2009-10-05

あの再開発から、10年。

色々な呼び名があるが、下北沢駅の新駅舎を含んだ一連の騒動は、下北沢再開発とひとくくりにしてしまって良いだろう。

街もすっかり変わったが、結局の所それほど大きな変化は無かったとも言える。

雑然とした町並みは再開発で整理され、耐震にも問題なく(多少の問題は未だあるけれども)使いやすいビルや駅や道路が街を再構築していった。

当初は大きな反対運動と共にワイドショーを賑わせ、何人かの識者やら代議士やらが色々と言った結果、

お定まりの「昭和光景がまた一つ」「寂しいですね」「では次のニュース」というコメントに落ち着いた。

街は人が住んで初めて街になる。

博物館の中に展示されていれば良いのだろうけれども、街は変わっていく。人も変わっていく。

街も人も変わらなくても、世の中は変わる。

人が孤立しては生きていけないのと同じように、街も世の中からは独立しては生きていけない。

あの頃の情景を保存しようという下北沢再開発反対の「ムーブメント」は、結局の所、当時の世相も人も生活習慣も、何もかもが変わってしまった中ではむなしい抵抗だったのだろう。

もちろん、下北沢を愛してくれる何店もの店はそこに残った。

その意味では変わらなかったと言える。

大きな道路や綺麗なビルや多少くすんだだけの新駅舎は、新しい街並みを主張している。

その意味では変わったと言える。

ロンドン信号機撤去が今のところ成功しているため、歩車一体型の試みは先進諸国では徐々に広がりを見せている。

しかし、街において人も車も同じ生活者であるという考え方は、日本には未だ理解されにくいようだ。

歩車分離の街並みを作るための再開発は、今も日本中で続いている。

「あの頃」にノスタルジックな思いを抱く人達向けのテーマパークも増えている。

日本では主張とは分離することで、安全や安心や納得を得るものであるようだ。

それもまた、一つの回答ではあるのだろう。なにが正解かは、もちろん判らない。

雑然とした町並みや、猥雑な雰囲気は無くなってしまった。

交通量と多少の排気ガス臭さと、チェーン店は増えたようだ。

良くある町の一つになったと言われればそうなのかもしれない。

時折、店の売り子さんに「あの頃と比べて、街が冷たくなったような気がしませんか?」と問いかけられる。

街はきっと暖かくも冷たくもないよ、と答えることにしている。

人生も恋も、変わり始めたときには原因はとっくの昔に起こってしまっており、恋人に別れを告げられそうになったときに焦り始めても、もう遅い。

人も街も世の中も、変わり続ける。時は止めようがない。

生きている限り、それは仕方がない。

あのとき残すべきだったのはきっと、街並みではなく、人の思いだったのだろう。

駅舎がガラス張りになったからといって、笑顔挨拶をする駅員さんが突然無表情になるわけではない。

自転車がぶつかり合う狭い路地での立ち話が、綺麗な歩道でできないかといえば、そんなことはない。

街の雰囲気でごまかされていた人の変化が、単に目につくようになっただけだ。

その意味で、下北沢再開発が始まったときと今とでは、変化は無いと言える。

「あのとき」は、もうずっと前に過ぎ去ってしまっていたのだ。

今後も何度もこんな事があるだろう。

きっと10年前の再開発が「あのとき」となる事態に遭遇するのだろう。

人は歴史から何も学ばない。でもそういうものだろう。

後悔は、先には立たたないのだ。そして人は未来を見通せない。

あの再開発から、10年。

今日も、下北沢は変わらず生き続けている。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん