はてなキーワード: 天気とは
「鈴木さん」を呼ぶ
「鈴木さん」は世の中にたくさんいる
多くある名字だ
だが私はこの春に「鈴木さん」ということばを4年ぶりに発音した
この4年間は一度も「鈴木さん」に出会わなかった
私が入社して1年間は通りすがりにあいさつをするだけの関係で
給湯室で天気や季節の会話をかわし
2年目は給湯室のおしゃべりにプラスしてたまに駅まで一緒に帰った
それは片思いが成就した瞬間で 私の胸はぎゅぅっとしめつけられた
どきどきし過ぎて震えるほどだった
キスをしてから3カ月ほど経って私は夢から覚めることになった
「鈴木さん」と二人きりの朝を何度か迎えていた私は 打ちのめされた
結局 二人の関係はフェードアウトしていった
会わなくなってもずっと好きだった
姿も見えないのにずっと片思いを続けていた
ただただ涙ばかり流していた
仕事に打ち込むことでなんとか毎日をやり過ごした
「鈴木さん」と会わなくなってまる3年が過ぎていた
上司に認められてこの春に異動になった
そこで新しい部署に「鈴木さん」がいた
なんてことはない よくある名字である
なのに私は「鈴木」と記入された書類やメールを見るたびにこころが震えていた
見た目も雰囲気も全然違う人なのに
「鈴木さん」の書く文字に、歩き方に、声に、
どこか共通点を探している自分がいる
「鈴木さん」を呼んだ
次のミーティングの打ち合わせのため
ただそれだけ
私の口の中が少し甘い
俺が思う景気について
1 景気って何さ? そもそも 気って?
世間様はなんとなく、気分でいい時も有れば悪い時もあるさと思ってる気がしている。国民にとって景気とは天気みたいなものではないのか?
俺的には、純粋に経済的な指標で会社の成長戦略のような物だと思っている。
2 景気回復に付いて
世間様はなんとなく、雨の日の次が晴の日になるような感覚で、景気が回復すると思っている気がする。
俺的には、産業の空洞化・少子化をはじめ 純粋に経済的な要因がマイナスになっているので、景気が回復すると行ってもリーマンショック前程度であり、今後もマイナスになっていくと思っている。収入がないのに消費はない。
3 景気回復対策について
世間様はなんとなく、大手 土建業 大手製造業に 資本を突っ込めばなんとかなると思っていると思ってる。
俺的には、だって、大手業者って、自分とこの製品の仕様とか、大雑把なものまで下請けに聞いたりするような丸投げ構造でしょ?それでどうにかなるかと言うと、焼け石に・・・
景気ってなんでしょう・・・。
昔の話。
春、それはとても良い天気の午後で、
僕は久しぶりに遠出をしており、一人で千葉県の橋の上を歩いていた。
その頃は作家になるとかよくわからないことを言ってひきこもって、たまにギャンブルへ出かける毎日だった。
ひとり暮らしだがバイトもせず、仕送りで生活し、だらだらと堕落した生活を送っていた。
それが、この天気のいい日、中退した大学に復学しようと突然橋の上で決心をした。
・・・うん、まだ遅くはない。まだ22だ。これから大学へ復学をしたら卒業は25才になるけど、
どこか就職はできるだろう。まだやり直せるはずなんだ。
「あのさ、前メールで送ってもらった復学の話だけど、」
母親は僕のこの発言で、ほっとしてくれると思った。
いつもしつこくかかってくる母の電話を僕は煩わしがり、
ほぼ受話器は取らない。最近、中退した大学でも復学できる情報を、
母が何度かメールをよこしてきていた。
母の声は、予想外に重かった。
「何?どうしたの?」
「大学の復学だけど、俺やっぱりもう一度大学出て、ちゃんと就職したいんやけど 」
と、はっきりと言えた。温かい母の返答を期待したが、それは逆だった。
「なんで早く言わないの?!もう、時期過ぎてるから!」
時期が過ぎてる?!
「3月●日までに言わないと、復学できないのよ!なんであんなにメールしたのに、
電話もしたのに出ないの!?」
「知らねえよ!大事な日付ならもっとメールで何回もおくれよ!」
「なんでよ、電話もなんで出ないのよ・・・」
母は泣き始めた。
そして、僕も涙が出てきた。
「どーすんだよ!もう一回大学へ確認してくれよ!」
僕はそう言い、涙がぽろぽろ流れた。
ここ最近、家の中で人にも会わず、感情を出す必要のない日々だった。
涙なんてどれくらいぶりか。
母も受話器ごしに泣いているのがわかる。そうして電話は切れた。
もしかしたら、大学に問い合わせてくれてるのかもしれない。
それはとても天気の良い3月の終わりで、ここがどこの橋かわからないけど、
川に反射する光がきらきら、やたらきらきらしてるから、僕の身に起きている出来事も、
なんだか悲惨なのかよくわからなくなってきた。
「もういいや、もういいや」
そう言って僕はうぉんうぉんと橋の上で大泣きをした。
謝りたくて謝れない最低な自分だとか、
いろんな感情が爆発してひたすら泣いた。
僕の脱出は、見事に失敗してしまった。
だが、いいこともあるぞ、外の天気は上々なんだ。
お前は俺か?
http://anond.hatelabo.jp/20090925111544
問題点は2つある。
中高の友達と彼女はいるけど四六時中連絡取れるわけじゃないので暇。もてあましても周囲の人々に迷惑なので友達を作ろうと彼女のマイミクにコンタクトを取る。
ヒマ持て余してるんなら『自分の』友達や『自分の』彼女に連絡を取れ。
なぜゆえに『彼女の』友達にちょっかい出すんだ。その人らは「マイミクさんのカレだから無下には出来ないんだけど、なんで私になれなれしく話しかけてくるんだろう? 友達じゃないのに」と十中八九思ってる。だから迷惑なんだ。
元増田は、ほぼ『無関係な人』に、ものすごく親しい人みたいな内容の話をしているんだよ。
新しい友達を作りたいのなら、自分の交際範囲から選べ。「いいお天気ですね」みたいなあたりさわりのない内容から、徐々に時間をかけてディープな話に持っていけ。相手のキャラが濃いからといって、いきなり濃い付き合いが出来るわけじゃない。徐々にだ。
思えば、目的や事情がない限り人を誘ったり呼び止めたりできない人間だった。気になる人がいた時はいったんその場から離れ、用件を捏造してから戻ってきて呼び止めたりもしていた。
友達ってのは、用が無くても会って話したりするもんなんだよ。なぜなら、「友達」は「自分を肯定してくれる人間」であり、「自分が肯定できる人間」だからだ。単純に「相手がそのままでいいこと」を認め合うために会ってるようなもんだ。友達との会話は「あなたにそこに居て欲しい」とお互いの気持ちを伝え合うことが主なんだ。だから、友達作りが目的のサークル活動ではディープな話にならない。研究は授業でする。サークル活動では「一緒にいて気持ちの良い相手と気持ちの良い時間を過ごす」ことが、たいがいの人の目的だ。
そうではなくて、何か大きな目的を掲げて、それを達成することを目指すのなら、生協の理事とかになったらどうかな。あれは仕事がいっぱいある。有能さも求められる。有能であれば認められる。
元増田。本当に友達が欲しいのなら、時と場所と場合を選べ。
元増田が「楽しいことをしたい時」に「楽しいことが出来る場所」で「たくさんの人から認めてもらえることをした場合」に、回りの人に「友達になろう」と呼び掛ければ、何人か友達が出来るだろう。
あ、とっておきのことを一つ教えよう。もし、元増田のことを「大嫌い」と言う人間が多くなったら、元増田のことを「大好き」な人間も増えている。「大好き」は「大嫌い」より言う機会が無いから、元増田がわからないだけで、元増田のことが好きな人間もきっとたくさん居る。世の中は元増田のことが「大嫌いな」何人かと、「どうでもいい」大勢の人と、「大好きな」何人かで成り立っている。元増田のことが好きな人と付き合えばいい。無理は禁物だよ。
あっ眉毛の処理をしなければ。余分な眉毛を抜き、ハサミで自然にそろえる。
おっと鼻の下の産毛が産毛じゃなくなってきてる。処理しなければ。
太い毛は毛抜きで抜いて産毛はクリームを塗布してからカミソリで剃る。
逆剃りは肌を痛めるからいけないと雑誌に書いてあるが逆剃りしないととてもムリ。
ふと腕を見るとチクチクしたムダ毛が生えてきてる。一昨日剃ったのに…
クリームを塗布してカミソリで剃る。嗚呼また肌が荒れる。
すね毛も剃らなきゃ。足の指の毛も剃らなきゃ。ドンドン剃る。
化粧をしてバッグを持って車のキーを手に取った時、ふと気付く。
…指の毛も剃らなきゃ……
出かけようと思ったところからすでに一時間以上経過してる。
もう出かけたくなくなる。
本当にめんどくさい。
これだけ処理しても、処理しきれなかった一本のムダ毛が発見されれば
「女としてあるまじき愚行」と言われるんだ…
併用してるTwitterとの差を考えてみた。
・一言つぶやいたりそれに返信したりするサービス
・mixi入ってないと見れない
・一言つぶやいたりそれに返信したりするサービス
■開始直後
・フォロワーがゼロからのスタート(初めは何も表示されていない)のがついったー
・マイミクのつぶやき(書き込み)がデフォルトで表示されるのがエコー
■流れ(タイムライン)
・自分から知らない人をフォローして、面白い書き込みを探さなきゃいけないのがついったー
・マイミクの書き込みを眺めてるだけでよし。
■書き込み頻度
・書きこみ過ぎると「エコー荒らしうぜぇ」と言われるのがエコー
■返信
・有名人がいる。有名人のポストにレスしてもレスが返ってくる確率は低い。
っていうかフォローし合ってないと、
・自分のポストを延々と書きこんでたまにレスが返ってくるのがついったー
・マイミクに返信すれば、返信が返ってくる確率が高いのがエコー
■情報
・色んな人種がいるので情報の幅が広く、かつ情報量が豊富なのがついったー
(例:「今起きた」「今日の食事は○○」「こんな夢見た」「TENGA使ってみた」)
■ポスト
・「こいつの書き込み見たくねーよ」と思ったらサッとフォローを外せるのがついったー
・「こいつの書き込み見たくねーよ」と思ってもエコー機能切るか、マイミク外すか、
◆総評
・知らない面白い人や時事ニュースに興味がある人はTwitter
・身近な人が今何やってるのか、ローカルな話題で盛り上がりたい人はエコー
(わかりやすい例として。
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そっか!何か、“ビジネス用の英語テスト”みたいな感じの認識でした。
私が根本的に間違ってたわけですね。
ご指摘ありがとうございます。
でも、“コミュニケーション能力”だったら、なおさらスピーキングもライティングも必要な気が…するのは私だけでしょうか?
何か、大学に入ってからはやたらTOEIC TOEICと言われます。
“日本人は読み書きばかりで、話せないからダメ”っていうの、分かる気もするんです。
でも、せっかくそれまでの勉強で読みとか書きを鍛えてきたなら、そこの力をもっと伸ばそうとするのは効率的でいいと思うんです。
実際、TOEICでスコアが取れるようになったからといって、話せるようになるとは思えません。
私が本質的に英語に興味を持てたのは、論文を書くときに、いかに(簡単には言えませんが)論理的なな言語かを痛感したからです。日本語とは違う思考の型?みたいな…“論文”に関しては、英語の方が読みやすいことも多いと思うんです。
読み書きは、コミュニケーション能力につながりませんか?
そもそも、コミュニケーションには思考力も不可欠な気が…するのは私だけでしょうか?
TOEICが、本当に“コミュニケーション能力”をはかれるのか、やっぱり私には疑問です。TOEICは、“何を話すか”は関係なくて、例えば「いい天気ですね」みたいな、そんな類のことを、いろんなバリエーションで言えるようになったよね、みたいな…
すみません。うまく表現できません。
はたと気づきましたが、TOEICそれ自体というより、TOEICでハイスコアをとったことを評価するような風潮が疑問なのかも知れません。それとも、本当に“英語力”を求めているような企業はそもそもTOEICとは違うところで“英語力”を審査しているのでしょうか?
そして、ある意味TOEICは、“どれだけきちんと勉強できるか”を見る基準に過ぎないのでしょうか?
よく分かりません。
天気いいんだけど、空には低空を飛んでるジェット機が10機以上いて、みんな同じ向きで飛んでて、それが一機ずつ町の中に墜ちてくの。
向かいのビルの窓から顔を出してた人がこっちみて目を丸くしてたから、こっちの背後からも何か向かってきてたのかもしれないけど、ビルの反対側だから見えなくて轟音しか聞こえなくて怖い。
横を向いたら、急降下してきた飛行機が水平になったかと思ったらまた機首をがくんと落として町の中に突っ込んでた。
もっと遠くでは、細長いビルの最上階を突き破ってる飛行機がいた。
機首とか後部とかなくなったまま飛んでるのもいたんだけど、あれはもう何かと衝突したあとだったんだろうか。
全部JALだった。
なんとなく、気が向いたし、夏休みだし、暇だし、実家の荷物整理してて当時のノートなどが出てきたから、自分の大学受験浪人時代の記憶を増田に投下。
塾や予備校にいった経験がなかったので、同級生の話を聞いて、家から通いやすく、授業料が免除になりやすいという代ゼミ(代々木校)に行くことにした。試験を受けて、結局、75%免除になった。これが結構でかかった。
代ゼミでは、フルタイムで授業を受ける学生を「本科生」と呼ぶ。自分が入ったのは本科のTKコース。東工大向けコースな。
東工大の理由だけど、地球科学やりたかったけど、東大に対する食わず嫌いと、北海道大学と京大は遠いっていう絶妙な混ぜ具合の結果。
基本は平日午前2コマ、午後2コマ。1コマ90分。
水曜の午後だけは1コマだったと思う。
そして土曜午前に2コマ。
本科生は代ゼミが主催する模試のうち、いくつかを無料で受けられる。
ちなみに3学期制だった。
後になってから知ったことだけど、難関校向けコースほど、講義間の教室移動が少なく、科目を担当する教師が人気講師になるという傾向がある。これが、講義の時にいい席が取れるかどうかにつながる。友人から聞いた話では、この椅子取りゲームの不毛さが他の予備校から揶揄されているそうだ。
自分は、普通に朝からずっとど真ん中一番前に座ってたし(9時講義開始で8時過ぎぐらいに来て予習していた)、人気講師の講義を受けたいとか思っていなかったからあんまりそうした問題はなかった。
それでも、東工大コースで行われる人気講師の講義のときは、東工大コースじゃない人にど真ん中一番前を取られたりしてて、なんともいえない気分になったことはある。8時に教室開くのに、8時前から待ってる奴がいるのよ!
4月の最初のうちは、どの講義も教室が満杯だった。クラス担任の職員さんが最初の挨拶で、「まずゴールデンウィーク明け。そして夏休み明け。クラスの人数が減っていきます。悲しいことですがそれが事実です」という内容の話をしていたことを覚えている。(確か、担任から「今、東工大コースは120人」と聞いた気がする)
実際、文系科目を中心にどんどん人が減っていった。自分は何も考えず“コース料理”は全部おいしく頂いたわけだけども、ツウな代ゼミ生は、同じ英語でもコースで用意された英語ではなく、好きな講師の英語を受講しにいくらしい。
なので、まあ夏休みも明けたら、コースの通常講義でも、人数の差が笑えるぐらいになっていた。
それからさすがに東工大コースだけあって、男10対女1ぐらいの比率だった。最終的にはフルタイムで講義を受ける女の子は3人ぐらいになるんだわ、これが。
そういう感じなので、教室の雰囲気は講義次第、講師次第でまったく変わる。
それから男女比的に女は女で固まってた。みんな友達を作りに来てるわけじゃないので、休み時間に世間話するぐらいの関係だったけど、ひょんなことから、女の子の一人と仲良くなったら、他の女の子とも仲良くなった。浪人時代は、ほとんど女の子とばかりしゃべってた。
女の子と親しくなった話。ゴールデンウィーク前ぐらいだったと思う。隣にいた奴が「授業についていけない。おれ、もう、死にたい」とか言い出して泣いてしまったので、「俺もしょっちゅうそう思ってる」「まだ10ヶ月あるから頑張ろう」とか必死になだめてたら、後で、女の子が「大変だったね」と声をかけてきた。
それがきっかけでその子とよく話すようになったら、他の女の子ともよく話すようになった。
その「死にたい」って言ってた奴は2学期からは来なくなったので、まさかと思ったら東工大コースよりひとつ下のコースに変わっていた。やっぱり自分のレベルにあったところにしたいということだった。それもありだと思った。
平日 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習。講師に質問しにいくなど |
9時~12時 | 午前の講義 |
12時~13時 | お昼。天気がいいと明治神宮で食べてた |
13時~16時 | 午後の講義 |
17時頃 | 帰宅 |
17時半~19時 | スポーツジム。水曜は15時過ぎに帰るのでプール |
19時半 | 夕食 |
21時~23時 | 予習・復習 |
24時 | 就寝 |
土曜 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習 |
9時~12時 | 午前の講義 |
午後 | デート |
日曜は模試があれば、模試に行って終わったら模範解答で答えあわせと次の日の予習。ある意味、平日に近い。
模試がない日は、午前・午後使って一週間分の復習。デートとか、草野球もあったり、結構遊んでいる感じ。
こう、規則正しい生活を送れたのも母のおかげですね。
教室でも、ぱっと見た感じ何人かは彼氏・彼女持ちだった。お昼休みに携帯で甘い会話してたりとか。自分の付き合ってた彼女は、高校の同級生で向こうは現役で大学入ってて、最初はものすごく負い目というか、いろんなネガティブな感情があったけど、僕も向こうもそれぞれの日常で居場所を見つけて適応していった。向こうも「君がッ 大学受かるまで携帯電話を持たないッ!」って感じで、保守的で義理堅い子でよかった。ちょいオタだけど。このままこの人と続いて結婚しました。これ、ノロケな。
1学期も終わりに近づき、「夏期講習どうするの?」なんて話をしてたけど、普通に代ゼミ経験値の低い僕は「東工大」が冠につく授業を取った。そしたら別次元だった。まわりが……ほとんど……現役生……。現役生ばかりの教室に緊張感はない。真剣に講義を受けてたら、講師から「君は本科生か」と言われて、教室で浮いてしまったこともあった。ちなみに、ツウの代ゼミ生は、夏期講習は人気講師のオリジナル講義を受けるらしい。
夏休みに父に「どうせなら東大ぐらい受けろよ」と煽られて、東大受けてみるかと思って、志望校を東大理Iに変更。年の途中からコースを変えるとなると、結構お金がかかるようだったので、東工大コースのまま、2学期から夕方に行われている東大現代文・古文・数学・英語を増やした。物理と化学がないのはお金の問題と東工大コースの講義で充分だと思ったから。必然的に午後の時間がなくなったから、2学期からはジムには行けなくなった。そしたら入試の頃までに10kgほど太った。浪人で太る人、痩せる人いるけど、僕は激しく太るほうだったね。
で、この夕方の講義にものすごくかわいい女の子がいて、その子のことを東工大コースで絶賛したら「その子は後輩だわ」ってことで、あとで紹介してもらった。でも、馬が合わないオーラが出まくってた。そういうこともあるさ。
他の予備校のことを知らないから、比較してどうとはいえないけど、個性的な人が多かったと、社会人になっていくつかの研修やセミナーを経験した今でもいえる。
印象に残っている人について
小太りのお兄さん。大学の非常勤では食っていけないことを漏らしていた。メルカトル図法の世界地図に気候分布を色分けで塗ったものをノートに書いていて、それをその講師に見られて「地中海性気候のCsのsって何のことですか?」と聞かれたので「sommer trocken(ゾンマトロケン)、夏に乾燥」と返したらびっくりされた。あなたが講義で言ってたことですよ!このときに作ったノートは妹が継承した。
コビルドの英英辞書をもって講義を受けてたら、「君、それ一冊あれば、僕は要らないよ」といわれたので、それ以降、講義では机の上に出すのを控えた。「朝、講義前に来れば英作文の添削をする」と公言してたので、公言した以上添削しろよという感じで毎週添削してもらいにいった。
「僕の講義を録音して、繰り返し聞きながら、マネしなさい。最低50回」・・・マジで利く。これが周りで大ヒット。
「東工大受けるお前らなんか、どうせ、英語捨ててるんだろ?」「サイボーグ雨宮」など、数々のゆるい話題を振りまき、講義の時間を癒しに変えた人。1コマぐらいこういうのがあっても良いと思う。
エロサイボーグ雨宮。本当に息を吐くようにエロトークをかます。気をつけてないと、エロトークだとわからず、「あれ、わかりませんでしたか?お子ちゃまですね」といわれる。「数学的一昨日法」「数学的人生法」は傑作だった。
クラス担任の職員さんから「この人の講義には絶対に遅刻しないこと。居眠りしないこと」と注意されてたけど、最初はヤクザかと思ってびっくりした。実は、小心者のいい人。「意識の低い奴はいらねぇんだよ!」といってチョークを投げたことも。本科の最終講義は、自分の大学生の時の話をするのが恒例らしい。ゲーム屋のバイトの話が面白かった。「第一志望に落ちたら第何志望でもいいから大学にいけ。2年も予備校にくるな。大学にいってから頑張れ」と。
土曜午前にサテライトで中継講義(教室に入りきらないため)。あまりの人気っぷりに、一度、「生亀田見ようぜ」ってことでクラスの友達と一緒に始発に乗って椅子取りに参加したけど、それでも一番前から10列目ぐらいだった。話を聞いたら、一番前の人は前日より前から並んでいるらしい。マジ無理。ノート作成術は役立つ。
津守先生の英語で毎週英作文を添削してもらったと書いたけど、2学期のある日、機嫌の悪かった兄に「お前が受かるってことは、他人が落ちるってことだ。お前なんか受かんないほうがいい」といわれて大喧嘩になって、酷い有様になったけど、もう癖になってたのか泣きながら次の日に添削してもらうために英作文を書いていた。
「東大」を冠する講習と、馬場先生の英語のオリジナル講義を取る。さすがに冬期講習ぐらいになると、現役生も本気なので緊張感が違う。逆に本科生は元気がなくなる時期。自分もつらかったので、クラスの友達と一緒に馬場先生の講義をとって心の栄養に変える。4月からずっと大学受験中心の生活だったから倦みと緩みが出てくる。これは油断とかじゃなくて、体の底から湧いてくる倦みと緩み。泥の中にいるような感じになる。成長を実感できなくなる。現役生のパワーに負けるようになる。こればっかりはどうしようもない。乗り切れるかどうかって話。
3学期になると、本科の講義はほとんどないのと同じになる。夏休み明けより暗い顔が多かったのは、仕方のないことだろう。最終講義では「頑張ってね」みたいな話で送り出される。講師が大学生だったときの話、自分が夢をつかめなかったことなど。クラス担任は大学の数学の教科書を見せてくれた。
自分は東大じゃなかったら東京理科大という方針でいた。東京理科大のセンター利用なら確実に受かるので、これを滑り止めにして、国立の本番前に調整として早稲田の教育・理科を受ける。なんで早稲田の理工にしなかったかというと、東大に落ちた場合に早稲田に行こうとは思わなかったし、教育のほうが試験が簡単だったから。親からは「早慶の両方受けなくていいのか」とか、「早稲田にも入学金を納めなくていいのか」とか再三聞かれたけど、方針は譲らなかった。模試は最高でC判定(合格率40%ぐらい)だったけど、この頃には、だいぶ吹っ切れてて、つみあがったノートを復習する日々。ダメだったら、ダメでいいじゃんと、普通に思っていた。
話には聞いていたけど、浪人生がその自慢のノートを広げている姿を見ると、現役生は顔の色を変える。本当にそうだったから、笑った。だって、ノートが全然違うもの。10ヶ月間必死にまとめてきたんだもの。模試の結果からセンターの得点率は9割はいけるなと思ってたら、ピッタリ9割だった。僕のころは東大を受ける場合は800点満点で、8割ぐらいが足切りラインといわれていた。
総合723点で、国語が147点だったのがギャグだったけど、他で落とさなかったから良かった。好きだったから無駄に一生懸命勉強した地理は85点。現役時代と変わらない得点。試験なんてそういうもんだ。
次の日、自己採点で集まった東工大コースの面々。みんな一様に暗い。一番よく話してた子は数学で大失敗をしたといって、無表情になっていた。そういうことはある。
あるときの東工大模試で化学だけが異様に簡単だなと思って、次の日クラスで話したら「めちゃくちゃ難しかったよ!」とか言われたことがある。結果が返ってきたら化学が全国3位。たまたま自分のホームランゾーンの試験だったってこと。だから逆だってもちろんある。試験が空振りゾーンにくるときが。
東大の入試っていうのは、今もそうか知らないけど、あいうえお順に受験番号が決まる。だから、前年見た顔をまた見ることがあるという。同じ教室に高校時代の友人が二人いてびっくりした。「そういえば名字似てるしね」とかいって笑って挨拶した。
2日間かけた試験だったけど、得点率でいうと、英語が満点、国語が8割、物理と化学が6割、数学が3割という感触だった。数学が空振り。当落線上ギリギリだなって思いながら気分は後期試験に。
でも、後期試験対策の手が付かない。僕は既に燃え尽きて灰になっていた。
アメフト部のウォリアーズが胴上げすることで有名な東大の合格発表。普通に見に行って、普通に合格を確認して、普通に生協の合格者用の袋をもらってその場を去った。途中後輩に会って「落ちました」と聞いた。僕の態度から後輩も僕が落ちたと思ったらしい。そのくらい僕は醒めていたし、合格者用の袋はもらってすぐにかばんにしまっていた。
兄に言われたことだが、自分が受かったことで誰かが落ちたのはまぎれもない事実だ。
「そういう態度は逆にいやらしいですよ」と後輩に言われた気がする。
そこは、どうなんだろう?僕は「勝ってガッツポーツをしない」という武道の古臭い考えは好きだ。
ただ、この場合、僕は武道的な考えから喜ばなかったというより、喜ぶ元気もないぐらい疲れていたんだと今は思う。
という感じ。
現役の人は、これから頑張れ。
天気が悪くなるかと思ったけどそんなこと無かったぜ。
認める/認めないという話って一文からの件が個人的に難解なのだけれど、私の捉え方でいけば、「意識は世界に対して開く」。あるいは「常に開いている」
超絶的に言葉足らずでした。
「認める/認めないという話」は、これまでのやり取りで出てきた、「自分を認識して欲しい」ということを話題にしたかったわけで、
意識が開いている時というのは、自分以外の世界(他者とか)を認める/認められることが出来る状態で、
意識が閉じてしまうと「小さな世界」で完結した状態になるので、「小さい世界」を「大きい世界」と混同しちゃって孤立するから
意識を開いておく必要がありますよ。
ということをあの字面から読むのは無理ですね。すみません。
#記述する前にどんどん言葉が簡素化されて、実際に表に出ると意味不明というのは立派なコミュ障害か
といったところで、
意識の状態にかかわらず、「小さい世界」同士あるいは「大きい世界」との間は
干渉しあう関係であるという見方なのかな。
それぞれの人がそれぞれの波形を持っていて、たぶん分かり合えるってことは、一部だけでも同じ波形が生まれることなんだろう。
すごく、わかりやすいイメージだ。
逆位相で打ち消しあうとかもありそうw
アニミズム的精神になるのかもしれないけれどさ、やっぱり土地や物体が存在することからも人は影響を受けるし、物体同士でも互いに影響しあっているんじゃないのかな。
ちなみに当日の天候が怪しいのは、7/16に日刊スポーツが報じている。
他紙も報じていると思う。
以下ネットニュースだけど全文
気象情報会社ウェザーニューズ(東京)は15日、日本で46年ぶりに皆既日食が見られる22日の天気について、皆既継続時間が6分25秒となる悪石島を含む鹿児島・トカラ列島(十島村)が「曇り時々雨」、島北部で3分以上の皆既となる奄美大島など奄美地域が「晴れ時々雨」とする予測を発表した。皆既日食はトカラ列島、奄美大島のほか屋久島などで22日午前11時前に起きる。トカラ列島には1000人以上の観測客が集まる予定で、うまく観測できるか気をもむことになりそうだ。同社によると、22日ごろは北海道から九州まで雲が多くなり、部分日食も見えにくくなる可能性があるという。
ぶっちゃけみんなが浮かれてて、
天気が悪かった時にどうするか想定してた人があまりいなかった事がこれを読むとわかる。
機材が壊れた件以外は同情する。運が悪い。
天気悪くてメシウマ!とか言ってるひがみ根性の塊のごときネット弁慶は嫌いだが、
こういうのを見ると「ざまあ」としか言えないわな。
67 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:27:42 ID:1QlSut7E0 (1/4) [PC]
ツアーを企画した会社と十島村に損害賠償を請求することが出来ますか?
142 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:30:03 ID:1QlSut7E0 (2/4) [PC]
まじめに質問なんですケド、ツアーを企画した会社と十島村に損害賠償を請求することが出来ますか?
173 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:30:46 ID:YaEUeD5q0 (1/2) [PC]
>>142
ttp://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907180303.html
>大手旅行会社に委託したツアー客1500人に限って受け入れることにし、
>1126人が申し込んだ。島民の3倍以上の220人を受け入れる悪石島(あくせきじま)は
>水資源が乏しく、水源の50トンの貯水タンクを80トンに増量した。
>島内に1軒しかない商店は生鮮品を扱っておらず、食料を運んでこなければならない。
>ほかにも、テントに泊まるツアー客のための仮設シャワーや簡易トイレの設置、臨時電源の配備……。
>ツアー料金は鹿児島港発着の船中2泊、テント2泊のコースでも34万円台と高額だが、こうした出費が含まれているからだ。
こりゃ無理だわ
175 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:30:49 ID:335DRahQ0 (2/4) [PC]
>>142
無理。諦めろ
253 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:33:13 ID:1QlSut7E0 (3/4) [PC]
>>173
>>175
友人の撮影機材が濡れて壊れてしまったみたいです。
ツアー代金は無理だとしても機材の代金を賠償してもらいたいんです。
477 :名無しさん@十周年 [] :2009/07/22(水) 12:40:48 ID:1QlSut7E0 (4/4) [PC]
天気が悪くなることが予想できたなら、それくらいの配慮があるべきなのに
しなかったのは酷すぎると思います。
お前もその友人共々今後どこにも行くな
今から28年前(だと思った)の夏にも部分食があった。
その当時俺は札幌に住んでいて、そこでこの部分食を体験している。北海道地方では、1/3くらいが欠ける食だったと記憶している。
その年の夏は、とても暑くて、まぁ当時の俺は暑い夏が好きだったので、いい夏だと思っていた。
で、日食の日。
太陽が欠け始めると、辺りが不思議な感じに薄暗くなり始め、それに伴い、今まで静かだったのに俄にざわざわと風が吹き始める。
完全に食に入った(という言い方でいいのかな)ときには、結構薄暗く、これが、空は青空なのに薄暗いという、夕方でもなく昼間でもない神秘的な感じ。
で、本題はここから。
ところが、日食が終わってみると、空はどんよりと曇ってしまっている(と記憶している。雨が降ったかどうかまでは覚えていないが、もしかしたら降ったかも知れない)。つまり日食の前後で天候が急変した。
それだけではない。
その夏は、その日を境に天候は荒れ、結局冷夏かそれに近い状態になってしまった。暑い夏があっけなく終わってしまってとてもがっかりしているのを覚えているので、日食の日を境にして天候が急変したことは、間違いないと思う。
俺は専門家ではないので詳しいことは分からないが、あれかな、日食により太陽から届く熱量が一時的に下がり、気温が急変したために大気の流れが変わり、その後の天候の変化を招いた、とかね。
これが当たっていれば、今回の日食では東京地方でも太陽の2/3以上が欠けるらしいので、相当な天候の変化が発生する可能性があるということになるが。
まぁ、28年前の事例はただの偶然かも知れないし、ちょっと調べたところでは、日食で気温が変化する(これは当然)のはよく見かけるが、その後の天候まで変わってしまうという記述は、いまのところ見つかっていない。
いずれにせよ、答えは22日を過ぎれば分かるわけで。
なんて、メールのやり取りをしているんだろうか。
私とは無かったような、密なやり取り。
私がずっとずっと欲しかった言葉も
きっと、大安売りなのでしょう。
離れてみて、冷静になって、
君がどれくらいの気持ちで私と一緒にいたか、わかってきた。
これっぽっち。これっぽっちか、と思う。
これっぽっちってわかってたら、
2人の関係はこんなに長くは続かなかったのに。
恋は盲目って本当に本当だ。
無意識で、見ないようにしていたなんて。
今思えば2人の相性が合っていたのはセックスだけでした。
これっぽっちで、だけどセックスだけは人一倍している2人でしたね。
今の「大切な彼女」にできないようなことを、沢山してくれましたね。
思えば、君が褒めてくれたのは、カラダの美しさだけでした。
君が心からの興味を持って私に接してくれたのは、裸のときだけでしたよね。
本当に、どうもありがとう!!!
これから君のことを「ヒトデナシ」って呼びます。
一発目は「ヒトデナシ」って呼びます。
周りに誰がいても、笑顔で「よう!ヒトデナシ!」って挨拶するから。
脳内でも「ヒトデナシ」って呼ぶから。
決定事項です。変更不可です。
奇しくも名前と響きが近いしね。ちょうどいいじゃん。
高嶺格さんでした
言われて思い出した気になってググってきました
あの授業では「木村さん」の他に高嶺さんの結婚式のビデオも見た
それはすごい良かった
4,5年前に一度見ただけなのに、今でも色んなシーンを覚えてる
映ってた人がみんなすげー楽しそうなのも印象に残ってる
あと、当時付き合ってた相手が在日韓国人やったこともあって、
野球で日韓戦を企画したけど天気が悪くて中止になったとか言ってたのもおもしろかった
新宿のゴールデン街で隣り合わせになったら朝まで話したいと思う
あの授業の先生の名前は覚えてないけど、あの映像は覚えてるし考えることもあった
でもあのビデオを授業に持ってくるなよって気持ちは消えない
♂×♂の手コキは二度と見たくない
MJって記憶屋ジョニーか?ってそれJMだろと、一人寂しくボケツッコミをしちまったじゃねーか。
個人的にはアーサー・C・クラークのが印象深い。「2001年宇宙の旅」の著者といえばわかるだろう。wikipediaからひっぱってくると「ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所」の最後の一人だ。時代を感じたね。
なんてのは正直どうでも良い。10年前の、あの訃報に比べれば。
あれは今日と違って本当に天気のよい日だった。あの本当に天気が良かったという記憶は一生忘れないだろう。
夏の葬列には負けるだろうが。
なんて話もまあどうでも良いだろう。
冬休み帰省の足で向かった通夜と、春休みの帰省の足で向かったお悔やみの、あの年の夏休みに比べれば。
ま、早く帰らなければまた間に合わないのではという思いと、帰らないほうが良いのではという思いが交錯した、ってだけで、実際は何も起こらなかったわけだが。
人生、生きていれば色々な死と出会う。
これから先はこれまでの死よりももっと多くの死と出会うだろう。
親の死、友人の死、自分の死。
ま、本当はそんなこと、どうでも良いことだろう。自信はないが。