はてなキーワード: 敷地とは
昨日はひさしぶりにちょっと出かけて、都市緑化植物園なる場所を訪れた。
ひと駅の近場にも同じような名前の施設があるが、そこははっきり言ってショボい。植物園と言いながらほとんど温室だけの存在で、その温室も2〜3部屋くらい、チョロっとあんまり華のない植物があるだけ。デザインもそんなに洗練されてなくて、逆にそこが魅力といえば魅力なんだが、とはいえまあショボいものはショボい。無料なのはひとつの強みだけど!
それにたいして、昨日の都市緑化植物園は立派だった。敷地が広くてハーブ園なんかも併設しているし、温室だって二階建てでデカかった。ガラス張りの大部屋が吹き抜けになっていて、開放的な空間・絶え間ない水音・ガラスで弱まった陽光・エキゾチックな植物が織りなす最高の雰囲気がそこにはあった。
カフェ風の椅子と机なんかも置かれていて、その気になれば数時間はボケっとしてられそうだった。温室の外にはちょっとした池、ちょうど紅葉した背の高い木から落ち葉が舞い散るのをベストアングルで見られるテラス席なんかもあり、マジで超よかった。西日を浴びていっそう黄色い紅葉!
植物園は安い。
広くて、温室では空間のトータルコーディネートみたいなものを楽しめて、全体的に人が少なくて、落ち着ける。
そしてアホみたいに安い。
そう強く思った。
後世に名を残す偉大なエンジニアだけど、どうしようもない人の例
イアン・マードック(Ian Murdoc)
5:13pm: 俺は今夜自殺する…話すことがたくさんあるんだ、介入はしないでくれ、彼らに一緒に死んで欲しいとは思わないでくれ
5:14pm: 後でブログを見て欲しい http://ianmurdock.com
5:17pm: https://t.co/I1CSCJErWf
5:20pm: 後でブログにもっと書く予定だ。でも隣の家をノックしただけで警察に殴られたんだ…彼らは俺を病院送りにした
5:20pm: その後も何回も殴られた
5:21pm: 「警察に暴力をふるった」事への保釈金は$25,000だった
5:22pm: 後でもっと詳しく書く。警察にはいまだにカメラが無かった。これを止めるために私はちょっとだけ地位を利用するつもりだ。
(※警察が好き勝手に殴るためにカメラを置かないのはよくあるらしい)
5:23pm: 「俺たちは警察だ。俺たちはいつでも勝つんだよ」
5:25pm: 私のキャリアは終わってしまった。もうすぐ逝こうと思う。
5:27pm: 私はある程度成功したビジネスマンでニガーではない、自殺は注目されるかもしれない
5:30pm: 今日はまだ自殺しない。まずはこれをすべて書き上げ、警察の蛮行を自由の国に知らしめる
5:34pm: 誰かが私のところへ警察に何をされたのか聞きに来てくれたらとても嬉しい
5:35pm: 彼らは私を二回殴ってバッテリー代として$25000を課した
5:36pm: 病院に行かなければいけない
5:36pm: 彼らは家までついてきた
5:36pm: そして彼らは私を家の外に引きずり出して更に殴った
5:37pm: 私は意見を変えなければならなかった
5:37pm: 彼らはそこから家まで追ってきたんだ
5:38pm: 私はカメラは無いのかと訪ねた
5:38pm: 答えはnoだった
5:45pm: 警察に抵抗して出来たアザの写真を上げようか?
5:45pm: 小便で床に文字を書く事以外何も教えずに独房に押し込めるのはどこだ?
5:48pm: 私の経験を書き上げることで警察の虐待を防ぐことになり再び同じことを聞かなくなるといいのだが
6:00pm: @jacksormwriterは私に死んで欲しがっている
6:06pm: ブログに私のケースを書こう…誰かがhacker newsとかに投稿してくれたら感謝する
6:31pm: (1/2) 私の残りの人生は警察の職権乱用と戦うことに費やす…俺は白人で去年は一億四千万稼いだんだ
6:33pm: (2/2) 彼らは無教養で、自分のための力にしか興味が無い。助けになってくれる人は連絡をくれ imurdock@imurdock.com -ian
6:41pm: 警察は無教養で邪悪でサディスティックだ。奴らを信じるな。
6:42pm: 残りの人生は警察と闘う…奴らは友達ではない、決して信じるな。
6:49pm: 友に聞いている、なんだって賢い教育を受けた奴が警察になんかなるんだ
7:03pm: 「俺たちは警察だ, 俺達がやりたいことはなんでも出来る」
7:08pm: これは女性警察官が私のパンツを下ろした後の事だった…もしあなたがレイプされた女性でなければこれはレイプとは思われないかもしれないが。
7:12pm: 俺は白人だ。たくさん稼いでたくさん税金を払った。でも彼らの虐待は同じくやってくる。一線を超えるな!!
警察とトラブルになった理由:隣の家にレイプ目的で侵入と通報された模様
ちなみに騒ぎを起こしたのは三度目で
二度目(2015年8月頃)も同じく酔って、その時は別の家の庭に半裸で侵入し、
三度目で、しかも裁判所命令に従ってもいないようだったので、警察も マークしていたらしい
またそのフォロワーが12月始めに自宅に行った際、弁護士とも口論していた、と
私の住んでいるマンションは、とある出版社(クソデカ)の敷地と道路一本挟んだ場所にある。
昨今、その道路で、その出版社の敷地で、路上喫煙をする人間が後を絶たない。
外での喫煙、その煙は地上だけに留まらず、5階だろうが10階だろうが構わず上がってくる。
換気のために窓を開けると(閉めていても同じだが)タバコの臭いが漂ってくる。明らかな受動喫煙状態である。
敷地内のことはその敷地を所有する者に言うべき、と、「こういう状態ですよ、なんとかなりませんか?」連絡を取った。
返答は、「そちらさんで注意されたらどうですか?」だ。
は?
敷地内の問題に関して隣人が迷惑している、それを注意するのがアンタどもの仕事では?ふざけんなクソジジイ。
「あ、コイツ話通じねーな状態」なので、とりあえず「そうですか、大変に残念です」とその場は終える。
「よし今なら」と、近くを巡回するその出版社の警備員に声を掛ける。「おたくの敷地内で路上喫煙している人がいますよ、隣人は迷惑していますよ」と。
ちなみに私は女、20代、背小さい、声高め。いわゆる「男性にナメられやすい女性」そのものである。
私「いやでも、数メートル先ですよね?」
クソジジイ「いや〜、上(上層部)に言ってくれないかな、そうしないと何とも」
上(上層部)に連絡して役に立たなかったから現場のお前に言ってるんですけど?!?!?!?!??!!?!?!?!?!
ここでバカバカしくなり、「もう口論になっても暴行になっても何でも良いや」と自分で注意しに行った。
言いたいことは、
1.自分の敷地内の問題に対して適切に対処できない庶務部(その出版社では庶務部だった)っていらなくね?
です。
なんで?ってくらい好いてくれる、私たちのこと。
ありがとうって言いたい。
そんなに好きになってくれるの犬くらい。
本当にありがとう。
まず朝起きる。起こされることもあるけど。
そしたら寝てる間は会ってなかった計算になるらしく、「久しぶり〜!!」と大喜び。
止めるまでずっと顔舐めてくる。
それからごはん?って聞いたら「その言葉を待ってました〜!!」と走り出す。
ごはん食べる場所まで走るけど、追い越してもすぐ戻ってきて、ごはんいれた器持って運んでる間はずっと足にまとわりつくので転ぶかと思う。
食べたらまぁ散歩に行く方もいらっしゃる。犬の全てが散歩好きなわけではないので、嫌がる方もいらっしゃる。
それはまぁ犬の皆さんと健康についてご相談しながら両者の間で散歩の頻度は決めてほしい。
散歩中も定期的にこちらを見上げて「これからどうする?」って聞いてくる。
どの道通る?とかどれくらいで帰る?とか楽しんでる?とかそばにいる?とかそういう意味で見てくれる。
仲良くなるとだいたい表情や仕草で言いたいことわかるので、「次で曲がろっか」とか「いるよ〜」とか答えて楽しく歩く。
私だとわかったら喜びが溢れて飛び起きて玄関でずっと尻尾振って待ってるらしい。ありがたい。
お家帰ったらだいたい寝る。小さい頃は元気の塊なのであんまり寝ないかも。どちらにせよかわいい。
犬はだいたい一日で12時間くらい寝てると思う。成犬で12~15時間くらいらしい。
歳を重ねるごとに長く寝るようになるから、起きている時間を大切に、寝ている犬も大切に。
でも犬は寝ててもいつも私のこと気にしてくれてる。ちょっと歩いたら目閉じてても動いてるな〜って音で判断してるし、近付いたら「来たの〜!」ってしっぽ振ってくれる。
もっと近付いたら「いいよ〜」ってお腹出して撫でさせてくれる。別に撫でに近付いたわけじゃなくて通り道だっただけなんですけど、わざわざ出してくださったんだからこちらとしては撫でさせて頂く選択肢しかない。
ちなみに遠くにいても犬と目があったら「いいよ〜」ってお腹出してくれる。遠くにいるので大変ですがもちろん用事は置いといて撫でに行きます。
「いいよ」ってなに?いつも撫でたいと思ってるのなんでバレてるんだろう……。
世の中のことも私のこともお見通しですね、天才犬。
遊びたい時はおもちゃ持ってきて押し付けてくる。グイグイって結構な力なので笑う。強引なとこもかわいい。
散歩好きの犬はリードと首輪自分で持ってくるらしい。かわいいね。
やりたいことがあればこちらをじっと見て伝えるし、ドア開けてほしければこっち見て、目があった瞬間にドアを引っかいて開けてアピールをする。
吠えてる時は外で他の犬が吠えてたり、家の裏でなにかの音がしたり、敷地内で人の話し声がしてたり、宅急便が来てたりする。
けど人間は犬よりずっと耳が悪いので、犬が鳴いてる上記の理由がわからずにトンチンカンなこと言って犬を怒ってしまう。
その他の理由でももちろん吠える。けど吠えるのは全部理由がある。犬と心を通わせればわかる。
だいたいのことは人間が悪い。
犬はすごいこわがりなので雷や花火の音がこわい。そんなん理由がわからなかったり人間でも怖いよね。
雷の音を聞くと小刻みに震えたり、家族がいない時は怖すぎてどこかに逃げ込んだりする。大きい音がこの世からなくなればいい。
犬は寝る時もかわいい。
体温が高くて夏は暑い。めちゃ暑い。犬も暑いらしくて最初はくっついて寝ようとするけどすぐ「無理w」って足元の開いてるところに避難。
冬はゆたんぽ。ふとんの中にいてくれるとハチャメチャあったかい。
犬はいつも枕を求めている生き物なので、人間の枕に頭を載せて寝たりする。
布団に入ってきて、腕に頭を載せたら「ふぅぅ」って大きく満足溜め息を吐いて、私のことじっと見てくる。暗闇で見つめてくる犬、愛感じる……。
それから近寄って散々口舐めて来ることもあれば、そのまま静かに寝ることもある。
すごく読みにくい。一文節に複数の意味を入れてる箇所がたくさんあり、流し読みできない。
例えば以下。
室外機と隣家と隣、さらには寺は別情報であり、それぞれ簡単な特徴を書かなければ情報がイメージできない。どこに猫がいるのかわからず、読み手は迷子になりやすい。
文節は区切ってあるが、一行の中に複数の意味を含めすぎている部分もある。
先日、隣家の軒に出ていた室外機の上で子猫が三匹、”だま”になって眠っているのをうちの親が見つけ、姿かたちもわかるようになった。
ここなどは子猫+三匹+だま、までが猫たちの情報で、自分の親は別件だ。改行して別途表したほうが良いのに面倒がってやっていない。文中では猫たちの親が出てくるため、流し見する際はきちんと区別しておかなければ読者が混乱しやすい。
家の近所で猫が子どもを産んだ。
そのことを知ったのが今から一ヶ月くらい前のことで、夜、親とはぐれたらしいやつの鳴き声と、迷子を呼ぶ親猫の独特の声が聴こえるようになったからわかったのだ。しばらく声だけの存在だったのが、先日、隣家の軒に出ていた室外機の上で子猫が三匹、”だま”になって眠っているのをうちの親が見つけ、姿かたちもわかるようになった。
そのときに撮った写真を見せてもらうと、白地に橙、キジトラ、白地に黒の八割れ、の三匹がみっしり集まって、互いの境界がなくなるぐらい身を寄せ合い、ひと塊になって眠っていた。
室外機があった隣家のさらに隣は寺の敷地で、大げさな表現だが小さな野原のようになっている。三匹はそこで一日中遊んで、たぶん母猫が帰ってくるのを待ちながら、疲れたらこうやって兄弟で一緒に眠っているのだろう。一匹が疲れて室外機の上に跳ねて飛んで行ったら、残りの二匹は私も俺もとついていき、写真のような子猫の塊になるのだろう。
なんだか楽園のようだな、と思った。ノラ猫の生活が大変なことは知っているが、それでもこいつはまるで楽園だな、と思った。
…
今日都内は雨で、買い物の帰り道で白地に八割れが路上で死んでいた。全身はきれいで、ただ眼球だけが飛び出していた。車にはねられたんだろう。血が雨と混じってアスファルトに流れ出していた。
家に帰ってから、少し悩んだが、軍手をビニール袋で覆って、八割れの体を路上の脇にのけた。これ以上轢かれたら体が散らばると思ったからだ。
手で触ると、芯のあたりにまだぬくもりが残っていて、泣きそうになってしまった。もう少し早くこの道を通っていたら、何か違っていただろうか、なんて思ってしまった。市に電話したが終業していたので、月曜にまたかけなくてはいけない。
…
生き物はなんで死ぬんだろう、とは、若いころと違ってもう思わなくなったが、別に納得する答えが出たからではなく、単に「そりゃ生きてるんだからいつか死ぬだろう」という回答に対して、そういうことじゃないんだけどな、と思いながら、何が違ってるのか説明できないからだ。
ただ、このままだと「そうか、生きてるんだからいつか死ぬよな」という具合に、しっくりこないはずの回答に合わせて自分の疑問まで変わってしまう気がして、仕方ないので、質問を何度も変えることをずっと、30歳過ぎても繰り返している。
今日思ったのは、なんで生き物は楽園から出ていくんだろうな、ということだった。ろくな未来が待っていないのに、なんであえてそこから出ていってしまうんだろうな。
子猫の兄弟が眠っていた隣家から今日の道路までは、自動車の往来が激しい大通りを一本またがなくてはならない。
純粋な好奇心か。単に道に迷ったのか。そうしないと得られないものがあるのか。ただ生きていることよりそれは意味があるのか。
くだらない不運以上の意味をそこに与えるのに、自分は、生命の尊厳とか希望に伴うリスクみたいな概念を持ち込まないとものを考えられない。八割れは単に物理的に抗えないものに巻き込まれて死んだのだし、それ以上でもそれ以下でもないが、そのことが受け入れられない。
八割れの母猫はしばらく子供を探すだろう。兄弟もたぶん、「なんだか、あいつは最近いねえな」ぐらいは思うだろう。そのうち忘れてはしまうだろうが。
猫を二匹外飼いしている(夜は家の中、日中は放し飼い)。うちの近所も猫の外飼いが多い。地域猫もいる。うちの猫も近所の猫も地域猫も去勢してあるので増えることはない。
まあまあの田舎なので家の敷地が50m四方くらいあり(近所の家全部そんな感じ)、行き止まりの道沿いの家なので車は住んでる人しか通らない。
寒い時期は家の中にいるけど、それ以外は家の扉をちょっと開けて出入り自由にしてる(夏にエアコンいらない地域)。虫とか蜥蜴とかも入ってくるし猫が獲物くわえて家の中入ってくるけど慣れた。見つけ次第外に逃してる。在来種連れて帰ってきた時はすぐ逃がしてるけど外来種連れて帰ってきた時は放置(死んで猫が見向きしなくなったら庭に捨てる)。
Twitter見てると家の中で飼ってる猫しかいないような錯覚が起きるけど、田舎はまだ外飼い多いんじゃないかなあ。そうでもないんだろうか。
正確には不老不死ではない。
しかし、確実に、今までより遥か未来を経験することが出来る可能性が高まっていた。
アメリカのとある研究施設が、20名の成人男女の、10日間の冷凍保存に成功した。
このニュースは世界中の注目の的となり、世界中、寝ても覚めてもそのニュース一色だった。
研究施設には「私も」「俺も」という冷凍体験希望者の声が殺到し、研究施設側も更なるサンプルを収集する為、定期的に世界中から20名ずつの「体験者」を募る様になった。
世界中の物好き達がその企画に飛びつき、応募し、倍率は宝くじに当たるよりも高くなっていた。
「まさか当たるわけないだろうけど」
そんな軽い好奇心から、私は、共にノリノリだった妹を同行者として、その企画に応募した。
数日経ったある日、ぼんやりと見覚えのあるアドレスから、一通の英語のメールが届いた。
「うそ…いたずらよね??」
世界中で同様のメール詐欺が多発していたし、まさか自分が当選するなんて。
オフィシャルサイトを開き、慎重に送信元アドレスをチェックした後、本文を開いた。
本文サイトにあるリンクのドメインも、オフィシャルサイトにある記述も、念入りに確認した。
「本物だ……」
google翻訳を駆使しながら、血眼になって内容を確認した。
内容は至ってシンプルだった。
2021年11月〇日~2021年11月〇日までの10日間、あなた方は冷凍保存体験を受ける権利を獲得しました。
・当施設で体験した事に関し、一切の口外を禁じます。違反した場合、1億ドルの違反金を頂きます。
・当体験で発生した事象について、当研究施設は一切の責任を負いかねます。全て自己責任でご参加ください。
なお、当体験の必要最低人数を確保する為、本案内は余裕を持った人数へ送信しております。
「今日、話がある」
それが妹の第一声だった。
「まぁ、準備とか色々あるだろし」
そう答える私の言葉を遮って、妹が畳みかける。
「返事した?」
「や、まだ」
「はよせいや!他の人に取られるじゃん!」
「まじか」
「そうだね。『いつでも放棄できる』て書いてあるし、とりあえず確保しとこ」
心配性の母は間違いなく泣きながら(そしてブチ切れながら)反対するので、絶対に言えない。
10日間、いや、飛行機での往復を考えるともう少し、仕事も休まなければならない。
飛行機の往復チケットも取らなければならないし、聞いたこともない田舎にある研究施設までのルートも確認しなければならない。
「せっかくアメリカ行くんなら観光とかしたかったよね。でも休み取るの限界だしな」
「まぁ、それ以上のすごい体験をする訳だし!」
「てかさ、アメリカまで行って寝てるだけって、冷静に考えたらうけない?」
「まじそれ」
「職場に何て言う?」
「げー、姉ちゃんの会社ユルくていいな。どうしよ。どんな手を使ってでも休むけど」
「お母さんになんて言う?」
「なんて言おうか…」
「…………」
あれこれ画策しているうちに、一年ちょっとはあっと言う間に過ぎた。
なので、私達は一泊旅行程度の、冗談みたいに少ない手荷物を持って飛行機に乗った。
「結局お母さんに言えなかったね。どうする?」
「たった10日だし。『LINEの調子悪かった』とかで乗り切ろ」
「うん…無理あるけど、どんだけ考えてもいい言い訳みつからなかったしね」
妹はとにかく世紀の体験を楽しみそうにしていて、
心配性の私は、どんどん余計な事を考える様になっていた。
「当研究施設は一切の責任を負いかねますって、でもまぁバンジーでもこういうのあるしな」
「生還した、ってだけで、体験者全員健康だとは言ってないよな…いやでも何かヤバイ事があったらこんな実験続いてないでしょ」
「口外したら1億ドル…でもまぁ、うちの会社もコンプラ厳しいし普通かな…」
疑惑と正当化をうろうろしているうちに、飛行機はアメリカに到着した。
事前に入念に調べていたので、乗り継ぎを重ね、研究施設へはスムーズに到着した。
集合時間は午前7時。
研究者の方々からの挨拶、改めて体験内容と契約内容の確認、体調チェック。
体験前には栄養を蓄える為の豪華な食事でも与えられるのかと思いきや、排泄の関係もあるらしく、この日は何も食べさせてもらえなかった。
妹と「クッソ、出る前ちゃんと食べておけばよかった!」「クマが冬眠前に食べ込むのは一体何なの」と軽口をたたき合った。
「では皆様、防護服に着替えてください」
研究員の指示通り、なんだかよくわからない服に着替え、そのままついて行った。
道中、妹はずっとテンション高めにキャッキャとはしゃいでいた。
私は緊張で震えていた。
「ここが先ほどご説明した冷凍室です。皆様は、この中で専用のカプセルに入って眠って頂きます」
みなさまは、ねむっていただきますかー。
色々考えていると、冷凍室の扉が轟音と共に開いた。
中から、顔を真っ青にした大人達が、ガタガタ震えながら、研究員らしき人々に支えられ、ゾロゾロと出て来た。
これから体験する参加者の人達も、英雄を見る様な目で見つめ、共に拍手を送っていた。
え、おかしいでしょ。
こわい、どうしよう、こわい。
こんな貴重な体験が出来るんだから、余計なことは考えたらだめだ。
現に、あの人たちは生きて還って来てたし!
「では皆様、中へご案内致します」
「承知致しました。ではあなたはここで。お気をつけてお帰りください」
もっと怒られるかと思ったのに、研究員は驚く程スムーズに、笑顔で私を解放してくれた。
というか、切り捨てた。
妹も引き戻そうと中に向かって妹の名前を叫んだ。
すると、先ほどの笑顔のまま、研究員は私の前に立ちはだかり、同じ台詞を繰り返した。
「あなたはここで。お気をつけてお帰りください」
冷凍室の扉は、閉じた。
何もない。ここがどこかもよく分かっていない。おなかもすいたし、ひどく疲れた。
何より、妹をどうしよう。お母さんに何て言おう。
妹は無事に出て来てくれるよね?
10日間、どうしよう。
着替えもほとんどない。とにかくきつい。
妹は大丈夫だよね?
10日間どうすれば…
夢で本当に良かった。
汗びっしょりだった。服脱いだ。
妹冷凍されてなかった。よかった。
私の住んでいるマンションには緑地があって、中庭を水路が貫いている。暑い季節にはそこに水を流して涼をとる。子どもの頃はそこでびしょ濡れになりながら遊んだものだけれど、人工の池だから生き物なんているはずがなく、寂しい。水路の末端の池の水が秋になっても抜かれていなかったときには大量のミジンコが発生していたけれども、彼らは水と一緒に干上がるか、下水に流される運命だった。
けれども、今年の夏はなぜかアマガエルの鳴き声がずっとしていた。夜になるとかわいらしい声がして、夕立のあとの夜風が気持ちのいい晩などには、どこか避暑に来たみたいな気分だった。コロナ禍で自粛を余儀なくされた身としては幾分気が紛れたし、仕事中にカエルの声がするというのもよかった。
それにしても、カエルたちはどこから来たのだろう。このマンションに住んでいる子供が水路に放してやったのか。こうして生き物の声がするのは風情があるのだけれども、秋になって水路に水を流さなくなって、カエルたちはどうしたのか。現に、今聞こえるのは緑地に潜んでいるコオロギやマツムシばかりで、アマガエルはいつの間にか姿を消している。
私も、子どもの頃に祖父母の家の近所でやっていた夏祭りで取った金魚を、飼えないからと祖父母の家の近所の噴水に放してしまったことがある。今になって考えればずいぶんと勝手な話であるし、餌も少ない分長生きできなかったことだろう。悪いことをした。
カエルを放したのも、私が考えの足りなかったときと同じ年ごろの子どもだろうか。そもそも、その子はカエルをどこで捕まえてきたんだろう。うちのマンションの敷地には虫がそれなりにいるのだから飢えることはないだろうが、オタマジャクシたちが育つ場所が今はない。
カエルたちが、雨水の通る溝をぴょんぴょんと跳ねて行って、近所の広い川にまで、できることなら生まれたところにまで、たどり着けていることを祈るばかりだ。
不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。
家からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。
病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちらから一方的な話をするだけの診療だった。
結局、睡眠導入剤だけを渡された。
薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。
同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部は休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。
社長から休職前の限界ギリギリだった頃の行いを掘り起こし、イヤミをネチネチ言われ、人事考課の評価を下げられた。昇給は二度見送られた。
やってられるかよ、と会社を辞めたのが昨年夏。
会社を辞めた日に運悪く伝染病にかかり、重症化を引き起こした。
そこから数ヶ月、後遺症が引くまでは特に何もできずに過ごした。
体調も回復してきた。貯金も無くなってきた。そろそろ就活を再開するか…、と思った年明け。
私のメンタルはなぜかズタボロになった。
一日中ベッドに転がり、トイレ以外にどこにも行けないという程に悪化していた。
頭の中は冷えていて何もなく、空っぽなのにうるさく感じた。
耳鳴りやめまいは止まず、寝返りを打つのにも酷く体力を持っていかれた。
頭皮と頭蓋骨の間が痒くなるような、脳みそをぐにゃぐにゃ触られているような気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていた。
家事もできず、風呂や着替えすらままならなかった。会社を辞めた頃に実家へと帰っていたため、家族からの言葉や視線が恐ろしくてたまらなかった。家族は私を咎めるようなことは何一つしなかったというのに。
そのうちに「働いてもいないのにご飯を食べていいわけが無い」と思いこみ、ご飯をほとんど受け付けなくなった。
そんなある日、首を吊った。紐を部屋のドアノブにかけて、座った状態で吊ろうとした。
普通に失敗した。
何も考えていなかった。発作的に死のうとしたため、ドアノブに紐を上手く括ることが出来ないまま体重をかけた。
ドアノブが動き紐は外れ、私は無様に床に落ちた。
あまりに情けなさすぎて死にたさが増した。
こんな簡単なことすら失敗するのかと、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。
紐を巻き直す力もなく、布団に潜り込んで泣いてるうちに眠っていた。
貯金は既に数百円だった。
何とか手もみマッサージのバイトに滑り込んだ。歩合制だったので日給で数千円をたまに稼ぐことができた。それだけでどうにか生きる気力が戻ってくるようだった。
新人に客がつくわけもない。リピーターだってコロナで自粛して来なくなった。店に行く交通費だけが出ていくようになった。
私はバイトを辞めた。完全歩合制はクソと言いながら、今度はちゃんと求職者と企業を繋ぐ斡旋会社に世話になり、スーツを着て就活に挑んだ。
全て落ちた。
面接にこぎつけても落とされた。
今は仕方ないと皆が口を揃えたが、仕方がないわけがなかった。
段々と時間をかけて「お前はいらない」「必要ない」と社会全体から否定されている気分になって、夜になると毎日泣いていた。
給付金がなければもう一度死を選んでいたと思う。
再び一日布団に埋もれる生活が戻ってきた。
気がつけば朝、気がつけば夜を繰り返した。
人の視線が恐ろしくてたまらず、家の敷地から出られなくなった。
外に出るとどいつもこいつも私を指さして嘲笑っているように感じた。人と目が合わせられない。落ち着かない。消えたい。車道に飛び込みたくなる。希死念慮が払拭できず、動けなくなった。
スーパーに行けば過呼吸を起こし、電車に乗ることを考えるだけで胃が痛んだ。
そんな生活が続いた長雨のある日、缶が開けられなくなったことに気がついた。プルタブを起こすことが出来ない。ペットボトルの蓋も同じだった。
体にとにかく力が入らない。入れているのに、ものを持てない。フライパンすら片手で持てなくなっていた。
階段を挙がるだけで息が切れた。
開けたばかりの牛乳パックを片手で長く持っていられず、あまりの非力さに自分で引いた。
ゾッとして、腹筋をしてみようと考えた。
1度も出来なかった。体が重くて持ち上がらない。
その時の私のBMIの数値は20。私は数値だけを見れば決して肥満ではなかった。痩せてもいなかった。しかし、体脂肪が高く、体のほとんどを脂肪が占めており、とにかく筋肉がなくなっていた。
最低限日常を生きてくための筋肉すらないことは恐ろしくて、何よりも情けなかった。
鏡に映った自分は、生きる気力を失っている豚だった。
豚ですら体脂肪率は15%前後だ。そんなものと比べたら私は脂身そのものだ。豚に失礼だった。
筋肉をつけるための筋肉すらないのなら、今の体すらも重すぎると考えて、まずは体脂肪を減らすダイエットをしようと考えた。
結果が出なかったら今度こそ死のうと考えていたので、勉強は割と真面目にやったと思う。
動画サイトを巡回し、ダイエットブログや本を読み、栄養学に手を出した。痩せるためのノウハウを頭に叩き込んだ。
本当に特別なことは何も無いダイエット方法だ。よく動き、必要なものを摂取し、余計なものは食べない。それだけだ。
まずは白米と別れを告げた。
あとはなんてことは無い。ただ動いた。
最初に有酸素運動を始めた。最初はとにかく家から出られなかったので、雑誌を重ねて養生テープでぐるぐる巻きにした台を作り、ひたすらに昇っては降りた。
踏み台昇降はYouTubeやTwitterを見ながら、たまにゲームをしながらだらだらと、しかし確実に成果を積むようにした。
とにかく体を動かす癖をつけることを重視した。
動いている実感が欲しくて、筋トレ動画にも手を出した。高負荷はかけられなかったので、エクササイズレベルの軽いものを、毎日動画1本分はやると決めた。最初は筋肉痛で眠れなくなった。
効率も、筋肉に効いているかすらも無視し、とにかく習慣になることだけを考えた。
YouTuberの丁寧な編集の動画のおかげで、やる気は折れず、どうにか毎日続いた。
一ヶ月になる頃には確信に変わった。
体重も体脂肪は少し落ちただけだ。ダイエットが成功したとは言わない。
まず、朝が怖くなくなった。食べることへの罪悪感もなくなった。ちゃんと腹が減ることに感謝した。
そのうちに筋トレの質も気にし始めた。ジム通いはできなくても、水を入れたペットボトルは用意できたし、チューブは意外にも安価だった。
車庫に放置していたローラー台を駆使して自転車に乗るようになり、しっかりと栄養バランスを考えたご飯を食べた。
筋肉をつけるためにプロテインを飲み、体内の水分の循環のために水を多く取るようになった。
ふと気がつけば自分から進んで家族の使いとして買い物に出るようになり、プロテインやダンベル欲しさにいつの間にか就活も再開していた。
汗をかくことに気持ちよさを感じ、体の軽さと心の軽さに感動する自分がいた。
「出来ることない無能、早く死にたい」から「こんなゴミでも出来ることあったんだ」へ変化し、そのうちに「少しでも頑張れてる。えらい」になっていった。
ダイエットを初めてから1ヶ月で体重3キロと体脂肪率を約3%落とした。
自転車を漕いだ距離はもう少しで北方領土から東京までぐらいの距離に届きそうだ。
運動後にかいた汗を流すシャワーが何よりも気持ちが良く、夜には健全な眠気が訪れるようになった。
ペットボトルも開けられる。外にも出られる。
人はもうそんなに怖くない。
ここから筋肉を育てていく。ダイエットとしては始まったばかりで、正直ここからが本番だ。
私はまだ豚だ。だが、首を吊ろうとして失敗した頃とは180度違った自分が鏡に映っている。
私は君を長年にわたって裏切ってきたのに、君だけは私を裏切らなかった。
それから普通に裏切る関節や内臓はいたわっていく。あいつらは消耗品だ。
アラサーはもう決して若くねーのだ。
でも遅くはなかった。絶対に。
誰かに私のやり方を真似しろとは言わない。この文章も忘れないために書き散らしたものだ。
医者いらずとは言わないし、万人の鬱が筋肉で全てが良くなるとは思っていない。
ただ、私にとって、メンタルの回復のために、筋肉がとても頑張ってくれたという話だ。
筋肉という名の相棒よ、メンタルは君に預けた。これからも一緒にクソ鬱をぶっ飛ばしていこうな。
【追記】
沢山の反応ありがとう。
かなりフェイク入れてたし文下手だからちょっと矛盾もある。読みにくくて申し訳ない。こんなに反応があると思わなかった。
おめでとうって言葉はすごく嬉しかった。自分で結果出して自分で褒めてたけど人からの反応は全く違うね。
本当にありがとう。死ななくてよかったよ。
【補足とかコメントへの反応】
躁鬱じゃね?病院すすめる
→心配ありがとう。当初はあまりの回復の速さに自分でもそう思った。
なんかあった時の頓服として、私にあう病院が見つかればいいんだけどなあ。難しそうだ。
「言うほど捩じ伏せてない」
→そりすぎてソリになったわね……
バルク全く足りないよ。題名負けしてるからこれからつけてしっかり捩じ伏せていくよ。許してくれ。
→それはあなたの運動中のフォームがしっかりとしていて、負荷もきっちりかかってるからだと思う。
踏み台やってた時は携帯いじりながらダラダラ惰性みたいに昇り降りしてた。汗だくにはなったけど負荷は軽かった。
そもそも1時間の有酸素運動は筋肉の分解が進むから余程の脂身を背負ってる人以外にはオススメはしない。
ダイエットやトレーニングも医者とおなじ。自分の今の体型やなりたい体型に合わせて自分で調べて勉強して試行錯誤をしてほしい。
○○は危ないとか色んな意見について
→先にも書いたけどこれが私にあってただけという話。自分でいいと思った方法を信じるのが一番。餅は餅屋。だがセカンドオピニオンも大事。最後に決めるのは自分。
あなたはその話を信じる。私は自分の導き出した話を信じる。そんでよい。
ただ、つらい人たちをトンデモ療法で騙して金むしり取るアホは許さん。
身も蓋もないし題名と矛盾するけど、筋肉そのものが鬱を治したわけじゃない。
しんどさの根源、壊れた自尊心の修復のために、トレーニングをして成功体験を詰んだというのが真理。
あとは家族。ただ単純にものすごく恵まれてた。ギリギリ金を借りるにはいたらなかったがかなり甘えて頼った。恩はこれから返すよ。
これにて終わり。
読んでくれてほんとにありがとう。
令和ではもう存在しないと思うけど、7・8年前に2回ほど現金で給与を配ったことを思い出した。
当時いた会社はそれはそれは大きくて多方面に支社や関連施設があった。支社一つで田舎だったらその地域一帯の雇用や経済に大きく影響するほど。
俺はその一支社の会計部署にいた。支社といっても敷地面積はだだっ広い上にいくつもの部署が混在している。
そしてある日、同じ敷地内に別の部署のトップが「新人に給与のありがたみを知って貰えるように初任給を現金配布したい」と言い出したらしい。
当然うちの部署は大騒ぎだった。2010年代に口座振込以外の給与配布なんて完全なるレガシーで、コンバインやドローンのある時代に農家が千歯扱きをいれるようなものだ。
尤も、法的には現金配布が基本で口座振込が例外に近いため、断る理由がない。
問題は人数と金額。地方支社のたった一つの部署の案件ではあるモノの、抱えている新人職員が多いことで知られている。詳細を伝えられないがアタッシュケースがいくつかと警備員が必要な量だ。地方の銀行にとってもいきなり用意できる現金ではない。
封筒や紙の明細書も人数分を用意しなければいけない。部署のトップが直接新人に手渡しで配布する(!)ということなので、そのための場所を確保してもらい、そこに現金と封筒を持ち込んで人海戦術で封詰めする必要がある。1円でも狂ってはいけない。金種があわなくても問題だ。
結論をいえば問題なく配布はできた。金種の事故もなく紛失等もない。
なんなら翌年も同じことをしたし。
正直もうあんなことはしたくない。あのときは一部署だけの話だったけど、あれが支社全体、会社全体、日本全体で行っていた時代があったのが信じられない。
現金を直に取り扱うことに抵抗がなくて、集計・運搬・配布に時間と金と人員を割ける時代でなければ不可能だったんだろうな。といっても、銀行振込が一般化したのはそういうことがとてつもなく大変だったからなのは想像に難くない。