色々な呼び名があるが、下北沢駅の新駅舎を含んだ一連の騒動は、下北沢再開発とひとくくりにしてしまって良いだろう。
街もすっかり変わったが、結局の所それほど大きな変化は無かったとも言える。
雑然とした町並みは再開発で整理され、耐震にも問題なく(多少の問題は未だあるけれども)使いやすいビルや駅や道路が街を再構築していった。
当初は大きな反対運動と共にワイドショーを賑わせ、何人かの識者やら代議士やらが色々と言った結果、
お定まりの「昭和の光景がまた一つ」「寂しいですね」「では次のニュース」というコメントに落ち着いた。
街は人が住んで初めて街になる。
博物館の中に展示されていれば良いのだろうけれども、街は変わっていく。人も変わっていく。
街も人も変わらなくても、世の中は変わる。
人が孤立しては生きていけないのと同じように、街も世の中からは独立しては生きていけない。
あの頃の情景を保存しようという下北沢再開発反対の「ムーブメント」は、結局の所、当時の世相も人も生活習慣も、何もかもが変わってしまった中ではむなしい抵抗だったのだろう。
もちろん、下北沢を愛してくれる何店もの店はそこに残った。
その意味では変わらなかったと言える。
大きな道路や綺麗なビルや多少くすんだだけの新駅舎は、新しい街並みを主張している。
その意味では変わったと言える。
ロンドンの信号機撤去が今のところ成功しているため、歩車一体型の試みは先進諸国では徐々に広がりを見せている。
しかし、街において人も車も同じ生活者であるという考え方は、日本には未だ理解されにくいようだ。
歩車分離の街並みを作るための再開発は、今も日本中で続いている。
「あの頃」にノスタルジックな思いを抱く人達向けのテーマパークも増えている。
日本では主張とは分離することで、安全や安心や納得を得るものであるようだ。
それもまた、一つの回答ではあるのだろう。なにが正解かは、もちろん判らない。
雑然とした町並みや、猥雑な雰囲気は無くなってしまった。
良くある町の一つになったと言われればそうなのかもしれない。
時折、店の売り子さんに「あの頃と比べて、街が冷たくなったような気がしませんか?」と問いかけられる。
街はきっと暖かくも冷たくもないよ、と答えることにしている。
人生も恋も、変わり始めたときには原因はとっくの昔に起こってしまっており、恋人に別れを告げられそうになったときに焦り始めても、もう遅い。
人も街も世の中も、変わり続ける。時は止めようがない。
生きている限り、それは仕方がない。
あのとき残すべきだったのはきっと、街並みではなく、人の思いだったのだろう。
駅舎がガラス張りになったからといって、笑顔で挨拶をする駅員さんが突然無表情になるわけではない。
自転車がぶつかり合う狭い路地での立ち話が、綺麗な歩道でできないかといえば、そんなことはない。
街の雰囲気でごまかされていた人の変化が、単に目につくようになっただけだ。
その意味で、下北沢再開発が始まったときと今とでは、変化は無いと言える。
「あのとき」は、もうずっと前に過ぎ去ってしまっていたのだ。
今後も何度もこんな事があるだろう。
きっと10年前の再開発が「あのとき」となる事態に遭遇するのだろう。
人は歴史から何も学ばない。でもそういうものだろう。
後悔は、先には立たたないのだ。そして人は未来を見通せない。
あの再開発から、10年。