はてなキーワード: 妄言とは
いやー、「竜とそばかすの姫」、実質的な「ラブライブ!スーパースター!!」の第一話でしたね! 作品としての出来はラブライブの100分の1にも満たないですけどね(素人の雑感です)!
以下感想(ネタバレあり、パンフレットは売り切れていたため未読です)。
なんなんですかね、あの序盤は。三幕構成でいうなら、第一幕が終わるまでの部分がとにかくひどい。ひどすぎる。監督氏も僕みたいな正社員経験のない四十手前の人間にいわれたくないでしょうが、あえて申しましょう。冒頭開始からの35分は10分程度に短縮できます。
劇中で主人公の幼少期と、母親の死のシーン、幸せな生活の終わりが描かれますが、プロットにおいてどうでもいいし、とくに母親の死のシーンなんて、死ぬほどどうでもいい。心底どうでもいい。
プロットに関係ない部分は省きましょう。劇中でも描かれましたが、母親がすでに死んでいることを伝えたいのなら、画面に遺影を写すだけでかまわないのです。「見知らぬ子どもを助けるために、川に入って死んだ」という事実は、シナリオの進行になんら影響をもたらしませんから、シーンごと削除すべきでした。
序盤が冗長すぎるせいで、この映画の主題がぼんやりとしかわかりません。インサイティング・インシデント(物語のつかみとなる事件)をおこすことに失敗しているため、観客が映画に集中することができないのです。
この映画はなにを描きたかったのでしょうか? 仮想空間での冒険を描きたいのか、仮想空間と現実世界とのギャップを描きたいのか、母親の死の克服、学校での人間関係、恋愛にまつわるエピソードを描きたいのか、主題がまるでわかりません。もし全てを描きたいというのであれば、つまらないことはやめろといいたい。
映画は積み重ねではなく、省略の美です(数えるくらいしか映画観たことないです)(素人の妄言です)。
劇中で描かれる仮想空間は、一言でいうならよくわかりません。なんのためにつくられたのか、それを使ってなにができるのか、いまいちよくわからないまま映画は終わります。しかし限られた上映時間のなかで、わからないことをわからないまま置いておくという決断を下したことは評価できます。
問題は仮想空間の描写が古すぎるということです。監督氏のネット認識は、「電車男」あたりの時代から更新されていないのではないでしょうか。
劇中で登場した仮想空間は、よくわからないスキャンシステムにより、現実の姿を反映したアバターを生成し、乗り込むというかたちになります。仮想空間には50億アカウント以上の登録があり、一種のインフラともいえる規模です。現実世界の姿のまま活躍している人間が一人も確認できないのはおかしいとも思いますが、劇中の人間にはそんな発想はないのでしょう。
しかし、どうも仮想空間の描き方というか、劇中で描かれたネット空間の概念自体が古いとしか感じられません。ネットの世界なんて、しょせんは現実の延長線上でしかありません。監督氏はネットと現実は切り離された世界だと思っていらしゃるのでしょうか。
仮想空間で主人公は竜(とある登場人物のアバター)と知り合いましたよ→竜が困ってますよ→でもアバター同士でしか面識がありませんよ→現実での顔を知らないため、オンラインで顔出しチャットしても、自分のことをわかってくれませんよ→だから全世界に素顔を晒すって、論理としては破綻していませんが、その発想の爺むささに腰を抜かしました。
劇中にはおもに二人の悪役が登場します。仮想空間の自警団長(間違った表現だが、そうとしか言いようがない)と、竜の中の人のパパです。
両者は悪役としてまさに力不足です。びっくりするほどうすっぺらく、たいした思想もないのに悪逆非道をつくすさまは、令和の時代に出てくる登場人物とは思えません。
まずは自警団長を紹介しましょう。彼は事実上の無法状態である仮想空間において、企業とスポンサー契約をかわし、自分の正義において悪を裁く役割を担っています。「TIGER & BUNNY」に出てくるヒーロー的な存在といえばわかりやすいでしょうか。
彼の必殺技は「ネットに素顔を晒しちゃうぞビーム」です。なんなんすかね。読者の皆さんはなんだと思います? 警察的な役割を果たすのであれば、わざわざ仮想空間でバトルするのではなく、現実側でアプローチする(主人公サイドはそうしていた)とかしたほうがいいと思いますが、これ以上紙幅を割くのはやめておきましょう……。
もうひとりの悪役である、竜の中の人のパパ氏を紹介しましょう。彼は自分の子どもに暴力を振るう最低パパです。しかし、劇中では主人公に立ちはだかれ、主人公の「にらみつける」に気圧され、敗走することになります。
この描写はおかしいとしか思えません。彼は日常的な暴力に慣れ親しんでいますが、主人公ににらまれただけで、腕を振りかぶったままの状態でおびえ、尻もちをついて、家に逃げかえってしまう。いったい彼はなにをしたかったのでしょうか?
劇中ではあからさまな暴力描写はありませんが、パパ氏の爪が主人公の頬に引っかかった結果、劇中で血は流れます。暴力シーンを写せないのなら、暗喩で表現すればいいとも思います。パパ氏が子どもに暴力を振るう暗喩は見事でした。主人公にちょっと流血させただけで逃げかえるという彼のふるまいは、キャラクターとして説得力がないとしか思えません。
まずはじめに、筆者は高知県民エアプということをお伝えします。都会人に差別されて当然のいなかっぺ(ヘイトスピーチ)(不適切表現)として生をうけましたが、生涯を田舎で過ごしてきたわけでもありません。
しかし、そんな僕にもわかることもあります(適当に書いてるだけなので、後述の内容は多分間違ってます)。四国という保守的な土壌において、高校生の自由活動を許している、いきいきとした生徒が多い、主人公が遠距離から汽車通学していることから、主人公の通学先は県内有数の進学校だと推測されます。主人公のパパがなにかとカツオのたたきを話題に出すので、おそらく彼は県外どころか四国外からやってきた移民でしょう。高知県民はアホのように酒を飲みますが、飲酒描写はこの映画になくていいと思います。返杯という未開の蛮族の汚い習慣が出てこなくて、本当によかったと思います。
しかし、免許を持っている大人がいるなかで、車を使わずに河川敷を徒歩でぞろぞろと移動する高知県民なんて、絶対にありえません。この映画にたずさわるスタッフにひとりもいなかっぺがいないとは思えませんが、どうして誰も止めなかったのでしょうか?
いなかっぺは都会人以上に地球環境に優しくない存在です。高知県民に関わらず、いなかっぺはちょっとした距離を移動する際でも、必ず車を使います。いなかっぺの最大歩行距離は、駐車場からイオンモールの入り口ぐらいまででしょう。『東海道中膝栗毛』の時代でもあるまいし、大人の集団が徒歩で移動する? ありえません。
もっとも、劇中の世界は現実世界とは違います。劇中では誰も高知弁を操りませんし、そもそも劇中で描かれた仮想空間は現実には存在しません。ガソリンがリッターあたり1万円を突破している世界かもしれませんし、政府によって運転自体が規制された世界かもしれません。しかし、それなら登場人物が車を運転するという描写をしてほしくはありませんでした。
ああ夏だね、河川敷は涼しいや、気持ちいいからみんなで歩こう的な描写を平気で行えるのは、アーバンの空気を吸って育った人間だけでしょう。主人公一派は全員都会からの移住者かもしれませんが、違和感をぬぐうことはできません。
とにかくつまらない映画でした。脚本の出来がよろしくなく、なにをしたかったのかがわかりません。
前から思っていたのですが、監督氏は宮崎駿監督になりたいのでしょうか。監督氏はアニメーターとして例外にあたる才能をお持ちだとは思いますが、宮崎駿監督になることはできないでしょう。宮崎駿監督は例外中の例外にあたるお方だと思います。宮崎監督の御業は誰も真似できない。だからこそ、宮崎監督は天才と呼ばれるのでしょう。
監督氏には才はありますが、脚本を自分で手がけるのは、本当にやめていただきたい。監督氏は身の程を知り、自分に不得意なことをあきらめて、ご自分の頭の中にあるアイディアをまとめてくれるライターを雇うべきだと思います。
そうなんすねぇ、とりあえずかかりつけのお医者さんの言うことちゃんと聞いて、不安だったら別のお医者さんにもお話聞きましょうね
自分が医者でもないのにネットで調べた記事鵜呑みにして弱ってる存在を批判してるの無茶苦茶害悪だからやめな〜?って書いた方が良かった?
常識もクソもテメェの民間療法レベルの対処してさっさと医者行けばすぐ治るものを先延ばしをしてるのが鬱は甘えの真実だろう?
そしてそれが本当に鬱かどうかもわかってねえんだろ
例えば大腸癌だとしたら?なんかずっと気分が凹むんだけどヤクルト飲んでりゃOKだよね、じゃねえんだわ
それとも腹に水が溜まってから気付くのか?
いや、気付かねえだろ。気付いてねえから鬱は甘えで誤魔化して不審死を増やしてきたんだろ?
お前がテキトーこいてこれとこれ飲んでりゃ治るよって言ったらそれを一生信じられるものだと思って言葉を吐いてください
癌とか鬱とかそれ以上の変化球を喰らわされてもガンにも鬱にも俺達は対処してこれなかったんだから
蔓延ってるものが対処できてねえから増田の出したなんたらかんたらの信憑性は低いの
腸内整えても自分の家の人間がずっとストレス与えてくる存在だった場合の対処も書いてねえじゃん
人の判断力に甘えてるのはどっちなの?
だからテメーがどこに向けて言葉吐いてんのかわかってねえからテメーの発言は俺みたいにヒマな奴相手としか語り合えない訳でしょ
知能レベルが低い奴が拾いやすいワード放って何が『知能レベルが低い』だよ
じゃあわかってんだろ
頭良い奴、比較的常識的な奴はお前の話なんか一つも聞いてないのよ
10:56
あの人の話って(ないことにされてる)デビュー作から最新作まで、何かしら通じるテーマ、また一貫性がある
てんで性悪キューピットからレベルEまで、話のオチっておんなじなのよ
例えば幽遊白書なら、人間界と妖怪の世界、二つの世界と生き方、また価値観の相違があって、その架け橋になるのが主人公たちなのよね
で、結局その二つの世界と“人々”が行き交い繋がり合うところで幕が降りる
先生白書のほうでは、元アシスタントさんが冨樫先生は、「子供たちを楽しませるために書く」って明言してた箇所がある
その子供を楽しませる、という言葉の意味を深掘りしてみると、また違った読み方が可能になる
もちろん少年漫画としてのフォーマットで、緊迫のバトルシーン、また友情・努力・勝利の理想的な少年少女像も描かれる
とはいえ、あの人の描写は大人が見てもえげつなさを感じるものが多々ある
児童心理学のほうでは、子供にとって最も恐ろしいのは、自分が世界の情報から遮断されてると感じること…なんて言われてる
あの人は子供を楽しませるために、の他に、また別の主題があるんじゃないだろうか
砂糖をまぶしたようなユートピア的なおもしろおかしい漫画でなく、現実で実際に起こってる恐ろしい事件、出来事をファンタジー世界に落とし込んで描く
彼は真に子供たちのためを思って、あえて大人でも重いテーマ、また描写を繰り返し描いてるんじゃないだろうか
最近は特に“多様性ブーム”、“LGBTブーム”だなんて言われてるけど、彼は90年代からトランスジェンダーの高校生が主人公のスポーツ漫画を書こうとしていた
レベルEでは(おそらく)インターセクシャルのキャラや、またレズビアンについて踏み込んだ一章がある
この世界があまりいいもんじゃないのも、人間関係なんてめんどくさいだけなのも、人生が惨めなのも、そんなことある一定の年を重ねれば皆分かってるよね
でもだからこそ、理想に向けて努力すること、お互いを尊重し合いながら対話を重ねることが重要視される
冨樫先生はかなり初期から文化多元主義やジェンダー論、クィアスタディーズ、先進国が途上国を搾取してゴミを押し付けること(この辺りはバーゼル条約、環境型レイシズムとか、流星街辺りの問題かな)などなど、いろんな社会問題に切り込んで来た作家だと思う
その作風はきっと、この惨めで誰も救われない世界で、子供たちがなんとか問題に立ち向かって、また世界をより良くして行くための一助になる、そんな後押しをするためのものだったのかと思う
だってこのいびつな社会を作ったのは他ならない私たち大人だもん
少年ジャンプのターゲット層は小学生から30代ぐらいの大人だって聞いた
大人として読む(また創り描く)としたら、作品内での残酷描写は避けられないだろう
またその意思を無視して読むとしたら、受け手として無礼じゃないかとも思う
12:26
蟻篇あとのヒソカ人気下落、あれって選挙篇辺りがつまらない…よりかは、蟻篇が突出してたからじゃないかな
まず蟻篇だとメルエムとコムギの本来“分かり合えない”者同士が友愛で結ばれる、またコムギのような視覚障害者が才能を発揮する…とか、大切な友達を助けるために自分の命も惜しまない、弱い者を助けるために強い者が立ち上がる、もし罪を犯したとしても更生することが出来る、どんな姿になり果てても親子の情愛は不変のもの、そういう至極まっとうだけどいざ自分でやるとなったら難しい物事、ある種の人類普遍の理想を描いちゃったからじゃないかな
その後でヒソカとイルミがキルアたちを追い掛ける話なんて読んだら、大の大人が子供相手に何してんの?って感じられても仕方ない…
それにヒソカは確かに強キャラだったけど、王様とか会長には敵わなさそうじゃん
その上会長がもう常人には理解不可能な域まで修行でイッちゃって、ヒソカより手強い狂人キャラが出て来ちゃったわけだもん
ヒソカはサイコパス診断で測れるタイプだけど、会長のはもうヤバいとこ行きまくりで誰も理解出来ないでしょ、感謝の正拳突きとかマジで意味不明じゃん…
あと、ネット上で書き込んでる人たちが大人として成長したって見方も出来るかな
中高生ぐらいで読んでたら頭が切れてヤバいことなんでもやっちゃえて、世間の枠組みから外れてもたった一人で生きてける…そんなアウトサイダーに惹かれるのは当然だろうしさ
でも今メインでハンタ追ってるのってとっくに成人済みの人たちでしょ
身も蓋もないこと言えばあれ単に人殺しだもんな
最近のヒソカへの幻滅って、別に悪いことじゃないし、今後のエピソードに期待大って印象かな
体とか心壊してんなら仕方ないけど、ただ面倒なだけなら冨樫仕事しろ
皆が語りたいのは誰かを貶めてスッキリするだけの悪口なんかじゃなく、皆が本当に語りたくて大好きなのは夢や希望に満ち溢れた理想論だ
いつから大人たちは理想論を語ることを躊躇するようになったのか
外聞を気にして中途半端な主張を繰り返すだけになってしまったのか
世の中を変えたいと言いつつ他者の揚げ足取りをするだけに成り下がってしまったのか
社会の進むべき目標にはキラキラワクワクするような夢と希望が詰まった理想論が必要なのに何故それを口に出来なくなってしまったのか
id:toianna いまの日本のフェミニズムを批判した立場ですがフェミはそんな主張はしてないかと…? 家事育児をシッターに依頼して核家族で負荷パンパンの状態を脱すればいいと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4704894714591122626/comment/toianna
Twitterや過去のはてな界隈を見れば明らかに夫へ対して家事育児参加を求め、それこそが家事育児の負荷を下げ、女性の社会進出率が増えるとフェミニズム界隈の連中は主張していたのに「いまのフェミニズムは」とお得意の「一人一派」「そんなものはフェミニズムじゃない」論に近似した思考パターンが見える。
お前いまのフェミニズムから抜けきれて無いぞ。男性社会にしか人間にとって価値あるものが存在しないと無意識に刷り込まれてる。気付けよ。
男性社会をベースにした現代社会で女性が進出し出世したところで、その女性が担当するのは狩りと戦争なんだよ。決して過去の女性社会で行われていた高い資本的価値を持つ家事や育児では無いんだよ。
男性社会で管理職や経営者がコスパの良い人材を使いたがるのは男性であれ女性であれ変わらないんだよ。男性社会ではコスパの良いシッターが登場するだけなんだよ。
その対象の多くは家事育児を得意とし母国語でコミュニケーションが取りやすい日本人女性で、そしてそれは人件費の安い外国人労働者(技能実習生など)へ置き換わっていくんだよ。最終的に日本人女性の雇用をコスパの良い外国人労働者が奪うんだよ。
男性社会での女性活用への投資は男性社会への投資であって女性社会への投資ではないんだよ。男性のように狩りと戦争ができる女性のみ投資の恩恵が受けられる社会なんだよ。
男性社会が家事育児を担当する女性社会へ投資するんじゃないんだ。男性社会が狩りと戦争の男性社会へ投資しているに過ぎないんだよ。
トイアンナ、アンタは起業したな?
答えてみろよアンタは男性社会へ投資する起業家なのか、女性社会へ投資する女性起業家なのか答えてみろ。
答えられないだろうな、何故ならアンタは男性社会で起業した側だからだ。コスパの良い人材を、コスパの良いシッターを使いたい側の男性社会へ進出した女性、名誉男性に過ぎないからだ。
名誉男性であることを認めてしまえば働きたい・家事育児をしたい双方の女性から叩かれてしまうし、女性社会へ投資すると言えば男性社会で起業した意味が、儲けが少なくなるからな。
男性社会での儲けしか価値を評価できなくて男性社会にしか価値がないと無意識に思ってしまっているんだよ。
幸福度調査?男女格差調査?そんな男性社会の指針に惑わされてるんじゃねーよ!
思想家ならば理想主義者ならばフェミニストならば夢と希望を持って起業したならば「男性社会も女性社会も人間社会ぜんぶ救う!」くらい言ってみろ!
冷笑されたってバカにされたって俺は「ぜんぶ救う!」と妄言吐けるそんなアンタを応援してやるよ!誰かの言葉にビビってんじゃねーよ!やってみせろぉトイアンナぁ!!!
就活のやり方教えてくれ。
逆張りガイジなので大手は一切受けてないしそもそもしばらく実家出たくないので県内に絞ってるんだが面接で死ぬ。
大学のキャリセンやゼミの教授(推薦はない)に話すと「まあ就職しなくてもいいんじゃね?」的な反応をされる。そんなわけあるか。
やりたいこと、とか妄言垂れ流せる同期が羨ましくて仕方ない。F欄なのに。
そういう自分の希望や願望を抑圧して生きてきたせいか、もはや何もやりたいことなんてないのだが。
出来ることを考えよう、とアドバイスされたこともあるが、普通に考えてF欄文系で出来ることなんて何もないだろ。
就活のやり方教えてくれ。
マジで。
夫の義両親と同居させてもらって3年目。義父は80代。年上の夫と結婚したのもあり、30代の私からすると「お父さん」というよりは「おじいちゃん」といった感じだ。この義父がよくわけの分からないとを言う。
初めて言われたのは、まだ同居の準備で夫の実家と自分の家を行き来してた頃。夫実家での用事が終わって自分の家に帰ろうとした時に「帰るんか」と声を描けられたので「うん、また明日ね」と言って帰ろうと靴を履いていたら突然、先程とは全然違う口調で「外うろうろしてたら朝鮮のミサイルに狙われるぞ!」と言って来た。
いきなりだったので凄く恐かった。思わず無視して玄関を出てそのまま帰ったが、帰り道で「ああ、ボケてんのか」と納得することで落ちついた。動きもヨタヨタし、入れ歯が必要なのに普段は付けていないので妙に歪んだ口元をしている老人だ。そりゃボケてはいるかなと。
一緒に暮らし出したら、そういうおかしな発言をよく聞くようになった。内容は基本的に中国人か韓国人にキレているか、大昔の偉人にキレている。「(土地名)に行ったら中国人にだまされるぞ」みたいな感じだ。平安時代の天皇にもキレていたこともある。こういう発言をしている時はうなるように低い声でぶつぶついうので6割くらいしか聞き取れないし、こっちもちゃんと聞く気がないので、多分そんなことを言ってる…程度にしか分からない。(そういってる時の目は完全にいってんなぁといった感じなので、正気じゃないんだろうなと思う)一度、一橋がどうたら〜と言っていたので、一橋大学出身の有名人にキレてんのかなと思っていたら、よく聞いたら徳川御三家の一橋家のことだったのでさすがに笑ってしまった。テレビで見た情報と自身のオリジナル解釈での妄言らしいので、情報の真信憑性は勿論ない。
夫に義父はボケてるのかと聞いたところ、そういう発言は若い時からよく言っていたらしい。しかし、夫は3人兄弟の長男なのだが、兄弟では夫しか言わず、後は義母に言ってるらしい。その時点で、ある程度、人は見て言ってるんだなと思った。この義両親、明らかに長男の夫よりも下の兄弟たちの方を可愛がっているし、夫も子どもの頃から他の兄弟との格差を感じて育ったようだ。2人とも結婚して外で暮らしてはいるが、今でもビックリするような援助を義両親から受けている。援助事態は義両親のお金だし、嫁の立場でどうのこうの文句を言うつもりはない。しかし夫が一番不遇を食らっているのだけはよくわかった。そんな一番扱いが低い息子の嫁だから、こいつにも言っていいと思われたんだなと思っていた。
嘘の害のない情報だが、頻繁に聞いていると非常にうざくなってくる。よく夕飯時に言うが義母も夫もタイミングによればたまにキレてるが、基本は無視でスルーするようにしているので、それに習って私もスルーしていた。スルーしてても義母も夫も相当ムカついてるので場の空気が悪くなるのでごはんがまずくなる。
義母や夫がいる時はまだいい。私が一人でいる時は特に言われる確率が高かった。私は話しの内容よりも、ぶつぶつ唸るような口調が恐くて本当に嫌だったし、他にもイライラさせられることが多い方なので相乗効果でかなりムカついていたが、スルーするよう頑張っていた。
よく義父と単独でエンカウントするのが朝、仕事に行く身支度をするのでトイレに行くのに起きた時だ。朝のコーヒーを用意している義父がよくいる。普段からうざいなと思ってることを朝6時の起き抜けに言われるのは非常にこたえる。そうでなくても昔から私は寝起きの機嫌が非常に悪い。高校の修学旅行で起こしてくれた同室の友達にキレて泣かせてしまったことがある程だ。我ながらよく我慢してるなぁとは思ったが、ある日我慢できなくなった。
一応、朝に鉢合わせすると「おはよう」と挨拶をする。義父も「おはよう」と返してくれる。そして、その「おはよう」とは明らかに違った口調で「(土地名)に行ったら中国人に騙されるぞ」と唸った。その土地名は私が出勤する方向とは真逆の場所な上に、丁度その数日前に義父が明らかな詐欺に騙されかけて家族全員が止めてたところだった。騙されるのはお前じゃろうがい!!とブチ切れてしまった。
朝っぱらだったが、まーまーの声量で「知らんがな!!!!」と言い返した。ちなみに私自身もわりと見た目で舐められる方である。デブで丸くて色が白い上に、移住して15年くらい経つが今だに訛ってるらしい。実母の「女は愛嬌でどうにかなるから笑っときなさい」という教えが染み付いてるので、トータルでどうやらほわっとした優しい印象らしい。職場で「何言っても許してくれそう」とか言われたことがある(そんで失礼なことを平気で言うやつもいる)でも恋人にはわりとすぐキレる方だから、夫はそのギャップが相当恐いらしい。
多分、言い返した時に義父も恐かったようだ。言い返したすぐは、何かぶつぶつ言ってたいたが「だから何??」と強めに言ったら黙った。
その後、一人で居る時に言われることは無くなったし、食卓でも回数が減ったように思っていた。最初は丁度その頃、諸事情で義父の運動量が増えたので「やっぱ運動は健康にいいからボケにも効くんだな」と思っていた。昨日、仕事が終わって家に帰ったら義母が「も〜〜今日は暑かった!!」というので「暑かったね〜」と返したら「暑いし、お父さんは分け分からんことばっかりずっと言うから、もう気がどうにかなりそうだったわ」というのだ。
じじい、やっぱ人を見て言ってるだろう。私が恐くなったから言わなくなっただけのようだ。ボケてる老人ですら人を見てこんな態度なんだから、だいたいの人間、そうなんだろうなと思った。
所謂ヤリモクだったんだけど、その中でやっぱり、自分を好きになってくれた人を幸せにしたいという気持ちが目覚めて
俺は女の子を幸せにするために付き合うんだ!女の子を幸せにする方法を学ぶんだ!ってモチベでやってたんだけど
病んできたのでやめたわ
自分がいくら他人の幸福を願おうが、女は自分の幸福しか考えてないし、約束は破るしすぐに裏切る
そうだよな、セックスしたくて始めたんだから筋は通すべきだった
まぁ実際ヤリモクという「加害」に耐え切れず、自分を被害者に落とし込むための嘘だったんだよ
セックスをする為に適切な会話、行動だけで生きていく
女の人生なんて使い捨てで良いんだ。女は男の人生や精神を使い捨てにして生きていくのが前提だから
好きな事をして生きていく。お前もそう思うよな?ヒカキン?
時々敬語が混ざるのは33歳もこのアドバイスでいいのか迷ってるところあるからだね!
実際増田が肉体労働できる身体じゃないってのも、増田なりの事情があるだろうからと思ってたし
何かしらの障害があるなら障害枠での雇用を目指すか〜って感じだし
だけどまぁインターネットからのアドバイスなんてそれが的確でも的外れでも話半分でいいのよ
「これは別の増田の話だな」で流せるのは強みよ。
現実なんて「あぁ、はい、まさに私でございます。ございますが!ございますが私にも事情というものが!ええお相手様にもご事情があるのは!…」ってことの繰り返しで、
それを強気で言い訳無しで「そちら様が悪いですよね!まぁうちは喧嘩両成敗でいいですよ!ですが何かあった時はこの録音テープ出しますからね!」って言える奴が強いし
でもそんな強くならなくたって生きてはいけるしね
あとどうしても機嫌を伺いたいなら自分の身体という先生の機嫌を伺うのもアリかもしれません
仕事の上で先生からのちゃんとした時間に寝て、ちゃんとした時間に飯食うっていう課題が熟せない時なんて結構あるのに
身体先生の内臓だか筋肉だかが「お前課題こなさなかったよな?」って下痢なり食欲不振なり睡眠なり失神なりで言ってくるんで
自分の身体は自分自身が完全にコントロール出来ているという幻想は強い奴らが見た幻覚です
増田はまず身体先生の課題である「健康的な生活を送る」っていう課題を時にはリアルお医者の先生と共にこなしてみるのはどうでしょうか
因みに二日酔いのおじさんがよく謝ってるのは誰でもない身体先生に対してです
確か埼玉県でエスカレーターの歩行を禁じる条例が可決された(ただしまだ施行されていない)。
これについてはてブでもエスカレーター歩行弾圧主義者が絶賛していた。しかし私は釈然としない。その理由を以下に述べよう。
エスカレーターの片側を立つ人、もう片側を歩く人と分ける事の良い点は、多様性が認められている事である。つまり、急ぎたい人は急ぐことができ、のんびりゆきたい人はのんびりと立って行くことができるという点である。これは高速道路で通常車線と追越車線があるのと同じだ。
これに対して、「急ぎたい奴は階段を歩け」とかいう妄言を放つ馬鹿がいる。しかし、階段を普通に歩いた場合は、エスカレーターに立った場合と速度はほとんど変わらない。そこに多様性は無いのである。しかし、エスカレーターを歩行、または走行した場合、人間の脚力に電力によるエスカレーターの速度が加わることで素晴らしい効率的速度が生まれるのである。ここに本当の多様性、選択の自由が生まれる。
これは簡単に論破できる。実際に歩いても事故は起きない。つまり、エスカレーターは設計段階で歩くことを想定していなかったが、実際歩いてみても故障や破損といった問題は起きないのである。これに対してエスカレーター歩行反対派が出してくる例は常に的外れで、ヨーロッパでチームの勝利に歓喜したサポーターがエスカレーターの上でバンバン飛び跳ねて起きた事故の映像を示したり、そもそも整備不良だったエスカレーターの両側に人をギッチリ立たせたことで起きた事故(誰も歩いていない)の例を出してくるが、どちらも歩いたことで起きた事故ではない。エスカレータを歩行したことが原因であると明確に定められた事故は世界に存在しないのである。
私が知っている例では、例えばJR赤羽駅では上野東京ライン、埼京線、京浜東北線などの乗り換えで時間が1〜2分の場合、エスカレータを沢山の人たちが轟音を立てながら駆け降りたり駆け上がったりしているが、それが原因で大事故が起きたことは無い。実際のエスカレーターは強靭であり、勝利に酔いしれるサッカーのサポーターが飛び跳ねると言った異常事態は別として、通常の紳士淑女の皆様が通勤通学で駆け降りたり駆け上がったりした程度ではビクともしないのである。
これもエスカレーター歩行否定派がよく出してくる馬鹿げた主張である。この主張のもとになったシミュレーションが最初から作為的で悪意に満ちている。このシミュレーションでは、「歩行しない場合」では両側にギッチリと人が立っており、「歩行する場合」では「片側にギッチリと人が立ち、もう片側をパラパラと人が歩く」という想定をしている。この想定自体がエスカレーター歩行否定派に都合の良い想定であることは言うまでもない。なぜ歩かない場合は両側にギッチリ人がいるのに、歩く場合はパラパラにしているのか?
ちょっと頭の良い人は気づくだろう。ただ単に「輸送効率」だけを考えるなら、もっと効率が良いのは両側が歩くことであり、最も輸送効率が良いのは両側にギッチリ詰まった人々がエスカレーターを走ることである。もちろんそのような状況は想定し難いが、「輸送効率」を理由にした「エスカレター歩行否定論」が馬鹿げた妄言なのは明白である。
エスカレーターの一段は通常の階段の一段よりも大きい。なのでエスカレーターを歩いたり走ったりすることは階段を歩いたり走ったりするよりも脚力を鍛える効果がある。足腰を鍛えることは健康の基本である。