まず自分は、今回の検事長法改正案は(少なくともタイミングという点において)問題があると思っているし、法改正以前に定年変更を押し通したのは大問題だと思っている。その上で、今回の件に限らない「著名人が政治的スタンスについて表明すること」の是非については、(政治的スタンスが同様の)多くの人たちと考え方が違うのだなと思って、ここで思考を整理させてほしい。(あるいは、いっそのこと論破してくれたら嬉しい)
当たり前だが、個々人の政治的信条とは、右も左もどちらかが一方的に正しい/間違っているのではなく、スタンスが違うことがほとんだと思っている。どちらかが一方的に正しいわけではない、ということは、今回の件とは真逆の政治的思想を著名人が表明しても、表明すること自体は受け入れるべきだと思っている。(あんまり自分の中でダブルスタンダードを許容したくないタチだ)
一方で、正直な気持ちとしては、自分の推しがある日、自分の政治的スタンスとは逆の立場を表明したらすごく悲しい。たとえば、あなたの推しが「検察庁法改正案に興味ありません」ハッシュタグを使い出したらどうだろう?あなたの推しは「確実に自分が好きになるような人だから、自分と同じ政治的スタンスだろう」って言い切れるような人だろうか?
あるいは、近年のゆずにがっかりしたことはなかった?自分は「夏色」や「さよならバス」まで色褪せていくように思えてしまった。
(参考: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55216 )
別に自分の考えと逆のスタンス表明されるのだけが嫌なわけじゃなくて、結局いつだって、間違っているわけではない逆の立場の人達が、こういう思いをするんでしょって思ってる。
自分の推しに恋人がいるかどうか知りたくないのと同様、自分の推しの政治的スタンスなんて知りたくない。恋人いることを表明しながらデビューするような手法をとってくれればいいのかな。それともファンが、政治的スタンスと、その人を推したい気持ちを、切り離して考えていけるようになるべきだろうか。政治発言の多いアメリカの有名人ファンとかどうやってんだろ。
別の観点として「"不勉強なことを語るな"と言うべきでない」という風潮もあるけど、たとえば、不勉強なまま医療についての発言をされるのは完全に害悪では?それは命が関わるからだろうか。ただ、政治だって(少なくとも)中長期的には自分たちの命を左右するものでは。というわけで不勉強を自覚するのならば、下手に影響力ある人が政治を語るのは正直やめてほしいと思っている。
確かに「政治を語るな」を個人に押し付けるのは良くないと思う。というわけでなるべく誰かに押し付けずに済むよう、ここに書きにきてしまった。また、「政治を語ってほしくない」というこの文章も、結果として一つの政治観を語ってしまってるのだが、自分の人格と切り離してそれを語れるこの場所があってよかった。きゃりーぱみゅぱみゅも増田に書けばよかったのにねって思っちゃう。
推しというのが憧れ・願望の投影先、ということなら、聞きたくないことは言わないでほしいのはそうなんだろうな。 自分は、そういうキャラ消費みたいなのが無理。売る方も買う方...