「ファンレター」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ファンレターとは

2020-10-26

anond:20201026174918

普通の女と逆なのでウケる。本当にアイドルかに一方的ファンレターを送ったりファンの一員として推しのいろいろなグッズを買ったりして過ごす方が良いのではないかと思う。

せめて職場No.1イケメンモテモテしょうがない人とかをターゲットにすべきではないだろうか。もっとも面識のある相手で、元増田がそれなりに魅力的な人だと結局男が元増田になびいてしまうような気がするけど。

大して魅力的でもないのに、自然出会いと男からアプローチを待ち続けてオバさんになっていく私を含めたアホ女たちと足して2で割りたい。

2020-10-17

anond:20201017171541

なるほど。そういう手もあったか。が、面倒くさがりなのでメールとかでもほとんどファンレターとか出したことがない…。何のためのレターセットと万年筆だと言われそうだけと。

anond:20201017164957

最近、すきな作家ファンレター書いたけど、楽しかった。帰っては来ないけど、手紙を出す機会を伺ってるのなら、そういうのはどう?

2020-10-06

蜘蛛天井に張り付いていた

風呂場の天井蜘蛛が張り付いていた。

浴室干し用の除湿機を切り忘れたせいで室内はひどい暑さだった。昨朝干したバスタオルは水分という水分が奪われて干物のようだった。そんな浴室の天井に黒くて小さいそいつはいた。

恐らくハエトリとかいうやつだと思う、小さなクモ

私は虫が苦手だ、掴むことはできない。ホウキではたいて自分の頭上に落ちてきたらこサイズでも少し怖い。シャワーで流してしまう手もあるがこんな手合いのためにせっかく乾いたこの部屋を濡らすのも馬鹿らしい。

後で殺そう

風呂に入る時に流してしまえばいいと思った。

翌日、リビング兼寝室の壁に奴はいた。

ベッドに腰掛けた私の顔の高さに張り付いていたので確実に目が(これが目なのか定かではないけれど)合った。

さな前足をこしこしとこすり合わせ安っぽい賃貸ビニールクロスに張り付いていた。

こんな至近距離クモを見たことはない、不思議と恐怖はなかった。

それどころか私のことを恐れる様子もなくマイペースに身繕いをするちいさなそいつを不覚にも可愛いと感じた。

やばい

私はクモ可愛いと思ってしまうほど追い込まれている。

ここ最近、何もする気が起きない。

仕事にはなんとか通っているがこの土日は家に引きこもっている、やれGOTOだと言われても外に出る気が起こらない。食欲もない、眠りも浅い、というか人と関わりたくない。つまり病んでいた。


引っ張られまいと気をつけてはいたのだけれど最近立て続いた悲しいニュースにかなりダメージを受けている。

私の母は自死だった、精神不安定彼女に長年振り回されたので亡くなったと聞いた時は正直安堵した。

それから最後まで身勝手なあの人に腹が立った、そして不器用彼女なりに自分を愛してくれていたことに感謝した。

それでもまだ彼女に対する複雑な想いは拭えないけれど、私はついに誰にも縛られず自由に生きられるのだと思った。

それも長くは続かなかった。

この時勢、短期間で様々なことが起こりすぎて『何でどうして』を明確には語れないのだけど、とりあえず何もする気が起こらない。

ただ部屋でぼんやりとする時間が増えている、意味もなく涙が出る。ここ数週間それが顕著になってきた。ネットで調べてみると先ほどの状態を含め鬱のはじまりはこんな感じらしい

『だろうな』と思った。

理由は後述するがこの状況から抜け出したいという危機感はなかった。


私はずっと容姿コンプレックスがあった、実際何度か顔にメスを入れた。

仕事をしつつ、自責癖のある母に悟られないようにやったので劇的な変化は望めなかったがそれでも元の顔に比べれば多少はマシになった。

身なりにも気を配った、歩き方ひとつも美しくあろうとした、親に教わらなかった最低限のマナーは本で学んだ。生まれ持った容姿をそんなことで補正しようとあがいた、所詮全て付け焼き刃だったが奇跡的に分不相応の異性と知り合えた時期もあった。

(母には捨てられるに決まっていると酷く嘆かれた、実際長くは続かなかった、それ以来彼氏はいない)

とにかく今の自分の生き辛さのすべての原因は自分馬鹿で醜いからで、配られたカードを最大限生かし切ることの出来ない己のせいだと自分を責めた。

一番にはなれなくても”普通”になりさえすればきっと人並み程度の幸せが手にできると盲信していた。


からこそ美しい人には幸せであって欲しかった

みんながうらやむような華やかで素晴らしい人生を送って欲しかった。そんなものエゴだと分かっているけど。

あんなに美しい人たちが、私にとって雲の上の美しい人たちが、多くの人に愛されるあの人たちが、母と同じような死に方をする、信じたくなかった。


母の遺品を整理した時、古いアルバムを見つけた。若いころの彼女客観的に見てもとても美人で可愛らしかった。

精神を病んでしまった晩年はそれはそれは酷い顔だったと記憶しているけれど、写真に写る彼女キラキラ輝いていた。

学生時代は多くの異性に言い寄られたという武勇伝あながち嘘ではないんだろう、なんで私は母に似なかったのかと亡き父を恨んだ。

しかしこれほど愛らしい容姿を持って産まれ人間でも決して幸せにはなれない。あんな酷い最期を迎える。


うまく言えないのだけど自分の信じてきたものアイデンティティがそこで崩れてしまった。


最近のその想いが否応なしに強まった。

TLに流れてくる生前の美しいあの人たちの姿を見ると在りし日の母の笑顔を重ねてしまう。

私は人と上手く人間関係を築くことができない。

親友と呼べる人はいない、親戚とは疎遠で母以外の身内もいない、彼氏もいない、先述した通り無条件で愛されるような容姿もなければ、以前のように愛嬌を振りまく気力もない。

最近はとても口が悪くなっている気がする、まるで晩年の母のようだと思う。

このまま自分も母と同じ道を辿るのだろうと考えることが多くなった。

母はあんなめちゃくちゃな状態になりながらも子供のことは愛していた、彼女の残した日記には私を一人遺しては逝けないという想いが書き殴られていた。(それを読んだ時あまりに生きることが不器用なあの人を哀んで泣いた)

ただ私には誰もいない。この状態を抜け出したいと思えない理由はこれだ、私にはこの世に未練がない。

強いて言えばこれまで恥ずかしくて書けなかったファンレター推しに一通だけ書きたい。置かれた状況も、身の上話も一切書かず、ただお礼を述べたい。

あとは身の回りの整理

こんな生活感丸出しの部屋を人に見られるのは嫌だ。それは私の最後の美意識というか、最後最後まで人に本音を見せることのできない人間の悲しい性なのだと思う。

からこの土日で部屋を整理しようと試みた

しかしこんな精神状態なのでそれも遅々として進まなかった。

クモ出会ったのはそんな時だった。

私は虫が嫌いだ。なので部屋に観葉植物は置いていない。(以前はあったが水受けの皿に黒いあいつの死骸があったことがトラウマでそれ以来置いていない)

切り花を飾った時期もあったけれど日々しおれていく花を見るのが悲しくて辞めてしまった。

から今、私の目の前でぴょこぴょこと動くこいつはこの部屋で私以外の唯一の生き物だ。

いや、ダニノミだって生物なので厳密に言えば間違った認識なのだけど、私の目に見えないものはいないことと同じなので、やはりこの部屋にいる生き物は私とこのクモだけなのだ

そう思ったらこいつが無性に愛おしく感じた、そして自分はなんて寂しいやつなんだろうと今度は己を哀れに思った。

 

こんな私の部屋にやってきてくれた小さな客人、彼(彼女?)は大人なのか、赤ちゃんなのか、そもそも本当にハエトリなのか、もしかして成長して私の世界で一番嫌いなあいつをモリモリ食べてくれる軍曹なのか(このネタが分からない人は「クモ軍曹」で、ググってほしい)、皆目検討もつかない。調べようかと思ったけれど画像が怖いのでやめた。

今は床に散らかしたままの服や下着に囲まれこの文章を打っている。

さっきまで部屋中央の照明のあたりにあいはいたはずなのだけど今はその姿は見えない。多分エアコン付近死角にあたる場所にいるのだと思う。こいつはずっと動いている気がする。

あの小さなクモの方が数十年生きている私なんかよりよっぽど強くて生きるのが上手だ。

よく見たら造形もスタイリッシュだし、目(?)もくりっとしていて結構可愛い

どうも彼らの多くは無害で虫を食べてくれる益虫らしい。

負けている。私なんてクモより役立たずで、クモよりずっと醜い。あんなに美しくなりたかったのに虫にすら負けた。

もともとマイナスだった自尊心だけどまだ底があった。笑うしかない。

まりに笑えてちょっと元気がでた。

元気が出たので散らかった服をゴミ袋につめこんだ、死ぬ前に出したい推しへのファンレターの下書きをした。(思いの丈を書き散らかしたらめちゃくちゃ長くなってしまった、どうしよう)

あとはこれまで集めたグッズを価値のわかる人に譲らなければいけない。

せめて死ぬ前に荒れた肌を直したい。髪を染め直したい。ベリーショートにしてみたい。健康問題と思われたくないかジムも再開しとこうか。 

のどぐろを食べてみたい。寝台特急に乗って一人旅をしてみたい。全く理解出来なかったテネットをもう3回くらい観たい。

そういえば推しの出演作も来月に控えている、

Amazonで予約した雑誌も来週届くんだっけ。

ああやっぱりグッズを手放すのが惜しい、服もまだ捨てるの勿体無いかも、他にも何かあったかな、多分ある。

この文章を打っている途中は死ぬことしか考えていなかったのだけど私にはまだ未練が山ほどあった。

自分の根幹に関わる重大なことから先延ばしにしていたことしょーもないものまで山ほどあった。

これは母の自死までをリアルタイムで見た自死遺族としての経験則だけど、死にたい衝動は長くは続かない。希死念慮自殺衝動は違う、後者は発作のようなものだと思う。

その瞬間にたまたま悪い条件が全て揃ってしまうと最悪の結果をもたらしてしまう。それを本人の意思で止めることは難しいし、周囲の人間が止めることはもっと難しい、本当に難しい。

逆を言えばその一瞬踏みとどまればいい、ほんのささいなきっかけで命は繋がるのだと思う、例えば小指の爪ほどの小さなクモ1匹の存在でも。


事実私はこいつに現在進行形で救われていて、今は部屋の隅っこで泣きながらこの文章を打っている、病んでいる。やっぱり病院へ行こう。まだクモの姿は見えない。


ありがとうクモ、ちっちゃな恩人、友と呼ばせてほしい。

私は虫が苦手なので、これ以上君が大きくなったら同居はできないかもしれない。けれど絶対に私は君を殺しはしないか安心して欲しい。

些細なきっかけで人は死ぬ些細なことで人は生きる。けど結局人はいつか死ぬしこの世は碌なものではないという考えはもう私の心に根付いてしまって、これを変えることはできない。


このまま鬱が本格的に悪化して今度は本当に死にたくなるのかもしれない。そればかりはわからない。


母と同じように首に縄をかける瞬間が来たら、私は天井を見上げるとおもう、見上げたいと思う。

ちいさな友人を探すとおもう、縋るとおもう、さよなら挨拶をするために君を探すとおもう、その時に今日のことを思い出して最悪の条件が揃わないことを祈る。

死んでいいタイミングなんてない、私には未練がごまんとあるのだ。

とりあえず今は蜘蛛を愛でる己の滑稽さと、気ままに壁を動き回る小さな友人の姿を楽しみたい

エアコンの上を歩くクモが見えた。

2020-09-24

anond:20200923144622

50代くらいの世代の人の話を聞いたり登場人気だった漫画の巻末のお便りコーナーなんかを見るに

萩尾望都をはじめとする「24年組」の少女漫画だとかバナナフイッシュとかは男性も読んでて

ドラゴンボールキャッツアイ北斗の拳タッチうる星やつらなどの少年漫画

教室で大流行して非ヲタ女子も回し読みするのが当たり前だったらしい

ジョジョのあーんスト様が死んだだって女性からファンレター

アニメだけど富野ガンダム最初ファン女性だった的な発言をしているし

女性向け」は男性が読むことを禁ずという意味ではないし「男性向け」も女人禁制ではない

作り手はそんなつもりではない

ただ近年になってジャンプがちょくちょく怪しい発言しているのが問題なんだよな

から少年漫画は男だけのものなのに!」と言い出す奴や「少年誌という言い方は女性差別!女性排斥意図がある!」とかいう奴が出てくる

他の少年誌青年誌ファンとしては迷惑しょうがない

2020-09-23

実家同人便箋を使いきってやりたかった

昔の私は小学生とき手紙を書くピークを迎えて、中学生20代前半までは手紙との接点が少ない生活だった。

アラサーときから手紙を書く習慣ができた

最近文通も始めて、今現在人生もっともたくさん、頻繁に手紙を書いている

結婚して家を出た。実家自分の部屋にあった紙ものを整理した

アニメ漫画好きなオタクだったからそういうオタクグッズがたくさんあり、ポストカード同人便箋処分してしまった

アンパンマンポストカードはちいさい子にあげた

あのとき処分をしていた私にはポストカードやら同人便箋やらの使い道が思い浮かばなかった

しかし、今の私なら、今までの人生で一番手紙を書いている今の私ならあのポストカード同人便箋たちを使えたかもしれないのに

同人便箋OK文通相手を探しだして文通とかやってたり、オリジナルキャラ同人便箋とかならファンレターに使ったりだとか

色々と使えてたかもしれないのに

オタクグッズとかほしい人に譲れたかもしれないのに

本来与えられた役目を果たせずゴミ箱行きになったものたちの無念さを考えると悲しい本当に

あぁぁ……

今の私は知り合いに手紙出すしファンレターたくさん書くし文通もやってるし

存在手紙魔に近いんだ

今の私ならあの同人便箋たちに本来役割を果たさせることができたかもしれないのに

実家から見つかった子供ときに買ったレターセットを今ほそぼそと使ってる(もちろん目上の人には使ってないよ。)

小学生とき自分がわくわくしながら買ったときの思いを大人の私が昇華しているようで、役目を果たしている昔のレターセットを見ていると気持ちがいいんだよね。自己満足だけど

同人便箋たちには申し訳ないことをした。

なんていうか、トイ・ストーリー子供が昔買ったおもちゃを成長するともう必要としなくなるみたいな切ないシーンあるけど

文房具はね…よほど状態が悪くなければ大人になっても使えるから

同人便箋文通たかったなぁ…

2020-09-19

anond:20200919122634

好きをぶつけて許されるなら嫌いをぶつけても許されるべきだろ

作者に生きてほしいかファンレターを送ったりするのなら、作者に死んでほしいか低能先生対話法(包丁滅多刺し)もやったっていいだろ

2020-09-11

炎上してオタクやめるとか

アイドル芸能人炎上し、オタクお気持ち表明し、それを見た人が「期待しすぎw」「理想押し付けすぎw」と嘲笑する

という流れをここ数年よく見た。

応援していた対象スキャンダルを受けてファンがショックを受けるなんて、勝手理想化してただけのくせに『そんなことする人だと思わなかった』と怒りファンをやめるだなんて、あまりに愚かで勝手すぎる、

そういう意見も一理ある。

でも炎上きっかけでファンをやめることを「勝手に期待していたから」というのは安直すぎるのではないか

例えば男性アイドル未成年女の子飲酒しお持ち帰りをした、というニュースを見て出る「そんなことをする人だと思わなかった」という気持ち

もちろん「見損なった」という意味で言う人もいるだろう。そういう人達揶揄される通りに勝手自分理想人物像をアイドル押し付け妄想し、本当はそれに当てはまらないという事実勝手に裏切られた気持ちになっているかもしれない。

しかし、裏切られたとか憤る気持ちもなく、ただシンプルに、「そんなことをする人だと思わなかった」と思う人もいるはずだ。

個人の話になるが、私は誰かのファンになる時、その人の表に出ない良くない部分を想像する。

恋人いるかもしれない、恋人SNSで匂わせに勤しんでいるかもしれない、ファンレターをオタクキモいと笑いながら読んでいるかもしれない、ヘビースモーカーかもしれない、

毎晩飲み歩いているかもしれない、酔って暴れたことがあるかもしれない、共演者を食い荒らしいるかもしれない、違法薬物の経験があるかもしれない。

見えていない部分は「無い」のではなくて、「見えていないか実態はわからないけど、何かある」と思っておく。

想像じゃなくても、良くない部分が見えることもある。遅刻魔で、先輩に敬語が使えなくて、漢字にめっぽう弱い、など。

良くない部分を見ても、想像しても、自分がそれを「許容できるな」と思うくらいその人を魅力的に思えたら、私はその人のファンである自覚する。

でも、想像を超えてくる場合がある。

そしたら私は「推しがそんなことをするとは思わなかったな」と思う。

単純に「私の想像範疇を超えていた」「そのパターン想像していなかった」というだけの話だ。

未成年女の子と派手にお酒を飲んで飲ませてセックスをするなんて絶対しないような、紳士で、倫理観のある人だと思っていた」ということではないのだ。

応援している対象自分想像を超えた行動をした、それがわかった後でもファンを続けられるか。

これは個人倫理観道徳心によるものだと思う。

私は推し未成年お酒を飲んでセックスしていても合意であるなら「なるほどそんなこともあるのか」と飲み込んでファンを続けられるだろうが、これが暴行しての強制性交なら絶対応援を続けられない。

見えていなかったものが見えてしまった、見えたものが私の正義と相反した、私は私の正義が許せないものを支持できないから離れる。

これも「勝手理想押し付け勝手に幻滅するな」と言われるならそれまでだが。

2020-09-09

広島で物書きをしている男の元に、編集部からファンレターがまとめて届いた。

普段は返事などしないが、なんとなく気が向いてそのうちの1通に返事を書いた。

数日後、アパートの部屋の前に1人の女子高生が立っていた。

「返事に住所が書いてあったから…東京からきました。私、先生ファンなんです」


それで、仕方なく部屋に入れお茶を出したよ。

という両親の馴れ初めに驚いてひっくり返った。

父の行動も母の行動も怖い。

おおらかな時代だったんだな。

2020-09-07

アイドルファンは全肯定応援スタイルが本当に正しいのか

私はかつて元KAT-TUN田口淳之介ファンだった人間だ。(釈放時に派手に土下座して法廷で公開プロポーズしたあいつだ現在も別の男性アイドル応援しているので、Twitterでいわゆるオタ垢を動かしている。そのオタ垢のTLで今年私をざわつかせた一連の流れがある。

手越祐也ジャニーズ事務所退所と、そこからファンの動きだ。

何がざわつくかって、かつての田口ファン層の変化と共通する点が多いからだ。

先にトピックを列挙しておく。

ファン需要供給の不一致

私生活の切り売り

ファン高齢化固定化

・全肯定ファンけが残った世界

当初たまたま目にしたファン...というより降りたくても降りられない人たちのつぶやきがあまりにも既視感があって、愚痴垢界隈からしばらく目が離せなくなってしまった。自分でもはちゃめちゃに気持ち悪いと思うけれど、自分トラウマと向き合って過去を冷静に振り返りたい自分がそこにいたのだと思う。

はじめに書いておくけれど、これはアイドルファンに対して「こうあるべき」と言いたいのではなく、手越くんをはじめとするアイドルたちに「残ったファンがこういう状況になったら危険」とどこかにメッセージを吐き出したくなったそこらの限界オタクの呻きです。オタクたちに石を投げるつもりは一切ございません。

また、「逮捕されたアイドルと一緒にするな」というご意見もあるかと思いますが、正直逮捕の有無に関わらず、逮捕前の田口の状況はいわゆる下降線をたどっていて、あまり芳しくなかったと思いますメジャーとの契約が切れたりして。(現在リセットされて少し良くなったと思う。この辺りは末尾にて。)知名度も人気の規模も手越くんとは差がありますが、あくまで「アイドルファン関係」が悪化すると活動が衰退する可能性があるぞという個人意見ですのでご了承ください。

ファン需要供給の不一致

田口といえば世間一般的にオラついていたKAT-TUNの中でもマイルド担当で、育ちとスタイルの良さ、ダンスの美しさからクラシカル王子様的ポジションとして愛されていた。(寒いギャグも言う三枚目キャラでもあったけど。)

ジャニーズ時代比較需要をまっとうしていたけれど、退所してソロ活動を始めてからは、本人のリアルな嗜好が垣間見れるようになってきた。

顕著だったのがアーティストロゴ

今でも「田口淳之介 ロゴ」と画像検索すると一部ヒットするが、ゴリゴリのワルなストリート系のロゴなのである(語彙力、、)。

インディーズで発表した1stシングルHERO」のジャケも完全にらしからぬワルでマッチョフォントタイトルが描かれていたし、続いてリリースされたメジャー1stシングルロゴストリートアート風で、本人のファッションもとてもカジュアルものだった。

活動のかなり初期から、熱心だったファンからも「これじゃない」「田口くんに似合う服はもっとこういうの(画像つきTweet)」といった類の意見が頻出していた。

音楽性に関してもちょいちょいジャパレゲテイストを出してきたり、ウェイ度の高いラップチャレンジしたり、イカついテイスト楽曲が目立った。(全てではないが)

はっきり言って、目指している方向が「理想ちょっと違う」というよりファン達が「なんなら苦手」と感じるジャンルだった印象だ。地雷を踏んでいたのだ。

アー写も「強い自分」を打ち出したい意図がわかりやすものを長らく使っていて、「もっと穏やかな空気感写真の方が田口くんの良さが出ていいのに」なんて言うファンの数は決して少なくはなかった。あれだけ言われていたのだからファンレター等で直接進言した人だっていたに違いない。

しかし、そういった意見からの変化は見受けられなかった。

逮捕前の田口は、ファン需要理解していながらも「自分表現したい自分」との大きなギャップに苦しんでいたのではないか

ライブ衣装しかり、写真集の衣装のチョイスしかり、需要に応える場面もそれなりにあった。けれど、本人が持たれたい印象と差があることがあまりにも明確だったので正直見ていて苦しかった)

独立して個人活動していくのだからアイドル自分のやりたい表現をやる権利行使して当然だ。それは美しく言えば信念とも言える。だけど、ファンのツボを押さえていないとファンが減るのは当たり前の結果なのだ

かつてのファンが一番切望しているであろう音楽活動が手薄なまま、YouTubeボランティア脱毛サロンにと活動範囲を広げている手越くんを見て、そんなことを思い出した。

ただここまでは本人がリスク覚悟してどこまで天秤にかけるのか次第の話だからまだいい。ここまでなら未来に期待して残るファンはそこそこいる。

私生活の切り売り

芸能人実名をあげまくった手越くんの自伝とは影響力にだいぶ差があるが、田口もしばしば私生活の切り売りと称されても仕方のない活動があった。

いくつかの媒体で、退所から現在までを振り返るインタビュー結婚をいずれ考えている主旨の発言をしたり、吉本芸人がたくさん集まる関西ローカル番組でも同様のことを語ったりしていた。

長年交際を続けている恋人がいるのはファンなら周知の事実だったし、退所理由を濁された時点で結婚を見据えての退所なのだろうと多くのファンが推察していたせいなのか、ソロ活動の開始当初から田口ファンには恋愛に寛容な人が多かった。

だが、週刊誌から情報が流れてくるのと本人の口から語られるのとではダメージ全く異なるのだ。くだりの関西ローカルから一気にファン離れが進んだ印象が強い。

アイドルだって恋愛自由だ」という考えは正論だし、どちらかといえば私もその主張に近いが、一方で「恋愛して欲しくないというより、アイドルの生々しさに触れたくない」というファン気持ちはわからなくもない。そういうファンが良い悪いというより、アイドルが実生活恋愛の話をすと、一定の耐性がある人でないと応援しづらくなるのが実情なのだ

また、生々しい恋愛を語りファンに耐性を求めることで、”とあるリスク”が生じるのだ。

ファンのと高齢化固定化

そのリスクとは「ファン高齢化」だ。

現在手越くんを純粋応援するファンの方も、どちらかというと高齢の方が目立つ。

田口ジャニーズ時代から元々マダムキラーの傾向があったが、1stアルバムを出したとき池袋サンシャインで行われた特典握手会には本当に若いファンがたくさんいたし、握手して感激して目をはらして会場を後にする人で溢れていた。

それが、いつからか会場には自分の親世代ファン割合がどんどん増えていって(つまり若い子が減った)、スタンディングの密集した現場なんかでは誇張ではなく本当に加齢臭が漂うようになってしまった。

アイドル恋愛に耐性がある人とはどういう人なのか。全員ではないが、自身結婚経験している人ほど、その傾向は高まるように思う。

また、アイドルの親目線で「幸せになって欲しい」と願うファンもこの傾向が強い。(言わずもがな世代の人たちに親目線ファンが多い)

自分結婚しているのに、アイドル恋愛結婚咎めるのは後ろめたい」と思う人、「アイドル恋愛を許容する心の広い自分が好き」と思う人たちが生き残る。

高齢ファンが全て悪いとは言いません。年齢を重ねて穏やかに応援していて、マナーを大切にする素敵なファンの方もたくさんいました。

ですが、高齢ファンのよからぬ特徴も正直あります

SNSが苦手

SNS上で内輪ノリな人が多い

SNSが苦手。これが単に「拡散力が低い」だとか「他界隈を沼に落とすのが下手」といった特徴であれば、単にプラスの影響が少ないだけで、害はありません。

SNS慣れしてない、SNSしてない世代の特徴は、<自分SNS上での振る舞いで他者からどう見られるか>という視点が欠如した行動全般を指すのです。

わかりやすい例でいうと、愚痴つぶやくとき検索けが出来ていなかったり。アイコンプロフィールがダサかったり。使っている絵文字顔文字など表現全般が古かったり。内容を垢分けせずに無駄日常を垂れ流したり。

そのダメな行動の最たる例が内輪ノリ

高齢女性ってなんですぐ「○○ちゃん〜❗️」とか言ってすぐリプライで絡むんでしょうね。あとすぐ「○○同盟」とか「見守り隊」とか言い出したり。

きっと若い世代以上に良くも悪くも<いか標準的であるか>に気を遣う世代からすぐに群れたがるのでしょうか。

アイドルディープオタクになるための2大行動として「ファンクラブに入る」と「SNSで専用垢を作る」だと思うのですが、後者の専用垢を作る前段階で、新規若いファン大手垢を中心に、界隈のファンがどんな発信をするかをチェックします。そして、安心できるコミュニティーだと判断してようやく壁打ち垢からスタートするものです。

SNSが下手なファンばかり増えてしまうと、残念ながら新規ファンはどんどんつきにくくなります

あとこれは田口ファンだけかもしれないけれど、高齢ファン気持ちが昂ってても遠慮してなのかライブ会場であんまり声出さないから、パフォーマンスの素晴らしさの割に現場熱狂が薄くて悲しくなることが多かったな。。。

肯定ファンけが残った世界

よく愚痴垢界隈や降りかけのファン、ひいては批判を投げかけるファンに対して投げかけられる意見として、「嫌なら見なければいい」という言葉があります

特に逮捕直後は当然ながら田口ファン界隈のSNSも荒れに荒れ、結果として擁護からこの言葉が発せられました。

少し前にAKB48柏木由紀ちゃん(この人選で傷つく手越くんファンいたらごめん)も自身Youtubeチャンネルで、「全肯定してとは言わなけれど、アイドル自分理想に変えさせるのは違う。見ていて自然応援したくなる人を応援すべき」という主旨のことを話していた。全肯定まではいかないけれど、比較的近いスタンス発言だと思う。

こうした類の意見は、ファン自身精神を病まずに応援するという観点では大正解だ。

だけどアイドルから見て、本当にこのスタンスは望ましいのだろうか。

アイドルに限らず、認知度がものを言う世界では、無関心こそが最大の脅威だ。愚痴を言われながらフォローを続けられているならまだマシで、チャンネル登録フォローを一度外されてしまったら、そのファンが戻ってくる望みはほぼゼロに等しい。

だいたいアイドルが何をやっても許すならば、そもそもなぜそのアイドル推しているのかという根拠が揺らいでしまう。だんだん応援するのが習慣になってしまったとしても、元はといえば応援したくなる決定的な要素があったかファンになったはずだ。本当に全肯定になってしまったら、それはただの宗教依存自己陶酔だ。

今私が推しているアイドルの界隈は、ことによっては批判も行われ(批判アイドルだけでなく運営に向けられることもある)、少なくともファンの間では正当に議論が交わされることが多い。批判も決して押しつけではなく「次は気をつけられるといいね」「反省できる○○くんは素敵」といった具合に幸いにもポジティブに着地するのをよく見かける。こういう意見が見られる場所応援してこそ、自分推しているアイドルを好きだと日々自信を持って実感しながら応援出来るのではないか

そして現在手越くんの愚痴界隈は、見切る勇気がなかったり、まだ期待しているというだけでなく、ファンが減ってしまう恐ろしさを察知しているからこそ、健気に意見を言い続けているのではないでしょうか。

かつての田口から見ても、彼女たちがいなくなってからが本当に切ない事態を招いてしまう予感がします。Twitterを見た感じ、若いファンが多いし。

少し前に現在応援しているアイドルグループのメンバーの一人が、新しいレギュラー番組を始めるにあたって、「今まで見せたことがない一面を見せるかもしれない」と事前にブログで発信していてとても感心しました。ファンが離れる恐れのある新しい挑戦の際に、先回りしてファンケアしたり、活動の幅を広げるにしても、ファン理解できるような筋を通すことでいか安心感が得られるか、と実感した体験でした。手越くんもよかったら参考にしてみてください。

最後にこのブログで散々貶めてしまった元自担田口淳之介さんに関して補足。

私は逮捕が原因でファンをやめたというより、逮捕後、ファンクラブの会員だけが見られるブログでは「法廷で語ったことが全て」と言っていたくせに、そのブログの後で家族との仲が原因で小嶺家に助けられて絆を深めた、などなど余計なことをベラベラと週刊誌に語ったのに呆れ果てて応援する気をなくしてしまいました。

ですが、私がファンをやめる前より、現在の方が状況が良いように思います

逮捕されたことで以前よりプライドがなくなったのか、自身オリジナル曲だけでなく「踊ってみた」に積極的に挑戦して動画投稿したり、逮捕からラジオ番組を通じて交流があったボカロ界隈の方と楽曲を作ることで、クリエイターを押し上げつつハイペースに作品を出すことに成功しています

正直、逮捕された後にここまでアクティブ活動してくれると思っていませんでした。

ボカロ曲が私の音楽的嗜好に合わないので、応援はしていませんが、SNSフォローは続けています

たくさん傷つけられましたが、今でも幸せになって欲しいという気持ちには変わりはありません。

何より、「歌って踊ることが好き」であるということにしっかり軸を置いて活動しているのが見て取れるのが嬉しいし、どうかこのまま続けて欲しい。田口氏に関しては、いつの日かまたファンに戻る日がくるかもしれません。

勝手比較して勝手に書き散らしましたが、どうか手越くんのファンやかつて手越くんファンだった人たちが幸せに心穏やかに暮らせますように。

2020-08-29

キショ遺書

私は私のファン第1号だ。

たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。

自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画主人公じゃないか」と息を飲む。

自分というアイドル偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。

壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。

迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。

いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。

本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。

歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識けがふよふよと漂っているのだ。

偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。

私は私の人生自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想しかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。

毎年8月を思い出せない。毎日家の天井ばかり見つめている。

誕生日が来る度に「来年もっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。

そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。

この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。

何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。

私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。

さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。

私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字遺書。よってこれを最後ファンレターとして筆を折ろう。キショ。

2020-08-27

幻聴が、いつから

というより、どうして、プログラマーはなしかけるんだろう

プログラマーに話しかけられたくないくせにあーあ。

まぁ、いくつかのけんについては

自分ファンレターしたことがわるい。というのはある。連絡したら呪われるみたいなものはある。

2020-08-17

少女小説」を愛するということと、その忘却について

 少女小説が好きだ。

 戦前吉屋信子氏に代表される「少女小説からまり時代の流れのなかでいちどは途絶えそうになるものの、70年代後半にやはり「少女小説」を愛していた氷室冴子さんをはじめとするコバルト文庫作家さん方によって再び脚光を浴び、2020年まで連綿と息づいてきた少女小説が、好きだ。

 昔からずっと変わらず月が愛でられてきたように、百年前から変わらず「少女小説」を愛しているひとたちがいる。そんな長い歴史浪漫の一端に、きっと私もいるのだろう。

 青春時代、「少女小説」というひとつ空間のなかで、ひそやかに繰り広げられてきた世界に没頭し、陶酔し、生涯大切にしようと胸の前でそっと本を抱えながらその思い出を心の奥底にある宝箱のなかにしまったのだ。

 私が初めて少女小説を読んだのは、中学生の頃だった。学校図書室で、静かに置かれていた『シュガーアップルフェアリーテイルシリーズを偶然手にして、優しく柔らかに、そして美しく描かれる銀砂糖師と妖精たちの世界に魅了されたのだ。そこから、『ヴィクトリアン・ローズテーラーシリーズや、『おこぼれ姫と円卓の騎士シリーズ、『英国マザーグース物語シリーズ、『彩雲国物語シリーズなどなど、様々な少女小説に手を出した。あるときには、とある少女小説作家の方に、人生で初めてのファンレターを送ったら、返事が届いた。今もその手紙は、机の引き出しの奥できらきらと輝き続けている。そうした読書体験を含め、少女小説を心から愛している。

 とはいえ、たぶん。現在の若年層は、そもそも少女小説」という言葉を知らないひとも増えているのだと思う。実際、私(※大学生)の周りでも、「少女小説」という言葉を知らなかったというひとは多い。コンテンツに溢れた世の中で、他作品よりも目立つことの難易度は、どんどんと高くなっているのかもしれない。だが同時に、「キャラ文芸」あるいは「ライト文芸」といわれるような作品群や、Web小説なかに少女小説文脈はいまも引き継がれているのだとも思う。

 ある言葉の持つ意味時代と共に少しずつ変化することがあるように、時代に合わせて本もまた少しずつ変化していくのだろう。だから、そうした時代の変化を悲観する必要はないのかもしれない。けれどやっぱり寂しい気持ちもあり、もっと沢山のひとに「少女小説」という存在を知ってほしいと思ってしま自分もいる。

 「小説家になろう」発のWeb小説や、「ライトノベル」という言葉の定着によって、昔なら「少女小説」と呼ばれたかもしれない作品群も、「Web小説」や「女性向けライトノベル」という枠に入ることも増えつつある。その結果、「少女小説」という言葉が再び「知る人ぞ知る」ものになりつつあるのだろう。名前が変わっても、物語が描き出すもの自体は何も変わらないのだから、繰り返しにはなるがきっと悲観することではない。それでもやっぱり、どこか寂しい。その思いから、筆を執った次第である

 「少女小説」という言葉に執着する必要はないのかもしれない。前述したように、物語が伝えたい想い自体は、変わらず在り続けているのだから

 それでも、百年前から愛されてきた、そして私が愛した「少女小説」を、再び世に広く知ってもらえる未来が来ることを祈っている。

2020-08-16

anond:20200813204700

元増田です。知らないところでバズってたみたいで自分ツイ垢にもこの記事回ってきた。

あの後色々反応もらえて、その中でここ気をつければ私みたいなライト層なら対策取れるなってのが沢山あったのでまとめさせてもらいますガチ勢わからん。瞳の写り込みから特定とかはやったことないし。

https://anond.hatelabo.jp/20200814040800

社内でちょっといいお土産が配られた時、お土産名に日付指定を組み合わせて検索すると会社の人のTwitterが見つかる。

嫌いな元上司Twitter退職して5年経った今でも見てる。

その人も退職して、今実家暮らしてるらしい。

https://anond.hatelabo.jp/20200814093952

停電

・近辺の交通事故渋滞情報

電車に乗ってから到着するまでのツイート

ゲリラ豪雨

スーパーで買ったもの(お惣菜だとパッケージに○○店って書かれてる。田舎だとチェーン店でも店舗数が少ないか都道府県さえ分かれば生活圏がわかる。)

仕事の繁忙期、仕事内容の匂わせ

どの市区町村に住んでることかわかったら、誰かに聞かずともとんとん拍子に特定できる。

気をつけてほしい。

https://anond.hatelabo.jp/20200814115941

雨降ってるツイートとかも余裕で割れ

誰かが雨降ってるとツイートしてたらとりあえず雨雲レーダー見るけど、ゲリラ豪雨とかだと市区町村レベル特定できる

https://anond.hatelabo.jp/20200814143931

ケーキ写真ヤバイらしいね

不二家とかチェーン店じゃないケーキ屋のケーキは気を付けるべし

chocolaterock 意外とこういうところ学生さんが詰めが甘いらしくて、一人見つけたら芋づる式でわんさか出てくるって友達が言ってた。気をつけたい

hiyori777 黒歴史クリーナー使ってもフォロワーから過去に送られた「◯◯ちゃん地元◯◯なんだ〜!」みたいなリプライは残り続けるわけだからね…本人が途中からリテラシーを学んでも遅い場合が多い

Galaxy42 これらのポイントに絞ってフェイクを構成すると良いのね。

あと参考ついでに、何で特定なんかするの?って意見を見かけたので。

一概には言えないけど、少なくとも私は特定に至る過程面白いのでやってる。だから得られた個人情報っていうのは副産物に近いので、正直あんまり興味がない。ファンレターくらいなら出せるなって思ったことはあるけど。

で、趣味に勤しんでいたら思ったより簡単特定できる人が多くて、特定趣味やばい奴が個人情報垂れ流しのもっとやばい奴に出会って正気に戻った。それでせめて対策のための手口とか明かしておこうって思って書いた。

あと私の手口として、瞳の写り込みはないけどコップの写り込みから窓の形が集合住宅に多い型だって特定したことはある。空の写り具合から3階以上だなってのもわかった。

それから写真を上げるときは中の文字はなるべく消した方がいい。有名な観光地でない限りは。

それからチンポジも突っ込まれてたけど、ぶっちゃけまだマイルド話題で、ある人は息子の精通ネット履歴から特定したオカズについても書いてた。正直この人にドン引きして正気に戻ったっていうのはある。

でも結局自分を顧みることのできない人だから簡単特定されるのであって、

ffrog 肝心のそういう人たちにはこのエントリが届かなさそう

だろうなと思ってる。

2020-08-11

一筆箋めったに使わないな

レターセットやレターパッド、便箋の類いは文通をしたり、ファンレターを書いたりする習慣がある人間なら出番が多いので使いきることが可能

しかし、一筆箋はめったに出番がない。先日前の職場の人がかわいい猫の絵柄の一筆箋でメッセージを書いてくれたので私も嬉々として自分の一筆箋にメッセージを書いて送った。

気に入って買った一筆箋なので書き上げた後「はぁ…やっぱりかわいい」と思い

そして持ち主の私が一筆箋をなかなか使わないことによりその一筆箋のページがなかなかこの世に出回らないことが惜しいなぁと思う。せっかく買った一筆箋なのでじゃんじゃん使っていきたいのに

世の中にはそえぶみ箋というもの存在してちょっとしたブームになるくらい一筆箋がメジャーな道具であるはずなのに、実際には一筆箋の出番が極端に少ないのなんでなんだろ

私の今の生活環境では手持ちの一筆箋たちの活躍の場が少な過ぎるよ

2020-07-31

ファンレター、書く側と受けとる側の温度

本、漫画ファンレターを書く人には変わり者が多いと聞いた

アイドルアーティスト場合はどうか知らない

感想に飢えている人はファンレターを見てテンション爆上げで、書いた側も受け取った側もwinwinの関係であるが、やはりファンからファンレターを読んだ推しファンとの温度差というものが生じるときもある。

ファンレター推しのことをたくさん知っているが、推し書き手ファンのことを何も知らないので温度差があるのはしょうがない。ファンレターを読んで涙を流すような人もいるだろうが、ファンレターに対して非常にあっさりしてクール感情を持つ人もいる。

推しが一緒にチェキが撮れるような地下アイドルだったら認知されて手紙を書いた人間に対して好意を持つ可能性が高くなる

推し知名度が高ければ高いほど、ファン推し温度差は広がり、自分大衆の中のうちの一人と理解して推しを変わらず愛し続けられる人間もいれば、報われない推しへの重苦しい愛情に押し潰されて病んでいく人間もいる

推しに高価なプレゼントをしたり、ファンレターを年間三桁書くようなファン自分愛情に押し潰されて推し一挙一動に苦しむタイプ

2020-07-28

手紙の書き方出し方は保育園幼稚園で教えるべきでは?

私は郵便オタクなので普通の人よりも郵便のことを考えている。

からタイトルの考えに至った

私がいつ手紙はがきの書き方を教えてもらったのか覚えてないのだが年賀状を出す文化があったため、郵便物を送るとき切手必要だということは小学生ときからわかっていた。

ふと、YouTubeを見ているときに「おや?」と思う動画に遭遇した。子供に人気のYouTuberに届いたファンレターのうちの一部がむちゃくちゃだった。おそらく小学生から届いたファンレターだと思う。はがきの表裏を間違えて書いてあったり、封筒切手を貼らずに投函したり、めちゃくちゃだ。すべての子供がそうではなく一部のファンのことであるYouTuberは手紙の書き方をちゃんとお父さんお母さんに聞いてと優しく諭していた。

親が知らないうちに子供が家にある封筒便箋を使って手紙投函するということはありえる。

親の見てないところで全ての行為がなされてしまった場合しょうがない。

こうなってしまう前に私は幼稚園保育園先生子供手紙はがきの書き方出し方を教えるべきだと思う

私は手紙オタクなんで自分の子供にははがき手紙の書き方を教えるつもりだが、

最近保護者ポストに入れる手紙はがきなんか書かないという人も多いと思う。手渡しの手紙は書く機会はときどきあるだろうけど。

年賀状の枚数も年々減ってます

親が手紙はがきに興味がない人間だったら子供に書き方を教えることもないだろう。小学生国語時間手紙の書き方を勉強するのだろうが、何年生のときに教わるのかは知らない。どこまでの知識を授業で教えるのかもわからない。

手紙はがきの出し方って国語というよりは家庭科でやるべきなんじゃないかと思えてきた……

切手の料金とかはがきの買い方とかレターセットの買い方とか手紙の折り方や入れ方って国語じゃなくて家庭科の内容ではないか!?

国語でどの程度郵便物の知識を教えるのか知らないが手紙はがき知識幼稚園保育園先生子供に教えるべきだと思う。そうしたら子供自分の大好きなYouTuber宛の手紙はがき切手を貼らずに投函することを少しは防げると思う。

最近大人でも郵便物の常識的知識を持っていない人が多い。

親じゃなくてきちんと子供教育知識がある教育プロ幼稚園保育園先生が教えるべきだと思う

2020-07-26

anond:20200726140618

元増です。

ファンレターを受け取った表現者ファン個人情報悪用するかどうか心配するのは、

今日外に出かけたら交通事故に合うかもしれない」と心配することに近いと思うので

そんなことを悩んでいたら誰にもファンレター送れないから考えなくてもいい問題です。

anond:20200726135855

元増です。

あなたファンレターを書いたことがない方なんだと想像しました。

ファンレター ブログ」で検索したら世の中からファンレター絶対になくならないとわかりますよ。

anond:20200726135504

ファンレターもらうような人で、個人情報悪用してしまうほど人格破綻している人はたまにいる。ニュースで見たことある

から漫画家なら版元が、アーティストなら事務所が、個人特定できる情報はあらかじめ消しておく。

anond:20200726123325

元増だけど調べてみたら某大手出版社はとどくファンレターの数が多くて、ファンレターの処理をすることが「通常業務」になってないかファンレター出版社に届いてから作者の元へ数年かかることがあったみたい。これは2010年頃の話だから昔はこういう状態が実際にあったってことで。

「作者にファンレター転送することを当社では通常業務として行っています。だからファンレターを送ってください」と宣言する出版社複数いる。

そして、版元が個人情報保護のために手紙封筒処分して作家ファンレター転送する場合があるらしい。編集者は「読者の個人情報作家悪用するかもしれない、流出させるかもしれない。そしたらその問題が起きたときに版元に迷惑がかかるから」という考えで読者の個人情報作家に渡さないようにするらしい。

でも、作家に「自分の住所や名前を知られたくない」と思ってファンレター自分の住所や名前封筒に書いて送るファンがいるのか?

作家というものは読者の個人情報を漏らしてしまうほど、悪用してしまうほど人格破綻しているのか?そんなことは通常心配しなくていいこと、心配してもしょうがないことだ。

ファン会社ファンレターを送ったらスッと表現者、作者、アーティストにお届けしてくれ

ファンレター封筒勝手処分するなあああ

私はファンレターをよく送るし、ファンレターのことをよく調べるのだが

どきどきファンレターの残念な情報を目にする。

たとえば漫画家漫画の連載終了後に出版社からファンレターを受け取ったという話

ファンレターは嬉しいけど連載中に受け取って、仕事の糧にしたかった。漫画の連載中にファンレターを読みたかった」と当然のことを言ってて

漫画編集部担当かよくわからんファンレターのチェックをしている人間は人の感情想像できない酷い人間なんだと思った

世の中の多くのファンレターは滞りなく送り先の表現者に送られていると思うが中にはこういう悲しい事例が存在する。

今日漫画家が「ファンレターが届いたけどファンレター確認する人がファンレター確認後に手紙封筒処分してしまって中身だけ受け取った。それで住所がわからなくてファンレターの返信ができない」と言ってて自分は「はぁぁぁぁぁ!?💢💢💢」と怒りが沸いてきてしまった。

私はまったくの無関係人間なんだがムカついた

ファンレター漫画家のもので、中傷が書かれていたわけでもないのに何で勝手処分していいと思っているんだろう。他人のくせにファンレター所有権自分にあると錯覚しているのかな?読者がレターセットを使う人だったら便箋封筒デザインもこだわりがあるものを選んでそれを両方見てもらいたいと思っていたかもしれないのに。

世の中にはファンレター表現者が結び付いて幸せときがたくさんあるのに。ファンレターには少数ながらこういう悲しい出来事が起こってしまうのか

本当に悲しい

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん