ぼくのイメージする保守とは、共同体や人のつながりを大切にする考え方だ。
個人の権利や自由を徹底しようとする革新は、その結果として町内会やご近所さんや親戚や家族であってさえも、他人に口出しすることを許さない。
もちろんそれによって従来の抑圧から解放されるというプラスの面があったことは否定できないだろう。
でも、他人のあなたには関係ないでしょ、というような態度ではなかなか助け合いの気運というものは生まれにくいし、そんな社会が幸せだとは思えない。
だから、ご近所づきあいが少々面倒でも、多少プライバシーその他の権利が制約されても、今よりもう少し共同体や人のつながりが重視される社会になればいいな、と思っている。
そういう意味で、ぼくは割と保守的なところのある人間だと思っている。
そんなぼくから見て、自民党のどこが保守なのかよく分からない。
小泉首相が行ったような自己責任を前面に押し出した改革はむしろ個人を分断し共同体を弱らせるものじゃないんだろうか。そしてその路線は今も堅持されている。
菅義偉さんは先日母校での講演で「他人は助けてくれない」ということを言ったそうだが、こうした言葉にも助け合いを否定し自己責任・自助努力を強調する自民党の考え方が滲んでいるように思う。
ぼくにはそういう考え方が良いのか悪いのかは分からないので、そのことを批判するつもりはない。そのような考え方を持つ政党がなぜ保守と言われているのか不思議だ、という日記。
じゃあ弱者助け合いを訴える共産党や社民党は保守なのかよ 保守にとって身内を助けるってのは国家による福祉とは違う概念だよ