はてなキーワード: ファイティングポーズとは
増田さんいつもファイティングポーズだからちょっと怖いよ。
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ドヤーとか言われましても大抵のものは羨ましいとも妬ましいとも思わない
そのため、極端に他人が気にならない人か強がっている人と思われるのだが、
自分が欲しいものは、大抵の人にとって、嫌味だったり、地味にうつるらしく、
大々的に取り上げられる機会はあまり多くはない
自分が妬ましい羨ましいと思うのは、
好きな土地で爪に火を灯したりあれもこれも見ないフリして暮らすことは出来る
好きな土地で 24/365 ファイティングポーズで 多動症のごとく 過ごすことはできる(それいつまで続けるつもり?)
好きでは無い土地で自分を誤魔化してなんとなく文化的満足と安心を得ることはできる
つつがなく、しかしちょいちょい贅沢もしつつ、好きな土地って最高の生活よね
妬ましい・・・
バックトゥザフューチャーが最高の映画で、お父さんのことを大好きに思う気持ちも本当。でも良いブランドのシャツを着てた自分もいる。隅田川沿いのにおいで懐かしさにひたるけど、手元の画面でチケットからパフェまで何でも手に入れられる世界。それを全否定できない分人の、顔たる俺、オレ、おれ。島で海水から塩作って生きるだけなら良いんだけど‥
ときどき仮面をかぶりライムを繰り出す、なぜか無性に血が騒ぎだす
勉強をはじめた、経済?歴史?教科書にのる人々、のらない全ての人々。そもそも教科書は誰(何)のために‥戦争、革命、平和?押し流されるような激流のもとはどこだ。そもそも激流という考え自体誰かにうえつけられたものだったりして。「○○は間違いだった」「○○は○○すべきだ」そもそも誰かが発しただけで、発しずただ居た誰か。誰か。発する必要、自らの正統性を声高らかに。声にならない声。そもそも声さえなくつながっていたのかなあ僕ら。際限無くて日が暮れそうだけど、まずはファイティングポーズ。まっすぐたったら気持ちいいー!
格闘技やってる人の喧嘩動画も話し合うふりしていきなりフックするような、要は奇襲で勝っていて格闘で勝ってない。
相手がファイティングポーズとったらゴメンナサイと泣きわめいて直後にバイクで跳ねる人が強い。
実写は率直に言うと期待したような作品ではなかった…安直な言い方で面目ないけど解釈違いだった。原作クラスタには楽しめなかったひと多かったと思う。
だから好き嫌いはいいよ。嫌いだけど気になって見ちゃうのもわかるよ。ただ言葉の定義うるさいマンとしては
「原作読まないで作ってる!」ってディスりが多いのには納得いかなかった。
読んでんじゃん!
明らか読んでんじゃん!
読んだ上でなんでこうなったか疑問はつきませんけどどう考えても読んでんじゃん…。
そんでそういう全否定の仕方は舐められると思うよ。
「読んでない!」
「いや読んでるしw」
で終わりじゃん?なんでも文句つけるタイプのヲタクと思われて終わりじゃん?
心のファイティングポーズを取りそうになった。でも心のナウシカが立ちはだかって止めてくれた。うん、意味のない戦いは避けよう。だって実写擁護派じゃないんだもの。
あと、これはあくまで個人的な感覚なんですが。自分は2次創作読んだりなんなら作ったりするタイプのヲタクでもあるので、グレーゾーンのファンなんですよ、おのれの認識では。公式の実写化ってさ、なんだかんだちゃんと許可とってお金払って作ってるもんだから。リアルな大人の社会で骨折って筋通してるんだから。どれだけ自分が原作を「好き!!」って思っててもどっちが原作を「大事にしてる」かって話になると、考え方次第なんだよな…。
2次創作なんて見たことも聞いたこともない読者のほうが数としては多いだろうし、それが普通の「原作ファン」かなと思うけどなんか、周りにそういう層があんまりいないので比較できてないから先入観かもしれないけども。怒ってるひとってほとんど2次(読み専オン専含む)に足突っ込んでない?原作と違うことでも自分の好みに合うからって受け入れてない?そのうえで「蹂躙された」「こんなの公開を中止して欲しい」とか主張できちゃうのがな!なんか腑に落ちなくてな!
大声で公式批判してる人ってそのへんどう捉えてるんでしょーか、モヤモヤする。
アンチの主張に納得いかなかったせいで二重に疲れたんだ…。眠らせてよママン…目が覚めたら一緒に帰るから…(謎のフラグ)。
当時言えずにメモしてたことを匿名で供養です、読んでくれてありがとね。
追記:マトモな反応してくれたひとがいてありがたかったので補足する。
改変や何かに不満があって「読んでない」って表現してるのはわかってるんだ。で、その言葉のチョイスが批評とか感想として浅い気がどうしてもするんだ(だから言葉の定義うるさいマンとか書いた)。
いわゆるフェミニズムの思想潮流の中に自分を位置付けられるほどは勉強してない。
F1公式の発表は以下だ。
we feel this custom does not resonate with our brand values and clearly is at odds with modern day societal norms. We don’t believe the practice is appropriate or relevant to Formula 1 and its fans, old and new, across the world.
「私たちは、この慣習が世界中の、これまでのそしてこれからのファンにとって適切だとは思わない。」
この台詞を言わせたのは「フェミニズムの圧力」「騒ぎ立てた人権屋」なのか?
どうも私にはそうは思えない。
間接的にはあると思う。
つまり、「modern day societal norms」の醸成に影響しているという点において。
ここからは憶測だが、F1公式の考える「modern day societal norms」にしたがった自分達のあり方が何なのか、というと、
性別と年齢とに関わらず誰もが参加できる「the glamour and spectacle of the Grand Prix」なのだと思う。
客層を限定するメッセージを発しすぎるという判断なのではないか。
(女性だって美しい女性を見るのが好きだと感じる人は多いだろうが、単純にターゲットの問題だ。)
こう考えているブコメが多数あったが、私はそうは思わない。
認めないのは
「性的魅力を、本人の自由意思に基づかず要請されたり搾取されること」で、
目指す理想の世界は
「その人の性的なことを、社会による強制や圧力を一切感じずに取り扱える世界」
だと思っている。
現にセックスワークに従事する女性の権利擁護はフェミニズムの範疇だ。
たとえば性行為を対価にお金を稼ぐ自由は尊重されてしかるべきだと思っている。
もちろん、若さと美しさを披露することで対価を得ることも当然、市場原理に保証されてしかるべき自由だ。
フェミニズムが、それらの行為自体を悪と見なしているように見えるのは、
それらが本当に自由意思で行われているか、疑わしいことがあるからだ。
たとえばセックスワークに望んで従事している、と笑顔で言い切る人がいたとして、
その影には本当にたくさんの要因が含まれることがある。
それはわかりやすいものを挙げてしまえば貧困であり、教育であり、環境であり、
その人個人の性体験であり、社会的な「性的魅力の取り扱い」に関する要請であり、
そしてそんなカテゴリワードが意味をなさないほどに、個人のいりくんだ感情と生育かもしれない。
そこに明確な線引きをすることなどできない。
フェミニズムの名のもとにずかずか入り込むことは許されない。
それでも、その人になにかを強制するものがもし何かあるならば。
もしあるなら、ひとつでもなくなってほしいと願わずにはいられない。
それが起きる社会についてかんがえるし、
それをさせている何か、誰かがいないかと考える。
私にとってのフェミニズムはそういう、自由と抑圧について絶えず考え悩む姿勢のことだ。
私は、私個人の経験から、性にまつわることの有形無形の「自由意思以外」を感じとってきたので
理想の世界があればいいのにな、と思っている。
私は「その女性が、自ら望んでグリッドガールとして働くこと」それ自体には一切の批判はない。
だが、同時に「グリッドガールという役割を作り出す社会そのもの」には疑問を投げ掛け続けると思う。
逆にいうならば、グリッドガール自身が、自分達の美しさと若さがブランド価値に寄与するのだと堂堂と言ってくれるなら、
そしてそこに内面化された抑圧ではなくて彼女たちの自由意思を信じることができるなら、
多いに祝福すると思うし、私が本当に望むのはそうした社会だ。
「それしかできないかわいそうな女性が仕事を奪われた」という構図で話したがる人がいる。
まず第一にこの話が「人権団体」の働きかけによるものだとはどこにも書いてないし、
第二に、グリッドガールは「それしかできないかわいそうな子達がようやく得た仕事」ではない。
彼女たちが美と若さを売り物にするための市場がひとつ消えてしまったのは事実だ。
グリッドガールを夢見ていた女の子がいたら気の毒だとは思うが、
小人プロレスの都市伝説になぞらえて語るものでもまたないのではないか。
だが同時に、グリッドガールは弱者ではない強者だ!ともいえない。
「美しさを競い続け、選ばれ続けるために努力し続け、そしてその先に待つものがなにか」という問題について踏み込むとき、
そこには「誇りをもって美しさから対価を得ていたのに、フェミニストに仕事を奪われたかわいそうなグリッドガール」という弱者像とは別の
「美しさを対価にお金を稼ぐことの苦しさと弱さ」は浮かんでくる。
美しいグリッドガールと嫉妬に歪んだフェミニストが叩きあうという構図をお望みのかたはたくさんいるようだった。
フェミニストは「男性=強者」から「女性=弱者」を守りたいと叫んでいるのに、
ほんとうはグリッドガールを抑圧する「強者」なのだ!という転倒の痛快。
そこにあるのは、普段「社会と女性」の構図でフェミニズムが叫んできた構図のパロディである。
フェミニストという醜いモンスターとグリッドガールという美しい虐げられた弱者ならば
自分達に関係なく、そして美しく弱いものを心置きなく応援できて、
普段から気にくわなかったフェミニストたちを存分に叩けるのだ。
きっとさぞ楽しいのだろう。
だから、特に声明には書かれていないフェミニストは引きずり出され、
さらに関係が疑わしい「人権擁護団体」(誰なのかはよくわからない。架空のそういう人たち)を叩き、小人プロレスを引き合いに出している。
そういう人たちがたくさんいる。
グリッドガールがなくなることが正しいとおもうか?
わからない。
わからない。
けれど確信しているのは、上記のようにみにくいプロレスを望む人の声にのせられて、ファイティングポーズをとる必要はないということだ。
私は、できれば自由について話したい。
自由について、美しさや若さや性を売る自由について、その価値と市場について、それが売り手にとって苦しみをもたらさないための社会について。
それがいくつもいくつも積み重ねられて、次の「modern day societal norms」の話ができることを真剣に望んでいる。
まず言っておかねばならない。彼は間違いなく天才的な漫画家「だった」。
彼は『コリンズ先生気をつけて』というタイトルの読み切りでデビューしたらしい。らしい、というのは現物が手元になく確認できないのだ。
なんでも、1985年発売の「マガジンフレッシュ」とかいうマガジンの増刊に載っていたようなのだが、マガジンフレッシュなどという雑誌の存在はインターネット上からほとんど消失してしまっているのである。これではどうしようもない。
入手不能のデビュー作は置いておいて、デビュー単行本の話に移る。
先に言っておくが、この作家、たったの一冊しか単行本を出していない。
そのタイトルは「がんばれアニマルズ」……。タイトルが地雷漫画のようだが、当然中身も地雷である。なんも面白くない。地雷中の地雷である。一巻で打ち切りになったのも当然である。
ちょっと待て、小原英治は天才なんじゃないかって? それもまた真である。
なぜならがんばれアニマルズは原作と作画が分かれているのだ。小原英治は作画担当。クソおもんない脚本に対する責任は負っていない。
このがんばれアニマルズにおいても、小原英治はいかんなくその才能を発揮している――。躍動感溢れる画面、息を呑むスピード感。でも、脚本があまりにも異次元レベルでおもんないので、作画も霞んで見える。悲しい話だ。
……作画面に全く問題が無かったのかと言われると、女体が致命的にえろくないとか、カラーがひどすぎるとかいう問題があるが、それでも圧倒的に脚本の責任のほうが重い。
彼が真の才能を発揮するのは、この後描かれた漫画である。その読み切りたちのタイトルは「ベガ将軍の憂鬱」「ひとつだけ光るもの」「俺は待ってるぜ」「あとは神様にでも言ってくれ」だ。タイトルから察せられるとおり、この短編たちはストリートファイターのアンソロジーに寄せられたものだ。
この短編は脚本も作画も小原英治によるものだが、なんとまあ。おもしろいのだ、これが! なぜデビュー単行本で原作をつけたのか問えるものなら問うてみたい。明らかに、彼一人ですべてこなしたほうがよかった。足を引っ張られすぎだ、あれは。
愚痴はここまでにしよう。この小原英治という漫画家、何が良いのかと言われると全て良いとしか言いようがないのだが、(コマ割りも構図もテンポもなにもかも上手い、絵が緻密だが読みにくくならないように白と黒の割合が考えられている、ページに対する情報の詰め方が上手い。漫画の教科書に採用されてしかるべき出来だ)
とくに台詞が優れている、「ひとつだけ光るもの」の台詞を引用しよう。
(場面は夜。たった一軒の家と、小高い丘、その上にはひとつだけ小さな墓標が立てられている。その傍に一人の男が居て、暗闇の中紫煙をくゆらせている。その傍らには一仕事終えたらしいスコップが置かれている)
――以下引用
ケン(妻が死んだ)
ケン(この手に残ったものといえば 家と幾何かの金 それに 発狂するには充分過ぎる程 退屈な日常)
(なにかを思案して、家に入っていくケン)
(ここで場面転換。ディージェイを相手にファイティングポーズをとっているケン)
ここまで引用――
どうだろう。この間、わずか一ページである。一ページで完全に舞台設定と登場人物の背景と物語の導入が、流れるように行われている。
なんだよそれだけかよ、たいしたことないじゃん、大げさじゃないか?と思われてしまうだろう。残念でならない。俺のつたない描写力では、彼のきわめてすぐれた台詞回しを支えている画面描写についてまではカバーしきれないのである。
彼の漫画をここに貼り付ければ、この一ページを目撃しただけでたちどころに1万人程の人間がショック死することは請け合いなのだが。
ところで、この漫画、「イライザ死んでるって、どういうことよ!?」と思ったかたもいらっしゃるだろう。
それもそのはず。小原英治のスト漫画は、一つたりとも原作に準じていないのである。
あらすじを列挙してみると、
ザンギエフとブランカが女たちを奴隷にして死闘を演じさせている! リュウとケンは助けを求める女の手紙に応え、(スケベ心混じりに)中東へ飛んだ。
からくも悪の幹部を打ち倒すとベガがどや顔でやってくる。以下、台詞を引用。
ケン「!!」
ベガ「と言いたいところだが 今回は見逃してやる 早く逃げろ」
ケ「知らなかった」
ベ「三ヶ月前までは万事順調だったんだがなあ ザンギエフとブランカの野郎国王にうまくとり入りやがって 見ての通りやりたい放題よ しかも親衛隊ともなると俺もうかつには手が出せん」
ベ(そこで俺は一計を案じた)
ベ(女の名を騙って一筆書けばスケベで脳カラのマッチョが来て奴等を始末してくれるのではと…)
ベ「しかしこれ程うまくいくとは」
ケ「お おいじゃこの手紙」
ベ「私が書いた」 (日ペン三級)
ケ(なんつーガラに似合わぬ字だ)
ベ「おっ サツが来たぞさっさと帰れ」
ケ「てめえ こんだけこき使ってくれたんだ ギャラの一つも払ってくれるんだろな お」
ベ「つけとけ」
ケ「糞ったれの×××野郎!! ×××かんでしね~」
「スケベで脳カラのマッチョ」というあまりにもあんまりな罵倒語が個人的なお気に入りである。
上記導入の通り、イライザが亡くなり、ケンは格闘業を再開する。(この話において、ケンは一時的に格闘業を廃業していた。……というか、財閥の御曹司ですら、ない。取り柄といえる格闘家としての自分を捨て、おとなしく夫として
生きていたのだろうが、妻が亡くなったためにケンは文字通りからっぽになってしまったのだ)
より良い闘いを求め、ケンは昔の仲間を頼るのだが、
フェイロンは俳優として専念、キャミィは専業主婦、本田は親方としての仕事に集中し、ガイルに至っては行方不明である。
(チュンリーは言及されていないが、おそらく(エンディング通りに)格闘家を廃業している。刑事もやめているのかもしれない。
リュウに対して触れていないのは――死んだんだろう、たぶん)
ザ「今や ケンカってえのは 衰退種である人類に許された最後の蛮行なんだぜ そいつを見せ物にしない手はねえ 巨大資本とメディアがついて廻るのさ」
ザ「今どき無償で痛い目にあう輩なぞいやしねぇよ」
ザ「俺だって そうさ ここ何年かはショープロレスで喰ってる ロープに飛んで帰ってナンボの世界よ」
ケンは魂の抜けたような目で、静かにこう考えている。
ケ(俺はただ生き続けたいだけなんだよ)
これは1人の格闘家が牙を抜かれ、「借り物の人生」を生き、妻の死を契機にまた自分の人生を生きる物語だ。
であるのに、最後のモノローグは言いようもなくもの悲しいのだ。
サガットなら真面目に戦ってくれるだろう、という助言を手に、ケンはサガットの元へ。(以下引用)
(かませを殴り倒すケン)
ケ「そりゃ 真かね ダンナ」
観客「ゲーッ なんだ おい 飛び入りかよ!! マジ?」
観客「これじゃカケになんねえよ」
サガット「シッ」
ケン「ぐが」
(わざとらしい殴り合いをしている 顔面血まみれ)
観客(こいつら― わざと―)
サ「奴に言っとけ 4本しか飲れんようじゃ 退引け時だとな」
ただ1人本気で戦ってくれたサガットを倒し、満足げにリングに立っているケン。
(ああ イライザ 僕はもう少し 生き続けることができそうだよ―)
スポットライトを浴びながら、そんなことを考えている。そうやって、ケンは死ぬまで生き続けるのだろう……。そんな未来を思わせる終わり方だ。
「俺は待ってるぜ」
あらすじはそれだけで、この話は会話劇がたまらないのだが……。
現物を 入手 してほしい
この話に関してだけはちょっともう抜粋した台詞なんかでは到底伝わらないと確信が持てる。どうにかして手に入れろ。「ストリートファイターⅢ」のアンソロジーだ。今は潰れてる新声社のアンソロだ。
とにかく手に入れてくれ。話はそれだけだ。
「あとは神様にでも言ってくれ」
ちょっと言いたくないのだが。小原先生はカラーが下手だと思う。
2009年に発表された「あとは神様にでも言ってくれ」を最後に、小原英治は漫画界から姿を消した。というか、この作品も十年越しぐらいに発表しているので、基本的に寡作である。
俺は最後の短編が発表されるまでは「病気になったのだろうか、漫画が描けない程の……」と思っていたのだが、どうもそんな気がしなくなった。
「あとは神様にでも言ってくれ」はデッサンも整っているし、線が乱れているわけでもないし、空間認識力は問題がなさそうだ。色彩感覚は元から妙なので病気をしたということもなさそうだ。
俺の考えていた脳や神経や目の病気という線はどうも薄いように感じるのだ。
であるので、たぶん、別の業種に行ったのだろう。ふつうにサラリーマンでもやっているのだろう。
……悲しい。
損失である。彼の新作漫画が読めないという事実は、全人類にとって大きな損失である、と断言できる。
もしも彼が「漫画家では生活が立ちゆかないから」漫画家をやめたのだとしたら、言いたい。
「あなたが漫画を描いていること」のほうが、明らかにこの宇宙において優先されるべき事項であると。
もしも彼の知人がこの文章を読んでいるのなら、彼を無理矢理にでも表舞台に引きずり出してほしい。
だいたい、今どき絵で金を稼ぐのがそんなにハードル高いのか。
ただの漫画家ならともかく、彼は天才だ。できる。やれる。金を稼げる。絶対稼げる。
だから、描いて欲しい。
以上、一ファンの主張でした。
まず私は件のような場面において「困ってる人が居たら助ける」のが普通だと思っています。
お礼を言って欲しいわけでもありません。
件では企業努力が足りないというのが大前提にあったとは思うんですが、
利用者側には選択の自由があるわけでなので、重箱の隅をつつくようなマネをせずに
単に別の航空会社にすれば良かったのでは?という気持ちが強いです。
で、当人はサービスコスト削減で利用料を下げているLCCをわざわざ選んでいるのだから
やっぱり事前連絡するのが好ましいと。そう思いました。
事前連絡も無くハナからファイティングポーズで乗り込んできている相手に
「困っている」のはバニラエア側だったんじゃないかと思うからです。
「利用する度に連絡したり確認するのはウンザリだ」という主張もわかりますが
対応する為に必要なコストや人員の確保の時間くらい頂戴よ、と。
件の車いす客に問いたいです。
GOをやるまでポケモンをやったことなかったんだが、サワムラーってポケモンがいるんだな。
ジムで一度対戦したきりで、どこに行ってもゲットできないのでコレクションがコンプできず困ってるんだが、本題はそのことではなく。
サワムラーってボクサー風のファイティングポーズが特徴で、これはむかーし流行った「キックの鬼」沢村忠から名前とってるよなと思ってたらWikipediaにもそう書いてあった。
しかしキックボクシングブームって40年も前だろ。月曜日のゴールデンタイムにキックボクシングの番組をやるという今じゃちょっと信じられないようなことがあったりした。
ポケモン作ってる人も案外年食ってるんだなと思ったり。
それにしてもサワムラーはどこに巣があるんだ。
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。
燃えあがってますね!アンビバレント女々さんのブログエントリー「私はビッチ。@オチューンとセックスして振られてきた件」(http://mememememiti.hatenablog.com/entry/2014/11/09/054205)を発端にする炎上につぐ炎上。この話題の少しでも燃料の足しになればと思い、今後の見どころをまとめてみました。
メメさんネタで久谷女子が9号で寄稿と座談会を掲載→メメさんの知るところとなる→抗議メール→返信、ネットでの謝罪→メメさんの追撃に返信なし ←イマココ のようですが。
id:topisyu さんが「久谷女子の炎上」(http://topisyu.hatenablog.com/entry/flaming_on_school_caste)という記事の中で
id:mememememitiさんは、匿名専門卒無職実家暮らし過去被DV経験ありの離婚経験済みの独身アラサーの個人
久谷女子の皆さんは、ほぼ実名大卒で、会社社長・テレビコメンテーター・出版関係者とキラキラした感じでほぼ既婚者の集団
こんな感じです。圧倒的にid:mememememitiさんが弱者です。
と書いているのですが、これ本当にそうかなと。何をもって強者・弱者としてるのかなって思うんですよね。
久谷女子のことを「イケてる女子たち」ってどうにも認識出来ない。だって女子高育ちな上に高学歴っていうのは学生時代の一時期はガリ勉してた訳で、モテの香りは一切しないじゃないですか。それでインターネットが好きで同人誌つくってるとか、女子高カースト内でも中の下な感じがすごくするじゃないですか。
一方メメさんって本人はめいろま似っておっしゃってますけどかわいいとか書かれてるし、はてな村では割と新参だし。女子は最初が一番ちやほやされますからね。オフ会で一回会っていいなと思ったおじさんともっかい会おうって流れになるあたりとか、割と「女子力(笑)」してるじゃないですか。「そんなんモテでも女子でもねーよ、ただのビッチだよ」って声も聞こえてきそうですが。本人もどこかで小学生のときはカースト下位だったけど高校デビュー出来たみたいなこと書いてました。
メメさんの場合「匿名」であることも強みだと思うんですよね。さみしいとは思いますが、最悪アカウント消したら色々なかったことに出来るんだから。久谷女子の方々は本名や職業がインターネットの活動と紐づいている方も多いので、今頃会社で「ネットで炎上してる人」扱いを同僚から受けてると思ったら胸が熱くなりますね。
メメさんの久谷女子に求めるものは明確で、ファイティングポーズはバッチリとれてる。メンタルの不調を訴えてらっしゃる点は心配ですが、可能な限り頑張って頂きたい所存です。
今回の久谷女子の対応の遅さと手際の悪さから想像するに、特に代表も定めていないようですし、内部の統制ってあんまりとれていないと想像されます。女がグループでつるむとき、「私達仲良しだよねー☆」と表面的には見せてても必ずつきまとうのがグループ内での序列。また今回は同人誌という媒体での情報発信ということですが、メンバーそれぞれのアルファ力もそれぞれなんですよね。
@hatoco 鳩岡桃子さん
@kansai_takako 閑歳孝子さん
@kobeni こべにさん
@kaorumba かとうかおるさん
@koeda こへださん
@negimiso YuriYamamotoさん
@okadaic 岡田育さん
@sisiodoc いがやちかさん
@the_makio まっきーさん
よーこさん
とのこと。
だれだよ「@the_makio まっきーさん」て。「よーこさん」とか全然ダメージないじゃん。それにひきかえ「岡田育さん」や「閑歳孝子さん」なんてその名前で写真付きでメディアに出ていたりもするし、ダメージは段違いかと思われます。
立場もアルファ力も違う中、どう対処するとベストかってそれぞれで違うと思うんですよね。てゆーかそもそも、2014年に最も「はてな村界隈」を騒がせたあの人のスペシャルアノニマスダイアリーを掲載させようぜ!って誰が言い出したのかだとか、座談会誰が記事起こししたのだとか、いいじゃんいいじゃんって誰がいっただとか。魔女達が魔女同士で魔女狩りしてるんじゃないかと想像されます。
なんだかネットを見ていると岡田育さんが中心的に叩かれているようですが、そこらへん久谷女子の皆さん薄々気付きながら気付かないフリをしつつそれぞれが今後の対応についてポジショントークしていることでしょう。
この2人に関しては、どっちもミスったなーって印象です。メメさんはですね、やって付き合うのを濁されたからっていってフラれたんだわーん!ネットに書いちゃえ!って何がしたいんだっていう。付き合いたいなら頑張れよ、全然ひっくり返せる範囲だったと思うのに泥試合にひきこんじゃって…って印象です。それにしても好きだと思っていた相手に対してここまでやれちゃうのがちょっと不思議です。
id:otsune に関しては、正直気の毒だなーとも思います。なんか色々予想外ですもん。ネット民のオフラインでの暗黙のルール、全然守られてないですからね。時代は変わりましたね。とはいえオチューンさん、ネットウォッチャーなら時代が変わっていることも含めて色々見抜けなかったのかと。「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」とか懐かしいですね。ウォッチャーがヲチられているというこの事態に胸熱です。
には笑いました。
ひたすら無言でブクマは続けるおおつねさんと要求を突きつけるメメさん、今後のそれぞれの動向が気になります。
久谷女子から寄稿を持ちかけられたときおおつねさんはノリノリだった気がするんですよね。女子グループに誘われて舞い上がって浮かれちゃってキャッキャウフフだったからこそこんな落ち着いてきていたメメさんをヒートアップさせるという簡単に想像つく失態をおかしてしまったのかなと。もちろん紙だからっていう油断もあったかとは思いますが。
しかしこのような事態になって、オチューンさんと久谷女子の間ではどのようなやり取りが行われているのでしょうか。メメさんのブログには
・寄稿者と直接連絡をとりたいということであれば、連絡先(メールアドレス)を教えることは可能(相手は許諾済)。
と久谷女子から伝えられたということが書かれていましたが、久谷女子とオチューンの今後の関係性も気になります。
というわけで長々と書きましたが、おおつねさんや久谷女子からは沈黙で乗り切ろうという意思を感じますが今後を気にしてるウォッチャーもいますよってことです!!
はてな民ってそうなのかもしれないので(30代とかはそういうものなんだよとかあれば)スルーしてほしい。
okadaicさんのいつかの新著イベントに行った時に、彼女は結婚をしたいと思った男性に対しての話で「喧嘩して、喧嘩して、仲直りするものが夫婦だと思ってた。つねにファイティングポーズだった。」みたいなことを言っていた。(この時点で自分は彼女のファンをやめた)(cakes読んでたけど)(今までイベントや文芸誌も買ってたけどやめた)
彼女の言動を見ると、だいたい誰かと戦っている。誰かと喧嘩している。喧嘩したがっている。ように自分は感じる。
火のたつところにわざといって反対のことをいって「私はみんなとちがう」と火をさらに燃やしたてる。
そういう状況下で侵略戦争否定だの河野談話否定だの、「戦後レジームからの脱却」を仕掛けようとした首相および日本政府。
一国の寄って立つ基本方針(少なくともその一端)をひっくり返すだけの大転換をしようというのだから、内外から大きな反発が出るのは必然だし、それなりの勝算というか手立てを持って臨むものではないのだろうか。
中国にしろ韓国にしろ過去から現在まであらゆる隙を突いて日本に外交戦を仕掛けている。
アメリカやオーストラリアにまで戦線を広げる様子が日々報道されているが、では日本はそれに対抗し得ているのか。
「真意を説明する」と偉い方々はたびたび口にするが、真意を説明した上で日本の立場を示し、諸外国の理解を得る努力というのを一体どれほど行っているのか。
銅像立てるのと同じくらいインパクトのあるカウンターを次々打っていかないと差を広げられるばかり。日本政府もいろいろやってるのかもしれないがよく見えてこない。
この1、2ヶ月の外務省や官邸のサイトを見ても、せいぜいこのくらいしか見あたらない。他にあったら教えて欲しい。(官房長官会見は全然書き起こしがないので検索できない)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/p_pd/ip/page22_000950.html
新聞報道はあるが。
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO65065940Z00C14A1PP8000/
「全くもってふがいない。日本もあらゆる外交手段を使って我が国の正当性を全世界にアピールしなくてはならない。このまま中韓に押し切られることは許されない」
なんて右のふりをしようかと思ったが面倒なのでやめておく。
実際本気で味方増やそうという気合いがさっぱり見られないので、放っておけば押し切られて本当に外交的敗北(どういう形かはともかく、少なからぬ日本国民にとって不愉快な結果)を喫することもありえるだろう。
ボクシングでファイティングポーズは取ったが、ラウンド中盤まで無気力プレーで判定負け濃厚、という状況に見える。
最終ラウンドでKO勝ちでもするつもりなのか。
長々書いたけど、これで「負け」となったとき、責を負うのは不利な戦いを挑んだにも関わらず無気力プレーしかしなかった誰それだろう、ということだ。
◆◆◆
とはいえ、やる気出されても困るし。後釜にもっとやる気ある人が来られても困るし。微妙な論だった。
◆◆◆
ごめん↓これ書いたの俺だけど元増田じゃないよ
http://anond.hatelabo.jp/20100112232449
「勝手にファイティングポーズ取って可笑しいね、相手にする必要ないよ殴りたいだけなんだからコノ人
みんな相手にすんなよー うんこ付くぞ!」
って伝えたかっただけで。
俺もうんこつくの嫌だからこれ以上相手しないわ。
誰かに相手してもらいたかったら、挑戦的な口調とか断定的な物言いや人のことお前呼ばわりは
やめなよ。俺に出来る精一杯のアドバイス。
もっかい学校行って勉強しなおしなさいね、悪い事は言わないから。
君と諦めるまで続けるなんて、よっぽどの暇人じゃないと無理ww
構って欲しいならもっと紳士的になりなよ
もっと空気読もうぜ?
つーかなんでそこで死んでるの。しかも超でかいんですけど、どこから入ってきたの。足も触覚も長いし超涙目。
ハエたたきで手繰り寄せようかと思ったけど、直接Gを運んでる感がすごく怖くて断念した。
ほうきは毛と毛の間にGの足が引っかかりそうなので辞めた。
結局クイックルワ○パーで少しずつちりとりに誘導していったんだけど、
ちょっとした弾みでワ○パーがずれてゴキブリさんこんばんは状態になった時は
夜なのに素で叫んでしまった。おかしいよね、大人なのにorz
心の準備してたはずなのに、なんでファイティングポーズに伸びた足とか触覚とかにびびるんだよおおお!!!
ホント自分でもなんでこんなに怖がってるのかわからない。皆どうやって片付けてるんですか。
「華麗なステップを刻んでいたy_arim、ここで一気にid:legnumとの距離をつめて来たあ! 左ジャブ、左ジャブ、左ジャブ! 左ジャブと言いながらこれは右ストレートなみの破壊力のこもった左ジャブを超えた左ジャブだ。自動小銃の三点連射を髣髴とさせるようなトライアングルビートがid:legnumの顔面を正確にとらえていくぅ! いやあ、解説の竹原さん、y_arimの立ち上がりの左ジャブ、どうですか?」
「PTSDになるの」
「すごく厳しいということですね、おおっと、ここですでにリングに足が生えたように動きが止まったid:legnumが反撃を試みるぅ! それはあるいは風車に立ち向かっていくドンキホーテのような、空母に向かっていく零戦のような捨て鉢ともおもえる右フックー! だ・が・し・か・し! y_arim100年前から待ってましたとばかり、どん! ぴしゃり! のタイミングで右ストレートのカウンターあああ! これはもう全体重を預け、ジョルト気味に決まったぁああああ、決まってしまったぁあああああああああ! id:legnum、たまらずダウンだぁああああ!! どうですか、竹原さん」
「PTSDになるの」
「さすがにこれはもう立てませんか。レフリーがカウントを始める、ファイブ、シックス、セブン・・・・・・。な、な、なんとぉ、id:legnum立ち上がります、立ち上がってファイティングポーズです。ありえない展開です。すでに顔面は通常の2倍ほどに膨れ上がって、彼のブコメのようにドス黒く変色していますね。しかも、先ほどの右ストレートで左目のまぶたがパックリと裂けて出血しているぞ! レフリーがドクターをリングに招き入れてぇ、これは、止血を促してますね。おおっと、止血できたようです! id:legnum再びファイティングポーズを取ります。まだその闘志は燃え尽きていないようだ。レフリーの掛け声で試合再開! チャンピオン、兎を全力で狩る獅子のように猛然とid:legnumにダッシュで駆け寄っていくぅ! スズメがとまって愛の巣を形成してしまいそうなid:legnumの停止したような左ジャブが空を切る。y_arim難なくこれをかいくぐって、容赦ないラッシュだ。右、左左左、右、左右右左上下、左アッパー! どうですか竹原さん」
「PTSDになるの」
「手も足も出ません、id:legnum。ブロックすらできずもうノーガード状態だぁ! おっと、久しぶりの友達と出会ったときのような、よう、とでも声をかけるようなこの右手の動きはなんだぁ?」
「PTSDになるの」
「おっと、猫PTSDパンチ、猫PTSDパンチだ! だ・が・し・か・し! y_arim一万年と二千年前からわかってるとばかりに、この猫PTSDパンチの下にもぐりこんだぁ! 両膝を大きく曲げて全身をバネのように収縮させてあらん限りのエネルギーを貯めるぅううう! ここから繰り出されるのは、ガゼルPTSDパンチだぁああああああ!!!。id:legnumの右わき腹に、深々とy_arimの拳が突き刺さっているううううう!」
「PTSDになるの」
「ちょっとうまい事を言ったと思って笑ってるうぅううう! 肝臓への血液の供給を完全に断ち切る、いや肝臓の細胞を一つ残らず殲滅するようなそんなパンチが炸裂してしまいましたぁあああ! ではここで、この試合の模様を伝えるライブカメラに寄せられた、はてブコメントを確認してみましょう。『これはひどい』『いやぁああああああああ』『憤慨ペシミスト』『気の毒です』『もう勃たないで』『もう十分戦ったよ』『勇者』もう涙でかすんで見えません。感動のコメントが次々と寄せられています。y_arim、拳をゆっくりとid:legnumの体から引き抜きます。ゆっくりとid:legnumの体が崩れ落ちる。い、いや、これは! ゆっくりとy_arimの体が回転をはじめたぁ! 我々人類の脈々とした営みを伝えるDNAの螺旋を髣髴とさせるような無限の回転を象徴する8の字の回転がゆっくりと始まったぁあ! さて、再びはてブコメントを確認してみましょう! 『PTSD! PTSD!』『PTSD! PTSD!』『PTSD! PTSD!』『PTSD! PTSD!』『PTSD! PTSD!』はてブコメントはPTSDコール一色だーーーーーー!」
「PTSDになるの」
「id:legnumの体が、暴風に曝されるこの葉のように、溶媒中に浮遊するコロイドのように、あるいは情熱的なアルゼンチンタンゴのステップのように、不規則にもみくちゃにパンチの弾幕に翻弄されていくぅ! これはもうブクマをつけていた頃の、可憐なid:legnumの姿はは見る影もありません、ここにあるのは、も・は・や、教室でこぼれた牛乳を幾度となく拭かれてなんとも言えない匂いを発しているぼろぼろのボロ雑巾だぁああああ! 35回転、36回転・・・・・・今、デンプシーPTSDの世界記録を越えましたぁあああ!」
「PTSDになるの」
「これはきょうれっつぅううううううううーーーーーーー! ついについに回転が止まりました。過去id:legnumだったボロ雑巾が今ゆっくりと、リングにへばりつきましたぁ! レフリー踏んだ、踏んでいる、ボロ雑巾をげしげし踏んでいる、これはもうy_arimの攻撃を受けさせたくない、もうゆっくりと休んでいいんだよというレフリーの優しさでしょう! そして両手を頭の上でクロスしたぁああああ! レフリーストップぅうううう! 試合終了です。ボロ雑巾、いや、id:legnum、本当によく戦いました! 感動のブコメの嵐です! 感動をありがとう、id:legnum。勇気をありがとう! 私も涙が止まりません。これ以上言葉になりません。竹原さん、この試合、いかがでしたか?」
「PTSDになるの」
http://anond.hatelabo.jp/20090126134618
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090126134618
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090126134618
「華麗なステップを刻んでいたチャンピオン、ここで一気にy_arimとの距離をつめて来たあ! 左ジャブ、左ジャブ、左ジャブ! 左ジャブと言いながらこれは右ストレートなみの破壊力のこもった左ジャブを超えた左ジャブだ。自動小銃の三点連射を髣髴とさせるようなトライアングルビートがy_arimの顔面を正確にとらえていくぅ! いやあ、解説の竹原さん、チャンピオンの立ち上がりの左ジャブ、どうですか?」
「ぶちえらいの」
「すごく厳しいということですね、おおっと、ここですでにリングに足が生えたように動きが止まったy_arimが反撃を試みるぅ! それはあるいは風車に立ち向かっていくドンキホーテのような、空母に向かっていく零戦のような捨て鉢ともおもえる右フックー! だ・が・し・か・し! チャンピオン100年前から待ってましたとばかり、どん! ぴしゃり! のタイミングで右ストレートのカウンターあああ! これはもう全体重を預け、ジョルト気味に決まったぁああああ、決まってしまったぁあああああああああ! y_arim、たまらずダウンだぁああああ!! どうですか、竹原さん」
「死んだの」
「さすがにこれはもう立てませんか。レフリーがカウントを始める、ファイブ、シックス、セブン・・・・・・。な、な、なんとぉ、y_arim立ち上がります、立ち上がってファイティングポーズです。ありえない展開です。すでに顔面は通常の2倍ほどに膨れ上がって、彼のブコメのようにドス黒く変色していますね。しかも、先ほどの右ストレートで左目のまぶたがパックリと裂けて出血しているぞ! レフリーがドクターをリングに招き入れてぇ、これは、止血を促してますね。おおっと、止血できたようです! y_arim再びファイティングポーズを取ります。まだその闘志は燃え尽きていないようだ。レフリーの掛け声で試合再開! チャンピオン、兎を全力で狩る獅子のように猛然とy_arimにダッシュで駆け寄っていくぅ! スズメがとまって愛の巣を形成してしまいそうなy_arimの停止したような左ジャブが空を切る。チャンピオン難なくこれをかいくぐって、容赦ないラッシュだ。右、左左左、右、左右右左上下、左アッパー! どうですか竹原さん」
「ボッコボコじゃけえの」
「手も足も出ません、y_arim。ブロックすらできずもうノーガード状態だぁ! おっと、久しぶりの友達と出会ったときのような、よう、とでも声をかけるようなこの右手の動きはなんだぁ?」
「猫パンチじゃけえの」
「おっと、猫パンチ、猫パンチだ! だ・が・し・か・し! チャンピオン一万年と二千年前からわかってるとばかりに、この猫パンチの下にもぐりこんだぁ! 両膝を大きく曲げて全身をバネのように収縮させてあらん限りのエネルギーを貯めるぅううう! ここから繰り出されるのは、ガゼルパンチだぁああああああ!!!。y_arimの右わき腹に、深々とチャンピオンの拳が突き刺さっているううううう!」
「レバ刺しじゃけえの」
「ちょっとうまい事を言ったと思って笑ってるうぅううう! 肝臓への血液の供給を完全に断ち切る、いや肝臓の細胞を一つ残らず殲滅するようなそんなパンチが炸裂してしまいましたぁあああ! ではここで、この試合の模様を伝えるライブカメラに寄せられた、はてブコメントを確認してみましょう。『これはひどい』『いやぁああああああああ』『憤慨ペシミスト』『気の毒です』『もう勃たないで』『もう十分戦ったよ』『勇者』もう涙でかすんで見えません。感動のコメントが次々と寄せられています。チャンピオン、拳をゆっくりとy_arimの体から引き抜きます。ゆっくりとy_arimの体が崩れ落ちる。い、いや、これは! ゆっくりとチャンピオンの体が回転をはじめたぁ! 我々人類の脈々とした営みを伝えるDNAの螺旋を髣髴とさせるような無限の回転を象徴する8の字の回転がゆっくりと始まったぁあ! さて、再びはてブコメントを確認してみましょう! 『まっくのーうち! まっくのーうち!』『まっくのーうち! まっくのーうち!』『まっくのーうち! まっくのーうち!』『まっくのーうち! まっくのーうち!』『まっくのーうち! まっくのーうち!』はてブコメントは幕之内コール一色だーーーーーー!」
「デンプシーロールじゃけえの」
「y_arimの体が、暴風に曝されるこの葉のように、溶媒中に浮遊するコロイドのように、あるいは情熱的なアルゼンチンタンゴのステップのように、不規則にもみくちゃにパンチの弾幕に翻弄されていくぅ! これはもうチャイナドレスを着ていた頃の、可憐なy_arimの姿はは見る影もありません、ここにあるのは、も・は・や、教室でこぼれた牛乳を幾度となく拭かれてなんとも言えない匂いを発しているぼろぼろのボロ雑巾だぁああああ! 35回転、36回転・・・・・・今、デンプシーロールの世界記録を越えましたぁあああ!」
「ぶちえらいの」
「これはきょうれっつぅううううううううーーーーーーー! ついについに回転が止まりました。過去y_arimだったボロ雑巾が今ゆっくりと、リングにへばりつきましたぁ! レフリー踏んだ、踏んでいる、ボロ雑巾をげしげし踏んでいる、これはもうチャンピオンの攻撃を受けさせたくない、もうゆっくりと休んでいいんだよというレフリーの優しさでしょう! そして両手を頭の上でクロスしたぁああああ! レフリーストップぅうううう! 試合終了です。ボロ雑巾、いや、y_arim、本当によく戦いました! 感動のブコメの嵐です! 感動をありがとう、y_arim。勇気をありがとう! 私も涙が止まりません。これ以上言葉になりません。竹原さん、この試合、いかがでしたか?」
「じゃあの」
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090123/1232690160
http://www.earthfield.net/new/life.htm
◎なにも悪いことしてない人
自分以外の誰かのために一生懸命頑張って、自分を置き忘れていませんか?
自分にも価値を認めないと支えきれずに潰れてしまいます。
自分自身も周囲のものも大切にして、活かす道を探りましょう。
◎「いいひと」
自分のことを「普通、どちらかと言うといい人」と思っている人の中には、「どうでもいい」人がいます。様々なものを見捨ててしまっているが故に「気になることや問題はあまり何もありません。」と言います。
過渡期の現在、本当に良い人なら当たり障りのない人生は過ごしません。常に自分と周囲のための改善を図っていくことでしょう。時には困難もあるかもしれませんが、実りの多い人生となるでしょう。せっかく生まれてきたのですからライブを楽しみましょう。演る側にまわりましょう。
◎優しい?人
自分のことを「優しい」と評価する人のなかには、弱い人や易しい人もいます。気を使い、相手の強引さに負けやすく、自分の弱さの為に何かを譲ったり我慢をしたりする人です。
真の優しさとは強く、時には相手にも自分にも厳しいものです。 優しく、気高く、そして誇り高く在りなさい。
もう一踏ん張り、そしてもう一踏ん張り、譲らないことをトレーニングしましょう。
◎「頭ではわかっているんだけど・・・・」と言う人
理解が浅いか、深層では矛盾した考えを有しているか、思考と感覚や感情等との統合がとれていません。矛盾点がないかもう一度考え直しましょう。自分を棚上げせず、普遍性や立場が代わった場合等他のケースではどうか見直してみましょう。感情や感覚に合わせてみましょう。----自分では、あるいは周囲の人に聞いても、どうしても解決に繋がらなければ、本当は知らないのです。何かが根本的に間違っています。 諦めて、エネルギーワーク等をお受け下さい。
◎全てを許せと教えられた人
全てを許すなら、自分の素直な反応も許しましょう。怒るべき時には怒りましょう。
反応を止めることはエネルギ−の流れを止めることであり、無理を生じて破綻を来します。
自分の自然な反応を許さず他の「全てを許す」というのは「見放している」というのと同じことです。
自分という存在さえ見捨ててしまっています。自分を許さずに世界を許すことはできません。
自分の為に過去を赦し様々な未来を許可すると自分と世界が緩くなります。
◎「してもらうのが当然」の人
「してもらうのが当然」なら「してあげるのが当然」でなくてはなりません。
してあげるのを嫌がると流れが止まり運が尽きます。もらう以上にあげるぐらいが良好です。
◎同じを求める人
あなたと相手が同じになると流れが止まり、お互いの芽を摘むことになります。
活かすとは変異を認めることにあるのです。自分と異なる点も大事にしましょう。
◎傷ついた人
感情面で傷ついたり気に障るのは、そこに感情障壁があるからです。
あなたがバリアーを張っていて、そこに何かが触れたからなのです。
痛いだけのバリアーをはずしましょう。そうすると心の傷も一緒になくなります。
◎自信のない人
うつむかずに顎を引き、肩を張らずに胸を張りましょう。そして自分のできたことを思い出しましょう。
周囲の人のできたことばかり思い出される人は、そこにあなたのサポートがあったことを思い出しましょう。
自分が何者かを思い出したら、自分の望む方向に粘り強く進みましょう。
その歩む行為があなたの自信となります。
◎暗い人
人や何かのために行動して褒められたり成果が出ると明るくなります。
褒められないのは、
足りないか
相手を間違えているか
あなたの「人を測ったり責める気持ち」>「人に感謝や嬉しいの気持ち」だからです。
◎節操のない人
節操のない人は真実に届きません。尻軽にあちこち飛び歩いていると大事なものさえ見過ごしてしまいます。おいしそうなものばかりつまみ食いするのではなく、一つ一つをよく噛み締めましょう。そうすると人生が実りあるものとなります。
◎他人の応援ばかりする人
あなたと応援している相手との方向が同じとは限りません。むしろ人はそれぞれ別の存在です。
あなたにもできます! 自分のために自分の力を発揮しましょう。自分を応援しましょう。
◎他人のせいにする人
「あの人がこう言ったから。」等と自分の行動を他人のせいにする人は、その成果や喜びも自分のものとはできません。それでは奴隷「ひとでなし」と同じです。
やりたくないときは、断固「否!」を通しましょう。自分の意志でやりましょう。自分の責任でやりましょう。
自分のやる気でやった時に、達成感が生まれるのです。つまんない人生とサヨナラしましょう。
◎期待に沿えなかった人
期待に沿う必要はありません。期待は重石です。あなたに重石を載せるような人の言うことを聞く必要はありません。
あなたがやりたいだけできたなら、それでいいのです。
◎迷惑をかけてはいけないと教えられた人
迷惑はかかるものです。「迷惑をかけてはいけない」を厳密にすると生きていけません。そして「これぐらいなら許される」というものでもありません。ですからむしろ自分がどれだけ他の存在に迷惑をかけているのか意識して正確に測りましょう。同時に御返しについても測りましょう。その量が多いということは、自分を活かし他人を活かしているということです。
◎恩返しできなかった人
受け取ってもらえなかったり、いなくなってしまったり、そのとき自分に力が無かったり。悔やんでも悔やみ切れず自分を責めてしまう人は、恩を下に返しましょう。そうして人類は良い行為を続け増やしてきたのです。「私も昔してもらったから・・・」というあなたに助けられる人は、どれほど多いことでしょう。
◎どうしたらいいか判らない人
どうしたら良いかは、調べ、考え、尋ねれば分かります。その先は自身の実践と試行錯誤の繰り返しです。
「兵は巧遅より拙速を尊ぶ」とも云います。実践し、経験し、やり直しましょう。前進あるのみです。
◎気遣いの多い人
気遣いが多いのは、人や問題を深いところで捉えず、表面的に取り繕うことばかりを繰り返しているからです。
気遣いは、「人に嫌われたくない」「責められたくない」「仲間はずれ村八分にされたくない」という恐怖心から発しています。
恐怖心から発する行動に、愛はありません。愛は深く強く、障害をものともしない、すべてを生かす力です。
目を逸らさず人や問題を直視しましょう。根本的な問題解決を図りましょう。ときには手を出さず見守ることをトレーニングしましょう。
◎「気遣いがない!」と怒る人
自分の機嫌が悪いのを八つ当たりしていませんか? 本当は気遣いは必要ありません。
愛があれば良いのです。
◎自己中心的な人
自己中心的な人には中心がありません。自己の望みを知らず空洞の円の周囲をグルグル廻っています。そのため満足を知らず、感謝や助け合いの意味が解らないので怒り、勝手な振る舞いをします。
自分の望みや満足を問い直しましょう。作戦を捨てて一直線にそれに向かい、人のありがたさを知りましょう。適当な生き方なんて辞めてしまいましょう。
◎なぜか時間に遅れる人
できない約束やしたくない約束を重ねてきたのかもしれません。自分の中で「守らなくちゃいけない」と「縛られるのは嫌だ」がケンカしています。気遣いや「いい顔をしたい」等は捨てましょう。やりたいことだけ約束しましょう。そして約束は「しなくちゃいけない」義務ではなく、その時になったら「やってもいい」許可だと受け取りましょう。
◎憂鬱な人
あれもこれもと望み過ぎです。自己矛盾や嘘、言い訳や無理矢理がありますから、諦めましょう。
やれることからこつこつやって、自分の出来を愉しみましょう。
◎待ちくたびれた人
あなたは実際の時が来る前に想像しイメージトレーニングを行い、同時に生命エネルギーも使い果たしてしまいました。
エネルギーを使い果たした状態ではイメージ通りに行くはずがありません。
想像するのを止めましょう。その時間は何か他の愉しみに使いましょう。
現実世界の変化は多様ですから、「うまくやろう」という考えは捨てて、臨機応変に世界と自分の変化を楽しみましょう。
◎意地や見栄を張る人
意地や見栄を張るのは、立場を失うのが怖いからです。でもその立場は砂上の楼閣です。
維持するために出費がかさみ崩れ落ちてゆくでしょう。
本当に守りたい何かのために恐怖を乗り越え最適な立場に移りましょう。全てを失う前にカミングアウトしましょう。
◎プライドの高い人
いつも「あいつの方が上だ、悔しい。」「自分の方が上だ、ふふん。」「みんな、間違っているよ。」なんてやっていると疲れてきますし周囲の人も離れていきます。良いアドバイスももらえなくなりますし、アドバイスされると傷つけられたような気分になって真っ当に受け止められないでしょう。
本当は世界は開かれている協力関係にあります。横つながりの助け合いの世界です。
素直に「できないの。」「お願いね。」「ありがとう。」って言えるようになりましょう。
心を開きましょう。
◎プライドと自負心
プライド(pride)は「群れ」です。プライドの高い人は、時に周りの評価に振り回されます。
また、自負心の強い人は、自分で自分に負わせた重荷に耐えかね潰されることがあります。
目指すところは同じです。自分を大切に。周りも大切に。
◎優劣にこだわる人
こだわり過ぎると自分と相手との間に壁をつくり、自分を閉じ込め孤立させます。
囚われず視野を広く持って人それぞれ条件が異なることを知り、自分と相手お互い各々の「素敵!」を見い出しましょう。
◎一番になれば認められる、と思った人
できるかどうかと、他人が認めるかどうかは別です。例を挙げれば、歌が上手だからといって歌手になって有名になるとは限りません。他人が認めるとか有名になるというのは、その「一番」とか「できる」とは別のもので、努力の方向性が異なります。考え直しましょう。
◎他人が羨ましい人
あなたはその人の人生の素敵なシーンだけを見ています。
人はそのポジションにつく為に様々なものを支払い、いる為に条件を科しています。あなたにとってマイナスと思われるそれら全てを引き受ける覚悟があるか、自分に問うことです。そして覚悟があるならそれに向かって行動しましょう。
◎兄弟姉妹間の嫉妬について
親や兄弟姉妹と比べるのは辞めて全人類と較べなさい。兄弟姉妹がどうかではなく、自分の内側に答えを問いなさい。
その時あなたは独立した存在となれるでしょう。
◎父の教え
我が父は私にこう教えました。「ぼくは人生は円のようなものだと思う。生まれたところを中心に円を描き、その円から次の人がまた円を描く。」
父母を競争相手のように感じている人は、間違いです。そもそも発進点が違うからです。 どのような円を描くかが大事です。
◎二番目に多くある問題
セカンドはトップとよく比べられ、自分でも比べます。比べるときに、人は物や行動や他人の評価を物差しにすることがよくありますが、間違いです。物質化した結果を比べている限り、セカンドはオリジナルに成れません。大事なのは優れた結果を生み出した考え方です。セカンドやコピーであることを悩む人は先ず「比べる」ということを止めてみましょう。結果を真似て超えようとするのではなく、考え方を学び自分で練ってみましょう。
◎張り合う人
周りと同じでないと不安なくせに、横の人より優れていたいというのは、自己矛盾です。自分を見直し抜け出しましょう。
◎1番にしがみつく人の問題
「OOのトップ」とか「スーパーOO」とか呼ばれる人のなかには、そのポジションにしがみつこうとしている人がいます。このような人は後ろから迫ってくる人のことが気になって実力が発揮できません。ネガティブキャンペーンなど内部抗争に気をとられているうちに外圧に潰されます。今までのように前を向いて走りましょう。次を目指しましょう。身に合わなくなったポジションなぞ、置き去りにしましょう。
◎ひがんでいる人
ひがんでいる人は、心に壁があって目からも耳からもマイナスしか入りません。心にプラスが残りません。ですから、周囲の人がいくら褒めた言葉や仕草を与えても気持ちが通じません。結果として本人は「認められていない、認められたい」と思いますし、何かモノをもらったりしても「普段認められていないんだから、これぐらいもらっても当然よっ!」ぐらいに受け止めてしまって感謝が生じません。周囲の人にとっては「やりがいのない人」となります。
ゆがんだ目で見ても物事はまっすぐ視えません。「あいつばっかり良い目にあって」「自分ばっかり損をして」と感じる人の問題は本人にあります。先ず自分のひずみを直しましょう。見直しましょう。あなたの思っている以上に世界は正当にできています。
◎イライラしている人
あなたはエネルギ−と時間を浪費しています。疲れてイライラして周囲へ当たるのは、既にエネルギー不足を起こしているからです。良い仕事はできません。眠りましょう。
そして自分のエネルギーがどこで浪費されているのか検索しましょう。
◎諦めきれない人
「あきらめる」とは明らかであると知ることです。「諦めたけれど・・・」なんて「〜けれど」がつくようでは未練です。ちゃんと痛手を味わいましょう。
「もし〜だったら」などと逃げないで、その時点のあなたではどうしようもなかったと思い知りましょう。
何かを学んだら自分を許して時に任せることを知り、過去の事は澄ませて、今のあなたにできることをしましょう。
◎手放せない人
「さようなら。」も愛の表現のひとつです。あなたは知っています。
言い訳は止めましょう。あなたと相手のために勇敢に行動しましょう。
そのあとには、自由や平安、新しいチャンスが待っています。
◎完璧を求める人
「極める」という言葉があります。この世界は変化し続けています。ですから際(きわ)までは突き詰めることができますが、そこには行けません。行ったと思った瞬間にはそこが変化しているからです。完璧とはあり得ないことだと知っておくことです。
求めても得ることができないと知ることが差取りです。
◎コントロールしたい人
あなたと誰かは別存在です。ですから完全なコントロールは不可能です。あなたがコントロールしようとするほど相手は反発を感じます。あなたもその作業のために自由を失い、やがて破局します。
縛るものは縛られます。相手を自由にし、自分も自由に生きましょう。
◎すぐに見捨てる人
誰かを見捨てたり何かを見放すと、その時はスッキリ良い気分になります。でもそれは自分の可能性を捨てているのと同じです。いつかの可能性の為に見守りましょう。
◎過ぎてしまう人
時を過ぎると過放電を起こして「疲れた」で終わってしまいます。
◎すぐに助けを乞う人
人は自分ができたことに誇りや喜びを感じるのに、あなたはそのチャンスを逃しています。
自分でやってみましょう。もうちょっとがんばりましょう。壁を越えましょう。
するとだんだん楽しくなってきます。活きてるって感じます。
◎逃げてばかりいる人
問題の多くは自分が引き起こしています。自分からは逃げ切れません。観念して問題解決を図りましょう。
◎逃げることに罪悪感を感じる人
状況に危険を感じているなら、できるだけのことをしましょう。
できるだけのことをして、それでもどうしようもなかったら
あなた一人でも逃げましょう。共倒れや全滅だけは避けましょう。
振り返らずに安全圏へ全速力で進んで、そこからできることをしましょう。
中にいてできなかったことでも、外からならできるかもしれません。
◎思い出に浸ってばかりいる人
過去に存在を求める人に未来の席はありません。思い出にふけるのをやめましょう。
未来を視ましょう。今を生きましょう。
◎閉じこもって助けを求めない人
この世界は開放系で成り立っています。自分独りでできることには限界があります。
中でどうしてもできないことなら、外に助けを求めましょう。
閉じこもってフリーズしたりグルグル回っていても問題解決に繋がりません。
閉鎖系や物理的限界について学んだら、「有難う」って開放系に切り替えましょう。
◎守ろうとする人
「何か(だけ)を守ろう」とすればするほど、視線は内側を向き、閉じた壁は厚く狭くなり
外は敵だらけとなり、守ろうとしていたものさえ犠牲にして小さくすり潰していきます。
守ることは諦めましょう。閉じた円に先はありません。閉鎖系概念は生かすには矛盾なのです。
手放しましょう。開放系に切り替え、全てを活かす道を採りましょう。
◎「済みません。」しか言えない人
自分を閉ざした考え方のために「相手から奪っている自分」を感じて「済まない」と思うのですが、済まないでは澄みません。心に借金を重ねて濁っていきます。
借金してしまった分はとっとと返してしまいましょう。払いきれない分は「ご免なさい」と免じてもらいましょう。 自分を開いて「ありがとう。うれしいっ!」と感謝と共に元気エネルギ−を相手に上げましょう。
◎自分を責めてばかりいる人
「わたしのせいだ。」なんて自分を責めるだけでは問題解決になりません。また、できないことで自分を責めても仕方ありません。何故それが起きたのか客観的に考えましょう。自分と他人の責任を区別しましょう。再発防止の為に具体的に何が可能か列挙し行動しましょう。ニ度と同じ失敗はくり返さないと知れば、そのことは済まし、自分を澄ましましょう。
◎悪者探しをする人
誰かのせいにしても問題が解決するとは限りません。それが正当とも限りません。親兄弟や周囲の人のせいにしてもあなたは救われません。犯人捜しと問題解決は別です。自分を救うことも考えましょう。
◎「みんなが悪い」と言う人
最も悪いのは、あなたです。みんなに嫌われて当然です。他人のせいにばかりするのは止めましょう。不満タラタラ言いながら「自分にはできない」等の言い逃れをしたり弱者のフリをして助けを求めるのは止めて、自分で行動しましょう。
◎許せない人
本当に相手が悪いのでしょうか。問題の多くは自分が引き起こし、結果を受け止めたのも自分です。
同じことを許す人と許せない人がいます。「許せない」と感じるのは、感情のトラブルなのです。
考えた結果「許さない」という時は、自由や生存等を確保するという理由がついているはずです。何故許せないのか、何故そうなったのかを考えましょう。
◎復讐を考えている人
逆恨みは論外ですし、報復合戦は問題解決に繋がりません。しかし、理不尽なことをされたのでしたら、復讐は当然です。きっちり片をつけましょう。徹底的にやりましょう。
ただ、もっと賢いのはやられそうになった時にやることです。「正当防衛」なんて言葉もあります。そしてもっと良いのは、やられないことです。「君子危うきに近寄らず」と云います。
また、復讐を果たしたからといってあなたの喪失感や傷が癒えるとも限りません。ですから自分自身の救済も考えておいて下さい。何故それが起きたのかを考査して再発防止運動を行うのも良いでしょう。
◎いつも身構えている人
見境のないファイティングポーズは周囲の緊張を生み、無益な戦いを引き起こして共倒れの原因となります。戦うばかりが能ではありません。共存の道を探りましょう。自分が賢いことを証明しましょう。
◎闘わざるを得ない人
「殺るか殺られるか」という問題解決思考方法は難易度として易しいですが損害も大きなものになります。戦わずに済むが良いです。しかし闘わざるを得ない時は言い訳を考えずさっさと勝って終わらせましょう。
◎我慢している人
あなたの気持は漏れ出ています。溢れてしまっています。いくら笑顔をつくってみても口で何と言おうとも、気持は必ず伝わります。怒りを我慢しているのに周囲の人から「怒りっぽい人」と評価され、何も言っていないのに「言いたいことを言う人」「好き嫌いが激しい人」と言われるのは、全部ばれてしまっているからです。ばれてしまっているのに我慢する必要はありません。自分を出すことです。そして隠すのではなく何故隠さなければならないような自分なのかを考え、解決策を図ることです。
◎期待する人
期待とは自己表現欲求の他人への転嫁です。自分のやりたいことを自分でやり切っていないから欲求不満となって他人の肩に載るのです。
自分をやりましょう。自分でやりましょう。他人は別の存在で、期待通りになっても自分に真の満足感は来ないと知りましょう。自分で切りをつけましょう。
◎心配する人
あなたのネガティブなエネルギ−が状況を更に悪化させています。心配しても良い事はありません。現状を丸ごと承認し、改善のための自分の努力に意識を向けましょう。
◎八つ当たりする人
自分の大切なものを傷つけています。怒りを出してはならないと言っているのではありません。怒って当然の時はあります。その時に怒りましょう。その相手に怒りましょう。我慢しているから溜まって本来向かうべきではない方向に殺すエネルギーが向かうのです。出すべき時に出しましょう。
◎コントロールのために怒る人
怒りは時として相手をコントロールするために発せられます。怒った時は相手の生命エネルギーを得ていい気になるのですが、他人のエネルギーは長持ちせず、すぐイライラします。不当に怒られた側は次の誰かに八つ当たりするか、予防または反撃を考えるでしょう。他人に依存するのは止めましょう。自分の内側から生命をくみ上げましょう。自分で自分を活かしましょう。
◎「ありがとう」と言えない人
気の強い人や自尊心の強い人の中には、上手に「ありがとう」と言えない人がいます。
「ありがとう」と言うのが自分の欠点や過失を認めるような気がするらしいのですが、
「有り難い」というのは、人間の物理的限界を知りそれを認めることのできる心の強い人が感じる感情ですので、
恥ずかしがらずに素直に表現すると良いと思います。
◎感謝を受け取れない人
そのほうが相手も楽になります。「当然のことをしたまでだ。」なんて肩肘張らないで
あなたは意外にいいことをしたのです。自分のしたことの価値を認めて
相手と一緒によろこびましょう。するともっと一緒に楽しく生きられます。
◎「感謝の気持が通じない」と言う人
感謝は自分がしたら済むのです。感謝の見返りを求めるのはやめましょう。
◎感謝とは
ニコニコニコ。「うれしいな。」「よかったね。」「ありがとう。」など
何かをもらうから交換に感謝するのではありません。
もらっていることに気付くと出る良い気持ちが感謝です。"I am Lucky!!"ってね。
良い気がしない時は、手放してみましょう。なくなると価値がわかります。
◎わかってもらえない人
まず自分や相手の事を理解しましょう。自分の矛盾点を見つけて解除し、自分をスッキリさせましょう。
相手の許容性等も把握しましょう。そして明確な意志を伝えましょう。
◎「何を考えているか分らない人」
情報不足であったり思考能力が足りない可能性と、価値観や思考プロセスが異なっていてあなたの理解外の可能性があります。情報や考え方を伝えましょう。また、理解外を許しましょう。
◎誰とでも仲良くしたい人
無理があります。負荷があなたやあなたの大事な人にかかっています。大事な人とそうではない人を区別しましょう。
人は各々異なっています。全員に好かれるなんて不可能です。嫌な顔を隠しながらお付き合いするのは止めましょう。
群れていたからといって助かるとは限りません。大きな船でも沈む時は沈むのです。良い人とだけお付き合いしましょう。
◎なぜ、嫌いなんでしょう?
「あの人とは付き合いたくない。」という人がいたとします。
その人があなたを傷つける人なら嫌いで当然です。でもそれ以外の理由なら、なぜかと自分に聞いてみる価値があります。
また、その人はあなただけを傷つけるのでしょうか? それとも誰にでもそのような態度をとるのでしょうか? もしあなただけに酷い態度をとるようなら、そこには何か理由がありそうです。周りの誰もがあなたを傷つける態度をとるなら、あなたに問題があるのかもしれません。
理由や問題を検索し、問題解決行動を採りましょう
◎「駄目」や「嫌い」の多い人
「嫌い」「駄目」が多い人はこの世界を楽しめません。その多くは思考制限による感情のトラブルです。産まれてから現在に至るまで家族や狭い社会からプログラミングされてきた結果です。自分で組み込んだものもあるでしょう。よく世界を観ましょう。世界は自由で様々な形で存在しています。自分の制限プログラミングをはずしましょう。
◎ジミー坊やと白ねずみの話
ジミー坊やは白ねずみと遊ぶのが大好きでした。優しいおじいさんも好きでした。
ところがある人が、坊やが白ねずみと遊ぶたびに坊やに電気ショックを加えました。
幾度か繰り返されるうちに坊やは白ねずみが嫌いになりました。それだけでなく坊やはおじいさんも嫌いになりました。
おじいさんの長く白いひげが白ねずみに似ていたからです。
ひどい話ですが、似たようなことは誰にでもありうる話です。
例えば、子供の頃苦手だった誰かと同じ名前の人に対して、別人だと解っているのに何故か緊張してしまう等も、このパターンです。
(実際は、本人が気づかない処で混同などが起きていることが多くあります。)
このような制限プログラミングをはずすお手伝いをアースフィールドでしています。
◎奪い過ぎている人
何でも見境なく「私が」「私に」と言う人は、他の誰かのチャンスを奪っているだけでなく、自分の本当に欲しいものさえ見失ったり得る機会を逸したりします。
人には容量があると知りましょう。手を引くことを学習しましょう。そうすると人生が綺麗に流れて、今まで知らなかった世界が広がってきます。苦労していたのが莫迦みたいに思えてきます。
◎信じて裏切られた人
「信じる」とは不安を紛らす等のために現状を思い込みにより認識することです。ですから信じた様にならなくても不思議ないのです。人は変化し言葉は完全ではありません。人や言葉を信じるのではなく自分の目や感覚を信じましょう。予想通りにならなければ自分が間違っていたのです。自分にチェックをかけ直しましょう。
◎言葉に囚われている人
言葉は事物やイメージを切り取ったものです。その切り取り方は人や状況により異なります。全く同じというのは有り得ないのです。切り取る対象自体が異なる場合もあります。言葉は完全ではないと知りなさい。そして人により状況により言い方や受け止め方を変えましょう。
◎相手に合わす為や支配のために会話する人
その関係は長続きせず、あなたは会話をするのが嫌になるでしょう。会話はエネルギ−の奪い合いの為にあるのではなく、何かを理解し伝えるためにあるのです。無理な会話を止め、知りたい時や教えたい時だけ言葉を使いましょう。
◎不安の裏返しでしゃべる人
物凄くよく喋る人のなかには、自分の不安を覆い隠そうとしている人もいます。内容に殆ど意味はありません。聞く側としては、真面目に言葉を受け止める必要はありません。
自分が不安で喋っていることに気が付いた人は、一人のときに何故何に不安を感じているのか考え、解消しましょう。
◎黙っている人
言葉は完全ではありませんが、言わないと通じないこともあります。言うべきことを言わないと状況はあなたの望まない方向に行くかもしれません。
言いましょう。何を言えば良いのかわからない時は、相手の言葉の意味を受け止められていない時です。
解るまでその場で問い質しましょう。
◎「見ザル言ワザル聞カザル」という人
ヒトのすることではありません。自分に関することは、ちゃんと見聞しましょう。言うべきことは言いましょう。自由と権利を取り戻しましょう。
◎言わずにやってしまう人
言わずに人の分まで何でもやってしまう人は、その人の行動するチャンスを奪っています。
問題点があるなら言いましょう。言っても伝わらなければ本人が気付くまで待ちましょう。
その間に、自分が何故それに不満を感じたのか自分の内側の答えも求めましょう。
言うばかりでしない人
あなたは自分の行動能力を失っていきます。自分のすべきことはしましょう。
誰がやっても良いことは手の空いている限り手を出しましょう。手を出して
自分の手で何かができると楽しくなり、あなたの行動能力もあがっていきます。
◎愚痴を言う人
「愚痴を言う」という行為は、相手から生命エネルギーを奪う行為です。
自分は気持よくなりますが、相手は疲れてしまいます。相手に縁を切られても仕方ありません。
また自分が気持よくなるのも一時だけです。問題解決しないので、すぐに不満が溜まり同じことを言いたくなります。
問題解決の為の行動を起こしましょう。愚痴を言わないのも解決法の1つです。
◎恩を仇で返す人
何かをしてもらったり教えてもらった時に、文句を言ったりけちをつけたり愚痴を言うなど礼を失する人は、やがて相手にされなくなります。
お礼だけ言いましょう。何か言ってしまいそうなら頭を下げるだけにしましょう。
ためになったり嬉しかったら感謝も捧げましょう。
◎恩を義理で返す人
恩返しは、感謝と「やりたい」気持でするものです。「半返しにしておくかぁ。」などと金額で測ったり義理で返す人は、恩返しではなく好意に対して取引で応じているのです。礼を失する行為はやめましょう。自分の気持を大切にしましょう。
自分の感覚や自由意思を尊重しましょう。あなたの道はあなたの足元にあります。
◎話を進められない人
「考えてみます。」と話を持って帰った後、否定的な考えばかり浮かんだり二度三度と同じ相談をするようなら自分を疑ってみるべきです。誰かに相談して「考えてみます。」等で話を濁しているようでは、あなたの本気が疑われます。本気で問題解決したいなら具体的な部分までその場で話を詰めて、即行動しましょう。
◎愛想笑いをする人
自分に嘘をついています。口は笑っていても声や目は別のメッセージを伝えます。
他人に合わせて笑ったり怒ったりしていると自分の感情を見失います。
自分に正直になりましょう。心の底から笑えるようになりましょう。
◎愚痴をよく聞く人
あなたに愚痴を言うのは聞きそうな態度だからです。信頼しているからではありません。その人はあなたの悪口を別の人に言うでしょう。何の解決にもなりません。「私に愚痴を言わないで!」と硬く断りましょう。態度で示しましょう。改めれば問題解決法を考えてあげましょう。
◎相談される人
「何々についてはどうでしょう?」と聞いて、ふんふんと頷きながらよく人の話を聞く。
でも実行しないし変化もない。何度でも同じことについて聞く。
聞かれている側は最初は気持が好いのですが度重なると疲れてきます。
自分のアドバイスを再検討するか、相手を再評価するか、時期が来ています。
◎何でも疑ってかかる人
それは期待が裏切られるんじゃないかという恐怖心から来ます。人は時に自己存在さえ疑います。しかし自分まで否定すると何も分らなくなります。ベストは制限のない思考をベースとした体験を積み上げることです。疑うなら行動しないことです。じーっと見てるんです。そして何か「分かった!」と感じた時か欲求が自分の中から起きた時に、その分だけ行動します。余計なことはしません。その分だけです。そしてまた結果やら何やらをじーっと観察するんです。疑うだけでなく「確認」という結果を出していくんです。そうして繰り返しているとだんだん自分と世界のことが解ってきます。そうするとだんだん生きているのが楽しくなってきます。
◎「石橋を叩いて渡る」人
100%はあり得ません。石橋でも壊れる時は壊れるのです。自分で叩き壊しておいて「この橋は危険だった。叩いてみて良かった。」と言うのは止めましょう。
その石橋を叩いて試している年月の間に次の橋が崩壊しているかもしれません。
石橋とわかっているならさ
ごめん本当に起きられない。
本当に起きられないんだ……。
おきつづけてるのは結構平気。
寝つきがものすごく悪い。
一旦寝たら何があっても起きない。
寝てるんじゃなくって気絶している。
気絶しているから鼻にアンモニアでももってきてもらわないと目が醒めない。
何をやっても目が醒めない。
もしもし! 大丈夫ですか!! っとやってもらわないと目が醒めない。
意識を取り戻した後も意識を保つのにどうしていいかわからない。
殴られて頭がくらくらしているところで正気を保とうとするような感覚。
一生懸命ファイティングポーズをとるのだけど拳に力が入らない。
一度寝たら生まれ変わるのに時間がかかる。
というわけで、夜の増田は独断場 にゃーー。