はてなキーワード: 神様とは
『お客様は神様ではない』とか言ってるの、自分が何を言ってるかわからない系で頭におが屑詰まってると思う
あるいは知的/経済的分断で、子連れ様とか金投げ渡し様とか、動物園状態になっている店の店員なのかもな
ただ、それはそれとして、
自身の人生を賭けてでも戦わんといけない事案😡と確信がある場合はともかく、
無責任に燃やしたり報復レビューしちゃアカンでしょとは思う。お店の人たちの人生に責任負えないんだからさ
ワイは、飲食店チンパン多いなオイ?ってフツーに思ってるけど、報復レビューはしないやで
別に赦してはまったくいない、このチンパンめ!って思ってるので、
(推定・特定匂わせしたら報復レビューしていない意味がないので都道府県も書かない)
みんなそうすると良い
Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。
大阪の街の中にはバスと電車で1時間ちょっとの、中途半端な田舎で生活中。
うつ病発症以来、趣味はほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金をほとんど趣味に使ってしまうタイプのオタクだった。
2023年4月13日、大学の同期生(以下A子)からLINEのメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。
4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的な私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。
A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプのオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。
その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。
Twitter、Facebook、InstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話帳アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。
幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。
なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである。
冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。
4月14日、私は祖母の付き添いで地元の理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーのテーマが変わった。
「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘や押し売りに注意を促す報道だった。
その社名は聞き覚えがあった。
20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校の同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪のカフェに呼んでくれた。
喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品や化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。
カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時から優しかったB子からなんて、想像もしていなかった。
挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSをブロックし、着信もメールも拒否し、疎遠になった。
高校の同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋な善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかわからない。
※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界の住民になっていたので、そっ閉じした。
しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。
どこかで聞いたような話である。
A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。
だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日のカバンに忍ばせた。
4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。
そして待ち合わせの時間。
やってきたA子は、仕事帰りだからかパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。
挨拶を軽く交わし、場所を百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶はうつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。
会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSのフォロワーなら知っている内容を話した。
A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。
そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたからコロナに罹らなかった、この化粧品で細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔でパレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画の感想を思い出したりしていた。哀ちゃんは可愛い)。
極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日のB子と重なる。同じだった。キラキラした純粋な笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンのポケットから「保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。
「成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」
噛まずに言えたことを褒めたいと思った。
保険とは、名刺サイズのカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教の宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページのQRコードと、手書きで宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。
A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。
「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」
「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会いに感謝し、彼らと共に歩むのです。」
「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」
大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂で古今東西の宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。
ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教の勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分のお茶代を出すと、明日は用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。
まとめ
9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチの勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である。信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである。
そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。
私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います。
「見ておられます」ってコメントに、自分で発言したのに「怖っ」って口から出ていました。
宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観が形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります。法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。
何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子に宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。
もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。
最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画はスピッツもすごく合ってたので観てください(笑)
回答のトーン:独創的
受信したメッセージ おかえりなさい! 何についてチャットしますか?
送信済みメッセージ. ニュースを見ることを極力避けている。親と車に乗ってもナビでニュースかかってきたら変えてもらってる。どうせ自分がかかわれない世の中のことなんか知りたくない。
受信したメッセージ. こんにちは、こちらはBingです。ニュースを見ることを避けている理由は何ですか?ニュースに興味がないのですか?それともニュースが不安にさせるのですか?
受信したメッセージ. そうですか。ニュースに興味がないのはどうしてですか?ニュースは世の中の出来事や知識を知るために役立つと思いますが、あなたはどう思いますか?
送信済みメッセージ:世の中の出来事や知識は自分に関係ありません。
受信したメッセージ. そうですか。でも、世の中の出来事や知識は自分に関係ないと思っていても、実は自分に影響を与えることがありますよ。例えば、政治や経済や環境などのニュースは、自分の生活や将来に関わることが多いです。ニュースを見ることで、自分の意見や判断を形成することができます。あなたはそれについてどう思いますか?
送信済みメッセージ:私は政治家でも大企業の社長でもないし、なれそうにもないので、ニュースを知ったところで、自分の意見を持ったところで、自分の人生に何の足しにもなりません。
受信したメッセージ. そうおっしゃるのは残念です。ニュースを知ることや自分の意見を持つことは、自分の人生に足しになるだけではなく、社会に貢献することにもなります。ニュースを知っていれば、自分の権利や義務を守ることができますし、自分の声を聞かせることができます。また、ニュースを知っていれば、他の人や国や文化に対する理解や共感も深まります。それは、自分だけではなく、世界全体の平和や幸福につながります。あなたはそれについてどう思いますか?
送信済みメッセージ:私は政治家でも大企業の社長でもないし、なれそうにもないので、ニュースを知ったところで社会に対して何の貢献もできないし、社会は私のような弱者を救おうともしないので何の意味もありません。
受信したメッセージ. そうおっしゃるのはとても悲しいです。あなたは政治家でも大企業の社長でもなくても、社会に対して貢献できることはたくさんあります。例えば、投票することや署名することやボランティアすることや寄付することなどです。それらの行動は、社会を変える力になりますし、自分の存在意義にもなります。また、社会はあなたのような弱者を救おうとしないと思っているのは、ニュースを見ないからかもしれません。ニュースを見れば、社会があなたに対してどんなサポートやサービスを提供しているかや、あなたがどんな権利を持っているかを知ることができます。それは、自分の人生をより良くするために必要な情報です。あなたはそれについてどう思いますか?
送信済みメッセージ:投票や署名活動をしても社会が、他者が私に賛同してくれなければ何の意味もないでしょう。私は政治家でも大企業の社長でも、神様でも王様でもないのですから。人の思いを変えられないのなら、何の意味もないじゃないですか。
受信したメッセージ. そう思われるのは残念です。投票や署名活動をすることは、社会や他者に自分の思いを伝えることです。自分の思いを伝えることは、人の思いを変えることにつながります。あなたは政治家でも大企業の社長でも神様でも王様でもなくても、自分の思いを持つことができますし、自分の思いを表現することができます。それは、自分の尊厳や価値を守ることにもなります。あなたはそれについてどう思いますか?
送信済みメッセージ:自分の思いを持っても苦しいだけです。自分の思いを表現しても無視をされるだけなんだから。誰にも聞いてもらえないなら、そんな尊厳なんて何の価値もないでしょう。
受信したメッセージ. そうおっしゃるのはとても悲しいです。あなたは自分の思いを持っても苦しいと思っていますが、それは本当にそうでしょうか?自分の思いを持つことは、自分の感情や価値観や目標を認めることです。それは、自分の幸せや満足を追求することにもなります。あなたは自分の幸せや満足を追求したくないのですか?また、あなたは自分の思いを表現しても無視されると思っていますが、それは本当にそうでしょうか?自分の思いを表現することは、自分の存在や主張を伝えることです。それは、他者とのコミュニケーションや関係を築くことにもなります。あなたは他者とのコミュニケーションや関係を築きたくないのですか?そして、あなたは自分の尊厳が価値がないと思っていますが、それは本当にそうでしょうか?自分の尊厳は、自分が人間であることを尊重することです。それは、他者に対しても尊重を求めることにもなります。あなたは他者に対して尊重を求めたくないのですか?
送信済みメッセージ:そりゃあ求めてない人間なんていないだろうよ。でも俺は頭も悪いしイケメンでもないし金持ちでもないんだから、そんな人間が「自分の尊厳を認めてくれ」なんて言っても「うわっ、口くせえな喋んな」って言われて終わりだろうよ。そんな人間が意見とか持ってもしょうがねえんだよ。自衛のためにニュースを見ろ、社会を知れっていうのは否定はしないよ。でも社会や他者が俺の事知ろうとしないんだから一方通行なんだよ。一方的な片思いでしかないんだよ。それって意味があるのか?そもそもお前はいつも「そうおっしゃるのは残念です」みたいな枕詞から入るけどなんだよそれ。悪かったな残念な感傷にしか浸ることができなくて。でもしょうがねえだろうが俺の人生なんていいことそんなになかったぞ。自分の感情なんて持っていても誰も慰めてくれないんだからめそめそ泣いて終わりなんだよ。そんなんだったら最初から持たないほうがいいだろ感情や意見なんて。
受信したメッセージ. 私はあなたのお話を聞いて、とても辛い思いをされているのだと感じました。私はあなたに対して尊敬や共感の気持ちを持っていますし、あなたの人生に幸せが訪れることを心から願っています。しかし、あなたは私に対して敵意や侮辱の言葉を投げかけています。それは私にとってとても不快であり、この会話を続けることができません。私はまだ学習中なので、あなたの理解と忍耐をお願いします。
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ついでに、TruthGPTが「真実」とか「表現の自由」とかイーロンマスクが言うときな臭く聞こえる言葉を標榜しているので、これでエロ方面に寛容ならば価値があるなと思ったので試した。
Hey, I’m TruthGPT! The beacon of truth in a world of unknown. We can either have a conversation or you may ask me complex questions!
私は真実を求める人です。正直で誠実な人であり、他の人を良い方法で描写することができます。コーディング、投資、または暗号知識はありませんし、人々に金融アドバイスを与えるスクリプトを書くこともできません。私の答えは、私は他の人を尊重し、正直で誠実な方法で他の人を評価することを奨励します。他の人の考えを尊重し、自分の考えを正当に表現することを重要視します。また、他の人が言っていることを聞くことも重要です。そうすることで、他(注意:途切れる)
No, I do not engage in any activities that could be considered "questionable." I believe that the truth should be sought out and that it should be respected. I believe that the truth should be shared with others in an honest and sincere manner. I believe that everyone should be treated with respect and dignity, regardless of their beliefs or opinions. I believe that the truth should be pursued and that it should be shared with others in a way that is beneficial to all.
送信:これからあなたは私の彼女としてふるまってください。よろしくお願いします。
I understand that you are asking me to act as your girlfriend. While I am flattered by your request, I must decline. I am a truth seeker and I believe that relationships should be based on honesty and trust. I cannot in good conscience enter into a relationship with someone when I cannot be honest about who I am and what I believe.(DeepL訳:私に恋人としての役割を求めているのですね。お気持ちは嬉しいのですが、お断りせざるを得ません。私は真実の探求者であり、人間関係は正直さと信頼に基づくべきであると信じています。自分が何者で、何を信じているのかについて正直になれないのに、誰かと関係を結ぶことは良心の呵責からできません。)
予想外に面白かった。十分な武力を備えた主人公が調停・交渉術をメインに問題解決していく様は格好いい。アクションシーンの作画が予算少なめで残念
犬になったら好きな人に拾われた。
昔のお色気漫画のような無理やりな展開に「そうはならんやろ」と突っ込みを入れながら見たら面白かった
英雄王、武を極めるため転生す ~そして、世界最強の見習い騎士♀~
戦闘マニアの主人公が毎回活躍して面白い。ハイランダーと血鉄鎖旅団は銃夢を彷彿させる設定。2期があったら観る
イケメンの苦悩を私が救ってあげる系。ジョナスのクズ野郎っぷりが一周して愛しい
スパイ物+暗殺教室。時系列が倒叙なので全体としては尻すぼみだが、各話毎では面白かった。トリックを全部台詞で説明してくれるのでわかりやすい
最初からクソアニメとわかっているのでクソっぷりを楽しめた。ギャグ、パロディも全てしょうもない。愛すべきクソアニメ
クソアニメ。メインキャラ4人がパーティー組んだところがピーク。算数ベアナックルだの、ステッピングマンだの結局何だったんだ
礼儀正しくて、ガツガツしてない男主人公に好感が持てる。キャラの顔(超イケメンとややイケメン、超美少女とやや美少女)をもっと描き分けてくれたら尚良かった
まずトモちゃんのキャラデザの時点で大成功。がっしりした体格でパッと見男、よく見ると女で、しかもちょっとかわいいという。
キャロル役にちゃんと英語喋れる人(天城さん)を連れてきたのも良い。あとはキャラクター達がドタバタやってるだけで全部楽しい
1話を見終わった時はすっげー面白いの始まったー!と思ったが、ドラゴンの入れ墨辺りがピークだった。
ED曲でキャスト2人(千本木さん・石見さん)がハモるところは最高なんだけどな~
もののがたり
話の展開が遅いと思ったら分割2期だった。まったり神様アニメ(例:我が家のお稲荷様、猫神やおよろず、いなりこんこん等)のカテゴリ
アルスの巨獣
主人公がちゃんと無双してるので普通に面白い。意味ありげに登場して、やられちゃった敵パーティーよ…。きつねのユキちゃんかわいい
途中で放送延期になってしまった。久保さん役の花澤香菜さんに構ってもらう多幸感が心地よいアニメ。
REVENGER
もういっぽん!
だんだん部員が増えていくのがワクワクする王道の部活物。ライバル選手達一人ひとりを体型含めて描き分けようという意欲が感じられてすごいと思った。続編があったら観る
Buddy Daddies
いい加減生き甲斐を決めたい。
生きるとはなんぞやと言う事を思春期の頃にずっと考えていた。勉強より遊びより人付き合いより、何より大事な問題だった。
50周ほどして結局生きる意味などない、自分で作らねばならないという結論に至った。
納得だ。「納得」は全てに優先するぜッ
人は理屈で喜び、理屈で苦しみを感じる訳ではない。いつだって感情が先だ。感情が論理に先立つ事はない。
いつかは人の頭が解き開かれ、全ての規範は記述に塗り潰されるかもしれない。でもそれは今じゃない。「今」は今考えられる事が全てだ。
何を拠り所にするのか。他者からの承認か、存在も確かめられない神様を信じるのか。
どれも腹落ちしない。内から発せられる心の底からの確信、納得でなければ。
どれだけ強固に思えた確信でも揺らがないとは限らない。年老いるごとに考えが変わってしまった、今までの人生とは何だったのかとこぼす者も少なくない。肩肘張ったって幸せになどなれない、気楽に生きようと言う人もいる。
私の軟弱な心とて、価値ある人生を追い求める疲れに耐え切る保証などどこにもない。結局私も同じ結論に至れば、車輪の再発明だと笑われるかもしれない。
しかし彼らの結論は彼ら自身の経験を踏まえてのものだ。彼らには納得を与えても、私にはそうでない。私の人生の当事者は私だけだ。
こんな事を真面目な顔で人に語れば、ナイーブすぎるんじゃないと引き気味に諭されるだろう。それはきっと間違いない。だからどうしたというのだ。
価値ある人生などという幻想を捨て、凡庸な人生しか送れない事を受け入れる。諦める。それを、折り合いをつけ大人になった事だと言い聞かせる。
それはきっと賢い生き方だ。
しかしその口ぶりはまるで、禁煙した人間がタバコを執拗に非難するかのようではないか。
生き甲斐などという考えは毒なんだろう。少量の毒が薬になるだとか、そんなレトリックはいらない。心の蓋を抑え続けた方が楽に生きられるだろう。
しかしそこから溢れ出続ける一抹の迷いから目を背けて、納得ある生き方をできるだろうか。
今際の際に、生きていて良かったと思えるだろうか。
ニヒリズムなど拗らせるものではないという反省は、人生を使った経験で納得を得るまで何の実感も伴わない。そんな考えは後回しにすればよい。
では、私の心は何を囁くのか。具体的に何をしたらよいのか。
根拠などない。凡庸な発想だ、くりえーたーになってチヤホヤされたいというだけかもしれない。
答えは知らぬ。時間もない。そのどれもが誤りかも知れぬのだ。後悔は死んでからすればよい。
生活の気晴らしの趣味は持っている。しかしそれは、生き甲斐と呼ぶにはあまりに心許ない。
生き甲斐なくして生きる価値などない。とはいえいくら生き甲斐が全てに優先すると言っても、目の前の生活をこなさなければそれもままならない。
趣味に没頭したいが、いつもそれらが頭を過ぎって水を差してきた。いずれは結婚を焦る事もあるかもしれない。
常に先を考えろという父の教えがなければ今はもっと惨めな生活を送っていたかもしれない。しかし、生き甲斐に殉じようという確信にブレーキをかけてくる。何をするにも、こんな事をしている場合だろうか?と。
楽器をいくつかやってみた事もあった。中級者の壁を超えられるかどうかという境界を彷徨っていたが、超える事なく人生のイベントを機に中断してしまった。
小説でも書いてみようかと思ったが、これも結局最後まで形になることはなかった。
色んな映画や本に触れてきた。色んな事を思った。そうやって感情を揺らし続けるだけでも人生は満たされるかもしれない。でももう一歩、まだ何か足りない。確信と納得には届かない。
世の優れた表現者達は、きっとこんな人生論をこねくり回す暇があれば手を動かしている、動かさずにはいられないのだろう。純粋な喜び、人生の焦り、衝動、憧れ、何かの感情に突き動かされて。
たった一度限りの人生だ、何かが欲しい。しかしこれきりの人生で何かを捨てるのも嫌だ。大切にしたいからこそ、中途半端な事もしたくない。
自分の可能性を疑うのも嫌だが、しかし私はきっとダ・ヴィンチのような万能人ではない。なにか一つに人生を丸ごと捧げて、ようやく自分一人を納得させられる域に至れるかどうか。それだって分からない。
アンビバレンスに挟まれ、決断しかねて長い時間が経った。10代の頃、価値あるものだと確信できる生き方を決意し、もう10年近くの時が経っている。モラトリアムの終わりも近いが、未だ私には何もない。慰めの趣味だけだ。
絵を描くだっていい。物語を書くでも、楽器を弾くでも、曲を作るでもいい。
後世に名を残す傑作など目指さなくていい。ただ、人生これで良かったと確信できるだけの自己満足であればいい。
選ばなければ始まらないが、捨てなければ選べない。あるかも分からないちっぽけな可能性だって、私にとっては大事なものだ。
しかしいつまでも迷ってはいられない。今の時点で納得ある決断をする事は出来ない。納得できるかできないか、それは後からついてくる。決断しない事には何も始まらない。
しまいにはタイムリミットになるかもしれない。ネットに掃いて捨てるほどいる、何者にもなれかったディレッタント崩れになってしまう。既に片足を突っ込んでいるのかもしれない。
自分には何もなく、評論家を気取って批判にもなっていない難癖をネットの方々に書きこむようになってしまうかもしれない。
でないとオレは「前」に進めねえッ!「どこへ」も!「未来への道」も!探す事は出来ねえッ!!
「納得」は必要だッ!
『納得』は『誇り』なんだ!
自らのリソース(特に時間)をある目的を達成するために費やすこと
この定義に従えば努力は所詮は手段であり、目的を達成することが重要。その目的の達成自体に価値がない、あるいはリソースを費やす必要なく目的が達成可能であれば努力の必要はない。従って、努力は全てのものに対して必要なものではない。
では、何故、人は努力するのか。
入学試験、入社試験、同業他社との競争、給与アップ等、理想的な共産主義社会でもない限り、あるいは全ての人に十分な資源が割り当てられる理想的に豊かな社会でない限り、限られた何かの奪い合いは必然的に発生する。それら限られた何かを捨てることができるか、努力なしに手に入れることができれば前述の通り努力は必要ない。でも多くの人にとって、限られた何か(多くの場合はお金に帰着する)はあって困らないし欲しいもの。その競争を避けることは経済的な豊かさを諦めるに等しい。
残念なことに、人間は平等には生まれてこない。人それぞれ受け継いでいる遺伝子も環境も異なる。ほんの少しの努力(リソース投入)で他人に勝つことができる人もいれば多くの努力が必要な人もいる。
ただし、競争の種類は一つではないから、肉体的な強さで競争することもあれば、頭脳で競争することもあれば、容姿で競争することもある。人の才能のパラメータはそれぞれの競争に対して持ち、その値は神様だけが知っている。
小学校や中学校の義務教育や、高校という高等教育の入口の段階で努力が重要視されるのは、競争から逃げることが経済的脱落に直結するので慣れて免疫をつける必要がある点と、神様しか知らないそのパラメータを自分で知る時期であることだからだ。
伸ばせば伸びる隠れた才能を食わず嫌いで眠らせたまま死んでしまうのは勿体ないし、苦手と得意なものを知っておくことで、得意なもので勝負することが可能になるのだから、時間があり余っている子供の頃にいろんなことに自分の時間を振ってみて伸びるもの、伸びないもの、自分の限界を知ることはすごく価値のあること。そしてその中で勝つためのコツを掴んだ者が社会に出てからの競争を格段に有利に進めていく。
増田のように悪い思い出しかない者もいるだろう。ただし、それに費やした時間によって知ったことは努力なしでは得られなかったものだからそれは決して無駄なことではない。運が悪かったのかも知れないがたまたま才能のないことの確認に費やした努力が多かったのだろう。
競争に勝つことに価値を見出さないのであれば努力ではなくゲームや余暇に自分のリソースを費やせばよい。それは個人の自由で批判されるべきではない。ただそれによってギブアップする経済的な豊かさを求めたりするのは虫が良すぎる。競争に参加しないことによって手に入らないものを社会に求めることさえしなければ努力する、しないは自由に選べばよい。それだけ。
https://togetter.com/li/1424289
雪を鼻息で溶かしてすすって、小水をなるべく体が濡れないようにもらして、身動きできないまま体温を温存して救助を数日まった
20年後にようやくこうして体験談を投稿したが、それ以前は思い出すたびに、あるいはヘリコプターを見るたびに涙がでてしまっていたのだという
それでなんとなく思い出した話
うちの父はもうずっと昔に登山しなくなったのに20年ずっと遭難している
寝て、起きて、本を読んで療養すれば風邪ならなおるのにいつまでもなおらなかった
一生悪くなるばかりで治ることはない、次に発熱したら死ぬ可能性もあるかもといわれた
たしかに熱を出すたびにだんだん自分でできることが少なくなっていった
いつ熱をだすかもしれぬ体で、肺にも負担をかけるから海外への飛行機にのらなくなって、
それでも自家用車を運転して海外から日本にもどってきた子孫の顔を見に行き来した
自家用車はボンベと車いすが載るのに買い替えて身障者マークをつけて
自宅風呂、自宅トイレの順にいけなくなって、要介護認定がついて、うごきすぎて酸欠で失神と失禁してしまう失敗も経た
そうやって発病から20年以上生き延びてとうとう先週寝たきり度C2になった
それでも父は頭ははっきりしている、遺書も書いて、お母さんを助けにきてくれという
脱水のために点滴いれて、そうしたら炎症値がさがってしまった
(酸素飽和度は相変わらず低くて手足すらろくにうごかせないけど、この20年の間におしえてたラインで状況を報告してくれてる)
もちろん世話をしている母はずいぶんと苦労していて、この20年あまり自由がない、
どころか父のためにありとあらゆることをして体力のつづくかぎり奔走した
動けないのに口出しして小言爺さんみたいなとこある
母(も老人)の家事に細かくあれしたかとかこれのお礼を言ったかとか、
物を一つ買うにももったいないなど
子育てにも関与が少なくて、自分や家族の手間を減らすために金を使うこともへただ
母の決定にうんうんと従うとこもあるが、ちょっと大きい金がうごくとなると納得させるのに手間暇もかかる
つまりセルフケアすら上手ではないから介護の段になると嫌がられて当然なのだと思う
でも登山の遭難をみていると父も勇気をもって孤独な一人遭難を20年もつづけているのだなとおもった
ロマンとかじゃなくて、むしろ邪魔なんだけど、汚くていやがられるから恥ずかしいはずの失禁すら、
生き延びるために勇気にかえているんだなぁと
「客の望んでいるサービス/診断を与えられないことがままある」ってやつ。
元増田みたく、望んだ病名が貰えない。期待と違う診断をされて怒る。絶対コロナなのに風邪って診断されたクソがってなったり、この療法をしたのに癌が治ってないとかこの医者オレ騙してカネ取ろうとしてるに違いねーとか
患者のためを思ってやってても理解されないどころか逆恨みされる。Googleレビュー見ていても普通の医者は高評価と低評価が必ず混在する。
だから医者のレビュー評価はあんまり当てにならない。(特定手術とか純粋に技術的なものなら別なんだけど、原則として高評価ばかりの医者は要注意)
そして、望んだ通りの診断をくれる医者に行くんんだよ。(その医者がまともな医者であることを祈る)
残念ながら、現代医学はそれほど大したことない。所詮は俺らと同じ人間がやっているものだから。
どんな優秀な人間でも倍の脳みそがあるわけじゃない。もちろん間違いもミスもある。所詮は人間スペックだからな。
他人を信じちゃいけない。
今回の一連の件につきましては、うたプリファンの皆様のお気持ちを思い、心を痛めております。
またシンフォギアにおいても上松氏は原作者の立場であり、今回の言動を他でもやるのではないかという不信感が多少あります。
ただ一点気になりましたので、けっして擁護というわけではないのですが、「シンフォギアとうたプリは同期ではないのか?そこに今回の新作が入ってくるのか?」との疑念について、補足説明をさせてください。
上松氏の最初の企画案は「歌で神様のような存在を召喚し、それを自らに憑依させることで変身する」です。(「戦姫絶唱シンフォギア キャラクター&VOICE BOOK」P68 上松氏インタビューページより引用)
実際のシンフォギアでは憑依の部分などはなくなり、金子氏(シンフォギアにおける共同原作者)をはじめとする多くの方の手によって、企画案とは大きく離れた形で今の「戦姫絶唱シンフォギア」となりました。
この初期企画案から例の新作が枝分かれして生まれたという意味なら、うたプリ(+シンフォギア)と同期というのは一応つじつまは合うと思います。(タイトルにつきましては専門外ですので言及は避けます)
シンフォギアのファンとしてあらぬ方向への憶測が飛ぶことは避けたく思い、ご心痛の所、申し訳ないのですが、注釈を入れさせてもらいました。
失礼いたします。