はてなキーワード: ストレートとは
俺、大嫌いなんだよ。
アル花(アルジャーノンに花束を)とかあなため(あなたのための物語)とかが最たるものかな。
やっぱこう主人公交代をするにしても人間であって欲しいんだよな。
人間の物語から「死」の物語になっていく過程が受け入れられないんだよ。
君食べ(君の膵臓をたべたい)やゆなさく(夕凪の街 桜の国)みたいにもう最初からこの作品の主人公は「死」ですよーって宣言しておいて、途中からいやこれはワンチャンと思わせて結局裏切るようなのは全然大丈夫なんだがなー。
「死」を描くために人間が利用されるのはセーフで、人間の話がいつの間にか「死」の話にすり替わるのがアウトなんだよな。
不倫モノからの純愛へ変化すると見せかけて結局は欲望に流されたって話はさ、別に不意打ちとは感じないのと同じなんかな。
こういうのだとセカチュー(世界の中心で、愛をさけぶ)は誠実だよね。
死ぬ話だよー →死んだアイツを思い出すぜ →コイツが死にます →はい死ぬぞ死ぬぞ →死んだぞ!泣け! →よっし泣いたな!この話はこれで終わりだ!
誠実すぎて涙が出てくる。
なんで売れたのか分からないっていう人いるけど、この正面突破っぷりはそりゃ評価されると思うよ。
不意打ちで殺そうとするテンプレ感動人殺しや、多分殺しますよって言ってはおきながら最後まで死ぬかどうか秘密にする犬映画とかとは違うからね―。
いやー、なんで俺セカチューこんな褒めてるのかなあ。
実在する人間を使って、男女・男男・女女でカップリングを組む、あるいは自分自身(二次創作者)との架空の恋愛模様を妄想するものである。
それと同様のジャンルとして2.5次元二次創作(以下半ナマ)がある。こちらは実在する人間が演じた作品の登場人物を使ってカップリングを組んで妄想するものである。これも、登場人物同士だけじゃなく二次創作者とのもの(いわゆる夢)も含まれる。
これらは代々、「隠れるべき存在」であるという認識のもと密やかに続いてきた。
しかし近年、腐女子(男性もいるかと思うので、以下BL愛好者)が市民権を得てしまい、そこにLGBTの待遇是正問題が浮上してきたことと相まって、「ナマモノ・半ナマは何故隠れるべきなのか?」「隠れる必要はない」と豪語する輩が増えてきた。非常に良くない。
何故良くないか?
よくナマモノ・半ナマの秘匿性をLGBTへの差別だと言う者もいるが、同性愛が気持ち悪いから隠れるべきじゃないのだ。
これは人によって分かれると思うが、少なくとも増田は異性愛でも同性愛でも夢でもそれが実在の人物が関与する「架空の恋愛」なのだったら隠れるべきだと思っている。
ナマモノを嫌いな人が自衛すればいいんじゃないか?これも違う。
Twitter・Pixiv、BL特化型サイトのピクブラであっても、そこは私的な空間ではなく公共の場だ。姿が見えなくても同じページを共有する人間が確かにスクリーンの向こう側にいる。
そのような場で不快なパフォーマンスが突然行われたとする。近所迷惑レベルの騒音での演奏だとか、過度にグロテスク・エロチックな仮装とかと思ってくれていい。
それを公園の利用者が苦情を言ったり注意してもやめてくれないとしたら当然パフォーマーが非難されるだろう。公園の管理人が呼ばれたり、警察沙汰になってしまう可能性もあるし、Twitterで拡散されてアーティスト人生が終わるかも。
少し飛躍した例かもしれないが、「嫌いな人が自衛すればいい」はそれと同じことだ。
どんなに自由に開け放たれた空間であっても、そこには思いやるべき他者がいる。
アカウントに鍵をかけたり、パスワード制サイトにこもらない限り、私的空間というものはインターネットには存在しないのだ。
近年BL需要の高まりを見てBL的な絡みを積極的に行う「BL売り」が横行している。
そしてBL愛好者だけじゃなく「男性同士の友情」を好きな層も確実に存在している。つまり、男性と男性が絡むことに需要がある。
それが心根から行われていれば何も言えないのだが、残念ながら世の中には商魂たくましく自身の利益のためにBL売りをする芸能人がいる。
彼らは自らBL的な振る舞いをする。でも、だからと言ってナマモノ愛好者が隠れなくて良いわけではない。
そんな彼らにも当たり前に彼ら個人をちゃんと好きなファンがいて、そしてそのファンは彼の性的指向を同性愛者じゃないと思っているはずだ。
あるいは同性愛者だと公表しているにしても、共演者や相方、同グループのメンバーと恋愛関係にあるなんて思っていないはずだ。
もしそんなファンがナマモノ・半ナマを見てしまったらショックを受けるだろう。そしてその対象とされているキャラや芸能人に対して「あらぬ誤解を与えかねない表現をする人」というレッテルを貼ってしまうだろう。
「●っさんず●ブ」がおおっぴらに出られるのは、彼らの恋愛関係が作品内で認められた「公式」だからだ。
それ以外の作品や実在の人物については、作品内で結婚・パートナー等が明言されていない限り非公式のものである。
BLとばかり言っているが、これはもちろんGLでも男女CPでも同じである。そして、夢でも。
夢女子がよく言う「うちの彼氏」的な発言、普通に虚偽情報の流布だし誰もが見える場で自己満足行為に興じるようなものだ。
そういえば最近、「舞台俳優の発言をもとにした2次元キャラクターのBL妄想だからOK」「伏せ字を使っているから公の場で書いてOK」というものを見かけたが、もちろんこれもいけない。
ナマモノって何?半ナマの線引きわかんなぁいと言っている人に言いたいのだが、そこに一瞬でも「実在の人物」が介在した場合、それは「ナマ」である。
続いて後者についてだが、増田はつくづく不思議である。「なぜ伏せ字を使うのがBL愛好者だけだと思うのか?」と。
あまり大声で言えないが、いわゆる愚痴垢や壁打ち垢というものが存在する。内容は名前から推して知るべしなのだが、そのようなアカウントの界隈の人々は普通の検索ではヒットしないように伏せ字を使う。そう、ナマモノ・半ナマをオープンでやっている人々と同じように伏せ字を使うのである。
もちろんその方々が全てナマモノ・半ナマ愛好者なわけではない。むしろ、そうじゃない人の方が多い。
本来は愚痴垢なども隠れるべきだと増田は思うのだが、それを盾にナマモノ・半ナマ愛好者が隠れなくて良いと主張できることはない。どちらも須らく隠れるべきなのだ。
ここまで様々な隠れない派の定説を否定してきたが、増田個人で考える隠れるべき理由も一つ上げておこう。
非常にありきたりな理由ではあるが、それは「気持ち悪い」の一言に尽きる。
スレタイにもしているが、ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩は、痴漢とほぼ同値である。
痴漢は電車や道端などの公共空間で相手の快不快を考えず自らの性的欲求に従って行動する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「性欲があるから仕方ないのだ」「誘うような服を着ている方が悪い」と。
ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩はTwitterやPixivといった公共空間で、その他のオタクの快不快を考えず自らの欲求に従って実在の人物を性的に消費する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「萌えたから仕方ない」「嫌なら自衛しろ」と。
正直増田には、どちらも誰かを性的に消費することを正当化している同類に見える。
これが例えばセクシー女優・セクシー俳優であればある程度許されることもある。もちろん彼・彼女にも過度なセクハラを行うべきではないが、少なくとも「そうされても良い」としてくれている人々である。
「そうされても良い」としていない人に対して性的に消費するというのは、言ってしまえば侮辱行為である。
…とまぁ、ここまでナマモノ・半ナマにかなり厳しいことを述べてきたが、かく言う増田も実はナマモノに沈んで数年、BL愛好者としては10年選手である。気持ちは痛いほどわかるのだ。
痛いほどわかるから、土下座してでもお願いしたい。隠れてくれ、と。
BL売りに萌えてしまう気持ちも、それをされなくても飛躍した妄想で恋愛関係を勝手に考えてしまう気持ちもわかる。
でも、そういう我々の性癖を「気持ち悪い」と思う人がいる。確実にいる。
そういう人々を、我々の身勝手で傷つけて良いことはない。
そしてもし、「嫌なら自衛しろ」というスタンスを貫き通しておいて、最終的に傷つくのは我々なのである。
自衛を強要させられたナマモノ・半ナマを嫌う人々に、誰にも迷惑をかけないように、この気持ち悪い性的嗜好を共有できる仲間と人の目を盗むようにして逃げてきたサイトやアカウントを晒される。
もちろん、晒しのモチベーションは一概に怨恨目的だけではないと思うが、でもそういう人が多いのは事実である。
これは、避けられるはずである。
自分の幸せを追求するのは人間のあるべき姿だが、そのために他者の幸福をないがしろにすべきではないというのも人間のあるべき考え方だと思う。
こういう注意をすればなぜか「じゃあ〇〇はどうなんだ」などと言い出す輩もいるが、それはあなたが注意してくれれば良い。
私は、私とその仲間がひっそりと生きているテリトリーを侵されるのが許せないだけである。
ルールが多い・旧態然としている・息苦しい、肩が凝る界隈かもしれない。でも、マナーとルールを守れない人間に不寛容なのはどんな社会でも当たり前だ。
どうかどうか、我々と全てのオタクの幸せのために、オープンでナマモノ・半ナマをするのはやめてくれ。
あっちなみに、よく「公式は伏せ字なんかしらねぇよw」とか「伏せ字で検索するほど暇じゃねぇよw」とか言ってる人いますが、
公式は存外我々のことを「よく見ている」し、「知っていても利益になるなら黙認(あるいは単にスルー)してくれている」だけで、知らない公式の方が少ないと思います。
/を入れて伏せたつもりでいる人もいる(検索で引っかかります)し、伏せ字だって半角英字にすればいいみたいに考えている人もいますが、鍵垢じゃない限り、そのツイート・投稿は誰でも見れます。
そして「良い公式」ほど我々のことをじっくり観察している。「何がほしいか」「何が需要があるか」、考えている。考えてくれている。
そういう人たちに対して、不快感を与えるような言動をさらけ出しても良いと思えるなんて、正直コンテンツを享受する人間の態度としては最悪だと思っています。
たとえ露骨にそういう売り方(BL売り・夢媚び)をされたとしても、明言されない限りは「そう見える」の範疇です。
長々書いてきましたけど、言葉を選ばず端的に言うなら、マジキモいことやってる自覚持って、クソみてぇな公開オナニーしてんじゃねぇよって話です。はやく自分がキモいって気づいて!
読みやすいように少しだけ文章直させてもらったよ、あと、ブクマコメとかみて思ったこと以下に書いたよ。
まず、痴漢被害に苦しんでいる人の気持ちを考えずに〜っていう方、ごめんな。
そうして苦しむ人がいる痴漢と同じくらい不快でやってはいけないことだよって言いたかったんだけど、それで痴漢被害に苦しんでいる人らに不快な思いさせちゃダメだよな。本当にごめん。
それから、新幹線で匂うもの食うな的なルールの押し付けを感じるっていう例えを見て笑った。それも私の嫌いなやつだ。
「押し付けられている」と感じるかもしれないけれど、なぜそれが作られ、存在しているのかよく考えてみよう。「人様に迷惑をかけないため」ということもあるけど、「自分が平和に暮らすため」でもあるんだよ。
美味しいものを食べたいなら電車じゃなくテーブルに向かって食べた方が美味しくないか?それと同じで、迷惑をかけるリスクの低いところでやる方が安心して創作できないか?
そういうゾーニングの内側にわざわざ入ってきて晒したり「こういうものがあります!」と取り沙汰するナマモノ嫌いは、もうそれはお前が悪いとしか言えません。
ナマモノ自体が気持ち悪いのもわかっています。それをどう発散するか・発表するかという話です。
ナマモノも「性的に消費する」なの?という方もいると思うが、たとえ性的消費じゃなくても架空の人間関係をあたかもそうであるかのように流布することに正義はないよ。
性的な絡みがなければ良い・未成年だからダメ(成人ならOK)ではない。BL売りやGL売りをする人だとしても、彼らの私生活や演じた役に本来とは違う性質を付与していいわけじゃない。
それでも「そうだ」と主張したい気持ち悪い我々のような人間は隠れねばならないんですよ、という話。これは2次元にも言えることだけれど、今はより火急的な問題としてナマモノに限定しています。2次元のオタクも気をつけような。
最後に、女性芸能人界隈の痴漢行為を働いている人、須らく逮捕されるべきだわ。
でも今回話したいのは、本人への対応(=痴漢行為)うんぬんというよりは、本人の本来とは異なる性質を付与する行為(=ナマモノ創作)についてなんだ。
ナマモノ創作者でも本人に凸る輩がいるので本人への対応の話に及ばないわけじゃないが、より原理的な話をしているつもりである。
学科で一番偏差値の高い高校から旧帝大にストレートで合格した。
履歴書を書いたり、面接の準備をしたりするのが、億劫で仕方なかった。
面接では緊張してしまい、自分が何を言っているのかわからなくなってパニックになった。
周りが次々と大手企業の就職が決まる中、夏になっても内定が出なかった。
みじめだった。
夜眠られなくなった。
卒業論文は締切ぎりぎりに提出した。
運転免許は発進前の確認を忘れて、路上教習に出る前の試験に一度落ちた。
悔しくて泣いた。
お世辞を言ったり、謙遜したりすることが出来ず、その人に嫌われた。
2人っきりの時を狙って、延々と罵倒される。
当初の配属から異動があり、電話を取る機会の多い部署になった。
周りでざわざわと声がしていると、電話を上手く聞き取れない。
ADHDの診断を受けた。
生きづらい。
幸せになりたい。
女子大生、というより女子が2人以上集まると何を話すかなんてそんなの近況報告か愚痴か恋バナと相場が決まっている。特に恋バナなんて1番盛り上がるよね。今こんな人が好きだとか彼氏がどうとかそんなのばっかりで、ひとしきり周りの子達の幸せエピソードを聞いたあとは必ず、「で、あなたはどうなの?」と自分の番がまわってくる。あなたの番ですってか。
毎回この手の話題には困ってしまう。だって私は今同性が好きだから。
自分がバイセクシャルっぽいなとは中学生の頃から薄々思っていた。尊敬よりももっと熱い気持ちを持った同性の先輩もいた。だけど基本的にそれまでもそのあとも好きになるのは男性ばかりだった。
けれども去年の秋、高校時代の友達に街コンに行かないかと誘われ特に気になる人もいなかったし人生で一度も彼氏が出来たこともなかった私はその話に乗り、街コンに参加してみた。結果1人の同い年の男性とそこそこ良い感じの関係になりつつあった。クリスマスにも会ったしディズニーシーにも行った。楽しかった。だけど何故かその人のことを好きになれなかった。顔も世間一般からしたらイケメンと言われるタイプだし背もそれなりに高いしデートの時ご馳走してくれたりディズニーの待ち時間に会話が途切れて退屈しないようにとスマホで映画を見せてくれたり、素敵な人だったと思う。だけど何故かどうしても好きになれなかった。触れたいとかもっと知りたいとかそういう感情が一切湧かなかった。
ディズニーデートをして以来、彼と連絡を取ることはなくなり、そして程なくして私には好きな人ができた。バイト先のパートさん。既婚で、私と同じくらいの歳の子どももいる、言ってしまえば「おばさん」と分類されてしまうくらいの女性。好きになったきっかけなんてよく分からないしむしろ最初は怖いな、苦手な人だなと思っていたくらいだったのに気が付いたら好きになっていた。業務上の会話だけで、挨拶だけで幸せな気持ちになった。当たり前だけど今以上のものを求める気はさらさらない。ただ話せるだけで充分。
でもそれを境に急に男性が駄目になった。勿論好きな男性アイドルとか俳優さんはいるけど、そうじゃなくて身近にいる男性。この人私の事好きなんだろうな、という感じのLINEを送ってくる中学の同級生もこの人かっこいいなあと前まで思っていた人すら駄目になった。気持ち悪いとすら思ってしまう。なんで異性間で結婚して子どもを産むことが幸せみたいに言うんだろう世間は、と大袈裟な思考にまでなってしまった。皮肉なもんだよね、男性と疑似恋愛をした結果女性の方が好きだったって気付くなんて。
勿論こんな、既婚女性を好きになってしまったなんて誰にも言えっこない。だけどたった1人だけ、小学校からの付き合いがある友達にだけ伝えた。「まあ応援はできないよね」と言われたけれど気持ち悪いとか頭おかしいんじゃないのとかそういう否定はされなくて良かったなと思ったし多分好きになった人が既婚じゃなくてもっと歳の近い女性だったら応援してくれるんだろうな、という感じの反応だった。もし根本的に無理だと感じたら今みたいに会ってくれたりすることはないだろうし。
それでもやっぱりその友達もきっと本心では私に彼氏を作って幸せになって欲しいと思っているのだと思う。その子と他の何人かで飲みに行くと必ず「最近どう?良い人いないのー?可愛い後輩くんいるんだけど紹介するよ!」とか言われる。やっぱりストレートに戻って欲しいんだろうなと少し悲しくなる。昔から付き合いのある友達はみんな私が今まで男性が好きだったことを知っているのでまさか今女性が好きだなんて思ってもいないだろうしそんなの知りたくないだろう。私だってせっかくの数少ない友達を失いたくなくて「いや〜相変わらず全然でさ〜!!」と話を合わせたりしてしまっている。正直もうこの手の話題には辟易としてしまっていて女子会に行く気力も失われてきている。
今の好きな人と上手くいくなんてことは絶対にないとしても、いつか好きになった女の子と手を繋いで歩いたりその彼女のことを友達に堂々と自慢できるようになりたい。そんな日が来るといい。
どこの学校にもいじめが存在する。全くない学校も学年もあるっちゃある。でも殆どある。
そのいじめのある学校で良い思い出を作れたものが大学を出てストレートに教師となる。
今回も人望が厚い教師がいじめをしていたため保護者と児童はショックを受けていると言う報道があるが
学校内で教師として人望を集められるタイプに偶然にも小~高校と当たり続けてきた自分としては
いじめを黙認しいじめを無かったことにして信頼を経て権力を持ったタイプが多い。
友人の自転車が無くなった時、友人に起こっていたいじめを「信頼のある担任」に報告したときのことが忘れられない。
「勘違いじゃないのか」
「わかった。考えてみる」
一言二言、何が起こったのか探りもしない。
後日友人に聞くと、教師は何もしなかった。壊れた自転車が河原から出てきた。友人は自殺未遂までした。
もちろん頼りにならない担任は知らない。
これを書いていて思い出したが小学校のころいじめられ教師に呼び出され「いじめられる理由に心当たりはないか」「あるはずだ」と言われたことがある。
心当たりが無かったので、その後ずっと考えた。何故こんなにいじめられないといけないのだろうかと。でも答えは見つからない。
結局は自分に何か問題があるという意識を抱えたまま育つことになった。
そんな先生ばかりじゃ無い。良い先生もいると言う人もいるかもしれない。
しかし高校生の頃高圧的な態度で学年を牛耳っていた『信頼のある』教師は、日焼けした髪を見て言った。
「染めただろう」「嘘をつくな」「お前のことは見たら直ぐ分かる」「就活でみんな同じ格好をするのは当然」「黒染めも当然」
「私たちのころはもっと厳しかった。お前らの時代はいいね」「給料が少ない」
給料少ない問題は同情するが、教師たちは自分を悪いとは一切思っていない。正義だと思っている。
教師が、と大きく主語をしたが、そうではない教師も居ることは間違いない。
しかし割合的に少ないのは現実だろう。実際道を歩いていても良い人なんかそんなに居ない。
良い教師に当たるなんて奇跡だろうし、その教師が本当に良い教師かなんて、小学生は無理だし、中学3年間高校3年間で見極めることなんてできるだろうか?
ただ教師は聖職者なのではないのだろうか。良い人であるべきなのではないか。
まともに社会に出たことの無い大学生上がりのやつが子供を教える。
よくよく考えたら恐ろしくて仕方ない行為である。リスク管理もクレーム対処もチーム運営もワークショップも、まともにできなくて当たり前ではないか。
私は基本的に旬ジャンルにストレートにハマることは少なく、特にゲームを一切やらない人間なので、ゲームジャンルが周りで流行っても、そういうのが話題になっているんだーと何処か遠くから眺めることが多い。もちろん旬ジャンルにハマったことがないわけではないし、別にハマれなくたって私には合わなかっただけ、他に夢中なものがあってそっちの萌えを超えられなかっただけ、と割り切ってやっぱり遠目に眺めるようにしていた。自分は好きでも嫌いでもない、周りで話題になっているだけと、思ってきたのだが。
ここ最近になって、一気に話題になってきた某作品が、流しきれないほど嫌いになってしまった。
それは鬼滅の刃だ。
鬼滅がどういう作品かは、私もにわかなので割愛する。適当にぐぐったり、好きな人に聞けばいいと思う。ジャンプ漫画は好きだし、ハマったことのある作品もいくつもあり、ついでに定期購読している。鬼滅はたまたま読んでいなくて、チラホラ好きな人がいるなぁ、面白いのかなぁ程度の認識だった。
そして最近アニメ化が決まり、アニメになるなら見てみようかなと放送開始直後はアニメを見ていた。鬼滅のアニメを見ていて、微妙に引っ掛かるものはあるものの、それなりに楽しんでいた。しかし、鬼の身の上話が出てくるたびに、違和感というか、そういうのいらないなぁと思うことがあって、決定的な原因となったのは、主人公が死を覚悟した鬼に対して、痛みがないように優しく殺した時だった。
この時思いっきり「はぁぁぁぁぁ?????」と思ってしまったのだ。
だってその前にその鬼は、味方の隊員をあんなに残酷な方法で殺しているのだ。その鬼にも保身があったのだろうと思うが、人間をおもちゃのように扱って殺したのは紛れもない事実で、そんな相手に対して死に際は優しく??いやごめん、マジで意味が分からない。お前はどっちの味方なんだと思ってしまった。
そしてその話を見た直後、主人公のその行動が「優しい鬼退治」と言われていることを知り………あ、これは無理だわ、と思って、それ以降、鬼滅のアニメを見るのを止めた。
Twitterでも鬼滅の公式アカウント系は全部ブロックし、ミュートワードにも徹底的に登録した。それでも、最近は今まで鬼滅の話をしなかった人まで話題にしたり、二次創作をリツイートしてきて正直気が滅入っている。さすが旬ジャンル手強い、でも本当に、鬼滅が賞賛されているツイートを見るのもしんどい。最近は、そもそもTwitterを覗かないことまでしている。早くこの状態が落ち着かないかなと思っている。
最初の方に書いたが、私は鬼滅に関して完全ににわかだ。好きな人からすれば、もっとちゃんと読めば、この先を読んでいれば楽しめるよ!と言ってくるかもしれないのだが、正直、根本的に合わないのだと思う。今回、私が鬼滅が嫌いになった原因はあくまできっかけにすぎず、好きになれない要素は他にもあるのだ。
そのひとつがキャラクターだ。キャラクターが本気で好きになれない。好きな人には申し訳ないが、善逸が本気で苦手で、煩くてあんなに周りに迷惑を掛けているのに都合のいいときだけケロッとしているようにしか私は見えない。なんか覚醒するみたいだから、それを見れば好きになれるのかなぁと思って見ていて、実際覚醒したのを見ても、それ以前に蓄積された悪い印象が強すぎてまったく良さを感じなかった。「……で?」という感じだった。
そしてもっとも問題なのは、主人公を好きになれなかったことだと思う。主人公を好きになれないときはその作品も好きになれない、というのが私の中のあるあるなのだが、同胞をむごい殺し方をした鬼に対して優しく殺したことへの違和感もそうなのだが、長男だから頑張る!と繰り返されるセリフに対するストレスもすごかった。私が長男長女ではないからなおさらかもしれないが、その、長男だからがんばるが、長男じゃなければがんばってないとでも??という不満に変わっていたのだ。これはもう、完全に私の立場と感情によるものなので、主人公は何も悪くないのだが、結果的に私は主人公のことがまったく好きになれず、件の出来事からむしろ、嫌悪感の方が増してしまったのだ。
とはいえ、私が鬼滅を嫌いなのは、私だけの都合なので、別に好きな人をどうこうは思わない。私の見えないところで好きなように楽しんでいればいいと思う。そして私はひたすら、それが見えないように頑張ろうと思う。とりあえず、ブームが去るまでは、逃げに逃げるしかないのだろうと。
「しゃぶれよ」は明らかな性的含意がある。
それに比べると「おーん」は無害どころか有益でさえあると思う。
日記の言及に悪意を持って記事主を攻撃する邪悪な奴が現れる。しかし咎めるためにストレートに反論してしまうと喧嘩になることがある。日記執筆者によってはそういうのを不快に感じる人がいるんだ。自分の日記が原因で騒動が起こってるのを気に病む人がいる。俺は昔、そのような振る舞いで記事を削除させてしまったことがある。駅で道を聞く話。かなり時間をかけて書いたであろう、良質のエッセイだった。俺自身は当時正義を働いたつもりだったけど、後悔している。俺のやり方は良くなかった。
「あーん?」のように凄んで威嚇して相手を咎める態度を示しつつ、どこか茶化した感じにする道化としての振る舞い。俺個人としては、読んで見た目にも心地よく、それで実際、場が収まっている風景を何度か見た。いま「おーん」をやっている使い手はどうなのかしらないが、初期は殺伐としがちな匿名空間を和ませるファインプレイが多かったように思う。
個人的に「増田三善人」とよんでいる。「おーん」「ワイ」「🐈」の三人は、はてな匿名ダイアリーの潤滑油だ。
元増田も酷いしそれに対する反論も酷いし何もかも酷い一連の増田なんだけど、こんな地獄を見ていちいち「同じ女性として」罪悪感を覚える必要ないよ。まあそれと同じくらいこんなお説教を読む必要もないんだけど。
私は男性だけど、「まんさんがー」とか女性ヘイトを垂れ流す男性を見ていちいち「同じ男性として恥ずかしい」なんて思わない。(昔は思ってたけどね。)ただ「差別は見ていて気分が悪い」それだけ。その方が心の健康にはいいと思う。
こういうのはもう男とか女とか以前の問題でしょ。知能と性格の問題。
というかまあ、言いたいのは単に「これに賛同しない女性もいますよ」ってことなんだろうけど。一般的な話として、主張は回りくどい皮肉やレトリックを用いるよりもストレートに言った方がいいよ。(実はそれこそ簡単じゃないんだけどね。)
※10/4公開HiGH&LOW THE WORST(以降ザワ)のネタバレを含みます
※言いたいことが1つなので割と短いです
昨日ザワを見た。
ストーリーもうまかったし画の作り方も天才的、アクションも超進化していて素晴らしい映画でしたね。なんだあの攻城戦。
今回の映画は色んな登場人物が色んなカッコいいセリフをキメていてすごくよかったのですが、個人的ベストは誠司のセリフです。
鬼邪高の楓士雄(主人公格の一人です)の幼馴染の誠司は、進学校在学で成績優秀も優秀。そんな彼が先生から「お前も鬼邪高生みたいなクズとつるむのはやめろ」と言われてキレるシーンが非常に良かった(突然優等生がキレだすとめちゃくちゃ面白いというのもありますが)。
細かいところはあやふやですが、「スーパーに並ぶキュウリは、人の手で真っ直ぐにされているから綺麗に見える。でもアイツらはそれを拒んでいる、だから自然に元気に曲がっているだけだ!」という旨の発言をするんですね。映画冒頭で幼馴染みんなで曲がったキュウリをおいしいおいしいと食べるシーンがあり、なるほど上手な伏線だなあと見ていたわけですよ。問題はその後です(※例のごとく記憶あやふやなのでニュアンスを感じてください)。
「……安心してください先生、俺は誰よりも真っ直ぐなキュウリになって、スーパーで誰よりも高く売れてやります」
この思想……鬼邪高だ!!
分かりましたか? 「拳一つで成り上がる」鬼邪高の思想そのものなんですよ。理論の拡張が起こっている。能力拡大解釈大好き。
ザムのラストでヤマト母も言っていた通り、人それぞれ色んな場所で戦って生きています。鬼邪高はストレートに喧嘩だし、受験戦争であれば知能による戦いだし。
誠司のセリフはまさしくその覚悟、その思想を言っているわけですよ。自分の「拳」でそれぞれの「テッペン」を目指しているみんな、俺たち私たちはみんな鬼邪高生なんだよ!!! 人類総鬼邪高時代来た!!!
今回の映画は鬼邪高や鳳仙といった不良連中だけを肯定する映画ではない、あるいは勉強に励む連中を馬鹿にする映画でもない、男も女も関係ない、それぞれの世界で「戦う」みんなを強く強く応援する映画でした。ありがとうハイロー! ありがとうクローズ! ありがとう鬼邪高!
追記: see https://jp.reuters.com/article/wrapup-saudi-attach-idJPKBN1W22KF
この問題について、二つの方面から考える必要があると思います。すなわち、兵器の性能と報道の実態についてです。
まず兵器の性能ですが、イエメンフーシ派/イラン革命防衛隊が爆撃に使用する主力ドローン爆撃機は 200kg の爆弾を装備し 1000km 前後を飛行する能力があるとみなされています。作戦において航空機が直線的に飛行することはほぼ考えられないため、せいぜい半径 300km 程度しか攻撃できないものと思われます。
今回攻撃をうけたダンマームはフーシ派支配地域の先端(サウジアラビアのナジュラーン)から 1200km 近く離れています。攻撃がイランによるものだとした場合、以下のような可能性があります
という都市はブーシェフルしか存在しません。ここはイランの核開発の拠点の都市として知られているので、米軍の衛星などにより厳重に監視されているものと思われます。そうした都市から直接爆撃機を運用することはちょっと考えづらいと思います。
またイランのドローンが 3000km を飛翔可能であると想定すると、イラン領土内から直接エルサレムの爆撃が可能になります。もし、イランがそうした兵器をすでに運用していた場合、イスラエルがここまで「冷静に」事態を取り扱っていることはかなり不自然です。
ということは、仮にイラン、イエメンフーシ派が攻撃を行なったと考える場合フーシ派はサウジアラビア領内を陸路長距離侵攻してサウジ領内に仮設の飛行場を作り作戦を遂行する能力を持っていることになります。ドローン一機とそれに関連する機器を最大限切り詰めても大型トラック 2 台分にはなると思います。今回の攻撃ではドローン 10 機を使ったというのがイラン側の宣伝なのでそれだけでトラック 20 台です。それに加えて仮設の飛行場を設定するための機材や人員の輸送、警備兵力などを入れるとおそらくトラック 50 台近い車列になるものと思われます。
このような大部隊がサウジアラビア領内に密かに侵攻し、ドローン爆撃を行っているというのは一見極めて異常な事態です。しかしサウジアラビアの人口密度は極めて希薄であることを考えると不可能ではないと思います。またリヤド近郊のパイプライン攻撃、今回とは違う油田攻撃など「そういう手段が確立されている」としか思えない攻撃についてもこれまで報道されてきています。
次に報道についてです。まずよく言われる「なぜこの時期に」という問題ですが、正直なところこの時期も何もあったものではないです。これまでにあったことですが、リヤドが弾道ミサイルで攻撃されたことが報道されましたし、石油パイプラインが攻撃される事例もありましたし、先月末にはサウジ国内の別の油田が攻撃されています。石油関係以外に目をむけると、軍事設備、行政設備、要人の暗殺、空港爆撃などイエメンによるサウジ航空攻撃は多岐に及んでいます。またナジュラーン、ジーザーンをはじめとした複数の都市が陸路から侵攻を受けています。こうした話はアラビア語メディアには頻出していますが、欧米、日本、中国といった先進国はこれまでほとんど無視を決め込んできました。
どちらかといえば「よくある攻撃だったはずなのに今回だけが大きく報じられている」ということが問題だと思います。
先月の攻撃ではサウジアラビア石油大臣は「サウジアラビア全体の石油生産には影響を与えない」という言い方をしていました。すなわち、該当の施設は生産を停止するが、他の施設の増産で対処可能という意味です。しかし今回は攻撃一回で「サウジの石油生産能力が一時的に 50% ダウンする」ということがストレートに発表されました。ここまで大打撃をうけるということは、つまり、攻撃されずに残っていた油田の稼働率を限界まで上げることで対処していたところにさらに攻撃を受けた結果ついに対処の限度を超えたということです。
今回の攻撃は「よくある攻撃」でしたが「最後の一撃だった」とも言えるものです。また今回の攻撃は先進国民の生活に直接影響があるもので、そうしたこともあって「よくあること」なのに報道が多くなってしまったのだと思います。
ではサウジアラビアの意向はどうかというと、ムハンマド皇太子独裁体制のほころびを隠すことが全てだったと思います。これまでサウジアラビア国内はイラン/イエメンの攻撃により大被害を受けていたと考えられます(ドローン10機による攻撃程度で石油生産が半分も破壊されてしまったことがなによりの証拠)が、こうした事実をサウジアラビアはなるべく隠蔽しようとしてきました。8月終盤ごろからいよいよ被害が隠し切れなくなってきた、あるいはムハンマド皇太子更迭の準備が整いつつあるということなのでしょう。
作品はBLではなくて、ナンならお互い既婚者で子供がいる二人の男性キャラクターだとして。
日本の感覚だと、この二人のBL妄想は公の場では慎むべきものって雰囲気。原作がBLではなく、お互い既婚者キャラだから、妄想で「汚さない」みたいな感覚かな。公共スペースは汚さずに、なるべく現状維持したまま使いましょう的な。
一方でアメリカ。かなりオープン。むしろ、二人がゲイであることを夢見る気持ちを隠さなきゃいけない風潮はゲイ差別で、糾弾されるべきものでって感じ。
実在の既婚者俳優二人に対して、あなた達がゲイだったらいいなって思ってゲイ妄想してます!って言っても、まあLGBTんk文句は言えんので許されるレベル。ただ逆にゲイの俳優に、あなたがストレートだという妄想楽しんでます!はアウト。アウトの意味も重い。
この違い。
4日越しにあれだけど
元増田の言いたいことがなんとなく分かった気がするのでまとめた
Q.女は男の金が好きなのに、頭が一万円札になっているだとか金持ちを記号化した男性キャラクターがいないのはどうして?
A.5000兆円欲しい!と言ってる人は5000兆円に性欲や愛情を感じているわけではないので頭部が5000兆円になったキャラクターのイラストを見せられても誰も飛びつきません
Q.女はお金持ちの男が好きなんだよね?
A.それはリアルの話です
二次元のキャラクターはどれだけ財力があろうとこちらを養ってはくれません
円盤、グッズ、雑誌、リアルイベント……金はいつも一方的に出て行くのみ
このキャラクターは公務員であのキャラクターは大企業の社長の次男ですと言われても人によってはまったく魅力的に映りません
逆に言うとリアルならお近づきになりたくない無職男性でも二次元なら安心して推すことができます
Q.ひと目で胸の大きさが分かる乳袋のように、ひと目で経済力があると分かる表現が少ないのはどうして?
A.少なくありません 経済力を示す表現はごく普通に存在しています
高級車を持っていたり、高級なスーツや腕時計や指輪を身に着けていたり、持ち物で示すことが多いです
Q.二次元でもお金持ちキャラが好きな人はいる それならやっぱり頭が一万円札に置き換わっている異形頭キャラが存在していてもいいのでは?
A.乳袋は女性が胸を着た際に生じる膨らみを誇張した表現で、服の仕立て方によってはリアルでも実現可能です
乳袋は学園モノでも異世界ファンタジーでも自然に登場させることができます
が、頭部が人間でないというキャラクターが一人でもいればそれはもう完全にファンタジー作品になってしまい、下手をすると世界観がちぐはぐになってしまうので出せる作品が限られます
また、金持ちの男性キャラクターを描くなら首から上も重要になってきます 成功者特有の堂々とした表情、高貴な育ちであることが伺える上品な顔立ち、整えられた髪型などの表現はほぼ必須です
異形頭と金持ち表現を両立させるのは難しいので描きたいと思う人は少ないのではないでしょうか
Q.三角様だとか映画泥棒だとか異形頭のキャラクターは多数存在するけど、そういった物を好む人たちが頭がお金の異形頭をデザインしないのはなぜ?
A.異形頭はフェチズムの世界なので、頭が金に置き換わった姿にフェチを感じなければ描きません
Q.女性キャラクターの乳袋と、乳袋を喜ぶ男性が気持ち悪いです
「頭部が一万円札に置き換わっている」という風に男性の経済力を記号化してアピールする描写が乳袋並に広まったら男性はこの気持ち悪さを分かってくれますか?
A.頭部がお金モチーフのものに置き換わった異形頭表現が大流行して女性にキャーキャー言われる世界は来ませんが
もし来たとしても経済力のあるアニメキャラクターが女性に人気が出ることについて苦言を呈する男性はあまりいないのでは?
こち亀の中川が金持ちだからと男性に妬まれていますか?名探偵コナンは高級車を乗り回す金持ち男性だらけですがそのことで叩かれていますか?
「金持ちの男性キャラクターが人気だなんて不快だ。コミケ会場にいるオタク女性が自分の財布を狙っているように感じて寒気が走る。財布をスられるんじゃないかとか、逆ナンされて言いくるめられて奢らされるんじゃないかという恐怖がある。気持ちが悪くなる」と男性が思うことはないでしょう
Q.頭が一万円札になったキャラクターを描いたら叩かれますか?
A.叩かれないと思います
いっそ頭がクレカや一万円札、DMMカード等お金モチーフの異形頭ばかり登場するとかお札になった偉人を題材にした恋愛ゲームなんて作ったら意外と面白いかも?
ただし、「どうせ女は男のことを金としか思っていないんだろう、俺は分かっているぞ」「私は女だけど男なんか金蔓でしかないわ」という風刺で悪意を込めて頭部一万円札化異形頭表現を使えば反感は買うかと
A.金カムの男性の裸表現を気持ち悪がっている男性もいるようなので性的消費には性的消費をぶつけた方が効果的かも
女性の乳袋に対応するのはストレートに男性の乳袋がいいかと思われます
A.どんとこい