はてなキーワード: 自分たちとは
趣味垢で子育ての話をしている人をよく見る。そこで感じた苛立ちをここで吐き出したい。私個人の意見というより愚痴だから、反論されても「そう思う人もいるんだな」って思うだけです。
私のいる界隈は趣味で漫画や小説を書いてる人が、pixivとかエブリスタとかに作品をあげている。
中には即売会に出ている人もいる。
子育てをしながら同人誌を作ったり、即売会に出ることについては何の問題も無いと思う。
子供がいることを隠せとも言わない。
でも、旦那との行為を赤裸々に呟いたり、子供の写真を載せたり、子供とよそのお子さんでカップリングを作って妄想してる人は気持ち悪い。
あと、「締切前なのにチビたんが寝てくれない!」やら「習い事したいって言われたけど原稿時間が無くなるからなぁ」やら「町内会のバス旅行に行きたがってるけど、参加費2万なんて無理!」やら、子供より自分を優先している人が目につく。
そのくせ自分たちは装丁に凝ったり、無料配布したり、即売会の安くはない参加費をポンと出し、アフターで焼き肉食べてご満悦なのは呆れる。
R18の同人誌を山積みにした汚部屋写真を晒して、子供は慣れてるから大丈夫って呟いてみたり、子供の写真付きで「家族サービスだるい~早く帰って原稿したい」などと呟いたり、それに対して周りの人たちも「分かる~!」
って同調するのが信じられない。
締切って何?
それで生計立ててる訳じゃないし、見たところ、商業デビューしてる人はそんな呟きしていない。
創作活動の邪魔をしてくるなら、相手すべきは子供だろう。あなたが夢中で創作してる姿は、子供にとっては「スマホ見てて自分を見ない親」と同等だ。だから、気を引く行動をとるのではないだろうか?
あなたの本が子供を裕福にさせる莫大な利益を生んで無い限り、どんなに作家を気取ってみても「趣味」なんだよ。
産んだんだから、できる範囲でやりたい事をやらせるのは当たり前だと私は思う。
知人は商業をやりながら、子供を育て(Xでは呟いてなかった)、即売会にも出てたけど、「やりたいことはだいぶできたし、私の性格だと執筆に集中しちゃうと子供を蔑ろにしそうだから」って言ってプツリと活動を休止した。印税は少しずつ入ってくるらしい。
今は目が回るほど忙しいけど、定時のある仕事をしながら、子供がやりたいことを応援するのが趣味なんだと言っていた。
そうしろとは思わないし、趣味を楽しむのはいいと思うけど、産んだんだから覚悟を決めて、出費の優先順位を考えなよ。
ネグレクトだよ。
親の資格無いって。
ひょっとして皆んな、理解できない = 釣り、と考えてないか。
それだと、さぞかし多くの日記が釣りに見えるだろうし、あなたの日記も釣りとして読まれる事になるが。
動機を斟酌してレスの態度を決めるんじゃなく、書いてある内容で議論に乗るか決めろよ。
いつぞやの筆者が男か女かみたいな、失礼な勘ぐりを思い出すわ。くだらないだろう、そんなのは。
いやフェミが何遍違うと言っても頑なにオタクが気持ち悪がられてるだけだって主張するから釣りだって言われてるんだよ
フェミの説明する内容を一切聞いていないし聞き流していて、自分たちが差別され嫌われているという考えや魅力的なキャラクターへの嫉妬だから問題ないという理由を本気で信じている、まさに指摘されているオタクの人間性と同じ
作品や表現に全く問題がないという立場に立ってるのは楽観的すぎるよ、今問題になっているのはこの前他国で炎上した広告を性的に描いたパロディをLO作家がしたという件だけど、こんなのまずいに決まってるし、いよいよLOはダメになるだろうって段階なのに問題ないと主張するオタクが大量にいる
フェミ側からしたら同じような炎上を何回やったかわからなくてうんざりしてるのに一個も進展してないどころか悪化してるわけ
オタクが嫌われてるとか、オシャレかどうかなんてどうでもよくてこの大量の社会不適合者で分別がない人間の群れをどうにかできないならオタク文化の称揚なんてやめろって話
中学は部屋割りも自由行動の班も自分たちで勝手に決めろだったけど、高校はあえて仲良いグループが固まらないような形で学校側が全部決めてくれたから変なとこ悩まずに済んだな
多くの日本人にとって宗教は「必要のないもの」という感覚が共有されているように思う。
しかし、本当にそうだろうか。
あるいは、「宗教は必要のないもの」という認識が宗教問題について冷笑的な態度を生み出し、本当にその問題について考えることを無意識的に避けてしまうのではないだろうか。
もともと、この語源となるラテン語における「Religio」は、「(精神的な)深い絆や繋がり」を指す言葉であり、もしくは今日においても「Religious」が指すように「信仰深い態度」そのものを指す言葉として使われていた。今日における「○○教」といったような言葉は、単に「○○の弟子たち」あるいは「○○の後を追う者」といったような言われ方がされてきたし、日本においても「茶道」「武道」などの言葉に残るように「仏道」など「○○道」という言葉があてがわれていた。近代に入るまで「信じる」ということが、より実践的な行為と不可分なものとして扱われていたことがうかがえる。
私なりに「宗教」という問題が何を指すのかを考えてみるところ、それはおそらく「生き方(a way of life)」そのものなのだ。
このように言うと、「ならやっぱり必要ないじゃないか。現に私たちは宗教に頼らずとも、自分たちの生き方に不満がないのだから」と言いたくなるかもしれない。それもひとつの「生き方」だ。
しかし、もう少し俯瞰してみると、これには以下のような構造が見て取れる。つまり、日常生活においては必要のないものもいるかもしれない。しかし、自身の生きる目的や指針などが根底から揺らいだ時にも果たしてそうだろうか。宗教的契機は必要なときに必ずや立ち現れるものなのかもしれない。
少したとえ話をしよう。
人類史における長い間、「地球は平だ」とする見方が優勢だった時期があった。しかし、当時に生きる人々はそもそも、大半が一生を自分の村で過ごす農民だ。たとえ貴族であっても交流の範囲は限られていた。シルクロードを通じて、遠くから物品が運ばれてくるとしても、それは「遠くから運ばれてきたもの」であり、具体的にどのような道を通ったのか、その間に地平線を意識することもなければ、時差について説明する必要もあまりなかったはずだ。つまり、「丸いと考える必要がなかった」のだ。
しかし、時代は移り変わり大航海時代。領域国家なども生まれ、人々の交流範囲がどんどんと全地球規模に発展していった。その過程で、例えば「他国より手短にインドに行ける方法」を知らなければいけなくなったし、「離れた地域の人と連絡を取る方法」を考えなければいけなくなったし、「大規模な航海を行う必要」にかられた。その過程で、新たな発見を迫られ、徐々に「地球は丸い」という考え方が受け入れられてきた。
これは、地動説VS天動説にしろ、アリストテレス目的論VSニュートン力学にしろ、ニュートン力学VSアインシュタイン量子力学にしろ、パラダイムシフトというのは、往々にしてこのように「新たな問題に気付き、これを解決する過程で、認識全体が変容する」ことによって起こってきた。
宗教においてもおなじことがいえる。
つまり、「宗教」というものも、そのようにより深い、目の前の生計や、人間関係、さらには政治や技術、そういった問題を超えた「自分自身は何のために生まれて、何のために生きているのだろう」「この世界は何のためにあるんだろう」といったような問題に対処するための、プラグマティックな実践論といえる。
そして、「自身の生き方に行き詰ったとき」「自身の生き方を見直さなければならない時」に、必ずこうした宗教的問題に取り組む契機が訪れるのだ。
これは、「既存の伝統宗教や新興宗教は信じるに値するか」といったような問題とは異なる、より根本的な「宗教的契機の構造」の話をしている。その上で、「どんな信仰体系がその個人にとって意味があるのか」は、その個人のマインドセットや、置かれている社会的・文化的環境によって異なってくるだろう。もちろん、その人が置かれている社会的・文化的環境によっては、特定の信仰体系が反社会的であるとされることも容易に想定できる。それこそ、人々が宗教的契機に恵まれる、「自身の生き方の根底が揺さぶられるショック」を受けた状態に、巧みな言葉を投げかけ、献身的な信者を作ろうとする商業主義的宗教は、必ず唾棄されなければならないと考えているし、宗教のもつ「強固な集団形成力」が誤った方向に向けられ多くの不幸を生み出した事例は人類史を見ても枚挙にいとまがない。伝統宗教に価値を見出すとすれば、それは「長年生き残ってきた風習」であることに意味を見出す保守主義的観点からだと言えるかもしれない。いずれにしても、それが「生き方」の問題である以上、ひとりひとり、さらに状況によっても異なって当たり前だし、多様な実践が見られて当然だろう。
「宗教は我々の生き方(a way of life)を根底から見直すときに必ず立ち現れる根本的な認識論であり実践論である」
サービスは便利になるか安くなるか、必ずそのどちらかだと思ってた。
それが今、「サービスそのものを存続させるためにサービスレベルを落とすフェーズ」に突入している。あらゆるサービス業において。
タブレット端末で注文してください。
部分的に便利になっていたとしても、それで誰かが排除されていたり選択肢が狭まっていたりユーザの手間が増えていたりして、総合的には不便になっている。
こういう世の中の変化を「それでよし」と受容してる人がけっこう多いけど、実はサービスの質が落ちていくことって都市生活者は今までほとんど経験したことがなかったはずだ。
電車バスは減便になったり廃線になったり。スーパーはなくなる、郵便局はなくなる、医療機関はなくなる。シュリンクしていく日本の最前線に立って、打ち寄せる波の侵食をまともに受けとめていたのは過疎地の人々だった。
都市に住む人々は「自分たちは内陸に住んでいるから、波とは関係ない」と思っていたかもしれない。だが、もう違うのだ。水位は上がり、海岸線はずっと後退した。今私達はみんなが波打ち際に立っている。
ある村が今日から無医村になるのも、ある店の料理を今日からロボットが運ぶのも、全然違う出来事のように見えて実は質的には同じ現象なのだよ。
「不潔ルート」とか「豚コレラ抑えられなかったから豚熱に改称」とか
ハゲが「あれは俺が作った」と自慢してるけどろくな仕事してないデジタル庁とか
https://twitter.com/crowclaw_109/status/1759057847256813708
「自分たちは1円単位で確定申告しているのに自民党議員なら3000万円無税はおかしい」と思えるなら、いまLGBTQの人たちや少数派の人たちが何を求めて主張しているか理解出来ると思うんだけど。特権的な何かが欲しいわけではなくて、ただ同じ尺度で同等の権利が欲しいというだけですよ。
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24⋈589
@24_589
https://twitter.com/24_589/status/1758683371876819189
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@ObdyNnFeM952170
アホか
https://twitter.com/ObdyNnFeM952170/status/1758696677798711344
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@czQE3kAUyr6DFNA
保守系に不利な判断が出ると些細でも必死で拡散するマスゴミ。自分たち左翼仲間の非道はどんなものでも絶対に隠します。産経も結局マスゴミ。
https://twitter.com/czQE3kAUyr6DFNA/status/1758624039491543171
筆者は臨床心理士と公認心理師(心理士/師 と記します)の資格を有し,会計年度任用職員であるスクールカウンセラーとして働いていた時期があるが,現在はある行政機関で働いている。
この日記に記すような考えを持っていることは,名前を添えて発信することはとてもできないので,初めて匿名ダイアリーをお借りします。
行政の観点は持つものの,あくまで行政を専門とするわけではないので,誤りについてはご容赦ください。
(1)スクールカウンセラーについて
スクールカウンセラーは,「会計年度任用職員」として都道府県及び政令指定都市に任用され,小中・高等学校,特別支援学校,教育センターにおいて,
児童生徒の相談に応じるほか,教員や保護者への助言,研修等を行い,もって,児童生徒の支援にあたる。
令和2年3月以前は,特別職非常勤職員として「スクールカウンセラーを委嘱」されていたが,同年3月以降は,「会計年度任用職員に採用」されることとなった。
財源は「いじめ対策・不登校支援等総合推進事業(スクールカウンセラー等活用事業及びスクールソーシャルワーカー活用事業)」による国の補助が1/3,
都道府県及び政令指定都市が2/3を負担する。文部科学省による令和6年度要求・要望額は90億円。
参考:tps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1328010.htm(スクールカウンセラー等活用事業)
tps://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/2190fb02-e55a-4041-a510-f98183ca6a8b/ae2f9d28/20230908_councils_ijime-kaigi_dai1_03_1.pdf
(いじめ防止対策に係る取り組み状況及び令和6年度概算要求について)
会計年度任用職員は,令和2年4月に施行された「地方公務員法及び地方自治体の一部を改正する法律(平成29年法律第29条)」により導入され,
地方公務員法第22条の二によって任用される非常勤職員である。
基本的な考え方として,会計年度任用職員としての任期終了後,再度同じ職に「任用」される(「再度の任用」という)ことはあるが,これは「更新」とか「任期の延長」,「同一の職に再度任用」
されるのではなく,「あくまで新たな職に改めて採用された」と整理されるべきもの。
なお,事務処理マニュアル及びQアンドAにおいては,繰り返し同一の者を任用することは長期的計画的な人材育成への影響等の理由から留意が必要と示されているほか,
国としては,公募によらない再度の任用は可能であるものの平等取扱いの原則及び成績主義を踏まえ,公募によらない再度の任用は連続2回までとするよう努めていることが示されている。
これらの文言をうけて,スクールカウンセラーについては,例えば,「公募によらない再度の任用は4回まで」と回数を定める自治体が多く認められる。
参考:tps://www.soumu.go.jp/main_content/000853430.pdf(会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル)
(3)雇い止め
『「雇い止め」(更新拒絶)とは、有期雇用契約において、雇用期間を更新せずに契約を終了させること』(東京弁護士会HPより引用)
なお,今回の問題について「解雇」と記す記事があるが,「再度の任用」をしないことは「解雇」には当たらないので,誤りである。
引用:tps://www.toben.or.jp/bengoshi/soudan/work/yatoidome.html
2 スクールカウンセラーの雇い止め(事実の記述)
東京都の会計年度任用職員であるスクールカウンセラーが,4回の「(公募によらない)再度の任用」を終える令和6年度に向け,公募による募集に応募したところ
鈴木都議によるXへのポストによれば,「今回契約延長を求めた1100人の現役のスクールカウンセラーのうち、およそ15%程度が不合格となった」とのこと。
参考:tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027(東京新聞)
tps://www.jcp-tokyo.net/2024/0212/90022(東京民報)
tps://twitter.com/Retsu_SUZUKI/status/1757670551433453730(鈴木都議によるポスト)
(1)スクールカウンセラーの雇い止め問題について
次の点から,今回多くのスクールカウンセラーが再度任用されないことは,何ら問題なく,むしろよいことだと思う。
ア スクールカウンセラーが再度任用されないこと(雇い止め)は,法律にそった対応であることから,何ら問題ではない。
イ スクールカウンセラーの入れ替わりが促進されることから,資格取得後間もない若手にも活躍の場が与えられ,心理士/師にとってもよいことである。
ウ 今回の問題を機にスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないことがよく理解されれば,常勤採用につながるきっかけとなる。
ア 再度任用されないことは問題であるという論調の記事等では,例えば次の理由(というかご意見)が挙げられていますが,再度任用されないことを問題とする根拠とは言えない。
(tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027 より)
・雇用継続されたが,いつ自分も切られるか不安 ➡︎ 多くの労働者は同じ不安を抱えて生活しているので,不安であるというだけで,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(実際にそのとおりかどうかは疑問が残るが,不安の中では相談において十分な能力を発揮できないからスクールカウンセラーは
・駒のように人を代えられるのは納得がいかない ➡︎ 職員の入れ替えがあるのは教員も同じであるので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。駒のように,というのは受け止め方の問題である。
・児童生徒,保護者に来年度の不在を伝えることが大変気が重い ➡︎ 教員も異動等で変わることがあるものであり,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(別れもまた成長の機会であるのだから,児童生徒の成長につながるように交代の話をしてほしい,と言われそうな印象。)
・これまでの経験や成果が全く考慮されず,残念 ➡︎ さらなる活躍が期待できる人の応募があればそちらを採用するものであるから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・評価がAであるにもかかわらず補充任用でした ➡︎ 現場の評価と面接での評価が一致しないこともあるのだから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・向き合っているのは人の生死。現任者を切るやり方は,児童生徒に不利益を与える ➡︎ 現任者の交代によりどのような不利益が生じるのか明らかでないので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(この意見の伝え方は,必要以上にエモーショナルで,一般的には受け入れられにくいだろう)
(不安定な状態で継続的な相談に応じている中で交代することにより相談の一時的な停滞が想定される,という主張であれば,もとよりスクールカウンセラーの相談は長期間の継続を想定しておらず,
継続相談を要する場合は,その判断があった時点で近傍医療機関へ紹介されているべき,という反論がありうると思います。)
イ そもそも,この問題は,再度任用されないことは問題なのではなく(問題として扱えないレベル),スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことにあると思います。
そのあたりの整理ができないまま,再度任用されないという個人的な不利益について児童生徒を持ち出して訴えるので,話がややこしくなり,また理解されづらくなっていると思います。
(3)今後の方向性について
ア 上に記したとおり,スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことが問題なのであり,スクールカウンセラーを自治体や教育委員会の職員とする等,他のあり方へつなげることが,
そもそもの狙いになるのではないでしょうか。
そのためには,東京都や総務省に対し再度任用されないことを問題として訴えても話にならないのであって,主管である文部科学省との間でスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないこと
について話をしていかなければいけません。
ただし,この時,ではどういう採用をしてほしいのか(立場は?人数は?財源は?)という案まで考えた上で伝えていかなければいけません。
一緒に問題を解決するという立場で,むしろ自分で自分の問題を解決するという姿勢で,行政に働きかけていかなければいけませんし,できることならば政治の問題として取り上げて行く方が望ましいです。
イ そのように,行政に働きかけ政治の問題としていくためには,職能団体としてしっかりまとまらないといけません。
(案のまともさは前提として)この案は全スクールカウンセラーの総意です,というものをもって行政に働きかけていけるよう,皆んなで先生を応援しますのでよろしくお願いしますと
頭揃えができるように,職能団体としてまとまりを持つ必要があります。
ウ さらに,このような働きかけをしていくとしたら,また,ニュースにあるような声を上げるということ自体が,他の会計年度任用職員の存在をおざなりにしていることを自覚しなければいけないと思います。
事務処理マニュアルにおいては,スクールカウンセラー以外にも,保育士,看護師,掃除作業員,医療的ケアのために置かれる看護師・言語聴覚士・作業療法士・理学療法士,スクールサポーター等
多くの人が,スクールカウンセラーよりも安い賃金で,同じ不安を抱えながら生活していることを理解し,会計年度任用職員制度そのもののあり方を問うて行くことが必要だと思います。
そういった俯瞰的な視点を持たず,スクールカウンセラーの雇用についてだけ声を上げるというのは,社会的な支持を得にくく,何も成果をもたらさないと思います。
個人的には,そういう視点が持てなければ(持てていないから),スクールカウンセラーは会計年度任用職員止まりなのだと思います。
(4)自分たちの総括について
ア スクールカウンセラーの専門性は外部性である,という意見をよく聞きます。外部の立場だからこそ,客観的なアセスメントができるものである,等の意見です。
果たしてそうでしょうか。ここで議論することではないので何も触れませんが,外部性を訴える以上,会計年度任用職員以上の常勤職には,外部性と相反することから,なれないでしょう。
そもそもどうして外部性というアピールが生まれたのでしょうか。本当に,非常勤でなければ客観的なアセスメントができないのでしょうか。常勤職につけない正当化であった可能性はないでしょうか。
イ 公認心理師ができても常勤職は少なく,会計年度任用職員という非常勤ポストすら奪い合いの状況です。
学会を見ても,多くの理事の先生方はとうに65歳を過ぎておられ,若手に席が回ってきません。
ベテランの先生は退職しても開業されますので,開業カウンセリングの市場も奪い合いです。みんなが食べられる状況ではないことは明らかです。
大学院生はどんどん修了し,供給だけが進みます。大学院での学びを活かし,心理士/師として働くよりも条件が良い仕事,働きがいのある職場はたくさんありますよ。
ウ スクールカウンセラー全員が学校に歓迎されているわけではありません。ニュースになった事件もありました。
予算執行調査でも,「SC等の資質向上は最重要事項」と言われています。
これは,若いスクールカウンセラーの資質向上という意味ではありません。ベテランのスクールカウンセラーでも,何も言われなくても,イマイチと思われていることもあるのです。
また,税金を投入する以上,本当に効果があるのか,どの程度の効果があるのか,という問いからは逃れられません。
曖昧模糊な言葉で訴えるだけでは,カウンセリングの重要性を理解してもらえません。予算レベルでは,文科の担当者の方が頑張って財務省と話をして予算をとってくれるわけですが,
自分たち自身も,日頃,スクールカウンセラーやカウンセリングによってどういう効果があるのかを,専門家でない人でもわかるように説明できるようにならないといけないと思います。
とにかく大切だとか,命に関わることだとか,そういう説明では,その場はそうですよねと言ってもらえますが,実は理解を得られません。
また,言葉で訴えるだけではなく,定量的な指標で効果を示せることが必要です。
参考:tps://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/budget_execution_audit/fy2021/sy0309/11.pdf(総括調査票)
エ スクールカウンセラーも心理士/師も,社会で働いています。
そのため,組織に関する行政は,ある程度理解する必要があると思います。今日リンクを貼った文科のHP等は最たるものですが,見ているスクールカウンセラーはあまりおられないでしょう。
社会の中での位置付けを抜きにして,児童生徒とスクールカウンセラーとの関係はあり得ませんので,ある程度行政での位置付け,行政での扱われ方も理解した方がいいと思います。
カウンセラーは社会性がないとよく言われます。個人のカウンセリングだけではなく,社会にも目を向ける必要があると思います。
4 最後に
スクールカウンセラーは,楽しかったですし,良い仕事だと思います。今の心理士/師としての仕事も,楽しくやっています。
ただ,心理士/師には難しい人も多く,これから国民にとってアクセスしやすい存在になるにつれ,問題も表面化していくと思います。
これからどうなるのでしょうか。明るい業界であってほしいと思いますが,明るい業界を作り出せるかどうかは自分たちにかかっている中で,地に足のついた議論は乏しいようにも思います。
この日記が,心理士/師業界の発展につながり,ひいては国民の福祉と健康につながる一助となればとても嬉しいです。
ありがとうございました。
日本人を変えるのは難しいのはわかるけどね
①生成AIの影響で真偽が判断つかない情報や、無意味・無内容な情報が、加速度的にSNSなどに溢れかえる
➁もはや、オープンなSNSやインターネットはスカム情報で溢れかえりナンセンスで役に立たないものになる
➂オンライン/オフライン問わずニッチでフェイス2フェイスなコミュニケーションが流行
④ニッチなコミュニティを横断するミニコミ的媒体の需要が復活する
「意味のある情報」が人の手に戻ってくる時代と考えると、インターネットがより身近になる、人間中心的テクノロジーになる契機なのかもしれないよね。もはや、「ただの情報」がスカム化して意味をなさなくなり、「人とのつながり」みたいなコンテクストが重要になる。
この話はなにも生成AIを話題に出すまでもなく、そもそもインターネット広告モデルの持つ情報流通の脆弱性の話なんだけどね。
つまり、インターネットはすべてをフリーにした。そういったアナーキーな価値観で草の根的に生まれた世界だった(cf.自由ソフトウェア運動)。だけど、それじゃビジネスは成り立たない。
そこで、インターネットがたどってきた道はこうだ。
アナーキストたちは採算度外視で(そもそもそういう商業主義を否定するんだからそりゃそうだ)市場を壊していく。「無料でアクセスできる」情報には誰も金を払いながらない。だって、値段をつけて売られてるものが、ネットならタダではいるから。
そのため、商業主義者たちは考えた。「つまり、エンドユーザーには無料で届けなければ太刀打ちできない。なら、エンドユーザーを商品にして、toBにエンドユーザーを売ればいいんだ」。これが今日まで続く、インターネットで主流の「広告モデル」によるコンテンツ生産だ。
しかし、インターネットの「広告モデル」は、これまでのメディアのそれと大きく異なる。なぜならば、トラフィックのすべてが事細かに分析の対象となり、しかもそれがリアルタイムで見えてしまうから。つまり、ウェブコンテンツは「この特定ページのこの部分にこのくらいの時間滞留する。だから、ここに広告を置けば見えやすい」ということが分かってしまう。
これは大問題だ。クリエイティブっていうのは、コミュニケーションっていうのはそういうもんじゃない。数字や言葉に現れない絶妙な采配。そこにしかクリエイティブは宿らない。なのに、それが許されなくなってしまった。
そうなるともう、アテンション・エコノミーの問題につながる。さらに注目を、さらに注目を、そんなことをしているうちに「何に注目したらいいか」をゆっくりと捉える時間がなくなり、「安易な刺激」に逃げるようになる。
「タイパ」という言葉が最近は話題らしいが、あんなものは嘘っぱちだ。「安易な刺激」のイテレーション周期をいくら速めたところで、そこに「意味」はない。TikTokを2時間見る時間があれば、映画館に行ったり、コンサートに行ったりして、「意味のある体験」をしたほうがよっぽどパフォーマンスはいいはずだ。
そして、「タイパ」という言葉の流行、さらに「生成AIによる情報のスカム化」は、いわばこの「無意味な加速」の極限であり、ピーク状態である。つまり、このバブルはあっという間に弾ける。徐々にその加速が無意味であることに気が付き始める。(cf.寝そべり族、Doomer、だめライフ)
だからこれからは、「ミニコミの時代」だ。自分たちの時間を大切に、自分たちの価値を大切に、自分たちのいのちの使い方を大切に決められるオルタナティブなライフが求められる。そうした血の通ったネットワークが求められる。そこに必要なのは、内部の結束と、外部への発信としての「ミニコミ」なんだとおもう。
相対的に自分たちの賃金も上がらないのにみんな気づかないのだろうか
金を使わないと金は市場に回らないし、そうなれば自分のところにも金は入ってこないのに
芋掘りとか菜園で野菜育たたりとか農業体験は日本全国の小中学校で行われているけど、アスファルト混ぜたりとか道路作ったりとかの工事体験をしている小中学校は聞いたことがない。
インフラを支える重要な作業なのだから、地元の建設会社に協力してもらって、児童生徒自らが学校の敷地内のアスファルトやコンクリを補修するという体験学習をさせたらいいと思う。
学習体験した子どもたちは地元の道路の陥没穴とかも気になるようになって自治体への通報もはかどり道路修繕も効率化できる。
災害が起きた時には材料さえあれば自分たちで補修することもできるようになる。
良いことずくめ
お前らが「批判なき政治」みたいなクソコンセプトまで擁護したおかげで、ご覧の通り政治家は汚職三昧で、選挙を捻じ曲げる裏金作りとばら撒きを続け、自分たちの勲章のために巨大イベントを立ち上げ、税金を垂れ流し、ルールの穴をあえて塞がず、より腐臭が強くなっていく
https://en.wikipedia.org/wiki/Melinda_Tankard_Reist
・女性と少女の擁護者であり、プロライフ・フェミニスト(中絶反対フェミニスト)であると自称している
・著書:悲しみの言葉を贈る:中絶後の悲しみの女性の物語、「反抗的な出産: 医療優生学に抵抗する女性たち」、少女の性的化への挑戦、世界的なポルノ産業の害悪を暴露する、売春の物語: 性産業における生存の物語
・2009年、彼女は、製品やサービスを販売するために女性を対象化し、少女を性的対象とする広告主、企業、マーケティング担当者をターゲットとする草の根運動運動である、性搾取のない世界のためのコレクティブ・シャウトを共同設立した
今回のH&Mの件
・「女の子の親は一般的に、娘が学校に行くとき、バスに乗るとき、授業中に歩いているのを他人が見ても、頭を『向けない』ことを好む」と述べた(Twitter)
「小さな女子学生は一般的に『注目を集めたい』とは思っていません。私が学校で関わっている多くの人々は、自分たちの外見に不必要な注目を集めたくないため、一人になって学んだり楽しんだりすることを望んでいます。
(“Little schoolgirls generally don’t want to ‘turn heads.’ The large numbers I engage with in schools want to be left alone to learn and have fun and not draw unwanted attention to their appearance.”)
・「どうして小さな女の子は自分の外見、体、そして「スタイル」に注目を集めるべきだという考えを煽りたいのですか?おそらくマーケティング チームに一言相談して、『ルッキズム』を願望目標として評価する文化の中で成長しようとすでに苦労している思春期前の少女たちの注意を引かないようなものを考えてはいかがでしょうか?」
おそらく一部炎上したのは「振り向かせよう」の部分だと思うが
この人や界隈の主張だとおそらく「かわいい」とかもNGなんだと思われる
こういう人って昔は有益だったと思うんだけど
今では薬が毒になってしまっている
少女全員を代弁しているのはやりすぎ