はてなキーワード: トントンとは
普通に1000万未満だと受ける受けない以前に
通常道を歩いて駅まで行くだけの過程で「治安(電気の安定した供給を含む)」、「道の保全」、「信号」辺りの均等割だけでトントンか福祉の方が上だぞ
若年男性が心筋炎になるリスクは、コロナ罹患の方がワクチンより6倍高い。medRxivだが。
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2021.07.23.21260998v1
社会的利益で考えれば10代もワクチン励行でよいが、個人的利益で考えると、6倍は微妙ではある。心筋炎だけで考えるなら、ワクチンを全員うって効果が100%だとすると、うたなかった場合に6人に1人がコロナに罹患するのならトントン。コロナ罹患による影響も、ワクチン接種による影響も心筋炎だけでないし、個人的利益も疾病および副反応だけではないのでリアルワールドではRisk/Benefit評価は複雑系レベルなので思想で判断するしかない。
自分は10代にもワクチン促進でよいと考えるし、ワクチン接種ジレンマは欺瞞なしでは解決困難ではあるが、当局が市民に十分にフェアな情報提供をしていないのは問題だと思う。
古橋亨梧・・・子供のころからサッカーを始めプロを目指すも、高卒時点では声すらかからず、中央大学進学後も3年の時に膝を怪我してしまった影響で卒業3か月前まで進路が決まらず。「サッカーが趣味のニートor非正規」コースに突入しかけたが、プロの道を諦めなかった結果なんとかJ2(当時)のFC岐阜に拾われてプロ生活をスタート。そこからはトントン拍子で、神戸を経て日本代表にも入りスコットランドのセルティックに旅立ち、ホーム開幕戦でハットトリック。セルティックサポ狂喜乱舞
對馬悠介・・・都立難関校から中央大学理工学部に進学。テニスサークルで大学デビューを目論むも結果が出ず、さらに「見下された」というトラウマになる出来事(詳細不明)があり、大学を中退。その後非正規の派遣・バイトを転々とする中でインセル思考となり小田急サラダ油通り魔事件を引き起こす
いろんな人が居るんだなあ
それ本気で仰ってるんですか?
最初にはっきりと申し上げておくが、私はアスリートの方々に「非」があるとは思っていない。彼ら彼女らだって当然、身体的にも精神的にも安心した状態でオリンピックに挑みたかっただろう。別にアスリートの方々が「死人が出ようが知らん、オリンピックの方が大事だ」と言ったわけでも、「絶対に2021年に開催しろ」と言ったわけでもない。アスリートの方々に「死人を踏み台にしている」だとか「アスリート様」だとか、誹謗中傷を送るのは間違いだ。「このコロナ禍で」オリンピックを開催したのは彼ら彼女らではない。非があるのは、この状況を生み出した政治家だ。昨年の時点で「来年の時点でコロナが収束しているとは考えにくい」と発信して下さっていた有識者の方々はいらっしゃったのに、それを無視したのだから。最初から2年延期すると決断さえしていればこんなことにはならなかったはずだ。
でも、私はどうしてもアスリートの方々に訊きたいことがある。あなた方に非は決してないことは重々承知の上で、でも問いたい。「本当にこれで良いと思っていらっしゃるのですか」と。この状況に、あなたがたは「関係ない」のですか。
私は2000年生まれの21歳だ。昨年成人を迎えたが、成人式は行われなかった。振り袖を着て、写真を撮って、神社に参拝して、それだけ。同窓会もなかった。「友達少ないしそもそも行くか迷ってたし、なくても変わらないよ」と直前まで思っていたが、いざなくなってみると凄まじい喪失感に襲われた。自分で「行かない」と選択することと「初めからない」ことには天と地ほどの差があると、私はそのとき痛感した。それまでに消えていった旅行や行事や学生生活のことも思い返され、当日は少しだけ泣いた。
それでも次の日には、また気持ちを切り替えて自粛生活に励むことが出来た。バイト先の学童で接している小学生達のことを思えば。私が我慢すれば、彼ら彼女らの我慢が減るかもしれない。それが自粛のモチベーションだった。実際、4月5月頃は少しずつ元の世活を取り戻していたように思う。未だ感染対策は必要不可欠だったが、「入学式に出られた」「運動会ができた」という報告を子ども達の親御さんから多く伺った。運動会で勝ったことを嬉しそうに報告する子ども達を見ると、もうしばらく自粛を頑張る勇気が湧いてきたものだった。だがここ数日、大きく風向きが変わってきた。「修学旅行が中止になった」「運動会がなくなった」「遠足がなくなった」連日そういう報告を聞く。理由は皆一緒だ。感染者が爆発的に増えたから。
あなた方は「スポーツを通して子ども達に夢を与える」と仰った。それは素晴らしいことだ。あなた方にしかできない。だから私も私に出来ることをする。あなた方が夢を与えたいと仰った子ども達の現状を伝えることだ。修学旅行の中止。林間学校の中止。遠足の中止。運動会の中止。帰省や旅行の取りやめ。話し声のない給食。与えた夢と失われた楽しみ、トントンじゃないのか? これでいいのか? 本当に? 感染者数の増加とオリンピックは関係ないという政府の言葉を信じて、オリンピックがスポーツウォッシングに利用されていることからも顔を背けて、知らない顔をし続けるのか? 夢を与えた子ども達の、行き着く先がここですか?
ここまでぐだぐだと八つ当たりじみたことを書き連ねたが、私はアスリートの方々に「声を上げろ」と要求する気はない。なぜなら、そういう声を上げるにはアスリートの方々があまりにも多くの物を背負っているからだ。私はスポーツ界に明るくはないが、きっと上の人間から圧力を加えられたり、干されたり、スポンサーにいい顔をされなかったりするのだろう。私だって社会の変革のために人生と夢を投げ出せと言われたって、きっとできない。私は、自分が出来もしないことを他人に要求してはならないと思っている。そもそもこうして匿名で文章を書いている私がそんなことを要求するのはお門違いだ。
だから、何かアクションを起こして欲しい、とは言わない。ただせめて知って欲しい。そして考えて欲しい。多くの人が「一生に一度」の機会をなくした。それはあなた方の「せい」では決して、決してないけれど、でも無関係ではないはずだ。そして感染が拡大した今、更に多くの「一生に一度」が失われようとしている。踏み付けにしたとまでは言わないけれど、オリンピックはその上で成り立っていると、どうか知ってほしい。
子ども達やその親御さん方に「感染者が増えたから予定されていた学校行事が中止になった」と伝えられる度、胸が痛くなる。七夕の短冊に「修学旅行に行けますように」と書いて、それが叶わなかった子の寂しそうな顔が、破って捨てられた短冊が目に焼き付いて離れない。一つ下の後輩が「未だにキャンパス内の地図を覚えてないんです」と苦笑した顔が忘れられない。お子さんの卒業式がなくなって涙ぐむ親御さんの顔なんて見たくなかった。
あの人達がどんな思いをしているのか、政治家と、申し訳ないがアスリートの方々にも想像して欲しい。それでも尚、「関係ない」と思えるか。もしも「関係なくない」と思って下さるなら、ぜひ一緒に考えて欲しい。私はどうするべきだったのか。貴方はどうするべきだったのか。どうしたら子ども達にとってよりよい社会が作れるのか。難しいことだし、私も結論は出ないけれど、でも考えないより考える方がずっとましだ。
もしかしたら、私がこんな文章を書く前から皆さん色々と考えて下さっている方もいるかもしれない。だとしたら釈迦に説法で申し訳ない。だが、パラリンピック選手団の方々の「子ども達の観戦を」という提案をみて不安になったのだ。「オリンピック・パラリンピックが開催されて、出られたらそれでOK」と考えていらっしゃるんじゃ、と。だからこの文章を書いた。あなた方の「一生に一度」は叶い、その裏で多くの「一生に一度」が失われている。それもあなた方が夢を与えたいと仰った存在の「一生に一度」が。お願いだから、その意味をよく考えて欲しい。私も私に出来ることをするから、あなた方もあなた方にできることをして欲しい。
まあ冒頭で自己顕示欲を抑えきれずに自分の成人式のこととか書いてる時点でお察しだが、私自身「子ども」という存在を利用して自分の主張を書いている面は否めない。その手の批判は甘んじて受け入れます。そもそもはてなに投げてる上このクソ長い文章に批判が来るほど読み手がつくかは甚だ疑問だけど、一応。
トントン🐽
@TontonYouTube
フランスの「アジア人潰せー!」的な運動は、日本で報道されてるんだろうか、、、
パリで、「アジア人見かけたらみんなで殴ろうデモ」が起きてます。ロックダウンした原因はアジア人にあるとして、アジア人潰す運動が広まっています。
僕らもそれなりに差別受けましたけど、ここまでのことはまだ、、
トントン🐽
@TontonYouTube
全員が全員ではない、のですが、
国民性として?フランス一番!という誇りがあります。(僕の感覚です)
表向きどう対応していても、実は、、という空気感は受けました。
でも今回の件は行きすぎです
トントン🐽
@TontonYouTube
厳密には、中国人見かけたらやっちまおうぜ、的なものなんですけど
発信者が自称「非差別主義」で、でもそれに他の人も乗っかっちゃうのが国民性、、、なのかな。。
第一波の時も日本食レストランは被害に遭ってましたし、僕の知り合いのフランス在住の方もしこたま殴られてました。
※画像はフランス旅行中に散々差別されあげくに顔を殴られ泣く日本人女性
https://i.imgur.com/Ds3b947.jpg
https://i.imgur.com/2MUzI77.jpg
https://i.imgur.com/kKHLyg2.jpg
https://i.imgur.com/ch5nsPT.jpg
僕の部屋は春夏秋冬いつでも22度だった。ワインセラーの様に一定に保たれた室温は、外の世界へ羽ばたこうとする僕のやる気を削ぎ、やがて窒息させた。
梅雨明けの太陽に照らされたアスファルトを窓から眺めていると、3人の家族が歩いていた。この眩しさはあの3人の為の物なのだと思い、壊れかけのカーテンを強めに締め、定位置に戻る。こうして外の世界を見てしまったあとは、僕を母親の胎内のように優しく包み込む羽毛布団を愛して離せなくなった。
ぬるい室温で育ってきた僕は、働かなければ死ぬという当たり前にすら直視出来ずに死んでる様に生きていた。多分そう、これからもそうなんだ。
ある日の早朝、僕は一匹の野良猫と出会った。出会ったというには少しだけ遠く、分厚い壁を隔てていたが僕の認識では確かに会っていた。
窓の外から見た黒猫はニャーニャーとおばあちゃんの手に頭をこすっていた。昔テレビで見た知識だが、猫が人間の足や手を孫の手のように使っているという事を僕は知った。
なんとも落ち込む話ではあるが、眼前に映るおばあちゃんと猫は確かに愛し合っているように僕は感じた。
猫を撫でる柔らかさと温かさを想像とYou Tubeで補填してみたが、予想通りに可愛いし愛くるしい。
想像できてしまうから、僕は外に出ないんだ。どうせ面白くないと飲み会を断り、どうせ俺なんかと女の子の誘いを断り、どうせ続かないと何一つ始めない。
被災者でもないのにシェルターに逃げ込む自分が今日は不健康に思えて仕方なかった。
そんなことを考えていると、内から鍵をかけたはずの扉が勝手に開いた。僕はいつの間にか扉の向こうにいた。
手探りで人間の模倣をする怪物のように、歯を磨き、顔を洗い、髭をそった。想定を超えて伸びた頭髪は、ツヤもなく、パサパサとしていて普通にキモいなと思った。
洗面所を出て、久々に見たリビングには僕の分の椅子もある。僕はパンを焼いた。母親が買ってきていたのであろう6枚切りの食パンにブルーベリーのジャムを塗りたくった。何となくコーヒーも入れようと思い、ポットでお湯を沸かし、クルクルと注ぐ。
サクサクのパンとブルーベリーの甘さがたまらなく美味しかった。多分ブルーベリーの青さがそうさせている。僕の視界はずっと白黒だったから。
コーヒーは黒くて苦い、でもパンには合った。コーヒーの優しさに気づいた僕は、勢いのまま友人にラインを送ってみた。
「お疲れ。今日飲まない?」
となると、このままでは怪異だ。僕は髪を切らなければならない。僕は、父親から貰ったポーチに財布と2年間読みかけの文庫本いれた。
さて、準備完了だ。多分このときの僕は一般の人間と比べると不快で、不清潔でだったと思うけど僕なりに身なりは整えていた。
靴箱から自分の靴を取り出すと、数年越しに仕事を貰えた靴が生き返るようにホコリを散らした。パンパンとホコリを払うとシャープなロゴがカッコいい。
玄関の扉に手をかけるが扉が開かない。押しても引いてもビクともしない。怖いから?違う、鍵がかかっていただけだった。
僕は扉を開けた。
「「「うおおおおおおおおおお!!!!!」」」
外のエネルギーはとてつもなく、ずっと家にいた僕は打ちのめされた。しかし、このエネルギーと僕は戦うんじゃない、夏と一つになるんだ。
僕も夏になる為に、少し激しめに靴をトントンした。
近所の遊歩道を目指して歩いていると、犬のウンチを片付ける老人と、ウンチなんかしてませんよ?みたいな顔でリードを引っ張る柴犬が格闘していた。
俺も負けてらんねえな。と思い負けじと僕も住居の庭から伸びている葉っぱを千切り対抗する。
しばらく歩いていても猫ちゃんの姿はなかった。自販機でコーラを買い、公園のベンチで飲みながら上を見上げた。久々の木漏れ日は、白熱電球の明かりしか浴びていなかった僕にとっては気持ちの良いものだったけど、「木陰ってこんなに暑かったっけ。」と呟くほどには暑かった。
公園の時計を見てみると7時半をさしていた。30分ぐらいしか外には出ていなかったし、猫を見つけることもできなければ、美容室に行くことも、文庫本を読むことすら出来なかったけど、下手くそな時間割りでも外に出られただけで僕の一日は輝いた。
空き缶をゴミ箱に捨てるとカランと良い音が鳴った事に、いや、この散歩の間に起きた事象全てに感慨深くなる。最早そこにこそ生きる意味を見出していた。
Tシャツがベトベトになる事を、不快と思わず、シャワーを浴びる理由と考えるだけで人生が楽しかった。
そんなことを考えながら、僕は帰宅した。
早速Tシャツとジーンズを洗濯槽にいれる。夏にジーンズは無かったなと今になって思いながら、ほぼ冷水のシャワーを浴びる。ガシャガシャと頭を洗っていると、耳の裏からでっかい皮脂みたいなのが取れて自身の不清潔さにゾッとした。
体を泡で洗っていくと、風呂場の温度で体が温まっていくのを感じ、再び冷水シャワーで体を流した。
ほぼ震えながら体を拭く。下着の棚には僕の物もあり、僕の部屋着も入っていた。当たり前なんだけど、僕は家族と4人で暮らしていたんだ。
コップに氷を3粒落とし、麦茶を入れて飲む。TVをつけるとニュースがやっていて、今は新型ウイルスによる未曾有の事態の只中にいるという事を思い出した。そういえば、外出している人はみんなマスクをしていた。自分が引きこもっている間に時代が変わってしまったんだな。と思った。
タイムスリップ開けのテレビは新鮮で、食い入る様に見ていると、母親の寝室の扉が開く音がした。コツコツと階段を下ってくる。いつもなら刑務所の看守に怯えるように息を潜めるが、驚く事にリビングのドアが開いたとき僕は、「うぃー!おはよ!」と気持ちの良い挨拶をかましていた。
好きな人ができたんです!
マッチングアプリで出会ったんだけど、数回メッセージして、そこからトントン拍子にLINE交換して電話したりした。この時点でもう、わたしは彼のことがとても好きである。ルーチンと化した日常に、彼のことを考える時間ができた。
それでこの前、初めてデートしたんですよ!
かわいいけど張り切りすぎてないように見える服をこの日のために買って、アイブロウサロンで眉毛整えてもらって(男女問わず一度行ってみてほしい!プロはすごいよ顔に立体感が出るよ)、もうむっちゃウキウキしてた。好きな人とデートだぞデート。
初めて会った彼は、それはもうかっこよかった。顔が、とかじゃなくて、存在が。命のかがやき。
好きな人が目の前にいるって、すごいことですよ。触れて、話せるんだから。
緊張しすぎて顔をほとんど直視できなかったし、素直じゃない態度をとってしまった場面もあったかもしれなくて、帰宅した後ひとり反省会してたら、今日すごく楽しかったってLINEが彼から届いた。
わたしも〜!って返事したかったけど、楽しかったねとクールに振る舞った。
彼のことを前より知れたと思う。だけどまだまだ知らないことばかりだから、もっと話をしたいよ。
彼はわたしのことを好きになってくれるだろうか。
自分を客観視できていると、この人わたしのこと好きなんじゃ…?って気づけることがあるんだけど、全くわからん。恋をすると人の脳はアルコール中毒に陥った状態と同じになるらしい。哀れである。
恋愛はたくさんの楽しいことや嬉しいことをくれるけど、それと同じぐらい苦しいことや悲しいことが待ってると思っていて。
だから、次するなら凪のような恋がいいなって漠然と考えてたけど、無理!好きになったら無理!
彼からLINEが来るだけでうれしくて幸せな気持ちになる。嫌なことあっても全然平気。無敵!
結ばれなかったとしても、この気持ちを忘れずにいたい。
30歳、学生時代は趣味とかそれなりあったはずなんだけれど、日々の労働で疲れて帰宅したら最低限のすべきことこなして寝る毎日。
別に残業も多くないし、年収もそこそこ(地方で500万いかないぐらい)なんだけど、生きてるだけで精一杯というか、ただ死んでないだけって言う方が合ってる感じ。
歳を取って衰えたのか、身体はヘトヘトな訳じゃないけど脳を動かしたくない、ただ横になってスマホ弄ってるのが関の山。
30歳でこれなのに40代になったらどうなっちゃうんだろ、毎日もう充分に生きたからそろそろ死んじゃってよくないかな~って思考が止まらなくて、お酒に逃げたりしてる。
学生時代からそこまで苦手なことってなくて、社会人になってからもトントン拍子で昇進やスカウトされてここまできたけど、根本的に生きるってことが苦手なことに気がついてしまった。
みんな何が楽しくて生きてるの、どうしたら明日が待ち遠しいって思えるの。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355
先が気になって一気読み。
読み終わった後にページ数を知ってすごいなと思った。
自分的には、この漫画は作中でも言葉が出てくるように「佳作」ぐらいだなと思った。
だからこそ前後編とか連載とかにしないで一気に出して評価を決める必要があったんじゃないかな、ぐらい。
それぐらいのパワーの作品。
勝手な推測だけど、作者も編集も客観的にそう評価して打ち出したんじゃないだろうか。
位置づけ的には、
ぐらい。
つまり、商業作品的には成分無調整で、オマケコンテンツ的な読み切り。
全部私の妄想だけど。
じゃあなんでお前は増田なんかに来て何を書こうとしてんだよ、というと
「天才すぎる」「自信を失った」「共感しすぎて言葉にできない」などなど
とりあえず今日はこれ褒めとけモードになってる雰囲気を感じてイライラしたから。
作者は間違いなく才能あふれる実力者だけど、
この作品はチェンソーマンを超えてるかと言うとそうじゃないでしょ。
わりと目に見えて伸びきらない点があって
「才能ある人たちが影響を与え合ってひたすら努力したら、トントン拍子で成功した」
という話の筋は
「共感できる人が非常に少ない」
でしょ。
ぶっ叩かれる言い方すれば自己満足的というかで、
「テーマを書きたい気持ちが先行しすぎて、エンタメの完成度としてはあと一歩」
ってジャンプの編集者がいつも言うアレのままでしょ。圧倒的佳作感。
それをもってB級C級のプロットをA級の作品に到達させてるのはそりゃすごいけど、
絵に観点の薄い人なら「そこそこ面白かった。なんか感動した」ぐらいで止まる。
じゃあクリエイティブな読者ならみんなに刺さるかというと
正直この作者さんの力なら、もっともっとすごいの描けると思うけどな。
匹敵する(そして話題にならず消えていく)作品は昔からかなりあるような。
そういう意味でこれ単品で
「一切の隙が無い作品」「才能に打ちのめされた」「共感しすぎて言葉にならない」みたいな盛り上がりは、
言ってる人たちはここ十年か二十年はあまり他者作品を摂取してきてないのかな?
ただの読者ならともかく、
いっぱしの作者がそういうこと言ってるとただの不勉強の告白というか現在のシーンが見えてないというか、
そんな感じに思った。
創作家でも、ここまでのストイックさも成功も不幸もないでしょ。
この主人公たちと二次創作絵描いてる絵師じゃ挑戦してる世界違いすぎるし。
ロートル入りかけてる人たち主導で、
一切の隙が無い完璧な作品だと褒めなくちゃいけないムード作られるの、嫌だな。
ハサウェイ観たときもそんな感じだったけど。
https://anond.hatelabo.jp/20210711175401
https://anond.hatelabo.jp/20210712212330
読んだ。
誤認というほどではないが、いくつか気になった点があるので。私は大阪で元増田は東京なので報酬に若干の違いがあるかもしれないけどシステムは同じ。
ただ、今回の改定にも良い点があって、以前は“飲食店から客のところまで”の距離しか報酬に反映されず、たとえばマック地蔵してそこから2キロ配達したよりも、2キロ走ってマックに到着して1キロ配達したときの報酬が少なかった。
今回の改定の大きなところはリクエスト時点で配達員に配達先がわかるようになったこと。リクエスト時点で拒否してもペナルティはないので、距離が長ければ拒否することができる。
まず、店までの距離が報酬に反映されるようになったというのは実際はそうじゃなく、需要と配達員のバランスで料金が決まっている。
実際に9kmで300円というようなリクエストが飛んできたことがあるし、合計1km弱で700円というのもあった。
推定だが他の配達員が拒否した分だけ料金が上がる逆オークション的なシステムと、過去の需給バランスから算出してると思われる。
店までの距離が加算されてるように感じるのは、その周辺に納得してリクエストを受ける配達員がいなくて、遠くにいる配達員にリクエストを送る過程で料金が上がったということで説明できる。
なぜなら、マックは配達先がマックスでも2kmほどとほぼ決まっているから。そういう制限があるかどうかは不明だが、そもそも店舗が多いので長距離にはならない。
ウーバーは短い距離、例えば店の隣のマンションであっても最低300円もらえる。一方で5kmでも500〜600円が平均。
改定後であろうと概ねの料金は変わらない。だから短距離が確定してるマック有利も変わらない。
拒否はできるけど効率的に稼ごうと思ったらやっぱりマック前に張り付くのが得策。
元増田は副業だから主にピーク時間に稼働してると思われるが、フルタイムでやってると安すぎじゃねってリクエストは頻繁に見る。
私が見た最高は9kmで300円。15時ごろなんかは5km300円とかもしょっちゅう見る。
で、変更前と変更後で収入がどうだったかというと、自分自身はそこまで大きな変化はない。
改定されたのが5月の気候の良い時だったから、それを加味すると若干上がったといえる。
知人もだいたいそんな感じ。
概ねの料金は全体的に下がっているのだけど、配達先がわかるようになったことで帰宅ルートの配達だけ受けるということができ、このおかげでトントンという感じ。
こんなご時世なので人数は最小限で、ということで自分たちの兄弟、親、祖父母のみを呼ぶことになった。鬼籍に入っている祖父母もいるので総勢10人にも満たない招待客リストである。
幸い全員近距離なのもあり、トントン拍子で参加の返事をもらうことが出来た。そして残すところは母方の祖父母のみとなった。
母方の祖父母からも当然のように参加の返事をもらえると思いながら自分の母と祖父母宅へ行き、招待したい旨を伝えた。
返事は「不参加」だった。
理由を聞いても「勘弁してくれ」「そんな気分じゃない」「無理なものは無理」とひたすら突っぱねるばかり。「コロナが心配なのか」と聞いてもそれは違う(祖父母ともワクチン2回接種済み)とのことで理由すらも分からなかった。
傲慢なのは百も承知だが、小さい頃から可愛がってくれていた祖父母には当然喜んでもらえると思っていたし、当然結婚式にも参加してもらえるとばかり思っていたので、お祝いムードもなく険しい顔で首を横に振る祖父母と話しているうちに悲しくなって泣いてしまった。私と同じくらい結婚式を楽しみにしている母の目も潤んで真っ赤になっていた。
しくしく泣く私と母を見て悲しくなったのか、祖母も「堪忍な、堪忍な」と言って泣き始めた。親子3代がすすり泣く異様な光景を作ってしまった。
数日して母から連絡があった。もう式に出たくないのは分かったから、せめて理由くらい言ってと祖父母に強めに聞いてみたとのことだった。すると祖父がようやく理由を話し始めたらしい。
母の弟の娘、つまり私の従兄弟が最近流産したからだ、とのことだった。従兄弟は同い年だが私は陰キャで従兄弟がDQN寄りという性格の不一致がありあまり仲が良くないため(というより私がキモ過ぎるからか正月の集まりなどで話しかけてもほぼシカトされるくらいには一方的に嫌われていた)、妊娠していたことはもちろん結婚していたことも知らなかった。ちなみにどこに住んでてどんな仕事をしているのかも知らない。
その従兄弟がいつ、何ヶ月で流産したのか知らないがそういう悲しい出来事があったので、外孫の慶事を祝うより内孫の弔事を悼むことにしたらしい。
早めに理由を言ってくれていればごねることも無かったし母や祖母を困らせて泣かせてしまうこともなかったのに、とも思うが何にせよ重い口を開かせてしまった。祝ってもらって当たり前とグイグイ行った私が悪かったのだ。
その話を聞いた後、母経由で欠席を受け付けたから無理せずゆっくり過ごして欲しいと伝えた。存命のはずの祖父母が人生で1回しかないイベントでどちらも欠席というのは本当に辛いが、内孫の方が大切だろうから仕方がない。でも、辛い。
以下すべてコロナ前の、大昔の話です。
私にはキモ話をし合える大切な友人がいました。
でも基本はキモオタ話が大半を占めました。
恋バナなどコの字も出たことはありません。
言っておこうと、あとついでに軽く友人も
誘ってみようかなと婚活の話を振ると
「そういうの今興味ないかな」と言われました。
しつこくするのも良くないので、2回話題に
出したっきり、婚活の話は辞めました。
その日以降もキモオタ話を楽しみました。
そうこうしているうちに彼氏ができ、
行ったのですが興味のない話題を出すのは
良くないことだと逐一の報告はしませんでした。
ただ新居に住み始めると実家とは帰る方向が
さすがに話題に出さざるを得ませんでした。
サラッと「結婚して新居決まってあっちの
友人には来て欲しい」と言いました。
友人は「おめでと」と言って無言になりました。
そんな不穏な予兆に気が付かないまま
時間通りにやってきた友人を見つけたので
いつものノリでやっほー!と声をかけたのですが
対する友人は恐ろしく険しい顔をしていました。
そして席に座るなりこう言いました。
「何考えてんの?」と。
って聞いてんの!!」と友人は声を荒げました。
何も返すことができませんでした。
ビックリしてちょっぴり涙は出ました。
固まる私をよそに友人は続けます。
「全部決まってから帰り際についでみたいに
言われたのどれだけ傷付いたか分かってるの」
「平気でそんなことする人だとは思わなかった」
「人としてもう信用出来ない」
「あなたと進んで会うことはもう無いだろう」
とのことでした。私は泣いていました。
失いました。
婚活の話を振った時の友人の「興味ない」という
言葉を「人のくっついたり離れたりについて
まるごと興味がない」と解釈したアホな私と
その話とライブイベントの話は別だった友人の
すれ違いの話でした。
しておけばその加減も分かったのでしょうか。
彼氏が出来たとかなんとかかんとかの話は
そういうことも思い切って言っておけば
良かったんでしょうね。後の祭りですが。
まだ友人が時々夢に出てきて夢の中の私と
何事もなかったかのように遊んでいるので、
以上、失礼いたしました。
今朝、自分で間借りしている事務所に出社するため歩いていたところ、ふとパチスロをやっていた昔のことを思い出した。
今はもうパチスロは打たないが、自分が投資を始める上で必要だった100万円ほどの資金は、パチスロから生み出した。
しかし今でも自分は、ギャンブルや投資に不向きな性格であることを自覚している。
自分がパチスロをやっていたのは15年も前のことなので、今は少し仕様も変わっているかもしれないが、人生を変えたいと願うすべての人に、何らかのヒントを与えられればと思い、当時の攻略法を書いてみることにする。
損益はトントンか、やや負けていて、7年間のトータルで見れば間違いなく負け組に位置していた。
投資の元手となった100万円をパチスロで生み出した。と言っても、トータルではパチンコ屋に吸われていたお金の一部を取り戻しただけに過ぎないのかもしれない。
合理的・論理的な人はギャンブルの確率論を忠実に実行し、パチスロでも安定して勝ち続ける。
しかし自分はどこにでもいる「普通の人」だったので、合理的・論理的な立ち振る舞いの出来ない負け組だった。
18時という時間はサラリーマンがパチスロで勝つ上ではとても適した時間だ。
夕方ごろになると、朝からパチスロを打ち、ある程度のメダルを獲得した人が、疲労や用事などの理由で席を空けはじめる。18時ごろから打ち始める自分は、「その日ある程度の実績を出した台」にすんなり座ることができるのだ。
1.ある程度回転している台(半日くらい誰かが打っていたと思われる台)
2.REGの回数が多いなど、当たり回数と総回転数を割り算して高設定が見込まれるもの
3.シマ(同じ台が並ぶ1列)の中で、1番目か2番目にBIGやREGの回数が多い台
※2.について、事前に機種ごとの機械割(出玉率)を把握しておく必要がある。高設定台はREGボーナスを引きやすいスペックになっていることが多い。機械割はパチスロメーカーの公式サイトで公表されている。
狙う機種は何でも良いというか、限定しないようにしていた。
地味な機種も、派手な新台もすべて、設定が高そうかどうか?で打つ、打たないの判断をしていた。
負け組だった頃の自分は、休日の朝イチからパチスロを打つのが好きだった。しかし、朝イチから打つよりも、既にある程度回転し、実績のある台を18時から打つ方が成績が良いことに気づいたのは大きかった。
1日の仕事を終えて、クタクタの状態でパチンコ屋に行き、仕事のストレスを発散する。
勝てばスカーッとするし、負ければ憂鬱な気持ちで帰宅し、次の日も朝から仕事に向かうことになる。
パチスロで負けている多くの人がこのような生活を続けているのではないだろうか。
自分が勝てるようになった要素の2つめは、打てる台がないときは勇気を持って帰宅するということだ。
仕事でクタクタの状態でパチンコ屋に入り、豪快なサウンドと積み上がったメダルを見れば、打たずにはいられない。
そうした気持ちを抑え、一度パチンコ屋に足を踏み入れ、打てる台がないかを冷静に確認し、条件に見合う台がなければ何もせず、そのまま退店するのである。
※打てる台とは、先ほど①に挙げた「1.ある程度回転している台(半日くらい誰かが打っていたと思われる台)」、「2.REGの回数が多いなど、当たり回数と総回転数を割り算して高設定が見込まれるもの」、「3.シマ(同じ台が並ぶ1列)の中で、1番目か2番目にBIGやREGの回数が多い台」の3つの条件を満たす台だ。
しかし、自分のようなごく普通のパチスロの負け組にとっては、入店後、何もせずに帰るなどという行動はとてもつらいことなのだ。
でも、これができるようになることが、勝ち組への大きな一歩につながるのである。
当時の自分がテリトリーとしていた、「出玉が期待できて上手く立ち回れば勝てる店」は3店舗あった。
まず最初に自宅から一番遠い店に足を運び、打てる台がなければ次の店に行く。
2番目の店でも打てる台がなければ、最後に自宅から一番近い店に行く。このようにして、少しずつ自宅に近づいていくようにしていた。
そうでもしなければ、もし3店舗まわって打てる台がなかったとき、帰宅途中にあった第4の店、第5の店にフラッと入ってしまうかもしれないからだ。
自宅から一番近い3番目の店でも打てる台がなければ、「帰ってテレビでも見るか。」と、寄り道せず家に帰るのだ。
打たずに家に帰っても、もんもんとしてしまうのがギャンブル中毒の症状だ。しかし当時は、「良い台がなかったのだから打たずに帰って正解。」と、何もせず自宅に帰った自分を誇らしく思うようにしていた。
パチスロを打たずに家に帰れば当然、勝つことはできない。が、負けることもない。
そして負けることがなければ、気持ちは穏やかだ。
店を3件はしごして、打てる台が1つもないということもたまにはある。
そのようなときには、無駄な資金を投じることなくまっすぐ家に帰る勇気を持とう。
当時、1日の軍資金は2万円としていた。
今はどうかわからないが、当時は2万円あれば大抵、一度は当たりが引けた。
2万円というのはその程度の資金量だ。
ここからは、パチスロの勝ち組からすれば非合理的・非論理的なやり方になる。
しかし、自分のような普通の人の性格には、このやり方がとても良い結果につながった。
ポイントは、「その日、気分良く家に帰る。」ことを第一の目標にしていたということ。
言い換えると、「負けなければ、おのずと勝ちになる。」ことを大切にしたということだ。
高設定と思える台を確保したら、1日の軍資金2万円を使ってパチスロを打ち始める。
何も当たりが引けずに2万円が溶けたら、ため息を吐いて帰路につくだけだ。
ただ、決して追い銭はしない。これは徹底した。つまり、1日の最大損失額を2万円に抑えるようにした。
次に、軍資金の2万円以内で当たりが引けて、その後も順調に当たりを重ねたときは、当然閉店まで粘る。閉店まで出玉が止まらず、18時から打っても5万円以上のプラスになることもたまにはあるはずだ。
しかし、最も多いシチュエーションは、何度か当たりを引いても、その後、途中で当たりが引けなくなり、手元のメダルが減り始めることだろう。
このとき、自分が徹底した行動が「投資額を回収することを最優先にする。」ということだ。
ここが、勝ち組にとっては理解できない非合理的・非論理的な部分である。
例えば、2,000円で当たりを引き、ある程度メダルを積み上げたは良いものの、その後当たりがピタッと止んで大ハマリした場合。このような時は、今のメダルを換金すればいくらになるか?を計算し、投資額である2,000円分のメダルを残したところで、負けを認め、2,000円分のメダルを換金するようにしていた。
パチスロ経験者からすれば、2,000円分の少量のメダルを換金するなど、アホらしい行為だと思えるだろう。
「換金するぐらいなら、全部飲まれてから止めるわ。」という意見が大半だと思う。
しかし自分からすると、メダルを換金せず最後まで打ち続けて飲まれたら、その日は2,000円の負け。気分悪く帰宅することが確定する。最悪の場合、心理的に追い込まれて全部飲まれてから追い銭をやってしまいかねない。
逆に、負けないことを最優先にし、2,000円分でもメダルを換金すれば、その日は1円も負けることなく気分良く帰宅することができる。
この違いはとても大きかった。
別のシチュエーションについても述べておく。
仮に初期投資15,000円で当たりを引いて、6,000円相当のメダルを獲得したものの、その後それが全部飲まれたら、追い銭はせずに退店する。「今日は15,000円の負けで済んだ。5,000円手元に残って良かった。」と考える。
仮に初期投資15,000円で当たりを引いて、その後2~3度当たりが続き、2万円分のメダルを獲得したとしよう。このようなときは、これまでの出目から「この台は高設定ではない。」と判断した場合は、5,000円の勝ちで勝ち逃げ。「今日は5,000円も儲かった。これで十分。」
まだ設定の判別がつかない場合や、ある程度の高設定が期待できる場合は、獲得した2万円分のメダルのうち、5,000円分だけゲームを続け、メダルが残り15,000円分になった時点で換金してプラマイゼロで退店。「初期投資がかさんだが、プラマイゼロで逃げ切れてよかった。またチャンスはあるはずだ。」
座った台が例え設定6っぽかったとしても、負けないことを最優先に考えて立ち回った。
そして、ときに2,000円程度の少額で当たりを引き、その後も連鎖的に当たりが続いたときに、大勝し、収支が大きく上向くという流れで利益を積み上げていった。
もちろん、一度席を立ったら他の台にははしごせず、退店する。
18時を大きく過ぎてからのゲームは、閉店時間を考えると不利になるからである。
「引き寄せの法則」というものがあるが、常に自分を気分の良い状態に置いておくことが、運を引き寄せるのだ。
引き寄せだ。運だ。というと論理性に欠けるので、現実に置き換えて説明するとこうだ。
心理的に追い詰められることなく、心理的な余裕を保つ行動をとることで、次回以降のゲームにおいて冷静な判断を続けることができるようになる。
ファイナルファンタジーでいう「バーサク状態」のようなものである。
冷静ではない彼らはいつも、足元をすくわれてカモにされる。
今、自分は個人投資家として生計を立てているが、ギャンブル・投資のどちらも「冷静でない人間から冷静な人間への富の移転」によって成り立っていると思っている。もしかするとこれは、日常生活やビジネスシーンなど、あらゆる局面で共通することかもしれない。
だからこそ、すぐに冷静さを失ってしまう自分のような人間は、たとえ非合理的・非論理的と言われようとも、心理的な優位を保つことを第一に考えるべきなのである。
ギャンブル中毒者は冷静でないからこそバカのように見えるだけであって、冷静であればどこにでもいる普通の人なのである。逆に言うと、どこにでもいる普通の人は、冷静さを失えば誰でもバカになってしまうのである。
最後に3つほど、パチスロで勝つ上で基本的な内容を補足しておく。
1.不人気店で打たない
当時の自分はコミュ障だったので、客の少ない、がら空きのお店でパチスロを打つことに居心地の良さを感じていた。
しかし大抵、客が飛んでいる店は「出さない店」なので、そうしたお店で打つ価値はどこにもない。
勝つためには、上手く立ち回れば間違いなく勝てるだろうという人気店だけを厳選すべきだ。
2.回転数の低い台で打たない
18時からパチスロを打つ場合、回転数の低い台を狙ってしまう。これも負け組の発想である。
言い換えると、処女の方が魅力的に見える。まだふたが開いてない箱の方が、何かすごいものが入っているのではないかとワクワクする。この考えは捨てよう。
パチスロで勝つためには、ある程度回転していて、実績が出ている台を狙う方が確実だ。
負け組だったときの自分は、回転数の低い台が持つ「隠れた魅力」に惑わされ、積極的にそうした台を選んでいた。
しかし、当たり回数が多く、総回転数が多く、当たり確率が高い台を18時から打つようになり、勝率が飛躍的に上がったのである。これは合理的に考えれば当然の話だが。
3.収支管理の徹底
現職の会社と雇用のトラブルがある。もしかしたら継続で働けるかもしれないんだけど、
いくつかの労基法違反もあり、会社として信用できないので継続となっても退職すべきか迷ってる。
給料はいいほうだけど馬車馬のように働かされる。その代わり技術的には高く勉強にもなる。
すでに転職考えて面接行ってるけど、雰囲気よさそうな会社があった。
業界的には経験があるけど、一人社内SEになりそうで技術的な部分若干自信がない。そこまで複雑なことはやらないみたいだけど…
まあまだ内定貰ってないので何とも言えないけど、1次でいい感じと思ったところは大体受かる。
遺書 2021.6.3
今あなた方がこの手紙を読んでいるときには、私はもう死んでいるでしょう。
家族、友人、彼女、これまで関わっていただいた全ての人々に、感謝と謝罪を申し上げたいと思います。
まず家族、今までありがとうございました。そして迷惑をかけ続けて本当に申し訳ありませんでした。
思えば物心ついた時には3人目の子供、そして長男として溺愛されていたと今となっては思います。冷酷でよく怒らせてしまった長女、オカン気質で涙もろい次女、短気で呑兵衛で旅行好きの父、そして心配性でよくため息をつく母。(自分から見た印象です、気分を害したらごめんなさい)
それぞれ個性ある家族で、自分がその一員として生まれてくることができたのは非常にラッキーだったと思うし、こうして人並みの生活を送れているのは、厳しく育ててくれた家族のおかげだと思っています。
正直に言って家族のことはどちらかと言うと嫌いです。よく育ててくれたと思う反面、理不尽な目にもかなりあってきました。
買いたいものをねだると必ず姉2人に罵倒され、泣く泣く買わなかったこと、そのせいで物をねだるのが非常に苦手になり、誕生日プレゼントで親の顔をうかがって勉強机をねだったけど、内心全然嬉しくなかったこと。
その結果万引きを繰り返し、親の財布から金を抜き、家の中で見つけた旧札の束をすべて使い、クレジットカードで勝手に買い物をした。
今に思えばどうしようもないクソガキだったなと心底思う。
人としては嫌いかもしれないけど感謝の気持ちは忘れたことはない。
姉二人とは気づいた時には距離ができていて、いつも2対1の構図だった。
ある程度かまってくれていた次女も何かあれば長女の側につくし、長女は初めから自分の事を嫌悪していた。そうなった原因に関しては自分が子供で、甘やかされているように見えたか、若しくは姉の反抗期と自分のイヤイヤ期が重なったことで生じた溝だと感じている。
未だに姉の目を見て会話するのが苦手だし、なんて呼べばいいのかわからないし、姪が生まれた時もひきつった顔で眺めることしかできなかった。
原因は自分にあると思うし、姉が一概に悪いと思うこともない。ただ状況がよくならないままで死んでいくことを悔いに思う。本当にごめんなさい。
父方の祖父祖母は今のところ大嫌いです、誤ることも何もありません。
高校の時一回も休むことなく登校していた当時、自分の事をグレていると親に向かって言っていたこと、いまだに許していません。彼女を紹介するのも最後まで渋りましたが、母が無理を言ったので一目だけ会わせてあげましたね、あまりかかわらないでください。以上です。
母方の祖父祖母には非常にお世話になりました、学生の頃、夏休みのたびにいとこと一緒に遊んだことは今の僕の誇りです、親と一緒にいるときはあまりうまく喋れなかったのが申し訳なかったですが、感謝しています。
祖父が死んだときは本当に悲しかったです。今まで生まれてきた中で間違いなく一番泣きました。はじめてお見舞いに行ったとき、まだ喋れる状況だったのに母親と一緒だったせいで口をつぐんで全く喋れなかったこと、いまだに後悔しています。
友人へ。
今までいろんな遊び、旅行に付き合ってくれてありがとう、普段は自分が誘うことが多かったけど、その分君たちから誘われるときは本当に嬉しかったし、本当に無理な時以外は絶対誘いに乗るようにしてた。
保育園から始まり高校まで、さまざまな人に出会ってきたけど、思い返せば人見知りのせいでなかなか自分から友達を作ったことはなかったなと思う。
小学校の夏休みは特に家にいるのが嫌で、毎日のように友達の家にアポなしで押しかけていたから、とんでもないやつだなと自分でも思う。
短い付き合いだったけどこんな変な自分と友達でいてくれてありがとう。
どうかお元気で。
彼女へ。
短い付き合いだったけど今まで本当にありがとう。
遊び始めたときは友達もろくに作れない自分がこんなに出会ってすぐにちょっと好きだからって告白してもいいものだろうかと悩んだし、本当にいい人だったから自分はこの人の友達止まりで、彼氏になんかなれるはずもないのだろうなと卑屈になっていました。
そのせいで告白をさせてしまったことは本当に恥ずかしいことだったし、出来ればやり直したいなと思います。
付き合いだしてからは惚気まくりでちょっとキモかったかもしれませんが、高嶺の花だと思っていた女性から告白されたのです、幸せで一杯だったので許してほしいです。
出会い、告白、同棲まで、本当にトントン拍子で話が進み、もう結婚まで話が出ていましたね。
こんな時期にお別れするのは本当に申し訳ないですが、私のことは忘れて、もっといい人と出会い、幸せな家庭を築いてください。
皆さん、今までお世話になりました。お元気で。