はてなキーワード: 証明写真とは
これおれもきた。
「最近はそういうこともあるのかな」がずっと頭にあるのと、相手の高圧的な態度にやられてまんまと引っかかった。10年くらい前に身分証、キャッシュカードすべてが入った財布を紛失したことがあるからそれが心当たりになってしまった。
非通知で世田谷警察署?から「香川県警があなたをマネーロンダリングの被疑者として捜査している」からはじまり、
楽天銀行は個人で複数口座をひらける、あなた名義の楽天銀行口座が大規模なマネロン事件につかわれていた、主犯の○○は知っているか、これから電話を香川県警に転送するから待て、(電話転送)、香川県警だがあなたは被疑者だどうするの?(高圧的)、「ちょっと待って、そんなのある?」と笑って答えたら「なに笑ってんですか?あなたは被疑者なんですよ?香川までくるか?ふざけてるんじゃないよ」と怒られこれマジなヤツ?とわりとビビる、「怒って悪かったけど、真面目な事件だから真面目にやりなさい」とたしなめられて面倒なことになったら困るから信じるしかなかった、「香川に来るのは大変だろうからいまはオンラインで調書がとれるライン電話で取り調べができる」と言われ信じてしまう、ライン電話に誘導される(いまもそのラインアカウントは残ってる「捜査本部02」とかいうやつアカウント画像は警視庁の金のアレ)、カメラオンにする(リモートワーク中だったからできてしまった)、そっちもカメラオンにしてくれない?といったらオンになりスーツ姿の男とカメラ越しに警察手帳を見せられた(ガッチリ作り込まれていてその人の証明写真と名前も書いてあってちゃんと見えてますか?読み上げてくださいと読み上げさせられて本物にしか見えなかった)、いくつか質問された、こちらの住所は昔の住所を把握されていたが現住所は聞かれなかった、「調べるから持っている口座の銀行名をぜんぶおしえて」といわれ教えた、口座番号までは聞かれてない、「以上で終わります。ご協力ありがとうございました」と終わった
その後、何も連絡が来てないので振り込みなどはしてない。
もし外れた可能性があるとしたら、いまいる会社が誰でも知ってる大企業で答えた年収も大きかったので相手が明らかに驚いていて「こいつはアホじゃないから相手にしないほうがいいかも」と思われたのかもしれない。
それぐらいしか思いつかないくらい、真っ直ぐ信じ込んで捜査協力してしまった。。。
みんな気をつけて。
あれは知ってないと恐怖心もあって回避できない。。。
「証明」写真ってのは、本人かどうかを証明・照合するためにあるんだ!!!!!
お前の小さい目ん玉が、小汚い肌が、分厚い唇が、ボサボサの髪が!!!!!お前自身を特徴づけてるんだ!!!!!!!!!
それを加工したら本人かどうか、替え玉受験かどうかが分からねえだろ!!!!!!!!!!
目元が違いすぎて、試験中に「すみません、マスクをずらしてください」ってお願いして、マスクずらしてもらっても!!!!!!!!!!!!
口元がもっと違ってて、さらに分からねーーーーーーーーんだよ!!!!!!!!
15秒くらい受験票と本人を見比べて、結局本人かどうか分からないんだよ!!!!!!!!!!
なんでバチバチに加工した写真を貼り付けたお前が、気まずそうにしてるんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!アホか!!!!!!!!!!!!
今年の夏は生まれてから31年目を迎えた。前に「失業」してから4年経とうとしている。その失業した仕事は契約社員を2年、それ以前はアルバイトで4年近く働いてて一番長かった。どちらも複数の理由で辞めたけど、片方は天災も絡んで色々厳しかった。
失業元年は失業手当を受けとれた。東京の家賃が安い穴場に住んでいるが、感染症が蔓延したり、オリンピックが強行されたりして、公共交通手段を積極的に使うのは憚られる時期だったし、元々フットワークが重い方なのでその時期の生活には馴染んだ。
初めはいやな仕事場から解放された喜びが大きかったし、まずは通勤からの解放を噛み締めた。続いて自炊や家事、ライフラインの見直し、選挙に行く、体調に合った健康的な食生活=結果金がかからなくなったりとか、預金とか、やらないと損するポイ活に渋々着手とか。生活を色々変えてゆき、その余裕ができたことに恩恵を感じ(早く辿りつきたかった悔しさ混じりではあるが)喜びはあった。
その後、去年は貯金で旅行に行ったが、一度前日や旅先で眠れなくなって不調になり、戻ってからは11連勤の倉庫作業で金を稼いだ。それは電車で数駅、混雑と逆方面だったから、やればできてしまう早起きをやった。夏に冷房のない過酷な環境だったが、ウォーターサーバーや塩飴から配慮を感じられたこともあり、熱中症や指の痛みに耐え、残業も全部出た。最終日の帰りには酒を10杯くらい飲み路上に座る、という金銭面にも身体面にも代償を出してしまい、しばらくは自責の念が止まらなかったけど、今は喉元すぎて、場所の思い出になった。
久々に働いた勢いで、一度は試したかったチャリ通勤の範囲のアルバイトを半年やった。展覧会の監視業務。近所で落ち着いた環境で試しに働くことを重視して始めたが、何もせずに座ってる時間が多すぎたのと制服がないのにそれっぽい格好を求められるのが面倒で、ずっと続けることは考えられなかった。3ヶ月の休止期間に入ったこともあり辞めてしまった。
今年の春は催事に挑戦した。呼び込みが必要な食品販売は大学生の頃に事前講習で泣きを見て(大きい声を出すのが苦手)避けていたのだが、表情がマスクに隔てられていること、書類提出だけで済むことに背中を押された(そういう派遣は昔より増えたように感じる)。割りが良かったから二ヶ月半関わったけど、雇い主は高圧的で人生最悪の労働が発生したり、待機が長すぎたり。催事の性質上先が見えないこともあり途絶えてしまった。
いまは月に10万も稼いでいない。業務委託の時間固定報酬で、国民健康保険に加入してて、将来貰えるかわからない年金は止めっぱなし。
現在の仕事の合間を埋めれるもので、且つひとつでも長所のある求人があれば応募しているけど、中々面接に漕ぎ着けない。履歴書の形式破りが悪いのかとか(大幅に手を加えてしまっていたが、過去に受かるものはあったので気にかけてこなかった)、8年前の証明写真の口元の歪み(静止して撮られるのが大の苦手だ)を素人レタッチしたりとか、こんなことで査定されたくない気持ちと、かといってこんなことで弾かれたらひとたまりもない気持ちが、長すぎる毎週末(土〜月)の間にそそのかしてくるから、最近は応募のたびにアップデートしてみてもいるが通らず。大学卒業後のいわゆる就職活動が嫌でやらずにきているから経験が乏しいけど、求人応募は「お祈り」の経緯が示されないから、一方通行で学びもなくてしんどいなと思う。
自分は今、図書館をありがたく思っている。電車通勤時はいつもすれ違っていたのに、今年まで利用することはなく、その豊かさを知らなかった。本を知って読みたくなったときには、その時に脈々と流れていたムードが発端だったりするけど、買わなかったり忘れたりする。図書館では値段とかどこで手に入るかとか気にせず、どんなジャンルの本から手をつけてもいいなんて最高の状況。高い住民税を払ってきた理由の一部をここには見出せる。
Podcastもバイトの休憩の食事時間を埋めるのに聴いたことから、触れる時間が増えた。集中行動が気まぐれなので、興味があるのに未着手のコンテンツはありあまっている。ちなみに自分はストリートビューが高校生の頃から好きで、それを含めたら手をつけていないコンテンツがありあまっているといえる。自分がたのしませてもらってる創造物の作者に還元できたらしてみたいと思うけど、それを中心に据えれば何してでも働くとはなれないし、働いていたときにどれだけ還元してたかと思うと失業する先を見越して、今より懐が狭かったようにさえ思うからあきれる。
お金があると、やりたいことは色々発生してくるし、それに付随して近視眼的にお金を使う。そして旅の休暇は短い。お金がないと、情報とか近所のもので満足してしまうようやりくり上手になるのかも。近所を観光するようになる。時間は余りがちで、金を要する欲望はどんどんしぼんでいる。いつか遠くの街や、別の住処に引っ越したいとか、いつかチャリ以外の乗り物を運転できたらいいねとか。確固たる「自分ひとりの部屋」は体験したいがそれさえ忘れがち。憧れも順位も大変ボンヤリしている。夢だとか何かを絶対やりたいって意欲的な感情はなく、希死念慮が老後の不安なんかは覆い隠している。実際に金をつくってやってみるしかないんだろうな。
多分そう。この生活を続けるのも、これ以上何もしないわけにはいかないんだろうなと立ち返る。また眠れなくなると辛いしたまに人に会うとき眠いと困るから、今ある服が入らなくなると面倒だから、週4日はまじないみたいにきんにくんの筋トレ(3年目)して体力を消費する。隙あらば「死にたい」と口にせずには生きられないし、これ以上健康体になってどうするのか、とも考える。一方で、自分は寄りかかってる人々に対して無責任すぎるのか、とも考えてみる。一人と折半で生活している、インフラ(という名のケア)の十分な都市に住んでいるという事実以外で、個人との繋がりは希薄で、日々老いていくなか孤立無縁を分散したり予防できてないから。さあ働くのかどうか。
この絵のどこが凄いのかわかるだろうか?
それは・・・
昔の庶民は字が読めなかった。字が読めなければ当然聖書も読めない。
牧師さんたちは字の読めない人のため、教会の壁に聖書の名場面を描き始めた。宗教絵画の始まりである。
親方、師弟制度、そして職人ギルド。絵を描くことで金を稼ぐ専門家集団。彼らは芸術家ではなく職人であった。
彼らの稼ぎのもう一つは肖像画である。昔の金持ちはよく肖像画を描かせた。我々が写真館で証明写真や753の写真を撮るように、彼らは自分や家族の肖像画を描かせたのだ。当時の絵描きは写真屋の代わりであったと言える。
写真屋から出発した西洋美術がよりリアルに、より精密に、表現が発達していくのは歴史の必然であった。
長い時が流れ1866年、「笛を吹く少年」エドゥアール・マネはあえて背景を描くのをやめた。マネは絵をデザイン的に捉え、少年の赤い服を魅き立たせる補色を背景に置いたのだ。
マネは写実主義から印象派へと人々を導いた。「印象派の父」として知られる。
『あえて背景を描かない』
現在では手抜き絵と呼ばれる