はてなキーワード: 爆睡とは
要するに、オナニーのあり方の違う。
男性向け同人誌は最悪書き手自身がシコれればあとはどうでもいい。賢者モードで爆睡しておけば満足だ。
しかし女性向け同人誌は前提として(感情としての)「共感」と(行動としての)「共有」が求められる。
女性向け同人誌という戦場には、コミュニケーションの強制がビルドインされている。
リンク先の主が回顧する「古き良き時代」のサークルのあり方についての記述を注意深く読めばそのことがわかっていただけると思う。
ただ昔は共有手段が限定されていた。腐女子同士がコミュニケーションを取れる場はマーケットしかなかった。
ところが、インターネットの普及で状況は一変する。
SNSというサービスはまさに共感エネルギーを最大限効率的に生み出すための原発のようなものだった。
ところが、核施設の運用は核燃料廃棄物を伴う。腐女子にとっての核廃棄物に当たるのが、リンク先のブログで列挙されていたコミュニケーション地獄である。
他人を褒めるために生み出されたはずのSNSの評価機能は戦場では武器となる。
インターネットの人口の増加にともない、頭のおかしい人や悪意を持った人間も増えた。
男性向け同人作家にとっては「点数=俺TUEEEの値」でしかないが、腐女子にとっては「誰かの意思表示」、つまりコミュニケーションの道具だ。
善良なもの同士であれば良い互助会の肴だが、テロリストが用いるとなると凶悪な兵器と化す。
ブログ主も、その「汚い兵器」に打ちのめされた一人なのだろう。
我々のインターネットは今や20世紀の頃とは違う戦争を戦っている。
にこやかに握手を求める手を差し出してきた人間が自爆テロ犯なのかもしれない。
もはや我々に安眠は訪れない。
昨日どうしても出席しなければならなかった会議をすっぽかしてしまい、頭が不安を過ぎり昨夜は寝られなかった。
殴られるのかしら。首になるのかしら。人生終了するのかな。死ぬのかな。etc.
そんで今日その会議の責任者にびくびくしながら謝罪に行ったら、悪意ありげにニコニコしながら、
「昨日はどうしたの」と言ってきた。俺はああ、終わった。と悟った。
ええい、どうせ悪い結果になるのだからと思い「すいません!自宅で爆睡してました!」と正直に白状した。
「はっはっは、誰にだってそんなことはあるさ。次から気をつけてね」と赦してくれた。
不安でぴーぴーごろごろ言っていた腹も「快腸快腸」と言ってるようで、晴れやかな気分が沸いた。
ほんとにありがとうございました。
またすっぽかさせていただきます。
姉とちびまる子ちゃんの家みたいな部屋で数十年過ごして感じた、相部屋の弊害。
・姉が凶暴で無神経だと死ぬ
私の場合、姉が早く寝てしまうと部屋が真っ暗だった。明かりをつけて明日の自分の机から教科書を取ろうとすると、「電気消せよ!!」とキレて物を投げられたりたした。知ってるか頭にガラケー当たると意外と痛いぜ。なので姉が寝ていて、どうしても部屋に入らないといけない時は忍び足で、明かりも携帯のライトを使って部屋に入るようにした。
逆にこちらが早く寝たいのに姉が夜更かしするため煩くて眠れないということもあった。1番イラついたのが、私が寝ようとしてるにも関わらず姉が何故かイヤホンせずに大音量でpcで動画を見るということだ。「イヤホンしてよ」というと「面倒臭い」とよく分からない返答が返ってきた。多分耳に何かつけるのが嫌なんだろう。頼むから深夜1時に大音量でラジオ聴くのはやめてくれ。
因みに私がちょっとでも煩くすると「うるさい!あたし寝てるでしょ!」と怒号が来る。
ちびまる子ちゃんの部屋は左右でまる子とお姉ちゃんのスペースが区切られている。我が家もそうなのだがぶっちゃけ姉が守ってない。
簡単に言うと私の机に姉の私物をなんでも置いてくるのである。飲み物が入ったマグカップ(机で漫画描くのに濡れるといけないかららしい)、買ってきた姉の漫画、お菓子のゴミ…1番イラッとしたのは下着である。これまた「ちゃんと片付けてるんだから、置くのをやめて」というと「あんたの机空いてるんだからいーじゃん!」となかなかロックな答えが返ってくる。因みに私が逆のことやると凄い勢いで怒ってくる。最悪殴ってくる。
前、ガラケー時代に携帯を弄っていた時隣で寝てた姉に「ボタンがうるさい」と言われた。まあそれは私が悪いよなーと思いすぐ辞めた。するとその後何故か30秒くらい間を置いて「うるさいって言ってるでしょ!!」と怒号と共に姉の踵落としが私の太ももに炸裂した。状況が掴めないでいるともう1発炸裂した。
結果一時間くらい痛さで眠れず、足にはもちろん痣が出来た。こっちが悪かったのは認めるがなんで2発も打った。
後ベットなんでたまに物が布団の中に潜り込むことがある。寝てる時に姉がいきなり布団を捲り上げてきたので「何?」と言うと「あたしのパーカーがない!布団の中なんじゃない?」…せめて静かにまくってぇ
・朝の目覚ましで死ぬ
これまた生活時間が違うと、まだ起きなくても良い時間のはずなのに目覚ましが鳴る。
といっても姉のが早い場合私はそんなに目覚ましの音に気付かない。しかし姉がたまに理不尽に起こしてくる。理由はなんか些細なことが多いのでマジでそんな理由で朝起こすなと言いたくなる。その中の1つに「聞いてよ!深夜アニメが取れてなかった!!(私が故意に何かした訳ではない、放送時間がずれたらしい)」なんでそれわざわざ起こしてまで言った?と問うと「今言いたかったから!」知るかよ
逆に私が早く起きる時、目覚ましを止めるのが遅れると姉がめっちゃ不機嫌で起きてくる。そして怒号&下手したら暴力である。後スヌーズで起きることが出来ないと、最悪携帯や目覚ましの電池を抜いてくる。朝起きて隣にバッテリー外された携帯があり、いつもより大幅に遅れた時間を示す時計の光景を見た時の絶望感は半端じゃない。それで寝坊したことがあるので起きる時はいつも恐怖だ。
後姉を怒らせないために目覚ましがなった瞬間に止める、スヌーズも切る癖が着いてしまった。この癖のせいで二度寝してしまった時マジで詰むのでほんと弊害である。うるさいのは分かるけどやりすぎだし、私が同じことやると多分怒り狂うので理不尽さを感じ得ない。
Q夜中、リビングには姉と喧嘩して機嫌の悪い父親、自室にはこれまた機嫌の悪い姉。貴方はどっちを選ぶ?
A機嫌悪くても父親は暫くするとそのまま爆睡し始めるのでリビングで。
一人暮らししようや→今就活中なんでも少し後で…後姉が父親と仲悪すぎて家出るって最近喚いてるのでワンチャンそっちのが早いかも。
親何も言わないの?→母:生活態度諸々姉が悪いので怒るが姉特に堪えない。
父:姉と性格そっくり。大抵父が姉に些細なことでキレる→姉も引かない→最終的に物の投げ合いになる。→姉結局反省しないという地獄絵図が完成するので最近は2人を喧嘩させないように母と頑張ってる。
もしこれを見て子供部屋を検討してる人がいたら、同性だからって相部屋にするのは絶対にやめた方がいいぞ!特に歳の差や力の差がある場合!妹からの約束だ!
一般名はタンドスピロンクエン酸塩で、1996年に発売された大日本住友製薬の抗不安薬である。
このセディールはggったらわかるのだけれども、びっくりするほど評判が悪い。
私はセディールに丸2年ちかく、1日3回世話になり続けた。
途中何度か油断して断薬したりもしたが、
その度に「やっぱりセディールがないとだめなんだ」と反省して飲み直した。
どれくらい飲んだんだろう。700日間飲んだとしたら2100錠だから、21箱?
私はセディールが好きだ。人生を救ってくれたと思っている。とても感謝している。
できれば1日3回の用法が煩雑なので徐放とか開発してくれないかと思っているのだが、
というわけで、ネットにセディール万歳記事が見当たらないと悔しいので、
どうせこの記事も埋もれるんだろうけど、それでも書きたい。自己満足です。
長くなるけど自己満足っていうことで許してほしい。
セディールの話をしているからには、私は抗不安薬を飲まなくちゃいけないような人間だ。
幼い頃はADHDのクラスメイトとセットで爪弾きにされて、彼女の失禁の面倒ばかりみていた。
その後不登校になって自殺未遂して、……まあ波乱万丈に鬱々と生きてきた。
受験生のときに、駿台模試の数学で偏差値103とったことがあるくらい。
他人にはほぼ無関心を貫いていた私も、さすがに驚いた。
「こんなに簡単な問題を解けない人がいるらしい」という方向に。
別に数学自慢をしたい訳ではなく、抗不安薬の薬効を褒めるに当たって
どういったバックグラウンドの患者であるかを説明したいのだが、
数学ができそうなことを書いてみたが、私は基本的にテストが苦手だ。
知らない場所へ行くのも大嫌いで、場所が変わったらただ硬直するだけの人になる。
たまたま前述の模試は知っている予備校の知っている部屋で開催されただけで、
別の部屋で開催していたら多分偏差値なんて40とかその程度に落ちていたと思う。
たとえば「月末に試験がある」とか、いつもと違う予定になってしまったら
食事も食べられないし、部屋の片隅でずっと猫のように丸まっている。
両親はいつも「私に物事を意識させない」ように気遣ってくれていた。
幸か不幸か、観察眼もないし日付や時間もよくわからない人間だったので
騙し騙し手を引けば、何にも気付かずいつも通りに過ごしていた。
「今日は一緒に出掛けよう」←よくあること
「この席に座って問題を解いてね」←よくあること
で、誤魔化すことが可能だった。
子供だましのようだが、子供だましが看破できないからASDなので仕方がない。
しかし、そんな風に一から十まで他人に面倒を見させる訳にもいかないだろう。
大学受験の段階で、かなりムリがあったと思う。
一般企業で働くのは無理だと気づいて、手に職をつけさせようとしたのだと思う。
という訳で、向不安薬の存在をはじめて意識したのは、大学の教科書の上だった。
そのとき、私はまだ精神科や心療内科の世話になったことはなかったのだが
セディールが、セロトニン5-HT1A自己受容体に部分アゴニストとして作用するとか、
受容体が脱感作してダウンレギュレーションを起こすことは何となく印象に残った。
他の多くの抗不安薬はGABAa受容体のCl-透過性をどうの、という作用点なので
「あー全然違うのが混ざってる、へー」程度だったと思うが。
まあいろいろあって、職場を追い出され、実家でもちょっとトラブルが起き
元々神経過敏であった私は、あっという間に鬱っぽくなった。
あくまで「鬱っぽく」だ。
適応障害と言われたが、私の問題は適応障害云々とは別のところにあった。
そりゃ何もなくても泣き出したりしたりしたけど。
ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うが、
物音も人間の気配も何もかもが耐えられなくて、
外出してみたものの、机の下に隠れて出られなくなるような有様だった。
ちなみに、この時点でカウンセリングやテストを受けて、ASDが正式に発覚した。
また、これもよく知られていることだが、
私もその系統で、鬱や適応障害に投与される抗不安薬がほぼ使い物にならなかった。
たとえば、メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)という薬がある。
成人なら1回2mgで1日1回服用の、長時間作用型の穏やかな抗不安薬だ。
高齢者などで1mgで投与されることもある。
1mg飲んだところ、2日間に渡って朦朧状態、ほぼ40時間ぶっ通しで爆睡した。
メイラックスは比較的コントロールできるので今も世話になることがあるが
初日に0.5mg(1mg錠を半分に割る)、以降1日おきに0.25mg(1/4に割る)。
この使い方は、自分の体感を頼りに半減期などを考慮して自分で計算して決めたものなので、
他の薬の感受性が高い人が同じ容量で効果を得られることなどを保証するものではない。
飲んだら千鳥足、からの爆睡。半日以上目が覚めない、そればっかりで、
とてもじゃないけれども、外に出ることを前提に使えたものではなかった。
なお、三環系や四環系、SSRI、SNRIなどは未経験である。
かろうじて大学だけは卒業したものの、卒業したところで私は立ち止まった。
そのまま部屋の外に出られなくて引きこもって終わる可能性も覚悟した。
そんな時に処方されたのがセディールだった。
効果は薄いかもしれないけれど、と抑肝散と共に処方されたそれを見て、
そして、こいつに即効性はないはずだ、と引きこもりの頭で考えた。
知らない。知らないけど、俗に作用発現に2週間と言われているということは、
とりあえず長く見積もって1ヶ月、高コンプライアンスを維持しよう。
とかなんとか。
目標は抗不安効果ではなく、セロトニン受容体を殴ることだと割り切り、
効果の体感がほぼない分、服薬忘れに細心の注意を払ったと思う。
で、2ヶ月くらい飲んだ頃、正直、「あんまり効果ないな」と思った。
依然として不調な時は不調だったし、
そこで面倒になった私は、薬のなくなるタイミングで勝手に断薬した。
2週間くらい放ったらかして、何だかイライラする頻度が増した。
落ち着かない感じというのだろうか。
その時にはすっかり忘れていた強迫行動がぶり返した気がした。
ベンゾジアゼピン薬の消費が増えかけたので、
その時即効性を感じた訳ではないが、数日後にぴたりと強迫行動は止まった。
日付感覚がないので、カレンダーにメモする癖がついていたせいだ。
そして、しばらくして十分に安定した頃合いに、
その直後はなんともないのだが、
数日するとまた覚えのある強迫行動がぶり返す。
退薬症状でいきなり強迫行動のような特徴的なものが発現したら、
何度か間をあけて飲んでは止め、を繰り返し、
たまに本気で飲み忘れる日も挟んで
カレンダーに出来上がった記録を見て、思った。
なんていう内容をやっていたので、熱心に信じることにした。
頻度は減り続け、今では月に1度も必要ない。
そのうち周囲の環境が変化してよくなったこともあってか、
こだわりも飛躍的に軽減した。
もちろん、今日も私は時計が読めないし、日付はよくわからない。
試験とか言われると倒れそうにはなる。
数字が大好きで、統計データを眺めてひとりでテンションを上げている。
でも、もしかして……?と思うことがある。
数年前より格段に増えた気がする。
「今は『じゅうしちすなわちごじじゅうにふんという時間』なんだなあ〜」と素直に受け入れて、
気にせずスルーすることができるようになった。
思えば、私はずっと怖かったのかもしれない。
歩く時は地面しか見ていなかった。
気づいたら増えていて、気づいたら減っている変なものによって
だから見なかったし、感心を払わなかった。
何歳になってもずっとポケモンを見ていた。
私はたいへん臆病だったのだ。
ところが、その恐怖心が、なんだかこの数年でスーッと、静かに
砂の山がいつの間にか溶けてなくなっているような感じで、小さくなっていた。
全てセディールのおかげかもしれないとまでは言わない。
私が単純に成長しただけかもしれない。図太くなったのかもしれない。
世の中に怖いものが増える、という感覚はやっぱり戻ってくると思う。
最近の私が服薬を忘れる時というのは、何かに熱中している時だ。
慣れ親しんだ恐怖心が平行するように顔を覗かせるのだ。
楽しい気分の時に忘れた時なんて、完全に意識の外へゆくはずだ。
でもそうじゃない。
ということは薬効は100%気のせいではないのではないか、と思う。
私はASDで、薬物過敏だし、普通の抗不安薬で昏倒する体質なので、
ベンゾジアゼピン薬を飲んでも普通に起きていられる人には、セディールは弱すぎるのかもしれない。
セディールは、私のような誰かにとって救世主になり得る良い薬だ。
読んでくれた人がいる気がしないが、もしここまでスクロールしてくださった方が
いたのだとしたら、ありがとうございます。
大日本住友製薬さん大好きだよ。
★★☆☆☆
2巻1話。
あまりのしつこさにBJもついに音を上げ、次の報酬をの半分をやると約束する。
その旅館で妊娠6ヶ月の女が必死に働いていたが、ついに倒れてしまう。
様子がおかしいと呼ばれたBJが見たものはお腹に石のかたまりがあるレントゲン。
開腹し、カラを割ると中には元気な胎児が入っていた。
BJは記念にカラの欠片をもらい、オッサンにその半分を渡し、布団で爆睡するのだった。
外の看板にはホテルって書いてあるのに中で出てくるのは旅館っていうセリフ・・・
BJがこんなオッサンにホイホイのせられて飲みにくるってことは昔はそれなりに仲よかったりしたのかなあ・・・
あのBJがこんなやつのためにわざわざ時間割くってのがなんか違和感がある・・・
オチは好き。
流産とか胎児っていう単語にいちいち説明がついてたのがすげー親切だなと思った。
あとがめついオッサンがBJにタカるにあたっての建前が、財団法人ゴキブリぼくめつ粉砕協会に寄付してくれっていうのと、「いまやゴキブリは人類をほろぼすぞ!それを先に絶滅させようという大事業だ」って言ってるセリフみて、テラフォーマーズ思い出した。
人間も動物の一種ですってセリフもあったけど、ときには真珠のようにの本間丈太郎先生のアレに比べたら天地の差だしなー
003.二つの愛
004.幸運な男
005.えらばれたマスク
006.白いライオン
008.閉ざされた三人
010.タイムアウト
011.奇胎
012.からだが石に…
旦那が冬にサーフィン始めて、行きは旦那が運転して妻子を乗せて、冬の海で旦那が必死にサーフィンしてるのを浜辺で妻子が見つめて、帰りは爆睡してる旦那と子供を乗せて妻が運転みたいなの。
以下炎上内容
↓
すみません。妻子勝手に連れてった挙句帰り爆睡とかデカい子どもですよ、離婚案件。せめて親子で楽しくサーフィンとかできんかったんでしょうか…
「いつまでも少年」な夫を温かく見守ってね、風の甘えが透けてみえるCM。どうしたこんなバカヤロウな企画が通っちゃうんだろう。
旦那の趣味につきあわされて帰りは疲れた旦那と見てるだけで疲れた子供の代わりにドライバーなんて離婚もんでっせ。
何これ、今どきバカじゃない(>_<) ヨメはせいぜい趣味好きダンナが眠るためのアッシーかよ。
こう言うのって一人で行くかサーフィンが趣味の仲間と行くものだと思ってた。帰りの運転手として連行される嫁、一人で留守番はさせられないから仕方なくついていく子供。着いたら着いたで波に乗るカッコ良い俺様を見てないと怒るんだろな、こう言う人は。としか見えずw
すんませんが父親だけが楽しんで、妻子をコキ使っといて勝手に「家族サービス」と思い込んでる…というDV家庭あるあるパターンが頭をよぎりました。他人に相談しても最後は「少年の心を持った素敵なダンナ」で封じ込められてしまう、という薄ら寒い結末も含めて。
嫁が奴隷。
↑
こんな感じで、サーファーの嫁が初心者を一人でいかせるのは危険だしサーフィンのあとは疲れて運転させられないし私は奴隷じゃないと反発したり、男がやるなら文句言わんくせにと男が反発したりでまた波乱な訳だが。
これを見て私は純粋に、めっちゃ寒そう冬の海辺に突っ立ってるのは嫌だなぁ、凍えるし子供か自分が風邪ひくしあかぎれできるで、サーファーはスーツに放尿すると聞いたけど妻はトイレどうするんと思った。
多分これを見て素敵こんなことをやりたいなーと思う女は少ない、つまりこのCMは妻子をつれて趣味をしたいお父さんに訴えかけている。
考えてみたら車のCMはお母さん二の次でお父さんに訴えかけているものが多い、普段の買い物はおかんでも車の決定権はおとんが握ってるんやなぁとしみじみと思った。
金夜から飲みに行き、そのまま友人の家に泊まった翌朝、中々起きない友人をそのままにコッソリと家を出た。
二日酔いの頭を抱えながら、最寄り駅まで数分の距離を歩いていた僕だが、途中で奇妙なものを目撃する。
(…お尻?)
猫の額程の公園の、何故か端にあるベンチではなくド真ん中の地面の上に、
スカートがずり上がった状態のOL風の女性が、それはそれは綺麗な白いお尻を丸出し
(正確にはパンティーがTバック状に食い込んだ状態)でうつ伏せになっていた。
見なかったことにしようとも思ったが、とりあえず近くに行って見てみると
女性はイビキをかきながら爆睡していた。何度か声を掛け、肩を叩くも全く起きない。
それどころか「むぅーん」と唸りながら手を払いのける始末。
いずれにせよ若い女性のケツ丸出しはマズいと思い、スカートに手を掛けた瞬間、事件は起こった。
「キャャャャャアア!」と、絵に描いたような叫び声が聞こえて振り返ると、そこに1人のオバちゃん。
(あ、修羅場。)と思うも束の間、あれよあれよと言う間に通報され、
僕は駆け付けた知らないオッちゃん達に囲まれ、「逃げるなよ」「逃げませんよ」の無限ループ。
女性はようやく起きるも全く状況を理解しておらず、悲鳴オバちゃんに付き添われてベンチにいた。
明らかに疑われている状況の中、見慣れた顔が歩いてきた。
最初こそ周囲の野次馬と同じ顔でキョロキョロしてたが、僕を視認するなり、
血相を変えて(ニヤニヤしながら)「それ、僕の友達です」と近づいてきた。
結論から言うと女性は昨晩泥酔。帰宅途中に公園で倒れたらしい。
しかし酔っていて記憶がなく、しかもこんなことは初めてらしく、かなり動揺していたそうだ。
僕は友人の説明と近くにあったコンビニの防犯カメラ映像もあり、直ちに無罪放免となった。
ちなみに映像には朝方苦しそうにスカートをズリ上げ、自らパンティーを食い込ませている女性も写っていたそうだ。
疑いが晴れた後色々あるのかと思っていたら、パトカーで送ってもらって終了だったので、拍子抜けしたのを覚えている。
その後、僕は1人の女性とそれはまぁロマンティックな出会いを果たすのだが、それは本題とはあまり関係ないので割愛する。
その女性が今の僕のお嫁さんだったりして、彼女はそのロマンティックな出会いの日を「結婚記念日よりも大事な日」と
とても大切にしていたりするのだが、それ故に僕には彼女に言い出せなくなってしまった秘密がある。
それを以下に箇条書きにして、終わりにしよう。
① 僕らが"本当"に初めて出会ったのは2011年10月15日、都内某所の公園であること
② その日君はケツ丸出しで僕の前で寝ていたこと
③ 偶然にも再び出会った時、僕は瞬時に君がお尻姫(友人が事件後笑い話として付けた名前)だと気付いたこと
④ 初めて僕の前で服を脱いだ時、「初めて見せるね…」と照れていたが、少なくとも尻は2回目であったこと
⑤ 似たような話をテレビで見た時「こんなん後で言われたら死ぬわ」と言った君を見て、死ぬまで黙っていようと決めたこと
⑥ 君は僕をおっぱい星人だと言うが、単にお尻がトラウマなこと
⑦ そんな君でも誰よりも大切で大好きな、僕のお嫁さんであること
「昨夜友達とカラオケでオールしちゃったからすごく眠い」とか言うのな。
こっちは一週間前から予約入れて金出してるのに、体調悪そうにしてんなよって感じだわ。
地獄のミサワの「おれほとんど寝てないわー」と同じ感覚かもしれんけど、そんなんウザイだけだから。
処女だから高く買ってっていう女に会ったら汚いかっこうで「家出してる」とか言い出すし。
「子供のころから性的虐待をうけてるから、処女膜破れてるかも」とか生々しいこと言うしさ。
エロ気分で出かけたのに、すぐしぼんだわ。
まあいいやと思ってホテルに入ったけど、ちょっと触っただけで痛い痛い言い出すし。
こいつも寝てないのかよ。
五千円だけ渡して帰ったわ。
今年の夏休みは3日だけだった。
世の中には9連休を取られる方もいるようだが、私の夏休みは公休の金曜日を含めて3日間であった。
今年は3日だけかよ、Fuckと思っていたが終えてみればかなりの充実感を得られた。
◆連休1日目
◆連休2日目
友人が家まで起こしに来てくださる
途中移動などがあるが、基本何かを食っていた
深夜に車で家まで送って貰い、別れる
◆連休3日目
目覚ましに催促される事なく目が覚める、正直さんぽ
◆今
彼の顔を見なくていいだけでこんなに心がぴょんぴょんするとは驚きだ
◆所感
月に1度こんなに満足度を得られるならこの先も頑張れそうだ。
いつの日だろう、ある休日の昼下がり、1匹の野良猫がうちの庭にやってきた。
頭から尻尾の先まで真っ黒で、おちんちんをぷらぷらさせる野良猫。しかし、やせ細った身体でトテトテと這いよるその骨川筋右衛門は、明らかに衰弱していた。
いろいろ考えた結果、田舎ゆえ周辺に住宅が少ない、そして何より自分がネコ好きということで彼を放っておくことができず、かつお節ご飯と水を与えた。そのガッツキようは今でも覚えている。さながら、ホットドッグを爆食いする小林尊のようであった。
腹をすかしてはフニャアフニャアと鳴き、エサを催促した。食べると満足するのか、うちの庭のど真ん中でドテンと横たわり、お日様の下、完全無防備状態で爆睡する(つついても起きない)。日が傾きはじめる頃、ふと見るとどこかに消えた。しかし次の日には、同じようにフニャアフニャアとやってくる。こちらもいつしか、スーパーで一番安く売られる缶詰を買うようになり、また首輪も買った。同時に、「クロ」といかにもな名前をつけた。
クロは日に日に肥えていった。ぷよぷよした姿は、もう完全にデブ。肥満が問題なのは重々承知だが、「まあ野良猫だし…しかもカワイイし…」という素人考えでエサを与え続けた。また、大きめの木箱に毛布を敷いて寝床をつくってやると、夜はそこで寝るようになった。
いつ頃からか、自分が仕事から帰ってくるとクロが出迎えはじめた。車からおりると、そのでぶでぶした巨体を左右にゴロンゴロンさせながら、お腹をみせつけてくる。ハイハイわかったわかった、と十二分になでたあと家に入ろうとすると、入れさせんとばかりに頭をすり寄せてくる。その一連の姿がなんとも愛らしく、どれだけ仕事で疲れていても、自然と笑みがこぼれた。
クロはよく周囲を冒険をしていた。時に他の猫と喧嘩したのだろう、右頬の肉がえぐれるなど、大怪我を負って帰ってくることもあった。ジュクジュクした傷から出る膿をガーゼで拭いてやり、「負けんなよ、俺も負けねえから」と1人意味不明なことを語りかけては、フニャ、とクロは鳴いた。クロが生活の一部、いや、人生の一部になっていた。そうして数ヶ月がたっていった。
もういっそのこと飼い猫にしようか、と考えていたちょうど5日前、クロがふと姿を見せなくなった。いつもは「クローーッ!」と手をパンパン叩くとドテドテ走り寄ってきたのだが、その気配が全くない。まあ野良猫だし帰ってくるだろう、と自分に言い聞かせながら、当然のことだが我が子を思うように心配で心配でもう仕方なかった。
そして昨日。ちょうど仕事に行く前、家の裏の日陰に横たわるクロを発見した。すぐさまかけ寄ると、フゥフゥフゥと呼吸が荒く、目も半分しか開けていない。ヨダレもたらしている。ずっと横たわっていたためか、体は多くのアリにたかられていた。ふと怒りを感じた自分は、無造作に払い落としたアリを踏みつけて殺し、クロの体をふきながら口元に水をやった。すると最初は横たわった状態でペロペロと水をなめていたクロは、ヨロヨロと自分で立ち上がり、自力で水を飲んだ。大丈夫か?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。これから俺は仕事だけどどこにも行くな?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。そこはかとなく、クロは笑っていたような気がした。
クロを一心に思いながら仕事を終わらせ即帰宅すると、クロはどこにもいなかった。
そして今日の早朝、近所のジイさんがやって来て「おめえんとこのネコだっぺ、オレんちの前で死んでんどや」と教えてくれた。確認するまでもなく、クロだった。
ジイさん曰く、近頃近所では一斉に除草剤をまいているようで、その草でも喰ったせいじゃないか、とのことだった。いずれにせよ、クロは死んだ。
月並みだが、心にポッカリと穴があいてしまった。もう仕事から帰ってきてもゴロンゴロンする姿はない。恥ずかしながら心内を語れる唯一の存在も消えた。
クロの亡骸は火葬してもらい、今はこの眼の前に骨としてある。
言葉では如何様にも語れるし、また避けられないことは自明の理である。しかし、やはり”愛する”存在の”死”は、わかっていても耐えられないよなあ、と。
バイクでGhettoに通っていたので酒は飲んでいなかったが
プロジェクトがとりあえず納品されて力つきた。
すぐに山口に帰った。
前歯を抜いてそれでもダメで、でもたまぁに痛みから解放される時間があって
その瞬間はとてつもなく幸せだった。
すぐ慣れちゃうんだろうけど。
2年前かな復職したが、すっかりハプバーの住人になっていて
睡眠薬とお酒を飲むとハイになって出かけては、あびるように酒をのみ
翌日休んでいた。
我孫子にかよっていた時は久々にプログラムがかけて楽しかった。
週末はハプバーで朝までのんで日曜はドロのように眠り、月曜会社に
通っていた。
1年前に出禁になるが酒がのみたい。ハプバーのようなインスタなセックス
と会話を求めたが、それに変わるものもなく、ガールズバーだのキャバクラ
などで何十万か使った。
鎖骨が折れて、くっつけて、でまた離れて。。
で膝を骨折してもうて、もうなんだか焼けぼっくりだった。
でまあ膝も治って、よし運動だぁ。とスケボーに乗って出かけるも
そこは歌舞伎町。見事なまでに記憶をなくし、うん万円がなくなっていった。
病気ですね。
哲もゲマもおかしかったが、あっちでシポしポやってりゃよかったかなぁ。
でまぁ、1年ぐらい英語でエッサホイサ仕事しる間に10キロ太っていた。
産業医面談は毎回苦痛だったが、体重計に乗るたびにビビってた。
昼飯食べて、よるも酒となんか食って、運動もしないからそりゃあ太るさね。
なんでかかんでか、大東田町にぶっ飛んだ。
ドロドロプロジェクトには覇気がなく、ひっそりしてれば、何もしなくてよかったので
ひっそりしていたのだが、大将に上手く踊らされた。
これは良くないですね。
頭もめっきり回らない。当たり前ですね。
なので、酒ダメ・ゼッタイと思っているのだが、週末はもう何も用事がなくて昼から
酒。で下痢。
体が摩耗していった。
大将の旗振りで頑張って走ってみたけど、摩耗した体は風呂はおろか洗濯さえも
めんどくさくなるほど。
でガラシさんがやってきて、これがダメだ。
まぁ勉強がんばってるのは分かるが、長い。
もう。厳しいと思ってまた休んだ。
休んだ最初の週に酒のんで、もう飲まない。と思ってまた飲んで。
まぁアル中だったのですね。
そういうのなくなるともう、酒。
で昨日も飲んでもうて、寝ようとおもって眠剤のんだら、なんだか
歌舞伎町へ。
夏にも同じようなことがあったなぁ。
もう死にたい。
今も酒が飲みたいが、なんとか我慢できている。
一日家にいても酒をのまずにいれるようになれば
気分が良い日もきっとくる。
それが出来たら、やっと前に進めるきがするのだ。
バイクでGhettoに通っていたので酒は飲んでいなかったが
プロジェクトがとりあえず納品されて力つきた。
すぐに山口に帰った。
前歯を抜いてそれでもダメで、でもたまぁに痛みから解放される時間があって
その瞬間はとてつもなく幸せだった。
すぐ慣れちゃうんだろうけど。
2年前かな復職したが、すっかりハプバーの住人になっていて
睡眠薬とお酒を飲むとハイになって出かけては、あびるように酒をのみ
翌日休んでいた。
我孫子にかよっていた時は久々にプログラムがかけて楽しかった。
週末はハプバーで朝までのんで日曜はドロのように眠り、月曜会社に
通っていた。
1年前に出禁になるが酒がのみたい。ハプバーのようなインスタなセックス
と会話を求めたが、それに変わるものもなく、ガールズバーだのキャバクラ
などで何十万か使った。
鎖骨が折れて、くっつけて、でまた離れて。。
で膝を骨折してもうて、もうなんだか焼けぼっくりだった。
でまあ膝も治って、よし運動だぁ。とスケボーに乗って出かけるも
そこは歌舞伎町。見事なまでに記憶をなくし、うん万円がなくなっていった。
病気ですね。
哲もゲマもおかしかったが、あっちでシポしポやってりゃよかったかなぁ。
でまぁ、1年ぐらい英語でエッサホイサ仕事しる間に10キロ太っていた。
産業医面談は毎回苦痛だったが、体重計に乗るたびにビビってた。
昼飯食べて、よるも酒となんか食って、運動もしないからそりゃあ太るさね。
なんでかかんでか、大東田町にぶっ飛んだ。
ドロドロプロジェクトには覇気がなく、ひっそりしてれば、何もしなくてよかったので
ひっそりしていたのだが、大将に上手く踊らされた。
これは良くないですね。
頭もめっきり回らない。当たり前ですね。
なので、酒ダメ・ゼッタイと思っているのだが、週末はもう何も用事がなくて昼から
酒。で下痢。
体が摩耗していった。
大将の旗振りで頑張って走ってみたけど、摩耗した体は風呂はおろか洗濯さえも
めんどくさくなるほど。
でガラシさんがやってきて、これがダメだ。
まぁ勉強がんばってるのは分かるが、長い。
もう。厳しいと思ってまた休んだ。
休んだ最初の週に酒のんで、もう飲まない。と思ってまた飲んで。
まぁアル中だったのですね。
そういうのなくなるともう、酒。
で昨日も飲んでもうて、寝ようとおもって眠剤のんだら、なんだか
歌舞伎町へ。
夏にも同じようなことがあったなぁ。
もう死にたい。
今も酒が飲みたいが、なんとか我慢できている。
一日家にいても酒をのまずにいれるようになれば
気分が良い日もきっとくる。
それが出来たら、やっと前に進めるきがするのだ。