はてなキーワード: 文化資本とは
本を読めば教養とは俺も言ってないよ。
「子供の頃から本を読み人と話しいろんなところへ出かけるなかでじっくりと堆積していく知識のこと」
「文化資本の厚み、バックボーンとなる知識や技能、知識人たちとの交流、そういった環境で形成されてきた人格、その総体」
なんだからさ。
そういうものを豊かに摂取できる環境、そこで育まれる人間的な土台のことで、特定の書物の具体的な知識のことじゃない。
1 表面化しにくい文化資本
わかりやすい例として学生の頃にいた社会ヲタが社会ヲタたる所以はほとんどの場合、親が歴史の本を読んでいたり常に本棚に学習マンガが置いてあるからだ。社会ヲタが社会をすぐに暗記できるのは、暗記するのが早いからではなく元から知ってるだけなのだ。
2 ノウハウの不足
親が受験に関する知識が薄いと以外な障壁が生じることがある例えば有名な参考書を何回もやるとか下手な授業よりも独学のほうが有効とかのノウハウだ。
これがないと何したら良いのかわからなくなりこのような輩が親になるとただ勉強しろと子供に叫ぶのみ・・・(しかもモチベーションをそぐ)
3 もはや勉強どころでない
これは極端だと思った人はおそらく育ちのいい増田だ。公立中出身者は底辺層を見ているので言いたいことが分かるはず。私はそのような家庭で育ってないのであまり詳しくはかけない(というか書きたくない)
高校行く金が無いからバイトを強いられるとか当たり前。人間追い詰められると頭が働かなくなる
こわい。なぜこわいって、それが僕に一切向けられてない、と少なくとも僕が感じているから。
僕は誰かれかまわず性欲を感じて向けてしまっているんだ。申し訳ないと思いながら。きもいと思いながら。
そこらでめについた尻に、ブラチラに、うなじに、欲情してしまっていて本当に自己嫌悪なのに。
僕は誰彼かまわず性欲を向けてしまっているしそれに罪悪感を感じていて、それと同じ世界で
たくさんの女性が僕以外の誰かに対して性欲を持て余しているんだ。これの怖さ、わかってくれる人いるかな?
妬ましいとか羨ましいとかじゃないよ、こわいんだよ。
だれも、性欲も愛情も向けない。少なくとも向けてるように見えない。なぜだ、いやわかっている僕に魅力がないからだろ。
財産の偏り、文化資本の偏りについては最近わりと言及されてるでしょ。でもさ、うまれつきのもてなさについては
どうやったって自己責任なんだよこの社会は。ツイッターにおけるキモくて金のないおっさんについての議論って
結局資本を与えられなかった貧乏人の話のはずなのにな。モテ度の配分は政治マターじゃないかも知らんが
すごくおおきな実存的世代的問題なんだとおもうんだぜ。承認の手段が一個だけ提示されてそれが絶対手に入らないのだもの。
これについてフェミニストと共闘ってのも無理だよ。だって、もう欲しちゃってるんだもの。
手に入らないもの、社会的に作られた欲求だとしても、求める心はすでにここにある。
ああ、みんなの幸せをいのりたいよ、。でも祈っている間に僕の人生は終わる呪詛にまみれながら。
俺のことを好きになれとは言わないよ。言わないけど、すげーいいたいんだよ!
そして、いえるやつが彼女作ってるのもわかってる
読み返さないし下書きもしないしよみづらいだろ
いいんだよ、どうせわかりやすく書けたら恋愛関係が気付けるってわけでもなし。いや、コミュニケーションがどうこうとかうっせーよ
ああ。愛したり愛されたり、してみたいなあ。くそ。しね。
今日は、爆サイすらも知らないようなはてなーが知らないであろう現代のマルチ自己啓発な世界を紹介したいと思う。
現実主義のはてなーとは絶対に交わらない世界であることは間違いない。
私はいつも面白がってヲチしていて、この界隈を解説した記事があれば是非とも読みたかったのだが、
残念ながら探せども探せども無かったので、不十分ではあるだろうが自分で書くことにした。
慣れてないので文章下手ですまん。
妖怪男ウォッチのぱぷりこさん辺りなら、もっと詳しく書いてくれるかも?と期待。
さて、本題。
私がいつもヲチしているamebloでは、どうやらセッションというのが流行っているらしい。
「セッション」という言葉ではなく、「コンサル」という言葉を使っている人も多い。
特に何の特技もない女(ameblo利用者は女が多い)が、「○○〜な自分になれるセッションやります☆」なんて言って、
「継続コンサル」なんかだと、2ヶ月フルサポート付き30万円!!だったりする。
誰が買うの?って感じのも多いけど、なぜか知らんが買うカモがいる。
セッションを受けた人は、強制ではないがほぼ100%、自分のブログで「レポ」なるものを書く。
売り手は、「自分のセッションはこんなに人気ですよ」というアピールになるし、
セッションを受けた人は、リンクしてもらうことで、売り手が人気のあるブロガーなら、自分のブログのアクセスを増やすことができる。
で、セッションを受けた人も、何らかのセッションを販売する→ 以下無限ループ。
一つのセミナーに参加するだけでは飽き足らず、次から次へと色んな人に教えを請いに行く「セミナージプシー」も多い。
もちろん、売れっ子はそれだけで食っていけるぐらい稼いでいるのだろう。
が、大多数の弱小ブロガーは、全世界に本名で自分の恥ずかしい姿を晒して終わりだ。
セッションのテーマは、「お金のブロック解除しましょう!」とか、「引き寄せ体質になるコツ教えます☆」とか、
「女性性を高める」とか、「ブログの影響力の作り方」とか、そんなのが多い。
初めてセミナー行く→気付きを得る→Facebookとブログ連携
→少人数シェア会してお金もらう楽しみを味わう
→セミナーを主催して目立ちたくなる、顔を売る
→貯金なくなるとワサワサして値上げする
→値上げで客がついたら権威が高まったと満足
→仕事辞めて好きな事だけして稼いでいこう!
→楽して稼いでいくためのセミナーに参加……
ちなみに私は子宮系女子のヲチも大好きだが、子宮系はヲチしてる人が多いので、
上手いことまとめてくれる人がいて、全体像を理解するのが容易い。
それに比べて、amebloセッション界隈は実態がまだまだよく分からない…。
子宮系もセミナー、コンサル、セッションとかするけど、あっちは女性性?なるものを特に強調するのが特徴。
アメブロセッション界隈の細分化されたカテゴリとして、子宮系があるっていうイメージかな。
私が見てるセッション界隈ってのは、こーいうサイト。誰かもっと上手く解説してくれませんか??
https://ameblo.jp/ayatanyumetan/entry-12261142375.html
http://ameblo.jp/soulkaiwayoga/entry-12190243187.html
https://ameblo.jp/yuriiiiiisan/
最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。
彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。
それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。
初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。
控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。
僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。
「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。
僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。
当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。
たとえばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。
次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。
正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。
「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。
「あの時いったこと、なかったことにしてください」
そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分も大学進学ができることを知ってから、たまらず勉強をしてみたくなった。
早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。
もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。
「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」
僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。
僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試の志望校には早稲田の法学部と慶應の法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。
僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。
幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田の国際政治学科に入学したと聞いた。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。
彼女はきっと大学でケインズやハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。
僕の方はどうだっただろう。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したらネット広告を生業とするだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。
おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。
国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公の気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。
一度空いた穴が塞がることはないのだろう。
という分類で分けるが、
自分はどの分類に入るのだろう?
あった。
ただ、そのお金の向け先がまったく定かでない。
気づいたらなくなってしまうような感じで貯蓄
どうしようもなかった。
を親の文化資本のなさのせいにしたいのだが、
部分がある。
羨ましくなる。
※Amazon、及びKindleのサービスが続くことを前提に文章を書いています。サービスが終了したら苦笑とともにこの文章を読み直したいです。
どうなるんだ?
いま、ざっと確認したところによると、自分名義のアカウントで550冊ほどのアイテムが登録されていた。
チャンピオンの電子化に併せてKindleタブレットを購入し、本格的に電子書籍を利用し始めたので、およそ一年ほどの間にこれである。
このペースで行けば生きている間に少なくとも数千、おそらく万の単位で本を買う。
これが何万冊でも部屋が狭くはならないし、床も抜けない。これは電子書籍のメリットで、僕はかなりその恩恵を受けている。
その大半は格安、あるいは無料のマンガであるのだけど、それなりに高価な本もある。
生涯で数百万円をKindleの本代として支払うだろう。
これは将来的に子供ができてもタブレットを買い与えて共有の本棚として活用したいとは思っている。のだけど、僕が死んだらどうなるんだろう。
僕が死んだとしても、Amazonさんには関係ないはずだから、アカウントは維持できると思う。
しかし、登録のクレジットカードは使えなくなるため、妻なり子供なりのクレジットカードの登録でいいのだろうか。
弾言するが、僕はAmazonのアカウントの管理ルールについて一切調べずにこの文章を書いている。
マニュアルを読むよりも適当な文章を書き散らす方が好きだからだ。
例えば、僕のアカウントをどこかで子供名義にして、登録カードも子供名義の物にできるのだろうか。
そうすれば、子孫累代、一つのアカウントを誰かに引き継いで、膨大な数の本を電子書籍で読めるようになる。
最終的にはそこらの図書館くらいの蔵書を誇る“我が家文庫”が形成されるにつれ、このアカウントの継承権を巡って子供同士で暗闘が繰り広げられたりするのだろうか。
ある意味では積み重ねられた文化資本の継承とも言えるので、これの有無で子供の将来が……
ていうか、膨大な数の本が詰まったアカウントを売買する問題もいつか出てくるのでは……
アカウントの統合ができないので、一つのアカウントを継承していかないとかつての本が買い直しになるのでこういう問題が起こるのであるので、Amazonには是非、アカウントの統合徹底禁止を貫いて欲しい。
文化資本っぽさっていうのは、料理そのものを楽しむ文化と言ったらいいのかな。
「今日はお休みだから、久しぶりに鰹節からお出汁をとります~」とか言って、
嬉しそうにおばあちゃんから譲り受けた鰹節削り器を出してくる、あの感じなんだ。
もう住む世界が違っていて打ちのめされる。
でも「育ち」には入るだろうなあ
純粋な資本では共働き惣菜に劣っていても、育ちのよさという意味ではいくら貧しくても必ず手料理の親の方が勝るだろうな
清貧ってやつ
文化資本不足だと思うんだけど、ガキのころにマネーの勉強を受けてない。たしかに。
経済学は寝てた。
10年ぶりくらいにマトモに通帳を見返してみたら貯金が8桁目前くらいはあった。
資産運用して増やすことに関心が無いわけではないが、増やしてどうするんだ?
というビジョンもなしに始めるモチベーションはない。減ったらこわいし。
平均すると1年あたり60万円くらい貯金が増えてるんだけど、
これってつまりは年収がマイナス60万円しても生きていけるってことだよね・・。
世の中の人と見比べるとこれでも低収入・低消費に属するみたいだし、
なんか金銭感覚がズレてるみたいだ。
みんな浪費しすぎじゃないの? おれがしてないだけなのか・・
みんな何にそんなカネ使ってるの?
女(三次元)かな。
趣味が無いわけではない。
・自作PC → でも次のモデルとか、値下がってからでいいか・・壊れたわけじゃないし。と思っちゃう。
・ゲーム → やりたいソフトが2,3個以上あればハードは何でも買う感じだが放置気味。でもOculus買っちゃった。
・旅行 → でも時間と気力が不足している。海外旅行も行ってみたい。
・カメラ → ゲームが増えたので放置気味。でも、あまり使いもしないのにレンズ買うの無駄だよなって思っちゃう。あと時間と体力と気力不足。
・アニメ → 基本的に1回みればいいので円盤は不要。というかモノが場所を取るのが嫌い。円盤以外のお布施手段が欲しい。
・募金 → 趣味に入れるのもアレだが、たまにする。して忘れる。
食事も基本的に吉野家とかすた丼とかその辺だ。メシには関心が低めだと思うけど、うまいものはうまいことはわかる。
スシパックも割引の時間になるまで買いに行く気力が出ないし、安く買えるとわかっているのに高く買うのはもったいない。
ビールは本物を飲むようにしてる。たまに偽者飲むとやっぱりダメだよなーと思う。まあ偽者に慣れてた時期もあるし、慣れればわからなくもできるんだけど。
あと、費用とは別で栄養価としての自炊をしなきゃなーと思う。あんまりできてないけど。やっぱり自分で調理したモノのほうがうまい。
服はたくさんあっても無駄だし場所を取るのが嫌なので、必要最低限で歳相応で無難でみすぼらしくなければそれでいい。
出不精だからこそ都内に住んだほうがいい。短い移動時間で遊びに行けるから。でも家賃高いの嫌なので駅徒歩長くて古いやつ。歩いたほうが健康だし。
クラウドファンディングにちょっとした投資家気取りで上から目線で何回かお金出した。
コレが性に合ってるかもしれない。時間と労力を使わずにカネを出すだけで物見遊山だから。
貯金削ってウェブサイト運営してるわかり手さんなんかも興味ある。
会社辞めても死なない蓄えは必要。精神衛生的に。辞める気もないけど。
やってみたいことはあるけども冒険するには心もとない貯金だよなと感じる。
書いてて思ったけどやっぱり自分に必要なのは時間の使い方と計画性かも。
反出生主義の話題のときに、「産んだら(子供が)不幸になる確率が高いので産まない」という主張に対して
「産まれてこなかった子供は産まれたかったかもしれない」という謎理論を持ち出してくる人がいて驚いた
産まれてない子供はこの世に現前すらしていないので(個体として発生すらしていない)
「産まれてない子供の意志」なる概念が発生するのはオカルトの中でもトンデモ領域
産んだら不幸になる確率が高くても「私は産みたかったから産んだ!」という人はそれはそれでひとつの価値観だと思うが、
そういう自分を防衛するために「産まれてない子供の意志」なる概念を持ち出されるとキチガイを疑わざるをえなくなる
ikanosuke この辺りの概念は、不妊や流産を経験する身にとっては、とても辛いものになる。(別に否定してるわけではない)
anigoka パラレルワールドで大成してるであろう俺’に申し訳ない
死んだ子を出産した場合、体内にいる場合は少なくとも現前はしてるよね?
現前すらしてない、個体として発生してないのに個体としての意志があるというトンデモ主張
ngsw 反出生主義という概念を初めて知ったのだが、たぶん「産んだら不幸になる」を「産んだ本人が」でなく「産まれた子供が」と捉えて、その反駁として「産まれたかったはずだ!」と件の人は言っているのではなかろうか。
mustelidae たとえば意思能力のない植物人間の権利を語ることはキチか、みたいな。(「意思能力のない人間に意思はない」というなら字面上は当たり前だが、実質上は意思ではなく権利について語っているのだと思うので。)
この違いわかります?
個体として発生している、死んだ子供の意志ならともかく、個体として発生してさえいない存在に意志があるというのはキチガイの領域でしょ。
妥当とキチガイを同じ意味の文と捉えられるなら立派なキチガイですね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/type-100
greenT 快不快の総量みたいな不毛な概念で語っていいんなら人間子作りの瞬間の快がすげぇから総体として人間は子作りすべきであるという結論になるので他行こうぜ
http://anond.hatelabo.jp/20170305213540
出産した快よりも不幸な子供を作る方が社会全体の満足度は下がる。
産まれなかった子供はそもそも存在しないので意志なるものはありえないでしょう。
この区別がつかない人ってキチガイ認定されてもおかしくないよ?
pikopikopan 手厚いサポートがあるなら生んでもいいけど、そんなものはないんだよな。反出生主義って他人にも強要するの?私は他人がどう選択しようがかまわないし、同じ発達障害持っている人が子供産んでも、止めないよ?
反出生主義っていうのはひとつの価値観でしょう。産みたいから産む~もひとつの価値観。
別に産みたい人を否定するつもりはない。ただこちらを否定するなら戦争だっていうだけだ。
他の反出生主義者がどうかは知らん。
t-tanaka 反出生主義が批判されるはそんな理由じゃない。少子化の不利益は,その世代自体を最初に直撃する。同世代人が少ないほど子供達は不幸になる。自分の意志で「子供を産まなかった人」は「生まれた子供」への加害者だ。
少子化だーってみんなが騒いでるから思考停止して勝手に喚いているアレな人だ。
君の言ってることの一例を挙げると、民主主義で票が取れないからその世代の主張が通らないとかそういうことでしょ?
産まない人に責任押し付けて思考停止してるアレな人だなぁっていう話にしかならないよね。
少子化の問題じゃなくてそれ以外の問題や欠陥が少子化によって露呈されるだけ。
いまげんざい発達障害者は健常者に迷惑をかけて生きてるのを自覚しろ!と喚いている人がたくさんいるよね。
これって、要は産んだ人が産まれた子供自身とそれ以外の産まれた子供に対して加害してるのと一緒だよね。
じゃあ産まれた子供自身がいない方が不幸は少なくて済むね~^^
mur2 日本には江戸時代から水子塚や水子地蔵があるんだが…(追記)「産まれてない子供の意志」なる概念もそれはそれでひとつの価値観だろう。議論する気があるのならキチガイとかオカルトとか言い出すのはやめよう。
つまりオカルトのトンデモじゃん。現代において、しかも議論の最中に水子が~とか言い出したらあっキチガイだなぁと思われるのは仕方ないよね。
追記←はい?そもそも精子と卵子が出会ってすらいないのに水子がーってまだ言い張るの?
現前すらしてないものをあると思いこんでるアレな人でーすって自己紹介し続けるのか笑
一つの価値観を提示するのと、根拠や常識のない価値観で説得しようとするのは全く別の話だぞ。
俺の話をまともに受け入れてくれ!オカルトやキチガイと呼ばないでくれ!と叫ばれても、
議論を成立させる気ねぇのおまえだし、まず自分の思考を直してこいよって話だよね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/murishinai
「もし産まれたら子供が不幸になる」は産まれた子供が判断するという事象があるので想定できるけど、
「産まれなかった子供(この世に存在していない)が産まれたいという意志を持つ」は一般ピープルが抱く仮定としてはキチガイじみてるなぁと思うわ
http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/tonton-jiji
http://www.weblio.jp/content/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/nenesan0102
http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/kaz_the_scum
産みたいから産んだでも別に悪くはないと思う。ただし不幸になる確率が高い親がいるという現実は見ないといけないと思う。
midastouch つまり、不慮の事故とか自殺で死んだ友人親族がいたとして、生きられなかった彼の分も生きよう、今を生きれなかった彼の意志を受け継ごう、とか考えて踏ん張って生きている人もキチガイか?大層傲慢な考えだな
頭が悪い人が現前していた人の未来を想像するのは悪いのか!とか言い出してワロタ。
現前すらしていない人の話の最中になんでこんな頭悪い発言できるのか不思議で仕方ないわ笑
fraction 1+1=2って叫ぶのになんだってこの人こんなに文字数とってるの、低能?(まあ、本当は別問題とわかってるから文字数とってんだろうけど)
前提や保留を示唆した文章を長いとか言い出すドアホな低能に呆れるわー
読書経験のなさそうなアホが伝達不可能性が高い文章を書いてる自覚もなしに他人を低能呼ばわりできるの不思議で仕方ない笑
iteau 「産んだら不幸になる」の主語が無いのはなぜ? 自分? それとも子供? もし「子供」なら「不幸になる」と言っているのも勝手な推測だと思うけど。いずれにせよ論ずる前に日本語勉強しろよ。
一般的な日本語は主語が省略されても文脈で理解できることがほとんどですよ。
現におまえ以外ほぼみんなちゃんと理解してついてきてるじゃん。
遺伝や生理学や社会学で不幸になる確率が高い親の存在はきちんと示唆されてるよね笑
まったくおなじこと言ってるアホがトラバにいるのでそこを追ってくださいね。
おまえのようなアホが言い出しそうな、努力や認識次第でどうにかなる~みたいなのは感動ポルノだから。
miz999 匿名なうえに相手に届かない手法を選んだ反論は、生まれてきた意味があるのだろうか
似た思考を持つキチガイに見事にフックかかってるし意味があったね^^
possesioncdp 別に子供の意思とやらに賛成するわけではないが、初めて知ったのにオカルト概念なんだがって断定してて???となる
初めて知ったかどうかとオカルト概念判定の関連性に???となる
tune2011 命や意志の仕組みを根本的に説明できる人は居ないんだから、「私は自分の意志で自由にしていいんだ」も「まだ産まれてない子供の意志を尊重すべきだろう」も価値に優劣はないと思う1
えーと。この世に存在してもいない人間の意志が将来的には科学的に証明できるっていうトンデモ話っすか?笑
http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/deztecjp
そういう主張じゃなくてガチで産まれなかった子供の意志が~とか言ってたのでちょっとしたキチガイだと思う
takehiko-i-hayashi ああ、これは私はよくこういうことを考える。我々が「生まれていない人間の権利」について全く考えなさすぎるから、子供が減りすぎたり将来世代の資産を先食いしすぎたり環境悪化させすぎたりしてる側面はあると思う
おまえが想定してるのは「将来存在する子供がどうなるか」って話だろ。
今話してるのは「現前しない個体としてすら存在しない子供に意志はある」というトンデモ論だから。
gazi4 件の主張は相手によってはパワハラ、であってブコメに対する増田の「現前」という返しは問題の本質を理解していないどころか立場が違えば同じ事をしているのが良く分かる
ブクマカにありがちな匂わせ文。具体的または根拠ある指摘をなにひとつできないくせに決めつけや空想で相手を勝手に規定する。
morita_non 内容はどうでもいいけど、そもそも「生れたら不幸になる」とかいう言説に何の説得力があんのかよく分からん。じゃあ不幸な人をかたっぱしから殺してんの?