はてなキーワード: 類似性とは
増田はエンジニア。まだ若手なので業界内では知らない事だらけ、ヒヨッコ中のヒヨッコだが、世間一般の人よりはパソコンに詳しいに違いない。
もっと詳しい人は世界にいくらでもいるが、狭いコミュニティの中では一番詳しい人扱いされる事もしばしばある。
定年退職して再雇用中の父。Officeなどパソコンの基本機能は仕事で使ってきた事もあり押さえている。
ある程度まで行くと分からなくなるが、単にやったことがないだけ。何より退職までバリバリのキャリアマンだった事もあり飲み込みは良い。
デジタルネイティブな10代の弟。スマホは手にして秒で使いこなした流石の若者世代。
パソコンについては知らない事も多いが、単にやったことがないだけ。あと少し要領を掴めば増田に「分からないから教えてくれ」と聞きに来る事もなくなるだろう。
問題は母だ。一番パソコンを使いたがる割に、なんにも理解しなくて困っている。
一人で困っているのであれば勝手にすればいいのだが、そのたびに自分の時間が吸われていくので本当に勘弁してほしいと思っている。
しかし先日、「カレンダーアプリをインストールしてみたい」と聞いてきて、それに対応したばかりなのだ。
これらは両方「スマホアプリをインストールしてみたい」という問いに集約される。
そしてその先の会員登録や初期設定はともかくとして、ダウンロードする所まではやり方も全く同じのはずだ。
GooglePlayでアプリの名前を検索して、目当てのものが見つかったら「インストール」のボタンを押す。(※Android)
先日説明した事と全く同じ事を、もう一度繰り返し説明するハメになった。
普通は「この前教えてくれたインストールの所までは出来たんだけど、その先の事が分からないや」ではないだろうか。
なんでこの前教えた事を覚えてないんだ?
しかも「この前と同じだよ、まずGooglePlayを開いて。」と説明すると、「ぐうぐるぷれい……?」「いんすとおる……?」「これを押せばいいの……?」と首を傾げる始末。
え、どれもこれもこの前教えたじゃん。どういうこと?
その時その時を凌げればオッケーみたいな適当な考えって事?
覚える気が一切なくてやる気ないって事?
加えて何か起こった時、詳しい状況を確認しようとするとキレ始める。なんで。
解像度が違いすぎるのは分かるけど、せめて聞いた簡単な質問には答えて欲しいよ。
久々にみんな大好き・トレパクネタを書く。
今回見かけたのはラブライブ!というアニメ系コンテンツにおける二次創作界隈のトレパク問題だ(厳密には問題になんて発展していないのだが)。
ラブライブ!が何なのかはヒッキーのキモオタ諸君には特に説明は要らないと思うので省略する。
事の発端はミーマン氏という同人作家がネットに公開していたラブライブのファンアートが、公式サイドが企画する動画生配信において採用され見事な評価を獲得したものの、
それが公式ビジュアルのトレースではないかという疑義を向けられた事にある。
(疑義は正しく、実際にそれは公式ビジュアルからのトレースであることは疑いの無いところでありさらにミーマン氏も後にこれを認めている。)
そこからはいつものトレパク監査委員会の登場になる。いつものようにミーマン氏の過去の作品をサルベージして類似性を調査したところ、結構な枚数で公式ビジュアルからのトレースが確認された。
また、ラブライブのonly即売会(僕らのラブライブ!)においても有償頒布していた色紙にもそうした作品が少なからず含まれていたようだ。
トレパク監査委員会は著作権者に代わって刑の執行を行う権限も持っているので、そこから先はいつものようにミーマン氏への糾弾が始まったのだと俺は理解している。
無論批判の声はトレパク監査委員会にとどまらず、同じラブライブの二次創作同人誌やイラストを公開する同業者においても辛らつな持論(後述)が複数観測された。
しかし俺はそのミーマン氏の、動画生配信で採用されたという作品を見て愕然とした。
なんともオリジナリティに富んだ二次創作ではないか。色彩的にはサイケデリックとでも言うのか、派手ではあるもののDQNが喜びそうな原色ゴテゴテの下品さも感じない上に線の力強さも見事なもんである。
公式ビジュアルのトレースであることは疑いようは無いのだが、これでは確かに番組サイドが採用してしまうのも頷ける。
あれは明らかに音楽で言うところのリミックスやヒップホップのような、既存の音源を再利用したものに相当する立派な創作物であった。芸術の分野で言うところのコラージュという手法にも通じるものがある。
とはいえここまで書けば「どんなに素晴らしくてもトレスをした時点でアート失格」「トレスならトレスと書くべきだ」「金を取ったらアウトだろ」という声も当然予想できる。
しかし、俺は今回に関して言えばミーマン氏が数あるラブライブの二次創作作家の中で低劣なことをしていたとはとても思えないのだ。
もともとネットイナゴが好物にしているトレパク疑惑というのは大抵は他人の作品の異なるキャラクターの象形をなぞった形が多いのだが、今回は公式ビジュアルのキャラクターをそのまま再利用した形のトレスだ。
虹ヶ咲学園の逢坂しずくというキャラクターの公式イラストを、同じく虹ヶ咲学園の逢坂しずくとして、服飾のデザインも変えずに描き上げておりそれは他のキャラクターにおいても同様であった。
公式ビジュアルであると同時にキービジュアルでもある作画をトレスしていたのだからミーマン氏も「言わなくてもわかるだろ」という脇の甘い考えがあった可能性は否めない。
この白玉氏もまたラブライブの二次創作イラストや同人誌を頒布している作家の一人であり、技術も高い。
白玉氏の現在の作品は公式ビジュアルに酷似したタッチで描かれており、その水準は公式イラストに置き換えられる水準にあると言って良い。
近頃はとうとうラブライブ公式サイド(角川グループの雑誌)が企画するグッズのイラストの仕事まで受注するようになっているのでそこは疑いようが無いだろう。
そんな白玉氏はこう言った。
どうやら苦手だったトレス絵師がトレス指摘されて垢消ししたみたいだけど
謝罪も弁明もなく逃げるあたりやっぱり最後まで苦手な存在でしたね
その点逃げずにきちんと謝罪と返金対応までした彼はまだ立派だと思った
擁護するつもりはないけど
(※筆者注:「逃げずにきちんと謝罪と返金対応までした彼」というのはミーマン氏の事である。ミーマン氏は過去に頒布した者に対して返金対応を表明している)
いや、待てよ、そりゃ待てよと。
白玉さん、あなた去年ラブライブの同人誌を出していたし、この前はエロイラストまで公開していたよね?
それラブライブ公式サイドに無断でやってるよね? 雑誌の仕事のほうはいいよ。だけど同人誌の頒布においては無断でかつ少なからずお金も取っているよね?
あなたのやってることはグレーでもなんでもなくて、著作権を持つ人がNGといえば一発でブラックだよ。ブラックかホワイトかの二択の世界だよ。
ラブライブの舞台設定やキャラの名前・衣装を下敷きにしたものを勝手に作って発表しておきながら、ミーマン氏が同じ二次創作においてトレースという工程を採用しているからといってそこまで言う資格があるかね?
金を取っているかどうかに関わらずこんなことは著作権者のジャッジがすべての世界じゃないか。
これは白玉氏に限らない。
大半のアニメの二次創作なんて「公式はこの程度のことでクレームをつけてこない、みんなやってる。文句が来たら誠実に対応しよう」という、考えようによってはゲスい魂胆で活動をしてるはずだよ。
だったらさ、ミーマン氏がトレースという工程を取っていた事についても「当事者同士の問題」ということで静観するのが、同じ二次創作界隈で活動する者としての最低限の行動規範っつーか作法じゃないのかい?
著作権者がアウトといえば金を取っていようが取っていまいが、借用元を明記していようが明記していまいが等しく悪なのだ。この点ではトレースという手法もあなたのやっていることも大きな差は無い。全員ギルティだ。
同じ無断二次創作をしておきながら「トレスで金取っちゃいかんでしょ」などと自分の都合で自分に累が及ばない形で善悪のラインを勝手に引くの、控えめに言ってもクズいぜ。
また、これも白玉氏に限らないが「トレスなんかに頼らず」とは何事だよ。同じ二次創作をやっている身でありながらなんでトレスという工程をそこまで蔑視するんだよ。
それは君たちに「自分のやってる二次創作の形の方が高尚」という意識があるからじゃねーの?
じゃあ「ラブライブなんかに頼らずオリジナル創作を描いた方が素敵です」って言われたら黙って創作やめるの?
トレスは著作権侵害の問題に発展しやすい、これは事実だ。だけど創作においてトレスが悪とはならないし「トレスはしない方がクリエイティブだ」とはならんでしょうが。
芸術方面の世界ではコラージュという技術手法も一定の地位にあるジャンルとして存在するし、モノによってはコラージュはトレス以上にオリジナル作品の含有性があるぞ。
あれだって著作権者がアウトと言えばアウトだけど、アートとして素敵かどうかという点においてはそこは評価軸にはならんでしょ。
ミーマン氏の作品はトレスを工程に取り入れたオリジナリティのある佳作だ。
それは公式が生配信で取り上げたことからしても一定の客観性はあると俺は思う。
あとのことは本人と著作権者との間の仁義の話、それでいいじゃないか。俺たち外野はただ黙って絵師ミーマンの創作物だけを評価すれば良いんだ。
著作権者に被害感情があるかどうかもわからないのに代弁者になった気になって騒ぐのが本当に著作権者のためになると思ってるのかよ。
一次創作を専門にする同人作家が君たちを馬鹿にしたら俺は全力で応戦しろと思うけど、現状の君たちがそのような有様ではとても心細い。
こんなものはせいぜい著作権者にこっそり伝えるぐらいに留めておくべきで、外野に良いか悪いかだのジャッジする権利なんて無いよ。
模写だってトレスだってそれらに該当しない二次創作だって同じ二次創作じゃん。
もうさ、版権ものの二次創作界隈の中でこういう差別感情をむき出しにしてマウント取り合うの、やめにしようぜ。絶対良いこと無いよ。
あとな、トレスで二次創作した奴にも著作権があるんだから勝手にトレパクだトレパクだと騒いでその画像をアップロードしてたら公式と二次創作者双方のダブルパンチを食らう可能性があることを忘れるな。
っつーか著作権侵害だなんだと騒ぐ奴が無断転載してんじゃねえよ。目的はそっちじゃなくて私的制裁を楽しむためだろ。そいつらも娯楽にふけるのもほどほどにしとけや。
アデュー。
じゃあ体験、という両者に横たわる内面的な表記揺れについて考えようか。俺はもともとゲーム体験って、ある程度鋳型にはめられるもんだと思ってるわけ。例えばお使いクエストがある、お使いクエストの間に的に襲われました。それが2Dアクションだろうが3Dで屋根から暗殺しようが、やってることはゲームパッドやキーボード、マウスでのアクション操作にほかならないわけ。デバイスとグラフィックが代わっただけ。そこに要求されるスキルは似たようなもんなんだよ。つまりゲーム側が進化しても人間とデバイスを結ぶもどかしさが完全に解消されない限り、ゲーム体験なんてものは進歩しないわけ。こういうのはVRやARなんかのほうが打ち破られる可能性を持っている。そんな意味で「全く新しい体験」を触覚、視覚、嗅覚などを総動員して「ゲームにダイブ」できる環境が整えばそりゃさすがにファミコンでは類似性がない、となるだろうね。
要はこういうのは双子を比較すれば統計的にどれだけ影響するかがわかるんだよ。
一卵性双生児は遺伝的に全く同一かつ一般に同じ家庭で同じ年数過ごす。
一方で二卵性双生児は普通の兄弟姉妹と同じ様に異なる遺伝子を受け継いで生まれてくるが、同じ家庭で同じ年数過ごすという点は変わらない。
一卵性双生児の方が類似性が高くなるような特徴があればその特徴は遺伝の影響が強いということになるし、二卵性双生児でも一卵性双生児とそこまで差がなく似るようなものは共有する環境の影響が大きいし、一卵性双生児でも似ないようなものはたとえば家庭外で関わっている友達の違いなんかの非共有環境の影響が大きい。
知能は遺伝の影響が大きいってのもそうだけど、案外面白いのは性格で非共有環境の影響が大きい、つまり家庭の影響が少なく家庭外の人間関係の影響が大きい。
ってことは性格の形成に親の教育はそこまで関係なくて、出来ることがあるとすれば良い学校に入れたり友達を選ばせるくらいってことがわかってる。
#無かった、というかやたらと延焼していなかったというか、、
最近の性差における問題が建設的でない盛り上がり方をしていて、
理性的とは言えない人間の声のほうが大きく、悪循環に陥っているように思える
問題に対して過去から真摯に取り組んできた人に対して不義理となってしまうのではないか
こういった問題に限らず騒動は論点のズレや複雑化から時間経過により落ち着いて、
冷静な議論と検証により改善に一歩近づいていくと希望しているが、
今回の件については良くない延焼に繋がっている事例が多く見られる様にも思う
非建設的、未検証で感情的なぶつかり合いは見るに堪えないと思っていたが、
思い出してみるとこれは旭日旗の問題とも類似性があるのではないかと考えた
とある時点までは特に言及されず、その事柄に関わらる人たちもメリットを受け止めており、
デメリットを受けていた人はそれをうまく回避していたのではないだろうか
#勿論被害者側の泣き寝入りによって逃げられない悪辣な環境に閉じ込められ今か今かと死を覚悟していたのでは
大問題ではあるが、ポスターの表現程度であれば目を逸らせば事足りるはずだ。
紙切れは性犯罪を実行しないし、包丁自体は殺人を実行しない。逮捕するのは紙でも包丁でも無く犯人である。
類似したフラストレーションを持つ周囲によって無秩序な延焼を引き起こし、改善から著しく遠ざかってしまう。
こうなると油田火災などで使われる爆風消火といった極端な方法しかないのかもしれないが、、
本来であれば発生しなかったはずの争いによって、
疲れる必要のない人が疲れたり、傷つく必要のない人が傷ついたり、
そういった状況が起きているとすれば、それはとても悲しい事だと思う
道徳とかで取り扱う平和とかの定義を見直したほうがいいんじゃないかと思う
みんなただしい考えを持ちましょう。悪いことはすべて無くしましょう。
それ自体、あるいはそれを記念したゲーム内キャンペーン、またはプレイヤー達の宣伝の効果なのか
最近新たにメギドを知ったり触れてみようとする方も増えているように感じる。
それそのものは良いことだと思うのだが、それに伴って『一部の』非新規プレイヤー達の言動がとても気になるようになった。
具体的にどのような点を問題視するかを書いておきたい。
もしこれを読んでいるあなたが非新規プレイヤーならば、できることなら読んでちょっと考えて欲しいと思う。
ただしこれはあくまでこちらの考えであり、正論を主張しているというつもりではないことは承知いただきたい。
(もしかしたらそもそもあなたとはまったく関係ないかもしれない、その場合は申し訳ない)
もしあなたが新規プレイヤー、あるいはメギドに興味を持っている人間なのであれば、そこまで身構えなくていい。
別にそんな激しいことは書いていないつもりだ。
確かに児童虐待の描写について真摯な姿勢は見受けられると思うが、
このゲームは心理的な面でも社会的な面でも丁寧に描写されている部分は他にも沢山ある。
法や制度の仕組みや人々の動きなど、ミクロでもマクロでも社会がちゃんと存在しているなあと思わされる点は多い。
にも拘わらず、児童虐待というその中のたった一つでしかない要素をわざわざあげつらって
『72』を付けてあたかもこのゲームの代表要素のように表現するのはいかがなものだろうか。
このゲームはそういうんじゃないよ。
そりゃ既プレイヤーからすれば単なるネタなのかもしれないが、外野はそうと分からないこともあると把握して貰いたい。
ゲームを勧めた時に「えっ、あの児童虐待のゲーム…?」と引かれる人間の身にもなって欲しい。
事実として一部の未プレイヤーからはそのように受け止められているのを知っておいてくれ。はっきり言って迷惑である。
2.ガチャのおススメについて
現在受賞記念キャンペーンとして、全てのガチャメギドをランダムで召喚することができるチケットが提供されている。
それを目的として新規に始めた人々から当然上がってくるのが「どのキャラを引けばいいの?」という声。
あろうことかこれに対して「Rバルバトス」と答える人がいる。
ラッシュのバルバトスを軸としたいわゆる『テンプレ協奏パ』は確かに凄まじい強さではあるが、問題が三つある。
まず一つ、必要パーツが多すぎる。
協奏という名の通り、楽器ができるメギドが複数集まらないことにはお話にならないのだ。
しかも残念なことに、そのパーツは全員がガチャでしか手に入れることができないメギド。
ガチャに湯水のように金をつぎ込める人間か、豪運で引きの強い人間か、引けるまで気長に待てる人間でしか『テンプレ協奏パ』は組めないのだ。
いずれにしてもまだハマるかどうかも分からない新規に勧めるようなものではない。
ちなみに『テンプレ協奏パ』に拘らないのなら協奏に組み込めるメギドは一応他にもいる。
中には配布メギドもいたが、既に現時点での新規は3人逃していることになる。
それらの再配布がいつになるかは分からないが、いずれも最近のイベントなのでかなり先になることは覚悟すべきだ。
こんな状況下でどうしてRバルバトスを優先して取らせようと思うのか?彼は協奏以外にほぼ使い道がないというのに。
次に二つ、Rバルバトスは育成が難しい。
進化させるのに必要な素材はゲーム後半に入手するものも多く、強化したければかなりゲームを進めなければならない。
一つ目の理由と合わせて、要するにRバルバトスは基本的に序盤はあまり役に立たないメギドなのだ。
強い強いと期待を持たせて実際はそれとなったら新規もうんざりじゃないのか?
ただでさえ序盤はメギドが少ないのに、そのうちの一つが置物になるのは痛いのではないだろうか。いくらプラスアルファでも。
チケット対象は99人、そのうちの1人を引けという時点で正気の沙汰とは思えない。
確かに現時点で通常の指名チケットでは選べないキャラの一人なので、折角の機会だから是非と思う親心?があるかもしれないが
決して使いやすくないキャラをそんなに苦労して取らせる意味があるとは自分は思わない。
偶然引けたならありがたくとっておけばいいが、あえて狙うとなれば話は別だ。
本気でリセマラをするならばwikiを参考にした方がよほどいいと思う。
メギド72の魅力を語るにあたり、他ゲームを引き合いに出す人がいる。
それだけなら必ずしも悪い行動ではないが、他ゲームをあえてsageるような表現をする場合は流石にどうかと思う。
人気のあるゲームと言うものは程度の差や種類の違いこそあれ、いずれも何か面白がらせる点やユニークな部分を持っているのに
さもメギド72ばかりが洗練されたゲームであるかのように吹聴する人がごく稀にいるのだ。
確かにこのゲームは面白いと思うが、だからと言って他のゲームが陳腐で戦略性が無いかのように表現するのは盲目的だと思う。
また、逆に他ゲームのキャラとの類似性を示すことで引き込もうとしている人も見かける。
他ゲームで〇〇というキャラが引けなかったという人に対し、「メギドにはそれと似た××ってキャラがいるよ」といった具合だ。
その人は〇〇が欲しいのであって類似品ではないと思うのだがどうだろうか。
そんなやり方でに首を突っ込むのはやめておいた方がいいと思う。もしそれが自分なら「メギド信者うっざ!」としかならない。
これは女性向けの話になるかもしれないが、一部女性ユーザーの下品なツイートが目に付く。
このゲームの評価点として「女性メギドの露出が少ない」というものがあるが(個人的にはそうか…?と思うが)
それを称賛したのと同じ口で「男キャラの鼠径部がエロい」だの「男キャラの胸がエロい」だのと
伏せも隠しもしないで堂々と騒いでみせるのは正直引く。何言ってんだと思う。
そういうのに釣られる人もいるだろうし全面否定するつもりはないが、もう少し慎ましやかにやることはできないんだろうか。
かと言って男性ユーザーがお上品かと聞かれれば残念ながらそうではなく
ロリだの胸だの〇りたいだの抜けるだのと言うのは日常茶飯事であり
決してこれだから女プレイヤーはとバカにできる状況下にはないにも拘わらず
上記のような有様を見て「これだから女は」「腐女子は出ていけ」と平然と言ってのけるのには辟易する。
お前ら同レベルだぞ。
別にそういう楽しみ方を非難するわけでもないし、それを楽しみにして始める人のことも否定しない。
ただ公共の場で発言するにあたって多少考えて頂きたいと思う。twitterは君のプライベートルームじゃないぞ。せめて鍵かけような。
以上、ご清聴ありがとうございました
たまにバズると反応があるが、はてブ、トラバでいろんなタイプがいるので、感想と上から目線で論評したい。
自分の記憶を言う:文書を書いた人間と向き合わず、自分と向き合ったり、集まってくるブクマカの方を見て、話を自分の方向に誘導しようとしている感があるが、あまり嫌な気持ちにならない。こちらも記憶を共有しているし、他人の記憶の風景というのも思わぬ発見がある。共感合戦である。
歴史的な文豪や映像作家との類似性を指摘する:自分の教養に注目を集めたいスノッブ感はあるが、褒められれば嬉しい。それに、名前を検索すれば勉強になる。
感情を表明する:嬉しい。特にポジティブな感情や切ない感情、日常の笑っちゃう瞬間の感情など、そここそ共有したいので、素直な感情が感想として一番刺さる。
自分自身の行動を変えようとする:嬉しい。自分が見つけた日常の豊かさなどささやかなものだが、それにより他の人が小さな豊かさや美しさを世界に発見するかもしれないと思うとちょっと気分がいい。
誤字や文章の無意味な繰り返しなど、未熟を指摘する:ムッとくるがありがたい。もっと精進せねばと思う。
好みに合わない、読むのをすぐやめたと表明する:ブクマ数が伸び出すと出現する。合理性がない行為だなと思う。政治的立場や日常の権力問題などで自分と違う意見が蔓延することを警戒し、一言、反対表明をするならまだわかるが、モノローグ系は毒にも薬にもならず、別に読まなきゃいいだけのはず。
文章への反省と改善を求める為に最大限ネガティブなアラームとして「読まない」という態度を表明する戦術を採用したという可能性も考えられるが、前述の様にバズり出す、つまりよく読まれた状態で出現することが多いと言う状況から判断すると、「読まない」と言う選択をしたごく少数の人の意見を参考にして文章の方向性を変えることにどうも合理性を見出せない。
「多数意見に半旗を翻せちゃう独立心旺盛な自分」を他のブクマカにアピールするのが目的か、目立つものを見た時にネガティブな意見を言うことに自分を見つけてしまっている状態だと思われる。
ダジャレ、大喜利:はてブ伝統の知的スポーツ。自分の知的技能、回転の速さに酔いしれている感があるが、嫌いじゃない。時々一本取られる。
自分ならもっといい解決方法を知っている、もしくはすでにとったと言う表明:マウンティングも甚だしいが嫌いじゃない。それは多く、日常の豊かさや嬉しさの表明だから。それに時々本当に知識が広がって勉強になる。
上から目線で褒める:行動というより態度やスタンス。「よくよく考えたら上から目線である」ということに気づかないことが多く、その瞬間素直に嬉しがってしまう。でもその上からの態度も猫に褒められてると思うとなんとなく可愛いし、あまりムカつかない。嬉しい。
トラバ:あんまり本気で読まない。議論が広がる様な指摘は少なく、大概の場合はネガティブな感想を書くのみ。時々、有用な情報や感情の共有を試みる「ちゃんとした人」がいるが、トラバがエスカレートすると、最初のような「新顔が来たから現実的なワシが世界の厳しさを思いしらせてやろう」とうんこを投げつけに駆けつけるはぐれボスゴリラといった風合いのトラバ(もちろん無視する)との扱いの差に対して妙な不公平感を感じてしまい、ちゃんとしたトラバには心の中でそっと「ありがとう」とだけ言う。
今日、たまたま夕方まで時間があってここを覗いていたわけだけど、どうやらある人物が複数の文を書いて同様に反論されている様子だ。
特徴的なのは、「障害者が健常者に寄生している」等の主張、手前勝手に定義しているらしき語を使い倒していることと、「集まる」を「集る」と書くこと、位かな。あと植松との類似性を指摘する人が複数おられるようだが、俺もそう思う。植松風味だよね。
それにしても何故、このタイミングでふと湧いてでたんだろう。暑いからかな。参院でれいわの二人が登院したからかな。まあいずれにしても、イタいと思うわけだが。そして、本当に植松化でもしたら怖いよなあ、とも思う。ちょうど昨夜、八王子のダイソーで主婦が錐で首を刺される事件があった(この女性は助かったが、傷が食道にまで達する重症だそうな)んだが、逮捕された容疑者の言っていたのが、
「誰かを殺そうと思った」
「世間が私を見下している」
だったらしい。こういう風に「育って」しまうのも怖いよね。
点数をつけると100点満点で50点ぐらいなんだけど、主人公の兄貴分にあたる須賀はちょっとおもしろい。
須賀はいわゆる新海主人公の末路として措定されている。過去に起きた、いまさらどうしようもないことに拘泥し、時を止めてしまったキャラクターだ。
須賀は愛した女性を過去に失っていて、そのことをずっと引きずっている。そしてその忘れ形見の娘がいるものの、義母にその父としては不十分と見られており一緒に暮らすことが出来ていない。大人になれない須賀の象徴として一緒に暮らせていない娘がいて、その原因は最愛の女性を過去に失って時を止めてしまったことにある。
須賀が帆高に言う「もう大人になれよ、少年」というセリフは、大人になりきれない須賀自身に向けられたものとも言える。
そしてそんな須賀と主人公の類似性が夏美によって指摘される。「昔の自分を見てるみたいでほっとけなかったんでしょ」。須賀もまたかつて地方から東京へやってきた人間だ。そして東京で愛し合う女性が出来、しかし失ってしまった。須賀は陽菜を助けることができなかった帆高でもある。
ボロビルで帆高を止めようとする須賀はそういうコンテクストの上に立っている。帆高と相対する須賀がやけに物分りのいいことを言うのは彼が大人になろうとしているからだ。警察という社会的なものに取り入ろうとしたり、1人が犠牲になって社会全体が良くなるならそれでいいと嘯いてみたりするのは、娘がいて尚、大人になれない彼が大人になろうともがいているからだ。
帆高はそんな須賀に向かって「俺はただもう一度あのひとに会いたいんだ!」というようなことを言う。それを聞いた須賀は帆高ではなく帆高を止めようとする警察に襲いかかる。
このシーンはけっこうぐっとくる。大人になるってのは社会の論理に馴致されることじゃない、後悔や本当の願いに向き合うことだ、という作品なりのアンサーになってると思うから。だからいい。
明確な描写がないからただの想像になるけど須賀はかつて最愛の女性を失った時、こうしたいと思うことがあったにも関わらず出来なかったのではないか。そのことをずっと悔いているのではないか。だから時をとめてその場に立ち尽くしたままなのではないか。もしそうであるなら、警察に襲いかかる須賀は、帆高のためではなく、かつての自分のためにそうしていると言える。
事件の数年後、須賀が小さいながらもちゃんとした編集プロダクションを構えているのは彼が心に抱えた傷を乗り越え、大人になることができた証だ。往年の新海ファンとしては、やっと踏切の向こうに明里を見送った貴樹のその先を見れたような気さえする。
惜しむらくは帆高がそれをまったく理解していないことだろう。
面白い物語は論理的に分解したとき、ちゃんと構造化がなされているものだ。
ラストバトルはただの殴り合いじゃない。主役と敵役それぞれの正義がぶつかり合う、積み上げたコンテクストが激突するから映える。『天気の子』は、主人公と主人公の影(須賀)が対決し、その結果、影の呪いが浄化され、いっしょに真の敵(警察)と対決するという構図を描くところまでは良かったのだが、「影の呪い」を主人公が理解していないため観客にもそれがちゃんと伝わらずシーンの強度がかなり減じてしまっている。それはどう考えてももったいない。
『天気の子』はそういった練り込み不足が目立つ。帆高が家出して東京へ来たのは「帰りたくない」ぐらいの何かがあるからなのか、「あの光の中に入りたい」からなのか。あるいは陽菜が「天気の子」をやるのは、弟を養うため早く大人になりたい気持ちの象徴であると理解しつつも、母への想いはそこに乗っていかないのか、そこに何かもうワンパンチないのか。そういうブレや要素が浅いのはやはり残念だった。
中の人をご存知の方はおそらく中の人がマシュ・キリエライトに惹かれているのは知っていると思われるがここまでなんで好きなのかを考えた事はなかった。
自分は新卒で入った会社がいろいろあって1年半で辞めている(これも気が向いたら退職エントリー風に書くかもしれない)
今の会社は新卒がほとんどおらず、社員登用か中途採用なので基本的には年齢もほとんどの方が年上で、第二新卒的に入ったのも自分くらいしかいない。つまり後輩という存在がいたことがほとんどない、だから憧れ的に「先輩っ!」って健気に呼んでくれる存在が好きにならないわけない。
・雛型がレイ
上の理由は自分の環境によるとこが多く、後輩キャラは他にもいるし、同じTYPE-MOON作品でも間桐桜などもいる。メインの理由としては欠ける。
そこでもう一つ理由として、新世紀エヴァンゲリオンの綾波レイとの類似性はあるんじゃないかと考えた。
一番最初に見たアニメというとおそらくアラサー世代にもなるとエヴァというのは可能性として高い、自身もそうだし、そっからオタクの足を突っ込んだと言っても過言ではない。
その中でも二人のヒロインでどっち派なんだ的な話は今なお絶えない話題であり、自分は十数年間一貫してレイ派である。
多分、感情がないキャラが、主人公と関わり、感情に目覚めてその喜怒哀楽に可愛げを見出しているからこそレイに傾倒し、「あなたは死なないわ、私が守るもの」→ヤシマ作戦→「ごめんなさい。こういうときどんな顔すればいいかわからないの。」→「笑えばいいと思うよ」→初めて笑顔を見せる には初めて見た時に心を揺さぶられた。
・ショートヘア、片目髪に隠れてる事がある
・2000年生まれ、いわゆるデザインベビーであり、作中機関に存在する単一の役目だけの為に作り出された中で作品の時間枠としては14~16才での登場
・無口、かつ無駄のないクールな態度と真面目でおとなしい雰囲気
である。元々、TYPE-MOON自体がレイをオマージュにStay nightの没盾系ヒロインからGrand orderのヒロインに仕上げているので共通性は高くて当然である。
ただし、マシュはレイとは違って
・人生経験は希薄な故好奇心・感受性が高く、常識が少し欠けている
という点では個人的にレイより人間的で好みの度合いが増しているのだと思う。
にしても急になぜこんな話になったかというと
エヴァ公式アプリで新劇場版3作無料公開となったからなので、つい序と破を一気見してたら終わり頃にポチってたマシュのフィギュアが届いたからである、ボーナス万歳、三連休万歳