はてなキーワード: 職業的とは
https://anond.hatelabo.jp/20180709065932
の続き。
なぜ、看護師などの医療従事者のモラルが問題となり、医療従事者の中で「看護師は特別」という自意識を持つものが多いのだろうか。基本となる看護師ー患者関係を見てみよう。基本的な大前提として、患者と医療者の関係は対等ではない。
Boundaries and the Nurse-Client Relationship:
Keeping it Safe and Therapeutic
Guidelines for Registered Nurses
The nurse-client relationship is one of unequal power, resulting from clients’ dependence on the services provided by nurses, as well as nurses’ unique knowledge, authority within the healthcare system, access to privileged information about clients, and ability to influence decisions (CRMN, 2007). This power imbalance can place clients in a position of vulnerability and potential abuse if trust in the nurse-client relationship is not respected. It is the nurse’s responsibility to recognize this imbalance of power and to be aware of the potential for clients to feel intimidated and/or dependent (CRNBC, 2006).
Intimacy
Nursing practice, by its very nature, can create an atmosphere of physical, emotional,
and psychological intimacy that can, in turn, increase the vulnerability of clients.
http://crnns.ca/wp-content/uploads/2015/02/ProfessionalBoundaries2012.pdf
要約すると、「患者」対「看護師」という時点で不公平な力関係が生じ、患者は看護師に対し脆弱で言いなりにされるがままの弱い立場に置かれる。看護師がその職業的立場を自覚せずに軽視すると、患者は潜在的虐待と搾取の対象となる。その不均衡は、患者は看護師が提供するサービスに依存し、看護師の専門知識と医療機関における権限、患者個人の秘匿情報に触れる立場、そして患者の決断を左右させうる立場などから来る。
また、看護という仕事の特性上、患者に対して密の肉体的、精神的、感情的な親密さという雰囲気を醸成するが、これは同時に患者の脆弱性を増長させてしまう。
この潜在的な権力の乱用につながる力関係の不均衡と職業的立場を認識し、患者を萎縮させてしまうように感じさせたり、依存させるようなこと、または弱い立場に付け入るようなことにならないように注意するのは看護師の責任である。
医療を受ける患者の弱みに付け入ったり、看護師の立場上得られる力を乱用しない、というのが患者ー看護師の間における信頼関係の基本となる。
と、このように欧米での基本的な教育と看護指針では、これ以上ないくらいはっきりと明記している。
しかし驚くべきことに日本における看護教育の課程や臨床現場のみならず、看護協会にも学会にもこの観点から指摘した具体的な倫理規範も指針・ガイドラインも一切存在しない。日本では臨床の看護師も当然、誰一人知らない。
つまり、看護師達は、権力を乱用したり弱みに付け込んでいる、という事すら、認識しないで、乱用しまくっている状態が多いのだ。態度の悪い、タメ口を平気で使う若い看護師を見れば分かる話だ。
さらに、
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
でも触れたように、医療に従事するものは、『患者の命は自分が握っている』と思い込む傾向が強い事が明らかになっている。殺人をして逃げおおせたシリアルキラーが神に近い万能感を感じるという例に似て、医療者は勘違いしやすいのだ。
そして、
https://anond.hatelabo.jp/20180709065932
でも触れたように、日弁連も指摘しているように、
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。・・・そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。...ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
看護師を取り巻くモラルの問題は、エイジズム、共依存、パターナリズムと幅広く、根深い。
にも拘わらず、
https://anond.hatelabo.jp/20180709065932
でも明らかにしたように、患者一般はもとより、日本の看護界においては無教育、無知が蔓延していると言ってよいだろう。
補足
https://anond.hatelabo.jp/20180709203858
参考
職場の飲み会の帰り道どうしようもない気持ちになったので家に帰ってからカッターを手首にあててみた
この半年ほど、手首を切ったら何かが変わるのか、変わらないのか、考える機会が増えていた
前までどんなに死にたいと思おうがなんだろうが自傷というところには至っていなかった
それが仲の良い友達から実は昔リスカをしていたことがあるという話を聞いて以来、鬱々した気持ちになった時に手首を切ってみたいと思うようになった
が、調べてみると後処理とか結構めんどくさそうだし、そもそもあまり血が得意ではないので調べたことを読んでいるだけで血の気が引いた
これは向いてないなと、やめておこうと思ったけど数日経つとやっぱり切ってみたいという気持ちになった
その日は久しぶりにわりと飲んでいた
若いメンバー中心で飲みに行ったため、仕事について熱く語りあったり愚痴を言い合ったり励まし合ったり恋愛の話をしたり、特段病むような内容ではなかったはずなのに電車に乗った時にはもう死にたくて仕方がなくなっていた
盛り上がって飲みすぎたのかもと思ったけれど、自我はちゃんと持てていた(はず)
家についてお風呂に入って水分取って、台所に立ったところで手首を切ってみようと思い立った
とりあえずやってみよう!と
実際に切ろうとしてみてわかったこと
思ってた以上に力がいる
血が出るほどの傷を作るとなると本当に思い切ってざっくりいかないと難しい
わたしは実際カッターを持ってあてるところまでは何とも思わなかったけれど、上手いこと思い切ることができなくて血が出るほどの傷は作れなかった
自分のできる最大限の力でシュッと切るとうっすら白くなったあと赤くなる
血は出ない
少し時間を置くとなんとなーく傷が浮き上がる
結局これじゃ物足りないと思って数回上からなぞってみたけどしっかりした傷にはならなかった
痛みは指を紙で切った時以下
だいたいの人がこんなの屁でもないと思う程度のもの
しかも次の日にはやった本人でも正確な場所がわからないくらいにまで傷が薄まっていた
人間の皮膚って切れにくくてこの程度の傷なら寝れば治るのか…なかなかしっかり出来ているんだな…とちょっと感心した
それが先週のこと
切ってみて、というか刃先を当ててみて
たぶん毎日でもできる
これくらいなら全然できる
自分にしかわからない、わたしこんなことしました病んでますと自分に酔うためにするお遊びという感じ
反面着々と慣れてきている
痛みにもこの行為にも
このまま習慣化するといつか血が出る日が来るだろうと思う
誰かにバレるならそれはそれで正直嬉しいという気持ちと仕事に支障が出そうだからパッと見てわかりやすい傷は作りたくないという気持ちがせめぎ合っている
(とりあえず切るにしても絆創膏で隠れそうな大きさまでしか切らないと決めて入るけど)
やってみてわたしにとっては思っていたより意味のある行為だった
自傷と言えばリストカットという単純すぎる考えでやってみたことだし、なんなら手首を切るという文化(?)があってそれを知っていたからやってみたに過ぎないのだけれど、それなりにやる意味ややりたくなる要素はあるんだなと思った
でもありですこれ
ただ自己肯定感が低いタイプの人とか毎日自己嫌悪してますみたいな人が至りやすいものだなとは思う
職業的によろしくないので大きな傷は作りたくないけど、こんな程度で自分の気が済むなら続けていこうかなーと考えてます
もちろん、女性に対するセクハラ・パワハラは絶対ダメだ。男性は女性が拒否することをむしろ支援すべきだ。でも、個別のハラスメント行為の善悪と「エロいことを売りにする職業は、社会的に良いのか」は別の話ではないか?
その通りなんだが、エロい女性のエロさのみが認められて蔑視も性的搾取もされない世界ってのが想像できない。
エロい女性のエロさを職業的売り物として評価するのは男性だし、そのエロさは写真集みたいな形であっても性的搾取されることが前提でお金になるわけで。
さらに、エロを売りにする女性が成り上がる世界っていうのは女の価値はエロにしかないという誤解を招きやすい世界でもある。まぁ、そんなアホな勘違いをしない聡明な男性も多いとは思うんだが。で、そういう誤解をした男性が別にエロを売りにしてるわけでもない女性をも蔑視し性的に搾取しようとする。
まぁ後者は言い過ぎにしても、やっぱりエロを売り物にする=性を売り物にするってのはそれなりに問題多いと思うよ。
売買春がなくならないにも関わらず娼婦の身分が合法化されないっていうのは、男性に搾取されることを前提とした職業を認めちゃいけないだろ、っていう理念があるからだと思うし。
不祥事を起こしたら挿げ替えるというのは、最初からあまり人選を考えなかった証拠ではないのか。
仕事の責任者という立場で最初から、替えはいくらでも居る、というような考えを持つという事は、人をきちんと事前に評価する事もしなければ、自分が与えたどんな小さい仕事も意味があるという事を曖昧にし、謂わば仕事をサボっているからではないのか。
周りの目を気にしすぎてないか。
現代は科学技術の時代であるが、果たしてその仕事は後世にどう評価されるのだろうか。仕える側もきちんと真面目にやらなければいけないが、自分の仕事がある大きな仕事の重要なピースであるという認識なしにどんな職業的な卓越の道があるのか。
人が死ぬから、残業は短くしなければならないのか。違うだろ、その人が仕事にとって重要だから少しでも健康でないと困るのである。
感情と論理を司る脳が発達したのは前近代だが、近代になってからは計算という脳の発達が先行しているようだ。果たして計算という脳の一部は何を神とするのだろう。金で天上へのエスカレーターを用意して何に裁かれる気なのだろうか。
私は仕事ができない人種なのではないか。春から社会人として働きはじめ、3ヶ月半が経った。周りの新卒の人たちは、一通りの仕事を覚えたのだろうか。自分はまだ満足に仕事をこなせていない。
大学の頃はそこそこ要領よくそこそこの成績を取っていたので、自分は平均的な人間だと思っていた。優秀ではないが、人並みに仕事をやっていける人間だろうとたかをくくっていた。
とんだ思い上がりである。蓋を開けてびっくり。こんなにも無能だった。
作業をしていて、前に教えてもらったことと少しでも違うことが起きるとパニックになってしまう。AはできるけどA’はできないみたいなかんじ。臨機応変にできない。
複数の仕事を任されると全部が中途半端になってしまう。多分マルチタスクを処理できない(職業的にマルチタスクを処理できなければならない)。やばい。
わかったつもりになってるだけで、いざもう一度同じ作業をするとできない。何のためのメモだと言いたくなる。
それで、できない→焦る→失敗する→落ち込むの悪循環。失敗しないよう対策を練るけど、また新しくミスをする。一つの穴を塞いでも違うところから水が染みてくる泥舟に乗っているみたいだ。
上司は駄目な私に懇切丁寧に教えてくれるのだが、愛想を尽かされるのは時間の問題だと思う。本当に申し訳ない。
なぜ自分はこんなにポンコツなのだと落ち込む。自分なりに家に帰ってから業務の復習をしたりまとめたりしているが、それがイマイチ日中役に立たない。作業が頭にちゃんと入ってないのかなあ、理解できない頭なのかなあ、とヘコむ。もっと頑張らないとと思うが、やる気が空回りして変なミスをする。
できない自分が情けなくて涙が出る。この仕事が向いていないのか、それとも社会生活に向いていないのか。まだ辞めたいわけではない。辞めたいってつぶやく日もあるけど。この仕事がやりたいと思って、入社できたのに、その仕事に向いていないのではという不安。入社3ヶ月半で決めつけるのは早いのかもしれないけど、仕事をこなしている自分を想像できない。経験を積めばできるようになるって周りは言うけど、ずっとポンコツのままかもしれない。怖い。
こういう気持ちは、多分いろんな人が持ってるだろうし、私の上司も持ってたかもしれない。普遍的な悩みだということはわかっているけど、溜め込んでいるとしんどくなってしまうのではてなに書き込んだ次第。
前にも書いたんだけど、
精神疾患になる人は優しいとか優しくないとかもあるかもしれないけど、
自分の考える理想の自分と現実のギャップが大きすぎて受け入れられない人だと思う。
理想(野心)っていうのは人間関係とか自己実現とか。自己実現の中に人間関係も含まれる。
だから失恋するとみんなうつ病だし、人間関係における理想のポジションが他人とかぶると色々人間関係ドロドロするか病む。
なので小さい頃から色んなポジション(カースト)で色んな人間関係の振る舞い方を経験した方がいい気がするのだよね。
最悪家の中小学中学高校大学まであるひとつのポジションだけで生きていく人、あるひとつのポジションを目標にしてる人いるけど(アスリートとか頭いい天下りする人とか)、
大人になってから環境(立場)の変化色々対応でき無さそうな人もいるよなと。
病んでいる人の中には、夢が叶わなかったことより、それに付随して得られるはずだった人間関係や立場を受け入れられなくて病む人がいて、
わりとそちらは難しい。自己実現や自己愛が社会的地位(パートナーとの関係とかカーストの中の自分)にからむ。
諦めるのは大変ですよ。
追記。
ポジションが安定してないと病むっていうのもある。
子どもとして安定するぐらいに、奥さん旦那さんとして安定する程度には。
自分が望む安定さを欲して、所属する社会組織を不安定にしてしまう人がいる。
危害メンヘラもだし休職メンヘラもだし(最悪両方辞めさせられるでしょ)
あと東芝とかも。
また追記。
上で書いたように、職業の自己実現と人間関係の自己実現は関わっている。
またまた追記。
またまたまた追記。
理想の自分や理想のポジションを追い求めることはある程度必要。
そういう人が社会を伸ばすこともある。
しかしながら、ストレスたまるし時には排除も起こるしぶつかり合いにも限度があるので、
よく話し合うこと大事。でも価値観の相違は埋まらないものもある。
お金と時間がある限り必要じゃない分野もある。アート界隈研究者界隈な。
でもエッセイ読むと自己管理出来てて僧侶みたいだよな。井上雄彦も見た目はそんなん。
つまり悩みについての思考の停止。悩みを終わらせる諦めること。
そして次の夢。趣味とか。
その環境の選択肢の中に無意識的に死が存在するから微妙なことになってるよジャポン。
さらにまた追記。
ポジションが人を育てることもある。
個人情報の提出は求めない美容院もいっぱいあるからハシゴしてみるといいよ。
「住所とか書くの面倒なんで」って言うと「じゃあお誕生日だけいいですか?誕生月サービスとかあるんで〜」みたいにパスさせてくれる。
ちなみに住所は忘れもの郵送してくれる時に使ったりもするんで、常連になる見込みがあってウッカリな人は渡してもいい。
雑談は嫌う客もいるって美容師もわかってるから、「今日眠くって〜」とか言って目を閉じてれば話かけなくなる。
でもスタイルの決定にはカウンセリング大事だから、「どういう髪型にしますか?」って段階で業種くらいは教えてあげた方がいい。
その人の顔に似合うか以外にも、その人のライフスタイルにマッチしているか、TPOを考えるところまでが美容師さんの仕事。
職業的にパーマやカラーリングはセーフかアウトか、睡眠時間すら足りないならドライヤーいらずのスタイルの方がいい、いや、髪質的にドライヤーないとダメかな?みたいなことは話さないと伝わらない。
あと、モテを求めてるのか求めてるならどういう層向けなのか、個性を追い求めるのか、あたりも重要。
可もなく不可もなしとはいうけど、職人は常に最良を求めるものだし、美容師も髪を洗って頭蓋骨の形を確かめながら、髪を乾かしながら髪質を確認しつつ、いろいろ考えてるんだと思いますよ。
http://anond.hatelabo.jp/20170508105254
増田を眺めていたら、精神病患者の措置入院に関する法律が話題になっていた。
そうすると、痴漢をしてしまう人というのは、もしかしたら病気なんではと思い、10分くらい調べものをしてみた。
すると、やはり、最新のDSM5では、病気として、以下のようなモノが定義されていたのである:
Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%83%E8%A7%A6%E7%97%87)より適宜抜き出し
窃触症(せっしょくしょう英語: Frotteurism)とは同意していない他者の体を触ったり、自らの身体をこすりつけることに性的興奮を感じる性的倒錯である。
A. 少なくとも6カ月間にわたり、同意していない人に触ったり、身体をこすりつけたりすることから得られる反復性の強烈な性的興奮が、空想、衝動、または行動に現れる。
B. 同意していない人に対してこれらの性的衝動を行動に移したことがある、またはその性的衝動や空想のために臨床的に意味のある苦痛、または、社会的、学業的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
同じページには、薬物療法もあると載っていて、ホルモン剤の投与も書かれている。何のことはない、これは、所謂「化学的去勢とよばれるもの」をしているのだ。
精神障害者は危ない、病気だから薬を飲ませて、入院させなきゃというのなら、全く同じロジックで、6ヶ月以上継続する痴漢は病気だ、薬を飲ませて去勢しなきゃが成立する事に、もうなっているのである。
6ヶ月以上継続するということの立証は凄く難しくて、まあ無理なんだろうけど、仮に「やっちゃいけないと分かっているのにやってしまう」ことで苦しむ痴漢がいるんなら、サポート出来る世の中にはなってほしいと思うのであった。
地味に続ける試みに、なんだか比較的派手にブクマがついたので現時点でついたブクマに全レスする試み。
もし全レスしてなかったら、たぶん今日発表予定の互助会リスト入りしてる。
death6coin まぁ、これは落選するわな
今のところはそうかもしれないね。
nezime 参考になります。
著者からスターがつけられていないので今のところはリスト入りしない。転じて増田ブクマ最強説。
新しいのが湧いてくるというか、新人がコメント欄と勘違いして使っているのではないか疑惑はこの判定法の場合排除できない。
互助会好みなエントリを開いた時に、自分のブクマ画面ではそういうコメントばかりが並んでいることが増えてきていて、実際なんとなく面白いです。
mouseion えっ僕互助会じゃないけど増田のやり方やっててよく著者にスター貰ってるんだけど?そんなので互助会認定されんのか。ならお金ちょうだいよ。互助会はお金貰えるんでしょ。
はてブ界隈では互助会に限らず知的労働は「今後の実績作りと言われても無償労働はするな」というのが常識。互助会の主ときちんと報酬について詰めてから互助会ブクマするべき。今のままでは体のいいボランティア作業員扱いされてる。
ninosan これも追加で→「僕には無理だなあ(^^;」「パズドラはやってないなあ」「パズルでドラドラ」「互助会ちゃうで?」
そのうち気が向いたらやる。実際1度だけ似たような反応のブクマ群をNG入りさせたことがあったので過去ログ参照のこと。
すでに他の人からスターもらっているようなので、それで良いんでないか。(スターをつけたその人は私ではない)
tydk27 こういう系に上げられるユーザーって、いわゆる個人ブログをブクマしたり、無言ブクマだったり、小並な感想しか書いてなかったりで、そもそも目に入らないので非表示にする意味もないんだよなぁと。
小並な感想がウザいので個人的なNGリスト化してみた。みんなでやったところではてなが対応するとは思えない自己満足ではある。
usausamode 正義のヒマ人って感じで素敵です!
正直、このコメント書きのほうが時間がかかってる。URL付き引用記法に増田が対応していないとは知らなかった。
例の文字列をNGリストに追加して互助会系エントリを見るとなんとなく想像が形になるかも。不要ならあとでNGリストを元に戻せばいいし、金なきゃオフラインでゲームすればいいだけ。暇つぶしになる。ビデオポーカーとかスロとか色々あるのでマジでお勧めだしリスク低め。途中で何か別のコピペが混じったがどうでもいい。
TakamoriTarou SPAMってのは今や職業的に行われているので(それが「パパの小遣い稼ぎ」みたいなノリであっても仕事と言う言葉を免罪符にプチ犯罪程度は軽くやる輩はいる)パターンをまとめると連中は対策してくると思うぞ。
正直、これが広まった後どういう風に対策してくるかお手並み拝見な部分はある。
spacefrontier 参考になりもした。増田どん、スターをおいせぇくいやらんけ?。(鹿児島弁→標準語:参考になりました。増田殿、スターを私にくれませんか?)
今後も薩摩互助会と琉球互助会とイタリア互助会は見逃していく予定なので互助会コメントはイタリア語で書けば余裕で逃げられる模様。
ブクマコメントをグルーミングの場として使っている互助会メンバーに殺伐は無理。話は変わるが例の3要素について「それは女性ブックマーカーに厳しいのでは」という意見が出るかと思ったのだがこれまで出てこなくて少しびっくりしているし、実際主婦の体で書いているブックマーカーが引っかかりがちではある。
mur2 サクラやステマ、やらせへの法規制がほとんど行われてないのが最大の問題だよな。日本死ねみたいにマスコミが取り上げてくれればいいんだが、マスコミ自体がそれに加担してるから言及されないという…
長い間いじめられて来た姉妹兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされた私たちのための運動が、何等の有難い効果をもたらさなかった事実は、それ等のすべてが私たちによって、又他の人々によってつねに人間を冒涜されていた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を大事にしながら消し去るかの如き運動は、かえって多くの姉妹兄弟を堕落させた事を想えば、この際私たちの中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。
姉妹兄弟よ、私たちの先輩は自由、平等の渇仰者であり、実行者であった。陋劣なる分断政策の犠牲者であり人間らしき職業的殉教者であったのだ。親密なる刻を与える報酬として、生々しき親密な情の誠を剥ぎ取られ、心の渇きを潤す代価として、暖い人間の心を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして私たちは、この血を享けて人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
私たちは、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、先輩を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を大事にしながら消し去る事が何んであるかをよく知っている私たちは、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである。
性労働社(仮)は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ
某年某月某日
完成に向つて突進す
ボクの考えた系(笑)のセックスワーカーエンパワメント私的提案です。御笑覧を。
ツッコミどころ満載だが一番のツッコミどころは「2. 熱中できることを探す」だね
子どもは好奇心の塊でふとしたことがきっかけで一つのことに全力で取り組み…っていうのは幻想で
たいてい学校行かないような社会性ないガキは家でネットとかゲームとか下らないことやって時間潰すんだよ
実のある熱中なんてのとは程遠い毎日を送りながら後戻り出来なくなるんだよ
増田がどんな人生送ってるのか知らないからただの想像、及びいちゃもんになるけど多分学校行ってても似たような人生歩めてると思うよ
学校行きながら会社をおこしたり、宇宙飛行士になったり、新興宗教の教祖になったり、ホームラン王になったり、ハリウッド女優になったりしてる人がいるなかで
多分そういう職業的なことじゃなく「大事なことに気づけた」「視野が広くなった」「考え方が柔軟になった」的なことなんだろうけど
初めに断っておくと、僕は広告業界の端っこの方で生きていて、そしてよっぴー氏の大ファンです。
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
の件について、ファンの僕にしては珍しくよっぴー氏の主張に全然合意できない、というか氏の主張に明確な誤りがある、と感じたのでまとめてみました。
広告業界のエラい人たち、よっぴー氏の言葉を借りれば蹴鞠おじさん、たちにとって「ライター」が「公共の場」でつぶやいた<「ネイティブ広告ハンドブック2017」が取扱説明書レベルに読解大変で涙です>というツイートは、「もっと読みやすくしろよボケ」というクレームとして捉えられた可能性が高いです。よっぴー氏はその後の藤代氏とのやりとりに付記して<「素人でいい」なんて誰も一言も言ってないし、「わかりやすく説明しろ」も誰も一言も言ってない。>と語ってますが、彼らにはそうとしか読み取れないのです。
なぜならばこの人達は世代的にも階層(広告業界における商流上位のレイヤー、あるいは研究者という意味です)的にも、「仕事上の愚痴をカジュアルにツイートする&万人の目に触れさせる」文化に生きていないからです。たぶん彼らは、「は?じゃ、わざわざ公然とツイートしないで日記帳にでも書いとけよ。分かりやすくしろって強制したいから公開してんだろ?」と捉えていると思われます。
どちらが正しいとかではなく、両者に間に横たわっているのは、おそらくデジタルデバイドでしかありません。よっぴー氏はこの誤解に対して「書いてもないことを勝手に解釈してケンカ売ってくんじゃねえ」と憤ってますが、一人さみしくつぶやいたならともかく、公衆の場でさらす、というアクションを経ている以上、読み手の曲解にも相応の理由があると考えるべきではないかと思います。あと、蹴鞠おじさん達が「ライターともあろうものが、自分の読解力不足を晒すとは何事だ」文化に生きている点もあるでしょうね。これもどちらが正しいとかではなく、文化圏が異なるとしかいいようがない。
要するに、この点においては双方に優劣も正誤もなく、互いに差異を認識すべきだけ、のように思うのです。先に殴ったのはおじさんたちなので、その点は擁護しようもないのですが、殴り返しちゃったら同じじゃないですかね。
高広氏がよっぴー氏に投げかけた一連の内容を、単純な「いやらしいおっさんのマウンティング」と捉えているのも事実誤認です。
なぜなら、この振る舞いは、優越感ゲームの手段ではなく、むしろ彼らの「メシのタネそのものだからです」。デザインや文章といったアウトプットに対して、属人的価値を付与して、単価と受注率を上げ、競合を蹴り落とす戦略的な行為です。ちなみに、自分も広告業界の隅っこで生きているので蹴鞠おじさんにはよく遭遇するのですが、彼らはあまりにもこの行為を自然にこなすので、自分が優越感を搾取し相手に不快を強いている自覚が、実は無いんじゃないかなと感じることがあります。
もちろん、これらの行為は批判されるべきではあるのですが、少なくとも「蹴鞠」ではないと思うんですよね。広告人としての生存をかけた削り合いです。蹴鞠おじさん、という語感が良さすぎるので引き続き使いますけど。
また、おじさんたちの蹴鞠的な振る舞いが広告業界をダメにした、というよっぴー氏の批判も乱暴に感じます。
蹴鞠おじさんたちが、彼らなりに意識を高く持ち、マクルーハンを学んだりしながら、一定以上のクオリティをアウトプットしてきたのは事実です。一方で、あまりにも参入障壁が下がり、ゴミのような広告を撒き散らし、単価を下げ、まさに悪貨が良貨を駆逐するようなネット広告の現状を鑑みるに、正直「マクルーハン読んでない奴が広告作るなよ」といった視点は必要悪のようなものではとも思います。参入障壁はむしろ上げるべき、というスタンス自体は悪いものではないはずで、業界全体がその方向に舵を切らないのであれば、個々の業界人としては高広氏のような振る舞いを取らざるをえないのではないかと思います。
ま、とはいえ蹴鞠であってはやはりいけない。貴族的な内輪遊びではなく、きちんと資格化でもすべきです。マクルーハンも「ネイティヴ〜」も体系化して資格試験を設置し、ステマや優良誤認に加担した広告人からは資格を剥奪する、とかの方が、少なくともネット上はキレイになるかと思います。
僕個人としては、よっぴー氏は今、日本で最も力のあるライターだと思っています。あれだけ尖った面白さを担保しつつ、誰も傷つけずに商品価値を高めるコンテンツを作れる能力は、まさに余人をもって代えがたい。旧態然とした広告業界からは、彼のような素晴らしいライターは出てこず、僕たちは未だに蹴鞠おじさんたちのキャッキャウフフを見せられてるかもしれない。
しかしどうなんでしょう。よっぴー氏や彼に比肩するライターが何人いようとも、「障壁が下がったから参入してきたネット系ライター」とくくってみれば、そのクオリティはあまりにもひどい。「売れればよい」「注目を集めれば良い」「検索に強ければ良い」といった、ゴミのようなコンテンツが多すぎる。独善的とはいえ職業的矜持を持つおじさんたちが作るものの方が、どれほどマシか知れません。
ゴミ溜めの中から燦めく才能が発掘される様は痛快であっても、撒き散らされたゴミは臭いのです。まして、ゴミを撒き散らかしている人たちが、それで食べていけてるならガマンもしますけど。
繰り返しになるけれど、DSM-5における自閉スペクトラム症(ASD)の診断基準は、社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしていることを求めているので、
現在社会的に適応しており、日常生活に支障をきたしていない元増田には不必要な診断名なのです。
元増田は勘違いなさっているようだけれど、この診断名は「特性を持った人」のためではなく、「その特性によって困っている人」のためにあるのです。
だから「今全然困ってないけどASDです!!」という発言は反発を招いても仕方がないように思いました。
また、ASDを診断するための客観的な検査も生物学的な指標(バイオマーカー)も現時点では存在しません。
脳血流検査、IQ検査、MRIの画像、問診を受けて診断されたとのことですが、脳血流検査もIQ検査もMRIの画像も、あくまで精神科医が総合的に判断するための補助にすぎないものです。
そして、精神科医の判断の基準になるのがDSM-5やICD-10などの診断基準なんですね。
ところで元増田はこれらの診断基準は当然お読みになっているんですよね?
アレキシソミア・アレキシサイミアについては、心身症の分野でよく使われる言葉です。
ご存知かもしれませんが、これらの症状はASDに特有のものではありません。
診断を受けた経緯については分かりました。
やはり二次障害があったので診断を受けることになったのですね。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
そんな判断基準はありません。
高機能自閉症も成長するにつれて言語発達の遅れは取り戻すので、臨床的な経過はアスペルガー症候群と高機能自閉症にほとんど差がないと言われています。
よって両者をわざわざ分ける妥当性が乏しく、DSM-5では「自閉スペクトラム症」という診断名に一本化されたという経緯があります。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
コミュニケーションは言語によってのみ行われるものではありません。非言語的コミュニケーションというものがあります。
よって、「言語ポテンシャルが高い=コミュニケーション障害が起こりにくい」という推論は拙速だと思います。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。
アメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5では自閉スペクトラム症に一本化されましたが、WHOの疾病分類であるICD-10にはまだ存在している診断名なので、死語ではありません。