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2021-08-26

anond:20210826221650

君は夜行性なのカナ?

しこったら眠くなるでしょ?

からしこしこしてぐっすり寝ようね😪

2020-10-06

蜘蛛天井に張り付いていた

風呂場の天井蜘蛛が張り付いていた。

浴室干し用の除湿機を切り忘れたせいで室内はひどい暑さだった。昨朝干したバスタオルは水分という水分が奪われて干物のようだった。そんな浴室の天井に黒くて小さいそいつはいた。

恐らくハエトリとかいうやつだと思う、小さなクモ

私は虫が苦手だ、掴むことはできない。ホウキではたいて自分の頭上に落ちてきたらこサイズでも少し怖い。シャワーで流してしまう手もあるがこんな手合いのためにせっかく乾いたこの部屋を濡らすのも馬鹿らしい。

後で殺そう

風呂に入る時に流してしまえばいいと思った。

翌日、リビング兼寝室の壁に奴はいた。

ベッドに腰掛けた私の顔の高さに張り付いていたので確実に目が(これが目なのか定かではないけれど)合った。

さな前足をこしこしとこすり合わせ安っぽい賃貸ビニールクロスに張り付いていた。

こんな至近距離クモを見たことはない、不思議と恐怖はなかった。

それどころか私のことを恐れる様子もなくマイペースに身繕いをするちいさなそいつを不覚にも可愛いと感じた。

やばい

私はクモ可愛いと思ってしまうほど追い込まれている。

ここ最近、何もする気が起きない。

仕事にはなんとか通っているがこの土日は家に引きこもっている、やれGOTOだと言われても外に出る気が起こらない。食欲もない、眠りも浅い、というか人と関わりたくない。つまり病んでいた。


引っ張られまいと気をつけてはいたのだけれど最近立て続いた悲しいニュースにかなりダメージを受けている。

私の母は自死だった、精神不安定彼女に長年振り回されたので亡くなったと聞いた時は正直安堵した。

それから最後まで身勝手なあの人に腹が立った、そして不器用彼女なりに自分を愛してくれていたことに感謝した。

それでもまだ彼女に対する複雑な想いは拭えないけれど、私はついに誰にも縛られず自由に生きられるのだと思った。

それも長くは続かなかった。

この時勢、短期間で様々なことが起こりすぎて『何でどうして』を明確には語れないのだけど、とりあえず何もする気が起こらない。

ただ部屋でぼんやりとする時間が増えている、意味もなく涙が出る。ここ数週間それが顕著になってきた。ネットで調べてみると先ほどの状態を含め鬱のはじまりはこんな感じらしい

『だろうな』と思った。

理由は後述するがこの状況から抜け出したいという危機感はなかった。


私はずっと容姿コンプレックスがあった、実際何度か顔にメスを入れた。

仕事をしつつ、自責癖のある母に悟られないようにやったので劇的な変化は望めなかったがそれでも元の顔に比べれば多少はマシになった。

身なりにも気を配った、歩き方ひとつも美しくあろうとした、親に教わらなかった最低限のマナーは本で学んだ。生まれ持った容姿をそんなことで補正しようとあがいた、所詮全て付け焼き刃だったが奇跡的に分不相応の異性と知り合えた時期もあった。

(母には捨てられるに決まっていると酷く嘆かれた、実際長くは続かなかった、それ以来彼氏はいない)

とにかく今の自分の生き辛さのすべての原因は自分馬鹿で醜いからで、配られたカードを最大限生かし切ることの出来ない己のせいだと自分を責めた。

一番にはなれなくても”普通”になりさえすればきっと人並み程度の幸せが手にできると盲信していた。


からこそ美しい人には幸せであって欲しかった

みんながうらやむような華やかで素晴らしい人生を送って欲しかった。そんなものエゴだと分かっているけど。

あんなに美しい人たちが、私にとって雲の上の美しい人たちが、多くの人に愛されるあの人たちが、母と同じような死に方をする、信じたくなかった。


母の遺品を整理した時、古いアルバムを見つけた。若いころの彼女客観的に見てもとても美人で可愛らしかった。

精神を病んでしまった晩年はそれはそれは酷い顔だったと記憶しているけれど、写真に写る彼女キラキラ輝いていた。

学生時代は多くの異性に言い寄られたという武勇伝あながち嘘ではないんだろう、なんで私は母に似なかったのかと亡き父を恨んだ。

しかしこれほど愛らしい容姿を持って産まれ人間でも決して幸せにはなれない。あんな酷い最期を迎える。


うまく言えないのだけど自分の信じてきたものアイデンティティがそこで崩れてしまった。


最近のその想いが否応なしに強まった。

TLに流れてくる生前の美しいあの人たちの姿を見ると在りし日の母の笑顔を重ねてしまう。

私は人と上手く人間関係を築くことができない。

親友と呼べる人はいない、親戚とは疎遠で母以外の身内もいない、彼氏もいない、先述した通り無条件で愛されるような容姿もなければ、以前のように愛嬌を振りまく気力もない。

最近はとても口が悪くなっている気がする、まるで晩年の母のようだと思う。

このまま自分も母と同じ道を辿るのだろうと考えることが多くなった。

母はあんなめちゃくちゃな状態になりながらも子供のことは愛していた、彼女の残した日記には私を一人遺しては逝けないという想いが書き殴られていた。(それを読んだ時あまりに生きることが不器用なあの人を哀んで泣いた)

ただ私には誰もいない。この状態を抜け出したいと思えない理由はこれだ、私にはこの世に未練がない。

強いて言えばこれまで恥ずかしくて書けなかったファンレター推しに一通だけ書きたい。置かれた状況も、身の上話も一切書かず、ただお礼を述べたい。

あとは身の回りの整理

こんな生活感丸出しの部屋を人に見られるのは嫌だ。それは私の最後の美意識というか、最後最後まで人に本音を見せることのできない人間の悲しい性なのだと思う。

からこの土日で部屋を整理しようと試みた

しかしこんな精神状態なのでそれも遅々として進まなかった。

クモ出会ったのはそんな時だった。

私は虫が嫌いだ。なので部屋に観葉植物は置いていない。(以前はあったが水受けの皿に黒いあいつの死骸があったことがトラウマでそれ以来置いていない)

切り花を飾った時期もあったけれど日々しおれていく花を見るのが悲しくて辞めてしまった。

から今、私の目の前でぴょこぴょこと動くこいつはこの部屋で私以外の唯一の生き物だ。

いや、ダニノミだって生物なので厳密に言えば間違った認識なのだけど、私の目に見えないものはいないことと同じなので、やはりこの部屋にいる生き物は私とこのクモだけなのだ

そう思ったらこいつが無性に愛おしく感じた、そして自分はなんて寂しいやつなんだろうと今度は己を哀れに思った。

 

こんな私の部屋にやってきてくれた小さな客人、彼(彼女?)は大人なのか、赤ちゃんなのか、そもそも本当にハエトリなのか、もしかして成長して私の世界で一番嫌いなあいつをモリモリ食べてくれる軍曹なのか(このネタが分からない人は「クモ軍曹」で、ググってほしい)、皆目検討もつかない。調べようかと思ったけれど画像が怖いのでやめた。

今は床に散らかしたままの服や下着に囲まれこの文章を打っている。

さっきまで部屋中央の照明のあたりにあいはいたはずなのだけど今はその姿は見えない。多分エアコン付近死角にあたる場所にいるのだと思う。こいつはずっと動いている気がする。

あの小さなクモの方が数十年生きている私なんかよりよっぽど強くて生きるのが上手だ。

よく見たら造形もスタイリッシュだし、目(?)もくりっとしていて結構可愛い

どうも彼らの多くは無害で虫を食べてくれる益虫らしい。

負けている。私なんてクモより役立たずで、クモよりずっと醜い。あんなに美しくなりたかったのに虫にすら負けた。

もともとマイナスだった自尊心だけどまだ底があった。笑うしかない。

まりに笑えてちょっと元気がでた。

元気が出たので散らかった服をゴミ袋につめこんだ、死ぬ前に出したい推しへのファンレターの下書きをした。(思いの丈を書き散らかしたらめちゃくちゃ長くなってしまった、どうしよう)

あとはこれまで集めたグッズを価値のわかる人に譲らなければいけない。

せめて死ぬ前に荒れた肌を直したい。髪を染め直したい。ベリーショートにしてみたい。健康問題と思われたくないかジムも再開しとこうか。 

のどぐろを食べてみたい。寝台特急に乗って一人旅をしてみたい。全く理解出来なかったテネットをもう3回くらい観たい。

そういえば推しの出演作も来月に控えている、

Amazonで予約した雑誌も来週届くんだっけ。

ああやっぱりグッズを手放すのが惜しい、服もまだ捨てるの勿体無いかも、他にも何かあったかな、多分ある。

この文章を打っている途中は死ぬことしか考えていなかったのだけど私にはまだ未練が山ほどあった。

自分の根幹に関わる重大なことから先延ばしにしていたことしょーもないものまで山ほどあった。

これは母の自死までをリアルタイムで見た自死遺族としての経験則だけど、死にたい衝動は長くは続かない。希死念慮自殺衝動は違う、後者は発作のようなものだと思う。

その瞬間にたまたま悪い条件が全て揃ってしまうと最悪の結果をもたらしてしまう。それを本人の意思で止めることは難しいし、周囲の人間が止めることはもっと難しい、本当に難しい。

逆を言えばその一瞬踏みとどまればいい、ほんのささいなきっかけで命は繋がるのだと思う、例えば小指の爪ほどの小さなクモ1匹の存在でも。


事実私はこいつに現在進行形で救われていて、今は部屋の隅っこで泣きながらこの文章を打っている、病んでいる。やっぱり病院へ行こう。まだクモの姿は見えない。


ありがとうクモ、ちっちゃな恩人、友と呼ばせてほしい。

私は虫が苦手なので、これ以上君が大きくなったら同居はできないかもしれない。けれど絶対に私は君を殺しはしないか安心して欲しい。

些細なきっかけで人は死ぬ些細なことで人は生きる。けど結局人はいつか死ぬしこの世は碌なものではないという考えはもう私の心に根付いてしまって、これを変えることはできない。


このまま鬱が本格的に悪化して今度は本当に死にたくなるのかもしれない。そればかりはわからない。


母と同じように首に縄をかける瞬間が来たら、私は天井を見上げるとおもう、見上げたいと思う。

ちいさな友人を探すとおもう、縋るとおもう、さよなら挨拶をするために君を探すとおもう、その時に今日のことを思い出して最悪の条件が揃わないことを祈る。

死んでいいタイミングなんてない、私には未練がごまんとあるのだ。

とりあえず今は蜘蛛を愛でる己の滑稽さと、気ままに壁を動き回る小さな友人の姿を楽しみたい

エアコンの上を歩くクモが見えた。

2016-12-14

週に一回は顔の付いたものを食べよう

鯛のかぶととアラをパックにしたやつが安く売ってたんで煮付けにでもしようと思って購入した。

お湯をかけ汚れを落としてウロコをこしこししてると、持ってた自分の指がかぶとの後ろにひっかかったかなんかで鯛の目玉がギョロっ!と動いた。

「ひぁぁあ!!」ってうっかり悲鳴をあげてしまって情けなかった。しかもその後また目がギョロっとしたら怖いからめちゃくちゃ逃げ腰で洗ったり鍋に入れたりした。

なんて情けない。

普段切り身の魚と肉を買いすぎだ。

いやほとんど料理しないからよけいだめだ。

見えないだけで、今日食べたツナサンド豚肉チャーハンもつくね鍋も誰かがと殺してくれているんだ。

せめて、料理するときは顔の付いた魚をさばこう。このままではなんかあったときに生きていけない。

2013-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20130127232826

その「脱力主人公」というアニメおもしろいと思えたものが一つもないので、君が何を言ってるのかわからない。

そんな僕だが琴浦さんこしこししたいです。

2013-01-27

琴浦さんについて

琴浦さん」。ニコニコ動画で相当な再生数を誇り、各種サイトでも良作と評される、今季注目のアニメ作品である

主人公琴浦春香は他人の心が読める女の子であるために、周りから蔑まれ、憎まれてきた。その結果、彼女は心を閉ざし、「離れていくくらいなら最初から一人のほうがマシ」

孤独を愛するようになってしまう。そんな状況に一石を投じたのが真鍋義久。底抜けに明るく、エロスなことばかり考えているが、正義感が強く、琴浦もそんな真鍋に惹かれていく…

三話までの内容はまぁここらへんである。(最後に酷いボディブローがあったわけがだが)

ではなぜ、ここまでアニメ界隈の人間の耳目を集めたのか。

私はそれの源泉を「脱力主人公に対する飽き」に見出した。

かつて、というか2004年あたりから始まったいわゆるアニメブーム。エヴァの残滓を受け継ぎながら、涼宮ハルヒに始まるアニメ流行

涼宮ハルヒという作品の主人公キョン典型的脱力主人公。何事にもめんどくさいスタンス、しゃべり方は早口で小難しい言葉を使う。

そんな主人公が周りのぶっとんんだ人間たちに巻き込まれつつ、物語が進行していく。ハルヒとはそんな物語だ。

ではなぜ脱力系が選ばれたのだろうか。それは主人公に対する自己投影のしやすさにあるだろう。

物語主人公というのは、その物語一人称を指す。言い換えれば、物語の映写機はは主人公を通じて回される。

そこで読者視聴者は、主人公の目を通じて物語に入り込む。ということは、主人公自己を同化させることで、物語の一因となるのである

その時重視されるのが、自己いか自然に同化させることができるかという点だ。

現実で考えてみればわかりやすい。例えば、我々が他人に対して「共感」を覚えるにはどのようなことが必要だろうか。

共感とは一般的に、他人の感情を動かした出来事と近い出来事を自分のかつて体験してきた出来事の中から探しだし、それと照らし合わせることで行われる。

まり、似たような体験を自分に追体験することで、その他者と似たような感情になることで、共感を起こすのである

ということは、自分の中にまったく存在しない経験をした他者に対しては、共感はしにくいということになる。

祖父の死を悲しむ友人に対しては、自己の中にある「何かしらの死」という体験を思い出すことで共感を起こすことができる。

しかしながら、とても小さな子供を思い出してほしい。彼らは「死」の体験がない。「何者かの死」に似た体験を自己の中から引きだすことができない。

から、彼らは「死」を具体的にどのようなものかとらえることができない。

そのため、子供は「死」に対する共感を起こすことができないのである

まり脱力系の主人公が選ばれるのは、一番適切なのがアニメユーザーに「脱力系」の人間が多いかであるといえる。

アニメユーザーたちがより容易に物語に入り込むのに適切なのが、脱力系の主人公なのである

からこそ、脱力系の主人公は量産されてきた。

しかしながら、そのような脱力系の主人公に対して、アニメユーザーの飽きが見られるのは事実だ。

それの飽きに対して、一種の清涼剤のような役割を果たし大成功を収めたのが、まさにこの「琴浦さん」なのである

真鍋はいわゆる脱力主人公のように物事に適当に取り組む様は見せない。

自分の性欲に忠実に動くし、自分が間違っていると思ったことに対してははっきりと間違っていると言う。

草食系」などという言葉とは正反対のような男である

確かに、「共感」という観点に立てば、真鍋のような存在アニメユーザーとはなじまないのかもしれない。

しかし、脱力系の主人公があふれかえりすぎしまった今、真鍋のような存在は非常に新しいものとしてアニメユーザーに受け入れられた。

ここに、「琴浦さん」の人気の秘密があるといえる。

結局何が言いたいかっていうと、琴浦さんこしこししたいってことです。

 
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