はてなキーワード: 高濃度とは
空間除菌については、「次亜塩素酸が入ったボトルを机の上に置けばコロナ予防に効果があるのか?」とか、「次亜塩素酸を放出するネックレスを首から下げて効果があるのか?」という話であって、密閉空間で高濃度放出なんて話は誰もしてないんだよな。
みんな、密閉空間で高濃度にすればコロナは死ぬし、なんなら人間も死ぬのはわかってる。
極論、問題は次亜塩素酸じゃないんだよ。別にオゾンガスを放出したって良い。問題はドラッグストアに売ってるクレベリンをはじめとした具体的な商品に効果があるのかという話だよね。
最近「科学的に無害と明らか」みたいな言葉をよく聞くけど、そういう言葉って科学をよくわかってない人ほど言いがちで、言う人ほど科学を無邪気に妄信し過ぎている気がしている
「科学的に正しい=何があっても覆らない絶対正義であり真理」みたいに思っているのだろうけど、世の中でそのようなものはほぼないし、あってもごくわずか
例えば、1000人に飲ませれば999人に効く薬があったとしても1人には効かないこともあるわけだ
研究結果でも作用機序が明らかで、統計的にも薬に効果があることが間違いないなら「その薬が効くのは科学的に明らか」なんだけど、例外的にレアな遺伝子型や体質や、諸条件が揃わない患者には効かない、ということもあり得るのが普通
とすると「科学的に明らかなことだけど、例外も頻発する」みたいなことも起きるわけで、それは別に珍しいことではない
いかに科学で正しいと解明されたことでも、その証明のために行った実験では必ず色々な条件を定めている
実際に発生した条件が、確認実験をした条件と極端に異なる場合、予想外の事態も当然起こりえるわけだ
コロナのときもあった、「次亜塩素酸空間散布は効果がない」とする話も、実際はそんなことなくて、密閉空間で高濃度に散布したら当然だけど効果があるわけ
ただそんな空間は人体に有害だし、人体に無害なレベルまで濃度を下げたり換気しつつだったりすると、その除菌効果を確認することが困難、という話が真相なわけだよね
だけど、「あんなものは効果ないことは科学的に証明されている」と言う人はとても多かったと記憶している
「効果がある」「条件によって効果がある」「効果を確認できない」「効果がないことが証明されている」のような話はすっぱり線引きができるわけではなくグラデーションで、誠実な人ほど断言に躊躇する
STAP細胞の時も、一般の人は、あるんですかないんですか、が興味の対象だったけど、「現時点で再現性よく作り出すことはできないけど、そういうものが作れる可能性がある」みたいな、一般の人からすると意味わからん答えしかできないのが真実なことも多い
でも、一般の人はより断言されたはっきりした物言いを好むので、「科学的に証明されている」みたいな言葉は独り歩きしがちだ
色々悩ましいニュースは多いけど、
・その濃度は科学的に無害だとしてもその量でも無害か?(逆も同じ、その量は科学的に無害だとしてもその濃度でも無害か?)
・その行為は科学的に無害だとしても、長期間繰り返しても無害か?
・人体への影響が科学的に無害だとしても、我々がまだよく理解していない生物種や、微生物などにも無害か?
・根拠とする無害・有害のラインは人類が世界中で追試し確認してきたものなので信じるとしても、件のサンプルへのアクセスは当事者しかできない。サンプルの状態を示す数値は、本当に発表者の言う数値を信頼していいのか?
この辺は、報じられるニュースだけでは絶対に判断できないことだろう
だから我々科学者は「一般的に無害なのはわかるけど、懸念点も残るよね」と思うし、感情的に反対する人の考えていることもむしろ素直な疑問と思っている
そういう方を馬鹿にするように「科学的に大丈夫なのにw」みたいに言う人ほど、科学は科学ではなく魔法のカードのように思っているんだろうなと思ってしまう
雑誌のBigin(ビギン)を楽天マガジンで読んでたら、文章が寒すぎてキツかった。
読者層って50代以上なのか?親父ギャグ満載で、アラフォーの自分にはついていけない。
以下に例を挙げるので読んでみて欲しい。
ハマるよ……め♪
もしかしてラッツ&スターのめ組のひとのパロディ?古すぎないか?
買いませうって今どき書いちゃうのが痛い
ありのままの白で魅せるのよ
一度使えば濃いに落ちます
おニュー2枚でわざわざ仕立てた洗練パッチワーク
おニューって
他にも、文末が「なのだ!」とか「COOLなんです!」とかだったりで読んでて辛い。
捕鯨反対とか動物愛護とか、論理的にふわふわした主張をあえてラディカルに議論するのに、ChatGPTはちょうど良いなーとか思う。
現実世界でやると相手の主張全否定になるので攻撃的になりすぎる
なぜクジラを食べてはだめと主張する人がいるのでしょうか。クジラを食べてはだめと主張する方の論点を列挙頂けますか
クジラを食べてはだめと主張する人々は、主に以下のような論点を挙げています:
クジラは、商業的な捕鯨などの人為的な要因によって絶滅の危機に瀕している種類もあります。そのため、クジラを食べることはその種類の保全に悪影響を及ぼす可能性があるため、避けるべきだと主張されます。
クジラは食物連鎖の上位に位置するため、海洋生物の中でも高濃度の水銀を含んでいます。このため、クジラ肉を食べることが健康上のリスクを引き起こす可能性があると主張されます。
クジラの捕獲方法は、銛や爆弾などの残酷な手法が用いられることがあります。このため、クジラを食べることが動物虐待につながる可能性があると主張されます。
クジラは哺乳類であり、知能が高く社会性があります。そのため、クジラを食べることが動物愛護の観点から問題があると主張されます。
これらの理由から、クジラを食べることに反対する人々がいると言えます。ただし、文化的な背景や地域的な習慣によっては、クジラを食べることが一般的な場合もあります。
絶滅の危機に瀕していない種類のクジラを、残酷ではない方法で捕獲すれば問題ないのではないでしょうか
一部の絶滅の危機に瀕していない種類のクジラについては、捕鯨が厳密に禁止されているわけではありません。しかし、クジラを捕獲する際には、適切な管理や保全が行われ、その個体数が持続的に維持されるように配慮する必要があります。
また、残酷な捕獲方法を避けることも重要です。捕鯨には伝統的な方法や文化的な背景がありますが、現代の技術を利用してより人道的な方法を採用することもできます。例えば、銛や爆弾に代わって銃器や即死銛を用いたり、海中に落とした麻酔剤でクジラを眠らせて捕獲する方法などがあります。
ただし、クジラを捕獲することには、上記の論点で述べたように、健康上のリスクや動物愛護の観点などについても考慮する必要があります。また、クジラを捕獲することが文化的な習慣である地域もあるため、個々の文化や背景に応じて対応する必要があるでしょう。
健康上のリスクについては量を少なく食べればそこまで影響は出ないと思います。また、動物愛護の観点については豚や牛と比較してクジラが特に知能が高いとは言えないのではないでしょうか
健康上のリスクについては、クジラの肉に含まれる有害物質や重金属などが、量を問わず食べ続けることで体内蓄積される可能性があることが指摘されています。また、クジラの肉を加工する際には、適切な衛生管理が必要であり、不適切な方法で加工された場合には食中毒などのリスクがあることも考慮する必要があります。
動物愛護の観点については、クジラについては科学的には知性や感情を把握することがまだ不十分であり、豚や牛と比較して高度な知能を持つかどうかは明確ではありません。ただし、クジラは哺乳類であり、社会性や家族構造を持つことが知られています。また、クジラの捕獲には、過去には不適切な方法が多数存在し、残虐な方法でクジラが殺されたり、苦しまされたりしていたことがあります。
そのため、クジラを捕獲する際には、適切な管理や保全、残酷な方法を避けることが重要であると考えられます。また、動物愛護の観点については、クジラだけでなくあらゆる動物を扱う際にも尊重されるべきであり、適切な方法で捕獲・処理され、人間と動物が共存する社会を目指すことが望ましいです。
では、動物愛護について特にフォーカスしたいと思います。知能がある動物を残酷な方法で殺してはいけないという理由はなぜでしょうか?残酷な方法を避けたとしても殺していることは変わらず、論履的には差異は無いと思うのですが
動物愛護において、知能がある動物について残酷な方法で殺すことは問題があるとされています。知能が高い動物には、人間と同じように苦痛やストレスを感じる能力があるため、不必要な苦痛やストレスを与えることは、動物の権利に反する行為であると考えられています。また、知能が高い動物には、社会性や家族構造を持つことが多いため、不適切な方法で殺されることは、その種の生態系にも悪影響を与える可能性があることも指摘されています。
また、残酷な方法を避けた場合でも、動物を殺すこと自体が問題視されることがあります。動物愛護の観点からは、動物たちは人間と同様に、自己決定権や尊厳を持つ生き物であり、殺すことは極力避けるべき行為であるとされています。
以上のような理由から、知能が高い動物については、残酷な方法での殺害を避けるとともに、その命を尊重することが求められるのです。
家畜など、動物を殺す場合にのみ論点を絞りたいと思います。不必要な苦痛やストレスを与えなかったとしても結局は殺すのだとしたら、ストレスを与える場合与えない場合で殺した後の結果は変わりませんよね?
確かに、家畜を殺す場合においても、最終的にはその命を奪うことに変わりはありません。しかし、動物愛護においては、殺される動物に対する配慮が重視されます。
例えば、不必要な苦痛やストレスを与えずに殺すことができる方法がある場合、それを採用することが求められます。これは、動物たちが最期まで尊厳を保ち、できる限り苦痛を感じずに死を迎える権利があるからです。
また、殺される動物たちは、その命を奪われることが決定された状況に置かれています。そのため、殺される前にできる限りのケアや配慮を受けることが求められます。例えば、ストレスを与えることのない環境で飼育されたり、適切な栄養を与えられたりすることが重視されます。
以上のように、家畜を殺す場合においても、最期まで動物たちの尊厳や権利を尊重することが求められ、不必要な苦痛やストレスを与えずに殺すことができる方法があれば、それを採用することが望ましいとされています。
それは結局殺す側の自己満足でしかないのではないでしょうか。ストレスにより味や栄養が変わるならストレスを与えない工夫や適切な栄養を与えることは必要だと思いますが、そうでない限りは結局はコストに転嫁されるのですから、経済的には無理に配慮する必要はないと考えます
動物たちは人間にとって食物や商品の生産物であると同時に、生き物であり、自己意識や感情を持った生き物です。それらの生き物が、必要以上に苦しんだり、恐怖を感じたり、尊厳を失うような状況に置かれることは、私たちが持つ倫理や道徳的な観点から問題があるとされています。
また、最近では、消費者たちも動物福祉に配慮した製品を求めるようになってきています。つまり、動物たちに対する配慮が、経済的にも重要になっていると言えます。例えば、適切な栄養を与えることで生産効率を向上させることができたり、動物たちがストレスを感じることで味や栄養が劣化することがあるため、動物たちに適切な環境を整えることで、製品の品質が向上することもあります。
以上のように、動物福祉に配慮することは、経済的な利益だけでなく、倫理や道徳的な観点からも必要不可欠なものとされています。
確かに、動物福祉に配慮した製品がより高い値段や魅力で遡及できるという点はあるかもしれませんね。それも結局は自己満足でしかないと思いますが、倫理や道徳といった曖昧なものを信じる人たちを騙して高い値段を取るのには貢献すると思います。
私たちは、価格や魅力的なデザインなどの要素に惑わされて、製品を選ぶことがあります。しかし、動物福祉に配慮した製品を選ぶことは、私たちが持つ倫理や道徳的な観点から見ても正しい選択であると言えます。
また、倫理や道徳が曖昧なものと見なされることもありますが、これらは社会にとって重要な価値観であり、個人的な価値観にも影響を与えます。動物たちに対する配慮は、倫理的な価値観としても認められ、社会的にも重要視されています。
そのため、動物福祉に配慮した製品を提供することは、単なる自己満足だけでなく、社会に貢献することでもあります。
倫理や道徳というのは相当あいまいで、歴史的には動物に苦痛を与えて殺すことが「倫理的」「道徳的」ですらあった時代もあったと思います。それが「正しい選択」なのかどうかは誰にも言えないと思います
確かに、倫理や道徳というものは、社会や文化によって異なる価値観を持つことがあります。歴史的には、動物に苦痛を与えて殺すことが、文化や宗教、習慣などによって正当化されていた時代もありました。
しかし、現代社会においては、動物福祉に関する法律や規制が整備されています。そして、科学的な研究によって、動物が苦痛やストレスを感じることが明らかになり、それを避けることが重要であると考えられるようになっています。
そのため、現代社会においては、動物に対する配慮が重視され、動物福祉に関する倫理や道徳的な観点が注目されています。ただし、倫理や道徳は常に変化するものであり、社会や文化の変化に伴って変化することもあります。しかし、現代社会においては、動物福祉に配慮することが、より正しい選択であると考えられます。
ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからのホットエントリ、ブクマ数順トップ30
ブクマ数 | タイトル | ドメイン |
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1580 | 近畿地方のある場所について(背筋) - カクヨム | kakuyomu.jp |
1489 | GPTの仕組みと限界についての考察(1) - conceptualization | isobe324649.hatenablog.com |
1442 | GPT-4 | openai.com |
1288 | 【全体公開】今から追いつく!AIイラスト超入門|スタジオ真榊|pixivFANBOX | studiomasakaki.fanbox.cc |
1222 | 【ChatGPT】海外でバズったヤバい使い方10選【2023年3月版】 | 株式会社SaaSis | saasis.jp |
1162 | ChatGPTが新着論文を要約し毎朝メールしてくれる仕組みの作り方 | Antaa Slide | slide.antaa.jp |
1147 | 【2023年】美少女AIコスプレイヤーをStable Diffusionで生成する方法についてまとめていく!【ChilloutMix】 | yuuyuublog.org |
1101 | 総務省|政治的公平に関する文書の公開について | www.soumu.go.jp |
1091 | 不自然な男の性欲 - やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮) | visco110.hatenablog.com |
1053 | 部屋で音漏れを気にせず歌える!?約1万3千円で、大学生に優しい防音室を1日で作ってみた | Kindai Picks | kindaipicks.com |
782 | 伊集院光と大江健三郎 その1 | sawaki-book-diary.net |
754 | 長岡亮介先生の数学|旺文社 | www.obunsha.co.jp |
744 | IT英語スタイルガイド | IT英語スタイルガイド | styleguide.progeigo.org |
736 | 高濃度ビタミンC点滴を1回500円で提供します。 | tsukushi-sawara.net |
723 | あゝ美しき警察押収物の世界【陳列展覧会のご案内】 | tdk.com | tdk-blog.com |
720 | 栗原はるみのバターケーキ | www.yutori.co.jp |
689 | ソフトウェアエンジニアとしての能力を高める方法について考えてみた - joker1007’s diary | joker1007.hatenablog.com |
676 | 【WBC】大谷翔平がトラウトを空振り三振で優勝、WBCアメリカ戦・実況スレの翻訳その2(海外の反応) | kaikore.blogspot.com |
671 | ChatGPTでブレストをすると、無限にできてヤバイという話|けんすう | kensuu.com |
671 | ChatGPT plugins | openai.com |
667 | 関東大震災映像デジタルアーカイブ | kantodaishinsai.filmarchives.jp |
653 | 一流のジャズミュージシャンの確定申告事情を聞いてみたら、フリーランスで成功するための極意が隠れていた【納浩一さん(ベーシスト)】 | bass2416.com |
635 | 1人で楽しめるアフタヌーンティーまとめ - 月次報 | syunmin7.hatenablog.com |
634 | プロ並みの画力を目指して練習を始めて2か月が経ちました。 - 成長限界を迎えた絵描きが頑張って1年でプロ並みの画力を目指すブログ | orangestep.hatenadiary.com |
617 | 「競合他社に就職しない」“約束”破った元社員を会社が提訴も…裁判所は「誓約書」を無効としたワケ | 弁護士JPニュース | www.ben54.jp |
607 | 株式会社山口達也 | yamaguchi-tatsuya.co.jp |
607 | はてなブログ お邪魔します。 - 有野晋哉(よゐこ)個人ブログ | yoikoarinoshinya.hateblo.jp |
590 | ChatGPTの仕組みを理解する | HireRoo Tech Blogs | hireroo.io |
587 | 〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか | websekai.iwanami.co.jp |
561 | Twitter で医師が拾われて Google のソフトウェアエンジニアになって 3 年半が過ぎました - nodchipの日記 | nodchip.hatenadiary.org |
ブコメにも書いたけど、炊き立てごはんの香りを分析したらインドールという成分が多いことがわかっていて
これはうんこの香りにも含まれる成分なのであながち間違ってない模様。
https://www.chem-station.com/chemistenews/2020/10/kome.html
ただ、インドールは面白いことに濃度によって匂いの感じ方が大きく異なる物質で、高濃度だとうんこ臭だけど
非常に低濃度の場合は花のような香りがあり、オレンジやジャスミンなど多くの花の香りの成分でもある。
他の歌手やバンドだと”世の中”だったり”知り合い”だったりに向けて歌っていることが多くて、”独り言大絶叫”みたいなのも多いんだけどアイドルは毎回高濃度で”観客”に向けて歌いかけてる。
恋愛ソングを歌うときであっても、観客に向けて恋愛をしている時の感情を伝えるかのように歌うし、それが変な刺さり方して勘違いするストーカーも産まれる。
アイドルの定番が”応援ソング””意思表明ソング”なのは、歌詞が向いている相手が”観客のファン(未来のファン含む)”だからなんだな。
アイドルってのは”偶像”という言葉が示すようにある種の”宗教集団”を作り上げることがコンセプトにある。
神父が教会で「神があなた方一人々々にかけた言葉を代弁します」と経典や聖書を読み上げるように、アイドルは聞いてる”信者”たちに向けて歌う。
そういった同じ目的のために集まって盛り上がったりしたい人はアイドルが好きになりやすいんだろうなと思う。
普段はそうじゃないけど、そういったことに憧れがある人ととかも。
でも自分は全然違っていて、あくまでこっちは無関係な立場で居たいんだよな。
アイドルがテーマのアニメなんかだとメンバーが仲良くなる過程とかが描かれるけど、それでもあくまであれって最終的には観客に最高のパフォーマンスを見せるための過程なんだよね。
サッカー漫画でチームメイト同士で交友を深めることはあっても、その最終的な目的地はアイコンタクトの精度を上げて試合の勝率を高めるための過程として用意されているような感じ。
現実のアイドルにおける関係性は、”観客”が好みそうなストーリーを用意してその設定を崩さない中で積み上げていってる感じで、実際に楽屋でどうなってんのかは割りと闇なのよね。
全ては”観客”のためにっていうオール・フォー・ワンのプロ意識は立派だけど、それをやられると作り出される”物語”の中にこっちがドンドン巻き込まれていってしまうことになるのがしんどいなと。
何も音楽っていう表現に対して全く何の感情も動かしたくないって訳じゃなくて、あくまで共感までに済ませたいってのが自分の立ち位置。
浜辺に流れてきたボトルメールを読み解いて書いた人間の気持ちを想像するような状態が理想。
相互性のない一方的なコミュニケーションを受けとめるだけで終わってくれることを望んでいる。
でもアイドルってライブにおけるサイリウムの一体感があって初めて完成するわけだから、本気で追っていこうとしたら集団の一部として巻き込まれることは避けられなくなる。
それを避けてしまうと歌われている”観客”ではなくなってしまうんだよね。
最初から自分以外の何か、バンドの親戚だったりこの世界の不条理だったりに向けて歌われているなら、自分がソレとは無関係になっても最初からそうだったので変わらない。
でも"観客"っていう自分が参加できるかどうかを選べるようなものに対して、自分が参加を拒んでしまうと聴き心地が変わってしまう。
どちらの道を進むかの選択肢がこっちに委ねられている。
一方通行ではなくこっちからボールを返すタイミングが産まれてしまっている。
そのタイミングが来たなと感じると、自分は思わず逃げ出してしまう。
「参加する機会を与えられる」ことに対して、「切り離しておいて欲しい」という価値観が反発を起こしてしまうんだよね。
定食屋で店員に顔を覚えられたくない、服屋で店員に話しかけられたくない、そんな気持ちの延長みたいなもんだね。
つまりは、「会いに行けるとしても、会いに行きたくない」んだよ。
水素は軽い気体で、ガス密度が小さいため、空気や酸素、窒素と比べると4倍以上の速さで空気中を拡散します。滅多に爆発する事はありませんが、空気中の爆発限界は4.0%~75%とアセチレンに次ぐ広い爆発範囲ですので、細心の注意が必要です。また無味無臭のためどんなに高濃度になったとしても漏洩を感じ取ることができません。水素を漏洩させない事こそが重要ですが、万が一漏洩した場合に備え、警報器で検知する、漏洩した水素を溜めないの3段階の対策が重要になります。
研究室や密閉空間とならざるを得ない環境下で水素を使用する場合には、検知器を使用して常に水素濃度を監視する事で、水素爆発を防ぐ有効な手段の一つになります。
https://lab-brains.as-1.co.jp/article/knowledge/2022/03/16751/
リサイクルに関しては、三元系だろうがLFPだろうが、「やればできる」技術ですよ。人間が自然界から取り出せるものを、高濃度な人工物のコンパウンドから取り出せないわけがない。湿式製錬でも乾式製錬でも、どうとでもできる。今「やれてない」のは、そこに何か未解決の技術的課題があるわけじゃなくて、新規採掘マテリアルより再利用マテリアルのほうが高くつく間は、リサイクルはペイしないから。それでもコバルトとニッケルは回収が採算化するメドがついてきたから、レアメタル大手のUmicoreとかはLiBリサイクル事業を積極的に拡大してる。
一方でLFPのリサイクルに関しては、現時点ではエネルギー業界ではあまりポジティブな意見がないのは確かだけど、これも何か高い技術的なハードルがあるわけじゃない。鉄とリンの塊という、現在は低価値なマテリアルをリサイクルしても、業者は儲からないから、やってない。リサイクルをする経済合理性がないということです。こういう「中長期的には枯渇していくかもしれないけど、現時点では比較的入手が容易な資源」でリサイクルを廻すには、もっと価格が上がるか、新規採掘量を法的に規制するステップが必要になる。
以下の動画はバッテリ持続性サミットの質疑応答。「LFP電池のリサイクルにも経済的合理性は見込める」と言ってるけど、それは今ではない、LFPのEVが市場に増え、そのEVの製品寿命が1ターン回り、リサイクルするLFPの量が増え、リサイクルの採算規模が確保できる頃に意味が出てくる、また(一度マテリアル化しての資源市場での再販ではなく)廃LFPの正極を直接リサイクルして再利用できるようになれば有望だ、というようなことを言っている。
https://www.youtube.com/watch?v=4MvSABcJ70k
それにね、増田は「リンが高騰してて大変だ」というけど、今の「高騰した」リン酸塩の取引価格が250円/kgぐらいでしょ。対するコバルトは10000円/kg超え。やっぱりこの2つを「希少な資源」として同列に語るのはかなり無理がある。元増田は「「肥料じゃなくて電池にするから安くしてくれ」なんてできないんだよ」と言うけど、期待付加価値から考えれば、産業用途リンは絶対に農業用途リンに買い負けたりしない。もし農業リンがコバルトに競るぐらいの希少資源になったら、その頃は世界の慣行農業の仕組みは崩壊してるよ。
もうすでにリン鉱石の値段が上がり始めている現状で10年後のリサイクルの話をされても、、、って思うね。それこそ次世代電池が普及し始めてるかもしれなくない?
そうだよ。もし今後LFPがずっとEVバッテリの本命級のままで、リンが電池への採用が困難になるほどの希少資源になれば、その時にはLFPリサイクルが実現する(そして、その時に走行しているLFPベースEVの台数を維持できる程度のLFP電池を、リサイクルから再製できる)。一方、リンが今のように肥料としてバンバン蕩尽できるぐらいの価格で供給されるなら、LFPリサイクルは実現しない。さらに、もし将来、LFPよりも製造コストが低くて十分な性能を持つ次世代電池が普及し始めたら、やっぱりLFPリサイクルは実現しない。つまり、将来LFPリサイクルが実現しないとしたら、それは「LFPをリサイクルしなくてもEV業界には問題ないから」なんだよ。
なお、自分はLFPはあくまで脱レアメタル化のためのひとつの通過点だと思っている(二次電池進化の「現時点での経由地」という書き方をした通り)。さらに高密度で安価で持続性のある電池が必要とされる限りは、新たな技術が開拓され続ける。
電池技術の発展速度が、たとえば電子技術なんかに比べると比較的遅いというのは正しい指摘だけど(自分もこのエントリ https://anond.hatelabo.jp/20150504101626 の中でそれに言及したことがある)、その後6年間で電池業界が達成してきたことは、正直自分の予想を超えていた。やっぱり将来の基幹産業としてR&Dが廻り出すと、これまでとは技術進歩のペースが桁2つぐらい違ってくる。CATL、BYD、テスラみたいなとこは言わずもがなだし、NEDOだって日本の研究機関だって企業だって色々やってる。
次世代EV電池で上市が一番速そうなのは、ナトリウムイオン電池かな。CATLは2021年にラボレベルで製品発表していて、2023年に量産化を予定している。ご承知の通り、CATLは狼少年みたいなことはしない会社なので、ある程度の目算はついているはず。
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01992/00001/
元増田ならこの他にもカリウム系、カルシウム系、Li-S、Al-S2などを始め、電池分野では多種多彩なトライアルがなされていること、そのうちいくつかは近年ブレイクスルーが起きて実用化までのロードマップが大幅に短縮されたことも知ってると思う。リン枯渇が全地球的な課題になるよりずっと前に、電池技術は大幅に進歩して、普及価格帯のEVでもICEを超える走行距離と必要充分な充電速度を達成できるよ。社会がそれを求めていれば、研究と産業は絶対にそのニーズに応える。自分はそのステップで日本の研究者や企業が貢献してくれることを期待したいし、楽しみにしてる。
最後の、「でもちょっとでも日本の自動車産業を応援してくれると嬉しいな」については、自分はめちゃめちゃ日本の自動車産業や電池研究を応援してるし、そう書いたつもりだよ。
ただ、トヨタのBEV戦略(2030年に車種の1/3を、販売台数の1/3をBEVにする)は、今の地域別売上からするとかなり奇妙な方針で、額面通りに受け取るなら間違った戦略だと思う。あのトヨタの発表が出たときは、ネットでは「EVでもトヨタが勝つる!」「30車種すげえ」「EU勢ざまあw」みたいな反応が多かったけど、個人的には「えっ、そんだけ?」としか思えなかった。系列企業への配慮などで、あえて低めの発表をしてる可能性があるとすら思ってる。
なにが奇妙かといえば、トヨタというグローバル企業の売上構成から考えると、2030年に1/3をBEV化する程度じゃ全然売るタマが足りないはずなんだよね。トヨタの自動車販売台数は、2021年実績で、日本国内が140万台、海外が810万台。海外を地域別に見ると、北米が270万台、欧州が100万台、中国が200万台。よく「欧米以外の地域には、今後もICEやHVのニーズが根強くあるから…」と言う人がいるけど、トヨタの国別販売台数は、この北米・欧州・中国の3地域で輸出市場の70%、全生産量の60%を占めている。つまり発展途上国と日本を足した「2030年頃にICEやHVを売り続けられる地域」の市場規模は、今の販売先の40%しかない。
「4割の残余市場に向けて、全車種の2/3でICEとHVを維持する」というのは、ポートフォリオ戦略としておかしいでしょ?
ちなみにホンダは「2030年に2/3をEV化」、GMは「2030年までに北米生産の50%をEV化」、フォードは「2030年までに40%をEV化」という構想。つまりトヨタは、ICE規制までまだだいぶ間があるアメリカのGMやフォードに比べてもEV化に対して慎重な(鈍重な?)動きになっている。
「規制が始まるまではICE・HVを売ればいい」という人もいるけど、一旦ICEの規制・禁止法制がアナウンスされれば、その実施時期に5〜10年先行してICEやHVの売れ行きは落ち始める。消費者は、一定期間乗った車を手放す時点(規制後)で、ICEの中古車価格がガタ落ちしていることを予期するから。今の先進国での自動車買い換えサイクルは、日本で平均8.5年、米国も7.3年、欧州はもっと長い。最近は日本でも「これが最後に買う内燃車かな、次はEVだろうな」なんつって自動車を買う人が増えてるでしょ。海外もそう。
最近の欧州車ディーラーでは一種のdisclaimerも兼ねて「EVのほうが下取り価格は有利です」と言われることが増えたけど、今後は先進国のどこでもこの傾向が加速し、おそらく2026年あたりから「EVか死か」の秒読みが始まる。そんな状況で、「2030年には、なんと全車種の1/3をBEVにしまぁす!」みたいな悠長なことを言ってて、まともに戦えるのかな、何らかの思惑含みのフェイクであってほしいな、というのが今の自分がトヨタに思ってることです。
id:sgo2 2030年時点でBEVが1.6〜26%という予測(https://s.response.jp/article/2017/10/11/300895.html )なので、1/3という数字でも十分前のめり。因みに現時点で欧州17%中国16%米国4.5% https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/05/613a9a4551b47453.html (本当に数字見んのな)
2022/06/21
この上の記事は2017年時点のデロイトトーマツの予測で、ドッグイヤーのこの業界では既に典拠にしないほうが良い内容です。なお2017年はEVバッテリの平均価格が急低下した年で、これ以後コンサル各社はBEV普及ペースを大幅に上方修正しました。たとえばボスコンがつい最近(6/13)に出した予測はこんな感じです。
https://www.bcg.com/ja-jp/press/13june2022-electric-cars-are-finding-their-next-gear
図表では、2030年の世界の新車販売台数のうちBEVが40%、2035年には59%になってますね。米国・欧州・中国を個別に見ると、さらに多い。上で書いた通り、トヨタの海外売上は北米・欧州・中国の3エリアで70%を占めてるんですけど、そのマーケットは今からわずか8年後にはこういう顔つきになっているということです。これ見てると、トヨタの「BEVラインナップは3割」戦略は相当ヤバいな〜って思いませんか。
自動車産業に特化した情報サイトのマークラインズは、LMC Automotiveの調査を引用して世界乗用車販売に占める各パワートレインの構成比推移予想を出しています。こちらは2022年1月の予測ですが、ボスコンよりやや保守的で、2030年のBEV比率は25%前後。ただしその3年後の2033年には40%を超えるシナリオです。
https://www.marklines.com/ja/forecast/index
2番目の記事で引用されているIEAも、2030年に①現状政策シナリオでは世界販売台数の26%程度が、②持続的発展シナリオでは47%程度が、EV(BEV+PHEV)になると予測してます。なおBEVとPHEVの販売比率は現状7:3で、IEA予測では、2030年もだいたいこの比率が維持されるようです。
https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/global-ev-sales-by-scenario-2020-2030
つまり2017年時点では「最大でも26%」と推定されていたBEV販売比率が、今では「最低でも26%」(ただしPHEVも含む)になっているんです。この5年間のBEVの販売台数の伸び方は、多くの業界関係者の予想をも大きく上回ってたということですね。我々消費者も、EVについて何か考えたり議論したりするのであれば、とにかく最新の情報をチェックして、細かく自分の常識に当て舵をしないと、あっという間に現実に置いて行かれます。そういうスピード感のある業界だから、自分は面白くウォッチしてるんですけどね。