はてなキーワード: 一期一会とは
巷では「子どもいないのと聞くのは失礼だ」とよく話題になっているが、それでも取引先と食事に行ったり、美容院に行ったりすると「結婚されてるんですね~お子さんは?」と聞かれる。
別に今のところ不妊で苦しんでいるわけではないので(そもそも私も主人も仕事命であと2~3年は仕事を頑張りたい。若くして結婚したのでギリ高齢出産にはならない。)その質問がものすごく辛いわけではないけれど、この人失礼だなぁと思うし、答えるのが面倒になってしまう。
そんな時私は一期一会の相手なら「結婚したばかりなんです〜」と言うことにしている。これなら相手も納得するし、年配なら「子どもが生まれたら2人の時間は無くなるよ、旅行とか今のうちに楽しんでね」と子どもの良さを語るのではなく、今を生きるアドバイスに変換される。(年配にまだ考えてないんですなど曖昧なことを言うと子どもは良いわよと力説されるので注意)
不妊などで辛い方、自分の気持ちを害さずスルーしたい方は積極的に使ってほしい。
そして、お子さんは?と聞く失礼な人がいなくなりますように。
友人と話していて、年賀状に対する考え方がいくつもあると気付いた。
厳密な分類じゃないのだけど、その時に話した内容から。
1)自分は送らない。そんなのいらない送りつけるな。
2)現在、関係のある人に出す。関わりがなくなったらもう出さない。
これはよくある発想かな。
3)関わりがある時だけでなく、関わりが切れても、年賀状だけは出し続ける。
もう会うことも滅多に、あるいは、全くないけど、縁のある人と年賀状のやりとりを続ける。
4)その他、テキトー。
思いついたらテキトーに出す。もらったら返そうかな。
4)は別として、1)と2)と3)との間に、人間関係に対する思想というか、考え方の違いがあるのだなと、改めて考えさせられた。
自分は3)だと思う。一期一会とはいうが、せっかくの出会いは大切にしたい。
でも、惰性に流されているとも言えるかも。それに、1)や2)の考え方で、嫌々送ってくれる人もいるのかな。
よく思うことなんだが、外ではとても言いづらいことなのでここに書かしてもらう。
自分は「もし自分が明日死んだら」ということをよく考える。誤解されないために明記するが、これは自殺したいと思っているということではない。自分の余命が決まっているというわけでもない。自分はありがたいことに安定して(多くはないが、生きていくことはできる)お金が手に入る状況にあるし、友人にも恵まれており、趣味等もある。体もまだ20代前半で特に大病を患っているわけでもない。かなり恵まれている状況にあるということは自覚している。
だが、こういう状況にあっても、明日死ぬ確率というのは決してゼロではない。交通事故、なんらかしらの社会とのトラブル(事件に巻き込まれるなど)、突然の体の異常の発生(心臓発作等)、最近だとコロナもある。もちろん、小さい確率ではあるが、無視できるものではないだろう。明日ではなく1年後になれば、人間関係のトラブルからの鬱の発生→自殺願望の発生といったルートや生死にかかわる病気を患うといった、もっといろいろな要因が存在する。1年後、今と同じように心身ともに健康にいられる確率というのは決して100パーセントではないだろう。死というのは、たとえ恵まれた自分であっても決して遠い状況ではないのだ。
こういう考えを持つようになったのはなにも最近のことではなく、小学6年生のころからであり、23歳になった今になるまでずっとこのことを意識している。小学6年生のころに一時的に親との関係がうまくいかなくなり(今思い返せば反抗期の始まりのような些細なことであったが、当時の自分にとっては世界を揺るがすような重大ごとであった)、自殺を考えたことがある。実行はしなかったし、「自分が死ねばみんな困るだろう」という小学生らしい浅慮な考えだったが、幼いながらに死に方に思いを巡らせた経験はかなり強烈であり、それからも事あるたびに、死は近くにあることを思い返すようになった。
最初はこういった考えが悪い方向に働くこともあったが(どうせいつかは死ぬんだといろいろ投げやりになった時期になったこともあった)、高校を卒業したあたりからは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしよう」というように考えるようになった。これは、色々なことに対して「プロセス」を重要視するようになるという変化を自分にもたらした。例えば、何か目標がありそのために努力をしなければいけないとする。すると、それまではその目標を達成するために努力をしようという考えだったのが、努力する過程も楽しもうという考えになった。そうすれば、目標を達成する前に死んでしまったとしても後悔しないからだ。これは極端な例だが、なんらかしらの結果を出すために何かを我慢するのではなくそのプロセスを楽しむ、あるいは選択をするときにプロセスが楽しそうなほうにする、という風に考えることができるようになった。
他にも、人との出会いを一期一会と思って大事にすることができるようになったり、なにより「今日一日は楽しかったか?」ということを意識しながら生きることができるようになった。これは後ろ向きな考えをしがちだった昔の自分からするとずいぶんとよい傾向だと思っている。
(ちなみに、今死ぬなら誰にどういう遺言を残したいか、といったことも考えたりする。そうすると自分が本当にお世話になっている人はだれか、とかやり残したことは何か、みたいなものが見えてくるのでよい時間だと思っている。もちろん、本当に自分が遺言を書かなきゃいけない場面になった時にこういう考えができるかといわれたらそんなことはなさそうだし、おままごとの域を出ないとは思う。)
まあこういう感じで、死にたくはないが、明日死ぬことになっても後悔したくない、ということを念頭に置いて生きているんだが、こういう話をする(もちろん、本当に親しい友人にしかしないが)と「やめてよ、そんな話」とか言われたりすごく傷ついた顔をされる。本当にやめてほしいと頼まれる場合がほとんどだ。もちろん、自分のことを必要な存在だと思ってもらえること自体はありがたいことである。だが、「もし死んだら」みたいな話をそこまでタブー視しなくてもよいのではないか、という気持ちになる。「今本当に死にかけてる人とかに失礼じゃん」みたいなことを言われたりするが、その発言こそ「自分はまだ死ぬ側じゃない」という傲慢さを自分は感じてしまう。○○歳まで生きてあれとかこれとかやりたいみたいな話をしておいて、それよりも早く死んでしまい、「もっとやりたいことやっておけばよかった」となるよりはよっぽど良い気がするのだが、「それはそうだけど死ぬなんて言わないでよ」みたいに言われてしまう。
先ほども述べたように、死はいつだって割と近くにいると思ってるしそんな状況でも死なんてどっか他人事みたいな扱いをするよりは、もう少し気楽に話せてもいいのになあといつも思っている。
ここまで書いて思いついたのだけれど、こういう話を笑い話としてできるフォーマットが「明日地球に巨大隕石が落ちてきたら」なのかもしれない
まずこの『世界中が君の敵になる』って、こいつ何したんだって思うだろう。これが様々な顛末の始まりだ。
私は王道CP界隈にて、Twitterではフォロー100人フォロワー1000人くらいの絵師のはしくれだ。まぁ絵はド下手だけど、むしろ皆は作品の更新頻度や内容を評価してくれているのではないかと自己分析している。それほどまでに私の筆は早い。そして作品数も多いと思う。
事の発端はハロウィン。12月にオンリーが開催されるため、私は10月下旬に早めに脱稿した。そのときは様々なフォロワーさんが「おめでとう」「新刊楽しみ」と言ってくれてたし、私もそれを見越して少し多めに刷った。しかし、そのあと脱稿して浮かれ気分なままハロウィンを楽しむ推しカプ漫画を描いたことが様々なトラブルを引き起こした。
ハロウィン当日に投稿した私の漫画の内容と、1週間ほど前に投稿した相互さんの小説の内容が似ていたのだ。
もちろん私はそれを知らなかった。脱稿やらプライベートやら忙しくてそれどころでは無かったし、同人好きのくせに活字が苦手な私は、その頃はTLに流れる小説をスルーしてしまっていた。しかし相互ゆえに、見ていないと言っても信用されない。
なんとかDMでその相互さんとお話しし、誤解であることを理解してもらった。しかし問題はそのあとだ。
第三者が複数人、私を重箱の隅をつつくように攻撃し始めたのだ。マシュマロや捨て垢のDMで、私と仲の良いフォロワーさんに「これがパクり」「あれもパクり」と羅列して長文を送り付けまくる事案が発生した。
身バレを防ぐため少し変えるけど、こんな感じのことを指摘された↓
・人を助けたお礼に不思議な薬をもらう受けの設定が同じ
・突然攻めが盲目になる設定が同じ
などなど…。
こんなもん、探せば何かしら似ている作品はあるだろう。私が上記の設定のパイオニアでないことはわかっているが、こんなのまでパクリ判定されては、もう何も書けまい。しかも、2年以上前の作品にまで言及している人もいた。どんだけ暇なんだよとさえ思う。
私と仲のいいフォロワーさんの殆どは、こんなイチャモンを気にせずにさっさと捨て垢をスパブロしてくれた。まさに『世界中が君の味方でも、僕は信じるよ』状態である。惚れてまうやろこんなん!
…とはいえ、この騒動でショックだったのは、残りの若干名が私のフォローを外してしまったこと。それ以上に、相互が「私もこの子は盗作してたんじゃないかと思う」とツイートしているのを見てしまった。絵が下手でリムられるならまだマシだ。『私はパクリ絵師だ』と誤解されたままお別れするのが何より辛かった。
このまま低浮上になって垢消ししてしまおうか。そう思うも、手元には大量に刷った同人誌。せめてオンリーまではアカウントを続けようと決心した。
そしてオンリー当日。オンライン即売会なので直接顔を見合せるわけではないのだが、驚いたことに、ネット上で多くのメッセージをいただいた。「応援しています」「新刊楽しみにしていました」などなど…。ノイジーマイノリティに悩まされていたぶん、このサイレントなマジョリティたちにたくさんの元気を貰った。想定していたよりも私を支持してくれる人が多かったようで、残り在庫も10冊程度に抑えられた。
今でもTL上では会話をしない相互もいる。こっそりフォロー外されたり、ブロ解された元相互も多い。「絶対新刊買うからね!オンリー当日が待ち遠しい〜!」と言ってくれた彼女は、あのとき以来全く絡んでこなくなった。
インターネット最盛期か、その少し後くらいから生きている二次元オタクです。
学生時代はとにかくオタクであることをひた隠しに生きてきました。私は女ですが、兄弟の影響で男の子向け(今この言回しもダメなんですかね)の漫画やアニメが大好きでした。
あの時代、色んな因果からオタクはまだまだ日の目を浴びることはなく、よっぽど他に秀でたものがないと自分がオタクなんぞとは言いだせない空気があったかなと思います。
特に女である私はいくら当時からコミケの参加者に女性が多くとも、「男の子の趣味の中でもギリギリセウト」くらいの扱いだったオタク趣味を公言することもできずに日々自由帳に落書きをしては消してのくり返しの日々でした。
そんな私の人生を大きく変えてくれたのがパソコンとインターネットでした。
流行り物好きの父親が飽きたもので私はインターネットの世界に出会います。
最初に行き着いたのが当時からすでに色々あった「あの掲示板」でした。
日常では味わえない人間のプリミティブな部分とバカバカしさと一期一会の気楽さにすぐに虜になりました。
とにかく読むのが楽しかったので書き込むことはAAや「ワロタ」くらいの当たり障りのないものでしたが(そもそもあの掲示板でも、特に雑談板は女という性別は明かさない方が楽しめましたから)、すぐさま「ここは表に出せないことを許される範囲で言っても良いところなんだな」という認識になりました。
そこからはどっぷり専スレにハマります。私の中のオタクが開放された瞬間です。あの頃は怖いもの知らずなのもありましたが、とても楽しかったですね。
そこからしばらく、個人HPの時代も来ました。専スレで妄想を語るもの楽しかったのですが、なにせ個人の性癖は千差万別ですから。ぶつかることもありました。
個人HPだとより近しくディープな妄想も語れました。センシティブなイラストを描きはじめたのもこの辺だったと思います。
しかしそんな所に黒船来航レベルのものがやってきます。Twitterの登場です。
当時まとめサイトなるものが横行しはじめ掲示板全体の雰囲気が変わっている時でした。蓋付きの箱庭で遊んでいたら急に屋根を空けられて上から指を差される感じに近かったでしょうか。ミクシイや顔本なんかも同期くらいだったかなと思いますが、まぁ陰キャの中でも陰キャなオタク女には縁がなく(そもそも匿名性が薄いので論外ではありましたが)。
そんな中登場したTwitterはそれはもう居心地が良かったです。
匿名で己の性癖のみですぐ繋がれるので、個人的に専スレと個人HPのいいとこ取りでした。この頃くらいから初音ミクの登場なんかでちょっとオタクにも優しい世界になりましたね。
見たい話題はすぐフォローして、地雷や2○ゃんねるでも見たこと無いレベルのヤバいのとは距離を置き、まさに私だけのTLで遊んでしました。
バカッターなんて言われていた時代くらいからですかね。ちょっと様子が変わり始めたのは。
そしてここ数年。インターネットの世界が公共の場と言われるようになってきました。特にSNSなんかはそうです。
これに私はずっと疑問を感じています。
「あれ?元々表に出せないものを必要な人に届けられる場がネットじゃなかったっけ?」と。
私は現在デザイナー兼成人向けコンテンツのクリエイトで生計を立てています(後者は趣味なので収入はほぼありませんが)。そしてこの度、後者用に運営していたTwitterアカウントが凍結されてしまいました。
もちろん注意書きとセンシティブ設定は徹底し、そこからさらにヤバそうなもの(未成年に見えるかもしれないものや二次創作が公式に許可されていない版権もの、グロやニッチなものなど)はワンクッション挟んで外部サイトにリンクを繋げるなどしてきました。
質問箱に「青少年云々の条例が〜」「いいねやRTから子どもが見るかも〜」みたいなのが来たと思ったらすぐでしたね。何も後ろめたいことはなかったのでスルーしていましたがいつのまにか凍結されていました(現在は解除済ですが連絡先に載せてあるメアドに捨て垢からまだ似たようなメッセがきてます)。重ねて申し上げていますが特に版権モノは検索避けもしていましたし投稿画像にはどれもワンクッションかかるようにしていました。鍵がかかってなかったのがダメだったみたいです。
最近の例のタイツや献血のアレを、私は遠巻きに眺めていました。デザイナーとして運用している方のアカウントに色々流れてきていたのですが、同意できる部分もあれば全く理解すらできないコメントもありました。その中でずっとモヤモヤとしていたのがゾーニングについてのお話です。
タイツの方は中の人のミスとディレクションの甘さが原因かなと思いますし、イラストそのものや演出のが性的か否かは正直個人差が大きいものだと思うので割愛します。
だって私は表にいられなかったからネットの世界にきて同好の士と遊んでいたのに。今度はネットも公共の場扱いする人がいるんですもの。
もちろんネットだからって何をやっても良いわけではありません。しかし大ぴらにだすと規制される可能性があるからネットに持ち込んだという意識が私のベースにあります。
確かにTwitterは18歳以上が対象のSNSではありませんし、企業の方も多く利用しています。しかしだったら何のためのTLと規約とセンシティブ設定とブロミュ機能なんですかね。
私は別にフェミだろうがミソだろうが表現規制だろうが悪影響だろうがどうでも良いのです。ただもっと「ノットフォーミー」でいてほしいのです。
私向けじゃない、ではダメですか。悪影響ってなんなんですかね。犯罪を犯しているわけでもなく、成人向けのイラストとはいえきちんと規約以上のことに気を遣って掲載しているのに、この上さらに知らない他人の子どものための悪影響を考えないといけないんですかね。それで悪影響をうけるやつは遅かれ早かれ別の何らかの影響を受けているのでは?と思ってはいけませんか。女性でもオタクではなく、私いち個人の意見でありお気持ち表明です。
こんなことを言っていますが、私も普段は一人前のデザイナーです。流行もセンスもアップデートが常にもとめられる職業です。でも多様化が示されて生きやすいことになった反面、他人の多様化が認められない人もたくさん出てきたなぁと思います。
というのも、最近「女性デザイナーだから」という理由で責任を押しつけられることが数件ありました。
例えばブラジャーやメイク道具など顧客層が女性だから企画を女性中心に…ということはたくさんありました。これはただ単純にマーケット層に近しい感覚を理解できるかもしれないから、というもので私自身チームメイトと一生懸命考えたものを世に出しています。
しかし直近に頂いたお話は「ただ女性デザイナーをディレクターにおきたい」というものでした(実際はこいういう直接的な言い方ではなかったですが)。制作物の内容は某アニメと企業のコラボ販促物です。もう世に出てるかなぁ…。別に献血やみかんのアレのように人を選ぶものではなかったと思いますが、責任者をどうしても女性にしてほしいというお願いでした。(実際お仕事として企画から目を通してきちんとチェックはしましたが)。相手の方も終始申し訳無さそうだったので失礼なお願いをしているという自覚はあったんだと思います。でも女性もデザイナーって職も舐めてますよね。この営業さんに頭下げさせたクライアントは。
悲しいことに、こういったお話はこの一件だけではありませんでした。私のように細々やってる身としては声がかかるだけで嬉しいものです。でも蓋をあけたら責任逃れで性別だけ貸して欲しいお仕事だったわけです。クリエイティブ業ですらこれなんですよ。女性が活躍できる社会ってこういうことですか。そうですか。「女の子に淹れてもらったお茶の方が美味しんだぁ〜」って言われながらお茶くみ任せられたほうがまだ私はマシですね。
オタクが嫌われた時代も徐々に市民権を得られた時代も当事者として見てきたつもりです。いつだって僻地で細々開拓してやっと居心地の良い住処を手に入れたと思ったら急に公共の場ができて先住民がキチガイ扱いされる。マイノリティはやっぱり弱い。そしていつだって他のマイノリティのふりをしたマジョリティにやられるんですね。もうみんなさら地にならないかなー。18禁のオタクだけのセンシティブTwitterがほしいなー
インターネット最盛期か、その少し後くらいから生きている二次元オタクです。
学生時代はとにかくオタクであることをひた隠しに生きてきました。私は女ですが、兄弟の影響で男の子向け(今この言回しもダメなんですかね)の漫画やアニメが大好きでした。
あの時代、色んな因果からオタクはまだまだ日の目を浴びることはなく、よっぽど他に秀でたものがないと自分がオタクなんぞとは言いだせない空気があったかなと思います。
特に女である私はいくら当時からコミケの参加者に女性が多くとも、「男の子の趣味の中でもギリギリセウト」くらいの扱いだったオタク趣味を公言することもできずに日々自由帳に落書きをしては消してのくり返しの日々でした。
そんな私の人生を大きく変えてくれたのがパソコンとインターネットでした。
流行り物好きの父親が飽きたもので私はインターネットの世界に出会います。
最初に行き着いたのが当時からすでに色々あった「あの掲示板」でした。
日常では味わえない人間のプリミティブな部分とバカバカしさと一期一会の気楽さにすぐに虜になりました。
とにかく読むのが楽しかったので書き込むことはAAや「ワロタ」くらいの当たり障りのないものでしたが(そもそもあの掲示板でも、特に雑談板は女という性別は明かさない方が楽しめましたから)、すぐさま「ここは表に出せないことを許される範囲で言っても良いところなんだな」という認識になりました。
そこからはどっぷり専スレにハマります。私の中のオタクが開放された瞬間です。あの頃は怖いもの知らずなのもありましたが、とても楽しかったですね。
そこからしばらく、個人HPの時代も来ました。専スレで妄想を語るもの楽しかったのですが、なにせ個人の性癖は千差万別ですから。ぶつかることもありました。
個人HPだとより近しくディープな妄想も語れました。センシティブなイラストを描きはじめたのもこの辺だったと思います。
しかしそんな所に黒船来航レベルのものがやってきます。Twitterの登場です。
当時まとめサイトなるものが横行しはじめ掲示板全体の雰囲気が変わっている時でした。蓋付きの箱庭で遊んでいたら急に屋根を空けられて上から指を差される感じに近かったでしょうか。ミクシイや顔本なんかも同期くらいだったかなと思いますが、まぁ陰キャの中でも陰キャなオタク女には縁がなく(そもそも匿名性が薄いので論外ではありましたが)。
そんな中登場したTwitterはそれはもう居心地が良かったです。
匿名で己の性癖のみですぐ繋がれるので、個人的に専スレと個人HPのいいとこ取りでした。この頃くらいから初音ミクの登場なんかでちょっとオタクにも優しい世界になりましたね。
見たい話題はすぐフォローして、地雷や2○ゃんねるでも見たこと無いレベルのヤバいのとは距離を置き、まさに私だけのTLで遊んでしました。
バカッターなんて言われていた時代くらいからですかね。ちょっと様子が変わり始めたのは。
そしてここ数年。インターネットの世界が公共の場と言われるようになってきました。特にSNSなんかはそうです。
これに私はずっと疑問を感じています。
「あれ?元々表に出せないものを必要な人に届けられる場がネットじゃなかったっけ?」と。
私は現在デザイナー兼成人向けコンテンツのクリエイトで生計を立てています(後者は趣味なので収入はほぼありませんが)。そしてこの度、後者用に運営していたTwitterアカウントが凍結されてしまいました。
もちろん注意書きとセンシティブ設定は徹底し、そこからさらにヤバそうなもの(未成年に見えるかもしれないものや二次創作が公式に許可されていない版権もの、グロやニッチなものなど)はワンクッション挟んで外部サイトにリンクを繋げるなどしてきました。
質問箱に「青少年云々の条例が〜」「いいねやRTから子どもが見るかも〜」みたいなのが来たと思ったらすぐでしたね。何も後ろめたいことはなかったのでスルーしていましたがいつのまにか凍結されていました(現在は解除済ですが連絡先に載せてあるメアドに捨て垢からまだ似たようなメッセがきてます)。重ねて申し上げていますが特に版権モノは検索避けもしていましたし投稿画像にはどれもワンクッションかかるようにしていました。鍵がかかってなかったのがダメだったみたいです。
最近の例のタイツや献血のアレを、私は遠巻きに眺めていました。デザイナーとして運用している方のアカウントに色々流れてきていたのですが、同意できる部分もあれば全く理解すらできないコメントもありました。その中でずっとモヤモヤとしていたのがゾーニングについてのお話です。
タイツの方は中の人のミスとディレクションの甘さが原因かなと思いますし、イラストそのものや演出のが性的か否かは正直個人差が大きいものだと思うので割愛します。
だって私は表にいられなかったからネットの世界にきて同好の士と遊んでいたのに。今度はネットも公共の場扱いする人がいるんですもの。
もちろんネットだからって何をやっても良いわけではありません。しかし大ぴらにだすと規制される可能性があるからネットに持ち込んだという意識が私のベースにあります。
確かにTwitterは18歳以上が対象のSNSではありませんし、企業の方も多く利用しています。しかしだったら何のためのTLと規約とセンシティブ設定とブロミュ機能なんですかね。
私は別にフェミだろうがミソだろうが表現規制だろうが悪影響だろうがどうでも良いのです。ただもっと「ノットフォーミー」でいてほしいのです。
私向けじゃない、ではダメですか。悪影響ってなんなんですかね。犯罪を犯しているわけでもなく、成人向けのイラストとはいえきちんと規約以上のことに気を遣って掲載しているのに、この上さらに知らない他人の子どものための悪影響を考えないといけないんですかね。それで悪影響をうけるやつは遅かれ早かれ別の何らかの影響を受けているのでは?と思ってはいけませんか。女性でもオタクではなく、私いち個人の意見でありお気持ち表明です。
こんなことを言っていますが、私も普段は一人前のデザイナーです。流行もセンスもアップデートが常にもとめられる職業です。でも多様化が示されて生きやすいことになった反面、他人の多様化が認められない人もたくさん出てきたなぁと思います。
というのも、最近「女性デザイナーだから」という理由で責任を押しつけられることが数件ありました。
例えばブラジャーやメイク道具など顧客層が女性だから企画を女性中心に…ということはたくさんありました。これはただ単純にマーケット層に近しい感覚を理解できるかもしれないから、というもので私自身チームメイトと一生懸命考えたものを世に出しています。
しかし直近に頂いたお話は「ただ女性デザイナーをディレクターにおきたい」というものでした(実際はこいういう直接的な言い方ではなかったですが)。制作物の内容は某アニメと企業のコラボ販促物です。もう世に出てるかなぁ…。別に献血やみかんのアレのように人を選ぶものではなかったと思いますが、責任者をどうしても女性にしてほしいというお願いでした。(実際お仕事として企画から目を通してきちんとチェックはしましたが)。相手の方も終始申し訳無さそうだったので失礼なお願いをしているという自覚はあったんだと思います。でも女性もデザイナーって職も舐めてますよね。この営業さんに頭下げさせたクライアントは。
悲しいことに、こういったお話はこの一件だけではありませんでした。私のように細々やってる身としては声がかかるだけで嬉しいものです。でも蓋をあけたら責任逃れで性別だけ貸して欲しいお仕事だったわけです。クリエイティブ業ですらこれなんですよ。女性が活躍できる社会ってこういうことですか。そうですか。「女の子に淹れてもらったお茶の方が美味しんだぁ〜」って言われながらお茶くみ任せられたほうがまだ私はマシですね。
オタクが嫌われた時代も徐々に市民権を得られた時代も当事者として見てきたつもりです。いつだって僻地で細々開拓してやっと居心地の良い住処を手に入れたと思ったら急に公共の場ができて先住民がキチガイ扱いされる。マイノリティはやっぱり弱い。そしていつだって他のマイノリティのふりをしたマジョリティにやられるんですね。もうみんなさら地にならないかなー。18禁のオタクだけのセンシティブTwitterがほしいなー
いい加減卒業しようと思うのでここに供養する。
ネットの募集で○った。慣れてない感じでこういうのは初めてとのこと。
顔は普通で態度も悪くなかったが1回戦で終了をごねられたのでリピートせず。
指とクンニでイッた時、愛液がドバっと出てきたのが良かった。
・30代前半 OL
ネットの募集で○った。かわいくもスタイルも良くないが妥協できるライン。
ゴム予定だったが生で良いと言われておっかなびっくりプレイした。
気に入られたのかその後何度かホテル代だけで生でプレイした。話がうますぎて怖くて終了。
お掃除フェラもしてくれて最高にエロかったので今でもたまに後悔する。
・20代半ば 自営
エロ目的ではないサイトで知り合った。ちょっと頭が弱そうな感じの子でファッションとかのこだわりもゼロ。
1度目は飲んで終了。2度目で彼女の部屋に行きやった。処女だった。
面倒で即放流。このリストの中で最大のドクズ行為だったが好きとか付き合おうとか言わなかったから個人的にはギリセーフ。
エロ目的ではないサイトで知り合った。中の下くらいの容姿で頭も若干弱そうだが全体的に前の子よりマシ。大学は出てるらしい。
初めて会って飲んでそのままホテルへ。処女ではないが男性経験少なめでマグロ度高め。
その後何度か飲み+ホテルコースで色々教えてみたが、開発を楽しむ程の容姿じゃねぇなと思って終了。
エロ目的ではないサイトで知り合った。中の下くらいの容姿だがデブ目。それだけに胸はある。
1度目は飲みたいだけだったので飲んで解散。2度目に飲んでるときにとんでもないビッチなことが発覚したのでそのままホテル。多分1度目のときも誘えたら行けたんだろうな。
・30代前半 OL
エロ目的ではないサイトで知り合った。容姿は並。頭も並。普通の人。
1度目で別れ際にたっぷりキスを楽しみ、2回目のデートの約束を取り付けたので確実にいけるな、とワクワクしていたのだが、急に罪悪感が芽生えてデート中止して終了。胸がでかそうだったで残念。
エロ目的ではないサイトで知り合った。容姿は並……だが眼鏡の感じとか髪型とかが好みの正反対だった。
1度目の飲みでそのままホテルへ泊まった際、髪を解いて眼鏡を外したら思いの外可愛くて興奮した。
その他、エロ目的ではないサイトで会い失敗した女性1名、飲んだだけの女性1名、出会い系アプリで知り合い3度高い飲み代を払ったが失敗した女性1名。ネットが絡まないものは割愛。
教訓としては、話が盛り上げられる女性相手は付き合うという手順を端折ってもそこそこの打率が出せる。が、ヤりたいだけで興味のない女性とは事後がただ苦痛になる。あと一期一会の出会いのセックスにおける満足度は容姿がすごい大事。同じレベルの容姿でも女友達とかだと普通に満足できるけど、一期一会だと飲み代とホテル代もったいなかったかなとか思っちゃう。満足するセックスがしたいなら女友達からチョイスしたセフレが一番いいと思う。
GoToキャンペーンで地元のバス屋が「地域再発見プラン」なるものをやっており
で、参加してみたら最高だった。
初日朝は7時に集合すると、バスに乗って移動5分もしない内にまず地元の梨園に連れて行かれる。
ここ俺の通勤経路の途中なんだけど……とか思っても、実際に入ったのは初めてだった。
観光なし園の広々とした芝生の上で地元の料理店が作った弁当と梨で朝食。
弁当は炊き込みご飯と天ぷらとかシンプルだったけどうまい。好きなとこで座ってくって良いということで、控えめに言ってこれだけでもう最高。
そして梨狩り。その場で喰うなら食い放題、持ち帰りは5個まで料金内という贅沢。綺麗に観光用に整備された果樹園で好きに散策できると言うだけで最高。
地元民みんな直売価格知ってるから追加価格ちょっと高めだとわかっていてもテンション上がってその場で買って親戚に発送する奴多発(俺とか)
その後、地元の史跡が公園になっている場所に案内。たぶんそれより前に行ったのは小学生の遠足とかそれぐらいぶり。
顔見知りのオッちゃんが案内役で出てきて、お、おう、ってなったけどおっちゃん観光ガイドボランティアだったらしく、楽しく歴史を勉強しつつ、リフレッシュしてしまう。
昼飯は併設のバーベキューサイトに移動して、コンロを1グループ1つ占有という贅沢な条件でバーベキュー。
飲み物はアルコールはこの後の工程上でなかったけど、生搾りジュースとか出てきてもう最高。別料金で酒より高いのに追加してパカパカ飲む奴多発(俺とか)
午後はこの日のメインイベントであるボートによる川下り体験 or 美術館博物館巡り 俺は美術館は行けるので川下りにした。
川下りもソーシャルディスタンス対応で定員が半分で運行。ほどよく水量もあって、バスから川辺に降りたらもうそれだけで最高。
簡単な訓練をやって、装備をかためて、結構な距離を川下りで下って、ざっぱーん、きゃー、つめたーい☆とか野太い声を上げる奴多発(俺とか)
ドローン撮影された写真に死にかけた野武士みたいなツラで写っても最高だったので、1000円出して追加で写真買ってしまう奴多発(俺とか)
美術館博物館巡りのほうも後で聞いたら、学芸員の方の案内はもちろん、なんと芸術家の方のLIVEパフォーマンスなどもあったそうで、なんで選択式なのか?後で恨む。
田舎だから知れてると思ったら、もうね、季節の野菜を使った料理に、川魚、フルーツ、最高以外有り得ない。
温泉もあるし。別料金なのに高い酒を追加で頼む奴おそらく多数(俺とか)
そして翌朝、希望者向けに日の出ツアー。眠い目をこすって参加した。地元のちょっと高い山に連れて行かれて、ご来光を拝む。
なんかすげえ神秘的で、無駄に涙が(たぶんあくび)知らなかったが、この場所でのご来光は、昔から修行僧などが大切にしてきた者らしい。へー。
その後旅館に戻って朝食。
ビッフェスタイルだったけど、食べ物は全部小鉢にとられていて、旅館の人が手渡ししてくれる方式。
正統派旅館の朝食で、卵かけご飯用の醤油が4種類くらい出てきて最高。
噂は聞いたことあったけど実際に来たのは初めてで、このコロナ下でも活気があって驚く。
農家の朝市のはずなのに何故かソフトクリーム屋とか。北海道ソフトとかいやここ北海道じゃねえし、って感じだけどテンション上がって喰いながら散策とかしちゃったりして。
その後、朝市をやっている近くの地元で一番大きな神社にお参り。ここは毎年初詣とお祭りに来てるけど、それ以外で来たのはたぶん遠足とかそれぐらいぶりというパターン。
神主さん?だかが出てきて中まで入れてくれる。
何事かと恐れ慄いていると、なんと知っているアニメの聖地だったことが判明。
マジで? もう最高という他ない。
声優さんがプライベートで訪れた時のサイン色紙と写真の前で自撮りしちゃうやつ奴多発……はしてない。たぶん俺だけ。たぶん神様相手より拝んだ。
実はここは俺のお気に入りのお店で、エネルギーをためなきゃ行けないときによく来る。
顔見知りの店員さんに、馴染みの味、そして美味しいお酒(別料金)。最高という他にない。
午後は施設に併設している観光農場で、かご一杯取り放題で自由時間。
トウモロコシとか美味しそうでもいでしまうが、よく考えるとトマトとかもっと単価の高い物を取った方がよかったのか?
と思いつつ、太陽に輝くトウモロコシの魅力には勝てない奴多発(俺とか)
本当は子どもらに混ざってアスレチックで冒険してやろうかと思っていたがもう歳ですね。
そして夕方は、たぶんツアー全体のメインイベントである、ナイトツアーへ。
この季節は花畑営業をやっている山奥のスキー場へ。実はコロナが来る直前の地元の観光の呼び物はこの星見ツアーだったりした。
スターガイドさんがは解説をやっていて混ざりたかったけど、なんかちっちゃい子ばかりみたいだったのでちょっと自重。
広い広い園内で、草を押しつぶしてごろんと寝っ転がる。
寝っ転がって星を眺める。もうそれだけで、虫も、近くでカップルがいちゃいちゃし始めても気にならないくらい最高。
と言うかこんなに星があったんだね。星の光にあまりに浄化されすぎて消えかかった。
誰かが花火を持ち込んで花火大会を始めていたのも、いいBGMだった。
そして、家の近くまで送り届けてくれて、もう最高だった。
その他にも
地元では評判が評判を呼んで、もう現在実施する分は予約一杯になっている模様。
検索してみるといろんな地方で地元民対象のツアーをやっているようだ。
たぶん今だけだと思うので、お前らもよかったら参加して欲しい。
二次創作大好き腐女子だけど、ジャンル移動するときのツイッターがいつもつらい。
新しいジャンルにはまった時に、前ジャンルに対して「まだ全然愛してる!公式のイベントあったら行くし、漫画も読み続ける!」となるタイプではなくて、
むしろ「なんで今まではまってたんだ…」と喧嘩別れした元カレのように感じてしまい目に入るたびに苦虫を噛み潰したような心持になるタイプだ。
前々々ジャンルでは次のジャンルでも話せそうな人だけ連れて新垢を作った。2回くらい、連れて行かなかった人にフォローされたが、しんどくなってしまいブロックした。申し訳ありません。
前々ジャンルではブロ解した。グッズくれるといっていたフォロワーは、その事実に気づいて貰い手を募っていて申し訳ない気持ちになった。
2回繰り返して学んだ私は前ジャンルでは別垢を作って活動したが、消える時何といえば良いのか分からず「精神的にまいった」という嘘をついて垢消しした。
でも、前々々ジャンル~現在まで、ピクシブは一つのアカウントで変えていないため(バカすぎる)、
今ジャンルの絵をあげると「いや元気やんけお前・・・」とウソがばれてしまう。ていうかもうあげたからバレている。
前ジャンルでは家に泊まったりするくらい仲のいい友達を作ってしまって、その子は私しかリプしあう友達がいなかったから本当に申し訳ないことをした。
そして何回苦しい一期一会を繰り返しても、今ジャンルでまた仲のいい友達を作ってしまった。全然学んでいない。
今回のアカウントは、リア垢を兼用しているから消すときにはまた前々々ジャンルのときみたいにするのかな。
【追記】
コメ色々ありがとう。そういえば手術では大量輸血が必要だったのだがそれで人格が入れ替わったのか…。
よく臓器移植でドナーの記憶が、みたいなオカルト話があるけどあながち間違いではない…のか?
推しは本当に急に変わったので加齢ではないとは思う。
変わった人格でも楽しく生きてるよ。
あと、そもそもオタクを治療するために手術した訳ではないからね!オタクは治る病気ではありません。
5年前、ある病気で入院しそこそこの規模の手術を受けた。産まれて初めての全身麻酔、そこから目覚めて入院生活とリハビリをしているうちに色々なものが自分の中で変わっていったので記録しておく。
まず前提として私はオタクなのだが、推しの傾向が180度変わった。急に。
それこそ小学生くらいから「黒髪・太眉・熱血主人公キャラ」なら無条件に好きになっていたものだったが、術後どうも食指が動かなくなったように思う。代わりに「金髪or銀髪・中性的・どっちかというと敵役」に急激にシフトチェンジしていった。コペルニクス的転回ってこういうこと?多分違うな。残念ながら頭の出来は変わらなかったらしい。
Twitterアカウントも変えた。友人からはジャンルで何か嫌なことでもあったのか、と心配されたが「手術を受けたら推しキャラが変わったんだよね〜」とは口が裂けても言えないのでなんとなくね、でお茶を濁した。正直に話したところで今度は頭の心配をされかねないので…。
術後のリハビリは「痛い・グロい・怖い」の三拍子だったが、詳しい内容は気分を悪くする可能性が多分にあるので割愛する。
病気をする前の私は所謂リョナ物が何より好きだったのだが、自分が実際痛い目にあってから全く読めなくなった。
今は多少は平気になったので楽しく購読している。嫌いになったというよりは読んでいて「イテテテテ!!」と当時の痛みを思い出してしまうからだったろう。好みが変わったからといって否定する気は全くなく、一つのフェチに特化した読み物は今でも良いものだと思う。
入院生活の間で実際に死や痛みと闘う患者さんや、それを懸命にケアする医療スタッフの方達を間近でずっと見ていたことも影響を受けたように思う。
それに以前の私はとにかく尖ったサブカル系ばかり読んでいた。流行り物なんてクソだと思っていた。
今では尖ったものも面白く読むが、流行り物も積極的に読んでいる。面白いから流行るんだよね…。
嗜好が変化したというか、受け入れる世界が広がった。
これは病気と一緒に中二病が治ったということになるのだろうか?
元気な頃はとにかく体系は細ければ細いほど美しいことに取り憑かれていた。ロリータファッションに傾倒し、毎月結構な金額が飛んでいった。軽自動車くらいなら一括で買えるくらいだっただろうが、可愛いものに囲まれた生活は本当に幸せだった。
今にしてみるとまるで他人のことのように思えるのだ。今通う店、GU。そんぐらい。バッグや靴はちょっといい物を買って、あとは周りに浮かない程度にトレンドを追い、ファストファッションを季節ごとに使い回す。
ロリータや裏原系は見るのは未だに大好きだがもう二度と袖を通すことはないだろう。これは加齢や太ったこともあるのかな。「ロリータはまず精神から!」という風潮があるが、精神がガラッと変わってしまったのが一番大きいかもしれない。
ロリータを着始めた切っ掛けにはまず私が熱狂的なバンギャルだったという事もある。
ヴィジュアル系は今でも聴く。これもやはり読書傾向と同じで、以前好きだったものも変わらず好きだが世界が広がりジャニーズや坂道系やEXILE系も好んで聴くようになった。アイドルソングはガチガチのその道のプロが創ってプロモーションしている訳で、いい曲なのは当たり前なのである。
アニメグッズなんかもそれ程買わなくなった。代わりに画集やフィギュアは一期一会なので買ってしまうが。
もし、5年前にタイムスリップが出来て、当時の私に「私は未来の貴女なんだよ」と告げたら、泡を吹いて倒れるだろう。精神的に脆い人だったので、世を儚んで命を絶ってしまうかもしれない。
だからタイムマシンが出来ても私はきっと使わないだろう。当時の私は、本当に幸せで、毎日楽しく過ごしていた。
今の私も、本当に幸せに楽しく気楽に生きている。GUの服を着て、流行りのギャグ漫画を読んで、たまにヴィジュアル系を聞きながら。
書きながら気になったのだが、もしかして知らないうちに臨死体験というものでもしたのだろうか?
とりあえず上記を50倍ほどに希釈した内容を長年の友人に話したら帰って着た言葉が、
その発想は、なかったな…