はてなキーワード: カーストとは
いやこれ全員面倒臭いだろ
好きな人に対して見つめるだけってことは、付き合った後も見つめるだけ、察してちゃん化するから、もうその時点で"重た〜…"って感じてしまうよ。これは男女問わず。
増田さんが例に挙げた3人の男性は、全員好意に気がついてると思う。その上で"こんなめんどくさいアプローチしてくる女子に告白されたらさらにずっとめんどくせーがつづいて地獄ーー!"と思って避けてたんだと思う。大二の彼の気になってた発言はリップサービスよ。
私の周りで彼氏が絶えない(しかも全員相手がイケメンだったりカースト上位の男性)女子は、じっと見つめるだけ♡みたいな少女漫画もびっくりのコミュニケーションは取らず、どっかで男の連絡先をゲットして、初めは仕事や勉強の話をしながら交流を深めて、自然と一緒にいる時間を過ごして(例えば偶然を装って彼と同じバイトを始めるとか、彼の趣味の場所に一人で行ってみてその後一緒に行くようになるとか)、彼を褒めまくって、私と一緒にいると楽しいしこんな徳があるよ!と前向きな体験をさせて、最後の最後に男性に告白させるみたいな感じだった。
これは完全に偏見なんですけど、仲良しの尺度って男女で違ってて、女性はどれだけ自己開示をしたか、男性はどれだけの時間一緒にいたか、がキモになる。だから女性はデートが大好きで、お話の中でバンバン自己開示をして男性のことも深く知ろうとするけど、自己開示し慣れてない男性はまずこの時点で怖い。それより男性はちょっとした喫煙時間とか、仕事終わりの雑談とか、そういう謎隙間時間一緒にいることがその人を好きになりやすいから、そこに重さを感じさせず自然と入れる女性はモテる傾向にあると思う。
話が逸れたけど、モテる彼女達のすごいところは、上記をしっかりやっているのにも関わらず、付き合った経緯を聞くと"え、自然となんか仲良くなって告白された"と報告するところ。周囲の協力は一切仰がない。ふーん、じゃあ私も自然と仲良くなるのを待てば良いのか、とボーっと生きてたら、そのカラクリに気がつく頃にはすっかりおばさんになってしまったよ。
時代がどんどん変わってて、もう女性はよほど容姿が優れてないと待ちの姿勢では恋人はできない。これは悲報じゃなくて、自分からチャンスを作れるということ。私が若い頃は"グイグイくる女は引くわ〜"という意見は一定数あって嫌だったけど、今はその辺すごくフラットな感覚の人が増えたと感じて、いいよね〜と思うね。(グイグイのやり方にもコツがあるんだけどさ)まあ、みんな主体的に恋をしましょう!
いじめや差別で苦しんだ経験がない奴の価値観だな。ブサイクで、誰から見てもカーストが低いことが明らかな人間を見下したり侮蔑することは優越感や自尊心が満たされて面白いんだよ。俺らみたいなブサイクを差別していじめる理由なんてカースト上の人間からしたらただの暇つぶしや娯楽に過ぎないし、ブサイクには人権がないから一般的な良識や倫理観が適応されないどころかそもそも誰も俺らを同じ人間だと思っていないからな。
人を見下すなんて不毛なこと考えないだろう、とか思い込めるなんて、そういうので理不尽に苦しめられることなく普通に人間扱いして貰えた側の人間なんだろうな。
男だがチー牛顔の陰キャでいじめられてたから「友達になりたかっただけじゃないか」「攻撃的すぎ性格ブス」みたいなブコメやトラバは俺もブサイクを理由にいじめられた経験がない人間の書き込みとしか思えない。カースト上位の人間を警戒する必要なく生きてこれた人間にはそうじゃなかった底辺の言い分など分かるはずがなく、理解できなければ異常と見做して捻くれ者のクズ呼ばわりするのが一番簡単だからな。男女関係なく嫌な目に遭いたくないなら身の丈に釣り合わない人間からの接触は全て疑い全部拒否するに越したことは無いんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230927002433
この増田に限らず発達障害あるあるが当事者目線からして全く共感出来ないのって(まあこの増田にしろBさんにしろ、発達障害という言葉が直接には使われていないけれど)、
発達障害者(と思われる)の「空気の読めない」言動が、明示のルールに反しているからなのかなーって思う
そんな奴はいねえよっていう。
発達障害者は明示のルールには従うし、寧ろ頑ななまでに守ろうとするよ。だからこそ定型発達の世界では軋轢が生じるとも言える。
発達障害者が守れないのは黙示のルール。明示のルールと黙示のルールは多くの場面で衝突する。
例えば6歳のときのマホちゃんのフリフリのスカートの件。発達障害あるあるでは本当によく見掛けるシチュエーションだけど、物凄く違和感がある。
何故ならば、「人の見た目を悪く言ってはいけません」というのは明示のルールだから。親や教師から口を酸っぱくして言われるので真面目な発達障害者は守るし、仮に言ってしまったとしても学習して以後は言わなくなる。
で、黙示のルールとしては、「浮いた見た目の奴は笑いものにして馬鹿にしていい」というのがある。マホちゃんの件は寧ろこっち。マホちゃんが本当に、「誰も履いていないような」フリフリのスカートを履いていたのなら、マホちゃんを笑い物にして楽しむ方が多数派であり空気が読める扱いだっただろう。
ちびまる子ちゃんのみぎわちゃん何かが典型的だよね。似合わないフリフリを着たブスは笑い物にしていいというのが黙示のルール。
マホちゃんの容姿は分からないが、少なくとも城ヶ崎さんのような美少女ではない設定なんだう。
他人の色恋を口外してはいけないのも、教師と生徒が恋愛すべきでないのも明示のルール。「空気が読めない」子は、寧ろこういうルールを頑なに守った結果つまらない奴としてハブられがち。
発達障害だったら他人の秘密を守ろうとか約束は守ろうとかいう明示的なルールに縛られて、女同士のコミュニケーションの潤滑油としての噂話トークという黙示のルールに添えなかった結果ハブられる方がリアリティあるんだけど、そういう描写は全然見ない。
で、この先生の言う「世界のルール」「秘密のルール」って、本当に秘密なものと別にそうでもないものが混在してるんだよ。
「他人が気に入っているものは、たとえ変でも面と向かってけなしてはいけない。」これは明示のルール。これをきっちり守ろうとすると人間関係はうまく行かない。
「明らかに悪いことや間違ったことをしている人がいてもすぐに指摘せず関係ない信頼できる人に相談した方がいい。」これは明示のルールと衝突する黙示のルール。処世術的には守った方がいいのは確か。
「信頼できる人っていうのは人が自分から言わない秘密を誰かにペラペラ言ったりしない人、誰かの悪口を言わない人。」これは明確に嘘。誰かの悪口を言わないような人はカーストが低くて力がないから役に立たない。匿名性が保証された公的機関や通報窓口と言わないのは何故なのか。
「人が私に話しかけてきたときは、他の気になることがあっても手を止めて、私に何か意見や相槌を求めてくるまで黙って聞くべき。」これは明示のルールと衝突しない黙示のルール。別に秘密でも何でもない。
「質問をするときは今質問をしてもいいですか、時間はありますかと一度聞くこと。」これも明示のルールと衝突しない黙示のルール。別に秘密でも何でもない。
https://anond.hatelabo.jp/20230927112031
私を含めてTwitterで戯れにフェミぽいことをいいだす男が言いたいのは「モテたい」「女に褒められたい」だけ
そういったほうが「カーストが上の女から」モテそうだからそっちの発言をしてる。(カーストが低いおんなはこっちからお断り)
男からしたらフェミニズムというものはただのモテのための道具である。
フェミニズムかじったほうがモテそうならやるが、メリットがないならただの女のキモい妄想でしか無い。
キャスト発表されてからずっと思ってたけど今朝めざましテレビで『やらされてる感満々のギャルピース』を見てマジむりつらたんになってしまった。
もっとギャルで陽の女優にするかせめてバキバキのカラコン入れててほしい。
上白石はどう見ても芋すぎる。よく言えば素朴で純朴でギャルのイメージじゃなさすぎるし、目の下に入れたラメが『文化祭でカーストトップ女子に〇〇さんもやろうよ!ってメイクされたけどめちゃくちゃ似合ってない陰キャ』みたいなことになってるじゃん。
マジでこのオーバーサイズダメージジーンズが芋感を増してる。ひどすぎる。そりゃ二次元のギャルをそのまま実写化するとコスプレ感強いとかいろんな事情があるのは察するけどそれにしてもダサくない?ビジュアル芋すぎない?バキバキのギャルが出身地京都ってのが意外性最高なのにこのビジュアルの上白石だとあ~まあぽいね~で終わるじゃん。
フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題は権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級を無視している。これは彼らがアナーキストだからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級と権力を同時に重視することができる。
しかし、『万物の黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論を推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。
著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国、領主、爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。
インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等も国家もなく暮らしていた。
そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアのカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等は容認できるということである[11]。
彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王の権力と凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人のプランターに奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。
グレーバーとウェングローは、残酷な人身御供の祭りが世界中の初期の州で見られるという重要な事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜や若い女性、貧しい人々であった。
彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である、残酷な地方国家の臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。
実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家の正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である。国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。
集会そのものも重要な最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミアの王国や国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国で階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。
しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動の集会に似ていると指摘する。
古代メソポタミアでは、参加型民主主義のいかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的な議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主が支配していた。ローマの元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会の有権者は富裕層に限られていた。
この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たちは王国や国家を、不平等な社会における支配階級がルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物の黎明』では、そのプロセスは目に見えない。
グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等に絶望し、グローバル・エリートの政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。
多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級と環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解が必要である。
[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.
[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.
[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.
[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.
[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.
[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.
[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.
[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.
[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.
[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.
[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.
[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.
読んでて悲しくなったので書いた。
完全なる弱者である自分の子どもにハイスペの遺伝子を組み込むことで、その子どもを愛そうとしている。
ただしこの子どもを愛すというのは条件付きの愛になる。本来夫や彼氏に行くはずだった求愛行動がこの子どもに行く。絶対に離したくないという観念が、子の自立を妨げるようになり、絶えず子を束縛するようになる。
多くのシングルマザーの子どもは、どうであれ「かつて愛した人の子ども」であることが大半である(そうでない場合もあるが)。
こうした他のシングルマザーとのズレは、育児の場で大いに影響し、子は他者とのコミュニケーションが苦手になる。マイノリティの中でさらにマイノリティとなるのだ。逆境を跳ね返す能力がなければならない。
子が自分自身の人生を生きる上で最大の障害となるのはこの母親である。
自分の人生でできなかったすべてが、この子に託される。この母は、人生において子以外に依存先がなくなっているからだ。子にとって自立の最大の敵が母親になるのは不幸なことだ。母親の人生を歩まされる。
子どもはたいてい、13歳ごろから自立し始める。増田が41歳ぐらいのころだろう。18歳時点においては経済的にはともかくとして精神的には自立する。
増田が46歳になったころに、また今のような状態が再びやってくる。いや、より大きな孤独の状態がやってくるということに耐えきれるのだろうか。
まだ居もしない子どもへの強烈な依存が垣間見える。適当な男ではダメな理由は、プライドが許さないからであろう。「こんな男では、私に釣り合ってない」と考えている。
そうした今現在「全然選ばれない」ような女性は、46歳ではもう「50歳ぐらいの汚いおじさんですら相手にしない」ような女になりかねないのではないか。そして子は離れていこうとする。
また、文章を読んで気になった点は「そこまで可愛くなく」「そんなに洒落っ気もない」「人並みに頑張ってはいる」と書いている見栄である。
他の点「愛嬌もない」「男に媚を売るのも嫌い」と書いている点に関しては断定している割に、その点に関してプライドがあるのがよりめんどくささを助長している。
つまり、本当はフツメンババアなどではない。ブサイクババアなのである。その自覚が足りない。ブサイクババアのくせに性格も良くないのだ。
「そのへんの女より可愛くて洒落っ気はあるのだが、『つまらない男ごときに媚を売る』ことができないために、婚活市場では、意味わからんけど『無価値』となってしまう」と考えているのだろう。しっくりこないか?
これは他の女性をバカにしていることに気付いていない。つまり自分の相場を度外視して「本当の私は彼女たちよりも価値が高いのだが、バカな男どもはそれに気付かない」と、自分の中で折り合いをつけてしまっている。
自己愛が異常だ。フェミニストはミサンドリストであるという点で不幸だが、増田はミサンドリストな上に、女性も嫌いなのではないか。学校でのカーストはどこに位置していた?
教育関係というその仕事も、『子どもという弱者なら自分が支配できるから』という考えが根底にあるのではないか。わからんけど。なおこれはイネーブリングといわれている。
おそらくこの増田は毒親育ちなのかもしれない。若いときに、可愛くもないのに化粧をしないことを選ばされた女性は大変である。あとで追いつかなければならないからだ。
「女の武器を使うのは悪いこと」という、おそらく増田の母親から強固に植え付けられた観念が罪悪感を抱かせる。未熟なスキルもそれを助長する。
そうした先延ばしのツケが今来ているのだろう。
中身が全く可愛くもないのに美も底辺という、弱者女性である自覚が足りていないのではないか。そしてそれを改善しようとする気もない。
「今現在の、ありのままの自分」を愛してほしい、自分が認めた人間からだけに強烈に愛されたいのかもしれない。
美を鍛えるのが苦行なのは「女の苦しみ」の1つだろう。「なぜこんな目に遭わさなければならないのか」と考えたくなる。多くの女は人生の早い段階でそれを乗り越えている。最近では男もやっているが……
ともあれ、理想の自分と現実の自分がすさまじく乖離している。だから人見知りなのではないか。
婚活疲れによるメンタル崩壊が第3の選択肢を選ばせているのだろうが、それは回避性パーソナリティ障害ではないだろうか。今までそうやって生きてきたのではないか。
そしてまた今回も問題の先送りをしようとしている。
自分が「下」だと思っている女性が、本当は圧倒的に自立しており、圧倒的に「上」であることに気付くべきときなのではないか。
これは俺の勝手な憶測・俺の勝手な印象だから、ふふっと笑って流しても構わない。
だが、子どもができてからではもう戻れない。今、己の存在価値・アイデンティティが問われているのだ。己と真剣に向き合うときが来たのではないか。
子どもを持ちたいと思う気持ちはわかる。ただ、まだ本気で戦ってもいないのに「婚活で惨敗した」あなたに、子を幸せにできるのか。撤退ではなく惨敗なのだ。
とりあえず専業飼ってる非モテは独身の非モテよりもカースト下位で自分がやってる奴隷稼業に気づけない馬鹿でバカきしょい人間だって気づいた方がいい
専業を飼っている時点で「モテ」です
岡村のときも思ったんですけどなんでモテモテ男を「非モテ」とか言うわけ?
職場のおっさんが「結婚しろよ!少子化なるから!」とかキモ説教垂れてきたんだけど
あんたはどうなのと聞いたら専業主婦1匹とメスガキ1人飼ってるらしい
あぁ、どうりであんたいつも生活残業してるわけねと妙に納得したが、冷静に考えて自分の人生捨てて専業飼うのキチガイ過ぎないか?
君ももう20代後半なんだから彼女くらいね…と言われるけど友達すら必要ないと感じてる奴が彼女欲しいわけないだろ
それに金でひっぱたけば彼女くらい確実にできる、それをしないのは自らバカメスに貢物献上する奴隷階級に落ちる必要性を感じないからだ
だからこそただでさえくそみたいな人生の貴重な可処分時間を削って専業飼ってるおっさんが理解できないし、気持ち悪くすら思う
とりあえず専業飼ってる非モテは独身の非モテよりもカースト下位で自分がやってる奴隷稼業に気づけない馬鹿でバカきしょい人間だって気づいた方がいい
給料や福利厚生がホワイトで人間関係エグい会社を何と評するか?
人間関係のエグさを具体的に示すエピソードは会社の評判投稿サイトの内部口コミでは綺麗にスルーされる傾向があるので
(その会社に怒って辞めた人でもエグい、酷い話は客観視点でも書かずに蓋をしたいって潔癖な心理って面白いよね。
例えば
「女性器を示すカタカナ3文字を冗談めかして口走るような社員が何人もいる」
とかそういう口コミ全然ないもんな。そういう大企業腐るほどあるはずなのに)
あえて俺が弊社を例に以下に具体的な話を書いていくことにする。
弊社は平均年齢40歳、従業員10000人、売上8000億円くらいの大企業(あるいはそこの子会社)である。
30歳480万円、40歳700万円はどんなグズ無能でも必ず到達するような給料水準をイメージしてもらうといい。ちなみに40歳でも課長なら850万ある。50歳の部長は1200万円だ。
で、以下が実際に入社しないと知りえないネガティブ情報である。
入社予定の内定者の生年月日・出身地・学歴・趣味・特技などののプロフィールが顔写真付きで載っている。
例年、そのお知らせが来ると誰かがそのプロフィールを全部カラー印刷する。
で、フロアの人達は仕事の手を止めて内定者を肴にやいのやいの盛り上がる。
このとき、イケメンや体育会や陽キャのどの属性にも当てはまらないタイプの男性内定者は結構酷いことを言われるハメになる(たとえば「こいつストーカーしそうだなあ笑」とか)。
残念ながら、この品評会でディスられた内定者は、もうその瞬間、入社後にあまり良い会社生活が送れなくなることが確定してしまう。
ちなみに、陽キャ内定者も完全に安心できるというわけでもない。
たとえば、社内でポンコツという悪名が轟いてる社員と大学学部や趣味や部活なんかがドンピシャで被ってたりなんかしたら、その時点で目をつけられる。
「ワンダーフォーゲル部来ましたねえ笑これは危ないですねえ笑」とかいう感じに。
で、品評会参加者はそれから喫煙所とか飲みの場とかで内定者の印象(勝手にこさえた悪い印象)を
「いやあなんかあの子ダメそうっすよ笑。少なくとも俺はダメだと思う笑」
とか他の社員に各々面白おかしく伝えるので、4月1日には『可愛がられる新人』と『被差別扱いを受ける新人』の仕分けが済まされてしまう。
研修終わって配属されたら、被差別新人はもう最初っから冷遇される。
一応最低限の本当に最低限の仕事は教えて貰える感じだけど、業務中、前述の意地悪なタイプの社員たちから一挙一動を観察されて、
ちょっとキョドったり電話で変な言い回ししたりしたら、毎日その情報が裏で共有さ「あいつやっぱ変w」となる(基本的にうちの会社って拘束時間無駄に長いけどほどほどにしか忙しくないんだわ)。
で、
こういうカーストに関係してくる情報に裏方の若い女性社員は過敏だから、その新人をサポートする事務仕事とかをキモがって消極的になる。
こうなるともう全部悪循環。
「なんか例の人(=新人)、〇〇さんになんかしたらしい笑」
周りの社員は新人となるべく関わらないようにしようとするから、新人が仕事の報連相で誰かに話しかけたら周りの空気が張り詰めたり、話しかけられた人がめっちゃ冷たくあしらったりという光景がお定まりになる。
はっきり言ってこうなったら詰み。
周りの評価が初っ端からドマイナススタートってハンデ背負ってるに等しい状況なので、
まだ仕事が全然わからないのも当たり前なキャリア最初期にもかかわらず、「ノーミス」しか許されなくなる。
→でも周りは必要以上に厳しい反応をする
→変なあだ名をつけられるようになる
→下っ端同士のマウント合戦など知る由もないオッサン管理職は周りの評判を真に受けて、オッサン管理職からの評判も悪くなる
こんな感じで、入社1年足らずで新人はいよいよ完全に詰む(まあそれでも給料良いしカレンダー通り休めるから死んだ目で勤め続ける子のほうがむしろ多いんだけどね)。
ちなみに俺は毎年春に繰り広げれれるこのマイルドなイジメと淘汰を見て見ぬふりをしている。
罪悪感はあるが責められる筋合いはないと思ってる。
行政の仕事に多少なりとも関わった経験があるなら分かると思うんだけど
別に某Cに限った話でも何でもなく、活動実態もバックもあやふやな団体が(界隈の言葉によると)公金チューチューしてる例なんて多々ある訳ですよ。
現場も馬鹿じゃないからこいつら絶対怪しいだろって思っても、上から外部団体からの圧力などをチラつかされると黙ってスルーして怪しい輩に公金をスルーパスせざるを得ない訳で……
故に某Cもそこらの有象無象のNPO団体と同様で、公明正大な会計してたらあそこまで騒がんやろとかは思うがこの点は裁判でハッキリ……しないんだろうなぁとは思う。
結局頭の回る輩がブレーンにいるなら誤魔化す事はいくらでも出来るし、何なら今かの団体がやっている様に、誤魔化す事すらせずに世間に対し「我々は正しい」というメッセージと概念を植え付ければ勝ち。
もちろん世間といっても狭い世間ではあるのだが彼らが接する「世間」を騙されば勝ちであり価値という概念でやっているのだからまともな社会感覚してたら理解する事すら難しいんじゃないかな?知らんけど。
某Cに落ち度があるとすれば、せいぜい内輪に向けてやる様な男叩きオタク叩きコンテンツ叩きを、団体の顔が主導・扇動する様な形で只管騒ぎまくった事。
結果はオタクの中でも取り分けヤバい奴に目を付けられた。左翼界隈全般に言える事だけど、「オタクの男」(またはオタクコンテンツに対し好意的な層)に対して
「ニート、フリーター、派遣社員等の社会カーストが底辺な連中ばかりでネットで騒ぐだけで何の行動も出来ない」
という昔ながらのイメージを抱いていたのが原因だろう。その辺の感覚のアップデートがマジで出来ていないと感じる。
オタク叩いて騒いで支持を集めていたつもりが実は世間を叩いていた、というオチ。
結局の所、同類の団体から積極的に擁護が出てこないのが一つの答え。
大抵の団体が探られて痛くない腹は無い状態なので、目を付けられる様に騒いでた某C周りと関わり合いになりたくないのだろう。
某Cからしたら「他もやってるのに何でウチだけ!?」という憤りはあるだろうし、支持者は党派性と男やオタクコンテンツへの悪意で騒いでいるのは理解出来るのだが
さすがに問題全てを陰謀論で片付けて「何の問題も無かった!いいね!?」と開き直るのは、さすがに筋が悪すぎるんじゃないかと思う今日この頃。
これ。
ブサイクじゃ無い人間から見下されたり馬鹿にされたり暴言吐かれた経験しかないのにカースト上の人間がわざわざ寄ってくる事自体が気持ち悪過ぎる。普通はメリットが無いからわざわざ底辺と関わりに来ないんだよ。
絶対に蔑みにきたか利用しにきたかのどちらかに決まってるので元増田達の反応はただ自分達の身を守っただけだし間違っていない。ブサイクじゃ無い人間には一生理解できないだろうけどね。
顔が可愛くて声が特徴的で、でもおとなしくて。今でもあの子に勝る可愛い子は出てきていない。
最後に見かけた18の夏、何故勇気を持って話しかけなかったのだろう。あの子は今、どこで何をしているのだろう。
もう40歳が見えて来ている年で何をやってるんだと自分でも思うんだが、過去の記憶を頼りにFacebookやInstagramを掘り起こして何とかあの子にたどり着けないか奮闘してみた。
その過程で地元の女たちの情報も得られたのでここに残しておこうと思う。実際に最近(と言っても数年前)に会った人の情報も含む。
・好きだった子
10数年前の誕生日に取ったプリクラだけアップされてたのだが、ギャルギャルしく加工されており、もはや面影はなく悲しかった。
あのときのあの子はどこへ。。その年でその見た目は大丈夫なのか。。
元々おとなしくて人付き合いも少なかったからか、地元の人から近況を聞いたことはない。
・その次に好きになった子
高校から進路は別れたけど、大学、就職後もちょいちょい連絡をくれてた唯一の人物(好きになったのはそういう思わせぶりなところだ!)、だったのだが、ここ数年は連絡が途絶えていた。
海外を渡り歩いて帰国したあと、結婚して首都圏に住んでいるようだ。
・1番頭が良かった子
医者になってた。子供ももう小学生くらいになるみたい。確か親が医者で、中学の時から医者を目指していた記憶。医者って目指しててなれるもんなのか。
・2番目に頭が良かった子
こいつも医者になった。ど田舎の公立小学校の同級生で2人も医者が出るとは。
ITベンチャーに勤めているらしい。大学は留学していたらしい。そういえば親が金持ちだったな。
・1番モテてた子
数年前地元ののみ屋でばったり会ったが、そのときはまだ独身で、仕事も男もとっかえひっかえという状況だった。
その後どうなったかは知らんが頭は良かったから、うまいこと人生収束させたんじゃないかな。
・だんだん書くのめんどくなってきた。
・地味な子 中堅国立大に行ってた。地元で名前だすと普通にスゲーってなるレベル。妹も大学言ってるし、こいつも親がまともだったのかな。
・いじめられてた子1 妊娠して高校中退した後、結婚して離婚して、再婚したらしい。幸せそうな写真をうpしていた。
・スポーツ万能子1 体育大学行ってた。ある競技で県大会上位は常連だったから妥当か。その後は知らん。
・スポーツ万能子?2 中高でそれほど実績ないけどこいつも体育大学行ってた。割りと普通の進路なのか?
・部落の子1 ナースになってた。ボーナススゲーもらえるって自慢してた。
・部落の子2 いい年してドギャルの風貌だったがちゃんと子育てしてるっぽい。
・バカ1 数年前飲み屋で再会したが、こいつと結婚したいやつおらんやろという感じ。兄弟も全員ヤバかったし。
・バカ2 バカ1とつるんでおり、ほぼ同上。兄貴は優しかったんだけどね。
感想:親がまともならそれなりに育つ。ま