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はてなキーワード: 中学校とは

2020-05-23

45 独身 こなし 子供を作っても 中学校定年退職 おまえ魅力感じるか? 自分だったとして 自分に がんばった結果がこれだよ

かいやつには がんばらずに あそべ というのもあたりまえ

2020-05-21

anond:20200521175300

プログラミング自体を知ったのは中学校技術・家庭の授業。そのあと、初代プレイステーションゲームC言語で書かれていることを知って興味がわいた。

当時、家にパソコンはなかったけど、初心者向けのC言語本を読んで巻末の素数一覧出力プログラム理解した。

高校入学したあたりで祖父母からパソコンを買ってもらって、C言語プログラムパソコンに実際に入力して動かすようになった。

大学情報工学科に進んでから生業にすることを決めた。

anond:20200521021010

文章が悪いに一票を投じたい。

山本夏彦が「私の岩波物語」で下記の様に指摘している。

私なりに要約した。拙い所は許してほしい。

岩波用語岩波から出た外国文の訳語訳文)は徹底的に或いは奴隷的に原文を尊重したもので、リズムと骨格を失った文章であり、日本語とは似ても似つかない。

様々な文章岩波用語の拙い模倣が見られ、そのために文章は晦渋難解を極める。

岩波の申し子である大学教授達の影響で、優等生ほど分からない事を言う。

中学校教師達が岩波用語もどきを用い、それが家庭にまで入ってきているのは一大事

もちろん、岩波書店のみに日本語文が混乱している原因があるわけではない。

しかし、大正昭和平成を生きた山本夏彦上記の指摘は一考する価値があると思う。

2020-05-18

anond:20200518205206

両親に見捨てられてた?新幹線殺傷小島容疑者自分から自立支援施設

https://www.j-cast.com/tv/2018/06/11331011.html?p=all

司会の小倉智昭「もしも環境が違ったら、順風満帆生活を送っていたのかもしれません」

為末大(元陸上ハードル選手・「Deportare Partners」代表)「小学校中学校はもう(性格が)決まった後に近いと思う。幼少期に感情が芽生えている可能性が高いですよね。秋葉原事件加藤被告の幼少期を思い出しました」

橋口いくよ(作家)「家庭での愛情が足りなくても、社会に出て、他人からもらうもの普通に生きている人もたくさんいます大事なのは他人とのつながり(を作ること)」

2020-05-17

anond:20200517205214

あーたアレでしょ、

中学校はいって算数じゃなくて数学教科書んなって、文面の書き方がイキナ

「~せよ」になってて、命令すんなよ!

ってイラっとしたクチでしょ、ん?

2020-05-16

anond:20200516062052

まぁいいや。

その1日100件の受付は、どの村にあって、人口は何人だ。

人口÷100=受付の数だ。これが中学校数学というものだ。わかれ。

自分が取るに足らないゴミであるように感じる

色々な人や物事から自分自身を軽んじられているように思える。

1ヶ月くらいずっと在宅勤務をしていて、昨日自分の住む地域緊急事態宣言から解除されていて、今日病院とか美容室に行って来た

病院はなんともなかったのだけど、美容室でへんな髪型にされてしまった

自分コミュ障からうまく意思の疎通ができなかったからだろうか?でもちょっと切るってだけでなんで変にされちゃうんだろう。

何か聞かれて、答えたらいちいち半笑いで、すごく嫌だった

ずっと人と接していなかったから、表情とか声とか話し方がおかしかったのだろうか?

自分をかわいそうで惨めだなと思ってしまって、一日中涙が止まらない。

今日は一日中土砂降りで、自分もっと沈ませるために天気に嫌がらせされているように思えた そんな訳ないのは判っているけど余計に涙が出てくる。

綺麗に掃除したのに角にちょっと埃が残っていて、それを見ただけで泣いてしまった。やばいと思う。

でも、昔に、心療内科に通って安定剤でラリった兄弟受験勉強妨害され続けたトラウマがあるので、そういうところには行きたくない

一人は気楽だし、こうした状況になる前から休日はずっと家に引きこもったりしていたし、一人で家にいることそのものが辛い訳じゃない

でも、何だろう?

この1ヶ月、友達家族恋人電話したりしてたけど、いつも自分代替可能なんだという感じがしていた

自分には全然友達がいないけど、自分友達にはたくさん友達がいて、zoom飲み会はしごして忙しいと言っていた

別に自分がそうなりたい訳じゃないけど、何だか、うまく言えないけど、そうか、と思った

親は職業柄、人の微細な感情に敏感なせいか自分だんだん鬱々として来ているのを勘付いて、気を遣ってよく連絡をくれる

その気遣いも、ありがたいけど、そうやって見られているんだなと思わされて辛かった。プライドが高いから。

恋人とは、いつもより連絡を取り合おうと言ったのに、途中からそれがおざなりになった。

連絡をするたびに、体調を心配してくれたり、早く解除になって会いたい、と言ってくれるけど、なんかそれはただのテンプレ空虚な感じがした。

実際、解除になってから連絡は来ていない。自分からすればいいのだと思うけど、連絡をしたり誘ったりするのは自分ばかりで、なんか馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。このまま来なかったらどうなるんだろう。

あるとき、暗い気持ちで暮れそうな空を見ながらいつもの散歩ルートの海沿いを歩いていると、

自粛で行くところがないせいか、いつも人がいない散歩ルートに人がたくさんいて、

みんな家族連れとか犬連れとか友達同士とか恋人同士で来ていて、なんだよと思った。

自分だけの海沿いじゃないことは判っているのに。

やめとけばいいのに、H.G.ウェルズの「白壁の緑の扉」を読み返す。

中学校の時から何度も何度も読んでもうぼろぼろだ。ぼろぼろの本にも悲しくなる。

今、自分の目の前に白壁の緑の扉が現れたら、全てを捨てて飛び込んでしまうかもしれないと思う。

この本に出会った頃、自分は小さな田舎町にいて、周りを半透明のカプセルで囲まれているような気がしていつも息苦しかった。

親は干渉が強くてあれもこれもダメだと制限されて、兄弟には親にバレないようにネチネチ嫌がらせをされて、思春期同級生はびっくりするくらい残酷で、

から早くここから出て誰も知り合いのいない遠くに行きたいと強く思っていた。

一日の中で一番好きなのは、寝る前に自分好きな人間(自分キャラクターとかを考えた)だけが暮らしている素敵な世界自分設計した)で、ちやほやされまくったり、めくるめく恋をしたり、ハラハラするような冒険をするといった妄想をするひとときだった。

今は生まれ育った場所からものすごく遠い場所暮らしていて、高校までの同級生とは全て縁を切って、一人暮らしをしていて、好きなこともしている

なのに何でこんな気持ちになるんだろう。

昔の悲惨だった頃を思い出してまた涙が出てくる。ゴミはずっとゴミのままで、色々夢見て主人公みたくなろうとしても、無理なんじゃないかと思う。

バカみたいだ。自分が。すごく悲しい。

4月1日まれ早生まれになる理由全然からない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E9%BD%A2

「満6歳の誕生日を含む日以降に最初に到来する4月1日から就学する」こととなる。

これを読むと4月1日まれ人間4月1日に満6歳になる

なので4月1日に満6歳になったタイミング入学できる。としか読み取れないんだけど続けて次の文章になる。

よって学校法上の小中学校原則として、同じ学齢(1学年)は4月2日まれから4月1日まれまでの児童、生徒で構成される事になる

よってと書かれているんだけど。私の見間違いですか?よらないよらない。

同じ行の最初に書かれている通り、当日を含めてるんだから4月1日まれは同じ学年に入る。

他の雑学サイトも、当たり前だよねーみたいに書いてるけど全然理解できない。

4月1日に満6歳になるんだから法律に書かれているように当日を含めてその日が、「満六歳で訪れる最初4月1日」になるので6歳の誕生日とともに入学するはずでしょ?どこをどう計算したら早生まれになるの?

なんかアニメーションとか使ってアホでもわかるように解説してる動画とかアレばプリーズ

小一時間調べたけど全然理解できない

2020-05-15

虚しい。

虚しいと感じることは全く初めてじゃなくて、むしろいつも何かの隙をつけて襲ってくるものだった。今日のように。

からいつもなぜ自分は虚しく感じるのだろうか、虚しさからどうしたら逃れられるのだろうか、とか考えていたらいつの間にかそれが趣味になったままざっと数えて10年ぐらいたってしまった。僕はまだ20代から、ユースのほぼすべてをそれに費やしてしまったようだね。あーあ。

今日こそは何か違ったアプローチをしてみようなんて勇気を振り絞って匿名のここに長い文を吐き出そうとしているのに、その感情について書きだそうとして見た瞬間に心がblankになる。僕は本当に自分感情表現するのがヘタクソなようだ。

最近自己分析の結果自分自分感情他人表現するといった練習を積んでこなかったことや、そもそも自分が今どんな感情に突き動かされているのか鈍いということを、否が応でも認めざるを得なくなってきた。自己分析は上に書いたように自分趣味で、まぁつまりその中で今HOTなトレンド自分の今までの感情への向き合い方についてというわけである


これについて思い当たる原因は腐るほどある。そして自分をその状況へ追いやった原因たち(必ずしも人間ではない)に対して怒りややるせなさが轟々と湧き上がってくるのだが、いつもその瞬間すぐに別の考えが頭をもたげる。ひとのせいにするな、たにんのせいにするな、自分が置かれた不遇のせいにするな。

多分これは自分の成長過程で周りの大人に言われたことや、読み漁っていた自己啓発本の中から自分が内在化した批判精神である自分でも今のクソみたいな状況を過去に起こったことのせいにしてる自分はそこはかとなくカッコ悪いと思ってる。

でも過去自分に起こった不幸について、正しく怒り、自分にあの事象は起こるべきじゃなかった、と正しく消化することは、自分がこのわだかまりを乗り越えて次のステップへ進むために大事だとも思う。そしてもし過去に起こった不遇の中で自分が原因で起こったことがあったり、何か自分が責めを負うべき部分のあることであっても、ちょっとくらい自分は悪くないって思ってもいいでしょ?この苦しいフェーズを乗り越えるために今は怒っておきたい。そしてしかるべき時が来たらまた我が身を振り返る。もしそうすることが自分の成長の糧になるときがきたなら。そうしても問題いくらい当時の自分には悪意はなかったと思うし、そのくらいの分別過去自分にも今の自分にもあると思ってる。そしてそうしたほうがいいと感じられるくらい、今の自分は”自己客観視”という名のもとの自己批判に余念がないし、精神的に弱っている。


今度書くけど自分は、未熟な自分さらけ出して本音で人とぶつかり人の本音を聞くなんて作業中学校から放棄してきてしまっている。情緒の発達が思春期で止まっているといってもいい。そしてそれが今の自分精神の多大な悪影響を及ぼしているんではないかと疑っているため、匿名で恐る恐る他人様に向かって吐き出させてもらおうと思った次第である自分の中に閉じこもって答えを探してても大体それは答えじゃない。

2020-05-12

anond:20200511190934

関口増田さんが中学校の時に抜いた漫画キャラ、たくさんいますね?

   その回数ランキングからトップ10に入ったキャラのうち4名、お答えください!」

渡辺スタート!さあ走って!まだよまだよまだよ~~、どうぞ!」

2020-05-11

コロナあぶり出した埼玉の貧弱さについて考えてみた

以前、さいたま市保健所長が「病院があふれるのが嫌で(検査対象の)条件を厳しくしていた」と発言したとしてニュースになったり、今日も、4月半ばごろには入院まちが200人以上いたという記事ホッテントリ入りしてたりして、埼玉医療結構やばいということは、うっすらと伝わっているとおもうので、その背景みたいなことをド素人なりにつらつら考えてみた。

なお、自分は元埼玉県民、いまは都内に住んでいるが、親族や知り合いに埼玉県民はたくさんいる。

埼玉在住の自分の姉も、4月半ばごろ「これまで経験したことのない風邪」に苦しめられていたらしく(直接あってないので、どれくらい苦しかたかはよくしらない。当人証言のみ)、何度も電話かけてやっとつながった相談窓口に「とにかく自宅で様子見てくれ」の一点張りに途方にくれていたところ、そのうち症状がなくなったらしい。

コロナだったのかどうかは、いまだに確証がない。

で、埼玉医療事情だが、まず大前提として、埼玉医師も病床数も全国屈指に足りていない。

これは、自分の子供のころ、つまり昭和のころからいわれていた。

今や全国5位の人口を誇る埼玉県だが、国公立医大医学部存在していない。

いや、正確にいうと、所沢防衛医科大学校というのがあるのだが、これはやはりちょっと特殊学校で、卒業生基本的自衛隊医官になってしまうので、地元医師供給されないし、防衛医科大の医局地元病院を牛耳ることもない。

唯一、埼玉県内で文科省管轄する医大医学部私立埼玉医科大学だけである

ずいぶん昔、田中角栄が「1県1医大構想」を掲げたころに、埼玉大学国立地元では県庁職員と小中学校教員供給源として知られる)に医学部を!という話もあったらしいのだが、うまくいかず、その代わりに開設が認可されたのが埼玉医科大学らしい。

一説には、当時の知事医師会のあれやこれやとか、地元政界魑魅魍魎話とかいろいろとあるようだが、詳細はしらない。

ただ、埼玉医科大学創立者一族は、歴代埼玉県議長だったり県議だったりする、というのがあって、そのへんがまたいろんな噂を呼ぶ素地ではあるのだろう。

なお、埼玉医科大系の病院は、ホームページ入院案内をみると何よりも目立つように赤字で「前納金」について書かれていて、まあ、そんな感じらしい。

医大としては歴史が浅いので偏差値は低いのに学費は高く、よってしたがって、学生は「どうしても子供医者にしたいという開業医の、成績が今一つの子息ばっかり」だとかなんとか。

最近卒業生教員もいるようだが、その昔は東大とか慶応から移ってきた教員が、それこそ神様のように扱われていて、一昔前の医学ドラマのようだったという話もよく聞く。

場所毛呂山という、秩父ほどではないが微妙田舎

あと、日本で初めて正式に性転換手術をしたことでも有名になった大学でもある。

人口120万を超える政令指定都市にして県庁所在地であるさいたま市には医大はない。

自分は旧浦和市(現さいたま市)の出身なのだが、自分の子供のころ、地元で大きな病院といえば市立病院社会保険病院しかなく、そこで対処できない「難しい病気」の人は都内大学病院に通院したり入院したりする、という風習があったように記憶する。

そういえば、亡き父が心臓弁膜症の手術をしたのも都内の某大学病院だった。

そもそも埼玉南部に住んでる「埼玉都民」は、なにかというと東京にでるのが当然なのである

医療に限った話ではないが。

なんとかしなければ、とこれまで行政が動いてこなかったわけではなかろう。

平成の初め頃、大宮自治医大病院ができたのは、地元では大きなニュースだった。

もともとは高層ビル埼玉タワー(スカイツリーと誘致を争っていた)の建設計画をしていた、さいたま新都心空き地には、県の働きかけによって規模が大きくなった赤十字病院と県立小児医療センターが鎮座することになった。

駅徒歩4分、コンサート会場としても名高い「さいたまアリーナ」の目の前に大病院が建ってるのは、なにやら異様な光景ではあるのだが、まあ、一番必要施設を建てたということだろう。

サッカー聖地さいたまスタジアムにほど近い開発地域に、県と市が土地提供して順天堂大学病院を呼んでくる話も進んでいて、当初計画では今年にはできているはずなのだが、予定地はいまだ空き地。去年だったか木下サーカスが公演をしていた。

では、埼玉県民はどうやって医療過疎をしのいでいるのか?

埼玉住み、東京勤務だったりすると、会社健康診断都内で受けたりする。そこで異常が見つかって精密検査して治療必要になると、紹介されるのは都内病院だったりする。

自分埼玉実家から東京に通っていた時期があるのだが、その時期、再検査に引っかかって胃潰瘍がみつかって、薬でピロリ菌除去する治療を受けたりしたのだが、それら全部、都内で済ませる結果になった。

要するに、埼玉県の通勤圏の人たちの医療は、多分に都内依存してるのであって、だから「一人当たり医師数・病床数全国最悪」であってもこれまでなんとか回っていたのであろう。

ところが、コロナウイルス対応は、都道府県単位でしきられている。これは、埼玉県にとってはつらい。

昨年の8月に野党系の支持を受けた知事誕生したこともあって、「知事無能さ」をたたく人がネット散見されるが、まあ、飛び切り有能な知事でもないかもしれないが、しかし、知事能力はいかんともしがたい構造問題を抱えていることは理解しておいてよいと思う。

そして、埼玉県民は今日もたくさん、東京通勤している。

おそらく「テレワークに移行しましょう!」と、スムーズに移行できる一流企業にお勤めのかたはStay Homeしているのだろうが、そうでない埼玉県民はたくさんいる。

そもそも、一流の企業に勤め、一流の給料をもらっている人は、できれば埼玉ではなく都内に住みたいのであって、「そうでない人」の比率は、都民より埼玉県民のほうが多かろう。

安い給料に耐え、通勤電車に耐え、毎日東京で働いて東京経済を支えている埼玉県民は多いはずだ。

そして、東京から埼玉コロナウイルスをせっせと運んでくるのである

もともと、埼玉は「観光宿泊する人」が全国でも屈指に少ない県である観光地少ないから。

そんな埼玉に、一番ウイルス運んでるルートは、通勤のほかには考えられない。

そして、マスコミ東京には注目しても、埼玉には注目しない。逆に「福井石川に持ち込まれた」みたいな話とかならニュース性もあるのだろうが、東京の隣で深く静かに進行した医療崩壊にはなかなか目が向かない。

一極集中」というと、東京地方の話になりがちだが、じつは隣の県から見ても、東京はいろいろ集中しすぎてるのだろう。

で、埼玉県民は仕事医療も遊びも東京にいく(いかざるをえない)ので、毎日、人は東京に集中してはまた埼玉に帰ってくる。

そんな構造のなかで、「Stay Homeです、移動しないようにしましょう!」という事態に陥って、都や県の単位での対応に迫られたとき、切り離された埼玉が苦悩するのも当然といえば当然な気もしている。

昔を思い出すだけの毎日

かにつけ、昔のことばかり思い出してしまう。

公園で遊ぶ子どもを見れば仲の良かった小中学校友達のこと、制服カップルを見れば充実していた高校時代のこと、布団に入って目を瞑れば、優しかった祖父母笑顔。もう失ってしまったものばかり思い出す。そして、そのあとはいつも決まって憂鬱になる。もう失ってしまったものはどれも眩しいほど輝いていて、いま手の届くものはどれもくすんで見える。自分家族も持ち、何不自由なく生活しているけど、自粛毎日に変化は無く、仕事は相変わらず憂鬱だし、好きだったゲームも虚しくなってすぐやめてしまう。「あの頃に戻りたい」って1日に10回くらい思う。

他の皆もこんな思いを抱えながら生きているんだろうか。だけど、TwitterでもFacebookでもInstagramでも、知り合いはこんな状況でも皆楽しそうな毎日を送っている。コロナがあろうとなかろうと地味な生活を送る私は「羨ましい」という感想しか出てこないので、見るのが憂鬱だ。皆、私が手の届かないものを持っている。

これから人生、ずっとこんな感じで続いていくんだろうか。これからもずっとずっと死ぬまでずっと、「昔は楽しかったなぁ」って思い出し続けるだけの人生なんだろうか。もしそうだとしたら、あまりにも辛すぎる。

2020-05-10

人を愛することのむずかしさ

人を愛するためには自分を愛する必要があって、それはとても難しいよ。って話。

人生を振り返る。

小学校では「お受験」をしていた。

受験勉強に忙しく、友達遊んだ記憶が全く無い。

女の子と遊んでいた記憶もあるけれど、受験成功して地元から離れることになって以来、その人とは会ってない。

辛い勉強甲斐あって、進学校である中高一貫校入学した。

中学校では虐められていた。

理由は入部した運動部活躍できなかったから。

毎晩泣いて帰宅していたことを覚えているし、毎日ぼんやりと死に際について考えてた。

最終的にこの運動部引退間際に活動停止になったこともあり、その流れでやめることとなった。

高校では勉強だけしていた。

仮にも進学校だったのもあって、成績が良いとそれなりの地位にいれることを学んだからだ。

人と関わること無く勉強に熱中したおかげで、いい大学に入ることが出来た。

大学でも勉強だけしていた。

大学というところは便利なところで、勉強だけをしていても白い目で見られることが無い上に褒められることもある。

ある意味では現実逃避にうってつけな環境だった。おかげで興味のある進学先へ行くことも出来た。

大学院では研究だけをしていた。

この世がひっくり返るほどの発見はできなかったものの、卒業時には表彰されるほどの名誉を得た。

研究者の道もあったが、生きていくお金が欲しかったため、自分テーマに最も近い民間企業就職をした。

企業でも同じく勉強をしている。

大学ギャップがあるとは聞いていたが、自分としてはやることは同じだと思った。

からないことがあれば人に尋ね、知識を補強するために勉強をし、そして自分の成果を発表する。

なんのことはない、単調な作業

30目前になると、周囲の人が結婚し始める。

から心配されたのもあって、結婚を考えるがうまく行かない。

色々な本を読むと、そこそこ順調だと思ってた自分人生は失敗だらけだったことに気づく。

そして「自分は進んで人生選択したことがなく、劣等感払拭するために生きている。」ことにも気づいた。

小学校受験生活は親に強制されたこと。

中高の学生生活では虐められないために生きていたこと。

大学大学院では現実逃避のために勉強研究に熱中していたこと。

今の企業へ入った理由も、何かがやりたいわけでなく、自分の得意なフィールドであれば最低限虐められることはないだろうとの考えがあったこと。

全ての選択受動的であり、また常に「見えない何か」に怯えた生活をしてきていた。

結局、自分自分のことを愛していないし、愛そうとも思わない。

劣等感でグズグズで、何かになろうと努力をするもゴールが曖昧なので成ることも出来ない。

自分を愛することが出来ない以上、どんな人と会っても自分を売り込む気になれず、恋愛結婚は失敗する。

この話にオチはないし、これから未来におそらく劇的な展開も起きない。

「見えない何か」から逃げ続けつつ、生きていける道を見つけた以上、自分はこの道を外れることを過度に恐れている。

もし外れたことを考えると恐ろしいし、それこそ決断せず逃げることしか出来ないからこそ、

中学校の頃に戻りたくないからこそ、このように決断しない人生を歩んできてしまったのだから

2020-05-08

図書館の開館

自粛間中に閉館していた図書館が、予約資料の受け取りのみで

一部開館することになった。

図書館自分本棚としている身としては非常にありがたい。

自粛中もネットの蔵書検索を使って読みたい本を日々予約してたので

開館と同時に20冊近くの本が用意されてた。


嬉しくてすぐに仕事を終えると図書館に飛び込んだんだけれども

閲覧室が閉鎖され、入り口で返却のみか予約資料の受け取りもあるのか聞かれ

カウンターまでは一方通行カウンターの上には、もはやお馴染みとなった

ビニールカーテンが垂れ下がっていた。

カウンターの中は大量の本が用意されていて、スタッフの方達もたくさんいて

すごく忙しそうだった。

中学校の時からずっと通ってる図書館だけれども、こんな姿初めて見た。

毎週のように顔を合わせている図書館司書の人たちも、忙しそうで

いつもと変わらないペースで本を予約してしまって申し訳なくなった位。

私が住んでいる土地感染者が比較的少なくて、自粛の緩和もかなり早く

進むんじゃないかと思ってる。

でもテレビで言っていた「元の生活に戻れるとは違う」という言葉

なんか理解できた気がする。


コロナワクチンができたとしても、もしかたらこビニールカーテンてずっとある

のかもしれないし、みんなが外出するときは必ずマスクをするのかもしれない。

お店の入り口で必ずアルコール消毒をするとか、布マスクファッションになるのかも。

(口紅好きとしては寂しい)


いろんなものが変わる。

近いうちにお気に入りカフェ店内飲食できるよになるかもしれない。

でも元の生活に戻らないんだ。

改めて、コロナと言う感染症の影響力を思った日だった。

2020-05-03

anond:20200503124134

「ぼくのかんがえたさいきょうのころなたいさく」

じゃねーんだからよ、民主主義国だぜ?中学校2年くらい通い直した方がいいんじゃねえかなあ。

anond:20200503011033

公立小ならともかく、中学校以上で全国一律テレビ授業というのは非現実的だろう

2020-05-02

[]anond:20200502065319

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

2020-05-01

anond:20200501105555

岡村隆史男尊女卑の原因は、妻や彼女がいないから」と「妻や彼女がいない人は男尊女卑にはしる」の違いの分からない人がいるってマジ?

中学校数学からやり直した方がいいよ…ベン図とか…

2020-04-30

anond:20200430110716

公務員かそれに近い団体職員だろうな

中学校の延長を30年40年やってるような連中がいるんだそういうところに

anond:20200430133747

あれは欧米から帰国者が増えるタイミングで緩めちゃったから運が悪かったよね

でも、小学校とか中学校とかは6月からスタートいいんじゃないかな

海外の報告によると、子供の死亡率は極端に低いうえに感染力も低いらしいし

学校オンライン授業を自粛して欲しい

ある小中学校の近くに住んでるが、来月からオンライン授業を始める予定らしい

まりネット回線オンライン授業で占有されてしまう。

これではテレワークが出来ない!ただでさえテレワークが増えてネットが重かったり時々切れたりするのに、オンライン授業が乗ってきたらもうテレワーク物理的に厳しくなる。

学校オンライン授業推進と社会人テレワーク推進は両立しない。そこまでの負荷は誰も想定していない。

どうか、テレワーク推進を守るためにオンライン授業の自粛学校側にはお願いしたい。

2020-04-20

学校は冷暖房工事しろ

今のうちに、小学校中学校高校は冷暖房工事をして設置率を100%しろ

家より学校の方が快適な環境にして長期休みをできるだけ短くしろ

現実問題としてオンライン学習公立学校に普及させるなんて夢のまた夢。

2020-04-19

義務教育で習っただろ」とか偉そうに言う奴が嫌い

たまに「義務教育で習っただろ。常識だろ。」と偉そうなブコメを書くやつがいるが、そういう奴が嫌いだ。

お前、今中学校の全科目のテストやって100点取れるんだろうな?

ほとんどの人が取れないだろ。

そもそも習ったこと全部覚えてたら、定期試験高校入試で誰も苦労しねえっつーの。

どうせ、ブコメ話題になったことをたまたま知ってて「義務教育で習った。常識。」って書いてカッコつけたいだけだろ?

ブコメでイキるくらいしかやることないのかよ。

2020-04-18

人生途中経過

この4月新卒で某コンサルティング会社入社した。

これと言ってコンサルになりたかったわけではなく、ただ選考が早く始まっていたから試しに受けてみて内定をもらったような形だ。

一応内定を貰ってからちょっとだけ考え、特にやりたいこともない自分はいろいろな業界に触れられそうな環境はいいかもな、と思って入社を決めた。

会社の先輩に入社理由を聞かれて話すと、「若いうちにいろいろな可能性を残しておけるのはいいことだね~」と言ってもらえたりもする。

はたして本当にそうなのだろうか。

思い返してみると、やりたいことベースで進路を決めたことなど一度もない。

小学生の頃は毎日のほほんと楽しく過ごし、周りと同じように地元中学校へ進学。

まあまあ賢かったので、勉強特に困ることはなく高校受験クリア

高校生にもなると、自分世界を見つけて進んでいく人間が周りに現れ始めた。

そんな人達を横目に見つつも、大学で専門的に学びたい事柄が見つからなかったので、とりあえず学部を決めずに入学してもいい大学を選んで進んだ。

4年間、ほどほどによく勉強し、ほどほどに楽しく大学生活を謳歌した。

そして就職

から見れば順風満帆のもののような人生だけれども、それを貫くような軸は何もなくて、外面だけきれいに整えられた人生のような気がする。

およそ60年くらいは続くであろうこれから人生、何にも打ち込めず、何にもやりがいを感じられないまま歳を重ねてゆくのだろうか。

誰の心にも残らないような日々を過ごさなければならないことが怖い。

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