はてなキーワード: あやふやとは
よく誰かを批判する時に「あいつは中身がない」とか「中身からっぽの人間」とかいうけど、自分には「中身がない」という言葉の意味がよくわからない。
どういう人なら「中身がある」と言えるのだろうか。こういう批判をする人々は、自分のことを「中身のある人間」と捉えているのだろうけど、彼らを見ていても中身があるのかないのかよくわからない。
世間の内定習得率は65パーセントらしい。私はまだ35パーセントの中にいる。
自分なりに、去年の夏からやれることはやってきたつもりだった。すべては今後のため。何十年かはわからないけど、人生の殆どを過ごす会社くらい、自分が一番希望したところへ行きたいと思っていた。
もうすぐ6月も後半。内定はひとつもない。何時間もかけて書いたESや履歴書。早起きをしてお金を払って都心まで行って、練習したとおりに言葉遣いや笑顔に気を配って質問に受け答えをして。それら労力のすべてが、二週間後くらいには数行のメールに変わる。書いてあることは同じ。
「誠に申し訳ございませんが、採用を見送らせていただくこととなりました。貴殿のご健勝をお祈りいたします。」
何が悪かったのか。考えてもわからない。ご縁は目に見えない概念だ。はっきりと態度が嫌だったとか、適性検査の結果がだめだったとか、言ってくれればこちらだって次に繋げられるのに。ご縁はどうすれば改善できるのだろう。
志望していた業界の企業はほとんど選考を締め切ってしまっている。いまから業界を変えて、研究して、また志望動機を考えて……気が遠くなってくる。そもそもいまから募集を始める企業なんて存在しているのだろうか。
友人もほとんど就活を終えて、髪を染めて、楽しそうに旅行の話をしている。学校に行って、普通に話していても、気を遣われているのが痛いほど伝わってくる。「あなたにあう企業がきっとある」「まだ始まったばかり」「これからが本番」「いつかきっと報われる」……4月にも5月にも同じことを言われていた。正直もう、ポジティブな言葉は聞き飽きた。はっきりいってくれ。何がだめなんだ。私はそれほどまでに社会不適合者なのか。
面接へ行くのにはお金がいる。アルバイト中、男性に怒鳴りつけられた。店で買ったストップウォッチが不良品だという話だった。商品を詳しく見ると、絶縁テープがついたままになっている。あれ、と思って外してみると、やはり商品は正常に動き始めた。するとその様子をみていた男性に、何故だかもっと怒鳴られてしまった。絶縁テープをひっぱれなんてどこにも書いてなかった。返金しろ。レジの前で、何人もが見ている中で激しく叱られた。男性はスーツを着ていた。男性たしかに、立派なスーツを着ていた。彼は社会に求められている。私とは違う。私より、この男性の方が社会的価値がある。この人は就活を何十年も前に終えて、人として認められている。
何が何だかよくわからない。カンボジアへボランティアへ行ったら偉いのか。ニュージーランドへ留学へ行ったら偉いのか。自ら主体的に動いて部活動の問題を解決したエピソードがあれば、なにかコンクールや大会で入賞した経験があれば、あるいは。
今までの人生、就活のために生きてきたわけではない。高校受験、大学受験、自分が行きたいところに入学した。一連の流れに特別性はない。ほかの人は違うのだろうか。みんな何か特別なことを成し遂げてここに立っているのだろうか。
家に帰ると母がスーツ姿の私を傷つけないように、傷つけないように、と言葉を選びながら就活の進捗を聞いてくる。最終面接二つ受けて結果待ちって言ったよね。ごめんね。あれ昨日二つとも不採用のメールがきたんだ。また最初から頑張らないといけないの。そんなことがずっと言えないままで、大丈夫だよとか、心配しないでとか、あやふやな言葉しか出てこない。
私には兄が二人いて、父親がいない。兄は高卒で、いまはアルバイトをしている。母も高卒だった。だから大学に行かせてもらって就活をしているのは私しかいない。そんな私がこんな失敗作で本当に情けない。申し訳ない。こんな私が、何の役にも立てない私が家でのうのうと、お母さんがパート終わりで疲れてるのに作ってくれたご飯を食べていていいんだろうか。生きていていいんだろうか。毎日何をしててもそんなことを考えてしまう。
気に入っていた茶色い髪も、楽しみにしていた友達との旅行も、大好きな服を買うお金も。全部全部あきらめた。流行りの服も、メイクも。お気に入りのスニーカーも埃をかぶっている。毎日毎日、リクルートにパンプス、“適切な”メイク。そろそろもう、限界を感じている。
生きていることに理由がない。死ぬことにも理由がない。だから自殺なんか考えたくない。就活に疲れて自殺なんてバカバカしい。わかっている。分かっているけどふと、ホームで電車を待っている時。家に一人きりでいる時。信号待ちをしている時。今なんじゃないか?という声が聞こえる。頭の中でもう一人の自分が必死に死を促してくる。死にたい、という気持ちがあるわけじゃない。ただ、そうした方が楽なんじゃないか?と投げかけてくる自分自身がいる。
なんだかもう、ひどく疲れた。近くない、けれどきっと遠くもない未来、情けない私が愚かにも自分自身の誘惑に負けて、親を悲しませる選択をしてしまったら。そのときは私の実名と、そこに至った経緯が全国へ公開されて、偉い人がニュースで語り合ったりするのだろうか。
そうなっても、いいのかもしれない。
追記
こんな鬱々としたユニークさの欠けらも無い長文に目に通してくださってありがとうございます。
いくつか思ったことを箇条書きに。
・誰かを無差別に傷つけたいわけではありません。それだけは絶対にありません。
・ニュースで取り上げられる云々は私の浅はかな想像の産物であり、例としてあげただけで、別に目立ちたかったりしたい訳ではありません。文章が下手ですみません。
・他人よりも不幸ではないといけないのですか?個人の裁量では勝手に絶望してはいけないのですか?
一部の優しい方々、励ましのお言葉、はっとさせられるお言葉、ありがとうございました。不甲斐なさで涙が出てきました。しっかりと受け止めて、今後に生かしていきます。
もう少しだけ、がんばろうと思います。
お付き合いくださりありがとうございました。
同じ地区の幼馴染
彼女の恋人が私の行っていた大学の方の地方の出だったとか、そんな縁だったと思う
面倒見の良い振る舞いは小学生の頃の印象そのままだった
私は妹の名前で呼ばれながら最後までそれを訂正することなく電話を切った
それ以上彼女と連絡を取り合うことはなかった
彼女にとって私は名前すら妹とあやふやになる程度の友人であった
きっと彼女は私というよりは私の家と友だちだったんだろう
○○さん家の娘さん と友だちづきあいしている、という解釈なのだ、きっと 親御さん達目線の
普通の人の記憶がいいかげんであること という理解もできるけどたぶんそうじゃない
彼女が私を私個人として認識していなかったと考える方が適切な認識だと思える
もう十数年前の出来事になるが、ふと思い出したので書く
前年に兵庫県から放出され、四国が獲得していた淡路島の帰属があやふやとなった。
もともと淡路は阿波国の一部だったこともあり、島の民衆は"四国"として独立運動を開始。
中国側の人海戦術に苦しめられ淡路・南あわじの両市を失うが、洲本城跡で頑強な抵抗を続け戦線は膠着。
そんな折、前年近畿から放出され独立していた"わかやま国"が四国側での参戦を決めたことで四国有利となり、ついに独立を獲得した。
◆人口 14万人
◆主要産業
・たまねぎ
明石海峡大橋は過激派の襲撃で焼け落ち、復旧のめどはたっていない。
代わりに友邦"わかやま国"との間に橋を架ける計画が進行中である。
"わかやま国"はアドベンチャーワールドとグリーンピア南紀に収入の大半を依存しており、
コトバンクで悪いが
一般的には特別な職業訓練を受けていない未熟練労働者を指すが,外国人労働者の受け入れ問題について議論されるときは,「いわゆる単純労働者」という言葉が用いられている。単純労働者とは入国を認めうる専門的な技術・知識を有する労働者との対比で用いられており,無技能・未熟練労働者のみならず,販売員,家事サービス職業,技能工などある程度の技術・技能・知識等を有する労働者を含むものである。
https://kotobank.jp/word/%E5%8D%98%E7%B4%94%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85-159943
"一般的には特別な職業訓練を受けていない"という定義なら営業マンなんかも当てはまってしまうし、"販売員,家事サービス職業,技能工などある程度の技術・技能・知識等を有する労働者を含む"なら、学士レベル以上の高等教育を受け且つそのノウハウを活かせる職種に就いていない者は総じて単純労働者と呼んでも無理はない気がする。
80年代に中森明夫が提唱し軽蔑し、90年代岡田斗司夫が再評価したこの奇特な人々の定義が未だあやふやだ。
おたくとググってもウキペディアですら明確に決まってないと書いてある。
感想とか戯れ言。
当方女性なのだけど、ToLoveるは始まった初期から目を通してきてる。
女の子が可愛いし、連載初期からキャラデザインが飛び抜けた感があったので気になった時に何気なく読んでた。
絵面が目覚ましい成長を遂げてるのと、初期より作者が描きたいものを思いっきり描いてる感が伝わってきて良い。
また、ストーリー面でも初期より方向性とキャラの成長がはっきりしているから、エロ描写が過剰でも楽しめた。
ダークネスを読んで好きになったキャラとしては、ナナ、メア、モモ、九条先輩、春菜ちゃんなど。
普通だったらずっと脇役で終わりそうな彼女みたいなキャラをメインにして話を引っ張らせたのはすごくいい話の作り方だったし、
当然残念だった部分もある。エロ描写の過剰さはもともとそういった方向性がはっきりしてたから、自分としては特に気にならない。
ヤミちゃんにもうちょっと暗殺業をやめて地球に住む理由づけを与えたほうがよかったのではと思ってしまう。
魅力的な絵面で、引き立つキャラが多い分、最初っから思い切ったエロに走らなくても、よかったのではと度々思うのだけど、
エロとToloveるは切り離せないトレードマークになってしまってるから仕方がない。
あとは、結城リトがエロいハプニングを引き起こす舞台装置からあまり進化していない点。
実を言うと、意思があやふやなリトより、わかりやすい猿山の方が好感が持てる。
ヤミちゃんがダークネスから救ってもらったことで感謝の意を伝えようとしているときにいきなり謝るなよ。
せっかくリトとヤミの関係性に発展が見られると思った時にまたエロで片付けられた時はムカついた。
ネメシスを救った理由が「女の子だから無条件で助けるぜ」みたいな感じでデビルーク王が納得してた時はどこか絶望した。
せっかく春菜ちゃんとくっついたんだから、とっとと、ララと他の女の子達に伝えて断る描写が見たいけど、
でも作者は最初っからモモの期待を打ち砕いて、春菜ちゃん一本筋で行くことを決めてたんだろうなとは思う。
あとは、あの状態で終わってもToloveるらしいエンドと言えるし、リトが涙を流したのも、ララが春菜ちゃんに勝ち目がないことがはっきりしているからだとも思う。
個人的にはリトが引き起こしてきたトラブルの原因はララの発明品が絡んでいたとか説明されるのかなと思ってたけど、その病気?を解決しようとするっぽい話はあったものの、
そのまま横流しにされたのは残念だった。
https://anond.hatelabo.jp/20180518014142 の続きです。
2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。
レポートや感想というよりは感情の吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います。
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
・基本的に自分の千早観丸出しなので独善的解釈を多く含みます。
●公演の概要
●感情の整理。
●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。
MC後半は色々とMRのイベントとしての演出が光っておりとても魅力的でした。
最後に歌うソロ曲に向けて何か励ましがほしいという千早が、プロデューサーを座席で指名して一言もらうシーンはとても千早的な受け答えでよかったです。
私はあの場面で千早への愛を叫んでくれたGの15番さんに敬意を表したいです。
MC前半のひりついた緊張感と重苦しい不安を含んだ空気(進んで味わいたいとは決して思えない空気です)は、ひとえに会場に居る人たちの千早への愛と思いの大きさゆえに発生したとも感じていて、その愛自体は尊いものだと考えています。
Gの15番さんの言葉に、私はその理解は間違ってないのかもと感じています。
千早は「そういうのは今言うことではない」と一蹴しましたが、そんな彼女らしい回答は私を安堵させ、言葉のとげとげしさとは裏腹に心を暖かくしてくれました。
MCパートはところどころまだ千早が現状に納得できず申し訳なく思っていることに触れつつも、私達のよく知る千早らしい会話をしてくれたのでいくらかほっとしました。
心配は拭い去れなくとも、何とかライブをやりきろう、やりきる千早を応援しようと言う感覚を少しずつ得られてきていたと覚えています。
また、これは千早公演共通の演出だったようですが、プロデューサーからリクエストをもらった曲を一節アカペラで歌ってくれるシーンがMCにありました。
3部公演では声の調子が悪いからボイスレッスン?で確認したいといったような文脈だったと思います。
正直ひやひやだったのですが、ここではかなり安定感を取り戻したしっかりした歌声を聴かせてくれました。
それでも最後の曲が「眠り姫」だとしっている今、心中穏やかなプロデューサーはいなかったのではないかと思います。
この辺から時系列がいよいよあやふやなのですが、千早は仕切りに自分のパフォーマンスが不十分なことで、今日来てくれた人たちの期待を裏切ってしまったのではないか、満足してもらえていないのではないか、ということを話していたと思います。
この言葉をきいて、私はやはり千早が自分の強い意思で、不調ながらも舞台に立とうとしたのではないかと考えるようになりました。
たぶん彼女は自身の体調不良のせいで中止にしたり、ソロパートをなくしたりと言うことが一番期待を裏切ることで、それだけはしたくないと思っていたのではないかと、今改めて思います。
そういうところをゆずることが出来ない、彼女の頑なさは皆さん知っての通りで、そこが彼女の魅力でもあります。
最後の曲を歌うときの衣装を選ぶというイベントもあって、「オーロラディーヴァ」かビキニかの2択をプロデューサーにきいて決めるというものでした。
さすがにこの流れでビキニは着せられないと皆が思っている中、「おなかを冷やすのはよくない」というとても暖かく、やさしさのこもった声を上げてくれたプロデューサーのおかげで、無事千早はオーロラディーヴァを着ることになりました。
私はこのプロデューサーにも勝手にとてつもなく感謝していて、千早の体を気遣う言葉をしっかりと彼女に伝えてくれたことは、この公演でとても重要なことだったと思っています。
千早はとにかくパフォーマンスが期待を裏切っているのではと気にしていました。
そのことに引け目を感じていたようですが、それはそれとしても、あなた自身が何より大切なのだ、ということが千早の体を気遣う言葉から、ほんの少しでも伝わったのではないかと思っています。
だからこそ「おなかを冷やすのはよくない」と言う言葉の優しさが貴重だったと思うのです。
千早は頑固なので自分が満足いく歌を歌えないことには結局悔しさをもつでしょうが、それはリベンジの機会を一緒に作ることでも克服できるはずです。
私は千早を大切にする言葉をちゃんと伝えてくれたプロデューサーを尊敬しています。
短絡的な私にはかなわなかったことです。
ちなみにオーロラディーヴァは私がステラステージでずっと千早に着させていた衣装だったので目頭が熱くなりました。
千早が「好きな衣装を選んでいいと言われて選んだ」といっていたので余計に涙腺に来ました。
でもたぶんみんな着せてると思います。とても似合うので。
最後に、ラストの一曲どうなるか分からないけど何とかやってみるといった趣旨のこと(ディティールがぜんぜん思い出せません。まったく違うこと言ってたかも)を話しつつ、後半のユニットパートへと移行して、千早は一時退場しました。
その声にはまだ不安が感じられました。もちろん私の胸の中にも不安はありました。
後半のユニットパートは所謂全体曲的なチョイスになっていて非常に豪華でした。
千早のためにも、このパートはめいいっぱい楽しんでやる!と思っていました。
どうしたって千早を心配する気持ちはずっと有りましたが、それでも私をわくわくさせて、楽しませてくれる曲がたくさん聴けました。
765ASのアイドル達が1人残らず魅力的だったおかげです。
本当にすばらしいアイドルたちです。私は勝手に彼女達が千早の窮地を助けてくれたと思っています。
私が心から愛する曲であるMUSIC♪が聴けたことは本当にうれしかったです。
音楽に壁はないのです。
いよいよです。
「arcadia」のところではぜんぜん触れませんでしたが(正直見ている余裕がなかった)ソロ曲はリアル人間ダンサーさんとアイドルのコラボレーションがあり、「眠り姫」にいたっては千早がリアル物理椅子に座るという演出がありました。
大変挑戦的かつドラマティックな演出で可能ならもう一度意識がはっきりした状態で拝見したいです。
この曲の間は、ただただ千早が歌いきることを祈るだけでした。
なにも出来ませんでした。私はただ祈るだけでした。
千早の歌声は「arcadia」の時点よりは安定していましたが、やはり苦しいものでした。
ところどころかすれながら、それでもあきらめず、何とか最後まで。
最後の超高音部分はアドリブで音を下げて(楽典など納めてないので詳しくは分かりませんが低音に向かって解決するように最後の3音を調整?)して対応していました。
私はその対応力に(音響監督などと打ち合わせしていたのかもしれませんが)感動し、安心もしました。
おそらく千早自身が一番納得していないということは分かりつつも、何とか最後まで歌って終われたことに安堵し、拍手を送ることしか出来ませんでした。
もはや避けがたい不安を抱えながらも、今日をやりきった千早に必死に拍手を送りました。
最後まで千早は自分のパフォーマンスが訪れた人たちの期待を裏切ってしまったのではということを気にしていました。
「今日来てくれた人はこんな結果になって怒っていないだろうか」という彼女の言葉には、なきそうになりました。
彼女は最後まで如月千早に会い来た人たちのことを思っていました。
彼女は最後に、次の機会がもらえるなら今度は必ず満足できるものをみせるという約束をしてくれました。
これはおそらく18日や27日に残っている公演の事も含みつつ、もっと先のことをさしていたのではないかと今は思います。
たぶん千早は今回の開催機関の中では今日しか会いに来ることのできない人たち、今日如月千早に会うことを、彼女の歌を楽しみにやってきた人たちのことを思っていたのだろうと思います。
彼女が最後に残した「約束」をかなえることができる舞台を、必ず実現させなくてはならないと強く思います。
彼女が私達にしてくれた、彼女が彼女自身にむけて結んだ約束を果たす機会を必ず。
友人と一緒に訪れていた私はその後、食事がてら上記の思いについて聴いてもらったりしました。
忍耐強い友人は私が一方的に話し続けるのをうなづきながら聴いてくれました。
こういうのははやくまとめたほうがいいのかもしれません。
このときの私は、「最初はとめたかったけど途中から自身を賭して歌う千早を応援することにしたのだ」といったことを話し、自分の感情にも整理が付いたと思っていましたが、ぶり返して今こんな怪文書を書いています。
今回、如月千早はのどに不調を抱えたまま無理に舞台に立ち、歌いました。
未来のある、大切な身を削って歌いました。
彼女が一番好きなこと、歌うこと、それを賭して。
第1部,第2部では本調子ではないにせよ、ちゃんとした舞台にはなっていたと伺っています。
ただ第3部はそうはならなかった。本格的にもう歌えないというところまできていた。
そんな状態で歌を歌う。あってはならぬことです。取り返しの付かないことになるかもしれない。
体調不良を分かっていながら歌うことを強いることなど言語道断、たとえ彼女が望んだとしても、強引にでも止めなくてはならなかったでしょう。
それでもなお、私はこの公演をやりきった千早をほめてやりたい。
「よくやった」、「がんばったな」、「立派だったぞ」、「絶対リベンジしような」そんな言葉をかけてやりたい。
彼女を待つ人のために、会いに来てくれた人たちのために、身を削った彼女をたたえてやりたい。
そんな彼女の優しさと誇りと覚悟にありがとうといってやりたい。
最後には声もかれながら、それでも最後までやりきった彼女をほめてやりたい。
「無茶させてごめんな」と謝りたい。
注意:ここから先は今井麻美さんについても必要な場合は言及いたします。
とにかく今回の公演は事件でした。とんでもない公演でした。
千早のこと、アイドルのこと、色々と考えさせる公演だったと思います。
今回の出来事を踏まえつつ、今後のアイマスと如月千早のために私がやっておいたほうが良い事はなんだろう。
具体的に出来ることは何か有るだろうか。ということを少し考えてみました。
ただしここでも理性は感情の1/1000程度しか機能していません。
したがって「やっておいたほうがいいこと」の内容についても、その実現のための方法についても私の独善的感情がだいぶ入っています。
ここで言う理性というのはあくまでMRの世界から一歩離れて、現実世界のアイマスというコンテンツと向き合うぐらいの意味合いだと読み返していて感じます。
1.如月千早の約束をかなえる⇒リベンジのMR公演を実現させる
2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ
まずなぜこれを実現したいかですが、話は単純で約束だからです。
何の憂いもない万全の状態で挑む彼女の全力のライブを観たいからです。
如月千早が結んでくれた約束を果たすために私達にできることはなんでしょう?
目指すところは単純で、MRの公演機会をたくさん作るということだと思います。
今のところ如月千早がああいった形で私達に会えるのはMRの劇場しかないので、これしか手はありません。
そうなると具体的手段で、貢献・実行できそうなのは下記ぐらいかなと考えます。
長すぎて途切れたのでその3に続きます
お昼休み、TLを遡っていたらとある記事が目に入りました。わりとインパクトのあるタイトルに、少しの違和感を抱きながらリンク先の記事を読んで絶句しました。あまりの酷さに。
私もわりと適当なこと書いてる自覚はありますが、それはあくまで匿名の、個人のSNSだからです。無料記事といえど報酬が発生し、PNといえど名前付きの記事がこんなに適当でいいのかとびっくりしました。
すごく腹が立ったのでリンクは貼りません。けれども性格が悪いので一部抜粋して揚げ足取ります。
・ファンたちは「課金をしないとサービスが終了してしまう、だから私は課金する!」、「推しを殺すわけにはいかない……」とアプリの収益を我がごとのように心配し、いわゆる“廃課金兵”を自称するほどに愛情を注ぎ込むファンも少なくありません。
⇒多くの廃課金はサービス終了とか全く考えずにガシャを回してると思います。そりゃ確かにイベントのアクティブを心配することはあるけれども、基本的には自分がそのカード(ドリフェスならドリカ)が欲しいから課金するのであって、常にトップセールスの順位とにらめっこしたり、そんなたかが1人の廃課金でサービス存続の有無を左右できるなんて思ってるオタク少ないのでは。
・さらに、メインキャラクターの声を担当するのは声優ではなく、全員芸能事務所所属の3次元の若手アーティストたちというのも、他に類をみない取り組みでした。
彼ら自身がキャラクターと連動しており、キャラクターの声を担当するだけでなく、各地で行われるファンミーティングやライブステージでは、実際にキャラクターとして歌って踊ります。歌って踊るのが本職のアーティストだけに、そのステージのキラキラぶりたるや!
⇒俳優なんだよなぁ。総合的なアーティストになりたい、と思ってる子や、プロジェクト開始時には俳優とは名ばかりでドリフェス以外で演技のお仕事したことない子とか確かにいたけれども、彼らは「役者」です。歌って踊るのが本職じゃないどころか最初はうまくいかなかったことなんてちょっと調べればインタビューいくらでも出てくるし、ファンミ01の映像とか見れば褒められたクオリティじゃなかったのはわかるのでは?キラキラはしてたけど(重要)。第一に「役者」であるというスタンスを崩さない、ということをプロジェクトに向き合ううえで大事にしているメンバーもいるだけに、ここは適当に扱ってほしくないです。
・データカードダスで取得したカードに記載されているバーコードはゲームアプリと連動しており、読み込ませることで、カード裏に描かれた衣装をゲーム内でキャラクターが着用できる仕組みになっていました。
⇒私が知らないだけでそんな時代ありました????????今は亡きジャンボカードダスの間違いでは??????????あまりにも適当すぎるて笑いが込み上げてきた。個人的には、アプリのステージとDCDのステージが違う場所だから同じドリカ(アプリのドリカとDCDのカード)を飛ばせない、というところに区別化を感じていた部分があるので、ごちゃごちゃにしないでくれ…と思った。※追記 いつの間にかここだけサイレント修正されてました。こういうところがWEB媒体の無責任さですよね。
・また、彼らには2次元のアイドル作品の設定にありがちな“芸能界に入って復讐をする”や、“アイドルが目標ではない”などという邪念はなく、“純粋にアイドルを目指している”のです。
⇒いやほとんどのアイドルジャンルがに登場するほとんどのアイドルたちは「純粋に」アイドルを目指してると思いますが。そうですけれど。なんか知識偏ってない??というか他作品も、このライターさんが言う邪念(この言い方もおかしいと思う。きかっけなんて人それぞれじゃん!)を持っていてもファンに触れて、アイドルという仕事を通じて自分を成長させて輝いてるじゃん。なんでそこを悪く言うのか。
・多くのアイドル作品とは明確に別のステージに引き上げていた要素~
⇒この一連の文章は引用するのも腹立たしい。なんでそんなに他の作品を低評価したがるのか??私は基本的に他のアイドル作品べつに嫌ってるとかなくて(唯一のガチ地雷はいろいろあった)、けど触れたくないな~って思ってる某作品に関しては本当にファンが苦手です(作品自体ではなく、あくまでファンがというのが重要。アレと違ってアイド)は△△だけどこの作品はそうじゃなくて~って必ず他との比較を入れるからです。他と比較しなきゃ自分の大好きなアイドルのこと紹介できないの??????って思ってマジで苦手。この作品のファンが特別目立つだけで、○○は××と違ってシナリオに闇があって~重厚で~って語ってくる人も苦手です。名前は伏せます。
それでドリフェスの一部のオタクもコンテンツを崇拝するあまりそういうところあるよな~って思っていたんです。ただそれは個人のファンが個人的にやってることだから、そこに近づかなければいいというだけでした。今回は話が違う。WEBのメディア記事なんて嘘八百なのが普通ですが、それでもこうやって一個人ではなく、WEB媒体の会社によって(書いたのはライターですが容認しているのは会社)こんな偏った見方からの、他作品に失礼にもほどがある記事が公開されてしまった。悲しいですよ。ファンはあくまでアイドルを応援する存在であって、自分が興味ないアイドルをけなす存在じゃないんですよ。悔しいし悲しい。
というか声優ライブ私もそんなに見たことあるわけじゃないけど、それなりに踊ってる人とかいるし、4050のむちゃくちゃ多忙な声優さんたちが踊ってくれるだけでもすごいことじゃないのかなぁ。二次元アイドルコンテンツが大きくなって、ライブが当たり前になって、消費者がどんどんわがままになっているのを感じる。当り前じゃないのねぇ、ライブをやってくれるのなんて。
・『ドリフェス!』はキャラクター3Dライブにおいても、ほとんど本人たちがアクターを担当。
⇒いつの話してる??アプリでモーション担当してるなんて聞いてないし、アニメも重要な話のごく一部。3DライブってことはDMMだと思うけど、あれどこからどこまでがキャストでどこからがモーションアクターさんって明言されてないよ。ほとんどって言ってるってことは関係部署に取材して裏付け取った??
これまで“なんとなく感じていた違和感”
⇒けなすわけじゃないけど、ドリフェスのライブだって完璧だったことはほとんどないじゃん。あの子はあんなに頻繁に歌詞飛ばさないし、喉枯らしたりなんてしないし、もっとダンスうまいし、ライブ中にあんなことしないし。そこにちゃんといる、のは確かだけど、なんかさぁ、完璧じゃないのに嘘つかれても困る。その不完全さを応援することを楽しんでいた部分は確かにあったけど、それはあくまでドリフェスプロジェクトの中での楽しみであって他と比べてどうこうとかないです。
・やはり、ファンたちがまず考えたのは「収益が足りなかったのかな?」ということでした。サービスの終了が報じられた2018年3月5日以降、SNSでは“#ドリフェスに課金してドリカ【※】を引く遊び”というハッシュタグが何度もトレンド入りしています。
⇒発案者に伺ったわけじゃないけど、別に収益上げたいからとかじゃないと思った。楽しく参加してた身からすれば、くそみたいな排出率のガチャもみんなで一斉にどぶれば怖くない!的な気軽で楽しいノリだったと思う。今更収益上げても仕方ないし、本当に楽しく思い出つくろうよ的な感じだと思ってた。あくまで第一回の話。
あとすっごいタイミングいいことに、昨日5月15日に新たな課金先(というかライブ円盤。CD、ドリカ)が発表された時に「高い」って文句言ってた人間それなりにいたよね。シャッフル、ファンミ03がないとか内容的なことじゃなく。ドリカセットが高い、円盤が高い。アプリでのドリカ取得にかかった金考えたら無料みたいなものじゃない??配信されたばかりの部活のスクショくれって言ってた人もいたし。いやバンチャ入りなよ。収益が足りなかったと考えて行動するファンより、ただ口開けてお零れもらうの待ってるファンの方が多いからこうなった部分は確かにあるし、それはプロジェクト終了が発表された今も変わらないよ。
・『ドリフェス!Yell Project』
⇒一言だけ。取材を受けるべきではなかったと思います。行動力、実行力はともに素晴らしいと思うけれども。やり方、内容にかなりスタンスの違いを感じていたので、あぁなるほどこういうところかって逆に腑に落ちたわ。
・「中国語を覚えよう!」
⇒それだけ熱意持った人いるなら紹介してほしい。
ドリフェスは、サイコーの先をじゃなくサイコー超えたその先を目指しているので。
こういうめんどくさい口うるさいファンが新規を遠ざけたんじゃない?って言われるのもわかるよ。けど普段はこんなこと言いません。多少のやらかしなら目を瞑ります。
今回は、電ファミという、決して「個人」とは言い切れない、それなりの影響力のあるWEB媒体によって、ドリフェスに関する不確かであやふやな情報と、他作品への敬意の欠片もない記事が掲載されてしまったことに本当に怒ってます。
ここまで言っといてアレなんですが、わたしはあくまで匿名の無責任な一個人なので特に推敲とかしないです。誤字脱字ごめんな!けどどんな形であれ報酬が発生するものには同時に責任もつきまとってるんだよ!個人のブログと一緒にしないでほしい。
デレステとの合同で総選挙を行うと発表されて以来、より一層ボイス総選挙を願う声を聴くようになった。
あの出来事はもう3年以上も前の事である。知らない人も沢山増えた事だろう。むしろ知らない方が身のためかもしれない。
彼女を思えば、この話を敢えてするという事は全くもって好ましくない事だとは思うが、それでも敢えてどうか詳細はある程度伏せながら言及させて頂きたい。
アニバーサリーボイスオーディション、俗称ボイス総選挙は3周年記念の企画として開催された。今や当時の上位陣はほとんどボイスが付いたが、当時は全員についていなかった。
中間速報であるアイドルは1位に、そしてあるアイドルが2位となった。それぞれの人気を思えば妥当と言えるものだっただろう。
その後投票が締め切られ、そこから2週間が経ち最終結果が発表された。
中間で2位だった彼女は鮮やかな転劇を演じて見せた、はずだった。
だが現実は残酷で余りにも冷酷だった。あやふやな情報と偏見に染まった悪意の塊だけしかそこには存在しなかった。
確かに2週間という期間は少し短ったかもしれない。確かにどうしても気になる情報があったかもしれない。
だとしても余りにもおぞましい感情ばかりが散見される日々が続いた。
今ではその見る影もなくなったのは、ただただ敬意を抱く事しか出来ない御本人の努力の賜物である。
それでも約1年という長すぎる時間を要した。どれ程のものを背負ってあのステージに立ったのか、我々の想像が遥か及ばないほどのものだったと今も感じている。
最終結果で逆転されてむしろ良かったと言われてしまった彼女は、そのすぐ後に栄冠に輝いたものの、その更に先でこの件が尾ひれを引くという不名誉を被ってしまった。
あれから時が流れた。今日という日を迎えられているのは、ある方が文字通りに必死の思いでいて下さったからだと私は強く思う。
そうだったからこそ、ボイス総選挙は完全な黒歴史とならずに済んだ。それでもある面でおいて黒歴史である事には変わりはないのだが。アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツにおいてPが犯した最大の汚点だったと私は断言できる。
ボイス総選挙を再び願う事。願うこと自体とやかく言うつもりはないが、約3年半前にやってしまった事を思うと、素直に賛成することはできない。あのような出来事が再び起きないと誰が保証できるのか?ボイスに対する飢餓感が以前にも増しているというのに。
先日、縁があって知り合いが主催する合同誌に最近ハマり出したキャラの二次創作作品を寄稿することになり、そのキャラの設定を再度確認している時にふと思ったことがある。
今回私が書くことになったキャラの母体コンテンツはかなり規模の大きいコンテンツであり、個別でキャラクターボイスが用意されているし様々なエピソードも存在する。
規模が大きいコンテンツやシナリオに重きを置いたコンテンツであればメインライターの他にサブシナリオライターがいることも少なくない。
そうすると各書き手ごとにそれぞれのキャラクター像と言うものが存在する。
もちろんほとんどの場合は設定の均一化ははかられているだろうし、よほど癖のあるライターでなければ書き手ごとに違和感を感じるといったことはないだろう。
だが中には過去に存在した設定と真逆の設定が出てきたという事例も存在する。
公式で設定の矛盾が発生している以上一ファンである我々が設定を全て把握するというのは中々難しいことだと思う。
キャラクターボイスに関してもまた然りだ。
声優の方々は演じる際に自分の中に確固たるキャラクター像があってそれを演じている方が多いと思う。
もちろん、それは指示もあってのキャラクター像だとは思うがその中でもやはり個人の考えは存在するだろう。
キャスト変更があった場合には尚更であろう。あくまでキャスト変更で引き継げるのは公式で定められた設定だけであって個人の考えを引き継ぐといった事はかなり難しいと思われる。
前置きが長くなったがつまり何が言いたいかと言うと、「ちょっと公式設定云々で騒ぎすぎじゃない?」ということが言いたかっただけなのだ。
そのキャラクターに関わっている人間が複数人いる以上、その人それぞれにキャラクター像が存在する。それを全て統一しろというのは中々難しい。
そもそも実在の人間ですら人それぞれ評価が違うというのにもっと存在があやふやなキャラクターに絶対的な評価を求めるというのは酷な話だ。
もし、キャラクターに対する考え方で相違が発生しても
「え〜?君はあの人のことそう思ってるの?私はこういう人だと思うけどなぁ」
くらいの軽い気持ちで受け流すことが出来れば幸せではないだろうかと思う。
無論、それもキャラクターを一人間としてとらえるか事象としてとらえるかで変わってくるとは思うが。
そんなことを考えていて気付いたら締切を過ぎたことの言い訳のためにこの文書を書いた訳ではないということを最後に断っておく。
過去がどうかはよく知らないが
http://www.mbs.jp/news/kansai/20180405/00000058.shtml
「大相撲を国民に支持されるものにするために、これをきっかけに議論を始めることも私はあっていいんじゃないかと」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00170714-nksports-fight
若手の行司が周囲の観客から上がった「女性を(土俵に)上げていいのか」という声に、
その上で「どんな経緯であろうと人命より大事なものは、この世に存在しません。
女性が土俵に上がってはいけないという話とは全く次元が違う」とし「誤解があったら申し訳ない」
と発言された
まず誤解とは何を指すものなのか
人命がかかっている場面でそのようなアナウンスはおかしいと言っているだけである
何も誤解していない
この謝罪なのかよくわからない”誤解を招くような”という発言どうにかならないの?
また、
女性が土俵に上がったことでその後、大量の塩がまかれたことについても「女性蔑視のようなことは全くない」と誤解を招いたことを懸念していた。
と発言された
何の誤解を招いたのだろう