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2013-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20130716080659

私が捕まったのはもっとわかりにくいところですが下記のような道路ですよ.

http://office-midori.net/traffic/no_left_turn.html

信号機のところに標識があればわかるけど,道横にあって何処が禁止かわからないようなところ.

2013-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20130705205930

商店街を貫いていた幹線道路には車の姿はなく、商店の前に車を置いて洗車していても迷惑にならないくらい交通量が減った。

渋滞解消のために作られたバイパスが町の外側を迂回していくんだ。

かつての商店街に作られた交差点ごとの信号機も用済みだと思う。

あと、空き店舗中華料理店がやたらと増えた。商店街ミニ中華街になってしまうのだろうか。

2013-05-20

弱者サバンナ自己保存用)

年末一昨年末お前それサバンナでも同じ事言えんの?』というコピペ流行った。

ネット上では半分ジョークだが、弱者というのは、ほとんどこのような意味のことを『真面目に』言われ続けるのだ。




私はある身体障害を抱えるようになって10年以上の中年だ。

どの程度の障害かと言えば、

****

週末。財布と携帯だけ持って家をでる。さあ、どこにいこう。とりえあず電車に乗って街に出よう。本屋手芸屋には行きたいな。映画もいいかも。あ、こんなところに新しいお店ができてる。入ってみよう。

****

なんてことは、全く、出来ないレベルだ。少なくとも思いつきで外出することなど到底ムリである

とりあえず街に出て、あとは気分で散策。ぶらぶらとウィンドウショッピング

まだ健常者だった20代のころに、意識することすらなく当然のようにできていたことが、今は出来ない。




このような生活の苦労について、語る。

辛いことがあった、と語る。

すると時偶、こう言われる。

要約すれば、

『特別扱いされるのを当然と思わないほうが良い。むしろ今の状態に感謝すべきだと思え』である

『特別ではない、普通の、自然の扱いなら障害者なんか……』どうなるっていうんだろう?生きていけない?だから感謝しろ、か。

まあ、やや意味がずれるかもしれないが、要は、

お前それサバンナでも同じ事言えんの?である

『お前なんかサバンナだったらもう死んでる。生きていけるだけでありがたいと思え』である

確かに、私なんかサバンナに行ったらすぐに死ぬだろう。1人では移動することもままならないのだ。




障害者なんて本当は取るに足らない存在だ。生きていけるだけでありがたいと思わなければならないのだ。我々は善意で、お前たちを特別扱いしてやっているのだ。勘違いするな。調子に乗るな』

行き着く先は『生かしてやっている』でしょうか?



インターネットは顔が見えない。

から今日は、非常に生意気馬鹿な発言をさせていただこうと思う。


前述のようなセリフを言う人の意識根底には、

自分は特別扱いされていない』『自分は[自然存在]だ』という思いがあるのだと思う。

自分は裸足で立っている。なのにあいつらは下駄を履いている』と。


それは本当でしょうか?

あなたこそ、サバンナで生きていけるのですか?

あなたは本当に、下駄を履かせてもらっていないのですか?

と、私は問いたい。


人間には、出来不出来がある。

運動能力、知力、コミュニケーション能力

ありとあらゆることに、優劣がある。

あなたより『出来る人』はゴマンといる。

中卒が入れば高卒がいる。高卒がいれば大卒がいる。

Fラン大卒がいれば、ハーバード大卒がいる。

歩けない人がいれば、歩ける人もいる。

遅くしか歩けない人がいれば、速く歩ける人がいる。

日本人ほとんどは、マサイ族より歩くのが遅いだろう。歩ける距離も短いだろう。


あなたはマサイ族のようには歩けない。

あなた東大首席卒のようには勉強できない。

あなたモデルのようにかっこよくはない。


たぶんね。


そんなあなた下駄を履かせてもらっていないとどうして言えるのです?


あなたはおそらく、能力レベル人口分布図の、最ももりあがったところにいるのに過ぎないのではないですか?


もし世界IQ150の人だけに合わせて作られていたら?

もし世界運動神経抜群の人だけに合わせて作られていたら?

もし世界高身長の人だけに合わせて作られていたら?

もし世界視力6.0の人だけに合わせて作られていたら?

言い出したらキリがないです。大変にしょうもないです。


あなたよりもっと優秀な人類だけに合わせた世界が作られてもいいんですよ?

能力の高い人が、能力が低い人に合わせてあげる必要なんかないんですよ?

能力によって扱いをかえるのは『差別でなく区別』ですよ?

あなたは、あなたより優秀な人に感謝すべきなのでは?

『こんな私に合わせて社会設計してくれてありがとう』と。



あなたは本当に、下駄を履かせてもらっていないのですか?

あなたは本当に、特別扱いされていませんか?

あなたが本当に下駄を履いていないと言うのなら、あなたよりもっと優秀な人達は、もしかするとあなたに合わせて、長い脚を短く切り詰めているのかもしれませんね。

長くてかっこいい脚をわざわざ切り詰めるのはさぞ痛く辛いでしょうね。



あなたは本当に確認する必要がありませんか?

身長は平均以下で顔の造形もやや醜いです。IQ100程度。運動神経普通美的センスは悪いです。こんな私ですが入店してもよろしいでしょうか?』と。




境界線』が各項目につき一本しかないと思っていませんか?

健常者と障害者を分けるラインがきっちり一本?

自然と不自然あいだに、正常と異常のあいだに、きっちり一本?

違いますよ? 

境界線』は無数にあるんです。

あなたの足下にも、境界線はあります

それはあなたより劣っている人とあなたとを隔てるラインです。

でも、もちろん、あなたの頭上にも境界線はあるんですよ?

あなたより優れた人とあなたとを隔てるラインです。

知ってました?

もしかしてあなたは『正常と異常とを』『自然と不自然とを』隔てる境界線あなたの足下にあると思ってましたか

その境界線より下にいる人達のことを、不自然で異常で劣っていると思っていませんか?

じゃあ、ちょっと上を向いてみてください。そこにも見えませんか? 境界線が。





弱者の言うことなんていちいち聞いてたらキリがない。どこまで特別扱いしろってんだ』って?

あなたも誰かにそう思われているのでは?

あなた年寄りなら若い人に、あなた病気がちなら一度も病気をしたことのない人に、低所得者なら高額納税者に、そう思われているのでは?

あなたが『普通に暮らす』のは本当に本当に『当然の権利』ですか?



あなた年収いくらですか?

年収がいくら以上なら、自分が受ける公的サービス分をペイできるか知っていますか?


あなたは大きな病気しませんか?

酒を呑むのでは?油物が好きなのでは?

保険料、不公平ではありませんか?

健康に気を使い酒や油物や甘いものを控える人も居るんですから

生まれながらにして体が丈夫で、病気にかかりにくい人も居るんですから

そういう人に合わせた世界を作っても良いのでは?


あなたは外に出るのに、いちいちトイレのつくりやエレベータースロープの有無その他ありとあらゆることを確認しますか?

あなたは外に出て、通れない通路や入れない店に頻繁に出くわしますか?

あなたは夜道を歩く時、何度も背後を確認しますか?

あなた音響のない信号機の前で戸惑ったことはありますか?

そういうことがあまりないのであれば、それは社会あなたに合わせて作られているからではないですか?

社会あなたに合わせて作られていることを、あなたに対する『特別扱い』であるとは思いませんか。


上を見たら、きりがない。

下を見ても、きりがない。

あなたの苦労など、ソマリア難民と比べたら……。

フィリピンゴミ山でゴミを漁る人々に比べたら……。

就職先がない? パワハラをされた? それがなんです?

きれいな水が飲めるだけで良いではありませんか。




あなたは本当に『自然存在』ですか?

本当はあなたたちこそ『特権階級』なのでは?

数の多さにかまけているだけでは?


****

こんな話、本当に馬鹿らしい。しょうもない。へどが出そうになる。うんざりする。

でも、私はこんな感じのこと、わりとマジに、そこそこ頻繁に言われてます

『辛い』と愚痴をこぼすと、

もっと辛い人もいる』

『生きているだけでありがたいと思え』と。

でもそれは、そう言った本人にも、そのまま返ってくる言葉なんじゃないでしょうか。


私は身体の面では、確実にマイノリティです。

でも私よりもっときつい障害の人もいます

私は日本国籍日本語を話します。

その面では日本という国においてマジョリティだと言えるでしょう。

私はある一面でマイノリティであり、ある一面ではマジョリティです。

境界線は無数にあり、同時に、どこにも存在しない、とも言えるのかもしれません。

偉大なる先増田

http://anond.hatelabo.jp/20130520152512(削除済)

2012-10-02

実名で幅を利かせるために他人を規制しようとする人達の為にネットが息苦しくなる

何か勘違いしてネット世界で目立って発言力を維持する為に、目に付いた物を

何かと規制したがる一部のクラスタ周辺にいる実名派の皆さんお元気ですかー

ネットのスキマからこんばんは 

ネットの至る所に信号機付けても、意味無いんっすよ

他人を監視したり調べたりする時間コストも只ではない

特定しても相手にとある3種類の方法使われてたら確実にカウンターますしね 

情報鵜呑みにして捕まった人昔いたでしょ

奇麗事ばかり言う人達コストは払わないのに見ず知らずの他人達モラルコスト時間の消費押し付けようとするとか無いわ

ちょー迷惑っす 「これも電脳化に至る修行」だと思って他人に任せず自分で調べてください 合法な方法は幾つかあるんです

された事を憎むあまり解決方法が見えなくなっていない?

復讐したいの?」それとも「トラブルを解決したいの?」

ブロガーとしていうけどコメント欄に書き込まれる大量のアレな書き込みに一々対応するほど暇無い

一日中ネットつぶやき続けられる人なら可能かも知れないけど

ネット世界が嫌ならさっさとネット止めればいいのに

あの人達の「けしからん教」のせいでどんどんネットが退屈で窮屈になる

ネット拡張された心のスペースであって、そこに他者がモラル押し付けようとか「思想の抑圧」

以外の何物でもない

最新の中傷方法検索サイトの上位に「ネガティブワード表示」という物があるけどあれ実は

法の力を借りずとも「匿名」の力と「金」を使えば簡単に被害者救えるんだよね

金が無い人は知識を自分で習得しないといけないわけですが、匿名dis人達無料で教えてあげる義理

ない どう考えても無いね 「コロンブスの卵」みたいな簡単な方法から検索順位と睨めっこしてせいぜい

考えればいい

だいたいネットで「実名晒して活動するのは、セキュリティソフト無しでパソコンネットに繋いでるのと同じだよね

2012-04-02

先進国というコスト

  • 先進国工場置いて、末端まで先進国らしい給料を与えるには、たとえばテレビなら40型で30万は必要だろう。ところが今となっては40型は10万を割り込み、型落ち旧品は5万出してお釣りが来る価格。そしてそれを安い安いと手に取っていく。我慢したかいがあったと、喜ぶ。末端社員に金が回らなくなり、自殺者が増える。高価な値段は、私達先進国に住む人間の生活を支えるコストが上乗せされている。当然、いくらかを途上国に回せば、安くなるが、食えない人間が出てくる。
  • ところで、国家内部の社会保障もまた、維持に多大なコストを支払っているのは言うまでもない。その資産運用確率的な問題が絡んでるのもまた事実であり、避けられぬ問題だ。年金基金が著しく減少する可能性、コストに算定できていただろうか?少子化という参与者数の減少に向き合っているだろうか?少数精鋭などと綺麗事を主張できるのは余裕がある今のうちだ。
  • これら見えてきたコストに対して、それを新たに算定に加えることに抵抗を覚える人間が多いのはわかりきった話である。あらゆるものコストが上積みされたそれを支えられなくなったとき、私達ははじめて、本当の恐怖を覚えるのだ。

2012-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20120212190031

そこの横断歩道って自分の知りうる限りでは一番歩行者傍若無人に渡ってるとこだ。

ほんとにひっきりなしに人が横断してるよね。

目の前ギリギリで止まった車にさっと手をついて「おっとっと、危ない危ない」みたいにやってる歩行者もいたりさ。

なので、「歩行者が次々と遠慮なく渡ってくる所」としてドライバー認知されてる地点だからこそ100回以上やっても大丈夫だっただけなんじゃないの?

住んでるマンションの近くの信号のない横断歩道で、無理に渡ろうとしたおばちゃんが轢かれて死んだ事故を見た事あるので

(前々から渡りづらくて危ないなと思ってた場所だった。その事故の後に信号機が設置された。)

やるなら時と場所を選んで慎重にやれと思うよ。

無茶したら自分が車に粛清されるぞ。

2011-08-02

ネトウヨが沸くのは当たり前だが淘汰には努力が必要

連日のネトウヨネットウヨク)の騒ぎっぷりはエスカレートする一方だ。常に新たな燃料を見つけしゃぶり尽くすまで騒ぎ立て被害を拡大する。

7月だけでもなでしこ熊谷選手Pixivなど目に痛いネット上の騒動は続いてたが現在は目下、宮崎あおいの夫、高岡氏の「8は今マジで見ない。韓国TV局かと思う事もしばしば」発言をダシに韓流バッシングが横行中。

まりの騒ぎぶりにどの騒ぎも原因は二の次で、災いだけが見た人にすり込まれてしまっているのではないだろうか。

また、騒いでる9割の人は尻馬にのって踊ってるだけで、怒る義理も筋合いもあったもんじゃないだろうにとしか思えないというか、むしろ毎週新しい着火ネタを探し、前日より盛大に燃やすことを生き甲斐にしてるのがネトウヨと呼ばれる人達で、そしてまた尻馬に乗るのが好きな人に伝搬していく。今日の↓の騒ぎなど、この国は大丈夫なのか?と思わざるを得ない程だ。

高岡騒動で鬼女がフジテレビスポンサーへ抗議、花王を筆頭に不買運動へと発展

http://hamusoku.com/archives/5455828.html



毎度この手の騒ぎを見ると、今なお世界中日本のためにチャリティ活動をしてる人もいるというのに、なんというバチ当たりと驚くのは山々だが、そもそもネトウヨの発生原理にまるで対処がされてないんだからしょうがない。例えるなら食べたリンゴカスをそこかしこに投げ捨てゴキブリがどんどん沸いてきてもキモいからと見て見ぬふりをしてるようなものだ。

発生原理や習性の考察は各所にあるが、わかりやすいのは人種差別好きな人達、今風にいうとレイシストの発生原理がこそがネトウヨ根本と思われる。

レイシストレイス(種族)の派生単語と言えばわかりやすく、即ち自分の種族にナルシストのようにどっぷりの人のことがレイシスト。つまり自分(の種族)以外は劣等ということ。

レイシストの発生原理に戻ると、これまた単純に「日本で生まれたということ以外なんの自慢もない人が、唯一の優越感として種族をダシに近所(隣国である韓国中国)をバッシングする」がメジャーで、即ち無職童貞ネットで唯一のっかれる(と勘違いして)優越感を分泌するネタ近隣諸国への差別であり、無職ゆえに無限時間で繰り返すし、優越感が不足するとさらに次のバッシング材料を求めてさまよい、見つけた炎上ネタの上でまた踊り狂う。

なんで隣国をバッシングするかというと、隣の国の名前しか知らないって次元子供も多いだろうし、やはり差別をする優越感のみで生きてける性質が固定的な視野の狭さになってるだろうし、こうした人に世界情勢や「韓流を流しすぎというがハリウッド映画はもっと流しすぎだろ」という正論を説いてもそりゃ受け付けないだろうと。

そうした原理の「なんの自慢もない人」とは未成熟子供が当てはまるし、差別というオモチャにはまった子供の集団は、かつての暴走族と同様の結束力や社会的問題になるもの当然。

まりネトウヨへの牽制で正論を説いても、暴走族の集団に社会情勢を話しても誰も聞かないような感じで、かみ合うことはほぼないだろう。

有名人Twitterで凸してなにか炎上ネタを引き出そうとするネトウヨマジレスしても、さらにからかわれるだけなのもよく見かける。

ある意味、かつての不良・暴走族を凌駕する社会問題だと思うが、一体どうなってしまうのか?

っと、いうか、法律条例規制が強化されるに決まってるだろうというしかない。

当たり前だが、記名でやったら罰則を受けたり疎ましく見られるリスクがある行為匿名ならしてもいい、というのがネトウヨ勘違い大本だし、勘違いを正すには、罰を受けるべき罪が生じたら、罰が罪の主に課せられるのは当然だ。

匿名から罪の主がわからない、というのが現状のネックだろうが、ならばそのネックを生じさせてるサービス大本も国が咎めるべきであろう。人類のいついかなる時代も、人を脅かす行為を咎めるシステムは必ず構築されてきたが、今はネットという発明の直後ということで、それが弱い。

もっと言えば、なぜシステムが弱いかと言えば、やはり日本ネットにおいては先進国で、諸外国以上にネトウヨのような集団の問題が拡大するのが早かった。

なにせiPhoneタダで配ってブロードバンドがこんだけ格安で一般に普及してるなど、海外から見ればまるで夢の国のような話なのだが、職も何もない人達がタダで使えるネットのおかげでレイシスト化も増長し、変な話でネット普及の張本人、孫正義が一番炎上しているという。

言うなれば、自動車世界に先駆けて普及した国に信号機道交法がなければやんちゃドライバ交通事故を起こすのも当たり前ということ。今日アマゾンの事件などひき逃げし放題のような野蛮な社会を彷彿させる。

匿名で起こした罪は、被害者が本人追求できるようにすること」をサービス提供するものに国が義務づけるのはそう遠くないというか、将来も現状のようにネトウヨ発生し放題のまま放置のほうが考えにくいと思われる。

ちなみに韓国日本に並ぶネット先進国で、一足先にそうした制度を導入した。理由はネットでの誹謗中傷に悩む芸能人自殺が連発したから。

かわいいアイドルが見るに堪えない中傷の末、連続して自殺してったら国会匿名問題を考えざるを得なかったということだろう。(言うなれば平野綾が今のまま誹謗され続けた末死んでしまうような話)

日本でも同様に、そうした悲惨な事件を繰り返さないと対策が進まないのなら、人として韓国より劣ってるんじゃないかと思う。さっきの自動車の例で言えば、事故の対策で道交法信号機を設置した国があるのに、自分の国はもっと死人が出てから対処を考えようというのはおそまつな話だ。

そうした次元に発展しないよう問題提起の声も徐々に増えてるが、ネトウヨは腐っても人間なので、意見をすれば敵対もするし、相手としては恐ろしいことこの上ない。つまり、まともな人間なら大抵の場合ビビってまともに発言が出来ないのもしょうがない。

しかし、暴走族対策の時と同じように、問題の当初に圧倒的に不足してるのは大人の反応なんじゃないかと思う。

前述のように子供ならそうした流れに取り込まれる危険は多分にあるし、誰しもいずれは親になり、我が子のためにもそうした危険がない社会を願うものだと思う。

ネトウヨへの対策を社会はもっと意識すべきと思う反面、恐れる気持ちがあるならば、この記事をRTしてみて欲しい。

RTの数で関心の高さが表され、憂国の士が志ある行動をしてくれることを強く強く願う。

2011-04-11

「私、甘いものが苦手なの」と彼女は言った


ケーキ屋に連れて行かれかれこれ30分間、同じことの繰り替えしという拷問を耐えていた僕にとってこの言葉は完全に寝耳に水だった。待ってくれ。じゃあなぜケーキ屋に来たのか、そしてなぜその甘そうなモンブランを注文したのか、なぜそれを食べているのにそんなことを言えるのか、ぼくには全く分からなかった。

ぼくは甘いものが苦手だ。特に生クリーム系とチョコレート系は胸焼けがしてしまう。だから洋菓子を食べることは滅多にない。付き合いでそういうところに連れて行かれるのも嫌いだから、そうはっきり公言している。

「甘いものが苦手」と言うとみなが「人生損している」という。しかし、好き嫌いによって人生が損するかどうかということについては、全くの謎であるあなた人生にとってはそうかもしれないが、ぼくの人生にとってはそうではない。むしろ、甘いものを避けて生きていけるのならばそれは幸せだろう。

しかし、彼女は言った。その言動には矛盾しかない。モバゲー無料ですという方がまだ信用できる。苦手なものを食べに連れて行くとはどういうことなんだ、何がしたかったのか。お互いが苦手なものを克服しに行くということならばごめんだった。少なくともぼくは、彼女は甘いものが好きだと思っていたから黙ってついて行ったのだし、ケーキ屋で珈琲だけを頼むという店員からしたら首を傾げる行為を取ったのもそのためだ。

しかし、一定数で信用しない人間もいるのはま事実だ。甘いものが苦手というのは信じられないことらしく、食わず嫌いだろ、とか、はいはいかっこつけるなって、とか言われたい放題の時もあるくらいだ。想像力の欠如はもはや害である。ややもすればこちら側がマジョリティはないばかりに不当な扱いを受けるだろうし、それに対する対応策をこちらは持たない。

同性愛者や性同一性障害者への偏見も同じことに起因する。根底は同じく根続きの感情は常に場を支配する。俺の辞書にそれは載っていない、と。男が男を愛すること、また女が女を愛すること。自分がそうではないからという理由で非難し貶し異端とみなすことは暴力性を纏った正義であるしいだが、そんな馬鹿げた正義がどこに存在するのだろう。

論理必然性を持たない行為は全て愚かなのだろうか。またはそれは容認されえないのだろうか。

彼女フォーク几帳面に置き、紅茶一口啜ると、ゆっくりと口をひらいた。

「何で何も言わないの?」

少し意識を形而上で遊ばせていたのがなんだかよくわからなかったが、時間は過ぎていたようでその顔は少し不安とか心配みたいなものがにじみ出ているような気もしたけれど、無表情だった。どうやら甘かったのは僕のようだった。

童貞が何を語るのかという論理にもまた同様の甘さを感じる。常に優位性をもたらすとされるその考え方の背後には、女性人間としてではなくてむしろ、女性器として見るような奇妙さを見受けられる。そしてそれは恋愛市場における需要供給の均衡を妨げるものだと言っても過言はないと思う。童貞のどこが悪いと論を始めることは既に非童貞へのルサンチマンを排除できていない、陳腐なものに成り下がっている。(けしてちんこなものではない。)さらにいえば、風俗業への偏見の付与と排除性がないという点で 素人童貞 という言葉もできていて、これも嘲笑の的になっているのが現状だ。ここにも違和感しかない。

現実ではある子と10,000円で寝れるイケメンもいれば、いくら積んでもATMとして利用されて終わりの人もいる。しかし、風俗ではそこの境界線がない。だが、それが何をもたらすのだろう。

「何で甘いものが苦手なのにケーキを食べたの?」

と聞くことは野暮なのかもしれない。けれど、これが核心をつく尤もな質問なのだと思う。ただ、この言葉を使ってしまうにはまだ早いとかそういうレベルでもない。核心をつく質問を中々口に出せないのはなぜなんだろう。

たとえば、タイプの子が目の前にいてその子と寝る手っ取り早い方法は ○○円で俺と寝ない? だろう。この○○に入れる数字現実的であればいくらでもいい。そうだなぁ、200万とか。そして頷いたら金額交渉に入ればいい。この女は金出せば寝る女だからだ。条件次第で寝るなら金額交渉ができるから値切ることも可能かもしれない。

まだたま勘違いをしているのは、なぜ彼女と寝るのは無料なのに風俗へ行くのかということなのかもしれないという。はて、どういうことなんだろう。彼女と寝るのには風俗に行くよりも多くの金もかかっている上に、それ以上の時間も失っている。 性行為をする ということに限っていえば、彼女は割に合わない。だから、身体目的の男はよりその価格を値切ろうとする。よりその時間を削ろうとする。

僕はカップを持ち上げ半分くらい残っていた珈琲を一気に飲み干し、その顔でついにあの言葉を言った。

「」

彼女はごちそうさまといい店から出ていった。甘さとは何を指すのだろう。珈琲ミルク砂糖を入れて苦味を消すことが甘さを生み出すことなのだろうか。それとも甘いものそのものは毒にも薬にもならないのか。人生そのものが無駄な繰り返しの中の一部分だとしたら、その中で起こる全ての事象が無駄であり、意味を付加することの方が滑稽なのかもしれない。

そのケーキ屋に1,360円を払い一人でその足で帰路につく。どこにでもある何も言わない信号機今日はその目に灯りをともしていなかった。

彼女の言った言葉を聞くことはもう二度とないだろう。しかし、モンブランを食べる女を見る度に、思い出すことになるのは間違いないのかもしれない。

2011-03-20

すごく不謹慎なことを書く。

ようやく、原発事故収束の兆しが見えてきたのだろうか。ぼくの知り合いで東京から脱出した人も多くいて、感受性が強いというのはたいへんだなぁ、と冷静を装っている。このへんはもはや「誰をどれくらい信じるのか」というイデオロギーにも似た問題であり、ぼく自身としては「さすがに東京で死人が出るほどの事態になれば政府も『逃げろ』って言うでしょ、常識的に考えて」と思っているので、自宅で淡々と週明けの仕事を待っているという状態だ。ガソリンがないので週末の日課になっていた映画レイトショーにも行けない。そもそも上映しているのかどうかも知らないけれど。

ところで、今日は一時的に震災報道が途切れた。

それまで意識していなかったけれど、震災当日にほうほうのていで帰宅してからというもの、ぼくはテレビに釘付けだった。通勤中はラジオTwitterで常に情報を入れていたし、寝室でもUstreamNHKTBSを2窓で開いていつの間にか眠りにつくという有様だったのだが今日、それが途切れたとき、猛烈に不安になった。終わってしまう、と思った。

ぼくは完全に、震災報道中毒になっていた。不安と恐怖を摂取することに慣れてしまい、あまつさえ快楽さえ覚えていたのかもしれない。以前は震度3などという地震がくれば文字通り震え上がっていたぼくだが、毎晩余震に揺すられるうちに「今回は警報が間に合ったな、今回は外れだな」などと緊急速報を値踏みしたりしている。

ネット上にはさまざまな情報が流れている。政府中途半端情報開示に憤る人、独自の論で不安をあおる人、美談に触れて涙する人。そうした人々を追いかけ、共感したり、ひとり嘲笑したりしている。

思えば911ときも3日間くらいテレビに貼り付いたが、あのときはすぐに日常に戻ることができた。言うまでもなく、それは対岸の火事だったからだ。

今回、東京は絶妙な距離感にある。最悪の事態が発生すれば、ぼくの日常が吹き飛ぶかもしれない。幸い今のところ身近な人に具体的な被害が出ていないこともあって、この事態がたまらなくスリリングなのである

仙台空港が飲み込まれていく、あの壮絶な津波映像が、スペクタクルプロローグしかなかったなんて、あのとき誰が思っただろう。

「町は壊滅しています」「死者・行方不明者が1万人を越えることが確実と見られます」なんと魅惑的なセリフなのだろう。

新幹線で数時間土地原発が爆発するなんて、誰が想像しただろう。

そのスリル拍車をかけるのが、計画停電だ。信号機が消え、交差点を徐行するバスタクシーの緊張感たるや、まるっきりスクリーンの中だ。エレベーターが止まって自室の7階まで階段で上がる経験なんて、もう二度とできないかもしれない。うきうきしてしまう。

このまま死んでしまたい。そう、強烈に思う。

今の刺激に慣れてしまえば、あとは倦怠の日々が続くだけだ。聞くところによれば、計画停電は夏すぎまで続くのだという。面倒でたまらない。経済だって下降するだろう。そんななかで、いったいいつまで被害者冥福を祈ったり、知らない土地復興を祈ったりすればいいというのだ。原発処理には数年かかるというじゃないか。2万人も死んだっていうじゃないか。それを忘れることなんて、できるわけないじゃないか

冗談じゃない。もう何も楽しめない。もう何も楽しめない。

2011-03-13

激甚被災地の一歩手前にて

被災時に必要なものは何か?時間が立つに連れ必要なものは変わってくる。筆者は岩手県で今回の地震に被災したが、時間場所によって変わってくるが、自身の経験を元にここにしるす。防災用品の準備や、被災地に救援物資を検討している方は、参考にしていただければありがたい

この文章は、被災二日目にiPadにて作成した電気回線が復旧しだい、どこかに上げるつもり。

備蓄しておくと良いもの

出来ればもちだしたいもの

インフラがとまるので、食料や衣料はもちろん、燃料や情報を得る手段も確保しておきたい。今回は電気がなくても暖をとれる反射式ストーブ、これはお湯もわかせる、ガスが止まっても使えるカセットコンロが非常に重宝している。

固定電話回線が生きていても停電していれば、最近の多機能なヤツはつかえないので、結局ケータイに頼ることになる。公衆電話最近中々ないので。予備の簡易充電器や電池、車載充電器、iPhoneFMトランスミッターが役に立った。

いざという時の移動手段やカーラジオカーナビTVでいざという時の情報取得手段になるので、車がある場合ガソリンも出来る限り入れておく。携行缶などで保存する場合は、安全な場所に保存する事。

災害時に一番役に立つメディアラジオ、次にインターネットとなり、最後TV新聞となる。ラジオは用意しておいた方が良い。ネット情報を得る場合デマや不確定な情報に注意する事。TwitterFacebookなどで自分から発信する場合も、不確定な情報は流さない事。ヤフー知恵袋2chなどは極力使わない。

当たり前だが、一番の被災地から離れていてもインフラが止まれば、店はまともな営業が出来なくなるし、道路も寸断されたり、信号機が止まったり、緊急車両優先などで渋滞する。

水は断水していなければ、早いうちに水を貯めておくこと。飲料用はペットボトルやヤカンに。トイレなどの水は風呂に貯めておくこと。

注意したいのは、ロウソクやコンロ、反射式ストーブを使う場合は余震に十分注意すること。当たり前だが、常にラジオはつけておいて揺れたり緊急地震速報がきたらすぐに消すこと。

ATMが使えなくなるので、現金を用意しておく。

余談だが大都市圏に住む人以外は、メインバンク地元地銀農協郵便局信用金庫にしておくといいかもしれない。窓口対応スムーズになる。

やってはいけないこと

地震に限らず、台風でも水辺に近づく人がいるが、こういう人が一番最初被害者になる。絶対に危険場所に近づいてはいけない。

当たり前だが、沿岸部では揺れたらすぐに逃げる。ビルの出来るかぎり高い階層か、高台に。

また、心配なのはわかるが特に災害のひどいところに行ってはならない。阪神大震災の時の様な野次馬は論外。自分が被災するだけでなく、救助活動の邪魔になるから

不要不急の外出は極力避ける。道路の寸断や信号機の停止で思わぬ事故にあうリスクが高くなる。

電話は極力しない、出来れば連絡はメールtwitterFacebook災害伝言板ラジオ伝言メッセージなどを使う。やむおえない電話場合も、極力通話は短くすること。

デマを流すのは論外だが意図せずにデマを信じてしまってもいけない。チェーンメールは無視し、拡散RTは慎重に行うとこ。デマは最悪の場合は人命に関わる。

ウソクや反射式ストーブを使う場合は、そばから離れる場合は火を消すこと。一瞬でもそばから離れる場合は絶対に火を消すこと。ロウソクは使わないに越したはないが、使う場合は周りに燃えやすいものをおかない。

よく何かあれば、千羽鶴を折って送ったり、古着等を送る、自分小説本を送る俳優などがいるが、これらは役に立たないばかりか、ゴミしかならない上に、輸送力の無駄遣いとなり、迷惑となる。地獄への道を善意で舗装しないように。

あればいいもの

命の危険がなくなり、食事もある程度とれる様になると、非常に退屈になる。死傷者が多数でた沿岸部の方々や、原発関連で不安福島県の方々には大変申し訳ないが、1次的な被害が少かった内陸部にいる自分は、二日目にはもう暇であるTVラジオ災害関係しか流れておらず、ブロードバンドは不通、携帯電話不安定な為、webも長い時間見る事が出来ない。気を紛らわす為にも、何か簡単な娯楽はあった方が良い。昼間は文庫本を読んで過ごしたが、いよいよ退屈になってきたので、この文章を書いている。

余談だが、そういう意味ではある意味テレビ東京スタンスは正しいとも言える。今回は岩手にいるので、テレビ東京が何を放送をしているのかは知らないけど。

お菓子ジュースは非常用の食料という意味もあるが、気を紛らわすという意味で娯楽に共通する。自分タバコは吸わないが、喫煙する方はタバコも用意しておくと良い。ただし、不測の事態に対応する為、飲酒は避けた方が良い。

モバイル関係やカメラ記録撮影や録音に使える。ただ、間違っても現在進行で危険なもの、炎上中の建物津波などを撮影してはいけない。そんなものを撮っている暇があったら逃げる事。

その他

人工透析酸素吸入、糖尿病などの慢性疾患、妊婦の方はかかりつけの医院がどうなっているのか確認しておく。かかりつけの医師が診察不能な場合は、保健所や近くの総合病院自治体の窓口などに相談すること。

スーパーガソリンスタンドはかなり混雑し行列となる。そういうところで並んでいるのを無視し割り込んだりすると無用なトラブルを引き起こす。実際、筆者が給油のためガソリンスタンド行列にならんだところ、何台かが無理やり割り込んでいたが、割り込んだ車両は全部店員によってつまみ出されていた。

水の節約トイレを我慢するために水を飲まないのは、血栓などのリスクをよぶので、水分はとること。

ある程度インフラが復旧してきても、交通物流の回復は更に時間がかかる。食料や燃料などは無駄いしないこと。また、電気や通信などのインフラも安定的提供には時間がかかるので、無駄いしないこと。

「何かしたい」と思って、古着千羽鶴自作小説を贈ったり、慌てて炊きだしボランティアに向かってはならない。邪魔になるだけだ。善意を形に変えたければ募金をするか献血をすれば良い。今回は災害の内容から献血はそれほど必要無さそうだが募金は最も有効な支援である。ただし、募金をする場合は信用できる組織・団体を介して行うこと。間違っても駅前の街頭募金などに小銭を入れてはならない。善意を装った詐欺や悪質な新興宗教などが関わっている可能性があるからだ。せっかくの善意被災者に届かない可能性がある。

特に注意しなければならないのは、国連ユニセフなどを騙った振り込め詐欺だ。国連ユニセフあなたの個人の電話メールアドレスに、募金を依頼することはない。絶対に相手にしないこと。

2011-03-12

震災地は募金より売春宿で復興

震災枕詞のような募金です

募金なんてやめといた方がいいですよ。

被災地では同じ札が何回使われたか重要です

募金する本人も善意でやっているわけですがこれは大変な悪徳です

つまり負の労働です

例えばアナタが100億円もってたとして

ウン十億円も一気に寄付できるようであればそれはとてもいい募金です

アメリカなんかだと寄付分控除になるのでこのような寄付が盛んです

ビルゲイズが善意寄付してるなんておもっちゃだめですよ。

しかし私もふくめ多くの方はそのようなことができません。

震災がおこると多くの基金がたちあがるのでアナタはそのうちの1つをピックアップして

インタネットの振込画面から指定の口座に振り込むか郵便窓口とかにいってお姉さんたちに頼むはずです

すばらしいことに日本人労働対価は世界的に見て非常に高い物となっております

おそらく多くの日本人にとって寄付決定から振り込むまでの機会コスト

振込金額を超過します。

この程度の労働力だと銀行などいかデートしたりして

しっかり休んだ方が営業日生産性があがり

機会コスト寄付する金額以上は社会貢献できると思うので

やはりこれは負の労働です

たま信号機の前で同じ場所で群れて募金つのっている方々が

素敵な笑顔を私に振りまいてきます

私はアレを見るたびこの時間をそのまま

コンビニなりキャバクラ也で働いて直接きふすればいいのになぁと

不思議がります

その笑顔顧客に向けるべきです

本日たかが200人の死んだ人間遺体を引き上げるために

5万人もの自衛隊派遣したそうです

もちろん遺族の気持ちを考えると大変遺憾におもいますが

優先順位がおかしいのでわないでしょうか。

ただでさえ高い公務員給与に土日なので休日出勤手当もかさんで大変な負担です

あれはただの公費を利用した政治パフォーマンスです

では被災地にはどのように接していけばいいのでしょうか?

それは仕事を持っている人なら勤勉に、

ニートなら職を探して経済の輪にくわわり

稼いだお金貯金をせずしっかり使うことです

できれば被災地ちかくで使ってあげるといいですね。

おみやげを買うなり女の子を買うなりすると大変被災者貢献できます

甚大な被害をうけた方は 貯金などせずにそのまま消費に回ると思われるので

ドミノエフェクトは加速します。

しいては 日本国債買い支え

日本負債拡散というもっと大きな問題解決とベクトルは同じ方向になります

災害で死んでしまった方々 ご冥福をお祈りいたします。

エントリ

はじめて書いたにっきだったんですが沢山よんでいただいてありがとうごいました

http://anond.hatelabo.jp/20110312131044

2010-01-26

非コミュ脱出大作戦


 大学生だった頃、ぼくはかなりとんがったやつだったと思う。

 とんがるといってもとても格好いいとはいえないとんがりかたで、世界を敵にまわしているような、一人で戦争をしているような、敵意を剥き出しにして斜に構えるような、そんな生意気ながきだった。

 群れるのが嫌いで、馴れ合い馬鹿にした。

 自分の好きなものだけに触れて、世の中間違っていると言い張った。

 作り出される自分アイデアが、とても素晴らしいもののように思えて、それだけに夢中になってあれこれと作った。

 ハードボイルドの主人公のように両肩で風を切って、ギャングのように何か面白いものはないかと物色しているような、そんなたぶん二十歳ぐらいの自分を思い出すとなにか冷や汗が出るような気がし、その一方で、なかなかに冴えていたなとも思う。一切を閉ざしてしまって、自分だけの世界に閉じこもって、世の中のものをせっせと自分世界に取り込んでいたような気がする。

 ほとんど誰とも話さずに過ごし、たぶん話していてもかなり機械的な反応しかできなかったと思う。その頃のメールの下書きのテキストが残っていて、それを読むと、官僚的というかガチガチな隙のない文章を書いていて、なんだこいつはサイボーグみたいな文章を書くやつだと、なつかしくなって笑ってしまう。

 その文章の中にいる二十歳のぼくはいつも完全武装なのだ。

 そんなことになってしまったのは大学一年の頃に起こった事故のせいで、ある事件をきっかけにぼくは人間というものが信じられなくなり、社会を敵にまわすようになった。数ヶ月は立ち直れず、それでも本を読んでいるうちにだいぶ立ち直っていき、読書欲に駆られながら読みふけるうちに、復帰していた。

 好んで読んだのはハードボイルド

 チャンドラーとか、ジャックヒンギスとか、ギャビン・ライアルとか。

 ハードボイルドを読む人なら、この手の小説が汚れきった社会渡り歩く勇気社会絶望していたのでそういう勇気を必要としていた)をもたらしたこともわかりやすいと思う。ぼくはあろう事か、ギャングや、探偵や、元軍人や、スパイ社会との渡り合いかたを教わってしまい、いつも鞄のなかには拳銃が入っているようなそんな心地で、復帰していったのだ。

 それは今からしてみれば、常時戦場にいるような緊張感で、そんな状態でまともな会話など出来るはずもないし、たぶんしても鋭すぎる態度で、相手を居心地悪くさせてしまっただろううと思う。それでもギャングだが、探偵だか、スパイだか、元軍人気取りのぼくは、そんな完全武装であちこちを歩き回り、あれこれと色々作って、仲間に見せたりしていた。

 それは今から見ても、あの頃に作ったものはすごかったと思うほどで、錯覚ではあるのだけど、本当にたったひとりで世界を相手に戦っていたのだと思うし、シャープで甘えがなく、手を切りそうなほどの切れ味あるものたちを作っていたのだと思う。

 だから、こう言いたい。

 完全武装の時代もそんなに悪い時代じゃなかったって。

 たしかにかなり重症非コミュだったとは思うけれど。

 その当時にどのように世の中と接していたかと言われて、ふと思い出した言葉がある。

 著名なSF小説ニューロマンサー」の続編「モナリザオーバードライブ」の解説にその言葉はあって、それらの作品を評して「鏡に覆われた(ミラーシャーデッド)表層」と言っている。

 この感覚

 ガラス越しという言葉があるのだけど、それよりもシャープな感じで、こちらの表情が見えないようにスモークガラスで覆っている感覚。そして、社会スモークガラスに覆われていて、お互いが冷たく冷淡で、それが日々すれ違っているのだけど、完全に別け隔てられている。

 あちこちのバイトを短期でまわって、世の中のいろいろな風景スパイしながら(そういうつもりだった)、いろいろに世の中の仕組みを知っていくようになった。会話をしなければならないところでは当たり障りのない、そしておそらくかなり素っ気ない会話を交わし、とても冷淡にその体験だけを盗んでいくスパイのように働いていた。

 もちろん、その短期バイトをあちこち回ったことが、のちのちまともに社会に出て、効率的な現場のまわしかたみたいなところでとても大きく効いてくることになったのだけれども、誰もが短期なだけにコミュニケーションらしいものは皆無で、煙草を吸いにいってせっかく話す機会があっても、他の誰かがはなしているのを聞いているだけという、なんという非コミュ

 あの当時のぼくはとてもプライドが高く、口を開くにしてもなにか高級な事を言わなければと思っていたように思う。例えばハードボイルドの主人公のようなセリフなど、いま思えば、現場にまったく必要のない言葉以外話したくなかったのであるが、結局の所それは自分の我が儘で、自分価値観以外のコミュニケーション仕事場でさえしたくない、もしくはそれをしなくて良いようアンドロイドのように、時間貸しロボットのように、ただ効率的に現場をまわすにはどう動けばいいか、だけを考えていたように思えてくる。

 ボトルネックを事前に発見して、誰も気づかないうちにそれを埋めていく、それで今日の作業は30%ぐらい効率化できたと悦にいる。そんな毎日。それはリアルシュミレーションゲームのように思えていたし、コミュニケーションなどなくとも、出来る遊びではあった(そしてこの経験はのちのち凄まじい威力を誇った)。

 しかし、その当時のぼくはやはりゲーム感覚で、いつでもスイッチを切ってさよならできる現場でしかなく、ミラーシャーデッドどころか、液晶パネルの中の駒でしかなかったのかもしれないと思ってしまう。

 そんな事をしているうちに、交通誘導の仕事をやってみることにした。

 これは簡単に言えば、工事現場に立っている警備員で、たぶんやってみないとわからないが世の中の潤滑油的な仕事である。仮設の信号機でいいのではないかと言われれば、まあ、そうかもなのだけど、ぼくはその辺の議論はどうでもいいし、もう交通誘導をするはずもないので、あんまり関係がない。

 で、いきなりやってくるのは、研修

 法定で4日だったかの研修が義務づけられているとかで、ひたすらに、交通誘導がどんな仕事かをたたき込まれる。そこで言われるのは、ひたすらに危機対応、そして、顧客である工事現場の人たちを守るか。酔っぱらい運転で工事現場につっこんでくる車から顧客を守るのが、交通誘導の第一の責務だとか何とか。まあ、ねえ、顧客だからねえ。

 そうやって始めてみるしょっぱなに言われた。

「あれさ、お互い遠くに立ってるじゃない。互いに孤独で。8時間とか、12時間とか。そうするとね、話せないから、上手くいかないと不満がたまってどんどん上手くいかなくなるんだ。そうするとたいへんだよ。向こうはぷりぷり怒ってさ」

 これはチームワークなのだと、コミュニケーションなのだと、ぼくはあなたのことを信頼していますと伝える事が重要なのだ。あなたが怒らないように、要らぬ誤解を抱かないように、あなたがぼくが心配ないというシグナリングをしなければならないんだって、あの赤く光る棒を振りながら、ずっと伝えなければならないんだと、それはプレッシャーだったのではあるのだけど、それまでの自分とは違うことが価値があるのだということを、思い知らされた事ではある。

 交通誘導に業務効率化する要素などなく、どうやってチームワークをよくしていくか以外に改善点はない。そういう意味では完全コミュ仕事であり、ぼくはあんまり自信がなかった。

 それが初めての集合で、煙草を吸っていて結構くせがありそうな人に言われた。

「あれ、ショートピースなんて吸ってるの? きつくない?」

 ぼくは、どれだけハードボイルド世界ショートピースが標準か語りたかった。

「香りがいいんです。それでくせになっちゃって」

「どれ、吸わせてよ。うわ、きつ、なにこれ」

 その人は笑う。

「缶で吸ってたときもあるんです。あのときは肺に穴が開いたのがわかりました」

 ぼくはきっと「ショートピース野郎」と記憶されたことだろう。それでもその瞬間に、ミラーシャーデッドが融けたのを感じた。ぼくの世界に入ってくる人がいた。確かにさりげないのだけれども、それで勇気づけられたのは確かだ。

 ミラーが砕けた瞬間で、ああ、ショートピース、わかるんだ。

 そういう感じ。

 その瞬間に、一緒に仕事をする人々の世界観もわからないとと思って、一瞬にしてぼくのミラーグラスは破壊された。

 同じ人と同じ現場になって、その頃はきつい両切り(ショートピース)はやめていて、もうすこし穏健なロングピースになっていたけれども、その人は、仕事が終わってヘルメットを長時間かぶっていたせいで髪型がめちゃくちゃになっていたけれども帽子をかぶって、自転車に乗る。

ラーメン屋をめぐるのが趣味なんだよ」

 そういって、現場から明るくたちさる。

 あの職場で、いろいろな人々と、その職場を暖かくする事にどれだけ尽くしただろうか。誰もがその底辺で生活しているわけだし、いつの間にか、それは自分の片足だけつっこんだ居場所になりかけていた。世界ガラス越しではなくなったのこの職場だったし、それはなにか守らなければならない暖かいチームワークの場所だった。

 底辺などというべからず。

 その後の十年近いキャリアを通しても、素晴らしいチームワークだったと断言できるし、この1/5000ぐらいの荒涼とした、無生産現場は大量に見てるし、基本的に言えるのは底辺ほど効率的で、上層ほど無能であるということだ。のぼるほど無能になっていく。

 機能不全とすべての罪は上層にあるのだけど、わかっているか。

 ちょっと言い過ぎた。

 ぼくが言いたいのは、底辺を経験してすばらしく暖かく機能的で、ここは問題がまったくない、ということなのだ。ここには何の問題もない。すばらしい経験だった。ぼくの非コミュも解けた。

 貴族趣味なぼくは結局ほぐされて、そして紹介で別の職場に入ることになる。

 本格的な就職に近い形で、人事のトップに笑われる。

「いや、こんな真っ白な履歴書を見るのは初めて」

 その履歴書は真っ白だろうか?

 数こと話すと人事の最高責任者は頷く。

 じゃあ、採用するけど、明日からちゃんときてね。

 配属されたのは実務の最精鋭部隊が集まっている部署で、そこで、笑い合いながら、冗談を言いながら、学びながら、いろいろ効率的なオペレーションを学んだ気がする。それで、特別なプロジェクトが立ち上がって、それにたったひとりで派遣されて、その現場監督(ただし、実権はまったくなし。不安にさせるな)で、まったく見知らぬコミュニティーにぶち込まれる。

山崎まさよしさんに似てますよね、雰囲気だけ」

「あー、そう言われたのは初めてで」

ブルースは好きなんだけどねえ…)

 そうやって、あ、これで大丈夫なんだ、これで上手くいくのだと、そう安心した。

2010-01-06

ふたば二次裏某鯖でまとめられていた書評

ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊」シリーズの外伝的ネタ

『夢渓筆談』 沈活

宋代中国に書かれた古代中国科学史研究する上での必読書だけど

今俺たちが読めば民明書房気分を味わえる名著だし仲間に入れてくれよ

ミーナの行進』 小川洋子

小学校6年生の病弱な子がすごくよかった

『糞尿大全』 柳内伸作

とにかく世界中および歴史上のありとあらゆる糞尿に関する事柄をまとめた本

なるほどそんな事がと頷かせながらも

日常においてまったく役に立たない無駄な知識が!!

『味覚極楽』 子母沢寛

読んでると

腹が

減る

はてしない物語』 ミヒャエル・エンデ

読書を始めた

あの

頃に

新世界より』 貴志祐介

ホモホモしたり百合百合したり、大興奮間違いなし!

つい盛り上がってしまいパンツを脱いでしまったが大後悔!

その後待ってるのはグログロドロドロのトラウマワールド

ダークライン』 ジョー・R・ランズデール

小悪魔っぽいお姉ちゃんが可愛かったり親友が失踪したりする

ゼーガペイン 忘却の女王』 日下部 匡俊

言わずと知れたゼーガシリーズの外伝

記憶喪失カップルが南の島で超すごいガルダを駆って大暴れ!

先輩も出るよ!

玩具修理者』 小林泰三

ようぐそうとほうとふ!

ようぐそうとほうとふ!

ようぐそうとほうとふ!

『ニンギョウがニンギョウ』 西尾維新

たくさんの妹とケモ少女と主人公のキャッキャウフフストーリー

あと拳銃は右手で

黎明に背くもの』 宇月原晴明

美濃のマムシボンバーマンが実はイスラム暗殺教団の兄弟弟子、

果心居士はハシムに通じロリショタ可愛い

ちびっこ吸血鬼ミステリーがお好き』 アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルグ

アントンが一人で留守番をしていると部屋の窓に人影が。その正体は「ちびっこ吸血鬼」のリュディガーだった。

それはおいといて妹のアンナ可愛いんだよ

ものすごくアンナ可愛いんだよ

『不滅刑事アレクサンダー・マッケイ』 ハヤカワミステリ文庫

汚職に直接関与する事件のみならず副次的な殺人すら隠蔽せねばならぬことにうんざりした

アレクサンダー・マッケイはなんとか政治的な判断を相手に促しつつも事件の過熱化を防ぐために奔走するが

関係者よりも力を持つ上院議員とのコネを繋いだところでマッケイは殺害される

少女が戯れに試したインディアンのおまじないにより復活し殺人ではなく刑事としての復讐を開始した

最後は怒りに満ちたマッケイが人間の尊厳を選択したところで絞め

『異常の門』 柴田錬三郎

例によって「夢殿ウタタ」という名前に一癖ある主人公が、エロゲ展開とシリアス路線を並行して、物語の謎を解きあかしていく

主人公を助ける強力な右腕、ルートから外れたヒロインのひどい始末、クライマックスの盛り上がりという、シバレン小説の醍醐味が一冊で味わえるのでおすすめ

『死ぬことと見つけたり』 隆 慶一郎

月姫スタッフオススメの本

厨侍が厨性能で唯我独尊状態

娘の黒髪おっぱいは必読

『牢屋でやせるダイエット』 中島らも

1ページ目からやっぱり常人とは違うと思い知らされる

独特の人生観が貫かれてる傑作

『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも

-永遠も半ばを過ぎた。わたしとリーは丘の上にいて、鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた-

「幽霊の書いた小説」を出版社に持ち込んだ詐欺師。それが文壇を揺るがす大騒ぎになってしまい…?

詐欺師写植屋と編集者の女の真善美トリオが繰り広げる痛快娯楽詐欺小説!

四畳半神話大系』 森見登美彦

(書評1)異性との交際、学問への精進、肉体の鍛錬、

そんなものとは無縁な大学三回生の物語

まるで「」の活躍(?)を見るようだった

(書評2)来るべきハッピーエンドを目指したいけどそんなのは軟派だと世を拗ねてみるけどやっぱりなんとかしたい、という

まさに大学生「」というべき男が主人公

一緒に「夜は短し歩けよ乙女」も読むと幸せになる気もする

失われた時を求めて』 マルセルプルースト

いもげの100冊がいもげの1冊になり兼ねない恐怖の書

タイトルの通り読破した「」は失われた時を求めて彷徨う事になる

膨大な時間と引き換えに「プルースト要約選手権」への参加資格が手に入る

『グラマリエの魔法家族』 クリストファー・スタシェフ

急に読みたくなった

冴えないおっさんが若い女性に誑かされたりするよ!

『眠り姫、官能の旅立ち』 アン・ライス

(書評1)エロ面白い

ホント扶桑社海外文庫は地獄だぜ!

(書評2)それ近くの図書館で高校の時に見つけてな…… 何度か借りて一年くらい使えた

二巻、三巻は男の子も多くて実に「」向きだよ

『神秘の島~ミステリアスアイランド~』 J・ヴェルヌ

十五少年漂流記のもっと凄い版

ほぼ何もない状態での無人島サバイバル

海底二万マイルと実は繋がってる

『肖像画、馬車』ゴーゴリ/平井肇訳

神絵師になれるかもしれない才能を持った若き絵師「」が

悪魔のような肖像画に出会ったために破滅の淵へ追いやられる「肖像画」

のどかな農村で繰り広げられるホラ話と、それによって大恥をかく「」ちゃんが出てくる「馬車」の二編を収録

神絵師を志してる「」ちゃんは、「肖像画」の方だけでも読んでおくいいんよ

ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ

ソ連を代表する作曲家であったショスタコーヴィチの回顧録

長年真贋が論議されてきたが今ではほぼ偽書ということで確定している

ただ全部が嘘じゃなくて半分くらいは真実じゃないかというのが現在の評価

スターリン支配下にあったソ連芸術家がどういう立場にあったかが分かる

あとアネクドートとかそういうので面白い

『私の一世紀』 ギュンター・グラス

20世紀百年、それぞれ一年につき一編の短編が収められた連作短編集と長編の間の何か

WW1を振り返る五年間がレマルクとユンガーの架空対談に費やされているという時点で

ドイツスキッヒにはたまらないだろう

『キッチン』 よしもとばなな

名前は聞いたことあるけど、あまり「」が読まない本だと思う

だけど地味に面白い

今でも通用する小説だと思う

こころ』 夏目漱石

読書感想文課題で読まされた中高生に深い傷を与える一品

さかしま』 JK ユイスマンス

17世紀ヨーロッパ貴族ひきこもりでオタの主人公が

自分の趣味に没頭する話

400ページくらいの本編に脚注が400くらいある

『かえるくん、東京を救う』 村上春樹

村上春樹短編の中では一番好きかも

かえるくんいいなあ

いいなあかえるくん

白痴』 坂口安吾

白痴の人妻と「」がキャッキャウフフするお話

限りなく透明に近いブルー』 村上龍

主人公が仲間と薬やったりセックスしたりぐだぐだぐだぐだしてたら気が付いたらみんな月日と共に去って行った

村上龍が描く太陽の季節的な何か

孔子神話』 浅野裕一

孔子詐欺師ぺてん師パラノイアであることを文献引きまくって描く

呉智英推薦

『りかさん』 梨木香歩

人形好き、骨董好きな人おすすめ

『故郷』 チェーザレパヴェーゼ

WW2後イタリアの田舎で友達の妹とキャッキャウフフする物語

カラフル』 森絵都

自殺した中学生の肉体に、天使が記憶喪失の魂を入れ直して第二の人生を生き直させるお話

キャッキャウフフあり、青臭い中学ドラマあり、少年の心を忘れない「」にお勧め

オチのカタルシスは語りつくせないのでぜひ一読を

『ガルガンチュワ物語』 ラブレー

世界一お下劣な文学と名高い

ケツの拭き方が24通りも載っているのでメルターの「」には必携の書

キララ、探偵す』 竹本健治

もう60近い年齢の方がメイドさんの小説を書いてると思うと時代ってのはすごいなと感じる

途中からエロ小説 とってもライトな読み味でいい

フェルマーの最終定理』 サイモン・シン

暗号解読』 サイモン・シン

前者は20世紀における数学大事件の一つであるフェルマーの最終定理の証明を、数学の歴史に沿って、数学が苦手な人にも分かるように説明された良書

後者は楔形文字からエニグマから量子コンピュータまでの暗号と数学と人の歴史をこれまた専門外の人でも楽しめるように書かれた良書

断章のグリム』 甲田学人

「本当は怖いグリム童話」を怖いところを薄味にしてラノベに仕上げたような作品集

作者は流血とかが苦手らしいのでそういうのはぼやかした表現とかカットとかしてある

『楽園の知恵』 牧野修

気持ち悪い、悪趣味なお話がわんさとつまっている短編

お気に入りは「逃げゆく物語の話」

人型の物語再生機の面々が当局による弾圧から逃れようとするお話でせつない結末が待ってる

『シグナルとシグナレス』 宮澤賢治

鉄道本線の信号機シグナルと、軽便鉄道信号機シグナレスの恋物語

鉄道信号機擬人化恋愛モノというまさに「」風の尖ったセンスに脱帽すること間違いなし

ピタゴラス派の天球運行の楷音です」って台詞が大好き

『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀

多重人格リア充貴族が物凄い勢いで没落していく話

幽体離脱という必殺技を身に付け、財産を奪っていった奴らへの復讐が今始まる

飛ぶ教室』 エーリッヒ・ケストナー

外国作品で一つ選ぶならケストナーから選びたい

それくらいハズレなし

男の子同士の友情を、少年サイドと中年サイドから迫った「飛ぶ教室」は人気が高いね

エーミールも好きだが、続きのないこちらを推そう

『おれの中の殺し屋』 ジム・トンプスン

凶暴な殺人衝動を抱えながらも愚鈍のふりをする保安官助手が、

魔性の女に会ってにんとかかんともならなくなる話

人がいっぱい死ぬ

大川隆法の霊言―神理百問百答』米本 和広、島田 裕巳

カルト専門ジャーナリスト幸福の科学の本を読んでたら突然偉人が乗り移ってきて…

大川隆法の著作をパロって

大川が偉人が乗り移っていったと書いている内容を著者に乗り移った偉人が批判する

タイムリーな本なのに絶版

寄生虫実話』

小説じゃなくてムックだけど寄生虫全般・害虫に関してのデータがどっさり詰まって面白い

アメリカ日本サナダムシは気性が違ったりとか

『メルキオールの惨劇』 平山夢明

自分の息子の首を切ったお母さんにインタビューしに行く話

同じ作者だと『独白するユニバーサル~』もおもろいんだけど、夏だしホラー長編読んで涼もうぜ! 的な

『ワルの恋愛術 ワルな男は3秒で女を虜にする!』 内藤詛人

恋愛指南書という「」からもっとも離れたところにある本だが、

心理学者である著者の語るテクニックは心理学の実験や理論を基にしており

そこいらのホストの書いた本よりも興味深く、真実味にあふれる

また、作者が前もって宣言している通りわかりやすい口調で書かれており

心理学入門書としても楽しめる良著

表紙のメイドさんや挿絵がかわいらしい

博士の愛した数式』 小川洋子

「私の記憶は80分しかもたない」

事故で記憶容量に80分のリミットがついた天才数学者の爺さんと、そのヘルパーの女性、そしてその息子通称ルートが数式によって親密になってゆくお話

数学嫌いの俺でもすらすら読めた

数式が「美しい」ってのを肌で実感できたのは初めてかもしれない

『百頭女』 エルンスト

「あの猿に聞いてごらん――百頭女って誰なの?

教父さまみたいに彼は答えるだろう――百頭女をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのか分る。

ところが君が説明を求めるとそれだけで、わしにはその答えが分らなくなってしまうのじゃ。」

『わが友 石頭計算機』 安野光雅

絵本を模して、コンピューターや二進数の原理をわかりやすく説いた本

あちらこちらにジョークをちりばめユーモラスに書かれているが、内容はいたってきっちりとしているので

全く判らない素人にもお勧め

絶版なので図書館を探すこと

銀河旅行』 石原 藤夫

ロケットの基礎原理から化学エンジン原子力エンジン反物質エンジンの各特徴と、なぜ化学エンジンでは銀河旅行が出来ないかなどの、宇宙機に関する基礎的な物理がわかりやすく解説されてる。

ロケットのわかりやすくて基本的な解説書の決定版ともいえるのに絶版だが図書館などで見つかると思う。

涼宮ハルヒの憂鬱』 谷川流

SF要素をふんだんに盛り込んだヒロイン達に振り回される学園もの

一巻は良かったんだ一巻は…

ハーモニー』 伊藤計劃

健康至上主義な近未来の超絶監視社会を舞台に、

倫理とか意識って何なんだって話をつきつめてく話。

シノフサの先輩の人で、こないだ亡くなりました

『ふわふわの泉』 野尻抱介

もしこの世に空気よりも軽い物質があったらどんな風になるかを書いた作品

ぶっちゃけ小説としては2流だけれども科学マインドがあふれてて面白い

インターネットはからっぽの洞窟』 クリフォードストール

ハッカー追跡で突然コンピュータ専門家になってしまった天文学者が

ネットワーク社会の未来について憂う

精霊の守り人』 上橋菜穂子

現代の日本ファンタジー小説では外せないだろう

ゼロからの世界構築でありつつ、どこかで見た(聞いた)ような気がするので決して障害にならない

アニメで見た「」もぜひ読んでほしい

2009-10-05

あの再開発から、10年。

色々な呼び名があるが、下北沢駅の新駅舎を含んだ一連の騒動は、下北沢再開発とひとくくりにしてしまって良いだろう。

街もすっかり変わったが、結局の所それほど大きな変化は無かったとも言える。

雑然とした町並みは再開発で整理され、耐震にも問題なく(多少の問題は未だあるけれども)使いやすいビルや駅や道路が街を再構築していった。

当初は大きな反対運動と共にワイドショーを賑わせ、何人かの識者やら代議士やらが色々と言った結果、

お定まりの「昭和光景がまた一つ」「寂しいですね」「では次のニュース」というコメントに落ち着いた。

街は人が住んで初めて街になる。

博物館の中に展示されていれば良いのだろうけれども、街は変わっていく。人も変わっていく。

街も人も変わらなくても、世の中は変わる。

人が孤立しては生きていけないのと同じように、街も世の中からは独立しては生きていけない。

あの頃の情景を保存しようという下北沢再開発反対の「ムーブメント」は、結局の所、当時の世相も人も生活習慣も、何もかもが変わってしまった中ではむなしい抵抗だったのだろう。

もちろん、下北沢を愛してくれる何店もの店はそこに残った。

その意味では変わらなかったと言える。

大きな道路や綺麗なビルや多少くすんだだけの新駅舎は、新しい街並みを主張している。

その意味では変わったと言える。

ロンドン信号機撤去が今のところ成功しているため、歩車一体型の試みは先進諸国では徐々に広がりを見せている。

しかし、街において人も車も同じ生活者であるという考え方は、日本には未だ理解されにくいようだ。

歩車分離の街並みを作るための再開発は、今も日本中で続いている。

「あの頃」にノスタルジックな思いを抱く人達向けのテーマパークも増えている。

日本では主張とは分離することで、安全や安心や納得を得るものであるようだ。

それもまた、一つの回答ではあるのだろう。なにが正解かは、もちろん判らない。

雑然とした町並みや、猥雑な雰囲気は無くなってしまった。

交通量と多少の排気ガス臭さと、チェーン店は増えたようだ。

良くある町の一つになったと言われればそうなのかもしれない。

時折、店の売り子さんに「あの頃と比べて、街が冷たくなったような気がしませんか?」と問いかけられる。

街はきっと暖かくも冷たくもないよ、と答えることにしている。

人生も恋も、変わり始めたときには原因はとっくの昔に起こってしまっており、恋人に別れを告げられそうになったときに焦り始めても、もう遅い。

人も街も世の中も、変わり続ける。時は止めようがない。

生きている限り、それは仕方がない。

あのとき残すべきだったのはきっと、街並みではなく、人の思いだったのだろう。

駅舎がガラス張りになったからといって、笑顔挨拶をする駅員さんが突然無表情になるわけではない。

自転車がぶつかり合う狭い路地での立ち話が、綺麗な歩道でできないかといえば、そんなことはない。

街の雰囲気でごまかされていた人の変化が、単に目につくようになっただけだ。

その意味で、下北沢再開発が始まったときと今とでは、変化は無いと言える。

「あのとき」は、もうずっと前に過ぎ去ってしまっていたのだ。

今後も何度もこんな事があるだろう。

きっと10年前の再開発が「あのとき」となる事態に遭遇するのだろう。

人は歴史から何も学ばない。でもそういうものだろう。

後悔は、先には立たたないのだ。そして人は未来を見通せない。

あの再開発から、10年。

今日も、下北沢は変わらず生き続けている。

2009-08-10

構造物の疲弊

今朝、通勤で使う私鉄が大幅に遅れたんだ。

理由は早朝にあった信号機故障、と大雨の影響。

最近信号機故障が多すぎる気がするなぁ。

駅間で停まってる間に考えてたんだけど、

都市…いや、日本を構成している構造物って

そろそろいろいろとダメなんじゃないかなぁ?

点検整備を法で定められている箇所は大丈夫だろうけど。

競合との差別化に役立つ、日々バージョンアップされる箇所は大丈夫だろうけど。

耐久性がある」とされている、

「数十年はもつ」とされている、

そんな部品がそろそろ一斉に壊れ出すんじゃないのかなぁ。

だって、大阪万博からもう39年経ったんだもの。

せめて、人の命を預かる構造物の整備士の人には

仕事に誇りを持てる給料を払ってあげてほしいけどなぁ。

2008-10-19

ルールの守り方が違うと思った

http://anond.hatelabo.jp/20081018180211

なんか勘違いしていると言うか極端な解釈へつながっていっていると思うが、この性質としては確かにあると思う。

あと、地域差主観の話で、教育については書かないです。

自分のサンプルとしての説明をすると、大阪には大学に入る前まで住んでいて、大学はよその地域に行った。家の経済は、奨学金1種だけど、困った家庭でもない。友人も上流中流下流は極端なの以外すべていた。

>全国上位の秋田では多くの子どもが当然のように宿題をこなすが、大阪では「別にやらんでもええわ」と考える子も結構いる。

これは確かにある。自分もそういう考え方だし。子供に限らず、人としてこういう考え方をする傾向にあるように思う。

これは宿題に限らず、ルール全般的にこういう態度をとる傾向にあるように思う。

大阪人は赤信号を守らない」と小さいころから聞かされ続けてきた。

実態を見てみれば、車や大きい道路を渡る人はきちんと信号を守る。そして、車が来ていない狭い道では渡ってしまうことが多い。

確かに赤信号は守ってないとも言えるけれども、よその地域の人は頑なに誰もいない信号機で立ち止まっているのだろうか?と言う疑問はずっとあった。

大学に入って見てみれば、そんな極端な話ではなく、普通道路レベルに安全を確認できる場合はほとんどの人は渡るとわかった。

じゃあ何でこのようなことを言われるのかと言うことが次の疑問になる。

それに対する回答は、大阪の人はわりといろんなことをためらわない傾向にあるからだと思う。

つまりルールに対しても、別にたいした問題がなかったり、意味がないと思うようなルールをよその地域の人より簡単に破る傾向にある。

なので、理解している面倒なだけの宿題なんてまずやらない。

逆に、こういう大阪人がよその地域に行くとどう感じるのかを少し書く。

私の場合だと、むやみにルールを守りすぎているように感じてしまった。

先生がいけないと言ってるからいけないんだよ!」なんて久しぶりに聞いたし、とりあえず作ったルールをその問題が解決しても守り続ける。

ルールブックは生活の流れを良くするためのものではなく、縛り続けるものであるような印象を覚えて、ひどく息苦しいような気分になった。

(そういえばそんな風に感じたは一年目だけだったことも面白い)

逆に、「みんながやってるからいいじゃん」みたいな悪いことの許容がある。

そういうのは大阪以外の地域のほうが、ためらいなく実行しているように見えて、そのルールブック中心性にも居心地の悪さを感じた。

だから、確かに秋田と比べたら(と言うよりほとんどの地域と比べたら)大阪子供宿題をやらんでいいと思うだろう。

どっちがいいかなんて、二限論の話はできず、バランスの問題になって、その分量ですら状況によって変わると思う。

他にも地域によって色々性質が違うなーと思ったことは多いんだけど、それはまたの機会。

ただ、地域差などの属性差が個人差よりも大きい扱いで、その解釈間違えた感じは昔から受けるのでこれはどうにかならんか。

その量感?の扱いの下手さが一番の差別の原因だと思うんだけど。

怪物であったり、弱者であったり、それこそ悪者を作り出す原因。

あとこれを読んでる宿題が出ている君達へ。

宿題はまぁほどほどにやれよー。

2008-06-20

1984年生まれの見た世界

幼稚園年長(1990年度)

記憶にある時事ニュースで最も古いものは幼稚園児代。

先生砂場で遊んでる自分たちに向かって

「海の向こうでは今『せんそう』(湾岸戦争)が起こってます。

なんで人は殺し合うんでしょうね・・・」

というようなことを言ったのがそれで、その時はとにかく

「遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるんだ・・・。」

くらいにしか感じなかった。

あの先生がそうつぶやいた日の空は澄み渡ったきれいな青空で、

平和そのものの天気」と「遠くにあるおそろしいもの」がひどく対照的で違和感を感じた。

小学校低学年(1991-1992年度)

父はある日「すごいお土産だぞ」と、

灰色でかわいくて格好いい形をした機械を持ってきた。

パイロットウイングス

あの頃、飛行機を巧く操縦できる奴は神だと思った。

機体を傾け、緑の輪をくぐる。静かな着地。

教官のきつい言葉に、甘やかされていた俺はたじろいだ。

当然ながら一緒に買ったマリオばかりプレイしていた。

少し経ち、マリオカートぷよぷよを持った友達の家に皆が遊びに行くようになる。

スト2はみんな持ってた。↓R↑LYBXA。

子供らしく野球だの公園遊具だので遊ぶこともあったが、

おれらはもっぱら「ファミコン」。

プールや川で波動拳ソニックブームしたり春麗で興奮したり。

もう、昔何やってたなんてそのくらいしか思い出せない。

信号機を自在に操れる熊の親父とか。

小学校中学年(1993-1994年度)

クラスで元気のいい女子が「スナックがかっこいい」だの同級生を

ヤマタク」なんて略して呼んだりするのが流行ってた頃、

テレビでは米不足米不足うるさかった。

小3か小4の頃。そーりだいじんは

「名前の読みにくい徳川家康の子孫」や「眉毛ぼーぼーの爺さん」で、

なんとなく面白く感じていた気がする。

暗闇の中、ベッドから飛び起きて「何事か」と

あわてふためいてる映像ばかりテレビに映っていた頃、

向こうから一時的に「疎開」のような形で来た転校生

関西弁ペラペラ」なだけで人気者だった。

この頃の記憶は割とある。

バブルが・・・」「バブルのせいで・・・」と大人がよく言っていた。

バブルというのは何か「イベント」か「夢」か、

なんか今苦しんでる(ように大人が見える)原因のようなものなのかなあ、

漠然とした理解しかなかった。

バブルなんかよりも目先のジーンダイバーとか恐竜惑星の方が重要だった。

フルハウスとかアルフの方が大切だった。

横取り40万とか嘘つき四択とかヤングチームとかNGワードとかの方が

小学校中学年の俺らにとっては刺激的だった。

小6(1996年度)

自分で自分を褒めたいアトランタオリンピックはよくわからんまま終わった。

男子は全員ポケモン。「ミュウの出し方分かった・・・!!!」と、

どこかで聞いた情報を興奮気味に話す奴とか。

そんなものに皆が夢中の中、クラスの「最先端野郎」は

ペラペラキャラがラップするゲームをやっていてすごくおしゃれに見えた。

6年時、その「機械」を持っていること自体がある種のステータスだった。

田舎だったから特に。

余談だが、「1984年度」生まれは1991年=小1、1992年=小2、

と一の位が学年なので西暦を言われると何年生だったかがすぐ分かって便利。

中1(1997年度)

そして俺たちは人生の中で最もださく恥ずかしい時代を迎えた。

例のあれの時は「赤い実はじけた」中1だったが

「あんたと年が近いのにあんな残酷なことするなんてねえ・・・怖い時代だねえ」

なんてよく大人から言われた。一方おれらは、

ナイフで生きた屍を切り裂いたり脳天をショットガンで撃ち抜くことに夢中だった。

気が付けばクラス男子のほとんどがあの「うすっぺらでCDを入れて遊ぶ機械」を持っていた。

一時期、どこでも買えなくてイライラしていた。

中1の冬は原田笑顔にしびれた。彼らは本当に格好良かった。

中2(1998年度)

ドラエモン」が流行した。

一番強かった奴(モンスター系統図の完全な情報を持っている奴)は

「あいつんち、『インターネット』ができるらしいね」

と言われていて羨ましかった。学校では出来なかった。

ていうか誰もパソコンなんて持ってなかった。

グレイとかラルクとか、「なんとなく格好いい」ものが増えてきた。

中3(1999年度)

あの日までカウントダウンしておびえていた。

結局あの日(月)はなにもなかった。

地域振興券使わしてくれ使わしてくれとずっと言っていた。

卒業間近、学校で「インターネットPC)」の学習をするための教室が出来た。

OSは2000Proでメモリ256MB。

家のボロパソがメモリ64MBだったからか「超」最先端に感じた。

数回しかなった情報の授業中、

好きなバンドを検索すると掲示板のようなものが結果の上位に出てきたのでクリックした。

口汚く罵倒されていて身が震えて泣きそうになった。

ハンドルネームを誰もいれていないのが非常に不気味だった。

・・・社会的経済的な用語とはいえ、

ここまでの人生を「失われた10年」なんて言われた。

俺たちは何かを得たし、間違いなく楽しく生きていた。

高1(2000年度)

ミレニアムミレニアムうるさくなった。

高校は、全教室にネットの使えるパソコンが設置された。

部活が楽しすぎてゲームはほとんどやらなくなった。

進化を遂げた機械」は発売日に買ったが大学2年まで

ファンタビジョンしか持ってなかったのはいい思い出だ。

DVDプレイヤー代わりだったもん。

ミレニアムだの新世紀だので盛り上がっていたころからだ。

どこに行ってもカチカチやってる奴が増えたのは。

最初、ちらほらと増えていく「カチカチ病」に違和感を持っていたが

自分が感染するのに時間は掛からなかった。

田舎なのに、7??8割は所持していた様に思う。

auじゃないやつが心底羨ましかった。

小遣いが多かったのか料金親持ちだったのか知らんが、

docomoってだけで「裕福な家庭死ね」なんて思ったものだ。

高2(2001年度)

音楽家のような髪型のおっさんが総理大臣になっていて笑えた。

高2の運動会前日。遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるようだった。

開会式でも全くふれなかったのが今思うと印象的だった。

CDを小さいデータに変換してパソコンにたくさん詰めこんで、

それをMDプレイヤーより小さい機械にたくさん詰めこめる」

ということを説明するのは当時、骨が折れた(今もあまり変わってない気がするが・・・w)。

マッキントッシュを作っている会社が白色でかわいくて格好いい形をした機械を世に出した。

全く流行らなかったし、説明しても誰も興味を持ってくれなかった。

MDの方が格好いい」「“えむぴーさん”だっけ?オタクくさいね」

なんて言われたり。俺は流行らないと思った。

パソコン音楽を取り込む」こと自体が一般人にとって非常に抵抗のある行為だという感覚は理解出来たから。

高3(2002年度)

W杯休み時間の談話室(テレビがある部屋)の盛り上がりがすごかった。

高校卒業してからゆとりだのなんだの言われ始めた。

その頃「ゆとり」という言葉は非常に美しく感じられた。

複素数を知らないこどもたち」

大1-大3(2003-2005年度)

大学文系学部だったが

常時接続が安く使える時代突入」+「工学部情報系学科の知人との出会い」で、

高校リア充だった自分が一気に地に落ちることとなった。

その知人は「本名出して私生活を晒しまくる」ウェブサービスを教えてくれた。

本名顔写真・所属している(していた)集団と私生活全部暴露。

変態か?」これが最初見たときの素直な感想

今でこそ「知人以外には非公開」が多いけど、

当時はとにかく誰も彼も晒しまくり。俺は使うのに気が引けた。

携帯さえあれば、とりあえずコミュニケーションには事欠かない。

そのころ「文中にやたらと下線が引いてあるブログ

を目にすることが多いのに気付いた(それまで気付いてなかっただけかもしれんが)。

シンプルで、どことなくおしゃれなデザインだが書いている内容は気持ち悪いものが多い気がした。

冴えない青年は綺麗な女性を助けて本になって皆に読まれた。

その頃大学内で「それっぽい」奴は「萌えってどういう意味?w」だの

「お前の時代来たぞw」とかからかわれていた。

そして街に、キャンパス内に、増えていく白い機械

ホリエモンだの球団再編だの買収だのヒルズだのセレブだの勝ち組だの負け組だの格差だの、

なんとなくカオス

いつの間に「無職」の状態を「ニートやってるんでw」なんて明るく言えるようになったんだろうか。

大4(2006年度)

就活は、売り手市場なんて実感はなかったが内定先は大手メーカー

ブラックを避ける」という消去法で選んだ。

社1(2007年度)

街はパカパカ開け閉めする機械であふれた。

家ではリモコンで遊ぶ奴が急増。

ファミ通の売上チャートを見て(10年前から毎週見てるが)頭がくらくらした。

他はサブプライムローンがどうこう、原油高がどうこう、環境が、民主党が、

安倍さんが、携帯小説が、もう、断片。

・・・食品会社に行った知人はえらくストレスを抱えている様子だった。

社2(2008年度)

最近中国あたりが色んな意味でアツイ。

相変わらずの原油高は鬱陶しい。台湾もなんか変。

そう言えばちょっと前は、遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こっていたようだ。

傍観していた人がその動画を撮ってアップしたりそれが罵倒されたり。派遣がどうこう。

さいごに

俺はこんな感じだが、他の俺「たち」はどうか知らない。

俺は約150万人いる「1984年生まれ」の中の一人に過ぎない。

高校携帯を持ち、家ではPCを夜11時からネット繋ぎ

大学ではADSLになってブログだのmixiだのでどうでもいい自分語りをしていた人間だ。

そして今は匿名ブログはまっている

それだけだ。

2008-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20080429154848

信号機無視に相当するようなプログラミングってなによ

char buff[1024];
strcpy(buff, input);

とか

long end = time() + interval;
while (end != time()) {}

とか?

どっちかっていうとプログラマと対比されるのはメカニックのような気がする。

RE:言語を車に置き換える

でもその例えでもさ、目的地に着くまでに信号機を無視したり、一方通行指示を無視しまくったり、歩道に半分乗り上げながら無理やり運転したら、そりゃ目的地まで辿り着いたって非難轟々なんじゃない?

まあ信号機無視に相当するようなプログラミングってなによ、という話はあるんだけどさ。

http://anond.hatelabo.jp/20080429141535

2008-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20080402043453

この考え方もどうかと思うよ。

だって日本人自身っていったって国債を購入した人=国民全員じゃーない。

儲かる人は国債を買った人や法人だけど、損する人はそれを負担する国民全員だ。

それは一律に日本人と談じていい性質ものじゃないとおもうがな。

それを言うなら納税者だって一律に日本人と断じていいものでもない。

税金日本人が平等に負担してるものじゃなくて大企業金持ちが多めに負担してるわけで。

インフレとかで借金の実質負担を減らせば、税負担の収入はないが資産を多くもつ人が損する。それを防ぐためには増税しないといけない。

要するに財政再建先送りするほうが収入少なく資産の多い老人(とその子孫)が損しやすく資産のない人が得するわけ。子供たちのために増税財政再建しようとか言うのは大間違い。

それにね、国債を単純な貸し借りで考えるのもどうかなとおもうんだ。

貸してるという考え方がよくないよ。

金利をつけて返すことを前提に政府国債を「売ってる」わけじゃない。

これは政府が売る時にお約束した取り決めでしょ。

みんな政府を信用して国債を買うわけだけど、この信用は「買っていただいた国債は利子をつけて弁済しますよ」ちゅう契約のもとに成り立っているわけじゃない。

だから「誰に」貸した借りたという話しはさほど重用じゃなくって売った以上、国債は償還する必要があるわけ。

日本人日本人に借りてるんだから大丈夫だとかそんな論点ではないわけよ。

契約社会だもの。売ったら契約内容は履行しないと。

だってね、これを償還しないと債務不履行なっちゃうでしょ?

国債償還というのが具体的にどういう状態にすることかを考えないと。

たとえば、国債を一億円もってる人に償還する場合普通は預金に一億円振り込むことになるが、その場合銀行国債を代わりに持つことになるだけで国債残高を減らす必要性はまったくない。じゃあ現金で返した場合はどうなるかというとこれは日本銀行が一億円分の国債を持つことになる。預金というのは民間銀行にとっては借金であり、現金というのは中央銀行にとっての借金。そして銀行負債だけを持つことはなくて必ず資産もおなじだけ持ってバランスさせる。

結局国債償還しても貸し手が変わるだけであって残高を減らす必要性はない。

だから日本政府にとっては永遠に借りっぱなしの状態が続く。

本当はさ、お金を前借りしてまで先行投資することにより、将来にもっと稼げるようになろう!というのが投資じゃない。

これは悪くない。いいこと。いい事なんだけど……。

投資先をしくじると負担以外の何者でもないとおもうんだ。

この10年日本投資してきたものは、道路とか箱ものとか補助金とかなわけですよ。

これがそのまま価値を生み出してくれればよかった。問題なかった!

でも、道路をつくったおかげで経済効果がでてそれだけ国民の生活を豊かになっにしたかといったら、そうじゃないんだよね。

逆にいらんものをつくったせいで将来にわたって、そのたいして経済価値がないものをメンテナンスしつづけなくてはいけないという、ランニングコストの増大を招いたちゃった。あちゃーーっていう感じ。

信号機設置しまくって維持費だけあがって、既得権益者を肥やしただけみたいな。

国民生産性の向上に寄与しない浪費は将来の負担以外のなにものでもないとおもうわけよ。

これは使い道の問題であって財源の調達方法の問題じゃないでしょ。

財政赤字を問題視する人は歳入の問題と歳出を混同しすぎだと思う。

財源が国債でも税金でも無駄遣いは無駄遣い。

所得税消費税財源にして不要なインフラ整備してもランニングコストは発生するでしょ。

利払いももう税金じゃ賄いきれないからがんがん国債出しているけど、そういうのも含めて国債発行してまで集めたお金の使われ方そのものが将来日本を担う子供達のためになってるとは思えないんだよね。

この10年でさ、10年後に日本先進国であるために国際社会に立ち向かえる産業をちゃんと育成できてる?

そこにどれだけ国策としてお金落としたのよ。

いまお金落としているところって10、20年後社会にでてくる子供達の食い扶持になる産業?

ほんと負担だけ押し付けてない?大丈夫??

デフレでも財政再建して失業倒産増やしてたら育つ産業も育たなくなって将来の子供は困るだろうね。

増税なら経済に悪影響ないなんて事はないわけで。

国債を償還することを前提にしたらインフレにせざるをえないよね。

そうすると資産の目減りは避けられない。

ローンを組んでいればインフレラッキーだけど、既に日本はあるていど成熟した国。

年率10%成長なんていうのは無いから80年代のような賃金上昇は無理。

生産性も賃金もインフレに見合うほどあがらないでしょ。

結果国民はものすごく困窮することになる。

インフレのほうが失業率は下がりやすいし、企業投資もやりやすいので生活水準生産性はあがりやすい。

80年代のよう座成長が無理だとしてもデフレを続ければさらにひどいことになる。

実際2000年前後デフレ真っ盛りの時期と今じゃ明らかに今のほうが失業率求人倍率マシになってるし。

賃金上がりにくいのはたぶん失業率下がりきってないから。数%のインフレにしたら失業率は2%台になって賃金が本格的に上がってくだろうと思うんだけど。

今やって少しでも減らしておかないと将来偉いことになる。((すでにこのタイミングを逸した気もしなくもないけど。))

だから国債は返さなくてもいいなんてバカなことはいって欲しくないな。

国債発行額を増やしつづけても日本がいけるってなら、そういうシナリオ書いてくれよ。

残念ながら自分の想像力では中国並みの成長をとげながらインフレを受け入れるか、デフォルトするかぐらいしか思いつかないわ。

どちらもしたくなければ国債依存度は減らしていこうや。

無理に国債残高減らそうとするほうがえらいことになる。これは橋本小泉で経験済みのこと。

上に書いたように社会全体では常に円の現金預金を持ってるだれかが日本国債の貸し手になるからデフォルト杞憂

貨幣を使った売り買いというのは社会全体とのモノや労働力の貸し借り。

国債を返すというのは貸し手を別の人に変えるだけのこと。

国債を返してほしいならさっさと金をつかってほしいものでも買えということ。

現金や預金で持てば間接的に貸すことになって銀行とかに利息ピンはねされるだけ。

国債を減らし続けたらやってけないが、予算無駄遣い減らしながらどんどん国債依存度上げて減税すればやってけるんじゃないかなと。

http://anond.hatelabo.jp/20080401223221

国債国債国債

レス

そもそも日本国債が将来の子供の負担になるというのが間違い。

貸してるのは日本人自身なんだから。しかも日本全体では外国に貸してるほうが多い。

この考え方もどうかと思うよ。

だって日本人自身っていったって国債を購入した人=国民全員じゃーない。

儲かる人は国債を買った人や法人だけど、損する人はそれを負担する国民全員だ。

それは一律に日本人と談じていい性質ものじゃないとおもうがな。

それにね、国債を単純な貸し借りで考えるのもどうかなとおもうんだ。

貸してるという考え方がよくないよ。

金利をつけて返すことを前提に政府国債を「売ってる」わけじゃない。

これは政府が売る時にお約束した取り決めでしょ。

みんな政府を信用して国債を買うわけだけど、この信用は「買っていただいた国債は利子をつけて弁済しますよ」ちゅう契約のもとに成り立っているわけじゃない。

だから「誰に」貸した借りたという話しはさほど重用じゃなくって売った以上、国債は償還する必要があるわけ。

日本人日本人に借りてるんだから大丈夫だとかそんな論点ではないわけよ。

契約社会だもの。売ったら契約内容は履行しないと。

だってね、これを償還しないと債務不履行なっちゃうでしょ?

だから必ず返す必要がある。

右から借りて左に返すんでもいいから返さなくちゃね。

金利つけて両耳つけて返すのがお約束の売りものだもの。

だけどね、今の日本はその返済のための金利も集めた税金では賄えない状態にまで悪化してしちゃってるの。

利払いのために国債を発行しなきゃいけないわけ。

利払いのために国債発行なんてばからしいよね?

でも現実は税収が50兆ぐらいの国なのに国債費が20兆円あるわけよ。

国債の利払いが20兆円。

利息分を支払うだけで20兆円。

わかる?この状況。

本当はさ、お金を前借りしてまで先行投資することにより、将来にもっと稼げるようになろう!というのが投資じゃない。

これは悪くない。いいこと。いい事なんだけど……。

投資先をしくじると負担以外の何者でもないとおもうんだ。

この10年日本投資してきたものは、道路とか箱ものとか補助金とかなわけですよ。

これがそのまま価値を生み出してくれればよかった。問題なかった!

でも、道路をつくったおかげで経済効果がでてそれだけ国民の生活を豊かになっにしたかといったら、そうじゃないんだよね。

逆にいらんものをつくったせいで将来にわたって、そのたいして経済価値がないものをメンテナンスしつづけなくてはいけないという、ランニングコストの増大を招いたちゃった。あちゃーーっていう感じ。

信号機設置しまくって維持費だけあがって、既得権益者を肥やしただけみたいな。

国民生産性の向上に寄与しない浪費は将来の負担以外のなにものでもないとおもうわけよ。

そりゃあれば便利かもしれないけど、公益性と効果対費用はちゃんと考慮しなきゃ。

結果論かもしれないけどね。

毎年利払いだけで20兆になるほどお金つかっておいて、この日本の状況はないだろうと。

もっといいことできたんじゃないかって思うわけよ。

利払いももう税金じゃ賄いきれないからがんがん国債出しているけど、そういうのも含めて国債発行してまで集めたお金の使われ方そのものが将来日本を担う子供達のためになってるとは思えないんだよね。

この10年でさ、10年後に日本先進国であるために国際社会に立ち向かえる産業をちゃんと育成できてる?

そこにどれだけ国策としてお金落としたのよ。

いまお金落としているところって10、20年後社会にでてくる子供達の食い扶持になる産業?

ほんと負担だけ押し付けてない?大丈夫??

はあぁ・・・。ため息でちゃうよ。

国債を償還することを前提にしたらインフレにせざるをえないよね。

そうすると資産の目減りは避けられない。

ローンを組んでいればインフレラッキーだけど、既に日本はあるていど成熟した国。

年率10%成長なんていうのは無いから80年代のような賃金上昇は無理。

生産性も賃金もインフレに見合うほどあがらないでしょ。

結果国民はものすごく困窮することになる。

だからできるだけ国債発行額はさげて少なくしていかないと。

今やって少しでも減らしておかないと将来偉いことになる。((すでにこのタイミングを逸した気もしなくもないけど。))

だから国債は返さなくてもいいなんてバカなことはいって欲しくないな。

国債発行額を増やしつづけても日本がいけるってなら、そういうシナリオ書いてくれよ。

残念ながら自分の想像力では中国並みの成長をとげながらインフレを受け入れるか、デフォルトするかぐらいしか思いつかないわ。

どちらもしたくなければ国債依存度は減らしていこうや。

10年で給与所得が倍になるような前提で話せるほど楽天家じゃないもんよ。

参考までに。

これ今年可決された予算案な。日本人で大人ならこの国がどうなってるのかはみておいたほうがいいきがする。

http://www.mof.go.jp/seifuan20/yosan004.pdf

http://www.mof.go.jp/seifuan20/yosan.htm

2008-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20080228162218

縦に連なる左右交換の光る頭部

の板の最も下に位置する間に

三枚の札を集め行け

これは難しい・・・。

だが、小学生が書いた暗号だと推測するとこの僕に解けないものはない!!

ワキワキ              ワキ                  ,ヘ 
    ., --、   i´!⌒!l  r:,=i                  /ヽ /  ∨ 
   .|l⌒l l   | ゛ー=':| |. L._」 ))           l\/  `′ 
  .i´|.ー‐' |   |    |. !   l     ワキワキ   _| 
  |"'|.   l  │-==:|. ! ==l   ,. -‐;      \   
  i=!ー=;: l   |    l. |   | /   //       > 
  │ l    l、 :|    | } _|,.{::  7 ))    ∠__ 
  |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ'  ::::::|;   7          /  
  \:::::\::::: ヽ  ::::::!′ :::|   .:/          /_ 
    /ヽ::: `:::    ::::  ....::..../  ワキ           |  ,、 
                                l/ ヽ   ,ヘ 
                                    \/ ヽ/ 

まず、この「縦に連なる左右交換の光る頭部」部分から注目してみよう。

これはまず間違いなく場所を特定するためのヒントだ。

頭部と表現しているが前についている修飾詞からも人間ではないことはあきらかだろう。

では何か!?

小学生が日常的に見ることができるもので、「左右交換の光る」頭部をもつもの。

それは「信号機」ではないか?

次のなぞは「縦に連なる」だが、一瞬縦式の信号機想像してしまうが、

それでは場所を特定するためのヒントにはなりえない。

これは大きな交差点信号機が縦に連なっている様を想像するのが一番しっくりくるんじゃないか!?

君の幼少の頃に大きな交差点はなかったかね?

の板の最も下に位置する間に

次の一節。

これは難しい。

だが信号機の付近にあるものから推測が可能だ。

きっと警察署が管理している信号機の調節のためのあのボックスのことではないか。

その板の隙間に・・・

三枚の札を集め行け

トレカかなんかはさんどいたから受取にいけってことじゃないの?

ΩΩΩナンダッテー


いや、ぶっちゃさっぱりわからん。

おまえ天才だな。

2007-09-10

2人乗り自転車が乗用車と衝突、高1男子2人が死亡…札幌

9日午後6時半ごろ、札幌市南区澄川の市道交差点で、2人乗りの自転車が、右から来た乗用車と出合い頭に衝突。現場信号機のない片側1車線の交差点で、自転車側に一時停止の標識があった。

自動車を運転する者に責任というか重きが置かれるのは仕方無いけど、明らかに2人乗りしてた奴らが馬鹿。運転者の名前まで公表されてて、なんか、気の毒だと思った。

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