はてなキーワード: しづとは
そもそも「子育てしづらい都心に固執している」のが問題だと言うけど、それって本当に現実見てる?都心に住む理由は単なる執着じゃなく、仕事や生活の利便性があるからこそなんだよ。
確かに、地方での仕事は限られているし、それに加えて地方の仕事が既に他人に占有されているという現実もある。都会でしか見つからない仕事も多いし、通勤に時間をかけるのも現実的には厳しい問題だよね。国家としてどうバランスを取るか、今後の政策が鍵になるよ。
でも、都会に集中することで、子育て環境が悪化するのも一理ある。それに対して、婚活支援や少子化対策もどれだけ効果があるかは疑問だよね。政策や社会の変化がどこまで実際に影響を及ぼすか、観察していく必要があると思うよ。
「わざわざ子育てしづらい都心に固執しておきながら子育てしづらいとか寝言ホザくな」っていうのは分からんでもない。
バカの一つ覚えみたいに大都市に寄って行くから子育てしづらいのは当たり前。
でも田舎でまともに育児しながら暮らせる仕事ってあんまり余ってないんだよな。
だから都心を離れたところでそもそも仕事にありつけなかったり、
結局長時間通勤で引き続き都心で働かざるを得なくて時間が減るだけって事になる。
「UNIQLOのサイト・アプリが視覚障害者には致命的に使いづらく、なんなら健常者も使いづらい」の件は、前から気になっていた。
このUI、誰にとって使い易いんだろう?という点で。
この縦スクロール型のUI、アパレル系だとたぶん先行事例としてZaraとかのUIがあって、さらに元を辿るとニュース系やSNS系アプリのUIが元になっているんだろう。
発想としては、パーソナライズされた情報がスクロールで表示されていくので、ユーザーは何も考えずに情報をスライドさせていって、気になるものがあればタップする、だから個々人にあった情報に辿りつきやすく、特定の目的かまたなくてもそれ相応の情報に辿り着くため離脱しづらいとか、そんな感じか。
ファーストリテーリングのアプリで、手元の端末に入っているUNIQLO、GU、PLSTなんかは同じテンプレートを使っているのか、同じように縦スクロールで動画やバナーが全面展開されるUIが採用されている。
問題はこのアプリを使う目的で、常に自分向けの最新情報・キャンペーン情報を何となく求めているヘビーユーザーのような人には問題ないのではないか。
常に最も新しい情報が、最も力強く画面全体に展開されるので、見逃しはないし印象も強い。何を訴求しているか一目瞭然だ。テキストではなく画像が視覚に訴えかける。
しかし、たまに思い立って「夏物のパンツを買いたいな」「黒いTシャツを買い替えるか」と思った人には、TOP情報は役に立たず、伝統的な検索からドリルダウンするような方法になる。明確な目的を持っているユーザーとしては、画面遷移の分の手間が増えている。
SNSやニュースアプリは良いのだ。事前にどういう情報があるのかは予期できないから。与えられた情報をスライドして見ていくことになる。しかし、同じ道理をアパレル系のUIにあてはめることは妥当なのかどうか。
今は過渡期なのかもしれない。ユーザーの「夏物のパンツを買いたいな」というニーズ自体を、端末やアプリ側が事前に予期できるようになれば。端末側でアプリを開くと同時に音声で目的を把握できるのであれば。
原作者は最終的なドラマの出来については満足していたということについてはどちらも認めているんだよな。
で、小学館の方で新たに発覚したのが「脚本家の例の投稿によって原作者は原稿が書けない状態になっていた」ということ。
これ読むと脚本家のSNS投稿が原作者の死のトリガーになったってハッキリ言ってるように聞こえる。
それがなければ制作中のトラブルはあっても「慣れない新人Pに担当されて大変な目にあったけど脚本家を追放してドラマ化大成功した件」で終わるはずだった。
日テレが再三主張している伝達のミスも、そもそも脚本家が「原作者の指摘を直接見たくない」と言い出したのが発端に見えるし、
SNS投稿の原因となった「9,10話に対して脚本家が協力などの形でクレジットを載せろという要求が通らなかった」ってのも、
それらが最終的に原作者の脚本で進んでいたことを考えると無理のあるゴネに見える。
・脚本家が見たくないと思ったほどの原作者の指摘とは具体的にどういった文面だったのか?
・9,10話には本当に脚本家のアイデアが一切(例え偶然にでも)使われていなかったのか?
・アイデアが一切使われていなかったとしても、脚本の作成を途中まで行っていた以上クレジットするというのは慣習として標準的なのか?
1つ目については両社の報告書にはやや怪しい部分がある。
原作者とのやり取りの文面は膨大な量になっているはずなのに、具体的に提示している文面は
「短大の設定を変更したこと」や「4話時点で入れ替えなどによる作品崩壊を指摘する文」など同じ箇所を引用しているのだ。
穿ち過ぎかもしれないが、他の箇所では表に出しづらい語調のものがあり避けた結果と考えることもできなくはない。
もちろん問題を考えるうえで様々な理由で被ったとは思われるが、
何にせよ大部分の文章は表に出ておらず、脚本家の要望が妥当と思える文面があった可能性は捨てきれない。
2つ目については原作者の脚本が丸ごと使われている以上ありえないように思えるが、
日テレの報告書では脚本家が「9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい」と要望した文面があり、
このことについて報告書ではスルーされている。(小学館側は知りようがないので当然不記載)
また、小学館の報告書によると、原作者はドラマの演出者からの意見を反映させて脚本を完成させたとある。
この演出者の意見がじつは脚本家の案を反映させたものであった、という可能性は無いとは言えない。
また、偶然原作者の脚本の内容が元の脚本と被っている部分があったとしても、
すでに現場から外れていた脚本家には流用されたとしか見えず、上記の要望へ繋がったとも考えられなくはない。
そして3つ目。
日テレの報告書で「状況を鑑みて脚本家の権利として商習慣上「脚本協力」のクレジットが表記されるのが当然」と脚本家が述べているが、
おそらくこれは最終的に使われなかったとはいえ「一旦は脚本を完成させるところまで作業をした」のにも関わらず、クレジットされないのはおかしいという話であると思われる。
例えばシン・ゴジラでは途中までひるね姫の神山健治が脚本を書いていたが、最終的に大まかな要素を残しつつ別物となったものを庵野が書き上げ、神山は企画協力というクレジットになっている。
これはオリジナル映画であり上山の要素もかなり残っているので当然と思われるが、
もし当人の成果物が使われていなくても途中まで参加していたメンバーはクレジットに乗せるという習慣があるのであれば、この要望は妥当であり、SNSで不本意を表明するのも妥当と言えることになる。
日テレも小学館も保身のためにより具体的な情報を出し渋っている傾向があり、これだけで特定個人の責任を論じるのは危険だと思われる。
「相手を人間として尊重しろ」「とにかく数を打て」ってブコメされてるけど、「女性と接するのが怖い」みたいな所に触れてる人がほとんどいないような気がする。異性と接することにトラウマを抱えている人はどうしたらいいの?
私は中学入学直後に、「階段で女子のスカートを覗いている」という根も葉もない噂を立てられた。女子からは露骨にキモがられてバイ菌扱い、カースト上位の男子には殴られるし蹴られるし暴言を投げつけられ、肉体的にも精神的にも辛かった。自分自身がキモいことを受け止め、誰にも加害しないように教室の隅でじっと本を読んでいても、向こうから突っかかって来るから、逃げ場はなかった。
すると、女性に嫌われる=社会的に死んで逃げ場すら無くなる、という思考回路が出来上がる。辛い思いを二度としたくないので、中学時代は徹底して女子から距離を取ってしのいだ。私からは絶対に話しかけない、目を合わせない、とにかく徹底して女子を避け距離を取る。今思えば逆効果だとも思うが、イジメられている状況では距離を取る以外に自衛のしようが無かった。
中学時代、私は異性から人間扱いされずバイ菌扱い、苦痛以外何一つ与えてくれなかった。だから、異性に対して尊重するとは?異性に何を与えればいい?私がしたことを、素直に喜んでくれる異性なんているの???
幸い、高校では男女問わず良い友人に恵まれたのだが、「相手を異性として尊重する」は全く分からないまま。友人として仲良くすることはできても、好きになった女子にどうやってアプローチしたら良いのかが全くわからない。大学も同じく、何をすればよいのか分からないまま、何も起きずに終わってしまった。
とにかく当たって砕けろ、数こなせと思われるかもしれないが、それだけは恐ろしくてできない。私には分からない理由で女子に拒絶され、また根も葉もない噂が立つかもしれない。辛いイジメに遭って、死ぬほど苦しい思いをするかもしれない。そんな生理的に強いブレーキが掛かるので、こんな風に誘えばいいとか、ネットにはこう書いてあったとか、頭で一生懸命考えたりしても、どうにも解決できない。
そうこうしている間に、時間がどんどん過ぎる。回りの友人は当たり前のように彼女を作る。自分だけが取り残される。さらに辛くなる。私のように彼女ができなくてしんどくなってる増田がボロクソに叩かれ、「まさに見た目より中身だよなという感じ。」とかコメントされているのを見て、私も中身がダメダメなんだろうなと思い、自己肯定感は更に低くなる。
「女性に嫌われても大したことは起きない」という体験を得るしかないのだろうか。アレルギーと同じで、摂取しなければ一生治らない。だが、少しでも摂取しすぎればショック死する。ショック死しない微妙な量を、少しづづ我慢しながら経験するしかない。しかし、それは意識的にできるものではないし。
だから、「相手のことを尊重しろ」とか、「自分のことばかり考えるな」とか、「とりまマチアプで数をこなせ」とか有り難いアドバイスを頂いても、やるせなく思うだけで終わってしまう。
逆に聞きたいんだけどそこまで酷い事されて何で女と関わりたいと思うの?
なぜそこまでしてパートナーがほしいのか?
等
誰かに受け入れてもらえる経験に乏しくて、それが羨ましく感じるから。異性として受け入れてくれる恋人の存在はその最たるもので、異性から愛されたことが無いし自分が愛することも許されなかったので、その欲求が人一倍強いのだと思う。
イジメられた中学時代でも、話しかけてくれたり仲良くしてくれた男子が一定数いたので、同性に対しては「酷い奴ばかりじゃない」と心理的に納得できるのが早かった。
しかし異性の場合、相手から話しかけてくれる機会が少ないので、心で納得できるのに時間がかかっている。
高校以後にできた異性の友人は、友人としてふつうに話しかけてくれるので、友人として仲良くなる所までは何とかなった。本当に感謝している。
だけど、自分が異性として見られるような経験は無いので、友人関係から一歩外に出ると未知の世界すぎて怖い。自分が持っている好意が、少しでも相手に知られることはマズイ、という強迫観念にかられて、結局何もできない。
どうしても入りたかった会社に新卒で就職したばかりなのでそれは絶対に嫌。
カウンセリングしたら?
幸い、就職した会社には臨床心理医のカウンセリングを受けられる福利厚生があるので、利用しようと思う。
ただ、勤務時間内に受けなければならず、当分はグループワークの研修などで忙しいので、どのタイミングで利用するべきかは悩んでいる。
事実だとわかるのは、
該当の脚本家は指揮権のあるプロデューサーに困惑や苦い気持ちをSNSで伝えたわけでもなく、
何故か2次創作者の立場でありながら同業者と原作者をSNSで批判したこと、
日テレもプロデューサーも出演者もそれを放置したこと、
ただこれだけだぞ
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
せめて下記のように発言すれば、よかったよね、これなら表立っては誰からも責められずに『私が書いたんじゃないから』をできた
『最後の2話は、な…なんと!!!原作者様がご自身で脚本を書いてくださいました!サプライズプレゼント🎁🎄でしたが、原作ファンの皆様にも喜んでいただけるような作品に仕上がったと自信を持ってお伝えできます』
こう言っとけば、ゴタゴタが取り沙汰されても、下記のように言えば全部問題片付いた
『このドラマの製作過程では、チームメンバーの間で様々な意見が飛び交いました。それは、原作のファンやドラマの視聴者に、最高の作品を届けたいという共通の想いがあったからです。原作者の方にも、貴重なご意見やご協力をいただきました。おかげさまで、素晴らしい作品に仕上げることができました。ぜひドラマをご覧になって、製作チームの情熱を感じてください』
それすらもしないで、2次創作者の立場で原作者をドラマ出演者と一緒の写真を添えて非難という傲慢な奇行、そりゃ燃えるよね🔥
どこぞの脚本協会だって、『著作権法第20条』が大事だって言ってるだろうよ
【日本シナリオ作家協会・脚本契約7原則】
(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。
(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合も著作者である脚本家が任意に利用できなければならない。
(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆、脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。
(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆 の場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。
(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者が負担しなければならない。
(6)氏名表示に関して著作権法第19条の規定を遵守し、宣伝・広告活動の際にも配慮されなければならない。
(7)著作権法第20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本を改訂してはならない。
確かに、ポリコレの要素が入ることで物語の自由度が制限されることもあるかもしれない。けれど、それが本質的に作品の面白さを損なうかどうかは、また別の話だ。たとえば、昔ながらの冒険譚に多様なキャラクターを加えることで、新しい視点や深みが生まれることもある。多様な背景を持つキャラクターたちが、それぞれの価値観や経験を持ち寄ることで、物語が豊かになる場合もある。
俺が最近読んだ小説でもそうだった。主役は、障害を持つ探偵と彼の友人であるトランスジェンダーの医師。最初は、これもポリコレかと斜に構えていたけれど、読んでいるうちに、彼らの背景が、物語の中で重要な要素として機能しており、むしろ物語に深みを与えている感じがした。
一方で、ポリコレを意識しすぎて、不自然に感じる作品もある。登場人物がステレオタイプに描かれ、ただの象徴として扱われているように感じる時だ。そんな時、確かにつまらなくなる。キャラクターがただの「役割」以上の存在にならないと、物語は深まらないし、感情移入もしづらい。大切なのは、キャラクターが生き生きとしていて、その存在が物語にとって不可欠であることだ。
結局、ポリコレが作品をつまらなくするかどうかは、作り手の力量にかかっている。キャラクターやテーマをどう描くか、どれだけ物語に自然に溶け込ませるかが肝心だ。そして、受け取り手の気持ちも重要だ。読者や視聴者が作品に対してオープンな心を持っていれば、新たな視点や価値観に触れることで、むしろ作品の楽しみが増すこともある。
男性の自殺率が高いのは「弱い」からだけなのか? 統計データから読みとく
男性の自殺率が高い背景には、複雑な要因が絡んでいます。厚生労働省の統計によれば、日本の自殺者数は男性が女性の約3倍1と、先進国の中でも高い水準です。以下に、男性の自殺率が高い理由を考察してみましょう。
性別による偏り: 長年にわたって、男性の自殺者数は女性よりも常におおよそ1.5~2倍も多い傾向があります2。2020年4月から10月までの自殺者数を男女別で確認してみても、どの月でも男性の数が顕著に多いことがわかります。男性という性別が自殺に影響を与えていることは明白です。
社会的圧力と男らしさ: 男性は「弱音を吐けない」という固定観念によって、自分の弱さや不安を表現することを避けることがあります。特に中高年男性は、このような社会的圧力を感じやすいとされています3。男性は「男らしさ」の枠組みの中で長年培ってきたノウハウが、現代の環境変化に適用しづらく、不安を抱えていることがあります。
経済的・家族関係のストレス: 経済的な困難や家族関係のトラブル、社会的な閉塞感、感染に対する恐怖心など、多くの要因が考えられます。特に経済的な問題は男性に影響を及ぼしやすいとされています。
自殺対策の重要性: 自殺対策を立てていく際には、これらの要因を慎重に分析し、適切な対策を講じることが必要です。男性だけでなく、女性や子どもの自殺対策も重要であり、日本全体で対策を進める必要があります。
自殺予防には、社会的なサポートや心のケア、適切な専門家の支援が必要です。4 また、男性自身が「弱さを見せてもいい」と感じられる社会環境を整えることも大切です。
by Copilot
たぬかなが知人男性の自宅に行き、セクハラを受けたことに激怒していたことを今更知った。
松本人志の性加害告発に「ホテルに行った方が悪い」と自己責任論を唱え、嘲笑していた人が。
矛盾を指摘されると「元々参加予定ではなくどうしてもとお願いされ」「パーティー終わり際に顔出しにのみ」「STFさんの自宅でお友達を呼んだパーティーで」とあれこれ違いを並べ立てているが、ホテルであれ男性の自宅であれ「性行為が起こりうる異性との密室」に行ったという点は変わらない。そしてどちらのケースでも女性側の認識(どんなつもりで行ったか)と、実際に起きたことには違いがあり、どちらのケースにおいても性犯罪は正当化されない。
松本への告発内容はこうなっている。小沢に誘われ複数人で六本木で飲み会をする予定だったが、当日になり「写真に撮られるとまずいので、ホテルで部屋飲みにって感じになりました」と、LINEで飲み会の場の変更を伝えられる。また「少しでも粗相があればこの界隈を歩けなくなる」と念を押されており、不安を感じてもドタキャンをしづらい状況に置かれる。行くとスマホを没収され、松本氏から腕力による性的暴行を受ける。そこから精神科に通院するようになる。
これらが事実であれば、直前に「週刊誌対策で、飲み会がホテルの部屋飲みに変わっただけですよ」と伝える時点で、相手方に錯誤をさせる意図がある。あくまでも予定通り、これは複数人による健全な飲み会でしかないと。そこに社会的立場による心理的脅迫、直前に予定を変えることで十分に意思決定する時間を与えない、今の法律でいうなら不同意性交等罪の構成要件にしっかり当てはまることをしている。これでは自由な意思決定により、性行為があると認識して「部屋飲み」に行ったとはとてもいえない。仮に認識していたとしても暴行していいわけでもないが。このあたりはLINEで電磁記録として残っているはずだ。
たぬかなの「30万の高級ホテルに〜」という主張は、外で普通の飲み会をするつもりだった女性たちには関係のない話で、誘き寄せた側の選択だ。むしろ高級ホテルにおける打ち合わせや二次会は珍しくないことから、「週刊誌対策で部屋飲み〜」という口実に沿った安心感を与えるロケーションをうまく選定している。話通りであれば、女性たちは参加によって30万を受け取ったわけでもなく、宿泊もしておらず、ただ暴行されて帰っただけだ。
「まんこ二毛作」ともいえない。LINEに残っているように、途中から名の知れないVIPが来ることを知らされ、場所も変えられた時系列なら「まっちゃんに枕営業をする目的で近づき・・」とはとても言い難い。女性たちに枕営業をする姿勢が少しでもあるなら、LINEで錯誤させたり脅したりする必要性もない。長年の通院記録があるならば、人生を壊されたことに対して週刊誌の取材料なんてとても割にあわないものだろう。このまま予定通りに証言者として法廷に立つならば、時間と体力を消耗し、偽証罪に問われる社会的リスクも負う。30万もする高級ホテルに行けた上に、話したらお金になってお得だったね ♪ なんて侮辱は軽々しくするべきじゃない。
当初はよく状況を理解せずに「まんこ二毛作w」と叩いたとしても、嘲笑的なスタンスが全く変わっていないことが残念だ。いつか、当時この人の主張が支持されていた社会は異常だったという扱いになると思う。
ではなく、昨年後半から始まった「主審のポジショニング変更」がFC町田ゼルビア(以下「町田」)に極めて有利な方向に働いてるからだ。
昨年後半あたりから「主審 邪魔」「主審 パスコース(をふさぐな!)」というポストがXに散見されるようになり、今年はJリーグの試合のある週末は50-100件くらいポストされるのも珍しくなくなってきた。
その原因として、どうやらFIFAから「主審はなるべくプレーエリアに近いところで見るように」という通達が出ており、その影響が挙げられる。
例えば26日に行われた浦和-町田戦の町田決勝PK獲得の直前のシーン。
画面右下の浦和11番ソルバッケンがバックパスをしようして町田の選手に当ててしまい、そのボールが流れて町田のPK獲得の起点となった場面であるが、ソルバッケン選手の動きをよく見ると、前方(画像左側)のセンターサークル内の浦和の選手にミドルパスを出そうとしていたフシがある。
しかし、この画像を見れば良く分かるが、センターサークルへのパスコースを主審が塞いでしまっており、パスを出しづらくなっていた。
https://i.imgur.com/3oZ4dup.png
そのため仕方なくソルバッケンはバックパスで逃げようとするも迫ってきた町田の選手に当ててしまい、攻め込まれてショルツがペナルティエリア内で町田の選手を倒してしまう・・・という流れだ。
2020年前後のJリーグは川崎フロンターレと横浜FMに代表されるボール保持型のチームが覇権を握っていた。2017-2022の6年間で川崎4回、横浜が2回優勝していた。
2022年の横浜FMのゴールシーン集を見てもらうと分かるが、常に主審がプレーエリアの外側にいるか、居たとしてもパスコースをふさぐ位置に居ない。これが2022年までのJリーグの主審のポジショニングだった。
https://www.youtube.com/watch?v=33o8EVYSi-w
しかし、2023年からルールが変わった。プレーエリアの中に居ることを要求された結果、主審が攻撃側のパスコースを1つ2つ潰してしまうことがデフォルトになった。
これは25日の新潟(保持型チーム)vs福岡(非保持型チーム)戦のあるワンシーンである。オレンジ色の新潟の選手が左斜め前にパスを出そうとしており、実際そこに出せれば大チャンスとなるはずだが、そのコースは主審が消してしまっていて出せない。
https://i.imgur.com/ua9rokr.png
結局左横の別の選手にパスを出すことになったが、攻撃としてはワンテンポ遅れる形となった。もちろんこの攻撃はチャンスにすら至らず終了。試合も新潟が0-2で敗れている。
https://i.imgur.com/q7kWclY.png
つまり、主審が守備側のDFの一員と化してしまい、川崎、横浜、浦和、新潟などの「保持型」チームは、常に11人対12人で試合をやっている状況に近くなる。
前方にパスしたくてもそのコースは主審がふさいでいて出せない、仕方なく横か後ろに戻そうとしても、そのタイミングでプレスを掛けられてボールが奪われて大ピンチ・・・というのが今年のJリーグの日常風景なのだ。
そして、町田や福岡のような「非保持型」のチームは、ボールを奪ったらすぐに前にボールを出して攻め上がるが、その時点で主審が自分達よりも後ろにいるか、前に居たとしても縦へのロングボールで空中から追い越すかサイドから容易に追い越すことができるため、主審のポジションニングの影響を受けにくい。守備時は12人対11人、攻撃時は11人対11人という状態なのだ。
その結果、非保持型のチームが好成績をあげやすくなる。
5/26時点で、首位の町田はボール保持率19位、2位の鹿島と4位のガンバ大阪は保持率は比較的高いもののそれでも7位と8位、3位のヴィッセルは保持率10位、5位の名古屋は保持率17位だ。保持率の最下位(20位)は福岡だが、リーグ順位は11位と中位。J1の中では下から数えて5本の指に入るチーム予算を考えたら大健闘だろう。
そして保持率トップ5は上から新潟、浦和、横浜FM、川崎、札幌だが、それぞれリーグ順位は16位、6位、14位(3試合少ないが)、15位、20位だ。
スポーツベッティングの普及が噂されている。サッカーの試合は賭け事に使われるのだから、賭ける側が結果に納得できるよう、主審はなるべくボールに近い位置でジャッジしなさい…というロジックだ。本当かどうかは知らない。
少なくとも、今年のJリーグはボール保持率が低い方が勝てるように変わっている。その大きな原因として、主審のポジショニング変更が挙げられる。
もちろんそれだけで町田の大躍進を語りつくせるわけではなく、非保持型のチームの中でもトップに居られるのは監督の手腕によるところも大きいが、今の町田の戦術が主審のポジショニング変更によって大いに活かされているのは疑いのないファクトだろう。
知り合いの個人経営者の人がゴルフ好きで話を聴いたことがあるが、
・とにかく上達しづらい、調子よくなったとおもっててもすぐまた元のダメなスコアに戻ってしまう
・毎年毎年たくさんの新しい道具が発売されるがそれで目立って成績が良くなるわけなどない、だからみんな中古ゴルフ道具屋で型落ちを買う
・天候の変化にとにかく厳しいスポーツ、なのに多少の風や雨や雪でもやる、落雷もしょっちゅうで怖い
・ゴルフ場とにかく遠くて不便、コンペは早朝からが常なのでより早く出掛けなくてはならない
・スポーツというよりはそれで知り合って繋がったたくさんの経営者の人達との人脈に価値があるとおもっている😤
ということやったで
色々思うことがあったので補足をする
前提知識編
本編
蓮舫さんが無所属で出るのってなんで?幅広い支持得たいときに立憲民主党所属って肩書だと、他の政党支持者が応援しづらくなるのってどういう考えなのかよくわからん。
誰か解説してくれー
はじめてこんなに反応もらったわ。色々教えてくれてありがとう。
通例、慣例だとかは他の首長選や地方議員選見てると、同じように無所属で出る人多いなーとは思ってた
今回は蓮舫さんが出馬するってニュースの見出しのほとんどに無所属で出るって書いてあるから、それって果たしてなんでなんだろうって思ったのよ。それを咎めるような与党系のメディアだけじゃなくて、左派メディアも軒並み無所属で出馬って書いてるし。
あんだけ立憲民主党のアイコンとして立場もあった人なのに無所属って肩書で出れば、立憲を応援しづらい層も応援できるっていうのはそういうものなの?
自民の人が無所属で地方首長選出れば、国政で自民応援していないひとも支持しやすくなるの?そんな人はそもそも自民で出てても支持するんんじゃないの?
という感じでした。
色々教えてはくれたけど、これはこういうもんって感じなんかね。