間になります。同じ労力をパターンA採用者は自力で100時間で処理ができ、なおかつ非採用者は200時間がかかるわけで、その「100時間の差」が相対的に「仕事ができる幅」ということですね。
パターンAを採用する人は、パターンBの採用に消極的になります。パターンBも併せて採用してしまうと、同じ労力で「50時間の差」しか生まれないわけですから。さらに言うと、100時間で処理できてしまう人にとっては、自助努力のみで負担感も半分になるわけですから、効率化への意識も下がります。
こういうところに、「仕事ができる人」が組織の効率化や構造改革を阻む構図があるのではないかと思うわけです。仕事ができない人ができないままでいてくれる方が、仕事ができる人の「評価の幅」が大きくなるからですね。非常に狭い視野で語っていますが、実際のビジネスの現場ってこういうレベルの低い話に充ち満ちているんじゃないかという気がします。
これはあくまで個人レベルの話で、組織レベルではまた違うのですが、私にはあまり組織レベルの話に興味はないので...。
常々、高稼働の現場を目にするに当たり、自分だけは社畜になるものかと奮闘してきた。
しかし、今年に入ってから、複数人いる現場のメンバーを取りまとめるリーダーの不在がいろいろな方面に波紋をよぶため、そろそろ誰かやらないかと、上司から通達があった。実質プレイングマネジャーのため、相当の才覚と忍耐力が必要だ。
当然、私も例え失敗してもいいから今後の昇進を見据えて実績は欲しいところだが、ちょうどメンタルを患っていた時期で、その話に飛びつく自信がなかった。自分の作業はもちろん、日常を安定した気持ちで過ごすだけでも大変なのに、これは相当な負荷だ。
そのため、まごまごしているうちに別の人間が手をあげ、その任を引き受けたため、私自身は仕事に対するモチベーションを極限まで減らし、とにかく自分の身を守るので精一杯という時期をこの3月まで過ごしていた。
しかし、何かやるせない。不甲斐ない気持ちで心は充満していた。そのため、とにかくまともな神経に戻そうとメンタルを改善し、体力をつけてから再戦と考えていた矢先、下に人がつくなど、とにかく実績を作る足がかりができた。
ついた人間は開発経験5年くらいなので、ある程度の説明と現場のナレッジを与えれば自然と動いてくれる。しかし、そうはいってもまだ不明なことや未経験なことが多いこの業界で、当然提供すべき情報やサポートが日々発生している。
それにしっかりと彼を育てたいと思っているので、相当の時間が自分の作業以外にかかる。だが、うちの会社は専らのトップダウンな社風のせいか、「稼働=コスト」としか捉えておらず、当然ながら結果の数字しか判断しない。年収も頭打ちの私は、実績を作りつつも稼働を上げない、言わば製造業なら当たり前の「安いコストで良いもの(サービス)を作る」というジレンマに陥ってしまった。
俄然お客にも自社にも良くする法などなさそうなので、現実として(サービス)残業をしてでも結果を残そうと決意したが、年齢のせいか思うように連日の残業は続かず、体調を崩すだけなのが判明した。そこで、朝ならばと就業前の1時間を準備や瑣末な作業、確認や整理の時間に割り振り、極力残業せずに業務時間内の成果を最大化するよう自分をし向けた。
ある程度効果があったため、月次の報告書に「就業前時間を有効に使って作業効率ができました」との自己アピールを書いたのだが、リーダー決定の時に名乗り出た者がこれを削除した。私的には人の自助努力を無にする隠蔽工作かと訝ったのだが、その後リーダーではないがベテランかつリーダー経験者との話し合いが持たれ、その結果、私の予想を覆した。
彼らの示した要点は以下の通り。
・サービス残業を実質していて、稼働が抑えられたからと言って、本当に作業効率が向上したといえるのか?
・就業前時間を作業に当てているのなら、稼働として報告し、その分の対価を得たらどうか? こちら(そのお二人)としては、仕事に対する(私の)モチベーションの高さが感じられる。
・社のトップが早朝残業や生活残業を許さないタイプのため、大っぴらに問題提起はできない(逆に作業するなという締め付けがなされる可能性の方が断然高い)
正直、1点目は私の認識の甘さを露呈させてしまったが、2点目に関しては、見識のある妥協点でもあるし、思ってもいない評価だと思いありがたくて感激してしまった。ただ、やはり残念なのはおそらく日本の多くの企業がまだ良解を出せないでいる問題と全くシンクロしていたことだ。
ただでさえ、一部大企業は年収アップを決定しているし、成果主義も年々常識化してるはず。そんな中、現場では理解されても、上層から評価を得なければ末端エンジニアは這い上がれないという構図はどうにかならないのかというのが、この時感じた疑問である。
いい話だね。良いメッセージだと思いたい。
いやいや。
「泣かせる前に」って、
まるで橋下が何か心変わりしたみたいじゃないか。
請合ってもいいけど橋下は今でも例の女子高生については「勝手に泣いとけ」って思ってるよ。
いい話だが、「美談」にならない様な、成績の良くない私立女子高生の要望だったらどうだったんだろうね。
2012/02/05
どうだったんだろうねって。
わかりきってるだろ。
「家が貧しいって言いながら必死に勉強もせず私立入ってるような奴は救う価値なし!」
って
橋下はオブラートも無くハッキリ言ってるじゃん。似たような事例でもいつも。
橋下は、
橋下基準の「自分で出来ることを十分頑張ってる」奴が頼ってくると涙を流して力になるぐらいの人情家で
橋下基準の「自分で出来ることを十分やってない」奴が頼ってくると「死滅しろ」って吐き捨てるぐらい嫌悪をあらわにする。
出来合いの言葉にすると
という風にまとめられる。
橋下の個人的な人生に対するスタンスは一貫してる。わかりにくさもない。
「お前のスタンスは施政者として冷酷すぎ。頑張ってない奴も救え」だとかならば
批判足りえる。
だがこれらのブコメと☆つけてる奴等は
橋下の中で「K君」と「成績の悪い私立女子高生」がどういう差をつけられてるのかすらわかってない。
だから「K君に優しくしたのに何故女子高生に優しくできなかった!今ごろ改心しても遅いぞ!」などと
もちろん橋下は全く”改心”なんかしてない。
K君、人生しんどいことがあっても頑張れば必ず報われる。人生捨てたもんじゃない。日本社会は捨てたもんじゃない。.
僕ももう一頑張りしないといけないと、エネルギーをもらったよ。.
今回のK君の行動こそ公の行動。勉強させてもらいました。.
お互いに頑張ろう!
大阪市長 橋下 徹
書き手が滲み出してくるイイ文だ。
頑張らない奴に対して人生や日本社会がどうあるべきかを明確に述べてもいる。
〇違いというとすぐ変顔や溢れ出るヨダレで表現する凡百のフィクションはこのセンスを見習うべき。
キャラ立てというのはこのようにやる。
そして
こんなにわかりやすくも確固としたキャラ・スタンスを打ち出してるのに
それすらきちんと読み取れない批判対象を理解出来ないのであれば、
当然問題点の整理や抽出なんかも出来ず、つまり批判なんか出来ない。
お前等は一切口出さなくてよろしい。