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[B! 男女] 「ミス日本」椎野カロリーナさん、事実と異なる説明を謝罪「混乱と恐怖から真実を話すことができなくなりました」
「当初は離婚済みと説明されたが、交際が深まった時点で実はまだ既婚と判明」って、川谷&ベッキーの時と同じだ。というか大半の不倫劇がこのパターン。相手が既婚と判明した瞬間に関係をリセットするのを常識にせよ
感覚リセットすべきのは、したり顔で語っとうお前じゃー! id:Shin-Fedorさん!
また、「そもそも前田夫妻はインスタ相互フォローであり、奥さんのインスタの方で仲睦まじい写真が多くUPされている。タグ付けもされているから検索も容易。これで最初は既婚者と知らなかったとは信じがたい」という指摘も存在する。
先の増田、はてブって性差別主義者が多すぎるでは、ブクマカは性差別主義者だから椎野カロリーナを庇い、伊東純也を「合意」があったと仮定のもとでもぶっ叩く、ダブスタを引き起こすのだという。一理はある。
けれど、単に今回は「ルーツは外国で、せっかく努力してミス日本に選ばれたのに、限界ネトウヨみたいな輩からいちゃもんつけられる、かわいそうな人だ」という、一度持った先入観、
これを、リセットできない、なかなか手のひら返しできない、というところに問題の本質が有るのだと思う。伊東純也も、強姦魔だという印象を一度持たれた以上、仮に「合意が合った」と認定されても叩かれ続けることになる。
また、奇遇なことに、この思考回路は、はてなー諸君の慈悲的差別と同じ論理的構造を持つのだ。
いいか、お前らはカロリーナに嘘つかれてたの。男に「自分は独身」って嘘つかれてた場合と同じく、その時点でカロリーナへの評価はすべてリセット、「他にも嘘付いているかもしれない」から始めるべきなの。
次の言い訳「交際が深まるまで既婚者と知らなかった」を真に受けるなんて正気か??? 状況証拠・暴露を加味して判断すれば、最初から既婚者と知って付き合った可能性は相当に濃い。
ほんと、18越えてもまだ未熟、10年20年と歳をとれば精神的成熟できるなんて全く幻想だってことがよく分かるね。だからこそ18越えれば責任能力は同等と扱う他ないのだ。
カロリーナは、前田拓摩の奥さんへの立派な加害者だし、責任は夫である前田拓摩と同等にある。
もともとブクマカは「不倫?個々人の問題でしょ、下らない。ニュースバリューなんてないよ」というスノッブキャラで売っている。
そこに、「数日前庇った被差別者・弱者が謝罪」という字面が目に入って、ただの芸能ネタを社会派ニュースと誤読して、「カロリーナも被害者」などといっちょかみ擁護しだす。
前田拓摩は先に謝罪しているという基本的事実さえ把握せず「女が謝らされる」というブコメがトップに上がるし、カロリーナにひどい目にあわされて、憔悴する前田拓摩の妻への視点もない。
芸能ネタにいっちょかみするならね、スノッブキャラ辞めて、まず滝沢ガレソ@takigare3でも読みに言ったら良いんだよ。彼、名誉増田民だし。
くだらん芸能ネタだからと見下して、何も調べず「男が女を虐げる社会構造」一本槍でコメントする、そういうブクマカのほうが下らない。
フォロワッさんおすすめの中の人がおっさんの異世界転生百合を読んだ。
主役の男(中の人)が高学歴陰キャオタクの美化180%♡な自己像を感じてなんかダメだった。うまく言語化できんが推しジャンルなら古典からなろうカクヨムまで硬軟合わせて摂取するのをかっこいいと思ってそうなところ???スノッブで老害な硬派気取りに対する攻撃性を感じるような?私もスノッブで老害な硬派気取りは好きではないが。女<<<<<<<<異世界傾向に無自覚であったらさらに不快なキャラだったろうが、そうではないあたりに巧みさを感じる。
あとは相方が自分より全ての能力が劣っているが主人公と対等になりたい主人公のことが大大大好きな親友というのが都合のいい親友すぎて冷める感じある。戦闘力が劣っているといってもドジを踏んで足を引っ張る系ではなく、読者から叩かれにくいキャラ付けである点はgood。まだ活躍ターンが来てないだけ。
キャラの好みは置いといて総合的には伝統的な異世界チートのイラつく要素が薄くストレスなく読み進められる作品だった。何よりフォロワッさんが友情BLと評していた理由に納得できたことがとてもすっきりした。うむ、あれは友情BLだ(異論は認める)。
ギレルモ・デル・トロが『ゴジラ-1.0』を大絶賛!「奇跡だ」|シネマトゥデイ
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オマエラの「物事の機微が画面に出てて、人間性を抑えて、それで味わい深くなる画面」を演技、って思ってんのかよ(笑)
バカジャネーノ。いいんだよ。大衆娯楽なんだから。ソースどばー、で。
そりゃ米帝作品に「親子の確執と和解」が入っている度「くそつまんねーんだけど!いらねー!」って叫ぶ人たちが後を絶たない訳だ。
まぁ、俺もキンバリーは嫌いだけどさ。コイツが事態をややこしくしてる面が大きすぎる。古いな(笑)しらねーよな、平成キッズ共は、『24』ってドラマ。
どうせ俺の大好きな『私家版』とか見ても「わけがわかんねーんだけど!」っていうのが目に見えてんだよ、はてなーのバカコモディティ共が。
いいか。映画の好き嫌いなんてのはなぁ「ソイツの生きてきた時間と環境“だけ”が影響を与えるもの」なんだよ。
何を食って何を見て何を感じて何を理解して何を嗜好するか。それだけなんだよ。
良いも悪いもねぇよ。
『ヴァンパイア最後の聖戦』なんかOP5分10分で「おもしれー!最高!もう大丈夫!」って評価Sを上げていいんだよ。
オマエラ、スノッブの悪い癖はなぁ「何にでも意味を求め、何にでも価値を求め、何にでも善性を求める」ことなんだよ。
人間は邪悪。7つの罪が前提のどうしようもない消費しか行わないクソ霊長なんだよ。
たかが1個の作品が、好きなカテゴリーだからって「神木隆之介の演技がクソ!」って怒鳴り散らそうが、デル・トロには「最高!」ってなったらひっくり返せないの。
だからオマエの感想を言った後は、他人の感想は『なるほどそれもアイカツだね!』ぐらい棚上げして気にするな。
ウェルベックを「終わってる村上春樹」と例えてるのを見て村上春樹にちょっと興味持った。
中学の頃1Q84読んでみたけど、何がなんやらさっぱりだった。スノッブでやたらセックスをするくらいの前印象しかなくて、確かにくらいに思った。途中で読むのやめた。
空豆みたいな名前で美人だけど顔がアシメントリーな殺し屋がセックスしたりなんか線路だか高架だかに靴を脱いでなんかやってるシーンしか覚えてない。
あとあと現文で村上春樹が翻訳したって小説も読んだけど、そっちはマジで手榴弾(手投げ弾って表現についてなんか解説を受けたような気がする)が出てくる事しか覚えてない。
この間ドライブ・マイ・カー観て、喪失と再生がテーマだ、的な受け売りをコンパスに何となく言わんとしてる事は読み取ったような気分になった。
演劇は自分の心の声を聞くことだなんて語ってみるけど、もっと地に足のついた悩みは抑圧してしまっている事にも気がつけない。理屈を超えて悲しむべき時は悲しんで、どうにかこうにか生きていくしかない。的な。チェーホフの劇中劇がかなり内容と密接に絡んでるっぽかったから、ちゃんとそのメタファー(直喩か?)を意識しながら観てたらちょっと疲れた。
10代の頃読んだスノッブセックスデカダンス小説も今読めばまた違った感想になるかもしれない。
この間人間失格を読んでみた時も、多分中学の時に読んでたら違う感想になってただろうなって思ったし。当時なら「これは自分だ……自分だけが本当の意味で彼を理解できる……」って思ってた気がする。今読んだ限りでは総じて自意識の肥大したナルシストの自己弁護じゃん。社会性として、エクスキューズとして自罰的な風を装ってるだけで、自分大好き人間じゃん。ケッ、って感じだった。ただ所々人間の普遍的な悩みを明確な輪郭で描いたパンチラインがあって、そこは自意識を突っつかれたけど。
でもおれが興味あるのは人間存在の不条理とか実存主義みたいなテーマだし、村上春樹よりはカミュとか読んだほうがいいのかもしれない。
これが本当の答えだよ。
あーだこーだと細かい理屈で考えている人たちは単なる知識自慢のスノッブだ。
本当に大元をたどれば、初期のコンピューターの映像描写におけるクセが原因なんだが、これにしたって単に最初に設計した人がそうしたのを後の人たちが受け継いできただけだ。
既にそっちが主流になっていたから、余計な混乱を持たせないために、今までの手法を踏襲することにした。
男子トイレの男がシルクハットのズボンスイタルで示され、女性がスカートスタイルで示されるのを今更になって下手に弄っても余計な混乱を生むだけだろう?
「女性がシルクハットにズボンでもいいじゃないか!男は棒人間からチンコでも生やしとけ!色も女が青で良いじゃないか!男はピンク色のチンコ丸出し棒人間だ!」なんてやられたらブーイングモノだろ?
「いつの間にかそういう風にするのが主流になっていた。だからもうそういうものとしてやることにした」
これでいいわけだよ。
下手にあーだこーだ理屈をこねくり回して「俺の理論によるとこっちの方が正しいことになるんだ!」なんて言い出して無意味に出されたオリジナリティは大抵の場合失敗する。
それだけの話でしょ。