ストーカーや強姦目的で女性を拉致、監禁する犯罪者の心理に『自分は愛されたい、尊敬されたい』あるいは、『既に(被害者に)愛されている、尊敬されている』と思い込みが作用しており、裁判がはじまって客観的な議論がなされる場において初めてそれが勘違いだったと自覚するケースがあります
戦慄した。
自分は対人恐怖症で今ほとんど引きこもって生活をしている。今年で5年目。
自分の属している社会構造は自分も含めて実家にいる父と妹以外にいない。ちなみに母は自分が引きこもる前に亡くなった。この話や引きこもった理由については特に関係がないが存在が不明瞭だと説明の必要があるので一応記述しておく。
また、家族以外で会話のできる人間は、2週間に一度仕事で私を診ている精神科の医師のみ。
そして家族からも見放されていて最近3年程まともに会話をしていない。意思疎通の手段は置手紙を用いている。互いにある嫌悪感で眼も合わせたくない。
しかし人が怖くて感情表現が苦手な自分の様な人間こそ実は人に愛されたいと思っていたりするもので、いつか自分がこの反動によって同じ様な犯罪を犯してしまうのではないかと困惑している。
もちろんそんな感情や思い込み、客観的な自己観察能力は人によって違うので、自分みたいな引きこもり全てに対して偏見や差別を持っている訳ではない。あくまでも自分に対して懸念しているだけ。
他人の人権を侵害してしまうのではないかという恐怖、犯罪者になってしまい自由を剥奪されてしまうのではないかという恐怖、誰かに今以上に迫害されるのではないかという恐怖。
結論はない。それだけ。