不祥事を起こしたら挿げ替えるというのは、最初からあまり人選を考えなかった証拠ではないのか。
仕事の責任者という立場で最初から、替えはいくらでも居る、というような考えを持つという事は、人をきちんと事前に評価する事もしなければ、自分が与えたどんな小さい仕事も意味があるという事を曖昧にし、謂わば仕事をサボっているからではないのか。
周りの目を気にしすぎてないか。
現代は科学技術の時代であるが、果たしてその仕事は後世にどう評価されるのだろうか。仕える側もきちんと真面目にやらなければいけないが、自分の仕事がある大きな仕事の重要なピースであるという認識なしにどんな職業的な卓越の道があるのか。
人が死ぬから、残業は短くしなければならないのか。違うだろ、その人が仕事にとって重要だから少しでも健康でないと困るのである。
感情と論理を司る脳が発達したのは前近代だが、近代になってからは計算という脳の発達が先行しているようだ。果たして計算という脳の一部は何を神とするのだろう。金で天上へのエスカレーターを用意して何に裁かれる気なのだろうか。