はてなキーワード: 沿岸とは
防衛省・自衛隊:北朝鮮船籍タンカー「An San 1号」と船籍不明の小型船舶による洋上での物資の積替えの疑い http://www.mod.go.jp/j/press/news/2019/01/24c.html
「小型船舶」と称しているけど、これはいわゆる日本語で表現するところの「バンカー船」である可能性が高い。
早い話が、油液(薬液含む)を海上輸送するためのオイルタンカー船の小型版。
バンカー船とは漢字語表記をすると「海上補給(給油)船舶」のことで、航空機の空中給油機と似たようなものと解釈するのが理解しやすいかなと。
防衛省が表現する「小型船舶」はバンカー船にしては比較的大型の部類で、それだけ大きな容量の油液タンクを持っていると考えられる。
むしろ、国内沿岸輸送にも使えそうなサイズの船舶であり、日本では同等サイズのオイルタンカー船が瀬戸内海〜大阪湾あたりで多く輸送業務に従事しています。
国内輸送向けの小型オイルタンカー船をバンカー船として本件限定で転用したのか?と思いがちだけれど、艦船オタク的にはその考えを否定したい。
「小型船舶」側面に配置される接岸・接舷に用いる緩衝材、これを「フェンダー」と称するのだけれど、古タイヤを用いていることがその理由。
古タイヤをフェンダーとして転用する場合、多くの場合は金属製のワイヤーやチェーンで固定するため位置調整が難しく、国内輸送向けであっても様々な港湾を巡り、様々な岸壁形状に合わせた調整がしにくい。
更に言えば、バンカー船従事者はバンカー船の他船舶へ補給するという業務形態から頻繁に接岸・接舷するためフェンダーの格納を怠ることが多い。
国内輸送であっても様々な港湾へ輸送航海をしているのならば、高い波浪でフェンダーが攫われてしまうことを想定してフェンダーは必ず格納する。
つまり、この「小型船舶」は限定された特定の港湾を中心に活動する大型な部類のバンカー船と予測でき、限定された特定の港湾を中心に活動することから何処の港湾を中心に活動している船舶か絞り込むのは非常に容易い。
防衛省は間違いなくこの「小型船舶」が何処の港湾を中心に活動するバンカー船か情報を既に入手しているものと思われる。
付け加えて、今回の写真にはドラム缶などが写っていないため、瀬取りした油液は比較的種類が少ないのではないか?という予測もできる(撮影したタイミングで写っていなかっただけの可能性もある)。
https://note.mu/kotofurumiya/n/n31d401fce782
多分記事執筆者もコメントつけてる増田もレベルが高すぎて、世間一般の言語能力ってものを理解してない。この場合の言語能力ってのは、別に小説風の気の利いた文章を書く能力や、BlogでHit数を稼ぐ能力、あるいは豊富な語彙なんかを指し示す漠然とした「すごい能力」ではなく、自国語を用いてなんらかの論理を伝達したり受け取ったりする能力だ。
例えば中学の教科書から引用した「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが同じ意味かどうかを尋ねたところ、「同じ」と誤答した中学生は約43%を占め、高校生でも約28%が間違えた。
上記のようなニュースにもなってるようなレベルで。このニュースはアンケートやテストなどの方式なわけだから、自国語の塊を音声じゃなく文章という視覚で把握できる上に、ある程度時間をかけても許される環境でもこのような数値が出てしまっている。つまり日常会話においてはもっと多くの人が、もっと劣悪な能力で生きている。
ごく普通のそこらにいる一般人において、会話における(つまり日常に用いる)言語コミュニケーションとは、感情伝達がメインだ。つまり会話の内容に関係なく、対話者がいま機嫌がいいのか悪いのか、どんな反応を欲しがっているのかを伝える/受け取るのが主な役割で情報量が少ない(というか、情報量という概念がほぼない)。何らかの意味を伴うコミュニケーション、例えば待ち合わせ(時間や場所が伝わらないと困る)も多くの場合テンプレート化されて含まれる情報の種類が決まっている。――この2種類程度の言語能力で一般的な人間は十分に社会生活を送ることができる。
もうちょっと高級な、つまり情報量の多いコミュニケーションにおいても、その一連の塊から単語を抽出して脳内補完で意味を類推するくらいが一般人の平均レベルだ(単語抽出レベルなので、「AがBにCされた」と「AがBにCした」は同じ意味だと理解されてしまう。ABCという登場単語が同一だからだ)。
でも、プログラミングにおいてこの言語感覚は致命的だ。機械は入力者の感情を読み取って忖度してくれないし、登場単語が同じでも構文(つまり論理の係り受け)で意味は全く違うものになってしまう。つまりはなんてことはなく、「プログラミング能力が低い/伸びない初学者がいる」わけではなく、それ以前の段階で「自国語さえも論理の記述レベルで使えてない人間が過半数」というだけなのだ。
彼らの多くはそれで日常を問題なく過ごせているし、「AがBにCされた」と「AがBにCした」が「違う意味を指しているその価値」が理解できない。日常の交友関係では、AとBのどちらが悪者か対話者の口調や顔色で自明だから。助詞を的確に使う習慣そのものが、無い。
はてなでコメントしてるひとは、そこの部分を甘く見すぎてるようにみえる。それはプログラミングあるいはプログラミング教育の問題じゃまったくないんだよ。だからプログラミング教育をどういじったところで全く解決されない。
だから英語が苦手と言われている日本人も中国人も、何言ってんのかわかんねーよとよく言われる東南アジアの国々の人も、訛りまくった英語を世界中の国際港で使ってます
そこで話題に出てくる「国際商船共通網」こと日本語で言うところの「国際(船舶)VHF」ですが、国際VHFの国際的な運用ルールに「チャンネル16(156.800MHz)を常に聴取しておかなければならない」ってのがあるんですね
まぁつまり軍人だろうが民間人だろうが船乗りならばチャンネル16で汚っく訛りまくった英語をいつも聴いているわけですよ
そんなんだから1回目の呼び出しじゃ気付かないことは確かにあるんです
でも2回目でたいてい誰かを呼び出しているのは気付くので、もしかしてウチかな?なんて思って「Now call me? I'm Vessel Name is HOGEHOGE MARU. H O G E H O G E M A R U. Over.」とか文法メッチャクチャで返答したりするんです
それが正解なら相手は「Yes HogeHoge Maru.Change to channel 13. Channel One Three Over.」とかアッチもテキトーな英語で返してくるんですね
3回目の呼び出しなんて相手はまず間違いなくAIS(船舶自動識別装置)で船のナンバープレートみたいなIMO番号ってのを調べたりして「IMO NUMBER! ONE! TWO! THREE! FOUR! SHIP COLOR WHITE! JAPANESE SHIP! HOW DO YOU READ!?YOUR OK!!?????」みたいにブチキレて通信してきます
ここまで来ると最寄り港のコーストガードも反応せざる得なくなり、入港時にコーストガードから叱られるハメになる
まぁ流石に訓練された軍人さんはブチキレて通信したりしないでしょうけど、こういう汚っく訛りまくった英語の怒声すら毎日聴いてるわけですよ
それが普通なのに「相手の英語が下手すぎてわからなかった」なんてのは海の世界じゃまず間違いなくあり得ないわけで意図的に無視したとしか思えないです
もっと言ってしまえば日本海は国際VHFの無法海域とすら言われており、夜間航行時とか海外の船乗りがよくわからんギターの弾き語りをチャンネル16に載せて放送したり、流行りのポップスやダンスミュージックすら流れてくることがあります
ていうか韓国沿岸では韓国地元漁師が街宣車の如く韓国音楽を大音量で流しながら操業しているなんてのは日常茶飯事で、国際VHFどころか船外からクッソうるさいノイズが入ってくるのに、そんな環境に慣れた韓国海軍が英語聴き取れないとかノイズがどうのとかあり得ないわけですよ
非正規空母はある。要するに最初から空母として建造していない空母は全て非正規空母だと言って良い(ただし、日本海軍の類別に従う場合に限る)。
空母は任務別・設計別・役割別に異なる名称で呼ばれることがあるので混乱する
当初から航空母艦として設計された戦闘用艦艇のこと。日本海軍独自の言い方。
既存の戦闘用艦艇、または、商船から改造された航空母艦のこと。日本海軍独自の言い方。
フューリアス(大型軽巡洋艦から改装)や赤城(巡洋戦艦から改装)、神鷹(貨客船から改装)はこれに該当する。
現代には存在しないが、『かが』などの全通甲板型DDHが固定翼機の運用能力を獲得したら、事実上この類別として扱われる可能性がある。
飛行甲板を乗っけた輸送船。
格納庫は無い、と言われると驚くかもしれないが、これでも商船にカタパルトを乗っけただけのCAMシップよりは良かったんだ。理由……は書く必要ないよな。
現代には存在しないが、フォークランド紛争で王立海軍が運用したコンテナ船をこれと見なすことは出来るかもしれない。
アメリカのニミッツ級、フォード級、そして、フランスのシャルル・ド・ゴール級のみが該当。
ロシア海軍が原子力空母と原子力駆逐艦からなる原子力艦隊の整備を計画している……が果たして可能だろうか?
また、中国の003型は原子力となる予定。彼等は原潜を運用しているので、ド・ゴールと同じく原潜用原子炉を転用する方法を採れば建造は可能だろう。
飛行甲板を装甲甲板化した航空母艦のことで、第二次大戦期特有の類別(というか、現代の空母を指して装甲空母なんてわざわざ言わないだけだが)。
急降下爆撃で用いられる中小型爆弾に対する抗堪性が得られる代わり、トップヘビーとなるために格納庫を小さくせざるを得ず、同時期の空母に比べて排水量の割に搭載機数が少ない。
ハバクック計画(または、ハボクック計画)で建造予定だった航空母艦の俗称。
大西洋の戦いで空母不足に直面していた王立海軍が、カナダから切り出した氷塊を海に浮かべて空母を作ろうとした計画。
後に氷塊では無く、パイクリートと呼ばれるおかくずと水を混ぜた液体を凍らせた氷を使うように計画変更された。
膨大な予算と鋼鉄の消費が見込まれ、また、アメリカが山ほど護衛空母を作ってしまったり、レーダーの性能向上などの影響もあって不要と判断され、計画は放棄された。
テレビ番組『怪しい伝説』でパイクリートの再現実験が放映されている。一見の価値はある。
冷戦期のアメリカに20年ほど存在した攻撃目的の空母を指す類別。
後にCV/CVN(多目的航空母艦/多目的原子力空母)になった。
冷戦期のアメリカに20年ほど存在した対潜目的の空母を指す類別。
一線級機を運用できなくなった旧式空母は軒並みこちらに割り当てられた。
後に類別は無くなったが、それはこの種別に該当する空母が軒並み廃艦やヘリ揚陸艦に改装されたため。
ほぼ商船構造。いわゆる週刊空母はこれ(エセックス級みたいな立派な空母はアメリカといえども隔月刊でしかないよ)。
アメリカが冷戦期に計画した廉価な艦艇。計画は勧められたが、強襲揚陸艦に吸収される形で消滅した。
その面影はスペインのプリンシペ・デ・アストゥリアスと、タイのチャクリ・ナルエベトに残っている。
CV(航空母艦)ではなく、IX(雑役船)として就役していたアメリカ特有の区分。
Uボートや日本海軍の攻撃を受けない安全な五大湖で空母搭乗員を育成するために、五大湖用の客船を改造して用いられた。
第二次大戦の影の殊勲者。
ウルヴァリンなど。
1959年から1992年まで、空白期を持ちつつアメリカに存在した。
一線級機を運用できなくなった退役空母を訓練用途に割り振ったものである。
なお、空白期の1971年から1978年までは、CVTという別艦種が存在している。
何故なら強襲揚陸艦の主兵装はあくまでも海兵隊であり、主任務は海兵隊の上陸であるため。
搭載する固定翼機はS/VTOL機であるハリアーIIかF-35B。
ヘリやオスプレイなどの輸送用艦載機を搭載せずにS/VTOL機を主に搭載する制海艦的な艦載機編成もある。
このため飛行甲板ではなく、水上に着水した水上機を引き上げるためのデリックを持っている。
航空巡洋艦は歴史上2種類存在していて、1つは既存の巡洋艦を改装し、比較的多数の艦載機の運用能力を付与した艦である。
もう片方はソビエト海軍・ロシア海軍が現在も運用するアドミラル・クズネツォフと、キエフ級。
前者は日本海軍の最上型で、前甲板の主兵装はそのままに後甲板を飛行甲板化している。類型に伊勢型航空戦艦がある。
似たような重巡・戦艦級の主砲を持ちつつ航空機運用能力も持った艦は戦間期にはアメリカなどでも計画されている他、モスクワ級やしらね型などの汎用艦よりも艦載機運用能力が高い現代戦闘用艦艇はこの系譜とみなしても良いかもしれない。
後者はモントルー条約との兼ね合いと、ソビエト海軍の戦略上の問題で大型対艦ミサイルを搭載した航空機搭載巡洋艦として就役した。
※モントルー条約は勘違いしやすい。まず、空母は名指しで海峡通過を禁止されているわけではない。
空母の海峡通過が事実上禁止されているのはArticle 10とArticle 11、Annex IIの合わせ技による。
Article 10では、如何なる国家に所属するのであれ、マイナー戦闘艦艇と補助艦船の自由通行権を認めている(ただし、Article 14によって15,000tに制限される)。
Article 11では、黒海沿岸国は『主力艦』であれば、トン数の上限無く通過が可能であることが記述されている。
Annex IIでは、航空母艦は『主力艦』、および、マイナー戦闘艦艇とは別枠として扱われている。
このため、如何なる国家であれ、航空母艦の通過は不許可になると解釈できる。
ちなみに、空母の定義そのものは1936年ロンドン海軍条約に依っており、『航空機の運用を主目的とする戦闘艦艇』である。このため、水上機母艦も含まれる。
ソビエト海軍・ロシア海軍のアドミラル・クズネツォフとキエフ級は大型対艦ミサイルを搭載し、『主力艦』の定義の一つである10,000t以上の水上戦闘艦である、と主張することによってArticle 11の対象として海峡を通過できるようにしている。
また、ソビエト海軍には対艦ミサイルを搭載できる水上戦闘艦艇が少なく、条約抜きにしても両艦級は対艦ミサイルを搭載した可能性は高い(例えば、9月に舞鶴に来たウダロイ級のあの大げさなミサイル発射管の中身は対潜ミサイルであり、IIRC、対艦ミサイルは搭載できない。あのサイズになっているのはミサイルの下に対潜魚雷をぶら下げているため)。
最も非正規っぽいのはMACシップだと思う(名前的にも、来歴的にも)
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IXとAVTを追加
氷山空母を追加
ときは8月、黒海沿岸の町。雨にぬれる小さな町は活気がなく、すっかり寂れていた。
その町へ、一人の旅人がやってきた。そして町に一つしかないホテルに入ると、
受付のカウンターに100ユーロ紙幣を置き、部屋を選ぶために2階へ上がって行った。
ホテルの主人は100ユーロ紙幣をひっつかんで、借金返済のために肉屋へ走った。
肉屋は同じ紙幣を持って養豚業者へ走り、100ユーロの借金を返した。
養豚業者はその紙幣を握ると、つけにしてある餌代と燃料代を払うために販売業者に走った。
販売業者は100ユーロ紙幣を手にすると、この厳しいご時世にもかかわらず、つけでお相手をしてくれる
町の遊女に返そうと彼女のもとに走った。遊女は100ユーロ紙幣を懐にしてホテルに走り、
たびたびカモを連れこんだホテルに借りていた部屋代を返済した。
ホテルの主人は、その100ユーロを受け取ると、紙幣をカウンターの元の位置に置いた。
ちょうどそのとき、部屋をチェックして2階から降りてきた旅人が、どの部屋も気に入らないと云って
誰も稼いでないけど、町中の誰もが借金を返し終わり、町は活気を取り戻した。
全部、その古株の上司のいうことの受け売りなんだが、指輪は邪馬台国のころの奴国王が鍛造したものらしい(奴国は博多のあたりにあったと考えられていて、九州北部沿岸は考古学的にも我が国の製鉄の黎明期の遺構・遺跡が集中しているところなんだ)。
奈良盆地の邪馬台国→ヤマト政権の伸長に対抗するために、奴国王は南方との交易の中でレガリアとして鍛造した。その際は卑弥呼と台与がなんとかしたんだろうとのこと。
でも歴史の節目節目に指輪の持ち主が現れて、そいつが天下取ると最終的には古の奴国王が復活しちゃう。
現代に復活すると、国会の召集や衆議院が解散した時とかに明仁が押す「御名御璽」の印が、「漢委奴国王印」にとって代わられてしまうんだってさ。このように、世界が支配されてしまう。
平成も終わるし、早く捨てに行った方が良いって言われた。
で、わかると思うけど、ピナツボ火山で鍛造したから、ピナツボ火山に捨てないといけないらしい。これは幕末の探検家松浦武四郎も『撥雲余興』にそう書いているんだって。
ちなみにこれは7年前、「タイセイヨウクロマグロを漁獲規制してもリビアとかが勝手に取って日本に輸出する……。日本は「素性の明らかなマグロ以外は輸入しない」みたいな対策は絶対に取らない……。こうなったらクロマグロを禁輸にして動きを止めよう」という話になってたのを、日本が中国やリビアと一緒になって止めた時のはてなブックマークです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1441589.html
大体みんな日本の外交を絶賛! 「マグロが世界的に食われるようになったのは、皮肉にもスシの世界的普及」とかメチャクチャ夜郎自大なこと書いてるブクマが星を集めてる!(一応書いておくが、・クロマグロの消費はほぼ全部日本 ・キハダマグロなどの消費が世界的に増えてるのはツナ缶の消費が増えた影響 ・地中海沿岸では少なくともローマ帝国の頃にはマグロが既に高級食材だった記録が残っており、江戸時代までマグロが下魚扱いだった日本より食文化の歴史はだいぶ古い)
あと、ウナギでは資源管理とかを一切出来てない日本が、捕鯨やイルカ漁に関しては「資源量を科学的に管理し、密漁とかも一切せず適切に獲ってきたのに、非科学的な感情論で欧米がケチをつけてきてる」なーんてことがほんとうにあるのかにゃ―ということにも思いを巡らせるといいぞ。戦時中の人たちが大本営発表を疑わなかった感覚も心の底から理解できるだろうと思うし。
最近中国アゲサゲ論が盛り上がってるので、せっかくだから上海在住3年の自分の実感をだらだら書く。
屋台含めて普通に生活してて使えない店はまず見ない。上海以外の地方でも普通は使える。上海のコンビニ、飲食店だと利用率は95%以上という印象。公共機関が運営してる観光名所とかはたまに使えない。さすがにホームレスが投げ銭もらうのに使ってるのは見たことない。「財布無しで生活できる」という話をよく見るけど、実際は身分証や社員証、交通カードとかはカードタイプなので、それを収納する財布を持ち歩くのが普通(これらがカードタイプなのは財布を持ち歩くことが前提の時代の名残なのでこれから形状変わると思う)。中国国内の銀行口座と紐づけないと事実上使えないのだけど、去年から外国旅行者の銀行口座開設が難しくなったので、外国人が使うのはかなり困難だと思う。これは外国人排斥目的ではなくマネロン防止の観点からの政策と理解している(日本では外国人旅行者は銀行口座作れるのかな?)ちなみに日本とか中国国外でalipayとか使える店増えてるけど、これは中国人旅行客専用サービスで日本人は中国でアカウント持ってても使えない。国として完全にモバイルペイメントに依存するのはヤバイという自覚はあるらしく、店が現金払い拒否することは禁止されてる。
携帯で支払済むのはまあ便利。セキュリティが…って話も日本人からよく聞くけど、携帯端末ロックパスワードと支払パスワードの2つあるので、少なくともスイカみたいに落としたら終わりっていう支払方式よりは安全な気がしている。
「現金信奉してる日本人は未開人過ぎ」みたいな言説も多いが、中国で普及した理由は、まず何よりも店側の手数料がめちゃ低いからどの店でも使えるようになったこと。それに加えてalipayとwechatが1番ガチで戦争してる時に死ぬほど割引バラまいたてた。モバイルペイメント使うと10%引きとか普通だった。またalipayはアカウントにチャージしてる残高に対して銀行金利の数倍の金利を付けてたから、使わないけどとりあえずアカウント作ったっていう中高年も多かった。もちろんこんなのでペイするわけないのだが、アリババとテンセントが先行投資として根性入れて血流しまくって頑張ったからみんな使ってるだけ。日本だって普及期にここまで根性入れて金燃やしまくるプラットフォーマーがいたら普及すると思う。
もともとモータリゼーションの急速な進展で利用率が低くなった自転車専用道がたくさんあったこと、GPSやバッテリーの価格低下、モバイルペイメント普及による低コストの料金回収スキームという各種資源を現実的なパッケージとしてまとめ上げ、駅間移動のだるさというニーズを社会レベルで解消したのは、まさにイノベーションのお手本とも言える快挙だと思う。素直にすごい。
ただ本当に経済性があるかというと微妙で、モバイクのCEOも「どうやって利益をあげたらいいか分からない」と正直に発言してるような状態。しかも、結局今は駅間のバス、タクシー、徒歩移動が多いから便利なんだけど、中国の都市部は今ものすごい勢いで地下鉄の建設が進んでいて、東京並みのネットワークに近づいていくと、雨だと使えない自転車の優位性はどんどん下がっていくのは確実。時代の徒花で終わる可能性は否めないと個人的に感じる。
確かにみんな未来を楽観視していて、借金してでもバンバン金を使うし、それがますます経済を好転させてる。正直羨ましい感じはする。金盾で情報統制されてるのは事実だけど、普段の生活に別に影響ないし、GoogleやFacebookと遜色ない中国製のサービス(本当に遜色ないんだよ。全く困らない)を使えるから何の不満もないのが実態。治安も良いので、沿岸都市部に住む限りは、日本を超えていると感じられなくはないかな。
じゃあ中国は日本に完勝してるかというと、個人的には全然そう思わない。結局都市部の人間が便利な生活を送れてるのは農村部の人からも搾取してるから。各種Webサービスも、結局最後は人海戦術で回していて、農村からの出稼ぎ労働者がものすごい低賃金で頑張ってるから成り立っているのが現状。貧富の差はとても大きくて、地域間の収入格差は最大6倍くらいあるんだぜ。日本でいうと平均月収10万円以下の県があるということに近い。それでも中国は日本に完勝してると思えますか?これだけの国内格差に本当に皆さん耐えられますか?
色々と書いて来ましたが、勢いがあって面白い国なのは間違いない。LCCなら三時間数万円で来れるから、しのごの言わずに一回見に来たほうがいいと思うよ!
北朝鮮情勢を見てると、世界史の教科書に残るような歴史の舞台が作れるのではないかと妄想して、ワクワクが止まらない。朝鮮半島北部は、米国、中国、ロシアの利害が錯綜して、あたかも火薬庫の如く状況となっているが、逆にいえば、この3大陣営の利害さえ一致できれば、朝鮮半島処分の問題として、一挙解決は可能だ。しかも役者がすごい。米国はトランプ、中国は習近平、そしてロシアはプーチンだ。以下、妄想。
・場所は、黒海沿岸の保養地とか、ベルリン郊外の森の中とか、オーストリアのシェーンブルク宮殿とか、それなりに歴史に残ってもカッコいい場所。
・3大陣営の首脳が、もっともらしい理屈をつけて、近辺諸国に外交日程を組む。その合間を縫って極秘会談。
・米国は、北緯38度線を超えての北朝鮮地域の大幅な占領にはあまり興味をもたない。むしろ韓国との関係を含め、徹底した軍事リスクの除去を求める。そのため必要な徹底した武装解除とイムジン河以北数十キロの緩衝地帯化を行う。
・中国は、人民解放軍を中朝国境を超えて平壌にまで進軍。占領統治の中心をなす。核攻撃等で、汚染、荒廃した国土だが、中国にとっての緩衝国として傀儡政権を樹立、枢要部を実質支配下に置く。
・ロシアは、立ち位置が難しい部分はあるが、北朝鮮北部東岸のロシア入植地域のロシア民保護を名目に、朝ロ国境を超えて突如南下、不凍港を租借確保する。必要があれば、数万人規模で北朝鮮民をシベリアに連行、抑留し、極東開発のため数年間の労働資源としても良い。
・合意成立後、直ちに3大国は北朝鮮一斉攻撃だ。米国は、戦術核の使用と国境付近の砲兵やミサイル基地への無力化攻撃、空爆。中国は、北京に北のミサイル照準が合わせられたことを名目に、平壌ほか主要都市への核攻撃。そして、もっとも精神的打撃が大きいのが、友好国と考えていたロシアの参戦だろう。これで北朝鮮は、トップの金正恩以下、末端まで総崩れになる。
・日本も、総理に歴史的発言を用意しておかなくてはならない。インテリジェンス面で信用されていない我が国は、上記を米国から知らされるのは直前であるが、官邸でのぶら下がり取材ではこう言い放って内閣総辞職だ。「嗚呼、極東の天地は複雑怪奇」と
ふーん、じゃあ調べてみたよ。かったるいからgoogle翻訳だ
heraldsun
船員7人が死亡し、日本沿岸のフィリピン籍の貨物船との衝突後に米国の駆逐艦が港に戻り、ひどく傷ついた
「船長の大部分は、艦船がフィリピン船籍の船に衝突して司令官の船室を破壊したときに眠っていた」と彼は語った」
washingtonpost
相模海の西口を護衛する半島の下田という町のちょうど沖合、コンテナ船であるフィリピンのACXクリスタルが名古屋港から東京に向かって航行していました。
フィリピンで29000トンのコンテナ船であるACSクリスタルと地上ミサイル駆逐艦USS Fitzgeraldが土曜日早朝に衝突したという。
nbcnews
防衛当局者は、海軍の駆逐艦が日本のコンテナ船に衝突した後に行方不明になった7人の米国船員の遺体が、浸水した寝台で発見されたという。
USSフィッツジェラルドは、土曜日の現地時間(金曜日午後1:30頃)に、横須賀の南西約56海里の午前2時30分ごろ、フィリピン籍船ACXクリスタルと衝突した。
theguardian
フィリピンの旗艦ACXクリスタルは、東京の大井埠頭にあった。そこでは乗組員が捜査官に尋問された。
abcnews
海軍の第7艦隊によると、米海軍駆逐艦USSフィッツジェラルドは地元の土曜日の朝早朝に日本沿岸のフィリピンコンテナ船に衝突した。
foxnews
フィリピン籍のコンテナ船は、東京の大井埠頭に乗っていた。そこでは、職員が夜間衝突の原因について乗務員に質問していた。
「船長の大部分は、艦船がフィリピン籍船に衝突して司令官の船室を壊したときに眠っていた」と彼は言った。
コンテナ船「ACXクリスタル」を設立した日本の日本郵船(株)は、土曜日の声明で、沿岸警備隊の事件の調査に「完全に協力する」と述べた。
cbsnews
フィッツジェラルドは、フィリピンに登録されたコンテナ船ACXクリスタルに襲われた。
chicagotribune
船舶追跡データによると、コンテナ船は、名古屋港から東京に航行していたフィリピンの旗ACXクリスタルが、横須賀の南にある繁華海岸の突然の航路で突然180度回転し、その直前に倍増したクラッシュ。天気は当時約6フィートの盛り上がりで明瞭でした。
完全に装填されたクリスタルはフィッツジェラルドの約4倍の大きさで、その場面の写真には弓の港側に擦り傷が見られました。クリスタルは日本の船社である日本郵船(株)が運航しており、20名の乗組員全員が無事に報告されています。
まあタイトル通り、とある会社で自分が働いたとしてどれくらい税金やら取られるか計算したら絶望した。
所得税とか年金税、社会保険料その他諸々あわせて手取り13万円ぽっち。
しかもこれらはこれから少子高齢化に向けてますます上がる、そして二年目からは住民税ときた。はぁあ…ため息が出る。
実家に寄生しつつ扶養の範囲内でアルバイトしたほうが絶対いいよね。アルバイトじゃ月10万程度扶養内で稼いだけど月10日休み勤務時間きっちり6時間だしなぁ、10万円はまるまるもらえた。社会人になったらサビ残当たり前だろうし一人暮らししなきゃならんしそれでバイトの+3万円程度の手取りとか絶望。この時代昇給もほんのわずかだろうし。
搾取されるというのはわかるのにクソ暑いのに黒いスーツを着てくだらない自分史を書いて企業に交通費自腹で出向いて就職しなきゃならん。一体何のため?それは世間体のためでしょうな。
タックスヘイブンで税逃れをしてウハウハな金持ち、税逃れができず厳しい取り立てでますます搾取される庶民、こんな日本に未来はあるのか。
まああと復興所得税というのを廃止しようぜ、とくに津波被害にあったところに復興の金をかけるな、あそこに巨大堤防は必要ない、税金の無駄だ。地震の多い日本で沿岸に住むこと自体まちがってる。
円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。
目次 [非表示]
2 遣唐使の渡海の困難
3 天台山を目指すが…
6 長安への求法
7 帰国の旅の苦難
8 関連文献
9 脚注
10 関連項目
794年(延暦13年)下野国都賀郡壬生町(現在の壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏の一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主からは儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄の理解者であって、多くの弟子を最澄に師事させている。
※生誕地については
などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。
下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ
あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと
石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまらむ
下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん
この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。
安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇の延暦13年、廣智菩薩が大慈寺住職のとき、南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓(現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市の史跡に指定されている。
15歳のとき、唐より最澄が帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい、最澄に師事する。奈良仏教の反撃と真言密教の興隆という二重の障壁の中で天台宗の確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問と修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。
814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度(出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄の東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日、大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。
性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗の開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。
836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日、博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。
※上陸日である唐の開成4年7月2日は日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。
最後の遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期間のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可が下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁は遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝の勅許が必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分は新羅僧だ」と主張しているが新羅の言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。
当時、中国の山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島の新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅人社会の助けを借りて唐残留に成功(不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝高設立の赤山法華院で聖林という新羅僧から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日~4月28日の58日間)。
840年、五台山を巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山で客死した霊仙三蔵)。法華経と密教の整合性に関する未解決の問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。
当時世界最大の都市にして最先端の文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から約1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅を長安の絵師・王恵に代価6千文で描かせる。
台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子の円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。
しばらくして、唐朝に帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日が最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。
当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安も悪化、不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁の長安暮らしを支えた長安在留の新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島の新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。
この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。
「円仁が無事生きている」という情報は日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府は円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。
この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワーの研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。
目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草の浅草寺もそのひとつ(岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。
社会の苦しみというものを教える機会と言うものが実在するらしい。
数少ないこのような機会を持つために、「伝統」「校風」を掲げることがある。某沿岸の高校は長期の航海を通じて人格を育てたり、某県の多くの高校は新入生にバンカラ式応援歌練習で伝統に根ざした自己を確立させたり、はたまた某都市の進学校は新入生の合宿でその高校の校風に染め上げるというように、「伝統」「校風」を盾にグレーゾーンを突っ走っていたりする。このようなある種の人間教育は、世界の不条理さを伝える有用な手段として存在するとは思うのだが、一方で宗教的性格や自我の崩壊の危険性といった世間の批判を浴びてもいる。それぞれの学校も、校風によって執り行われる祭事を時代に合わせて少しづつ変化させているようだ。
一方で、正式な教育、すなわち行政機関が決定した教育方法では、人を教育する上で不条理さ・不便さを生徒に感じさせることを拒んでいる気がする。無駄が多い割に必要なことが省かれている「理系科目の教科書」や、出版社の意志がそのまま内容を歪めかねない「文系科目の教科書」、著者の都合や時代の移り変わりによって無駄に改定される「語学の参考書」などの教育という観点から見たらあまりに合理性に欠ける教材という不便さはある。しかしそういうものではなく、人間関係においてしばしば生ずる特定個人に対する「人格の完全否定」など精神的な問題に出会うことはめったにない(ただしいじめを除く)。
精神的な不条理さを解決して総て人間を尊重できる社会を目指す礎を築かせるという点において、苦しみを体験することによる不条理な世界の理解というものは、地球規模化する社会のリーダーとしての素質を育てるためには必要だ。ところが、その体験が、グローバルとはかけ離れた、「伝統」「校風」という宗教的性格を持ちかねないきわめて異常な手段でしかなされない、という奇妙な問題があるように感じるのは、たぶん私だけだろう。