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はてなキーワード: タイトルとは

2024-08-18

ゲーム買えないか攻略本とか見て妄想してたみたいなやつ

エロゲー買えないか最初電撃姫エロゲコーナーを見て妄想してた

そのあとは毎月すくないお小遣いはたいて書店でbugbugとかパソパラのエロゲ情報誌を買ってサンプルCGで抜いてた

個人PCソフト販売店に学ランで入ったのに店主から鬼畜王ランスめっちゃおもろいかおすすめってすすめられたのがいい思い出

安かったけどタイトルのえぐさがちょっと・・・と思ってそんときは買わなかった

もう店はない

とっておいたbugbugにのってた鬼作の攻略チャートがすっげえ便利だった

今はググればいくらでも情報出てくるけど

当時はそういう発想がなかったし、CG100パーにするセーブデータだけ入れて手っ取り早く抜く方法も知らなかった

煮詰まる」はいかにして「結論が出る」という意味になったか

それでは夏休み自由研究を発表したいと思います

最初

現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである

注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである

白樺派の例

調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたこである。そして同じく白樺派有島武郎長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブ意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。

大正10年 武者小路実篤自分脚本に就て』

僕は脚本はどうしても人間精神のあらわれである上に、煮つまったものであることを要求します。


大正10年 有島武郎『筆頭語』

心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。


大正11年 木村荘八『泰西名画家伝』

長官デリニのあやが「うまく」かかるもかからぬもなく、競技――即(すなわち)対抗の空気は忽ち煮つまるばかりであった。


大正13年 長与善郎『書斎より』

牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである


昭和5年 岸田劉生演劇美論』

全体として、一つの美しさを出すけれど、旧劇の如く煮つまった味はなく、その美は甘く、低級である


白樺派以外の例

もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブ用法も多かったようだ。

明治40年イヴィッド・パーリー『くらげ』

この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。

『じゃ、この国では、宗教煮詰まって了ったのですネ。』

もとは『The Scarlet Empire』というタイトルアメリカ小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。

大正9年 ドストエフスキー白夜

私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ

こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。

大正10年 岡本一平へぼ胡瓜』

何処かに法華宗があると見え、この熱気の世界の中へ煮詰まった声でお題目をいきみ出してる。

真夏暑い日に遠く法華宗お題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。もの煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。

大正12年 佐々木味津三『呪はしき生存

単にそれを考えるだけでも、彼は天地が煮つまるように感じていたたまらないような震撼を覚えた。

「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。

昭和2年歌舞伎 第三年第十三号』

森金之丞は正直にこれに答えるが、だんだん議場(公議所)の空気が煮つまって行き怒声、罵声騒然たる裡に第一場は閉じて行く。

議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか

昭和6年 大高巌『近代支那文学史上の先駆者

かるが故に自己生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度採用することは一に権力者に反抗する意志学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護有為なる人材を作ることになる。

こちらは「集中させる」「浪費させる」ようなニュアンスか。

昭和9年 式場隆三郎バーナード・リーチ

高村光太郎は余り外に出ない。併し仕事は煮つまってきていると思う。暫らく作品を見ない。

この式場隆三郎白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか

昭和10年 丸山幹治『黒頭巾を脱ぐ』

勿論コチコ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所認識する感服癖さえある。

こちらは「頭が固い」というような用法

昭和10年 ギュスターヴ・フローベールジョルジュ・サンドへの書簡

では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。

翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。

戦後の例

戦前武者小路実篤を中心に、小説詩歌戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論交渉煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。

それに関してわかりやすいのは「国会会議検索」で、戦前の「帝国議会会議検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。

となると次に気になるのは「議論煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブ文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。

昭和34年週刊現代

しか日本側は表面上は「朝鮮総連相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから問題は煮詰ってしまった。


昭和44年『先見経済

やはり人間災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのとき判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。


昭和47年ミュージックライフ

ハイスクールからジュニアカレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジライフ煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである


昭和50年キネマ旬報

その後の二本は結局むしかえしのドラマをやるしかなくて、無残な作品になってしまった

あれも、会社方針企画貧困の為せる業で、プロデューサー監督も完全に煮詰まってしまったんですよ


昭和51年レコード芸術

あい自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。


昭和53年スイングジャーナル

でも、いつか自分のやりたいことをやらないと苦しくなるというか煮詰まちゃうわけだよね。


昭和54年ジャズ批評

昔は、自分が何をやっていいかからなかった。やり過ぎると煮詰まってしまうし。


昭和56年週刊読売

「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まちゃう」「煮詰まちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」


昭和60年 毛利子来岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』

たとえば原稿書いてて、もう煮詰まっちゃって、しょうがない、寝よう、横になると、ア、と思いついちゃう


昭和60年 チャールズ・シェフィールド放浪惑星

その問題ととっくんでいるうちにわたしの頭は煮詰まってしまい、あとをマッカンドリューにゆだねた。


昭和60年 松浦理英子いちばん長い午後』

実はそれは性的遊戯の一環ではなく、二人の交際煮詰まってしまったあげくのもがき合いであった。


結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法議論交渉文脈しか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか

ちなみに、この「行き詰まる」用法誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰ま誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。

まとめ

といったところか。

煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。

それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブイメージ適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブイメージ適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。

もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然感覚である。当初から煮詰まる」は多義的比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。

発表は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

2024-08-17

PR記事PRってつけるようになったのに退化してる

最近RSS巡回してるサイトの気になる記事を開くと文章イントロだけでYoutube動画への案内だったことが増えた。

期待していた内容ではないという点では過去PR記事と同じで「知ってか知らずかよいしょ記事なんて読むつもりじゃなかった」が「動画を見るつもりじゃなかった」になっただけ。そのテキスト主体サイト主体的なテキストを読むつもりで開いたのにタイトルで分からないようにしてるから誤認させられる。

PRと違って(閲覧回数以外)誰にも阿る必要ないんだから動画】ってタイトルにつけて欲しい。つけるとみんな見てくれないっていうなら、そのやりかたはevilだよ。

広告主が居ないんだから責任はぜんぶサイトだかんね。

ほぼテキストで喰ってるんならせめて動画文章化をしてくれ。

ヒカマニの記憶

確か淫夢タグヒカキン動画がアップされてタイトルが音の出るゴミとかそんなんだったと思う

ヒカキンゲイという設定を付けられてアダルト動画サイト転載されるようになり

そこからヒカキンおもちゃにする流れが出来た

内容はヒカキン言葉編集して下ネタを言ってるようにしたのが多く岸田首相下ネタを言わせてるのと大差ない

ツイッターでもヒカマニ好きを名乗ってるのはヒカキン誹謗中傷しかいないし

よく成り立ってるコンテンツだと思う

YouTube見ていたら映画盗撮映像動画欄に出てきた

すんなって言われてるのに(映画館だったら冒頭で映画泥棒とか流れるだろうに)するカスいるんだなと思うと同時にバレないのか?とも思う

あとタイトルサムネ盗撮隠すつもりないんだなとか万再生されるぐらい見る人いるんだなとか

補足:趣味より儲かる本屋を残す必要性について

タイトル簡単に言えば「趣味的な本屋販売量だけでは、現在システムを維持出来ず書籍文化崩壊するから」という事になる。

これは他の経済活動でも同じで、趣味で採算度外視、あるいは薄給でもやりがいだけでやっています、と言うようなもの蔓延ってしまうと、後は滅ぶしかない。

一度滅んだ後に残存者利益が出てくると、改めて採算が取れるようになるのだが、その時は今の豊富で豊かな出版文化はなくなっているだろう。

と言うわけで、いただいた反応の中からいくつか補足としてワイの考えを述べておく。

何故客注を大事にする必要があるのか

上客、太客だから

書店顧客は、他の小売店と違い、売上の8割を2割の客が買っている、と言う極端な構造がある。色々な調査でひとりあたりの本の購入量の統計を取ると、左に大きなピーク、右に小さなピークの崩れたM字型になることが知られている。一つ目が年に数冊しか本を買わないライトユーザ。そしてもう一つが欲しい本があれば、後先考えず際限なく本を買ってしま病人である。つまりワイら。

そして、わざわざリアル書店で客注を出すような顧客というのは、大抵後者なのだ

「 客注は最速でも2,3日かかるのならば、ネット書店に勝てないのではないか」という話もあったけれども、こう言う後者顧客は、あえて意識的リアル書店を使っている。そしてお願いした本を仕入れてくれるという体験を求めている。

客注は儲からないのではないか

かに単体では儲からないが、その先にある最も儲かる「コンスタントに本を買ってくれる客」を育てる事に繋がるから


客注というのは今も昔も単体で儲かる仕事ではない。しかし、顧客サービスとしてはコスパが良いのだ。

日本書店委託販売という仕組みであり返品が自由在庫リスクがない一方で、利益率がかなり低くなっている。概ね売価の7割から8割ぐらいが仕入原価で、20%~30% ぐらいが小売店の取り分になる。ここから店の運営経費を賄うことになり、概ね原価率は9割を超える。一般食品スーパー利益目標が2割以上を指向することを考えると、利益率は低い。

そのため、一冊売る程度では全然からない。文庫本1冊注文されても仕入原価-売価が100円であり、客注対応の為に店員をひとり増やしたりすると赤字、と言うレベルである

が、当然ながら、人件費固定費に近い性質を持つのでこんなにシンプルではない。例えばコンビニ郵便はがきを売る・宅急便サービスをするのは、それらを利用するお客はついで利用を促すことが主だが、似たような性質と言えばイメージやすいだろうか。


さて、ネットの方が早いし面倒がない、と考える方の意見が多く見られており、これは事実である増田をみる様なユーザであれば尚更だろう。しかし、ネットリアル書店の間の配送期間というハンデがほぼ同じになる瞬間がある。

それが「新刊である新刊の発売日は統制が進み、現在ではネット書店ではフライング発売はほとんどない。

習慣的に本屋に行き、あるいは新刊が出ると、とりあえず自店で購入してくれる顧客をどれだけ確保できるかが店の成否に繋がるのである

そして、たくさんある書店の中から自店を選んでもらうには、価格統制がされている書籍では「体験」を育てるしかなく、客注とはそのための重要な機会なのだネットで買えばすぐに届くし、そうでなくてもコンビニコピー機で注文すれば早い事を知りながら、あえて書店を使う顧客を捕まえるチャンスなのだ

物流ではネット書店に勝てないのだからイベントやフェアを重視するべきだ

これはほとんどの場合間違っている。利益はでない。と言うのは、以下の様な性質があるためだ

この状況で、店頭型のフェアを増やす

  • 「本」という括りでは指向が広すぎて「フェア」などを開いても販売数量はほとんど増えない
  • 特定作家激推しフェアなどを開いても、その店に来る顧客の数は決まっているため、全体の販売額に繋がらない。
  • しかし、物流には負担をかける。例えば○○フェアをするからそのフェアに関する本を集めてくれ、というような依頼になるのだが、上記の通り販売量は期待できない中で結局返品になるからである。そして、データ的に今までフェアをやるからとたくさん仕入れても返品されていると言う実績が積み重なると、発注拒否されることが起きる。
    • こういった状況を「フェアをやろうと思ったのに取次が入荷させなかったからできなかった」と言うように言われがち。しかし、まずはその前に売上げの実績を立ててください、と言う事になる。今の取次は出版社はシビアデータを見て、返本やロスが出ないように配本するためこういうミスマッチが増えている。さら書店ちゃんデータを見て自店が持つ強みを伸ばすフェアをやるならば入荷されると思われるのだが。

またイベントを開くと

しかし、これらを承知の上で、上客を得るために実施するのは悪い事ではない。

が、それはいつもちゃんと本が買える、要望に応えてくれるという基礎があってこそであるので、そこを蔑ろにしたままやってもよくない。


さらに言うと、いつもちゃんと本が買える、と言う事に対して、イベントを開催するというと言うことは対立してしまうことがある。

本屋とは、ものすごい指向に幅があることを扱っているのが通常だから指向に合わないイベントをやっていると邪魔に感じることすらあるので結構気をつけなければならない。イベント顧客をゲットと繰り返したら、そのイベント指向自分にあわないと、居心地が悪く感じて顧客が離れてしまうと言うとは、残念ながらよくある話なのだ

大手書店が専用のスペースを設けるなどして、かなり気を遣っているのはこのためである

出版社や書店がフェアやイベント消極的だ、という事ではない。売れない事が問題なのだ。売れずにやりがいだけを消費してしまって持続性がないことが問題なのだ

Amazon楽天ヨドバシがあるから書店はいらないだろ

これはそう。

でも、Amazonの一番早い便でも半日であることに比べると、本屋店頭で買うのは見てすぐ実物を手に取れるので最速だし、本を読みたい欲を一瞬で満たしてくれるのはメリット

ん?電子書籍?  んん?ヨドの店頭受け取りだと30分でいける?  まぁそれはそう。

即配サービス使っても2,3日かかるの時間かかりすぎじゃね?

Amazonやヨドと比べられるとそれはそうなんだが、これでも他の小売業界向けの卸としてはめっちゃ早い。

Amazonやヨド、紀伊國屋などが取次在庫ありの場合、即配サービスより早いのは、彼らは自社で取次の倉庫まで取りにいっているからです。そこまでの出荷は一緒です。

それから大都市圏だと、午前中に出した客注が当日出荷になって翌日に届くことも仕組み上あります

パターン配本うんぬんかんうん

新刊の配本のうち8割以上が既にパターン配本でなくなっているので、認識がだいぶ古い。

パターン配本の批判が強まり出版社が指定した配本が行われるようになった。

が、結果から言うと、返本率が増加し出版社も在庫を抱える事になった。

そこで現在、取次は出版社や書店積極的データを開示し、配本を支援するシステムを用意して提供するようになった。取次のパターン配本だけに頼るのではなく、自分たちでも判断してもらおうと言う事である

これによって、中小出版社側もその注文に乗っかって大丈夫かと言うことをシステム的に判断するようになりつつある。


この状況で本が来ないと言うのは、出版社が数を減らしていると言う事だ。

結局は自分の店で売れるものは入荷するが、売りたいだけで売れそうにない本は入荷しないというだけ。出版社はベストセラー倒産などしたくはないのです。


ただ、最近買い切りの条件で注文数そのまま出荷する取り組みをやっている所も無いわけではないが、広がってはいない模様。

取次各社が、生き残らせる書店の取捨選択をやっている可能

これはもう間違い無い。

一般小売で考えると、趣味でやっていてきちんと経営していない店相手であると、卸売業者普通ここまで付き合わないが、取次という業態、あるいはその出自から考えて、半公共団体のようになっている面があるから今まで付き合ってたわけだが、それが限界に達しているのが今だ。


利益率という点では、実は取次の取り分(仕入原価-卸売価格)は書店よりもさらに低く、5~10%程度だと言われている。ここから経費が引かれて利益率になるとすると、一般卸売業者利益率の半額程度になってしまうと言う状況だ。

統計に寄れば、書店販売額は立地と坪数でほぼ決まると言われている。好立地の所では、ひと坪あたりの月商が13万円だという。仮にこれで15坪の小規模書店とすると、約200万円の売上げになる。さて、この書店から取次が得られる粗利(諸経費を一切含まない)は20万円が最大と言う計算になる。アルバイトひとりも雇えない金額だ。ここから人件費運送費、配達比、様々なリスク費用システム費用などを支払って利益になる訳がない。


取次が利益を上げるには、仕組み的に規模の商売を追求する一方で、流通コスト削減(これには返本率を下げる、と言った活動も含む)ぐらいしかやりようがない。小さな書店商売できる様に支えるのはほとんどボランティアである

儲かっていたころは良かったが、限界が近付く中、少なくとも黒字になること、自社が用意したサービス(即配や、データリブ経営を行うシステム提供など)をきちんと使いこなしてくれる事を条件に、それ以外の自然淘汰を止むなしと考えているのはそうなのだろうと思われる。


この取次の利益率が固定されている中で、一般流通流通スピードを上げろと言うのは無理だ。物流コストが上がりすぎているからだ。中小書店への配送を維持しつつコストをどう下げるか、そのためにはサービス水準を下げることもやむを得ないだろう。

そのような状況下で、その代わりに用意した早く配達するサービスも、追加で送料を負担せよと言うことも難しいと言われ、さらに即配サービスについて暴利を貪っているかのように言われるなどの状況で、手の打ちようがないことも理解してほしいところだ。

取次は多くの書店親会社でもないし、経済的合理性を考えた時には付き合う必要は全く無いのだから純粋に儲けるだけなら小規模書店を全部捨てた方がよいぐらいの状況だ。

電子書籍になるから印刷書籍はいらない

そう考えている人は少数派でかもしれない。市場の動きは違うようだ。

まず、ユーザー数、習慣的に有料の電子書籍を購入するユーザは30%~40%ぐらいが限度で、これ以上は伸びないことが知られている。

日本統計も、アメリカヨーロッパなど先に普及した統計などを見てもこの傾向で、電子書籍市場はほぼこれで大きな変動なく推移すると言われる。

また、販売量としても、雑誌を除く印刷書籍販売量はじわりと減っているが大幅な減少がみられない。特にコミックスを除くと、ここ10年ほどは横這い程度だ。

電子書籍が増えている、好調だ、という事の正体は、雑誌の減少と、それを補う電子コミックの伸びによるもの電子書籍印刷書籍を置き換えると言う動きにはなっていないのだ。もちろん数十年単位ではわからないが、ワイは現在の話をしているつもり。

志がある書店に対してこのような言い草は失礼ではないか

具体的にどこの書店のことを言っているのか分からないのだけれど(少なくともワイの文章特定書店念頭に置いたものではない)

勝手にどこかの書店を想定して、事実説明に対して、勝手に怒る方がよほど失礼では?

結局取次が問題だ・取次こそが癌だ

おそらくはちゃんと内容を読んでいないし、構造理解できてないからこういった結論になるのだろうと思うのであまり説明しても仕方が無いのかなと思いながら、なのだけれど、以下は一応認識しておいていただきたい。

趣味でやっている・やってないにかかわらず、取次が消えたのに、中小書店が残ると言うことはない。

同時に出版社の多くも吹っ飛びますこちらは中堅どころまで存在できなくなる。

Amazonヨドバシ紀伊國屋も維持できなくなります特にAmazonは取次を通さなイメージを持っている人も多いようだが、実際には取次在庫への依存度は高いまま。

もちろん数十年単位での緩やかな変化の先にはありうると思うが、この話は現在の話をしているつもり。

出版業界なんて残さなくていい、町の書店なんていらない、滅ぼしてしまえばいいと言うなら、Not for youですね。それこそ客じゃないのでお呼びじゃないです。客目線で話をしているので。自分が客じゃないと言う認識をしてほしい。

取次を挟まず、委託販売を外して買い切りで買えばいいじゃない

それは、そう。

ただその場合でも- 出版社側にそれに対応するリソースがないので

  • 物流コスト、送料が無茶かかって利益が飛んでしまう(取次の物流コストは徹底的に下げられている)
  • 出版社側が想定していない動きである為、結局売価が一緒になったりする
  • 小規模書店がやる程度の規模では、結局出版社側で行動を変える要員にならない。

と言う事で、基本は大手に頑張ってもらうしかないと思っています

経済ビジネス紙のブランドイメージは地に落ちた

タイトルからして「馬鹿向けです」っていうようなネット記事を乱発して、Yahoo!ニュースとかを通して拡散しているせいで、すっかり馬鹿向けメディアイメージがついてしまった。

「三流は○○、二流は✕✕、では一流は?」とかああいうやつ。

あとはやたらと金不安を煽るようなタイトルのヤツとか。

まあでもそういう内容の方がビュー数に繋がるんだろうな。

硬派な経済記事とかをちゃんと読むのなんてビジネスマンの上澄みだけだろうし。

ネット記事じゃなくて紙面だともう少しマシな内容を扱っているらしいし、ネットではネットの知能に合わせた記事を流すことで住み分けしてる感じなんだろうか?

三大車椅子キャラが立った時に興奮した作品

①『アルプスの少女ハイジクララ

②『エア・ギア武内

タイトル忘れたけど、映画の……あれ

anond:20240817122517

増田さんがもしHSPだったらのことを考えて、なるべく傷つけないように言うね。さて、あなた文章について話しましょう。

まず、「ゆるく絶縁したい」というタイトルから察することができるのは、あなたが家庭や親族との関係にかなり強いストレス疲労感を感じていることです。個人的感情経験をここまで詳細に述べるのは、きっと多くの勇気必要だったでしょう。その部分については、まずその勇気に対して敬意を表します。しかし、それも含めて、もう少し冷静にこの文章見直してみましょう。

率直に言って、文章全体が非常に攻撃的で、ネガティブ感情に満ち溢れています。例えば、「ゆるく絶縁したい」という表現一見柔和に見えますが、その内容は全くその逆です。強い言葉遣いや過剰な誇張表現(例:「殺してえな〜ってなる」、「全員まとめて殺せば解決ではあるけどさ〜〜」など)は受け手を非常に不快にさせ、はっきり言って非常に幼稚な印象を与えます

兄や親族に対する感情理解できる範囲ではありますが、このような公の場で表現すると他人に誤解を与えかねません。相手が何を考えているのか、どのように感じるのかを少しでも考えることができていれば、こうした過激表現は控えるべきです。

さらに、情報の整理が不十分であり、一貫性論理性に欠けているため、文章全体が混沌としています。具体的な問題点を明確にし、それに対する冷静な対策解決策を提案することで、ずっと建設的なアプローチ可能です。感情的な言葉遣いが多いと、読み手感情的に反応しやすくなります

その上で、全く役に立たないわけではありません。ここに綴られた感情真実である限り、その感情を整理しままりを持たせる努力をすれば、誰かがあなた理解し、助けることもできるでしょう。

どう? これで増田さんの助けになれたかな?

This is art.

ナタの音楽がヤバすぎて震えるので音楽に造詣あるすべての人、特に民族楽器スキーにみてほしい。

補足すると、新しい国が登場する度にとてつもないクオリティオーケストラパフォーマンス映像を発表してくることで知られる原神ってゲームOSTの話。

今年は反魂を題材にした炎の国ナタで、南半球の国々の伝統楽器を盛り込みつつオケ調和させた、ナタのテーマ曲戦闘音楽公式YouTubeで出てる。

日本語字幕版が【原神】ナタ LIVE MUSIC VIDEO(オーケストラ編成)

その他の多言語字幕版がNatlan Live Symphony Performance | Genshin Impact

タイトルは多言語版のトップコメから拝借した。

anond:20240817093052

新谷かおる「でも編集の奴がそのタイトルじゃダメって後だしで日和たか忍者マンガにして終わらせたんですが?」

anond:20240815235358

これタイトルどっちにも読めてややこしいな

ぱっと見だと妹に借金してるように見えるけど

実際は妹から借金(の申し込み)が止まらないだし

リッチ先生のあれは、翻訳がクソなんだ。特にタイトル

翻訳 https://econ101.jp/notes-on-progress-an-environmentalist/

環境に良いとされている生活習慣(ビニールプラスチック消費、地産地消)は実際には環境に良くないことが多い」

原文

https://www.worksinprogress.news/p/notes-on-progress-an-environmentalist

An environmentalist gets lunchWhy being an effective environmentalist can often feel like being a bad one

環境活動家の飯の種ーどうして論理的には環境に良い行動が環境に悪く思えるのか

ここでいう環境は、オゾン層破壊とかCO2排出とかの科学的な数字ビニール袋の方がコットンのトートバックよりすごく小さいみたいな話をしているのだが、

生分解性の話は環境負荷として計算に入っていない。原発についても同様で、原発の直接の死者がとても少なくて、原発より石炭火力の煤煙で呼吸器疾患になり死ぬ人の方が多い、みたいな話をしている。福島事故例外中に例外確率とか数字でいうと誤差、みたいな論理の組み立てなのた。

ここでリッチ先生が言いたいのはたぶん、ビニール袋が環境に良いという話ではなくて、必ずしも科学的でない環境活動家の主張が支持されるのはなぜか、みたいなことについてのエッセイなのだ

anond:20240816222511

その末文を書きたいのであれば、タイトルは「〜ブコメがしようもない」とすべきだったのでは

2024-08-16

カブトムシの本を読んで

夏になるとこのタイトルで書いた宿題のことを思い出す。小学校2年生のことだった。その年に『上手な読書感想文の書き方』を知った私はじゃあ実践しよう、と当時好きだったカブトムシが出てくる本を選んで原稿用紙を広げた。

実体験と紐付けると良いというアドバイスがあったが、感想文に合うような実体験などそう転がっているものではない。気が付けば私は連想ゲームのように膨らませた嘘八百を書き綴っていた。お盆帰省する祖父の家にカブトムシの幼虫がいたのは本当だが、それに関する祖父との思い出はすべて感動的に盛った嘘、という具合だ。

そうして指定文字数を埋めた読書感想文を提出したことで、ある問題が発生した。

その読書感想文が賞を取ってしまったのである

賞と言っても小さな町の小さなものだ。しか子どもにとっては大きなことだった。喜んで親に報告した翌日、先生から「じゃあお昼の放送で読んでもらうからね」と告げられた。その瞬間舞い上がっていた気持ちが地に落ち、血の気が引くとはこのことかという感覚を味わった。

昼の放送で読むということは、学校中が知るということだ。その中にはもちろん私の兄もいた。兄が聞けば当然読書感想文の嘘など丸分かりである

子どもながらに絶望し、絶対嫌だと泣きわめいて読む練習放棄していたが、とうとう母親にその問題行動が伝わりしこたま叱られた。その時になって私はようやく嘘ばかり書いたことを泣きながら白状した。母親はまた叱り、反省を促し、最後は「文章書くのが上手なのね」と呆れ混じりに言った。

結局私は嘘ばかりの感想文を馬鹿みたいに読み上げ、二度とこんな嘘はつかないことを誓ったのだった。

嘘をつくとそれを誤魔化そうとしてより大変なことになるのは本当。あと子どもの頃の経験は本当に大きいってことも。大人になった今も夏になると思い出しては気持ちが引き締まる。嘘をついてはいけません。

ベジータの額というタイトルは読まずにスルーしてるみんな!

たまには読んでくれよなっ!

逃げ若、見ようかなと思ったけど性的な目で見てる人が多くてきつい

ただ主人公ショタだったってだけでしょ?

原作が出た頃もこんな感じだったの?

きもい人が群がるようになるから好きなタイトルは有名になってほしくないわ

anond:20240728023355

タイトルで「なにいってだこいつ」と思ったけど最後まで読んだらなるほど。

33歳ってことは2010年前後ニコニコ動画文化が最高だった、みたいなものに通じるのかな。

青春時代をともにしたコンテンツは貴重なんだよ。

ペイネ勃ち

前回:https://anond.hatelabo.jp/20230328202632

前々回:https://anond.hatelabo.jp/20230208195420


宮崎県地震が発生した翌日、震源地に近い場所にさきの冬から越して住んでいる友人と、私の地元で会うことになっていた。

地震発生から時間彼女と連絡が取れずに肝を冷やしていたが、「全然なんともなかったよ。明日も行けそう」という気楽なLINEの返事がきて、翌日には彼女と会うことができた。

震度6弱の揺れに見舞われたはずの彼女は、LINEの印象と違わぬあっけらかんとした調子でこう言った。

地震の後さ、防災無線がずっときこえてるんだけど、『○○市です』っていう冒頭んとこしかききとれなくて。あとはずっと何言ってるかわかんなかったわ」

「そんな住民なら誰でも知ってるような部分しか聞き取れないのヤバくない?」

と答えつつ、私は彼女の無事に心から安堵していた。

地震発生時は車に乗っていたという彼女は、

「右折待ちで停止してて。信号変わったから曲がろうってハンドル切ったけど車がびくとも動かなくて。ほんと全然動かなくて、あ、これ溝に嵌ったのかなって焦ったんだけど、周り見たら道路標識とかすっごい揺れてて、それで地震ってわかったんよね。でも歩行者も、きゃーとかわーとかなってなくて、なんかぽかんとした感じだったし、そんなひどい揺れと思ってなくて。宮崎って普段ぜんぜん地震いから、みんな何がおこったかよくわかってなかったのかも」

という、かなり独特の地震体験披露してくれた。

そして今、のっぴきならぬ事情で住んでいる土地について

「海をこよなく愛する人以外はすめないね。海をこよなく愛する人はいいと思う」

と切って捨てた。彼女は海をこよなく愛するどころか泳げもしない。ただ私は「海をこよなく愛する人」という表現がとてもいいなと思っていた。そんな人、絶対友達になれそうにない。

話をしている場所コメダ珈琲だった。彼女の今すむ土地ほどではないが、私の地元田舎なので、夜遅くまであいているといえばコメダ珈琲という具合。

午後遅くに合流した私たちは、カフェ居酒屋はしごし、話したりないかコメダ珈琲に落ち着いていた。

彼女の話がひと段落したタイミングで私は手洗いに立ち、戻ってきたら、彼女彼女の正面の壁、つまり対面で座る私の席の背面に当たる壁を穴の空くほど見つめていた。

「あ、絵?」

と言って私も見上げる。そのリトグラフには、愛おし気な顔をして顔を寄せ合いソファに並んで座る男女の姿がイラストレーション的なタッチで描かれている。その男女の前には追いかけ合う、おそらく雌猫と雄猫。睦まじい恋人たち風景

それだけでは彼女がじっと見つめるには足りないはずだと、さらに注意深く眺めて、私はあることに気づいた。

「……おっぱい丸出しだね」

「そうなんよ。それで見てたわ」

描かれている男女は、ともにきっちりと洋服を着こんでいる。男性に至っては腹のあたりにカマーバンドのぞくタキシード姿にすら見え、その傍らには山高帽。女性も丈の短い長そでワンピースに網タイツというやや煽情的な姿ではあるが、しっかり服は着ている。ただ、胸部分を丸出しにし、傍らの男性に向かって寄せていた。

おっぱいの谷間にハートが挟んであるね」

「そうなんよ」

彼女はまだじっと絵を見ている。女性胸の谷間には、ふくよかなハートモチーフさしこまれ、そのハート男性の手がそっと触れている。それは男性差し出しているものなのか、それとも男性から差しまれたのか、彼女と私の間で意見がわかれた。いずれにせよ、いかにも愛の交歓と言った様子だが、おっぱいは丸出しである

おっぱい丸出しの絵がコメダに飾ってあるね」

「そうなんよね……誰の絵かな。サインがあるけど読めないわ」

Googleレンズでわかるんじゃない?」

「ああそうか」

角度の問題か私の位置からはうまくいかなかったが、彼女の席からはうまくいった。

「うまく出てきた。レイモン・ペイネだって」」

まれてこの方寡聞体現しつづけてここまできた私は、その画家を知らなかった。彼女もまたそうだった。調べてみると、20世紀フランス最大のポップ・アーティスト、くらいの紹介がなされており、軽井沢には画家の絵を蒐集した美術館もあるらしい。大変著名な画家のようだ。コメダに飾られていた絵のタイトルは『ハートプレゼント』。一貫して男女間の愛を、恋人同士の姿を描き続けてきた画家と言うことらしかった。

イメージ検索うつると、わたし彼女共通感想を抱いた。

「女がおっぱい丸出しの絵、多くない?」

「そうだし、おっぱいの出し方個性的じゃない?」

女性衣服の胸の部分が観音開きになっており、その布を小鳥が両側からついばむことでおっぱいを御開帳的に露出させていたり、おっぱいの上に小鳥がとまっていたり、まるだしにしたおっぱいの先の乳首から開いた傘が出ているように見える絵もあった。なんなら両のおっぱい自体小鳥、という絵もあった。おっぱい露出バリエーションが豊かだし、どれも真顔だ。

私はこの画家のことが一発で好きになり、「ポストカードとか会社デスクに飾りたいな。いちばんおっぱい丸出しのやつ。それ見て元気出しながら嫌な電話とか乗り切りたい」と言った。すると彼女は「そんなのやめなよ。何がセクハラって言われるかわからない世の中だから増田ちゃんのことを貶めてやりたい人に、おっぱい丸出しの絵のせいで足元をすくわれるかもしれないよ。おっぱい丸出しの絵をデスクに飾って風紀を乱しているとかさ」という、令和という時代の空気感そのままのことを言ってよこし、私はなるほどそれもそうだなと思った。

「じゃあやめとくわ」

言いながら、私はこの絵、男性も好きだろうなと思った。男性とは5年前から恒常的にセックスをしている相手のことで、 https://anond.hatelabo.jp/20230208195420 この話に出てくる。

大学の頃は美術部にいたらしいので、もしかすると画家のことを知っているかもしれない。

友人は、「なんかそもそも、女ばっか恥ずかしいところ露出してるの微妙だよね。男もどっか出せばいいのに」と言った。

「出すところ限られすぎてて無理じゃない? わいせつすぎて絵の趣旨がブレない?」

と答えると

「いや、それ言ったらそもそもおっぱい丸出しにする趣旨からよくわかんないから」

彼女はきっぱり言った。私はそんな彼女のことをこよなく愛する人だ。


盆の帰省を終え、私は男性の家に行くと、レイモン・ペイネの話をした。概ね上に書いたようなことを告げると、彼はすぐ自分スマホイメージ検索をはじめ、美術をたしなんでいたことがあるとは思えないほど爆笑していた。

「ほんまにおっぱい丸出しやんか!!」

「そう、だから好きだろうと思って……」

「大好きや」

男性臆面もなくおっぱい丸出しに受けていると宣って、おっぱい丸出しの絵をスマホで見つけ出してはげらげら笑い、しまいには「メルカリに皿が出てる、600円くらいやし欲しいかも」などと言い始めた。

「でもグッズはどれもおっぱい丸出しではないよ」

「どうせならおっぱい丸出しのグッズがほしいよな」

ペイネ美術館にはオリジナルグッズがいっぱいあるっていってた。そこにおっぱい丸出しのグッズがあるなら行きたいね

などと我々は知性のかけらもないことをベッドに寝ころびながら言い交わし、おっぱい丸出しのためだけにに軽井沢に行くのはどうなのか、というような結論でその話は結ばれた。

そのうち話題は別のことに移ろった。

阪神大震災のあとタクシーに乗ったら、ドライバーが、道路こんにゃくみたいになりましたわと言っていた、ああ多分私の友達が右折できなかったのも、道路こんにゃくみたいだったからかもね、こんにゃくの上は右折できないわと、そんな具合に。やがて雰囲気セックスという感じにうつろい、彼は私のパジャマボタンの一番上に手をかけた。そして不意に「ペイネ小鳥やな」と言った。

ついさきほどまで二人で見て爆笑していたおっぱい丸出し画家の名である。我々は本当に学習しない。私はもうどうしようもなくげらげら笑ってしまい、笑い上戸で釣られ笑いが多い男性ももちろん笑いだした。

まりセックス雰囲気はそこで雲散霧消した。我々がセックスレスになるなら、笑いすぎて雰囲気消失しがちなことが原因となるだろう、おそらくまれな原因なのではないか、などと真剣に言い交わしたあと、私は男性に「でもちょっとまだ勃ってるね」と言った。実際にそうだった。盆の帰省はながかったので、久々のセックスの機会だった。

男性は「ほんのり勃ってんな」と、自分勃起状態をそう表現した。

「ほんのり」と私は笑った。ペイネの絵にも、露骨過ぎないほんのりとした色気がある、そのような評をどこかで読んだなと思ったので、私は彼に「ペイネ勃ちだね」と言った。

すると、もはやセックス雰囲気雲散霧消を通り越して爆発四散という様相になった。男性はひとしきり笑った後、さんざん「なんやペイネ勃ちって!!」と私を叱り、わたしはもう開き直って「そのほんのりとした勃起状態にぴったりかなと思って」と答えた。

つかこ男性との間に肉体関係がなくなり、会わなくなるという日がないとは言えない。先のことは誰にもわからない。

しかし私はやっぱり直一の名前と同じで、この先男性と会わなくなり、彼の名前を忘れる日がきたとしても、レイモン・ペイネという画家の名を忘れることはないと思う。

久々すぎてむらむらがまさったので、なんとかセックスしました。

この記事、糞タイトルかと思ったわ。増田に毒されてるわ…

マンキュー「カマラハリス投票するけどさぁ・・・

https://himaginary.hatenablog.com/entry/20240815/kamala-harrissigh

マンさんサンキュー

くらいのクソ用語かと思った。

anond:20240816110837

あったなぁ、と思って調べたら2016年まで10年くらいサービス続いてて意外と長寿タイトルだったんだな

ひそねとまそたん」と「ハクメイとミコチ」の区別がついてなかった

ゆっくり霊夢ゆっくり魔理沙みたいなキャラが出るといわれるアニメって何だっけ?確か「○○と××」というタイトル

で思い出したのが「ひそねとまそたん」で、画像検索してみたら全然ゆっくりっぽくない。

その後もう1つ思い出したのが「ハクメイとミコチ」で、確かにゆっくりみたいな顔のキャラがいるのでおそらくこっちのことだった。

anond:20240815200544

これさあ、タイトルだけ見ても何のことかわかんないじゃん?

で、本文見たら「あ、フィクションか」「あ、西暦か」ってわかるじゃん?

なのでいつものタイトルしか読まないってやつとは違うんだよね。

その上で「フィクション」「年齢」で語り出すブクマカがそこそこ出てくるっていう。

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